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    <title>読んで愉しい記事　【快文書館】（仮）</title>
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    <description>　『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。</description>
    <dc:language>ja</dc:language>
    <dc:date>2019-01-05T21:31:02+09:00</dc:date>
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    <title>2019</title>
    <description> 
あけましておめでとうございます
杏仁ブルマです
子供が可愛くてしょうがないこの頃
誰かは女神に好かれているらしい
僕は神の子ですから
幸せとはわたしのこと
わざわざ地位や名声はいらないです
充分です
まーたまに世界を驚かしてしまう何かを
作ってしまう時があるかもしれない
その時はその時
不幸せな...</description>
    <content:encoded><![CDATA[<img src="//bladerunner.tou3.com/File/IMG_6660.JPG" alt="" /> <br />
あけましておめでとうございます<br />
杏仁ブルマです<br />
子供が可愛くてしょうがないこの頃<br />
誰かは女神に好かれているらしい<br />
僕は神の子ですから<br />
幸せとはわたしのこと<br />
わざわざ地位や名声はいらないです<br />
充分です<br />
まーたまに世界を驚かしてしまう何かを<br />
作ってしまう時があるかもしれない<br />
その時はその時<br />
不幸せなお前らに告ぐ<br />
来世は無い<br />
<br />
ｐｓ<br />
最近何故だかグーグル社員とフォートナイトしている<br />
意味分からんな引力というモノは<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>　 &lt;span style=&quot;color:#003333&quot;&gt;セカイノハテ&lt;/span&gt;</dc:subject>
    <dc:date>2019-01-05T21:31:02+09:00</dc:date>
    <dc:creator>快文書作成ユニット（仮）</dc:creator>
    <dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
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    <title>冬夜讀書</title>
    <description>久しぶりに漢詩を作った。五言絶句。 


冬夜讀書 

奇寒眠不就 
萬卷一燈紅 
佳想靜煎茗 
銀峰已映空 

きびしい寒さに眠れず 
ひとすじの紅いともしびをたよりに万巻の書をひもとく 
よい想いをいだきつつ静かに茶を煎じていると 
雪におおわれた山の峰がすでに朝の空にかがやいていた


(c)...</description>
    <content:encoded><![CDATA[久しぶりに漢詩を作った。五言絶句。 <br />
<br />
<br />
冬夜讀書 <br />
<br />
奇寒眠不就 <br />
萬卷一燈紅 <br />
佳想靜煎茗 <br />
銀峰已映空 <br />
<br />
きびしい寒さに眠れず <br />
ひとすじの紅いともしびをたよりに万巻の書をひもとく <br />
よい想いをいだきつつ静かに茶を煎じていると <br />
雪におおわれた山の峰がすでに朝の空にかがやいていた<br />
<br />
<br />
(c) 2016 ntr ,all rights reserved.]]></content:encoded>
    <dc:subject>　 索引掲載済文書</dc:subject>
    <dc:date>2016-02-10T03:20:34+09:00</dc:date>
    <dc:creator>快文書作成ユニット（仮）</dc:creator>
    <dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
    <dc:rights>快文書作成ユニット（仮）</dc:rights>
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    <title>日本殲滅作戦</title>
    <description>「&amp;amp;hellip;&amp;amp;hellip;聞こえますか？　聞こえますか？」 
　遠くから誰かが呼びかけてくる。続いて視野の一部が白く光る。誰だ、おれの目を覚まさせようとする奴は&amp;amp;hellip;&amp;amp;hellip;。 
「聞こえますか？」 
　再び声をかけられ、おれは目を開いた。 
「声は出ますか？　返事できます...</description>
    <content:encoded><![CDATA[「&hellip;&hellip;聞こえますか？　聞こえますか？」 <br />
　遠くから誰かが呼びかけてくる。続いて視野の一部が白く光る。誰だ、おれの目を覚まさせようとする奴は&hellip;&hellip;。 <br />
「聞こえますか？」 <br />
　再び声をかけられ、おれは目を開いた。 <br />
「声は出ますか？　返事できますか？」 <br />
「は&hellip;&hellip;い&hellip;&hellip;」おれは喉がからからなのを感じながら、ようやく声を出した。 <br />
「指は何本ありますか？」 <br />
　二本指が立てられた手を見せられたから、二本と答えた。 <br />
「とりあえず手術は成功です。しかし通常の患者とは違いますから、今後の経過を慎重に見守るべきでしょう」 <br />
　おれの顔をのぞき込んでいた初老の医師らしき男が引っ込むと、今度はなにやら細くて真っ白な人間が顔を近づけてきた。 <br />
「サワダさん、はじめまして」 <br />
　その声からすると女だった。よく見ると、白く体にぴったりしたタイツのような衣服を着た、やせた白人の女だった。瞳も淡い灰色で、非常に薄い色の金髪を後ろになでつけているため、全身まっ白な人間という印象だった。ただ唇が黒いルージュで塗られている点だけが、女の外見に色彩上のアクセントを加えていた。 <br />
「サワダさん、あなたが眠ったときのことを覚えていますか？」 <br />
　そうだ。おれの名は沢田俊夫。あのときおれは、現在では治療不可能な難病であり、余命一年と宣告されたのだった。悪性神経膠腫。脳腫瘍の一種だった。おれは迷ったあげく、人工冬眠装置に入り、何年後か何十年後かになるかはわからないが、未来において治療法が見つかる可能性に賭けたのだった。人工冬眠は日本では行われていなかったから、アメリカに渡って冬眠状態に入った。妻とはすでに死別していたが、たった一つの気がかりは十歳の娘、彩（あや）のことだった。彼女を親友に託し、そして別れを告げた。それを思い出すと、最も重大な疑問が口をついて出た。 <br />
「いま何年ですか？　あれから何年たったんですか？」 <br />
「落ち着いて聞いてくださいね。今は西暦2218年です」 <br />
　おれはしばし呆然として、状況を把握しようとつとめた。あれから二百年もたったのか？　ということは、彩はとっくに死んでいる。いいようのない寂しさに襲われた。あのとき一緒に人工冬眠に入ることも考えはしたが、すでにその時代に慣れ、友人知人もたくさんいる娘を、得体のしれない未来、いつ目を覚ますか分からない眠りへと連れだすことは出来ないと考えたのだった。 <br />
「サワダさん、いきなり誰一人知らない未来の世界に来てしまって、お寂しいことでしょう。でも大丈夫です。私たちは二百年前からのお客人を心から歓迎します。さしあたっては、ここでゆっくり療養なさってください。病気は治ったのですから」 <br />
<br />
　そのまっ白な女はメーヌ・ビショップという名だった。おれの手術を行うことが決まってから、落ち着いて療養できるようにとわざわざ二十一世紀風の部屋を用意してくれたという。 <br />
　歩けるようになってから当たりを見物すると、ここはただの病院とはいいかねる、大展望台や娯楽施設が多数入った不思議で巨大な建物だということが分かってきた。用意してくれた二十一世紀風の部屋とやらを覗いてみた。ソファがあり、この部屋の外では見られない木製のテーブルや家具が置かれていた。暖炉を模した暖房装置があり、マントルピースの上にはふくろうやビーグル犬の陶製の置物が並べられていた。その上には写楽の浮世絵がかけられていた。日本人に喜んでもらおうという心遣いなのだろうか。 <br />
　部屋の隅に、これは二十一世紀風とは言い難いレコードプレイヤーとステレオ装置が置かれていた。しかしプレイヤーの下の棚には、LPレコードがたった一枚あるだけ。ジャケットにはなにやら意味不明の文字が書かれていた。好奇心に駆られて、そのレコードをターンテーブルに乗せ、針を落としてみた。するとステレオから響いてきたのは何やらぷつぷつと鳴る古い録音らしく <br />
<br />
「&hellip;&hellip;朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み非常の措置をもって時局を收拾せんと欲しここに忠良なるなんじ臣民に告ぐ&hellip;&hellip;なんじ臣民の衷情も朕善くこれを知る、然れども朕は時運のおもむく所堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって萬世のために太平を開かんと&hellip;&hellip;」 <br />
　なんだこれは。玉音放送か。日本人がこれを聴いて喜ぶと思っているとしたら相当な頓珍漢だ。しかし聴いていると昭和天皇の声にやや異変が生じてきた。 <br />
「朕は&hellip;&hellip;朕は&hellip;&hellip;朕は退屈なるぞ。これそこの沢田俊夫とやら、歌でも歌って聞かせい」 <br />
　なんだなんだ、昭和天皇がおれに話しかけてきた。 <br />
「今のは冗談である。朕も、たまには冗談のひとつも言ってみたいぞよ。そして歌も歌ってみたいぞよ。ヒップホップを聞かせてやろうか」 <br />
「ヒップホップは嫌いだ。どうせならジャズヴォーカルを聴かせてもらいたいな」 <br />
「なにジャズヴォーカルとな。朕はジャズのことは知らんから他のにしろ」 <br />
　レコードが人間と会話するとはさすが二十三世紀だと感心していたら、昭和天皇は急に声音を変えて <br />
「重ね重ね失礼いたしました。玉音放送はカムフラージュです。盗聴されていないか調べていたものですから」 <br />
「あなたは、だれ？」 <br />
「あなたと同じ日本人の同志、と申し上げておきましょう。あなたは先ごろ、いわば二十一世紀の世界から時を超えていらっしゃったわけですが、こんにちの世界情勢についてはもうお聞き及びでしょうか？」 <br />
「いや、何も」 <br />
「だと思っていました。手短に言いますと、今の地球上には日本人は十万人ほどしかおりません」 <br />
「えっ、なぜ？」 <br />
「二十二世紀の初め、狂信的な差別主義者のアメリカ大統領が、こともあろうに黄色人種殲滅作戦を行ったからです。水爆や中性子爆弾を使って、中国大陸や日本列島を徹底的に攻撃しました。その結果中国人と朝鮮人はほぼ全滅、日本人は十数万人が生き残りました」 <br />
「なんともひどい話だな」 <br />
「現在、世界各地に散らばっている日本人は徹底的な差別を受けています。全世界に白人至上主義が広まっているのです。それに対し、日本人は各地でテロを起こすなどして反発の意思を示しています。しかし、たった十万人ほどの日本人が、残念なことに一枚岩ではないのです。同じようにテロを行いながら、ヤクザの末裔たちと警察官僚の末裔たちは長年の因習から仲良くできません。そこであなたです。沢田俊夫の登場です」 <br />
「どういう意味だ？」 <br />
「あなたは日本がまだ有数の先進国だった時代、二十一世紀から来られた。そういうあなたの出自そのものが英雄視されています。あなたが日本人による差別撤廃運動のリーダーになれば、十万人の日本人は一つにまとまるでしょう。いきなりでまことに恐縮なのですが、交信を長く続けるのは危険ですので端的に言います。われわれのリーダーになってください」 <br />
「ちょっと待ってくれ」 <br />
　おれがそれ以上喋ろうとすると、交信はふつと途切れた。 <br />
　そのとき、ビービーという電子音がして「サワダさん、お休み中申し訳ありません。ビショップです。ロボットがお迎えにあがっていますから、四十三階のレストランまでご足労願いたいのですが」 <br />
　ドアを開けると、てっぺんに赤い眼のついた白い三角錐といった恰好のロボットが待っていた。おれはその誘導に従って、ビショップに会いにレストランに行った。 <br />
<br />
　そのレストランはおそろしく天井が高くまた広く、向こうがかすんで見えるほどで、壁が全面ガラス張りであるため、外界の、蛍のように飛び交う各種飛行機械や、色とりどりのネオンサインが輝く豪勢な夜景を見ることが出来た。 <br />
　おれがビショップの待つ席につくと、彼女は <br />
「突然お呼びだてしてすみません。実は用件というほどのこともないのですけど、わたしはあなたの二十三世紀への案内役を言いつかっていることですし、もうすこし打ち解けたコミュニケーションが取れることが望ましいと思うんです。まあ、堅い言葉でいえば今日は懇親会ですね」 <br />
　ビショップはそう言うとすこし微笑んだ。ちなみに、この世界ではアメリカ人でも姓で呼び合うのが普通らしく、おれがヌーメと呼ぶと少し嫌な顔をした。 <br />
「しかし、あなたはアメリカ人でしょう。ずいぶん日本語がお上手ですね」 <br />
「二十一世紀の日本語については、あなたが意識を回復する前に睡眠学習で覚えました。懇親会は当時の日本語では合コンですよね」 <br />
「んー、ちょっと違うような気も。まあ何でもいいですが」 <br />
　するとテーブルのそばに、今度は緑色の円柱型のロボットが音もなくやってきて、おれにメニューを手渡した。さほど腹は減っていなかったからサンドイッチとコーヒーを頼んだ。しかしおれが「以上。ザッツ・オール」と言ってもロボットはいっこうに立ち去ろうとしない。チップがいるのかと思いポケットからしわくちゃの1ドル札を取り出すと、ビショップはそれを押しとどめ、ロボットの赤く光る眼に手をかざした。するとウェイターのロボットは去っていった。 <br />
「用済みのときはああやって知らせるんです。どのロボットでも同じです」 <br />
「ああ、慣れないことばかりで大変です」 <br />
「ところで二十一世紀風のお部屋はお気に召しまして？」 <br />
「ええ。この建物ではどこもかしこもつるつるした素材ばかりですから、木製の調度を見ると落ち着きますね。二十一世紀でもきっと高価なものですよ。それから暖炉を模した暖房、二十一世紀では暖炉はすでに使われていませんでしたが、ああいう古いものも趣味がいいですね」 <br />
　するとビショップはどこからかシガレットを取り出し、煙をふっと吹いた。 <br />
「レコードのことには触れないんですのね」 <br />
「え、ああ、レコードがありましたね。二十一世紀ではレコードはあまり聴かれていませんでしたが」 <br />
「どんな内容のレコードでした？」 <br />
「どういうわけか玉音放送が吹き込まれていましたね、つまり第二次大戦終結のときの天皇のスピーチのことですが」 <br />
「レコードには他の内容もあったでしょう。日本人の大虐殺のこととか」 <br />
「なぜそんなことを？」 <br />
「とぼけないでください。あの部屋を作ったこの施設のスタッフの中に、アメリカ人に化けた日本人がいることはちゃんと察知しています。レコードらしきものを持った不審人物の姿もカメラに映っていますし。ええ、これは隠しても仕方のないことです。つまりわれわれアメリカ人は、前世紀の初頭に黄色人種の大虐殺を行いました。残った約十万人の日本人はいまひどい差別を受けている。これは事実ですわ。そして、各地に分散した日本人があなたを利用しようとすることも見え透いています」 <br />
「なにもかもご存じなんですね。しかしそうすると、危険人物になりうる私をなぜ蘇生させたんです？　そのまま葬ってしまえばいいものを」 <br />
