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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
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2024/04/25 (Thu) 23:06:13

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No.577
2012/08/20 (Mon) 03:10:29

 週に3〜5日は通る浅草・吾妻橋の袂はスカイツリーのオープン以来、朝も昼も晩も写真を撮ろうとする人で舗道が塞がりそうになる時もある。

 橋を渡って業平橋を渡り、スカイツリーの根元に近づけば更にエキサイトして、年寄り夫婦が今にも倒れ込みそうな姿勢で強引にパートナーをスカイツリーの構図に収めようと必死な場面を見ることもある。
 意地悪く云えば「そこまで必死になったってスカイツリーと写真撮っても永生できるんですか?」と訊きたくなってしまう。
 ガードレールに仰け反るようにもたれ、デジカメを構える様はむしろ滑稽ですら思えるほどだ。ご本人は必死なんだろうが。

             

 思えば東武浅草駅は可哀相な建物だ。

 業平から浅草に向かってくる東武電車とスカイツリーを同時に収める画像を撮れるスポットは三目通りにかかる源森橋だ。が、隅田川の鉄橋を渡るあの風情ある瞬間を含め、なぜああまで壊れてしまったかのようにゆっくりと走るのだろう・・・以前から素朴な疑問だった。

 昭和の初期や大正の旧い絵葉書を見ると竣工当時の威容をイメージすることができる。もともと駅舎として建てられたビルはオフィスビル使用が決まっていた。しかし集客、立地を熟考した結果、デパートビル(松屋百貨店)に使われる様になったのは意外と知られていない。
 2階部分に東武電車の乗降ホームを持ってきたのはよかったが、そもそもが2両位の電車の長さに合わせて作ったものだからホーム長が足らず、現在でも6両編成までしか収容できない。隅田川を渡りサーキットのシケインのごとくうねうねと大小の弧をつくり曳舟へ向かうルートの苦肉の策である。
 まともに橋を渡れば雷門か新仲見世あたりを潰さなくてはならないし、今の車両編成で言えば国際通りの先にまでプラットホームを延伸させなければいけない。地図を見ればその辺はなんとなく解る。

             

 浅草寺周辺は震災時や空襲時には無残に焼け野原となったが、この東武浅草駅と寺社を真似た様な地下鉄の入口だけは残ったのだった。これは果たして何かの偶然だろうか?
 ただ、地下を走る地下鉄は広い幹線道の地下を掘ればホームや駅の巨大化など普通にできただろうが、浅草駅の場合、6両から10両編成以上の電車を発着させるなど構造上からして不可能である。もし仮にそう出来たとするなら現在の浅草の風景・・・仲見世や新仲見世などは今とはかなり景色が異なっているはずだ。
 今より緩い弧を描くようにホームを延伸するなら浅草寺ギリギリのラインで伝法院からロック座、いや国際通り辺りまで伸びていたことだろう。だが、結局その先には上野が控えており、既に東洋初の地下鉄銀座線は出来上がりつつあった。

 そう考えると平成の東武線浅草駅と云うのは、恰も雪隠詰めに遭うように取り残されたと断じていいのかもしれない。小生が見慣れた浅草駅は「東武電車」とあったが、これは「阪神電車」の如く大阪へ倣ったのだと思われる。
 
 中学や高校の頃に慣れ親しんだ東武伊勢崎線というのが変更されて、今では東武スカイツリー線というらしい。「けごん」や「きぬ」と云ったJR(当時は国鉄)にも劣らなかったベージュとワインのツートンは消え、「スペーシア」と名を変えスカイツリーの電飾に合わせた蒼と紫になっている。更には水上バス乗り場も新装され、川沿いに設けた公園から眺める波間とその電飾を映し出すスカイツリーを追い求める、オトナたちの隠れた穴場スポットだという話だ。

