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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/03/29 (Fri) 08:28:54

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No.594
2012/09/06 (Thu) 16:52:07

           

 小学校に上がる前、生まれ育った足立区の北千住にほど近い狭小な家から埼玉の
郊外に引っ越した。

 都会から移り住んだ為、当時何もなくて田圃だらけの景色はのどかだが、夜になるとうすら寂しかった。引っ越した年に同居してた母親の妹、俺には叔母にあたるけど、交通事故で亡くなった。渋谷の近くで身障者の運転するコロナにはねられたんだと聞いた。よく、鮨屋に連れて行ってはウニやイクラを鱈腹食べさせてくれる優しい叔母だった。翌年、4歳下だった妹が堀炬燵の中で遊んでいて一酸化炭素中毒で亡くなった。2年も立て続けに肉親を失くした母親は厭世感も増してノイローゼになり、ついには睡眠薬を大量に飲んでしまった。普段と違う寝息を立てて寝入った母親の姿を見て、父親は即座に救急車を呼び胃洗浄したのち精神病棟へ2カ月ほど送られた。
 床がコールタールを塗った木造の東武電車に乗って確か幸手の方の病院に見舞いに行った。なんで窓に柵や格子が填められているのか当時は分からなかったけど、なんとなく重たい気分だった。
 帰りに通っていた小学校のそばの模型店でウルトラセブンのプラモデルを父親が買ってくれた。母親が入院している間は隣のKさんのお宅でご飯を食べさせて貰っていた。

 父親は通運会社に勤めていたサラリーマンだったが庭木の手入、自転車のパンク修理、屋根のペンキ塗装など器用になんでもこなす人だったが、この当時まだ料理だけは満足にできなかったのだろう。固形のバーモントカレーなんて作り方を知らなかったらしく、S&Bの赤い缶に入ったカレー粉に片栗粉を混ぜてルーを作っていたようだ。
 普段、他所で食わして貰っている自分に腕前を披露してやると意気込んだのかもしれない・・・。
 ウルトラセブンのプラモの箱を開けて遊んでいると
 「徹、ご飯が出来たから来い」
 と台所の食卓に座った。テーブルには皿に盛ったライスの上に、馬鈴薯だけがごろっと載った黄色い水みたいなカレーがかけてあった。今にも皿から垂れてきそうなそのルーを舐めると何の味もしなかった。無理やり芋とライスを頬張りながら半分ほど食べたがそれ以上食べられなかった。
 「どうした?もっときれいに食べろよ。全部・・」
 「・・・だってうまくないもん・・」
 「そう言わずに食べてくれよ・・・」
 と俺を見つめた父親の顔はいかにも泣きたいのを我慢してる風だった。数年経ち、弟や妹が生まれ毎朝の御飯を作るのを面倒がる母親に代わって父親が朝飯を作ることが多くなった。
 ジャガイモを薄く短冊のように切り赤い缶に入ったS&Bのカレー粉で炒めて出す。弟たちが幼稚園の年中組位になるとそれなりに食べられるようになっていたとは思う。
 
 ウルトラセブンのプラモデルは自分では途中までしか組み立てられず、やがて捨てられてしまった。いや、自分で捨てたのかもしれない。年に数度、乾物屋やスーパーの調味料売り場の棚で赤いS&Bの缶を見つけると胸に熱いものが込み上げるのはその時からだ。



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 ☆ 索引 〜 昭和の憧憬  へ戻る
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No.593
2012/09/05 (Wed) 10:45:19

        

 アル・パチーノとロバート・デ・ニーロの競演による『ヒート』については以前に別のサイトで書いた記憶がある。

 映画史に残ると言われた十分以上に昇る銃撃シーンは今見ても古さを感じさせないし、脇のトム・サイズモア、ヴァル・キルマーたちも男臭さを感じる硬派な作りだ。

 毎年、星の数ほども封切り上映される映画において、今では「これを観たい!」と劇場に駆けつけてみる映画はほとんど皆無だ。
 日々の制約が大きくて時間が取れない言い訳もあるのだが。概して最近は魂を揺さぶられる映画は極端に少ない。
 ハイテクやCG、俳優の質やレベルもあるのだろうが「光と闇」の使い方・・・陰影の持つ魅力が白黒の世界だけでなく人の心に投げかける憂鬱と無関係だとは思わない。