「あなたは危険人物になりうると同時に、わたしたちにとって有益な働きをしてくれる可能性もあります。あなたがうまく立ち回れば、日本人のグループ同士を抗争させて、彼らを弱体化させられます」 <br />
「僕が日本人グループを仲間割れするよう仕向けるんですか？　まさか僕がすすんでそんなことをするとは思っていないでしょうね」 <br />
「もちろん。ただあなたの手術のとき、腫瘍はきれいに取り除いて差し上げましたが、代わりに超小型爆弾を埋め込んでおいたんですよ。わたしはそれを好きなときに爆発させられます。ですからあなたはわれわれの言う通りに動いてくれるでしょう」 <br />
　おれはため息をつき、目まぐるしい事態の展開を追うのが面倒になってきた。 <br />
「なんだか僕は眠くなってきましたよ。二百年も寝ていたんだから、どうせならもう百年ぐらい寝かせてくださいと言いたい気分だ。じっさい生き返ってみて思ったんですが、この世界はとてもいい世界とは思えない。つまり、あなたがたの言いなりになるぐらいなら死んだほうがましだということです。さっさとその超小型爆弾とやらを爆発させてください」 <br />
　するとビショップは灰色の瞳をきらきらさせてにっと笑った。 <br />
「あなたがそう言うかもしれない、とは思っていました。食事がお済みでしたら、とても面白いものをご覧に入れます。さ、参りましょう」 <br />
　　 <br />
　おれとビショップはエレベーターに乗って、103階まで上昇して止まった。そこはレストランの階とはうって変わってせま苦しい、グレーの扉が並んだ殺風景なところだった。ビショップは一つの扉を開けておれを招じ入れた。そこにはおれが入っていたような人工冬眠装置があった。そのガラスのカバーの下には十代後半と思しき裸の少女が横たわっていた。 <br />
「これ、誰だかお分かりになる？　いま徐々に温度を上げて蘇生させるところなんですの」 <br />
　どこか見覚えのある少女だとは思ったが、誰だか思い出せなかった。 <br />
「これはね、あなたの娘さんのアヤさんですよ」 <br />
　一瞬何を言われているのか分からなかった。俺の知っている彩はこんな年齢ではない。 <br />
「つまりね、あなたが冬眠に入ってから六年後に、アヤさんはやはりあなたが恋しくなって、自分も冬眠に入ってこの時代まで付いてきたんですよ。だからこのアヤさんは十六歳」 <br />
「そんな、まさか&hellip;&hellip;」 <br />
　彩と再会できたことはやはり嬉しかった。しかしこの不気味な状況ではそう喜んでばかりもいられない。 <br />
「アヤさんはわれわれにとって利用価値がある、ということは理解できますわね」 <br />
「つまり彩を人質に取ろうというのか」 <br />
「端的にいえばそうです。さあ、わたしたちに力を貸してくださいな」 <br />
「ちょっと待て。これはひょっとしたら人形じゃないのか？」 <br />
「ま、疑りぶかいのねえ。では、そろそろカバーを開けてもいいころですから、アヤさんの心臓の鼓動を確かめてみてはどうです？」 <br />
　おれは眠っている少女の顔をとくと観察した。どうみても作りものとは思えない。少女の胸の真ん中に手を当ててみた。 <br />
「心拍計に表示が出てますけど、いま一分間に一回の鼓動ですね」 <br />
　しばらく手を当てていると、心拍計が波を打つと同時に、ぽく、という手ごたえを感じた。 <br />
「どうです、たしかに生きているでしょう」 <br />
　そのときピー、ピーという電子音が鳴った。 <br />
「はい。分かりました」ビショップが小型マイクに向かって応答した。 <br />
「医師の検診の時間ですね。サワダさんはとっくに全快してるのにね。二百年前の体だというのでまるで貴重な骨董品扱いだわ」 <br />
　 <br />
　おれはビショップに送られて、主治医の部屋に一人で入った。 <br />
　主治医はそっとドアに近づいて「よし、もう行ったな」とささやいた。 <br />
　彼はいきなり自分の鼻をわしづかみにしたと思うと、ずるっという音とともに頭皮をはいだ。それは精巧なマスクだった。中から出てきたのは黒髪の三十歳くらいとおぼしき精悍な顔立ちの男性、日本人だ。 <br />
「沢田さん、おれだよ。声に聞き覚えがないかい」 <br />
　それはさきほどレコードで聴いた声のぬしだった。 <br />
「私は佐藤と言います。これから私たちの本部に来てほしいんです。日本の長崎です。決起集会を開きます」 <br />
「しかし、おれは娘を人質にとられている」 <br />
「ビショップもそんなに簡単に切り札を殺したりしませんよ。さ、窓の外に車がありますから」 <br />
　地上三十一階だったが、なるほど空飛ぶ車で宙に浮かんでいた。見たこともないような形状の翼ときらきら光る細い排気口が何本かついていて、おれが飛び乗ってもびくともしないところなど、いかにも高性能で速そうだ。 <br />
「長崎までどのくらいかかるんだ？」 <br />
「三十分ほどですね」 <br />
　ニューヨーク・長崎間を三十分！　 <br />
「どんな加速なんだ。生きて長崎まで着けるのか？」 <br />
「さほどでもないですよ」 <br />
　佐藤は車を出発させると、おれの頭の中でビショップの声が響いてきた。 <br />
「あなたがたは長崎に向かっていますね&hellip;&hellip;サワダさん、向こうについたら当然こちらの指示に従ってもらいますよ&hellip;&hellip;」 <br />
「頭の中でビショップが指示を与えてくるんだが」 <br />
「ほっといたらいいんですよ」 <br />
<br />
　長崎についたのは午前一時ごろだった。 <br />
　佐藤は、長崎のリーダーをおれに紹介すると言った。しかし道中おれはビショップから指示を受けていて、リーダーに会ったら次のように言えといわれていた。つまりこれまで長崎との関係が良好だったハワイの日本人グループが白人側に寝返って、長崎への資金の流れを止める動きがある、だから今後はハワイ・グループと連携するのは危険である、と。なぜおれがそんなことを知りうるのかというと、どのグループもおれをリーダーにかつぎ上げようという思惑があり、いまビショップがおれに取っているような連絡方法で、日本人からの情報がおれにどんどん流れ込んでくる、というのは大いにありうる話だからだ。 <br />
　白いあごひげを長く伸ばした赤いシャツのにこやかで精力的な顔をした老人が出てきた。彼が高橋と呼ばれる長崎グループのリーダーだった。 <br />
「あなたが来られるのを心待ちにしていました」 <br />
　高橋は力強くおれの手を握った。 <br />
　そこそこにあいさつをすますと、頭の中でビショップが合図を送ってきた。さあ、さっきの台詞をいいなさい。おれは高橋の誠実そうな顔を見ていると、それを言うのがためらわれてきた。 <br />
「&hellip;&hellip;ぐずぐずしてるとアヤは無事ではいないわよ。何も殺すとは言わない。指を一本一本切り取ってあげる。まずは左手の小指から&hellip;&hellip;」 <br />
　やめてくれ！　おれは心の中で叫んだ。 <br />
「あなたが来たとの知らせを聞いて、この地区の日本人の士気は大いに高まっています。いままでにないほどに。戦況は、大将がみずから馬を駆って戦場に姿を現すことで、一気に形勢が逆転することがあるものですよ。ですからいまがチャンスです」 <br />
　高橋は目を輝かせて続けた。 <br />
「ビショップさんが聴いておられるようだが、もう秘密を明かしてもよいでしょう。この地区の日本人は十万人どころではありません。実に二億人もいるのです！　わたしたち日本人の中には非常に優秀なのがおりましてな。すでにタイムマシンを開発しているのですよ！　そして西暦2101年の日本殲滅作戦の事前にわれわれは戻り、この惨事が起こるのを知らせました。当時の勤勉な日本人は、数年のうちに地下深くに二億人が生活できる核シェルターを作り上げました。そしてひっそりと、時期が到来するまですべての日本人はシェルターの中で暮らしてきました。しかし、今日こそわれわれは、地下の殻から抜け出して地上に姿を現すのです！　おい、聞こえてるかビショップ！　日本全土のシェルターのハッチを開けよ！」 <br />
　高橋が右手を挙げて合図を送ると、轟轟と大地が鳴り響き。巨大な蓋が土ぼこりを上げながら月の光の中でせりあがった。そこから数千、数万の人々が歓声を上げながら駆けだしてきた。 <br />
　日本全国の核シェルターのハッチがこのように開き、同様に幾万もの人間を吐き出していた。 <br />
「われわれはすでに、アメリカ軍を震え上がらせるに足る兵器も地下で作り上げています。しばらく小競り合いは続くかも知れませんが、いまの勢いがあればアメリカも尻尾を巻いて逃げ出すでしょう。そしてそのあとは交渉です。きっとうまくいきますよ」 <br />
「しかし、彩の身に何が起きているか」 <br />
「ニューヨークにいる彩さんなら、ありゃ人形ですよ！」 <br />
　佐藤が後ろから言ってきたから振り返ると <br />
「だって、ほら」 <br />
　佐藤の前には小さな、見覚えのある十歳の彩がいた。 <br />
「タイムマシンで連れ出してきたんですよ。だからニューヨークのほうは本物であるはずはない」 <br />
「さて沢田さん。しばらくはここにいて陣頭指揮を取ってください。なに、作戦はすべて練ってありますから難しいことはないと思いますよ。そして、ひと段落ついたら、彩さんと一緒にタイムマシンで二十一世紀にお帰りなさい」高橋が言った。 <br />
「ほんとになんとお礼を言ったらよいか&hellip;&hellip;」おれが言いかけると、 <br />
「まあ二十三世紀になっても日本人は相身互いの精神ですね。あっそれから彩さん、くれぐれも十六歳になっても人工冬眠装置には入らないように」 <br />
「ははは！　おい佐藤、昭和天皇の真似をやれ！」 <br />
　すると佐藤はメガホンを手に大音量で <br />
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって萬世のために太平を開かんと欲す。ここに朕はこれを祝してヒップホップを歌うものなり。よーよーちぇけら」 <br />
<br />
　（終） <br />
<br />
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    <title>右翼と左翼について考えてみた</title>
    <description>ネットの掲示板などで右翼や左翼と呼ばれる人たちが議論しているのを見ると、本当に博覧多識な人が多いなあと感心する。彼らはどこの国のどこの党の何という政治家が最近こういう行動を取ったがその裏事情はこうである、とか、先の大戦における各国の動機や戦局の推移についてとか、実にたくさんのことを知っていて、きちん...</description>
    <content:encoded><![CDATA[ネットの掲示板などで右翼や左翼と呼ばれる人たちが議論しているのを見ると、本当に博覧多識な人が多いなあと感心する。彼らはどこの国のどこの党の何という政治家が最近こういう行動を取ったがその裏事情はこうである、とか、先の大戦における各国の動機や戦局の推移についてとか、実にたくさんのことを知っていて、きちんとした人はその情報のソースを示すことを忘れない。彼らの議論を見ていて自分も思うことはあるのだが、自分は彼らに比べ知識量が圧倒的に少ないから、そこに口をさしはさむ資格などないように思えて、だからネット上で見知らぬ人と政治上の議論を交わしたことはない。こちらの知識はおもに文学と数学に限られていて、そういうことについてならずいぶんたくさんの人と議論したものだが。で、自分の専門からはずれる政治的なことがらについて考えを巡らすと、知っていることが少ないから分かることも当然ずいぶん少ない。ただ少ないぶん単純で分かりやすい結論になる。で、さいきん右翼と左翼について考えてみて自分が思いついたことを書いてみる。 <br />
<br />
　さて自分が生まれたのは昭和48年、1973年だから戦後ずいぶん経ったころで、だから小学校の時分からいわゆる平和教育を受けている。まず第一に戦争は悪いことだと刷り込まれた。第二に第二次大戦において悪者だったのは日本だったと教えられた。この第一のことについては教師たちにはずいぶん口を酸っぱくして繰り返し教えられたように思うが、第二のことについてはさほど強調しては教えられなかったように思う。そういう教育については地域差があるようで、自分が生まれ育ったのは大阪だが、たとえば長野の出身である義理の兄は、かつて君が代を歌ったことがなく、だからその歌詞も知らないという。これは僕にとっては驚くべきことで、小学校のころ音楽の教科書のいちばん最後のページに載っていた君が代は、僕は音楽の時間や行事などで何度も歌ったし、それが普通だと思っていた。常識中の常識であるはずの君が代を知らないままの状態で小中学校を卒業させるというのは、それは長野の教員たちが君が代に無関心なのではなくて、むしろ憎むべきものと考えているからそういう徹底がはかれるのだと思う。NHK教育テレビをつければ毎晩それは演奏されているし、大相撲を見れば千秋楽には必ずそれが歌われているのだから。平和教育と結びついた日本国の否定が、長野では極端なまでに推し進められたようである。 <br />
　日本を悪とする教育ということで僕がいまでも覚えているのは、小学校五年か六年のころ、担任の教師があるときぽそりと言った、戦前戦中の日本の指導者の幾人かが戦犯として死刑になった、という一言だけである。誰が彼らを死刑にしたのかは言わなかった。それを言われないのだから、子供だった自分は神様か何かが彼らを処刑したのだろう、とでも思ったかも知れない。戦争を起こした日本に、天が鉄槌を下したのである。 <br />
<br />
　中学になれば、連合国側による東京裁判において誰それがA級戦犯とされて死刑になった、と習うが、しかし中学生ぐらいではまだ、もしかして悪かったのは日本だけではなかったかも知れない、というふうには頭は回らない。しかし大人になって考えてみると、そこにいろいろな疑問もわいてくる。 <br />
　戦争が悪いのはなぜか。人を殺すから。だから戦争を起こした人々は死刑になった。しかしながら、アメリカ軍だって相当数の日本人を殺している。なぜアメリカは悪くないのか。アメリカは日本が戦争を起こしてきたから、しかたなくそれをやったので、悪くはないのだ、と答え得る。しかし戦争を起こしたものは悪いから殺してよい、とするなら、戦争を起こした主体ではない日本の一般庶民、非戦闘員は殺してはならないのではないか、なのに日本の多くの非戦闘員がアメリカ軍によって殺されている、それでもアメリカは悪くないのか。それに対しては、そんなこと言ってたら、空爆するたびにそこに一人の非戦闘員もいないことをいちいち確かめなければならないが、そんなことは不可能だ、とアメリカを擁護しうる。では原爆はどうか。あらかじめアメリカ国内で投下実験しているのだから、どれぐらいの人間が死ぬか計算していたはずで、また投下地点にいる日本人の多くが非戦闘員であることも知っていたはずだ。だから原爆投下は悪いのではないか。それに対してアメリカを擁護しようとしたら、そんなこと言ってたら戦争に勝てない、としか言いえないだろう。アメリカの歴史教育では、原爆投下によって戦争終結が早まり、結果的に犠牲者の数を減らすことが出来た、と教えてきたのである。しかし最近では、その説には大いに疑問がある、実際には原爆投下の必要はなかった、とするアメリカの歴史学者も出てきている。必要がなかったのならこれはどういうことになるのか。原爆で死んだ約三十万人のひとびとは、冤罪で死刑になったようなものである。よく調べもせずに三十万人もの人間を死刑にするのは、これは悪いことなのではないか。そう、それは確かに悪いことと自分には思われる。死んだ人間の数からいえば、少なくとも原爆投下を命じた当時のトルーマン大統領はA級戦犯と同じ程度には罪は重く、日本のA級を死刑にするならトルーマンも死刑になるべきだったと僕は思う。 <br />
<br />
　さて戦争は悪いことだと小学校いらい厳しく教えられてきたのだが、建国以来ねんがら年中戦争を行っているアメリカの戦争については、常識的にはそれを悪であると言わないことになっている。戦争は悪いことだが、アメリカがやるならそれは悪くないのである。おそらくいつもいつも、どうしてもやむをえない事情があって戦争しているということだろう。しかしアメリカについてだけではなく、ナチス・ドイツは例外として、ヨーロッパの国々が行うたいていの戦争についてもそれはいえる。19世紀、欧米列強といわれる国々は、アジアやアフリカで数多くの侵略戦争を行い、植民地支配を行ってきた。それらの侵略戦争を悪であるとは常識的には言わない、少なくとも日本では。ただ日本が朝鮮と中国に対して行った侵略戦争だけを悪であるとする習慣になっている。植民地支配についても、日本が朝鮮と中国に対して行った植民地支配だけを悪とする習慣である。これはどうしたことだろうか。戦争は、とくに侵略戦争は悪であると口を酸っぱくしてしじゅう互いに言い合っているわれわれ日本人は、なぜかヨーロッパ諸国が行った侵略戦争についてはそれを悪であるとは言わない習慣を持っている。また第二次大戦の前後では、アジアは大きく変化した。植民地として支配されている地域がほとんどなくなったのである。中国と朝鮮における日本の植民地だけではない、東南アジア地域でのフランス、イギリス、オランダなどの植民地もなくなったのだ。それは日本が連合国と戦った結果として起こったことである。植民地支配が悪であるなら、それを開放した東南アジアでの日本の戦闘は、もしかしたら良いことなのではないか。しかしこれを言うと、黙殺するか、それを言った人を右翼と呼ぶ習慣になっている。 <br />