 成る程、周辺の浅草橋や蔵前、厩橋辺りも(多いのは当然だが)晴海や小岩、品川だとか遠距離からの屋形舟も目立つ。
 東武浅草鉄橋と言問橋の間には色とりどりの電飾や行燈で光を放つ屋形船や水上バスが処狭しと渋滞し、よくぶつからないものだと感心してしまう。
 水上バス乗り場に隣接する川岸のテラスには石のベンチが置かれ、行きかう船のネオンと見上げたスカイツリーと漆黒と波間に反射するコントラストがまるで万華鏡のようにみえ、それらをして波間から癒してくれるのが頬を撫でる夜風とともに心地よい。

 テラスを川沿いに歩けばベンチの並ぶ先に水上植栽がありガマの穂も生えている。水辺を見下ろすと川魚やカニやエビまでもごそごそとコンクリートと石の護岸で忙しそうに歩きまわっている。
 下町のこんな川の畔に、水棲の生き物がいるなんてついぞ感動すら覚えてしまう。

 この隅田川には東京大空襲で多くの犠牲者が溢れ川面も見えないほどの死者が浮かんでいたともいわれる。
 余談だが、かのチャールズ・ブロンソンもB−29の後部席からこの空襲に参加したんだとか。丹頂チックはマンダムの「男の世界」で倒産寸前に甦り「ウーン、マンダム・・」とフレーズを顎を撫でながら呟くあの姿は幼い子にも流行ったものだったが、よくよく鑑みれば『レッド・サン』を含めたブロンソンの親日家たる真情は、実は何処かに空襲に参加したという呵責の気持ちもあったのかもしれない。

 スカイツリーを撮影しに来た、昨今のデジカメと三脚を携える老若男女はそんなことは知らぬだろう。近郊から出てきた中年のカップルからこんな会話も聞こえてくる。
 「・・・東武電車もスカイツリーを見せる為にゆっくりと走っていくよ、のどかでいいね・・・」
 さすがにこれはいい歳をして誤った認識なので注釈をしてあげた。
 「余計な御世話ですが、この鉄橋を浅草側に渡ればほぼ直角に近いカーブなんですよ。2両〜4両くらいの編成をもとに設計された浅草駅のホームでは6両迄が編成の限度だしカーブのRもきついから最徐行でないと曲がりきれないんです。スカイツリーの為にゆっくり・・・ではないんですよ」と。

 そうせねばならぬ理由があるから、そうしているのだという必然性・・・時にこの国の社会科は何を教えているのだろうと云う懸念も生まれてくる。

             
         浅草駅のホームから発着をする東武線車両

             
         昭和40年代の前半だろうか?懐かしのツートーン

             
             
 学研だのブリタニカだの、昔はそれなりの家に行くと何十冊セットの百科事典が必ず置いてあったものだ。重いし箱から出してまたしまわなければならないので実家に居た小学生の時分はさほど見ることもなかったが・・・。今ではウィキペディアもあるし、関連した項目にもすぐにネットで飛んで行ける。

 だが、パソコンもスマホも携帯もプレステもあるのになぜ、知識も探究心も低いのだろうと疑問に思う。その場所に行けば大体「昔其処に何があったか」など、都や各行政の手によって事細かに解説された史跡の由来が立て札になっていたりするものだ。足で探してたどり着き思いをはせる喜びや感動を理解共有できるのはむしろ海外からの人たちの方が多い。
 オリンピックの始まる頃になぜか毎週、多くの気さくな英国人と話を出来ることにコミュニケーションのありがたさを感じてしまう。

 「こんな鉄骨とコンクリートのタワーが何処に魅力を感じるんだい?」
 「大した技術よ、日本人ならではの精緻な建築物だわ・・」
 「グレート・ブリテンこそ凄いね、ビートルズもストーンズもクイーンもおよそクラシカル・ロックの旗手は皆英国出身だ。素晴らしい才能のDNAを持った人たちが多いんだろうね。オリンピックの開会式じゃポールがHey JUdeを唄うって聞いたぜ。アビイロードに行ってみたいな」
 「お時間取れたらいつでもどうぞ」
 そんな束の間の会話を30分ほどした。
 彼女、レスリーは金融関係にお勤めのブロンドだった。