             

 「30秒で高跳びできるよう面倒な関わりは持つな!」というのがデ・ニーロ扮するニール・マッコーリーの信条だったがひょんなことから書店で働くグラフィック・デザイナーの卵、イーディと知り合ってしまう。
 星をちりばめたようなロスの夜景をバックに睦み合う二人を描くシーンは硬派な男だけを映し出すわけでないことを語っている。

 本稿開始部分でも触れた十数分にも及ぶ街中での銃撃シーンは迫真の限りだが、この場面も含め、映画冒頭の輸送車強奪やパチーノ演じるヴィンセント・ハナ警部率いる捜査陣をコンテナ置き場におびき寄せ、あたかも次のヤマを踏む強盗たちの下打合わせを装ってる風に見せながら捜査陣の手の内を探る・・・一連の犯罪とプロセスは白昼堂々と陽の下で見せつけられ、逆に男と女、裏切り者への仕打ちなど愛憎の伴う場面は漆黒の闇の中が多い。
 ハナ警部がマッコーリーをヘリと高速で追跡しコーヒーを差し向かいで飲むシーンも合成だとか論議を呼んだが、似たような宿命を持ち敵味方に分かれても奇妙な連帯感、協調を互いに知り「今度、顔を合わせたら命はない・・・」ことを悟りながら別れていく。

             

 イーディを連れて高跳びできるだけのヤマは踏めたが、彼女に自分の正体を気付かれたことも含め代償は大きかった。
 傷ついた仲間のトレヨを楽にしてやり、クリスも逃がす。いよいよ、自分が高跳びを遂げてイーディと幸せに暮らす番だ。そう思う時、高速のトンネルの眩しい白い光にまみえる。やはり、仲間を死に至らしめることになった裏切り者のウェイングローだけはけじめをつけないと己を許すことができない。
 最後に踏んだヤマは現金強奪には成功したものの二人の仲間は銃撃と裏切りにあって倒され、残るヴァル・キルマーも肩を撃たれたところを現場から背負って命からがら脱出した。

 このチームともこれで最後だ。もう、来るところまで来てしまった。
 さあ、どうする?行くのか戻るのか?過ぎ去るのみか・・・?

             

 この時のイーディの目の輝きは、白い人工の光にニールと高跳びした後の暮らしを夢見ているとばかりに輝く。

          

 「いや、ダメだ。やはり、決着はつけないと・・」とウェイングローの潜伏先のホテルへカマロを向ける。
 白い光からまた暗黒へ解き放たれたように仇の泊っている空港のホテルへ向かってしまう・・・。イーディを白いカマロに残しウェイングローの始末に成功し戻った処にハナが駆け付ける。

             

 「・・・・云っただろう、もうムショには戻らないと・・・」撃たれたマッコーリーは云い残して絶命する。
 最期のやり取りも漆黒の闇の滑走路だ。闇の世界に生きたものは陽の光を浴びることなどなく闇へ戻っていくしかない・・・途中、まばゆい白い光の中にまみれることがあったとしてもそれは幻だ。所詮、黒が白になるなんて出来っこないのさとでも言いたげだ。場面や光の当て方はそうすることができても人の生きざまなんてそう簡単に変えられるものでもないと。


             

 一方、アラン・ドロンを一躍スターダムにのし上げた名作「太陽がいっぱい」である。アラン・ドロン演じるトム・リプレイは、親の金で放蕩を続ける悪友フィリップを彼の父親に頼まれて連れ戻しにきた。が、フィリップの恋人マルジュも含めた洋上生活やイタリア各地での破天荒な暮らしに、トムはやがて悪友の姿に自らを投影し、ついにはフィリップを殺害してしまう。

             

