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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/04/26 (Fri) 07:59:20

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No.615
2012/12/22 (Sat) 16:49:05

 二人いる上のほうの甥は、高校に入学した当初、何のクラブに入るか考えたとき、まず少林寺拳法部が候補に挙がったらしい。その高校ではいちばん活発なクラブと言われていたからだ。しかし試しに一日だけ体験入部したところ、あまりの厳しさに根を上げ、けっきょく文科系の物理部に入った。僕など少林寺拳法と聞いてもまったくの門外漢で、カンフー映画に出てくる少林寺の修行風景しか思い浮かばない。だからそのクラブがおそろしく厳しかった、と聞かされてもジャッキー・チェンの「少林寺木人拳」のように大勢の堅い木のロボットに半殺しにされたとか、「少林寺三十六房」の主人公のように慢心していきなり頂房に挑戦して念仏で失神させられたとか、まあそこまで飛躍したことは考えないけれども、どうも少林寺拳法について正しいイメージが湧いてこないのである。

 彼の弟は今年高校に入ったのだが、クラブは弓道部にしたそうだ。しかし弓道にしても僕にはまったく分からない世界で、かろうじて中島敦の「名人伝」で弓術の修行について読みかじったぐらいだ。だから下のほうの甥が弓道部に入ったと聞くと、ああ名人伝のあれか、最初の一年は絶対にまばたきしない人間になるためひたすら目を開けているだけ、次の一年はシラミが牛ぐらいの大きさに見えるようになるまでとにかくにらみ続けるだけ、そして弓に触れるのは三年になってからなんだろう、などという空想をしたが、実際はそうではなくて、一年の最初から弓を持って構え方から練習するらしい。まあそりゃそうだろうな。

 ところでヨーロッパのほうでは、非公式なものかも知れないが、いまだに剣を使っての決闘が行なわれることがあるらしい。日本はというと現在では「決闘罪」というのがあって、決闘は非合法になっている。しかし二十年、三十年にもわたって続いている裁判を見るにつけ、場合によっては裁判ではなく決闘で決着をつけるという選択肢があってもいいのじゃないかと思う。気の短い者同士なら決闘のほうを選ぶかも知れない。

 そういえば小学校三年のころ、クラスで仲の悪い二人の男子がいて、毎日のように喧嘩していた。それを見ていて業を煮やした担任の先生は、二人を砂場で決闘させることにした。ここで勝負をつけたあとはこんりんざい争わないこと、と二人に約束させ、決闘に際してはパンチは駄目、腹を蹴るのも駄目、といくつかルールが設けられた。そしてクラスのみんなが見ている中、決闘が行なわれた。自分が教師になって思うのだが、その担任の先生はずいぶん思い切ったことをさせたものだと思う。もしどちらかが怪我して、保護者からクレームが来たらどうするのだろうか。あるいは、まだ当時は学校の先生が尊敬されていて、親がねじ込んでくるなどということは少なかったのかも知れない。

 中学一年のころ、空手をやっている奴がクラスにいた。なんでも糸東流という空手らしかったが、そいつが休み時間になるたび僕に殴りかかってきた。相手は鍛えているのだからこっちはまるで敵わない。そいつは空手で身に付けた本格的な突きや蹴りをやりたい放題にあびせてきた。武道の技術だけ覚えて、精神などはくそくらえという奴だったのだ。僕はあるとき、次の休み時間に奴がかかってきたら鉛筆で刺してやろうと思った。そいつが怪我して先生に何か言われたら「命の危険を感じたので正当防衛です」と開き直るつもりだった。しかし僕がそう腹を決めて鉛筆をポケットに忍ばせていたら、そいつはかかってこなかった。直後に僕は別なことで口を怪我し、その空手野郎も怪我人は攻撃できないと思ったのか、他の標的を見つけて休み時間はそいつをいたぶるようになった。僕はいまだにこの空手野郎が許せず、もしどこかで会ったら角材か何かで殴ってやりたい。会うのがあと五十年先でも、おそらく僕は同じ気持ちだろう。武器がなければ、たとえ総入れ歯になっていても噛み付いてやるつもりだ。


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No.614
2012/12/11 (Tue) 01:47:48

 中国前漢の時代の李廣という武人は、弓術に長けていたけれども、猟に出たとき草むらの中の石を見て虎と間違え、夢中で矢を放った。するとそこにあったのは石で、矢は羽が隠れるほどに深く刺さっていた。後日彼は、石に向かって何度も弓を射てみたけれども、ついに矢は石に刺さることはなかったという。

 人間本気になれば思わぬ力を発揮することがあるが、さてその本気は本当の窮地におちいらなければそう出るものではないという、この種の話はよくあるけれども、しかしフランスのジェラール・フィリップという俳優にこういう逸話がある。彼はある映画で馬を乗りこなさなければならなかった。しかしそれまで馬に乗ったことはなく、乗馬の練習をする時間もない。馬は通常、乗馬の経験のない者が乗ってもなかなか言うことをきかないが、フィリップは徹底的に役作りし、内面も外見も馬術に巧みな剣士になりきった。すると撮影時には見事な手綱さばきで馬を乗りこなすことができたという。