 伝法院通りから浅草駅へ向かう辺りの両側は、最近になって江戸情緒豊かな軒並みに作り変えられた。統一感があって、外人がカメラを構えてもそれなりに江戸情緒を残せるようになっている。眼と鼻の先にある上野アメ横とはまた風情が違う。

 言問橋や吾妻橋、厩橋、言問橋・・・夏は多くの人が花火を観に訪れる。戦火の焼け焦げはそれぞれの橋柱を観ればなんとなくわかる。
 幾多の人が此処にたち、此処を通り過ぎたことかと思えば花火もまた然り。
 束の間に光る一瞬の光臨・・・。
 進歩発展の名のもとに、忘れっぽさも踏襲するがそれを今更嘆く気も萎えてしまった。知りたい、話を聴かしてくれと言う人にはまた語る機会もあるだろう。

 初詣の帰りに寄った「まるい書店」という古書の店のシャッターは今も閉じられたままだ。

 通勤のMTBで信号待ちをしていたら街路樹の木陰で涼を取るサラリーマン男性から声をかけられる。
 「ああ、暑いけどこの周辺はまだマシだね、港区や虎ノ門辺りに行ったら高い建物のせいでもっと暑いもの・・・ここいらは風が吹くから大分いい・・・」
 汗をタオルハンカチでぬぐいながら横断歩道を渡る男性にそれとなくMTBから応答する。
 「この辺は隅田川の川風が来るから霞が関や赤坂、虎ノ門辺りに比べたら涼しいんですよ。水上バスで東京湾から眺めれば分かるけど、新橋あたりに建った超高層ビルが海風を遮断して風の抜け道を塞いでるから暑いんですよ、僕も仕事柄あの辺りにはよく行きますから知ってます、どうぞお気をつけて・・・」
 「そうなんですか、ありがとう」
 などと会話を済ませた辺りは蔵前に近い。

             
         厩橋から見た東武浅草ビル

 仲見世は小屋掛けと言い、参道の掃除や世話をする代わりに其処で商いをすること、住むことを許されたのが始まりとものの本で読んだことがある。
 紅く塗られた雷門をくぐると独特の江戸の時代感を伴った空間はコンパクトであるが故に年始参りでは混雑を招く。普段からでも結構な雑踏だが、場面を切り取れば明治や昭和の空気も混然となり時空を超えた何かを感じさせるのも事実だ。
 この絵葉書が描かれたのは明治の頃らしいが、同じような景色には新しく出来た観光センターの上から見下ろすことができる。

               

 今のビューホテルと花やしきの真ん中辺りに位置した凌雲閣は京阪ホテルのウインドの絵や江戸東京博物館でしか知ることができない。むしろ、仁丹塔の方がなじみが深い。
 20代の頃、日本橋の問屋街に通勤や営業での通り道、国際通りを通りながら「なぜ、こんなに古めかしいものが此処に建っているんだろう?」と首をかしげたものだったが、ビールやサイダーなどの製造メーカーも当時は高い塔を建てていたのが往時の絵葉書で偲ばれる。

 珍しく三日程盆休みが取れたので、関西から来た友人の息子といくばくかの時間を浅草で過ごした。昼の吾妻橋と夜の吾妻橋、宿から出てきて奥山の賛同を抜け、浅草寺の境内から二天門までグリコをやって遊んだり、水上テラスの植栽にいるカニを眺めスカイツリーを見上げ、最徐行して鉄橋を渡る東武電車を見つめ・・・MTBや徒歩で見つめる光景もいいのだが、彼と過ごした数時間の浅草はいつになく楽しく「オッチャン、何やあれ?」と健気に訊いてくるその問いに答えながらもこの街も捨てたものでもないし、昔父母や幼い妹、弟と訪れたその路地を通る時変わらぬものも発見できたりする。
 暑い炎天下を歩きとおし、がぶがぶとアクエリアスを旨そうに飲むその顎は逞しくまた頼もしかったし、自身がミリンダやファンタを飲んでいた夏を思い出したりもした。