 富貴と貧困・・・これも光と闇に例えられなくはないが人生の現実だ。巧みに陽の光の力を借りて友人を殺害し、彼の財産を手に入れられるかに見えたその時、沈めた筈のフィリップの遺骸は陸揚げされた船下からゆっくりと現れる。

             

 「最高の気分だ・・・」と言って美酒に酔うアラン・ドロンの周りには文字通り太陽がいっぱいだ。強烈な陽光は遠慮なくトムの悪事を暴き立てる。
 世の営みの貧富の差なんて問題ではなく陽の光は誰に対しても平等さ・・・と云わんばかりに。

 光も闇も人の心には存在する。確かに陽の光は誰に対してもきっと平等なのだろう。だが、心の奥底までは陽の光も照らしてはくれない。
 よって人は悩み続ける。漆黒ばかりの宵闇が永遠に続くことがないことくらい皆わかってはいる。だが、人の悩みは尽きないものだ。
 光も闇も何かしら交互に横たわっている。ある時は失望でありまた、或る時は希望でその連続と輪廻である。

 刺すような煌めきの陽光は先日まで眩しいばかりだったが、ここ数日は穏やかで
爽やかな陽差しを感じることができる。

 最近はこのように考えさせられる映画を見る機会がかなり減ってしまった。



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No.578
2012/08/21 (Tue) 03:29:07

 友人の御子息は名をケンタ君という、今年で小学6年だ。
 盆休みに都合が付いて一緒に過ごせたことは先の記事「望郷の浅草」にて述べた。彼独特のボキャブラリーは非常に素晴らしいのだが、そんなに本は嫌いではないらしい。
 それにしても、当節は課題図書などと夏休みのいわば強制読書習慣は学校教育からは排除されてしまったのだろうか?

 小生が小学生の頃は学年ごとに、ジャンルにもよるが3〜5冊くらいの課題図書が夏休みのPTAでもリストアップされていて、えせ教育熱心の母親がよく買ってきたものだ。

             

 松谷みよ子の「まえがみ太郎」、作者は忘れたが「エルマーの冒険」、「エルマーと15ぴきのりゅう」・・・イソップ童話やグリム童話には子供のころから親しみ「ありときりぎりす」、「しあわせの王子」などは大体小3か小4くらいに慣れ親しんだと思う。小5、小6の高学年になればルパンやホームズ、海神二十面相、十五少年漂流記、ロビンソン・クルーソー・・・・なんかをよく読んだものだ。

 仲良しになってくれたケンタ君の趣味はクルマだった。何年型のいつ出たモデルでなんてやらのグレードはなんのエンジンでとかよく知っている。特に少し前のクルマ・・・父親が最初にあてがったトミカがクレスタだったらしく男らしさを感じるセダンが断然好きらしい。健気な知識の習得と披露はウィキペディアの成せる技だろう。
 かつてのように重く分厚い百科事典のページを開かずとも数インチの画面や携帯で必要なことは確かに知ることはできる。ただ、表面的な事象や記述も多くなってしまう。やはりより探究心を満足させたり
知りたいと云う欲求を満たし継続するなら本を読むことだと思う。

 この不景気の世にあって出版業界の不況と言うのも判らぬ話ではないが、独特の価値観や主張を得意とするメンズ誌やアウトドア誌が減ったりページ数が格段に薄くなって袋モノやカラビナなど、それぞれ魅力はあるけれども附録を付けなければ売れない、買わないと云うのもなんだか寂しい。附録を得意とした「小学○年生」はとっくに廃刊になってしまったし。
 古本をリサイクルやエコの名を借りて急成長したブックオフでも、新刊を揃えるようなアトレの中の本屋に行っても、少子化のあおりか子供向けの児童書はかなり手狭なスペースしかなく「○×○レストラン」とか「なんとかゾロリ」とかの隅でエジソンやキュリー夫人だのが寂しそうに書架に入っているだけである。