<br />
　よくよく考えてくると、戦争は悪である、侵略は悪である、戦争反対、としじゅう唱えているわれわれの思考の中には、戦争とは別の「常識」があるように思われる。たぶん、われわれの常識は次のようになっている。 <br />
<br />
　第一条　白人は何をやってもよい。 <br />
　第二条　第一条に抵触しない限りにおいて、戦争は行ってはならない。 <br />
<br />
　つまり白人が行う戦争はそれを悪であると弾劾しないが、我々日本人を含め有色人種が行う戦争は悪であるとして弾劾するのがわれわれのならわしである。 <br />
　この第一条のような考えがわれわれの思考にひそんでいるというこの主張は、はたして間違っているだろうか？ <br />
<br />
　かりに間違っていないとして話を進めよう。 <br />
<br />
　明らかに、この第一条は人種差別であり、人類はみな平等であるとする現代の理念からして間違った考えである。 <br />
　この第一条は撤廃すべきである。 <br />
　そのために取るべき選択肢は、次の二つに一つである。 <br />
<br />
　第一案　我々日本人を含め有色人種も、戦争を行ってよいとする。だから、日本も戦争を行ってよいとする。 <br />
　第二案　白人諸国も含め全世界が、戦争を行ってはならないとする。具体的には、世界のすべての国々が、日本国憲法第九条と同様の平和憲法をもつようにする。 <br />
<br />
　この二つ以外にはありえない。世界のある国は戦争してよいがある国は戦争してはならないなどという考え方は、不徹底かつ不公平で説得力を持たない。 <br />
<br />
　右翼と呼ばれる人々が、日本も交戦権を取り戻すべきだとするのは、世界中で交戦権を持たない国が日本だけである以上、第一案にそった考え方で、間違ってはいない。 <br />
　左翼と呼ばれる人々は、戦争反対と言ってもそれはおおむね日本の戦争についてしか反対していないから不徹底で、全世界から戦争をなくせと主張をあらためるべきである。具体的な運動としては世界のすべての国々に対し平和憲法をもつよう働きかけるべきである。そうでなければその主張にはまったく説得力がない。 <br />
<br />
　間違ったことを言っているだろうか。あるいは当たり前のことを言っているのだろうか。 <br />
　上で左翼などと呼んでいるが、つまりは第二案で言っていることを実現しようと努力している人々もすでにいるのかも知れない。そういう人がいるなら、それは現実には左翼などとは呼ばれない人たちだろう。 <br />
　 <br />
　とにかく、上の第二案はすこぶる難事で、本気で実現しようとすれば狂気の沙汰と言われるかも知れない。しかし本気で着手する人がいるなら、たとえ失敗してもその高い理想は、その人の死後も他の誰かに引き継がれていくと期待できそうだ。 <br />
<br />
<br />
（もちろん日本国の左翼である以上、まず日本の平和を願い日本の戦争に反対するのは当然のことである。そこにいきなり全世界が平和憲法をもつことを目標とせよというのは、確かに無理難題であり非現実的だろう。だがしかし、日本以外のすべての国が戦争を起こしうる国であるのに、ひとり日本のみが平和であり続けようというのも非現実的だろう。だから少なくとも日本と関係の深い国々、攻撃を加えてくる可能性のある国々については、その平和を願い、その戦争に反対しなければならないはずである。実際にそれらの国々に対しては、関係を良好に保とうと日々政治家たちが奔走している。だからまずは、それらの国々が平和憲法をもつように主張すべきである。それだって非現実的だと言われるかも知れないが、それが最も望ましい形であるのは間違いないだろう。そもそも平和憲法は、一国のみが持ち続けるという性質のものではない。他国が攻めてくれば平和憲法など何の役にも立たず平和は破れてしまうからである。平和憲法は近隣の諸国へ押し広げていくべきものである。左翼と呼ばれる人たちは、まずはそこから始めて、全世界の永久平和を目標に掲げるべきではないか。）<br />
<br />
(c) 2016 ntr ,all rights reserved.<br />
<br />
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    <dc:date>2016-01-09T03:54:29+09:00</dc:date>
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    <title>欲望の壁（その一）</title>
    <description>ふと目覚めると、毛皮を身にまとったひげもじゃの男が私の「壁」にへばりついてもがいていた。私は男に近づくと、彼の背中にバゾバゾの樹液をたらし「壁」から解放してやった。自由になったひげもじゃの男はいきなり私に襲い掛かってきた。私はしかたなくこん棒で彼の頭を叩きのめし、昏倒させた。私が欲しいのは理性的な人...</description>
    <content:encoded><![CDATA[ふと目覚めると、毛皮を身にまとったひげもじゃの男が私の「壁」にへばりついてもがいていた。私は男に近づくと、彼の背中にバゾバゾの樹液をたらし「壁」から解放してやった。自由になったひげもじゃの男はいきなり私に襲い掛かってきた。私はしかたなくこん棒で彼の頭を叩きのめし、昏倒させた。私が欲しいのは理性的な人間であって野蛮人ではない。なんとしても宇宙船でこの惑星を離れ地球に帰還するため、頭の良い助手が必要である。私一人の力では宇宙飛行は無理なのだ。 <br />
　私の「壁」は宇宙飛行の助手となるべき人間を捕まえるための罠である。もともとこの星に来た時に宇宙船に積んであった娯楽装置がもとになっていて、画面に近づく人間が欲するものがそこに映るようになっている。そしてこの星のアグアナという植物の油から作った接着剤をこの画面に塗り、それに触れた人間は身動きが出来なくなるという仕掛けにした。バゾバゾという樹木の樹液をたらせば接着効果はなくなり、罠にかかった人間は解放されることになる。 <br />
　理性的な人間が「壁」に近づけば理性的な精神にふさわしい映像がそこに映るはずだから、その映像を見て人物の判定をすればよさそうなものだが、もとの映像娯楽装置がプライバシーの観点から、映像は本人にしか見えないように出来ているのである。 <br />
　しかし、この星が人類と同じヒューマノイド型の生物によって支配されていたのは幸いだった。彼らは遥かな昔、人類が銀河帝国を築いていたころ、地球から移住してきた者たちの子孫だと思われる。 <br />
<br />
　今度は若い女が「壁」にへばりついた。冷静な女らしく、さほど慌てる様子は見せなかった。私はバゾバゾの樹液で彼女を開放してやった。 <br />
　女は「壁」を指さして「これなあに？」と尋ねた。私はこの星の言語はすでにマスターしていた。 <br />
「君がもっとも欲しているものを映してくれる壁だよ」 <br />
「そうなの。面白いわね」女は青い目を壁に向けながら言った。「どういうしくみで動いているの」 <br />
　私は簡単に「壁」の原理を説明してやった。人間精神には本人に自覚されない広大な無意識の領域があって、そこに隠れた当人の本当の欲求を目に見えるようにする技術が開発されたのだが、それによりこの「壁」が生み出されたのである。ちょうど人間の体の中を切ることなく見ることが出来るCTスキャンを精神の世界で実現したようなものだ。この技術は専門的にはサイコロジカル・トモグラフィーと呼ばれ、PTスキャンなどともいわれる。例えばコウモリはなぜ闇夜に障害物にぶつからずに飛ぶことが出来るのか。それは超音波を発してその先に物体があればそれで跳ね返ってくることから、見えない障害物の存在に気づくということによる。これなども見えないものを見る技術で、原理的にはPTスキャンもそれと同じなのだ、と。 <br />
　するとかなり聡明な女らしく、この説明をほぼ完全に理解したようだった。この女は宇宙飛行の助手として有望といえそうだ。 <br />
「私はメルモス。地球という星からやってきた。君の名は？」 <br />
「アイジ」 <br />
　聞くところによるとアイジは畑を作りながら、物知りの老人から天文学を学んでいるらしい。この星には学校はないが、彼女のように古老から知識を得て、文明を推し進めようという志のあるものがいることは知っていた。この星は、われわれはアキラスと呼んでいる惑星だが、農耕が始まってまだ間もないという文明の段階にあった。 <br />
　私はアイジに、私の宇宙飛行、つまり地球への帰還に助力してくれないかと申し出た。その体験はアイジ自身にとっても得るものが多いであろうし、ひいては惑星アキラスの発展に役立つはずだと力説した。 <br />
　アイジは少し考えて、笑顔で「ええ、お手伝いするわ」と言った。おそらく「壁」の高度な技術を目にして、彼女の向学心に火が付いたのだろう。 <br />
<br />
　あたしは惑星ヘルミダの観測データを届けにモロダー老師のもとへ向かう途中だった。あたしの住む高台から林を抜けたところで妙なものを目にした。灰色の長方形をした石の壁のようなもので、見ているとその表面にはコーヒーにミルクを流し込んだときのような白い渦ができて、やがてぼんやりと高原の風景のようなものが映し出されたのだった。そこには白や黒やぶちの山羊の群れが草をはんでいて、山羊飼いの少年が角笛をもてあそびながら岩の上に寝ころんでいた。それはあたしが忘れていた懐かしい光景だった。あたしは子供のころ、土地の人が魔の山と呼ぶ山岳地帯の高原に、白髪白髯のたくましい祖父といっしょに暮していた。あたしたちの遥かな祖先は、不思議な乗り物でこの星に移り住んだのだという。そのとき、故郷のいろんな動物をひとつがいずつこの星に連れてきて、その中にあたしたちの生活の糧である山羊がいたのだよ。おじいさんはそう話してくれたっけ。山羊がこんなに増えるには、何百年何千年かかったことだろう。そう、あそこで眠りこけている山羊飼いの少年は私の幼なじみのターペーだ。いま「壁」の中でその姿を見るまで何年も思い出したことがなかった。そう、あたしは叔母の誘いで魔の山の暮らしから離れたのだった。九つのときだった。平地の新しい暮らしには刺激が、知的刺激があった。遥かな昔に滅び去った文明がほそぼそと伝えられ、老師と呼ばれる生き字引みたいな人たちがその伝え手だった。老師たちは失われた文明を再建すべく、かつての知識の断片をすこしずつつなぎ合わせ、私たちの生活を前進させようとしていたのだ。この星では、まだ農耕が未熟だ。それにはこの星の不規則な四季のめぐりがまだきちんと理解されていないから。そのために暦学、天文学を追究する必要がある。あたしは子供のときから計算が得意だったから、老師の一人に見込まれ、この星の暦を正確に定めるという大事業に参加することになったのだ。それはあたしの生涯の目標だった。目標だったと思う。こんなあやふやな言い方をするのは、あの地球人メルモスが見せてくれた「壁」の映像のせい。メルモスは、そこに見えるのは「あたしの最も欲しているもの」だと言った。じゃあなぜ、あたしの大事な仕事に関すること、たとえば星座の運行が解明される様子や、正確に計算された二次春分日の日の出や、それに引き続くであろう農耕の発展の様子が見えなかったのだろう？　私が心の底から望んでいるのは、メルモスによれば、九つの年に別れた山岳地帯の暮らしだということになる。そしてああやって「壁」で見せられた懐かしい風景を思い出すと、自分にとって本当に大切だったのは日々没頭している天文や暦学の計算ではなくて、山での暮らしなのではないかという疑いが心に強く根差してきたのである。考えてみれば、農耕の進歩はなるほど大切だが、だがなぜあたしが精魂尽くしてそれに貢献しなければならないのだろう。魔の山のおじいさんにまた会いたい。ターペーに会いたい。ターペーの目の不自由なお婆さんにも会いたい。ああ、あたしは郷愁のとりこになってしまった。しかしあの地球人メルモスの持つ科学力にはおおいに興味がある。あたしが山に帰るとしても、メルモスから知識を得てからにしたい。あいつが地球に帰れるかどうかなんて知ったこっちゃないけど、せいぜい利用してやるさ。 <br />
<br />
　私メルモスは、まずアイジにワープ航法の原理を説明した。すべての物質は光速を超えて運動することはできないが、宇宙船後部の空間をゆがませることによって、結果的に何光年も離れた場所に数秒で着くことも出来る。空間自体がゆがむ速さは光速を超えることが出来るからである。アイジは驚くべき理解力を示した。 <br />
　しかしアイジは確かに私の地球帰還に大きな力となってくれるだろうが、まだ私には助けとなる人間が幾人か必要だった。私がここ惑星アキラスにやってきたときの宇宙船は大破してしまったから、それを再び建造しなければならないが、それには力仕事の側面もあれば、原子炉での作業など職人的修練を要する作業もあった。私と女一人ではこれらは手に余る仕事である。 <br />
　そこで私は再び「壁」にアグアナの油を塗り、そこに引っ付いてくる獲物を待つことにした。 <br />
<br />
　翌日の朝、私メルモスは何かを引っかくような音で目を覚ました。テントから出ると、若い茶色い髪のやせた男が「壁」の罠にかかっていた。そしてナイフのようなもので、自分を「壁」から引きはがそうと努力していた。私が近づくと <br />
「お前は誰だ？　これは貴様の仕業か？　何が狙いだ、言ってみろ」 <br />
とまくしたててきた。私は自己紹介し、率直に宇宙飛行の援助を必要としていることを述べた。 <br />
「で、貴様を地球に返したら俺は見返りに何が得られる？」 <br />
「私にできることなら何なりと」 <br />
「よし、要求は後で言う。とにかく俺をこの壁から離してくれ」 <br />
　その男はヨーデと名乗った。しかしふだん何をして暮らしを立てているのかについてはいっさい語らなかった。ヨーデに宇宙船について説明する際、その設計図を見せると彼は非常な関心を示した。とくにその翼について、なぜそのような形状なのか、この突起物は何か、ここの角度はなぜこうなっているのかなど、熱心に質問した。私はそれに丁寧に答え、翼断面の形状の根拠となる計算を説明するために初歩の複素関数論さえ解説したが、ヨーデは理解できるまで食い下がって教えを乞うた。まもなくヨーデには、宇宙船の翼や装甲を作らせる仕事全般をまかせて差支えないと私は判断した。 <br />
　 <br />
　俺はいつものように森のはずれにいて、鹿だの猪だのといった獲物を捕らえてきた狩猟者を待っていた。するとでっかい豚をかついだ二人組が森から出てきたから、俺は親しげにあいさつし、世間話をはじめると見せかけて吹き矢を一人の喉に突き立てて殺し、一人はナイフで頸動脈を切って殺害した。もちろん獲物を奪うためだ。俺はいつもこうやって食い物を得ている。この辺も農業が広がっていろんな決まりごとが増えて、最近は殺しは掟に反するって風潮になってきてるが、俺の知ったこっちゃねえや。老師たちのいうことによると、俺たちの遥かな祖先たちは高度に発達した文明をもっていたと同時に無数の法律があって、それにがんじがらめに縛られていたそうだ。みんなが快適な暮らしを送れて、しかもみんなが完全に自由ってのはありえねえって話だろうな。俺は別に快適でなくとも法なんぞにしばられたくはない。弱肉強食万歳だ。考えてみりゃ俺はガキの頃から縛られるのが大嫌いだったな。あのメルモスの「壁」を見て思い出したよ。俺の本当の欲望があそこに映されるって話だが、俺がそこに見たのは翼を背中からはやして鷹のように大空を飛び回る俺自身の姿だった。そうなんだ。この無頼の徒ヨーデはガキの頃、鳥になりたかったんだ。木を削ってよく飛行機を作って遊んだな。それが今でも翼を広げて空を飛び回ることを望んでるだなんて、人殺しにはちょっと似合わねえメルヘンだわな。あのメルモスの野郎についちゃ、はじめは頃合いを見計らって金目のものを奪ってとんずらするつもりだったんだが、やつの宇宙船の残骸と設計図を見せられて気が変わっちまった。俺は今でも鳥キチガイの飛行機キチガイだったんだな。あんなでっかい飛行機をいっぺん飛ばしてみたいよ。そして俺も飛んでみたい。 <br />
<br />
　力仕事をする男手がもう一人ぐらいほしいと私メルモスは思っていたのだが、次に「壁」の罠に引っ掛かったのは小柄な女だった。話してみると特に宇宙船建造に役立つ人材とは思えなかったが、本人は生活に困っており、料理洗濯掃除なんでもするから小間使いとして使ってくれないかとのことだった。そういえば、われわれはみな汚れた服の着た切り雀で、食事も粗末なものばかりだった。アイジは科学の才能に秀でていたが、主婦のような気づかいのできる女ではなかった。そういうわけで、コレッタというその女をわれわれのそばに置くことにした。彼女は宣言通り、こまめにわれわれの身の回りの世話を焼き、みな服装は清潔になり毎日それなりに美味い食事にありつけるようになった。 <br />