 大横川親水公園の傍らでギャラリーを構えるある篤志の方に話を聞く時間が最近あった。「松屋浅草もね・・・松屋さんはあんな古いビルからは撤退したいはずだけど、そうもいかないんだってね・・・」なるほどと思い、古い画像や絵葉書を眺めてみると天井は低いし昔から百貨店といっても和装の布地が商品構成の大半だったようで、まるで倉庫に棚屋ワゴンを入れた店が並ぶような印象も受ける。
 現在は3階までは上がれるがそれ以上は改装中とか・・・。
 冒頭、書いたようにこの駅も建物も可哀想なビルである。が、再開発の名のもとに郷愁すら奪い温故知新などまるで感じさせないそのスクラップ&ビルドは誠に悲しい。六区にある映画館もやがては取り壊されるのだと聞いた。

 関西から来たその小さな友人に、街の変遷を説いてやる機会はまた訪れるだろうか?どうせ、ろくな社会科の授業など期待できないならせめて知る限りの浅草を彼に伝えてやりたいと思う。

 空っぽ、見てくれ、上っ面が尊ばれる世にあっても変わりたくても変われない・・・いや、変わらない街もある。

 人生の意味は変化だと、かのジョージ・ハリスンは言ったそうだが変わらないのもひとつの意味なのかもしれない。小さな友人にまた会えるときが来たら、気長にそれを話してやりたい。

 変わることより失わぬことが大事なこともあるのだと。

 この日記を書き始めたのは6月の中頃だったはずだが、私情や都合、そしてこの酷暑に萎えてしまい思わず時間を食ってしまった。というより、かつてのようなスピードで進めなくなったのかもしれない。

 が、これはある意味の変化ととりたい、老いや衰えといえば参るだけだから・・・。



 (c)2012 Ronnie Ⅱ , all rights reserved.




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No.576
2012/08/19 (Sun) 03:01:43