 本屋の棚割を心配しているのではないし、問題はその裏側にあるものだと思う。
 長引く不況、震災、政治不信、高齢化・・・少子化に拍車をかける要因はおそらくもっとある。課題図書を読ませたから子供が皆、作文上手になる訳でもないし作家や小説家を目指す訳でもない。だが、本も映画も実録であれフィクションであれ、他人の人生を垣間見ることができる究極であると思っている。
 そのうえで「どう感じたとか、自分ならこうする、こうだと思う」という価値観や選択肢のシミュレーションを練習していく。それらが実在した歴史上の人物や偉人であれば知識の習得と言う副産物も得ることになる。
 机に向かってペンと紙を睨めっこするだけが勉強ではないからと、昔、何処かの先生に習った記憶もあるけれど、結局、本人の知りたいこと、得意のジャンル、無意識にスキルに成りえることなどは知らずとも、本人の記憶や知識や財産となって形成される。
 課題図書を読むことが国語の勉強のきっかけにはならないだろう。たとえ、宿題に読後感想文を強要されても・・・。でも、読書の習慣のきっかけには成り得るかもしれない。

             


 数ヶ月前、この「幻のスーパーカー」福野 礼一郎氏著の双葉文庫版を五反田のブックオフで手に入れた。当初、立ち読みでイタリアの本か読みやすい歴史小説かなんかを探していて偶然手に取ったのだと思う。ランボルギーニやポルシェ、フェラーリの、小生が高2くらい・・・世の中が池沢さとしの手になる「サーキットの狼」の影響もあってブームが訪れていた。マセラッティも当時はデ・トマソと同じ国で造られた未来的なクルマ・・・ぐらいと中東やアラブの風の名前(砂嵐とか熱風とか)をつけるくらいのことしか知識になかった。

 例えばランボルギーニといえばカウンタックかミウラ、それにイオタだろう。世界で何台とか、ガヤルドとかレヴェントンだとかムルシェラゴと言われても、「脳天気な日本で目立ちたがりの高額所得層が246をひけらかしに乗る車」とかしか現代のランボルギーニには感じられない。
 フェラーリもそれは同じことが云える。ドア周りから回り込むNACAダクトは緩急の伴うセクシーなラインだと今でも思うし、ドラマ「マイアミ・バイス」に出てきたクロケットの黒のデイトナ・スパイダーも良かった。(まあ、実際の撮影ではダミーが使われてたらしいけれども)白のテスタロッサになると確かにカッコいいのだが、なんだか別の次元に入ったようであまり好きにはなれなかった。

             

 「幻のスーパーカー」は双葉文庫版の古本で、五反田のブック・オフにて105円也で入手した。それまで福野礼一郎氏の名前も知らなかったし本やエッセイ寄稿も読んだことはなかった。パラパラとめくってスーパーカーの事が真面目に描かれていて、高校生時代に束の間タイムスリップ出来たら痛快だと思った。
 3月ごろから読み始めて5月にはほぼ一旦読み終えたが、何故か今も愛用のショルダーには忍ばせてある。ランボルギーニ・カウンタック、フェラーリ308GTB、ポルシェ911・・・カタログスペックだけではない、機械としての評価や魅力、弱点が語られている。

 さて、暑い東京のお盆にやってきたケンタ君を最初に連れて行ったのは、隅田川の向こうにある下町のくるま屋さん。販売だけでなく内外のメーカー問わず修理もレストアもやってくれるОさんという方がオーナーのショップだ。
 現場に行く途中で赤いウェッジシェイプのボディを纏ったスーパーカーがボンネットを開けて整備中だった。ふと、見とれていたら「お好きですか?こういうの・・・」と話しかけられてからの御縁になった。
 コンピュータ制御、電子技術の発達によってクルマはさらに使いやすく身近な機会に成りえたけれど、反面、アクセルとブレーキを踏み違えて起きるオートマ車の事故には嘆いておられたし、右足アクセル・左足ブレーキが人間工学上からももっとも自然なクルマの操り方ではないかと説いておられた。
ご自身も淡いブルーメタリックのフェラーリ308・クアトロ・ヴァルボーレをお持ちになっている。