<br />
　本当に生活に困ってたから、メルモスとかいう人においてもらえて助かったんだけど、私はやせても枯れてもマプー星の女、男なんかに頭を下げるなんてはらわたがちぎれる思いだわ。マプー星は完全な女尊男卑の星。ていうか男が女の奴隷なのは当たり前だと思ってたから女尊男卑なんて言葉も知らなかったわ。だからこの惑星アキラスに来たときは、男が偉そうにしているのを見て腰を抜かさんばかりに驚いたものよ。マプー星では男が女に手を上げようものなら即刻首をはねられるんだ。わたしはマプー星では卑しい生まれだから、最初から名門の家庭の小間使いになるべく育ったけれど、でも男なんかに見下されるような恥辱を受けた覚えはない。男が私を呼ぶときはつねに「コレッタ様」よ。私のご主人様はグレイゼル家のアルテイシアお嬢様。輝くような青い目をした女王様のような気品のある、それは美しいお嬢様だった。腰までとどく豊かな金髪をいつもふさふさと揺らしてお歩きになり、浴槽でお世話するときにはその妖しく光る裸身にいつもわれを忘れて見とれていたものだったわ。マプー星ではつねに女が男を選ぶのだった。それも人間扱いされるのは超美形の男子だけ。そうでない男はどうなるかというと、そうマプー星のおそろしく高度な整形外科手術によって、家具に改造されるの。人の肌ってあたたかくて触り心地が良いものよ。だから醜い男は肉で出来たソファにされたり、絨毯の一部にされたり、便器にされる。家具にされてもあくまで生きた男だから、いつも温かい。男が便器にされるときは、下あごを大きくしてそれが便座になるのね。だから肉便器になった男は、女の排泄物をありがたく口から頂戴するわけ。まったく肉便器の使い心地の良さったらないわ。ちょっと高価な肉便器になるとのどちんこから温水が出てウォシュレットになってるのよ。話は変わるけど女の貞操なんて概念はもちろん無いわよ。貞操を守るべきは男のほうで、マプー星の男性は遺伝子操作で改造されてしまっていて、処女膜ならぬ童貞膜が陰部を覆っているから、経験があるかどうかは見ればすぐにわかるの。卑しい生まれの私だって、ボーイフレンドはいたわよ。童貞膜は初めから破れてたけど、私には分相応ね。でも童貞にこだわらなければ、私程度の女だって美形の男子をとっかえひっかえできたものよ。ああ、美男に囲まれ肉便器に座っていた栄光の日々！　そんな日々も、アルテイシアお嬢様について宇宙旅行に旅立ったあの日が最後だったわ。ロケットが爆発してお嬢様は亡くなられた。残骸となった船の中でかろうじて生き残った私は、漂流してとうとう惑星アキラスにたどりついた。しばらくは畑でスイカやなすびなんか盗んでしのいだけど、今日はもうお腹ぺこぺこで、どこをどう歩いたやら小さな丘を越えてやってきた私が見たものは、色鮮やかで超美形の男子でできた懐かしの肉便器！　でも手を伸ばしたらそこに引っ付いちゃって動けなくなった。あれはメルモスの「壁」が映し出した罠だったのね。 <br />
<br />
　さてコレッタが来てから生活の雰囲気が一変したものの、あいかわらず男手がもう一人ほしいと思い日々「壁」を見にいったが、なかなか獲物はかからない。そんなある日、一大事が起こった。 <br />
「大変だメルモスさん、テロイタが来た！」とヨーデが駆けてきて言った。 <br />
　テロイタというのはこの辺では有名な殺人狂だ。よそ者の私でも噂はたびたび耳にしている。なんでも身長は二百四十センチを超え、自分の背より高い重い鉄杖を振り回して無差別に人に襲い掛かるのだという。人が五人いたら必ず五人とも頭をたたき割られるのだが、人を殺すのには何の理由もない。ものを盗るわけでもなく、ただ生物を死体に変えたいという一心だと聞く。 <br />
　やがて鉄杖を頭上で振り回しながら駆けてくるテロイタが見えてきた。皆はあわてふためいたが、熱線銃が二丁あったから、私は一丁をヨーデに渡して使い方を教えた。 <br />
「よーしこうなったら一か八かだ、来るなら来やがれ」ヨーデが言った。 <br />
<br />
　（つづく） <br />
<br />
<br />
　コレッタの独白にあるマプー星の文物は、ほとんどが沼正三『家畜人ヤプー』から借りてきたものです。極端な女尊男卑の異世界で日本男児が味わう絶望とマゾヒズムの快感をとことん描いたこの巨編、それへのオマージュとご理解ください m(_ _)m <br />
<br />
(c) 2015 ntr ,all rights reserved.]]></content:encoded>
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    <dc:date>2015-11-13T23:07:44+09:00</dc:date>
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    <title>ジャズ忍法帳</title>
    <description> 
　最近聴いたジャズが立て続けに良かったから、ちょっと紹介してみたい。
　しかし今度はジャズか。毎回の話のテーマがこうも支離滅裂だといっこうに読者は増えないような気もするがまあいいか。
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　ヴィブラフォン奏者のボビー・ハッチ...</description>
    <content:encoded><![CDATA[<span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: medium;" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"> </span><br />
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">　最近聴いたジャズが立て続けに良かったから、ちょっと紹介してみたい。<br />
　しかし今度はジャズか。毎回の話のテーマがこうも支離滅裂だといっこうに読者は増えないような気もするがまあいいか。<br />
　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　<br />
</span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">　ヴィブラフォン奏者のボビー・ハッチャーソンによる</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century"> &ldquo; Four Seasons &ldquo;</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">。ハッチャーソンは有名な奏者だからこれまでいくつかのアルバム、たとえば</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century"> &ldquo; Happenings &ldquo; , &ldquo; Dialogue &rdquo; </span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">などを聴いてきたが、あまり好きにはなれなかった。これらは彼が</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century">1960</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">年代に「新主流派」と呼ばれて注目を集め始めたころの作品だが、今回聴いた「フォー・シーズンズ」は</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century">1983</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">年の録音で、これは大いに気に入った。</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century">60</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">年代とは彼の奏でる音色自体が変わってきている可能性があるが、一聴して「何とかわいらしい音色だろう」と驚いた。かわいらしいなどというと誉めているのか貶しているのかよく分からないが、もちろん褒め言葉である。ここでの彼のヴィブラフォンの音は、とがった、影のない明るい、そして粒のそろった音である。その音はどんなに速いパッセージのときも濁らない。「サマータイム」のような陰気な曲のときでも影のある音は出していないから、これは彼のこだわりの音色なのかも知れない。そしてこのヴァイブの音はどこをとっても耳当たりが良い。他のメンバーはピアノのジョージ・ケイブルス、ベースのハービー・ルイス、ドラムのフィリー・ジョー・ジョーンズで、計四人のカルテットである。ヴァイブ、ピアノ、ベース、ドラムという編成のカルテットといえばモダン・ジャズ・カルテット（</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century">MJQ</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">）が有名だが、</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century">MJQ</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">の演奏とこの「フォー・シーズンズ」は何と違っていることか。まず</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century">MJQ</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">のヴァイブ奏者ミルト・ジャクソンとハッチャーソンでは徹底的に違う。ミルト・ジャクソンの場合、もっとヴァイブの音色に幅を持たせて、暗い沈んだ音も出すし、ねばっこい間の取り方をして聴くものの情感に訴えてくる。いっぽうハッチャーソンは明るい単一な音色にしぼることでかえって稀有な個性を獲得している。<br />
　</span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">すずやかな鉄琴の音の好きな人には、ジャズ入門になりうるアルバムかも知れない。<br />
　</span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　<br />
　フランスのギター奏者ルネ・トーマによる</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century"> &ldquo; Hommage a&hellip;Rene Thomas&rdquo;</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">。この人のことはよく知らなかったが、すでに</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century"> &rdquo; Rene Thomas et son quintette &ldquo; </span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">というアルバムを持っていたのにあとで気が付いた。ということはそれを聴いた時にはあまり印象に残らなかったのだろう。今回聴いたこの「オマージュ」と名の付いたアルバムは、彼の遺作であるらしい。</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century">1975</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">年に</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century">48</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">歳の若さで亡くなっているが、その前年の録音である。ここでの他のメンバーはエレクトリック・ピアノのロブ・フランケン、ベースのコース・セリーセ、ドラムのルイ・デビジで、四人編成。このアルバムの魅力は、録音技術のせいかこくのある渋い音が鳴っているのに楽想がとても斬新で、またライブ録音ならではの熱気が漂ってくる、という点だろう。楽想が斬新、といっても音楽の素人の自分には専門用語で説明することがかなわずもどかしいのだが、とにかくどこをとっても陳腐な古臭いところがないのである。フランスのジャズ・ギタリストで最も有名なのはジャンゴ・ラインハルトだろうし、また彼は今でも高い人気を誇っているが、僕などその録音を聴くといかにも古臭くてあきあきしてしまう。しかしこのルネ・トーマのアルバムで聴かれる音楽については、今後も古びることはないのではないか。トーマのファンによると、この「オマージュ」は彼のアルバムの中でもっとも斬新な音楽に満ちているという。トーマがもっと長生きしていたらどうなったろうと考えずにはおれない。なお僕はエレクトリック・ピアノという楽器は従来あまり好きではなかった。その人工的な電子音を聴いていると頭が痛くなってくる気がするのだ。しかしこの「オマージュ」でのロブ・フランケンによるエレクトリック・ピアノは実にいい。録音のせいかもしれないが、オルガンにも似た手作りという感じの音に聞こえる。<br />
　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: medium;" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"> <span style="font-family: ＭＳ 明朝;" face="ＭＳ 明朝">　　</span></span></p><br />
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">　ピアニスト、テテ・モントリューによる</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century"> &ldquo; Live at the Keystone Corner &ldquo;</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">。ピアノ・トリオ作品で、ベースはハービー・ルイス、ドラムはビリー・ヒギンズ。実はこの有名な盲目のピアニストの作品を聴くのは初めてだった。題名の通りライブであるという事情にもよるのだろうが、ここまでノリのよい爆裂的なピアノ・トリオ作品はそう聴けるものではない。テテ・モントリューは元来自分のアドリブが始まって調子が乗ってくると、周囲のことなど忘れてピアノに没入してしまうタイプらしいが、その個性はここで存分に発揮されているのだろう。非常に長いアドリブを弾きまくるのだが、決して飽きさせず、勢いはどんどん加速して、聴衆を巻き込んでしまう。</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century">&ldquo; I&rsquo;ll remember April &ldquo; </span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">のようなメジャー曲のアレンジも面白いけれども、それよりテテという人の勢いが何より印象に残る。勢いに乗ったら止まらないピアニストだというのは彼が盲目であるせいもあるらしい。つまりピアノの次に別な楽器のミュージシャンがアドリブに入ろうとしても、テテに合図を送ろうと思ったらそばに寄って肩をつつくなどしなければ気づかないからだ。マルチ・リード奏者ローランド・カークとしばしば共演しているそうだが、カークも盲目であるためコミュニケーションをとるのが大変だったらしい。<br />
　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊　　＊<br />