登場人物

アデライン  天才科学者にして絶世の美女。十九歳。
セバスチャン アデラインの執事。彼女によって造られたアンドロイド。


 アデラインと赤ちゃんスパイ

 アンドロイドで科学者アデラインの執事を務めるセバスチャンが、午後の紅茶の準備をしていると、ふだん邸内で耳にしない物音を廊下の向こうに認めた。
「あ、こら! おとなしくしなさい!」とアデラインの声がすると、さっきからガタガタしていた第七実験室の扉が開き、白い産着を着た生後五か月と思しき赤ん坊が、ハイハイで猛スピードで進み、セバスチャンのほうにやってきた。
「お嬢様、これは?」
「アンドロイドの試作品よ。早く捕まえて!」
 セバスチャンはポットをコンロの上に置き、赤ん坊のロボットを抱き上げた。するとそれはセバスチャンに顔を寄せてにっこりと笑った。
「本物の赤ん坊にしか見えませんね……最初はお嬢様がお産みになったのかと思いました」
「馬鹿いわないでちょうだい。こんなやっかいなアンドロイドってないんだから」
「なぜこんな赤ん坊のアンドロイドの開発を?」
「外務省の情報部からの依頼よ。誰からも疑われないで活動できるスパイってことで、大人の知恵を持った子供のアンドロイドを何体か造れっていうの。で、サンプルとして十歳ぐらいの男の子と四歳ぐらいの女の子、それと生後五か月の赤ん坊のロボットを作ってみたわけ」
「しかし生後五か月では、まだハイハイもできないでしょう」
「そうなのよ。そのハイハイもできない、というところが絶対疑われないスパイとして有効なんじゃないかって情報部は言ってるの。でも、スパイ活動の際に赤ん坊が直立歩行していたら、もし見つかった場合ハイハイよりなお変でしょう? だから移動の際は基本的にハイハイなの。しかし見た目はあくまで生後五か月の乳児。ところが頭脳は大人なみに働くのよ」
「ところでお嬢様、お茶の支度が出来ました。とりあえずこの赤ん坊、抱っこしてくださいますか?」セバスチャンがアデラインに赤ん坊を引き渡そうとすると
「いやぁよ。だってその子の頭脳、いちおう一般的なスパイ・ロボットのものが基盤になってるから、女に対する態度にくせがあるのよ。いちど抱っこしたら胸をまさぐってきたわ」
「母親の乳房を求めるのは赤ん坊として自然ではありませんか?」
「そーかなー? でも胸を触ってくるときのこの子の目、明らかにイヤらしい中年の目なのよ。だから気持ち悪くって」
 そのときである。アデライン邸の側壁に轟音とともに衝撃が走り、石造りの壁は崩れ、天井からもレンガが降りそそいできた。
「きゃーっ」
 アデライン家の台所は目茶目茶になり、ほこりがもうもうと立ち込めた。
「やあ! アデライン、元気そうじゃないか」そう言ったのは金髪で青白い顔をした、やせこけた青年だった。赤いパラシュートを背負ってアデライン邸に突っ込んできたのだ。
「ジェローム! どうしてあなたって人はいつもいつも!」アデラインがレンガをはねのけながら言った。ジェロームは十八歳になるアデラインの従弟だった。アデラインは十九歳だから、一歳年下ということになる。
「おっと、お小言は後だ。今日は僕の可愛いフィアンセを連れてきてるんだ。おい、マーシャ、無事か」
「げほげほ、なんとか無事よ」
 見ると、ジェロームの開けた壁の穴の隣にもうひとつ穴が開いており、そこには金髪の女が青いパラシュートを背負って倒れていた。顔を上げると、グリーンの瞳をした美しい少女だった。
「フィアンセだか何だか知りませんけどね!」アデラインが叫んだ。「あんたたちはいったい人の家を何だと思ってるのよ! ふつうに玄関から入ってくればいいじゃない!」
「いや、これには深い事情があってね。僕たちは十八歳同士、学生結婚なんだよ。そしてわが地球工科大学ガリアキャンパスのしきたりでは、新郎新婦は地上一万メートルから放り出されて命がけで愛を誓い合うんだよ。そこで着陸したのがたまたまここだったというわけさ。なあアデライン、若い二人を祝福してくれよ」
「祝福もへったくれもあるもんですか! あなたマーシャとか言ったわね。ジェロームが悪事の天才だってことぐらい知ってるでしょ? こんな男と結婚して幸せになれると思ってるの!? そう思ってるとしたらあなたの頭の中にはニガウリが詰まってるんだわ!」
 アデラインは先ほどからすごい剣幕でジェロームたちにまくし立てていたが、大事なサンプルである赤ん坊のアンドロイドに傷をさせないよう胸に大事に抱いているのが、その怒声となんとも不釣合いだった。
「それはそうと、その赤ちゃんはアデラインの子かい?」とジェローム。
「なんですって!! これは仕事で造ったアンドロイドよ。私の子なわけないじゃない!」
「おい、赤ん坊がむずがってるぜ、きっと乳が飲みたいんだよ。アデライン、飲ませてやれよ、そんな立派なおっぱいしてるんだから」
「馬鹿なこと言ってると釘抜きで頭を粉砕するわよ!! マーシャ、あなた本気でこんな男と結婚するつもり!?」
「ええ、そのつもりですわ、アデラインお姉さま」マーシャは髪を整えいずまいを正すと、アデラインに負けず劣らずの美少女だった。「ジェロームはお姉さまの仰るとおり、ちょっと型破りのところがありますけれど、本当は心根の優しい立派な人ですわ。紳士ですわ」
「ジェロームが紳士ならナマコは天皇陛下だわ。いいわ。そんなにいうなら勝手に結婚すればいいじゃない」
「あ、お姉さま、今さらだけどおうちを壊してしまってご免なさい。これはもちろん私どもで修理させていただきます」マーシャはそういうと、襟元のブローチに向かって
「マーシャよ。いまアデライン邸にいるわ。壁を大きく壊してしまったの。修理に来てちょうだい」
「マーシャは大手建設会社社長の令嬢なんだよ」ジェロームが言うと、ものの五分も経たないうちにヘリコプターのバラバラという音が聞こえてきて、近くに着陸したと思うと、数十名の作業員がアデライン邸の修復にとりかかった。アデラインが呆気にとられていると
「そこでだ、親愛なる従姉さま、結婚のご祝儀をいただければと思うんだがね。百五十万クレジットばかり」
「なんですって! それじゃまるでゆすりじゃない! そんな大金出せませんからね……ひょっとして……ひょっとしてあなたたち、あれじゃない?」
「あれって何だよ」
「ずばり結婚詐欺」
「失敬だな、アデラインでも許さないぞ。それにマーシャは今言ったように大金持ちなんだよ。そうでなきゃこんなに手際よくこの家を直せるもんか」
「そこんとこはまだよく分からないんだけど」
「それに俺たちはきみのママにも挨拶に行ったんだぜ。伯母さんは気前よく五十万クレジットのご祝儀をくれたね。それじゃあ世界の発明王アデラインなら百五十万は出してもらわないと」
「ママが五十万も?」アデラインは不審に思った。彼女の母親はケチで有名な人物なのである。
「嘘だと思うなら伯母さんに電話して確かめてみな」
 アデラインはなおも不審そうな顔をして母親宅に電話した。「もしもし、ママ? ジェロームの件なんだけど……お祝いに五十万クレジット贈った? マーシャは信頼できる子ですって? あとでマーシャの建設会社から見返りもあるでしょう? それだけの考えでそんな大金をあげたの? ねえ、ママ。ママ……」アデラインは受話器を置いた。「切れちゃった」
「さあ、どうするアデライン。どうせ自分が結婚するときにはマーシャのうちからドーンとご祝儀が来るんだぜ。それにアデラインはケチだって、このところ身内でも評判よくないぜ」 「わかったわ」アデラインはセバスチャンに目配せして「百五十万クレジットよ」