 また昭和初期に佐藤垢石という文士がいて、文才はさほどではなかったようだが、無銭飲食の達人だったと聞く。何しろ身なりがこざっぱりしていて品があり態度が鷹揚で、どこから見ても大金持ちにしか見えない。浴衣姿、手ぶらで旅館などに入っていくと、応対に出た者もその外見にだまされ、どうぞどうぞと奥へ通し大層にもてなす。財布も持っていないが、それがかえって通の遊び人を思わせ、あとで使いの者がお金を持ってくるのだろう、ここは大いに遊んでもらい今後も贔屓にしてもらおうと旅館のほうもこまごまと気を遣う。そして何日も逗留し、芸者を呼んで山海の珍味がふるまわれる毎日が続くが、いつまでたってもこの客から金銭の話が出てこないから、旅館の番頭もだんだん不安になってくる。思い切って客の身分を問いただすと、実はまったくの一文無しだという。しかしこの文士は、自分が金を持っているなどとは初めからひとことも言っていない。勝手に勘違いした旅館のほうは、もう参りました、どうぞお引取り下さいと言うほかない。この佐藤垢石という人も、あたかも役者のように、日ごろから金持ちの役作りに余念がなかったのだろう。

 こういう例をみていると、役作りやイメージトレーニングで人生かなりどうにでもなるような気もしてくる。「私は大金持ちだ」「俺は非常にモテる」「わたしは頭が切れる」などと強く念じ、自分でそれを信じてしまうぐらいになってくると、じっさい望んだようにものごとが開けてくることもあるやも知れぬ。
 しかしそうしたイメージトレーニングの中には無謀なものもきっとあって、無茶な考えで頭をいっぱいにしている人も世には多いだろう。思うに全国でこれまで飛び降り自殺した人たちの中には「自分は空を飛べると思った」という人が、大人も含めて相当数いるのではなかろうか。


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No.613
2012/12/09 (Sun) 03:03:37

 ある日、果物を喉につまらせて咳き込み、咳がしばらく続くと今度は頭が痛くなってきて、寝込む羽目になった。つまり咳をしたから風邪を引いたので、必ずしも風邪を引くのに続いて咳をするという順序関係ではないことを僕は発見したのだ。因果関係といってもいいが、これが逆転したように見える現象はままあるもので、例えば横綱になったから強くなる、ミサイルを作ってしまったから隣国を脅かしたくなる、あるいは身近なところにも、自画像にひげを描いてしまったからひげを伸ばすことにした人、門番を雇ってしまったから門を作る羽目になった人というのもいるかも知れない。ひげと門番の話は自前ではなく寺山修司の詩に出てくる例だが、モンティ・パイソンのコントに出てくる「ヘンな歩き方省」なる行政機関では、その省の役人がひたすらヘンな歩き方を追究しているのだけれど、いったんそういう省庁が出来てしまえばヘンな歩き方の需要が生じ、民間人が自分の発見したヘンな歩き方を審査し認可してもらいにその省にやって来るのである。ここで皮肉られているような無駄な公共機関というのはどこの国にもあるのかも知れないが、以前NHKの政見放送を見ていたら、「国会議員を半分に減らす党」というのが出てきて、この党名を見るや否や、そういう党こそ減ってしまえと思ったのは僕だけではないだろう。最近の「国民の生活が第一」という党名は、今の例ほど自己撞着はしていないが、小沢一郎を見ると「どうせ我が身が第一なんだろ」と思わざるを得ないのだから、党の名称としてはあまりよろしくないのではあるまいか。

 方程式 x^2 + x +3 = 0 を解けといわれて x = - x^2 -3 と答えたのでは答えにならない、というのは x とは何かを言うのに x それ自体を使っているからである。質の良くない国語辞典では「右」という語の説明として「左の逆方向」、「左」の説明として「右の逆方向」としてあるものがあるそうだが、自分の持っている辞書の「右」の項目には「北を向いたときの東の方向」とあり、一見これなら良いようだが、あるいはさっきの辞書と五十歩百歩かも知れない。僕の知り合いには、もう大人だが北に向かってどちらが東でどちらが西なのか覚えられない、という人がいるのである。辞書における左右の説明として有名なものに、右を「この辞書を開いたときに偶数ページのあるほう」というのがあるが、これなら納得せざるを得ないか。 ただ意地でもケチをつけるとするなら、これは我々が十進法を使っていて、10が2で割り切れるため、ある数が偶数か奇数か判定するには数の下1桁を見ればよいだけで簡単だ、という事実に依存している。だからたとえば9進法を使っている宇宙人がいたとして、その人たちの辞書ではこの左右の説明は使えないのだ。

 自分の勤務する学校で同僚の先生と「数学の試験でも何か時事ねたを取り入れたいですね。たとえば『ここに1個のiPS細胞がある』とか」などと話し合った。「高校数学は古典だからなぁ」とS先生がつぶやいたが、確かに高校でやる数学はほぼ十九世紀前半までに作られたものである。まあそれはさておいて、荒唐無稽な問題ながらこういうのはどうだろう。

  ここに1個のiPS細胞がある。これは1分ごとに倍々に増えていき、1時間後に人間の脳が出来上がるよう設計されているものとする。このとき、脳のちょうど半分が出来上がるのは何分後か?

(脳が完成する瞬間を想像するといかに無理な問題かが分かる。)


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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









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