　</span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">レイ・ブライアント・トリオ。ただし短調の名曲</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century"> &ldquo; Golden Earring &rdquo;</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">で始まる有名な</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century"> Prestige</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">盤ではなく、</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century">&rdquo; Cubano Chant &ldquo; </span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">で始まる</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century"> Epic</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">盤。どちらもブライアントのピアノによるピアノ・トリオ作品だが、後者のほうがブライアントのクセがよく出ていて僕は気に入った。というより彼のアルバムは</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century">Prestige</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">盤</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century"> &ldquo; Ray Bryant Trio &ldquo;</span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">を除いてはどれを聴いても同じではないかという感想もわいてくるのだが、名店の変わらぬトンカツの味のようで、ときどきブライアントが聴きたくなるのである。僕がとくに好きな彼のアルバムは</span><span lang="EN-US"><span style="font-family: Century;" face="Century"> &ldquo; Alone at Montreux &ldquo; </span></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">という作品である。一時間近くあるソロ・ピアノ作品で、これを最後まで飽きさせず聴かせるブライアントの手腕は素晴らしいのひとこと。ピアノが好きな人にはジャズ入門として好適ではなかろうか。ちなみに自分はジャズ・ファンには珍しいと思われるビル・エヴァンス苦手派であるので、エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビイ」は勧めません、悪しからず。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝',serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;"><br />
<br />
(c) 2015 ntr ,all rights reserved.</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: medium;" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"> </span></p>]]></content:encoded>
    <dc:subject>　 索引掲載済文書</dc:subject>
    <dc:date>2015-11-13T02:02:32+09:00</dc:date>
    <dc:creator>快文書作成ユニット（仮）</dc:creator>
    <dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
    <dc:rights>快文書作成ユニット（仮）</dc:rights>
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    <title>教師の悪行三昧</title>
    <description>教師などという基本的に真面目であることが要求される職についていると、仕事を離れたときに精神のバランスを保つため、少しは不真面目な行動をとったほうが良いのではないかと最近思う。自分はそれをしないため、学校での仕事で不真面目な面が出てしまっているのではないか。今年はきつい学校でもあり、鬱気味になり、何だ...</description>
    <content:encoded><![CDATA[教師などという基本的に真面目であることが要求される職についていると、仕事を離れたときに精神のバランスを保つため、少しは不真面目な行動をとったほうが良いのではないかと最近思う。自分はそれをしないため、学校での仕事で不真面目な面が出てしまっているのではないか。今年はきつい学校でもあり、鬱気味になり、何だかんだ理由をつけて勤務をサボタージュすること目に余って、やや同僚から嫌われているようである。 <br />
　人間の精神にも社会にも陰と陽があるのだから、職場を離れたら気分を開放するために、思い切って悪行を重ねてみようか。いや昔は、あるいは前世だったかも知れないが、自分もさかんに悪行をおこなっていたような気がする。それをつらつら思い出しては、再び悪に手を染めたいという欲求に駆られるのである。 <br />
　マンションの基礎工事で杭を地盤から引き抜いたのは私である。ドローンを姫路城にぶつけたのは私である。マイナンバーがだだ漏れになっているのは私のせいである。元少年Aと友達なのは私である。麻原にサリンを撒いてみてはと提案したのは私である。毎年だんじりで人をひき殺していたのは私である。第五惑星を消滅させたのは私である。七たび生まれ変わってなお国家転覆をはかる無政府主義者は私である。サウナで屁をこいたのは私である。 <br />
<br />
　＊　＊　＊　＊ <br />
<br />
　野球に人気がある一つの理由はその不道徳性にある、と誰かが言っていた。すなわち殺す、盗む、刺すといった、日常でしてはならないとされる行為が言葉としてたくさん出てくるところが、野球観戦のひとつの醍醐味で、それにより人々はふだんの精神的抑圧を開放できるのだという。まあその真偽はさておき、勝負事全般について言えることだろうが、相手の嫌がることをするのが是とされる、というのは確かに野球の痛快な所だろう。内角すれすれを狙い続け無数のデッドボールを与えて平然としていた西武の東尾のようなやり方には疑問があるが、そういう反則に属さない範囲のプレーでも上手くやれば相手にかなりの精神的抑圧をかけることが出来る。とにかく自分がされたら嫌なことを知恵を絞ってやり合う、ここが楽しいのである。 <br />
<br />
　これから日本シリーズが始まるが、短期決戦にはそれなりの戦い方がある。とにかく勢いづくということが大事で、とにかく四勝すれば良いのだ、ではなくて最初から四連勝するぐらいのつもりでないといけない。だから単に勝つだけではなく、次の日も勝てるように、相手に決して流れを渡さないことが大事なはずだ。たとえば序盤に大量得点して、あとは一点も取らずに逃げ切るという勝ち方は良くないと思う。相手側とすれば最も気持ちの切り替えがしやすい負け方なのだ。だから同じ勝つとしても、九回までねちねちと点を取り続けるのが効果的な嫌がらせで、そうなると相手は翌日になっても立ち直れない。四点差五点差つけて勝っていてしかも試合の終盤に入っても送りバントをやり続けたかつての森監督時代の西武、あれをやられたら本当に嫌だと思う。そこまで徹底してくると勝っている西武の選手たちも嫌になってきたらしいが。 <br />
<br />
　たまには書を捨てて野球観戦に球場に足を運ぼうか。 <br />
<br />
　とは言っても通勤で電車に乗っているときは読書のほかすることがない。しかし「何もしない」という選択肢がもっとも魅力的に思えることも増えてきた。小説など読んでのめりこみ時間を忘れてしまったら逆になにか時間がもったいないような、そんな変な時間の惜しみようをするようになったのだ。最近は平井和正とドストエフスキーと、それから寒山詩の本を持ち歩いているが、前二者は読みだすとのめりこんでしまうほうで、あとの岩波文庫の寒山の詩集は昔の本とて注釈がそっけないため、流し読みしていてもまず内容は頭に入ってこない。漢詩のことだから漢字の並び具合がきれいだな、ということだけ感じつつ時間を過ごすという、無為のような有為のような中途半端なだらだら加減が好きだ。 <br />
<br />
　寒山幽奇多し。 <br />
　登る者皆恒に懾（おそ）る。 <br />
　月照して水澄澄。 <br />
　風吹きて草獵獵（れうれう）。 <br />
　凋梅は雪を花と作し、 <br />
　杌（ごつ）木は雲を葉に充（あ）つ。 <br />
　雨に觸れて轉（うた）た鮮靈。 <br />
　晴るゝに非ざれば陟（のぼ）るべからず。 <br />
<br />
　これは比較的平易な一節で、恐らく寒山詩で最も有名な部分のひとつである。 <br />
　 <br />
　<br />
(c) 2015 ntr ,all rights reserved.]]></content:encoded>
    <dc:subject>　 索引掲載済文書</dc:subject>
    <dc:date>2015-10-18T20:58:27+09:00</dc:date>
    <dc:creator>快文書作成ユニット（仮）</dc:creator>
    <dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
    <dc:rights>快文書作成ユニット（仮）</dc:rights>
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    <title>ガロア理論の素描</title>
    <description>　誰も読まないかも知れないが、今日はガロア理論を軸に代数系の話でも書こう。
　「集合」というのを高校数学で習ったと思う。集合とはただ「ものの集まり」のことである、という理解で差支えない。
　a, b, c という3つのものの集まりを A と名付けるとき、われわれは
　A = { a, b, c }
...</description>
    <content:encoded><![CDATA[<p>　誰も読まないかも知れないが、今日はガロア理論を軸に代数系の話でも書こう。<br />
　「集合」というのを高校数学で習ったと思う。集合とはただ「ものの集まり」のことである、という理解で差支えない。<br />
　a, b, c という3つのものの集まりを A と名付けるとき、われわれは<br />
　A = { a, b, c }<br />
のように記す。また a が 集合 A の要素であることを a &isin; A と表す。<br />
　代数系とは集合の要素間に + とか&times;とか何らかの演算が定められているようなものである。<br />
　数学でしばしば登場する代数系に群、環、体がある。<br />
<br />
　まず群について説明しよう。<br />
　集合 G が群であるとは、G のどの要素 a, b（&forall;a,b &isin; G のように略記することがある）に対しても a * b という G の要素が存在して、次の3条件を満たすことである：<br />
(1) G のどんな3要素 a, b, c に対しても<br />
　( a * b ) * c = a * ( b * c )<br />
　が成り立つ。<br />
(2) e という G の要素があって、G のどんな要素 a に対しても<br />
　a * e = e * a = a<br />
　が成り立つ。<br />
(3) G のどんな要素 a に対しても a^(-1) という G の要素が存在しており<br />
　a * a^(-1) = a^(-1) * a = e<br />
&nbsp;が成り立つ。■<br />
　(2)の e のことを群 G の単位元という。(3)の a^(-1)のことを a の逆元という。<br />
　また注意しなければならないのは群 G の要素 a, b に対して必ずしも<br />
　a * b = b * a は成り立たなくてもよいことである。<br />
　a * b = b * a がつねに成り立つような群のことを可換群、またはアーベル群という。<br />
（アーベルは19世紀のノルウェーの数学者の名）。</p><br />
<p>　群の例をいくつか挙げる。<br />
(例 1)　たとえば上の * のことを + だと思って G を整数全体の集合（ Z で表す）だと思えば Z は群となる。というのも明らかにどんな整数 a, b, c に対しても ( a + b ) + c = a + ( b + c ) だから(1)が成り立つし、(2)の単位元 e は 整数 0 がこの役割を果たす。つまりどんな整数 a に対しても <br />
0 + a = a + 0 = a. よって Z の単位元は 0 である。そして整数 a の逆元は - a である：<br />
　a + ( - a ) = ( - a ) + a = 0.<br />
　以上で整数全体の集合 Z は足し算 + によって群となることがわかった。<br />
　また整数 a, b に対しつねに a + b = b + a だから Z は足し算（和）に関してアーベル群である。　(例 2) 有理数全体から 0 をのぞいた集合（これを Q'で表そう）は掛け算&times;によって群となる。有理数とは平たく言えば分数のことで a/b ( a, b は整数で b&ne;0 ) の形をした数のことである。有理数 p, q, r が　(p&times;q)&times;r = p&times;(q&times;r) を満たすのは明らかである。またどんな有理数 p に対しても 1&times;p = p&times;1 = p だから 1 が単位元となっている。また有理数 a/b が 0 でなければ a&ne;0 で有理数 b/a が考えられ (a/b)&times;(b/a) = (a&times;b)/(b&times;a) = 1 となるから a/b の逆元は b/a である。また有理数 p, q に対してつねに p&times;q = q&times;p だから、Q'は掛け算（積）に関してアーベル群である。<br />
(例 3) 行列式が 0 でない n 次行列の全体 GLn(K)（ K は行列の成分が属する集合で、さしあたっては実数全体 R または複素数全体 C とする）<br />
　簡単のためここでは、行列式が 0 でない実数を成分とする 2 次の行列の全体 GL2(R) を考えよう。まず「実数を成分とする2次の行列」とは 4つの実数 a, b, c, d を正方形に並べ左右からカッコではさんだ<br />
　( a&nbsp; b )<br />
　( c&nbsp; d )<br />
のようなもののことである。本当は上下に ( を2つ並べるのではなく、2行にまたがるようなカッコではさむのだが、ここでは上手く表せない。a, b, c, d をこの行列の成分という。行列どうしの足し算は簡単で、各成分どうしを足せばよいのである。<br />
　( a&nbsp; b ) + ( e&nbsp; f ) = ( a + e&nbsp; b + f )<br />
　( c&nbsp; d )　 ( g&nbsp; h )&nbsp; &nbsp;( c + g　d + h )<br />
と定められる。行列どうしの掛け算はもうすこし複雑で<br />
　( a&nbsp; b )( e&nbsp; f ) = ( ae + bg&nbsp; af + bh )<br />
　( c&nbsp; d )( g&nbsp; h )&nbsp;&nbsp; ( ce + dg&nbsp; cf + dh )<br />
と定められる。そしてこの行列の掛け算（積）について GL2(R) は群となるのである。<br />
　ここで行列<br />
　( a&nbsp; b )<br />
　( c&nbsp; d )<br />
を A とするとき実数 ad - bc のことを A の行列式と呼び det A で表す：<br />
　det A = ad - bc.<br />
　つまり各成分が実数で det A &ne;0 であるような 2 次の行列 A 全体のことを GL2(R) というのである。<br />
　さてこれが群であるというのだが、GL2(R) に属するどの行列 A, B, C に対しても<br />