 ジェロームとマーシャはアデラインから百五十万クレジットを受け取って、建設会社のヘリに乗り込んで去っていった。これから月に別荘を建てるのに下見に行くのだという。
「あー、世の中どうなってんのかしら。あの二人に天罰が下らないとしたらわたし神様を呪うわね……えっと、ところでジェシーは? さっきから見当たらないけど」
 ジェシーというのは赤ん坊のアンドロイドの名前だった。
「そうですね、赤ん坊ロボットどころの騒ぎではありませんでしたから、私もすっかり忘れておりました」とセバスチャン。
 三十分後。アデライン邸の呼び出しブザーが鳴った。
「ジェシーだ、入れてくれ」と四十がらみの渋い声。アデラインとセバスチャンは顔を見合わせた。
 玄関のドアを開けると、白い産着を着た例の赤ん坊ロボットが直立歩行で入ってきた。
「ジェシー、あなたどこ行ってたの!?」とアデライン。しかしジェシーは
「まず煙草をくれ」といい、セバスチャンが差し出したシガレット・ケースから一本抜いて、うまそうに煙を吐き出した。
「俺もあの二人は臭いと思ったのさ。これでも俺はスパイ・ロボットだからな。それでこっそり一緒にヘリに乗り込んだというわけだ」生後五か月の赤ん坊は煙草をくわえながら言った。「すると、案の定あれは結婚詐欺だった。ヘリが離陸すると、ジェロームの野郎、聞きもしねえのに洗いざらい喋っちまったのさ。マーシャはたしかに富豪の娘だが、家の金を勝手に五十万クレジット使い込んでその穴埋めをする必用があった。ジェロームもギャンブルにのめりこんで五十万の借金があって、早急に金が必要だったというわけさ」
「で、あとの五十万クレジットは?」とアデライン。
「お前さんのおっかさんだよ」とジェシー。「お前のママは駐車違反で警察に五十万クレジット払わなければならなかった」
「駐車違反で五十万クレジット!?」アデラインとセバスチャンは声を揃えて驚きの声を上げた。
「正確には駐船違反、および海賊行為というべきかな。あのおっかさんは普段はケチだが、パーティなんぞで酔っ払うと何をしでかすか分からねえすげぇ婆ァだ。豪華客船で太平洋を旅してたんだが、ある晩のパーティで酔っ払って前後不覚になった。おりしも地球連邦の航空母艦と客船がすれ違ったが、おっかさんは船の大きさで航空母艦に負けているのが気に食わなかったらしい。で、そっちに乗り移って海兵隊から銃を奪い、あっというまに航空母艦を乗っ取っちまった。みんなこっちの方が広いからこっちで飲みなおそうよ!ってんで、飲めや歌えの大騒ぎだ。そのうちおっかさんは船長気取りでブリッジに乗り込み航空母艦を好き勝手に操縦した。でシドニー湾に無断で停泊だ。その罰金が五十万クレジットというわけさ」
「ああ……ママったら、一体なんてことしてくれたの……」アデラインはあまりのことに貧血をおこし、ふらふらと倒れてしまった。
「まぁ十九歳の娘さんには刺激の強すぎる話だったかな」と言って生後五か月のジェシーはブランデーを傾けながらカッカッと笑った。
「ほれ、取り戻した百五十万クレジットだ。目を覚ましたら娘さんに渡してやんな」ジェシーはセバスチャンに金を手渡し、にやりと笑みを浮かべた。