 小さな友人のケンタ君の上京を予告してあったので、盆休みにもかかわらず店を開けてくれた上、待っていたのはマセラッティ・カムシン(人によってはカムジンとも云うらしい)。
 照れくさそうに「○×から来たケンタです、よろしくお願いします」とОさんに挨拶すると暖機の済んでいるマセラッティ・カムシンに乗せて貰って近所を一回り。

 降りて来た後は興奮のせいか顔がやや紅潮している。

              
      マセラッティ・カムシンのコクピットに収まるケンタ君

 ケンタ君はまだスポーツカーやスーパーカーよりは国産のセダンの方に興味があるらしい。だが、彼の地元ではこんな40年近く前のスーパーカーに乗せてもらうことなど有り得ないから相当楽しかった様子だ。
 ケンタ君が持ってきた地元のお土産とあたかもプレゼント交換するかのように、京商の1:64のフェラーリ308GTBと今はもう存在しないROSSOのフェラーリF1キットで642を頂いた。(宿で組み立てたフェラーリ308はケンタ君に記念にあげたけど642は未だに箱を見ては作らずにニコニコ笑ってる)
 その後、丁寧にОさんに見送りされてから赤坂にあるマクラーレンのショールーム、青山のホンダ本社(生憎、御盆で休業中だったが)を観に行き、いくつかのミニカー屋さんをスカイツリー経由で見て回り、数台のヴィンテージ・トミカと京商の1:64を彼は手に入れた。
 暑い中をよく歩き、あちこち見て回った。やや熱中症気味にはなったけどケンタ君の中ではきっと暑い思い出が残ったに違いない。東京駅で最後に見送る時は入場券の要領が分からずに改札口で彼を見送った。愛用の遣い込んだグリンのキャップの上から頭を何度も撫でてやると、彼も子供にしては大きな手を伸ばし同様の仕草をして小生の頭を撫でるのだった。
 あたかも、「離れていても、想いは同じだよ。友達なんだ」と。曾ての「エルマーとりゅう」の物語の心の交流が目に浮かび、少し目頭が熱くなったけれど。

 福野礼一郎氏の「幻のスーパーカー」のあとがきにはこうある。

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流行の実態とは要するに商行為上の好機に過ぎず、商いが活性すれば現象は満足されるのだから、流行中の存在とはそもそも深く考えたり追及したりする対象ではないのだ。流行はどこからともなくやってきて、いずこともなく去っていく。去った後にはほろ苦い思いだけが残渣となって、そのことがまた探究の門戸を閉ざしてしまう。
「あれは一体どうだったのか」ようやく探究が始まるのは、流行が古き良き思い出に転じてのち、はるか後に下ってからである。

カッコよくて速くて強くて高価だからいい機械なんだ、そういうクルマを作ったのは偉大な人間、いい男なんだ、それは子供の描くお子様ランチも世界観である。
成功や失敗、完成したものの良否の区別なくヒトの汗と努力に夢を見ることができるのが大人の熱である。



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 小さな友人のケンタ君にはきっとこの後も「オッチャンならこうするぜ!」と、彼の成長の中で意見をすることもあるのかもしれない。エルマーとりゅうはいくつかの物語を通じて友情を暖めあってきた。
そんなおとぎ話は世に存在しないだろう・・・


 最近、宵の口に秋葉原をうろついて帰ることが多い。とある、絶版メーカーのフェラーリF1キットを探しに行くのだが。
 石丸電気のあった辺りは妙にさびれて、怪しげなラーメン屋が軒を連ねてる。目にするのはアニメから抜け出たような、何処か抜けてるような少女たちがコスプレと称する変てこな衣装に身を包みティッシュ配りかなんかしてる。
 なんだか、退廃や堕落を感じてしまうと云ったら大袈裟か?
 こんなの目にしたらエルマーもりゅうも逃げていく。
 子供の夢を大人の熱に換えるのは大きな感動も呼ぶ。だが、大人になりきれない大人が増えてしまった。それはそれで職業として成り立つ?なんて信じがたい話だけれどそうなんだろう。

 「オッチャンがしてきたことはケンチャンに教えてあげる。だけどその先はケンチャン自身が考えなきゃ・・」



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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









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