　(AB)C = A(BC)<br />
が成り立つことは計算で直接確かめられる。<br />
　( 1&nbsp; 0 )<br />
　( 0&nbsp; 1 )<br />
という行列を2次の単位行列といい、ここでは I であらわそう。すると GL2(R) に属するどんな A に対しても<br />
　IA = AI = A<br />
が成り立つ。つまりこの I が GL2(R) の単位元である。<br />
　さて GL2(R) の要素 A を<br />
　( a&nbsp; b )<br />
　( c&nbsp; d )<br />
とするとき、逆元 A^(-1)は<br />
　( d/(ad-bc)&nbsp; -b/(ad-bc) )<br />
　( -c/(ad-bc) a/(ad-bc)&nbsp; )<br />
という形をしている。つまり A^(-1)をこの形のものと定めれば<br />
　A A^(-1) = A^(-1) A = I<br />
がなりたつのである。A^(-1)は A の逆元であるが、A の逆行列とも呼ばれる。<br />
　数学では分数の分母に 0 がきてはならないから、行列が積に関して群となるためには <br />
det A = ad - bc &ne;0 という条件が必要なことが分かるだろう。<br />
　以上で GL2(R) が積に関して群であることがわかったが、どんな自然数 n に対しても<br />
n 次の行列について行列式を定めることができて、GLn(R) が群となることが分かる。<br />
　ただし<br />
　( 1&nbsp; 1 ) 　( 1&nbsp; 0 )<br />
　( 0&nbsp; 1 ),　( 1&nbsp; 1 )<br />
をそれぞれ A, B とするといずれも GL2(R) の要素だが<br />
　( 1&nbsp; 1 )( 1&nbsp; 0 ) = ( 2&nbsp; 1 )<br />
　( 0&nbsp; 1 )( 1&nbsp; 1 )　 ( 1&nbsp; 1 ),<br />
であるのに対し<br />
　( 1&nbsp; 0 )( 1&nbsp; 1 ) = ( 1&nbsp; 1 )<br />
　( 1&nbsp; 1 )( 0&nbsp; 1 ) 　( 1&nbsp; 2 )<br />
であるから AB &ne;BA. すなわち GL2(R)はアーベル群ではない。■<br />
　集合の話で大事なことを書き忘れていた。たとえば<br />
　A = { 2, 4, 6 }, B = { 1, 2, 3. 4, 5, 6 } <br />
という2つの集合A, B について、A の要素はどれも B の要素になっている。<br />
　言い換えれば、A は B の中に入っている。このようなとき<br />
A は B の部分集合であるといい、A &sub; B (または B &sup; A）と表す。<br />
ただしこの A &sub; B という記号は A = B である場合も含むとする。<br />
つまり　A = { 1, 2, 3 }, B = { 1, 2, 3 } のように A = B の場合も<br />
A &sub; B とか A &sup; B などと書いてもよい。 　<br />
<br />
　G が群で、H が G の部分集合で、H も群であるとき、H を G の部分群という。<br />
（厳密にいうと、G が演算 * によって群をなしていて（つまり G の要素 a, b に<br />
対して a * b が定まっていて）その単位元が e であり、G の部分集合 H も<br />
演算 * によって群をなしていて、H の単位元も e であるとき、H を G の部分群である<br />
という。）<br />
　ちなみに、H が G の部分群であるための条件は<br />
　(1) x, y &isin; H ならば x * y &isin; H,<br />
　(2) x &isin; H ならば x^(-1)&isin; H<br />
の2条件が成り立つことであることがわかる。<br />
　H が G の部分群であることを H &lt; G と表すことがある。<br />
　たとえば例１の整数全体 Z のなす群において、偶数全体のなす集合 <br />
　Y = { ... -4, -2, 0, 2, 4, 6, ... }<br />
は足し算 + に関して部分群となっている。<br />
　さらにたとえば上の例３の群 GL2(R) に対して、GL2(R)の要素で行列式の値が 1 であるもの全体をSL2(R) とかくと、これは行列の積について GL2(R) の部分群となっている。</p><br />
<p>　さて群についてはこの程度にして、環の話に入ろう。<br />
　群の説明のときは、a と b の演算のことを a * b と表したが、<br />
環には要素 a, b に対して 2種類の演算があり、これらを通常<br />
　a + b,&nbsp; ab<br />
で表す。前者を a と b の和、後者を a と b の積という。<br />
環の定義は次のようになる。</p><br />
<p>　集合 R が環であるとは、R のどんな要素 a, b に対しても和と呼ばれる R の要素 a + b, <br />
積と呼ばれる R の要素 ab が定まり、次の条件(1)～(6)が成り立つとき、R を環という。<br />
(1) R のどんな要素 a, b, c に対しても <br />
　( a + b ) + c = a + ( b + c )<br />
　が成り立つ。<br />
(2) 零（ゼロ）と呼ばれる R の要素 0 があり、R のどんな要素 a に対しても<br />
　0 + a = a + 0 = a<br />
　が成り立つ。<br />
(3) R のどんな要素 a に対しても - a と書かれる R の要素があり<br />
　a + ( - a ) = ( - a ) + a = 0<br />
　が成り立つ。<br />
(4) R のどんな要素 a, b, c に対しても<br />
　( ab )c = a( bc )<br />
　が成り立つ。<br />
(5) 単位元と呼ばれる R の要素 1（ただし 1&ne;0)があり、どんな R の要素 a に対しても<br />
　1a = a1 = a<br />
　が成り立つ。<br />
(6) R のどんな要素 a, b, c に対しても<br />
　( a + b )c = ac + bc,<br />
　a( b + c ) = ab + ac<br />
　が成り立つ。■</p><br />
<p>　環 R の要素 a, b について必ずしも ab = ba は成り立たないが、<br />
　つねに ab = ba が成り立つ環を可換環（かかんかん）、そうでない環を非可換環という。<br />
　平たく言えば、環とは足し算、引き算、掛け算ができるが、割り算は必ずしもできないような集合である。<br />
　例えば整数全体の集合 Z は普通の和 + と積 &times; によって可換環となる。<br />
　また実数を成分とする2次の行列全体 M2(R)（行列式が0のものも入れる）は、行列の和と積に関して非可換環となる。<br />
　環について言うべきことは他にたくさんあるが、ここでは割愛する。&nbsp; 　</p><br />
<p>　さて環は加・減・乗という演算ができる集合だが、さらに除（割り算）も出来るような集合を体（たい）と呼ぶ。ただし 0 による割り算だけは考えない。<br />
　つまり上の環の定義(1)～(6)に加え次の(7)を満たすような集合 R のことを体と呼ぶ。<br />
(7) 0 でないどんな R の要素 a に対しても a^(-1)という R の要素があって<br />
　a a^(-1) = a^(-1) a = 1.</p><br />
<p>　ただ R は環（ring）の頭文字で、体は英語で field, ドイツ語で koerper だから、ふつう体を表すときは F とか K という文字を使うことが多い。<br />
　体のもっとも簡単な例は、有理数全体の集合 Q である。Q が環であり、上の(7)も満たすことは明らかだろう。<br />
　体 K の部分集合 L が体をなしているとき、L を K の部分体、K を L の拡大体という。<br />
（厳密には、K の部分集合 Lで、K と同じ演算で体をなしており、K と零と単位元を共有するものを体 K の部分体という、云々）<br />
　K が L の拡大体であることを K / L と書くことがある。/ はここでは割り算の意味ではなく、分かりにくい記法だが、伝統だからしかたがない。<br />
<br />
　さてさて。<br />
　群にしても環にしても体にしても「準同型写像」というものが大切になってくる。準同型写像の特別なものが「同型写像」とよばれるものである。<br />
　まず群についてこれを説明すると。<br />
　G が演算 * について群をなしており、H が演算 # について群をなしているとする。 <br />
　つまり G の要素 a, b に対しては演算 a * b が定まっており、H の要素 &alpha;,&beta;に対しては演算&alpha;#&beta;が定まっている、とする。<br />
　このとき G から H への写像 f ( つまり f は G の要素に H の要素を対応付ける規則で、a &isin; G に対し&alpha; &isin; H が対応付けられているとき f(a) = &alpha;とかく）があって、G の要素 a, b に対し<br />
　f(a * b) = f(a)#f(b)　&hellip;&hellip;＠<br />
となっているとき、写像 f: G &rarr; H を 群 G から H への準同型写像という。<br />
　＠で G と H の演算がどういうものか明らかなときは * や # を取り払ってしまって<br />
　f(ab) = f(a)f(b)<br />
のようにかくことが多い。<br />
　そして準同型写像 f: G &rarr; H が全単射であるとき、f を同型写像（または単に同型）といって G と H は同型であるといい、<br />
　G &cong; H のように表す。<br />
　で、f が全単射とは<br />
　(1)　a &ne; b ならば f(a)&ne;f(b),<br />
　(2)　どの H の要素 c に対しても f(a) = c となる G の要素 a がある。<br />
の 2 条件が満たされることである。<br />
&nbsp;<br />
　環の準同型写像については次のようになる。R と S を環とし、<br />
　f: R &rarr; S が（環）準同型写像であるとは、R の要素 a, b に対しつねに<br />
(1) f(a + b) = f(a) + f(b),<br />
(2) f(ab) = f(a)f(b),<br />
(3) f(1') = 1" (ただし 1'は R の単位元、1"は S の単位元）<br />
　の3条件が満たされることである。ただし R の加法・乗法と S の加法・乗法は同じ表し方をしている。<br />
　そして（環）準同型写像 f: R &rarr; S が全単射であるとき、f を同型写像（または単に同型）といって R と S は同型であるといい、R &cong; S のように表す。</p><br />
<p>　体の準同型写像については、体は同時に環でもあるので、体 K, L に対し写像 f: K &rarr; L が環の準同型写像になっているときと定める。ただし K, L が体であるときは、環準同型の定義(3) f(1') = 1"は(1),(2)から自動的に出てくる。体の同型についても群・環のときと同様である。<br />
<br />
　さて群の説明のとき、群 G のすべての要素 a, b について<br />
　a * b = b * a &hellip;&hellip;(￥)<br />
が成り立つとき G をアーベル群であるといったが、群においては(￥)がつねに成り立つとき、<br />
* という演算を足し算と同じものと見なして、* の代わりに ＋ とかくことがしばしばある。<br />
　とくに ＋ で演算をあらわすとき、G はアーベル群ともいうが「加群」とよぶほうがむしろ多い。<br />
　そしてわれわれが群を「加群」というとき、その加群の外から別な代数系が作用している、というニュアンスをしばしば含んでいる。<br />
　V を加群とするとき、環 R が外から作用しているときは V を R 加群と呼び、とくに加群 V に体 K が外から作用しているとき<br />
は V を「K 上のベクトル空間」と呼ぶ習わしである。<br />
　正確にいうと、加群 V が体 K 上のベクトル空間であるとは、V の要素 v と K の要素&lambda;に対し V の要素&lambda;v が定まっていて、<br />
V の要素 u, v と K の要素&lambda;,&mu;についてつねに<br />
　(1) (&lambda;&mu;)v = &lambda;(&mu;v),<br />
　(2) (&lambda;+&mu;)v = &lambda;v + &mu;v,<br />
　(3) &lambda;( u + v ) = &lambda;u + &lambda;v,<br />
　(4) 1v = v ( 1 は K の単位元）<br />
の4条件が満たされていることである。<br />
　V が K 上のベクトル空間であるとき、V は基底と呼ばれる要素の組を含んでいることが分かる。つまり V の要素の組 { v_1, v_2, v_3, ... , v_n } が V の基底であるとは<br />
　(1) V のどんな要素 w に対しても次式を満たすような K の要素 c_1, c_2, ... ,c_n がある：<br />
　w = c_1v_1 + c_2v_2 + ... + c_n v_n.<br />
　(2) K の要素 c_1, c_2, ... ,c_n に対し、もし<br />
　c_1v_1 + c_2v_2 + ... + c_n v_n = 0<br />
　となるならば c_1 = c_2 = ... = c_n = 0<br />
の2条件を満たすことである。V に対して基底の取り方はいろいろあるが、今の場合その個数が n 個であることは一定している。そこでベクトル空間 V の次元は n であるといい dim V = n などと表す。<br />
　さて体 K が体 L の拡大体であるとき、L は K に含まれているのだから、L の要素のと K の要素の積は当然 K に含まれている。そういうわけで、K を体 L 上のベクトル空間とみなすことができる。このときのK の次元を K / L の拡大次数といい [ K : L ] と表す。</p><br />
<p>　ところで2つの体の間の同型写像を上で定義したが、体 K から体 K への同型写像を K の自己同型といい、K の自己同型（写像）全体の集まりを Aut(K) であらわす。Aut(K) の要素 f, g について、それらの積 fg を次のように定める。つまり K の要素 a に対し (fg)(a) = f(g(a)) とする。Aut(K) はこの積によって群となる。単位元は K の恒等写像、逆元は逆写像である。<br />
　さて K / F すなわち体 K が体 F の拡大体であるとき、K の自己同型 f: K &rarr; K で<br />
F の元 a に対してはつねに f(a) = a となっているものを「 K の F 上の自己同型」とよび、それらの全体を Aut(K/F) で表す。Aut(K) のときと同様に積を定めれば Aut(K/F) も群となる。<br />
　K の自己同型写像のうち F の要素を動かさないものをとくに Aut(K/F) としたのだから<br />
　Aut(K/F) &sub; Aut(K) である。<br />
　さて G を Aut(K) の部分群とするとき、G のどんな要素 g（これは K の自己同型写像の１つ）に対しても g(a) = a であるような K の要素 a の全体を K^G とかき（ K^G は体をなす）、これを G の固定体という。つまり<br />
　K^G = { a | a&isin;K, &forall;g&isin;G, g(a) = a }.<br />
　さて H = Aut(K/F) とおいたとき、H の固定体 K^H はどんな集合になるだろうか。Aut(K/F) の定義からして K^H = F ではないかと思われるかも知れないが、一般にはそうではない。K^H &sup; F はつねに成り立つが、とくに K^H = F すなわち K^Aut(K/F) = F となるようなとき、体の組 K/F をガロア拡大という。そして K/F がガロア拡大である場合とくに Aut(K/F) を Gal(K/F) で表し、これを拡大 K/F のガロア群という。</p><br />