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No.575
2012/08/19 (Sun) 02:51:53

 中高生のころはお金が無かったものだから、クラシック音楽のCDが欲しいと思ったら近所のレンタルビデオ店に行って、わずかばかりのクラシックのコーナーから借りてきて、カセットテープに録音したものだった。当時はPCも普及していないから、自分でCDを焼くということも出来なかった。クラシックの演奏家たちの流行は今とはだいぶ違っていたと思う。どこのレンタル店に行っても、指揮者でいうとモーツァルトならクーベリックやベーム、ストラヴィンスキーならブレーズ、バッハならトレヴァー・ピノックあるいはリヒターによるものが多かった。カラヤンは現在CDショップで見るほどには多くなかったように思う。ピアニストならグレン・グールドの人気が凄まじく、当時ラジオ番組でもグールドの演奏があふれんばかりに流れてきたものだった。あとレンタル店に多く置かれていたのはアシュケナージのアルバムだろうか。クラシックを熱心に聴きだしたのは1991年のモーツァルト没後200年のころで、トン・コープマン氏がなんとかいう楽団を率いて来日し、古楽器によるモーツァルトの交響曲の全曲を演奏するというイベントがあって、ラジオで実況していた。こんにちの古楽器演奏とは比べ物にならない貧弱な音で、ヴァイオリンなどプラモデルではないかと思わせるような頼りない安っぽい音を出していたように思う。そのご古楽器演奏のレベルはどんどん上がっていったが、果たして18世紀の人が聴いていたクラシック音楽の音色に本当に近いのはどれなのだろう。

 話がそれたが、その当時いやおうなく聴いていた演奏家の演奏はもう耳にたこというか、クーベリックによるモーツァルト六大交響曲など今もって評価は高いが、僕には退屈でならない。それでCDがすこしばかり買えるようになると、クラシックの音楽評論を参考に良い演奏を探そうと思い、まず吉田秀和氏の著作をいろいろ読んでみた。御多分に洩れず僕も吉田氏の文章の美しさに酔ったが、まだCDの文化はクラシック音楽にはさほど浸透していなかったのか、吉田氏の著書に紹介されている演奏はなかなか聴けなかった。もともと吉田秀和という人は、基本的に実演を聴いた上でないと演奏家を批評しない実演中心主義の人だから、吉田氏と感動を共有する機会があまりなかったのは自然の流れだったのかも知れない。そこで、よく新書で出ていた宇野功芳氏の本を読んでみた。クラシックCDのガイドブックでは一番分かりやすい文章を書く人だろう。例えばドヴォルザークの交響曲第九番「新世界より」なら「イシュトヴァン・ケルテス指揮ウィーン・フィルが最高。他は要らない」などと言い切っている。それで宇野氏の薦めるアルバムをいろいろと聴いた。上述のケルテス指揮による「新世界より」、シューリヒト指揮によるモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」、ワルター指揮コロンビア交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第6番「田園」などを知ったのは宇野氏のおかげだ。

 しかし、どんな批評家にも曲目に好き嫌いがあり、演奏家の評価にも偏りがあるものだ、とだんだん分かってきた。たとえば吉田秀和氏はチャイコフスキーとラヴェルの音楽が大嫌いである。宇野功芳氏は指揮者ではカラヤンや小澤征爾、ピアニストではミケランジェリやポリーニが大嫌いで、ほとんど褒めない。批評家にとっては「好き嫌い」と「よしあし」は別のものであるべきで、執筆に際し個人の「好き嫌い」は極力排しているのかも知れないが、それでも批評家による評価の偏りには、読者は大いに迷惑をこうむることがあるのである。例えば僕は吉田秀和さんの批評のファンだったころは、チャイコフスキーやラヴェルはまったくと言っていいほど聴かなかった。宇野さんの批評をよく読んでいたときは、カラヤンも小澤もまったく聴かなかった。そうしたことは今思うと勿体ないことだった。ミケランジェリに関しては、批評家の間でも評価が分かれている人だから、ひとつ自分の耳で聴いてみなくてはなるまいと思い、例のドビュッシーの前奏曲集やベートーヴェンのソナタなどを聴いてみたらずいぶん気に入った。

 ただカラヤンについていえば、僕はいまだにアンチ・カラヤンである。いつだったかシューマンの交響曲でカラヤン指揮のものを聴いたら、まったく気の抜けた演奏で、というより問題なのは、その曲を「好きで演奏しているわけではない」という彼の気持ちがありありと伝わってくることだった。これでは聴衆をあまりになめている。もちろんカラヤンだっていつもそうではないだろう。だがだいたい彼の演奏には、僕を感動させるに足る重要な何かが抜け落ちている。重厚さ、と言えばいちばん近いかも知れない。ただモーツァルトの演奏などでは、その欠点があまり気にならない。モーツァルトのセレナードやディヴェルティメントなどの小曲、あるいは協奏曲の伴奏のときなど、いい演奏だなぁと思う。協奏曲では、デニス・ブレインと組んだホルン協奏曲全集など、チャーミングな伴奏を聴かせている。

 きょう中古CD店に行くと、オーマンディ指揮のものがセールでずいぶん安く売られていた。オーマンディも高校生のころレンタルショップに行くと、定番の指揮者で、よく聴いた。そのご聴かなくなったのは、当時はやや刺激が足りない演奏と感じたためかも知れない。で、久しぶりにその店でオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団による、ブルックナーの交響曲第四番、チャイコフスキーの「白鳥の湖」他、を買った。帰って聴いてみると、とくにブルックナーなどメリハリがあって刺激がないなどということは全然なかった。そしてとにかく、どの楽器の音も美しい。高校生のころ僕は何を聴いていたのだろう?

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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









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