<p>　さてガロア理論のそもそもの動機は<br />
　f(X) = X^n + a_1 X^(n-1) + a_2 X^(n-2) + ... + a_n&nbsp;&nbsp;<br />
&nbsp;に対して代数方程式 f(X) = 0 の解の公式を見つけたいというものだった。<br />
　&nbsp;係数 a_i が複素数の場合、f(X) = 0 が複素数の範囲に（重複を込めて）n 個の解を持つということはすでにガウスによって示されていたから、<br />
　f(X) = ( X -&alpha;1)( X - &alpha;2)...( X - &alpha;n )<br />
という因数分解を与える &alpha;1, ... , &alpha;n が存在することは言える。ただ解の公式を与えるということは、これら&alpha;1, ... ,&alpha;n を f(x) の係数 a_1, a_2, ... , a_n の四則と開ベキ（m&radic;：m 乗根 ）による有限個の組み合わせて表示するということを意味する。</p><br />
<p>（ここで考えている係数を実数や複素数とは限らない一般の体の要素として話を進めることにする。一般の体 K に対してもその代数的閉包 &Omega; が存在することが知られているから、各 &alpha;i は&Omega;の要素として存在する。）<br />
　いま体 K が係数 a_1, ... , a_n を含んでいるとしよう。&alpha;1, ... , &alpha;n は含まれていないとする。<br />
このとき、集合 K に &alpha;1, ... , &alpha;n を付け加えた最小の体を f(X) の K 上の最小分解体といい、<br />
K (&alpha;1, ... , &alpha;n ) とかく。さて代数方程式の最小分解体については、拡大 K (&alpha;1, ... , &alpha;n)/K は<br />
つねにガロア拡大であることが知られている。さて M = K (&alpha;1, ... , &alpha;n) としたときの拡大 M/K の<br />
ガロア群 Gal(M/K)が問題なのである。</p><br />
<p>　群の一種に可解群というものがあるが、ガロア理論によると<br />
　「方程式 f(X) = 0 に解の公式が存在する &hArr; ガロア群 Gal(M/K) が可解群である」<br />
なのである。<br />
　いちおう可解群について説明しておこう。<br />
　群 G の部分集合 S に対し、G の部分群で S を含むような最小の群を S で生成された部分群といい、&lt;S&gt;で表す。具体的には、S に属する要素の逆元の全体を S^(-1) とかき、和集合 S &cup; S^(-1) の要素を有限個かけあわせてできた要素の全体が &lt;S&gt; である： <br />
　&lt;S&gt; = { s_1s_2...s_n | n ≧0, s_i&isin; S &cup; S^(-1)}<br />
（ n = 0 のときは s_1s_2...s_n は単位元 e を表す）<br />
　さて一般に群 G の要素 a, b について a^(-1)b^(-1)ab の形の元を交換子という。<br />
　そして G のすべての交換子の集合で生成された G の部分群を G の交換子群といい D(G) で表す。<br />
　次に D(G) に含まれるすべての交換子の集合で生成された D(G) の部分群を D_2(G) とする。<br />
　同じことを繰り返し D_3(G), D_4(G), ... と作っていったとき、ある m に対し D_m(G) = { e }<br />
（ e は G の単位元）となるとき、もとの G を可解群という。<br />
　ところで f(X) = X^n + a_1 X^(n-1) + a_2 X^(n-2) + ... + a_n を考えたときの、上のガロア群<br />
Gal(M/K) は具体的にどういう群になるのか。それは n 次の対称群 Sn というものになる。　　　　　　<br />
　対称群 Sn については n = 3 ぐらいで考えると分かりやすい。<br />
　3次の対照群 S3 とは 3つのものの並べ替えを要素としていて、つまり<br />
　( 1 2 3 )&nbsp; ( 1 2 3 )&nbsp; ( 1 2 3 )&nbsp; ( 1 2 3 )&nbsp; ( 1 2 3 )&nbsp; ( 1 2 3 )<br />
　( 1 2 3 ), ( 1 3 2 ), ( 2 1 3 ), ( 2 3 1 ), ( 3 1 2 ), ( 3 2 1 )<br />
の計6個の要素からなっていて、左から s_1, s_2, ... , s_6 とするとき<br />
　積はたとえば s_2s_3 の場合、s_2, s_3 の順に数を置換して　1&rarr;1&rarr;2, 2&rarr;3&rarr;3, 3&rarr;2&rarr;1 となるから結局<br />
　s_2s_3 = ( 1 2 3 ) = s_4<br />
　 　　　　( 2 3 1 )　<br />
のような群演算となる。<br />
　一般に Sn の要素の個数は n 個のものの並べ替えの総数だから n ! となる。<br />
　そして、n ≧ 5 のとき Sn は可解群でないことが知られており、<br />
「一般に5次以上の代数方程式には解の公式は存在しない」ということになるのである。<br />
<br />
(c) 2015 ntr ,all rights reserved.</p>]]></content:encoded>
    <dc:subject>　 索引掲載済文書</dc:subject>
    <dc:date>2015-09-15T23:12:08+09:00</dc:date>
    <dc:creator>快文書作成ユニット（仮）</dc:creator>
    <dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
    <dc:rights>快文書作成ユニット（仮）</dc:rights>
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  <item rdf:about="http://bladerunner.tou3.com/Entry/682/">
    <link>http://bladerunner.tou3.com/Entry/682/</link>
    <title>『絶歌』を読んで</title>
    <description> 　1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件、通称「酒鬼薔薇事件」の犯人である「元少年A」による手記が、今年六月に太田出版から『絶歌』というタイトルで出版された。 

　この出版については、遺族の了承を得ていないもので、事件について赤裸々に記されているとすれば被害者の人権を冒涜するものであり、それが公...</description>
    <content:encoded><![CDATA[<input name="id" type="hidden" value="" /> 　1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件、通称「酒鬼薔薇事件」の犯人である「元少年A」による手記が、今年六月に太田出版から『絶歌』というタイトルで出版された。 <br />
<br />
　この出版については、遺族の了承を得ていないもので、事件について赤裸々に記されているとすれば被害者の人権を冒涜するものであり、それが公にされることによって遺族はまたも理不尽な苦しみを覚えることになる。 <br />
　この出版のあり方を選んだのは少年Aの失敗ではなかったろうか。彼がもっとも攻撃を受けているのはこの遺族の了解を得ていないという点だからだ。 <br />
<br />
　しかし僕はこの本を読んで、正直よい本だと思った。 <br />
　これに反して、この本について「悪い点」をあげつらっても「よい点」を称揚する批評はあまり目にしない。本書は二部構成になっていて、前半は事件を起こすまで、後半はその後の彼の人生が描かれている。前半部分で犯行の経緯やその方法を具体的に述べており、まさにこの部分が被害者の心情を傷つけるものとして、おおいに糾弾の材料になるのだろう。 <br />
　しかしまさにこの前半部分が、猟奇殺人のプロセスを知りたいという大衆の知的欲求を起こさせ、おそらくはそうした理由でこの本は売れている。 <br />
　しかし僕はこの書物で本当に読む価値があるのは後半部分だと思った。 <br />
　二〇〇五年にAは関東医療少年院を本退院し、何の束縛も受けず社会に生きることになった。そのあとAは様々な人と出会うのだが、本書の批評でよく目にするのは、少年院を出てからもAは犯行時とまったく変わっていない、この本の行間からあふれ出てくるのは被害者の首を学校の校門に置いたのと同様の自己顕示欲であり、文学的な文章でそれを飾りたてて自己陶酔に浸っているのだ、といったものだ。しかし自分はこれを率直に読み、ここに書かれているのが嘘でないのなら、こうした批評は全くの的外れだと思った。 <br />
　そして現在の少年Aはある意味更生に成功していると考える。 <br />
　 <br />
　被害者は命を奪われたのに、加害者が社会の中でのうのうと生きていられるのは絶対におかしい、と人は言う。たしかにおかしい。しかし法は少年Aに生きよと命じた。 <br />
　Aは少年院を出たあと、自分の過去をひたかくしにして、溶接工の仕事などをしながら必死に生きている。決して楽ではなく、少年院や刑務所の中でのほうがよほどのうのうと生きていられる。出所してから十年、再犯もしていない。 <br />
　さらに斟酌されるべきは、あれだけの罪を犯した犯人が死刑にもならず、これまでずっと生きてきて、そしてこれからも生きていくということが、おそらくまれなケースだということである。つねに強い自責の念に駆られ、生きている限り世間の人間は彼を決して許さない。事件当時Aは十四歳だったから、この生活が五十年から七十年続くのである。これはもはや死刑より重い刑に処せられていると言えるのではないか？ <br />
<br />
　しかし本当にAは、被害者への罪の意識を感じているのだろうか？ <br />
<br />
　Aは本書の中で、自分が「生きたい」という言葉を口に出すことさえはばかられ、「謝罪したい」と言うことすら傲慢だと感じている、と述べている。 <br />
　あれだけの犯罪をおかし、それに見合った謝罪の言葉などあり得ないということだと思う。 <br />
少年院を出る前に、教官から、被害者の両親が我が子への思いをつづった手記『淳』『彩花へ』を読むよう勧められたという。Aはそれを読んだ。親の子に対する思い、無念に触れると、それ以来、殺人の瞬間に自分が見た被害者の無垢な顔、首のない淳君の姿など凄惨な場面が頭の中でフラッシュバックし続け、眠れなくなり睡眠薬をもらったがそれでも眠れず、はっきり自分が壊れていくのが分かった、という。 <br />
<br />
　このようにAは、人の痛みのわからない人間ではない。ただ事件の前には、人の痛みを想像する能力が極度に抜け落ちていたことは否めない。 <br />
　同時に彼は愛情に飢えていた。彼にとって「真に愛されている」と感じることのできたのは、祖母だけだった。二人で公園に行ったとき、Aは祖母にいいところを見せようと大きな木にのぼって、高い枝から声をかけた。しかし祖母はAがどこにいるのかわからず、ただおろおろして目に涙を浮かべながら孫の名を呼んだ。ひどく悪いことをしたと思ったAは謝り、二度とあんなことはしないと誓った。 <br />
　そんな心底からの感情の触れ合いがもてたのはAにとって祖母だけだったが、小学校五年の頃、祖母は死んでしまう。世界が根底から崩れてしまうかのように感じた、と言う。 <br />
Aの最大の不幸は、祖母以外にも彼を愛してくれる人間がいたのに、それに気づくことが出来なかったことだろう。 <br />
　事件を起こして警察に収監されているあいだ、両親がしばしばAのもとを訪れた。Aにとって驚きだったのは、両親は事件のことにはいっさい触れず「ちゃんとごはん食べてるの？　やせたんじゃない？」「何があってもお前は我々の子なんだから、いつでも戻ってくるんだぞ」という親の子に対する真率な思いに触れたことだった。Aは生来、拒絶されることには慣れていても、受け入れられることには慣れていなかった。両親はこんなに自分のことを思ってくれている、これまでも思ってくれていた、自分はその両親をなんと苦しめる事件をおこしたことか！　そう思うと耐えきれなくなって、涙をぼろぼろこぼし母親に「来るなって言ってあったやろ！　もう来んなブタ！」と思いもせぬ悪罵を浴びせた。母親が帰って落ち着くと、Aは母親に謝りたいからまた来るように取り計らってほしい、と教官に述べていた。 <br />
<br />
　Aの父親は職人で、家族の前で涙を見せるということはいっさい無かったらしい。Aが少年院を仮退院したころ、父と二人で山奥のコテージで二日過ごしたことがあった。 <br />
<br />
（以下引用） <br />
<br />
「なぁ、A。今すぐにとは言わへんけど、お前の気持ちが落ち着いたら、また家族みんなでいっしょに暮されへんやろか？　父さんも母さんも、どうしてもおまえのそばにおってやりたいんよ。被害者の方たちのこと考えると、こんなこと言えた義理やないけど、おまえがちゃんと立ち直って、世の中に適応してやっていけるように、親として見守ってやりたいねん。考えてみてくれへんか？」 <br />
　僕にはわかっていた。父親の本心が。父親は僕が更生したことを信じ切れれず、心のどこかで、僕が一人になるとふたたび罪を犯すのではないかと恐れていた。妙な話だが、父親のその疑いを皮膚で感じ取り、嬉しかった。少なくとも父親は、僕の中に何か得体のしれない恐ろしい一面があることを認め、それも含めて僕を「息子」と受け入れているように見えた。 <br />
「ありがとう、父さん。でも、ごめん。父さんの気持ちは嬉しいけど、やっぱり僕はひとりで生活したい。よく想像するねん。昔みたいに家族でテーブル囲んで、和気あいあいと食事しとるときに、つけとったテレビからいきなり僕の事件に関連したニュースが流れて、そこにおるみんなの表情が凍りつくところを。それはほんまに辛い。たとえ父さんたちが大丈夫でも、僕が耐えられへん。少し離れたところから見守っといてほしいねん」 <br />
<br />
（中略） <br />
<br />
「なぁ、父さん」 <br />
　父親が振り返る。 <br />
「おう、どないしたんや？　風呂先にはいってええで」 <br />
「いや、ちゃうねん」　 <br />
　僕が話したがっているのを察して、父親は洗い物を手早く済ませると、こちらに向き直った。 <br />
「父さん、今まで生きてきて、いちばん幸せやったことって何？」 <br />
「おまえが生まれてきた時や。あの日のことは一生忘れへん。初めての子供で、生まれた瞬間、父さん嬉しくて泣いてもぉた」 <br />
<br />
（中略） <br />
<br />
「父さん、僕ら五人はほんまに普通の家族やったよな。ほかのみんなと同じように、家族で一緒に出かけたり、誕生日を祝ったりして、幸せやったよな。僕さえおらんかったらよかったのに。なんで僕みたいな人間が父さんと母さんの子供に生まれてきたんやろな。ほんまにごめん。僕が父さんの息子で」 <br />
　事件後、僕は初めて父親に面と向かって謝った。 <br />
　次の瞬間、父親は僕から目を逸らし、親指と人差し指で目頭を突き刺すように抑え、見ないでくれとでもいうように、俯き、肩を震わせ、声を殺して泣き始めた。父親が泣くところを見たのは生まれて初めてだった。謝っているのは僕のほうなのに、まるで父親が怒られて泣いているようだった。 <br />
<br />
（引用終） <br />
<br />
　さて話は前後するが、医療少年院を仮退院しても、お金があるわけではなしすぐに自立できないから、更生保護施設というところに住んでアルバイトなどをすることになる。ただこういう施設では悪いうわさが広まりやすく、あれが酒鬼薔薇事件の犯人だといいふらすものが出てきた。マスコミに居場所を知られたら終わりだから、新たな居住場所をもとめてビジネスホテルなどを転々とする。ところでAのような元受刑者の身柄を引き受け社会復帰を助ける篤志家が全国には数多くいて、その中のY氏という人物がAの面倒を見てもよいと申し出たのだ。僕もそういう篤志家が世間にいることは知っていたが、あの酒鬼薔薇事件の犯人を受け入れようという人物がいる、ということには正直驚いた。 <br />
<br />
（以下引用） <br />
<br />
　Yさんはとても明るくて、愉快な人だった。人とのどんな些細な繋がりも大事にしていた。僕の他にも、過去に傷のある人や、生き辛さを抱える人たちのために、手弁当であちこち駆け回り、無償で尽くしていた。 <br />
　Yさんの奥さんは、穏やかで、物静かであるが、そこはかとない芯の強さと忍耐力を感じさせる人だった。奥さんは人付き合いが苦手な僕のことをよく理解してくれて、いつも一歩引いたところから、僕を支え、見守ってくれた。 <br />
　彼ら二人は、嫌な顔もせず、文句のひとつも言わず、取り返しのつかない罪を犯した僕を実の家族のように迎え入れてくれた。食事や身の回りの世話ばかりではなく、これからどのように生き、罪を償っていけば良いのかを、僕と一緒に悩み、真剣に考えてくれた。 <br />
<br />
（引用終） <br />
<br />
　ただAは、Y氏の奥さんについては、本当は自分のような凶悪犯と寝食を共にするのは正直嫌なのではないか、と疑っていた。Y氏がAを引き受けると決めたからしかたなくそれに従っているだけではないのか、と。 <br />
　しかし、ある日こんなことがあった。夜七時ごろ、家にはAと奥さんのふたり。奥さんが話しかけてきて、公民館でこれからコンサートがあるんだけど、夜道は怖いから一緒に来てくれない？　Aは耳を疑った。自分のような殺人鬼と夜道を二人で歩く？　Y氏の奥さんを内心で疑っていたAには、嬉しい驚きだった。 <br />
<br />
　こうした、人との温かみのあるふれあいが、Aの心の殻をすこしずつ破っていったのだろう。少年時代の彼は、周りの人間すべてから拒絶されているという感じを常に持っていて、つねに自分は醜いと思い続け、それが事件の背景となったことは間違いない。 <br />
<br />
（事件の直接の動機は実は少年時代のAの性的欲求にあって、生き物の死を伴わなければオーガズムに達することができないという倒錯した欲求によるものだった。本書に書かれている限り事件後には、Aのこの性的倒錯は表れてこない。少年院を出て十年以上再犯を犯していないことは、この性癖が治ったことの表れと見てよいのだろうか。） <br />
<br />
　Aのもとには自分の事件を扱ったTV番組のビデオなどの資料が、弁護士や精神科医から送られてくるらしい。Y氏の家に起居していたとき「罪の意味　少年A仮退院と被害者家族の７年」という番組のビデオが送られてきた。淳君の二歳年上のお兄さんにスポットライトを当て、事件後、彼が何を思い、どのように苦悩してきたのかを取材したものだった。お兄さんは加害者の償いについてこう語った。 <br />
「更生してくれるのは結構なこととは思いますけど、内心はどうして弟はあんな目にあわされたのに、相手側はのうのうと生きていられて、まともな生活ができるのかなと思います。もし本当に罪が償えると思っているなら、それは傲慢だと思うし、所詮言い逃れに過ぎない」 <br />
　Aはその言葉を重く受け止めた。 <br />
　淳君の兄の言う通り「つぐない」など不可能なのかもしれない。しかしAはこの「つぐない」と向き合っていく決心をする。 <br />
<br />
　AはY氏の家を出て一人暮らしをしばらく続け、工場などで働いていたが、ふと思う。これまで自分がしてきた仕事は、すべて更生施設や弁護士などがあっせんしてくれたものばかりだ。これでは決められたレールに乗って生きているだけではないのか。これで本当に生きていると言えるのか。そしてつぐないという答えのない問い。それに真摯に向き合うためにも、自分のことはすべて自らの責任で決め、自ら迷い、はいつくばってでも過去を背負って生きていかなければならないのではないか。 <br />
<br />
　少年院の職業訓練で身につけた溶接の技術を生かそうと思い、溶接工の仕事を見つけた。もともと人づきあいが苦手なうえ、過去を詮索されるのが何より困るAは、ほとんど仕事仲間と口もきかず、人づきあいが悪かった。そのため同僚に嫌われトラブルに巻き込まれることもあったが、いつも助けてくれる先輩がいた。Aは不愛想でも仕事ぶりは真剣そのもので、その先輩から見て決して悪い青年ではない、ただ何か暗い過去を背負っているために不愛想なのだろう、と受け取られたらしい。優秀な先輩で、人望も厚かった。ある日その先輩から、夕食を食べに家に来ないかと誘われた。そのような人を見る目のある人の誘いを受けたのだから、これは喜ぶべきことだろう。Aの過去を知らない人が、現在のAの人となりを見て認めてくれたわけだから。 <br />
　しかし、人の家の食卓にお邪魔するなど、長年人づきあいを断ってきたAには非常に勇気を要することだった。ぎこちなくAのために用意された席に着いたが、先輩の子供たちが人懐っこく寄ってくる。純真無垢な目をして「お兄ちゃん、名前は？　家族は何人いるの？」と問いかけてくる。これがAには耐えられない。かつてこれと同じ目をした二人の子供を殺したことが、頭の中をフラッシュバックする。Aはもうその場にいたたまれず、ぶしつけも承知で、急に気分が悪くなったからといって逃げるように先輩宅をあとにした。 <br />
<br />
　Aは「生きたい」と発言することさえはばかれる自分であり、自分が手にかけた淳君彩花さんのことを思うとなおさらそれは言ってはならないと思うが、ずっと生きてきてますます生きたいという思いがたちがたく湧いてくるようになったのだという。 <br />
　本書を読んで思うのは、そのように生きたいと思うのは、Aが、こんな自分でも愛してくれる人がいるという強い感動をいくども覚えたからではないか。 <br />
そして今のAの「生きたい」はかつての「殺したい」という感情とは真逆のように感じられる。 <br />
<br />
　本書を読んで、犯罪者の更生にとって「愛される」という体験が非常に重要だと感じた。 <br />
<br />
　また自分は本書を読み終えて、元少年Aにいつしか好感を持つようになった。 <br />
　ではお前は、あの神戸連続児童殺傷事件の犯人を許すのか、というかも知れない。 <br />
　それは決して許されない。 <br />
　しかし諺にも言うではないか。罪を憎んで人を恨まず、と。 <br />
　 <br />
（元少年Aがこの出版で得るであろう印税は、彼がこの本に書かれている通りの人間なら、遺族の損害賠償に充てるなり、しかるべき団体に全額寄付するものと僕は思っている。） <br />
<br />
<br />
(c) 2015 ntr ,all rights reserved. <br />
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    <dc:subject>　 索引掲載済文書</dc:subject>
    <dc:date>2015-08-21T05:27:51+09:00</dc:date>
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    <title>脳がたくさんある生き物</title>
    <description>学生時代、生物学専攻の友人が 

　PV＝一定 

という式について話し出した。ここでVは気体の体積であり、Pはその気体にかかる圧力である。つまりこの式によれば、強い圧力をかければ気体は小さくなり、圧力が弱くなれば気体は大きく膨らむ。しごく当たり前の話のようだが、ちょっと待ってくれ。P＝0 となるこ...</description>
    <content:encoded><![CDATA[学生時代、生物学専攻の友人が <br />
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　PV＝一定 <br />
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という式について話し出した。ここでVは気体の体積であり、Pはその気体にかかる圧力である。つまりこの式によれば、強い圧力をかければ気体は小さくなり、圧力が弱くなれば気体は大きく膨らむ。しごく当たり前の話のようだが、ちょっと待ってくれ。P＝0 となることはないのか、と僕は聞いた。友人は一瞬何を聞かれているのか分からないようだったが、つまりこの式で P = 0 としてしまうと V = 無限大になってしまう。いくら宇宙が広いといっても無限大の体積の気体を受け入れるわけにはいくまい。地球上では気体に大気圧というものがのしかかっているから P &gt; 0 である。しかし宇宙空間ではどうなるのか。そこにいた他の理学部の誰かが言うには、宇宙空間にも星間物質というごく微細な粒子が漂っていて、万有引力や何かで気体の粒子を引き留める、つまりごく小さな圧力がかかるから、気体の粒子は無限のかなたまで飛び去る心配はないのだと。 <br />
<br />
　そういう話を聴いていると、ああわれわれは地球上で大気圧に守られていて良かったという思いを新たにする。もし宇宙服も着ずにいきなり宇宙空間に放り出されたら、体の内部から外へ向かう圧力のため、体も頭もあっという間に破裂してしまうだろう。 <br />
　「2001年宇宙の旅」では、超高性能コンピュータ「ハル」によって制御された宇宙船が、外惑星系に探検に行くのだった。このコンピュータは感情を持っており、同種のコンピュータが世界でまだ一度も誤作動を起こしたことのないのを誇りに思っていた。しかしハルは小さなミスを犯してしまう。船内のある機器が何時間後かに故障すると予言したのだが、船員が調べてみるとその機器には何ら異常は見られなかった。小さなミスだが、微妙な航路の狂いも許されない宇宙飛行を、この完全とは言えないハルに任せておけるだろうか。一度ハルのスイッチを切って原因を究明したほうが良くはないか。船長と船員は、ハルに聞こえないよう注意しながら相談した。そのあと、船外の作業があり、二人はそれぞれ球形のロボットに乗って、宇宙空間に出た。しかしハルは二人の密談を盗み聞きしていた。自分の電源を切られるぐらいなら、この二人の船員を殺してしまおう。宇宙船はハルを頭脳とする体のようなもので、ハルは船のロボットアームをあやつり、一台のロボットについてはその命綱を切って宇宙のかなたに突き飛ばしてしまった。もう一台の船長の乗るロボットに対しては、宇宙船から締め出しをくらわせた。ハッチを閉じてロボットを入れなければ、船長はいずれ窒息して死ぬ。手動で開けられる小さな出入口があったが、そこにはロボットが入り込むことはできず、おまけに船長は宇宙服のヘルメットを持ってきていなかった。助かる道としては、まず宇宙船の出入り口を開け、ロボットのドアを開ければ、ロボット内の空気が勢いよく噴出するから、自分は船内に弾丸のように突っ込むだろう。そしてすぐに船の出入り口を閉じ、バルブをひねってそこに空気を充満させる。これは大きな賭けだ。一瞬ではあるが頭を真空の宇宙にさらすのだから。「ヘルメットがなければまず助からんよ」というハルの冷たい警告を無視して、船長はその作戦を試み、みごと成功する。そしてハルの電源を止めたのだった。 <br />
　ながながと映画の話をしてしまったが、要は頭が破裂するのは怖いということである。 <br />
<br />
　どこの大学でもそのようだが、工学部の建築学科というのはえらい人気らしい。母校の建築科の教授に聞いたが、みんな頭が破裂するほど勉強して入学してくるから、まず頭の中のゴミを取り除くことから始めなければならないのだという。 <br />
　頭脳の許容量の限界に挑戦するようなこういう受験勉強の話を聞くと、筒井康隆の短編「こぶ天才」を思い出す。巨大なカブトムシのような昆虫がいて、それを背中に張り付けるとそのカブトムシが第二の脳となって本人の知力を倍増させるのだ。しかし一度取り付けると昆虫の神経と脊髄が一体化するため、二度と取り外すことはできない。母親が嫌がる子供を連れて、その昆虫の斡旋業者のもとを訪れる。子供はせむしみたいになるから嫌だと泣き叫ぶが、母親は受験戦争に勝ち抜くため、何が何でも我が子に昆虫を装着させたい。斡旋業者も、そんなに嫌がってるなら無理につけることは無いでしょうととりなすが、母親は強硬で、一流大学に入って一流企業に入るのが良いに決まっているのだから、自分の判断に間違いはないと突っぱねる。 <br />
　ああ。誰もがそう思うだろうが、僕など特にこういった母親の硬直した考えには戦慄を覚える。人の幸せは、知力が高い人も低い人も、結局は等量ではなかろうか。 <br />
<br />
　前にも書いたことがあると思うが、この「こぶ天才」で背中に昆虫をしょった人間のように、脳が二つあるいは三つある動物は珍しくない。いや脳というと語弊があるが、神経が特に密に集まっている箇所が、あたかも第二第三の脳のような役割を果たすことがあるのだ。人間の脊髄も、緊急時には脳と同じように体に指令を与える。つまり熱いものに手が触れたとき慌てて手をひっこめるが、これは一刻も早く手を危険から遠ざけるため、脊髄が手を引っ込めるよう命令しているのだ。ニワトリは首をはねてもしばらく羽ばたき続けるが、これは頭部以外に脳の代わりとなる大きな神経叢があるためだと思われる。ミミズを切ったときそれぞれ独立に生き続けるのも同じ理屈だろう。だいたいこういう首を切っても生きているような動物はおおむね本来の脳が小さいため、それを補うため別の個所に第二第三の脳を持っているように思われる。 <br />
<br />
　そこで思い出されるのが映画「八つ墓村」で落ち武者を演じた田中邦衛である。八つ墓村ではその昔、八人の落ち武者が命からがら逃げてきたとき、村人たちは最初親切にもかくまってやると申し出、落ち武者たちを歓待したが、それは村人たちの奸計だった。つまり落ち武者たちの身につけている立派な武具が欲しくて、親切なふりをして近づきになり、油断したところをなぶり殺しにしたのだった。武士たちの無念はすさまじく、田中邦衛は助からないとみるや刀を後ろから自分の首に当てて、そのまま斬りおとしてしまうのである。こんなことは人間には無理ではないかと疑問に思うシーンだ。首を後ろから切るのだから、頸椎の重要な神経をまず切ることになるが、そのあとも田中邦衛は刀を押し出し、のど元まで切るから頭が落ちるのである。これは思うに、田中邦衛には頭部の脳髄以外に大きな神経叢が首の下にあるということだろう。そう考えてくると、なるほど田中邦衛の脳は標準よりだいぶ小さそうである。そして第二の脳が体の動きを活発ならしめるがために「食べる前に、飲む！」と叫んでの、あの驚くほどはじけたダンスが可能になるのだろう。これも古いCMではあるが。 <br />
<br />
　光は波であるのか粒子であるのかという問題は、二十世紀の量子力学によって解決を見るまで長いあいだ議論の的だった。ある物理学者が二つの光線が重なり合ったとき「干渉縞（かんしょうじま）」が出来ることを見出し、これは波に独特の現象であるので「光は波である」という説が有力となった。しかしアインシュタインが光が粒子としてふるまうことを証拠づける実験を行い、結論としては、光は時には波としてふるまい、時には粒子としてふるまう、ということになった。 <br />
　長いあいだ光が波であるという説が有力だったせいもあり、宇宙はエーテルという微細な粒子によって満たされていると考えられてきた。波というのは、何か波を伝える物質がなければ発生しえないと考えられていたからである。重力もエーテルの存在を支持していた。宇宙の星どうしは万有引力によって引き合うが、しかし昔にあっては力も完全な真空中を伝わるはずはないと考えられたからである。 <br />
　しかし今日ではエーテルなどというものは存在しないと信じられている。これは相対性理論の「光速度不変の原理」に関係している。地球上のA地点からB地点に向かう光線があったとき、地球自体が宇宙に充満するエーテルに対して動いており、エーテルが光を伝える媒質なのだから、そのとき地球がエーテルに対しどう動いているかによって、つまり時期によってAからBへ光が伝わる時間は異なるはずである。しかし光線の速さはいつも同じだった。これはエーテルが存在しない有力な証拠である。 <br />
　 <br />
　さて最近の若い人は統一教会を知らない人が増えてきているようで、教祖文鮮明が死んでますますこの傾向は強まっていくだろう。さて僕は学生時代、統一教会をひやかしに覗いていた時期があり、何人かの信者と仲良くなった。彼らによると、相対性理論は間違いということになるらしい。なぜなら、人間の霊魂はエーテルの世界にいると彼らは考えており、死後も霊魂となって永遠に生き続けるというのが彼らにとって極めて重要な信仰である以上、エーテルは存在しなければならないのである。おそらく統一教会と関係の深い工学者の深野一幸は、この相対性理論は間違いであるという説をTVの討論番組でぼそぼそと語った。それを聞いた物理学者の大槻義彦は驚いて「あなたそれが本当ならノーベル賞百個分に値しますよ」と言った。 <br />
　別にノーベル賞百個分の意外な考えのほうが真実でも構わないが、統一教会の人たちは恐ろしく世間に逆行した考えをしばしば開陳したものである。「今から十年後か二十年後には韓国語が世界共通語になるでしょう」とある女性信者が言ったのは、かれこれ二十年前のことである。 <br />
<br />
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