『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.68
2009/10/16 (Fri) 03:28:01
以前大学の教職の授業で、「道徳教育論」というのに出席していたのだけど、これは教員が小中学校で「道徳」の授業の組み立てたり、また「生活指導」をするためにも必要な知識を得る、そういう名目の講義だったと思う。
講義では「倫理学の歴史を概観する」という時間が多かったけれど、毎回配られるプリントに沿って「皆でディスカッションしよう」という時間も取られていた。
こんなディスカッションはナンセンスではないか、と感じることもあった。
「功利主義」というテーマの回では、ベンサムとミルの言葉が紹介されて、「功利主義において正しい行為とされるのは、行為者個人の幸福ではなくて、関係者全部の幸福を目的とした行為である」といった簡単な認識のもと、次のような問題を考えてディスカッションしよう、ということになった。
問題
ある町で、ある男が殺人犯として捕らえられた。町の人々は、この男の処刑を要求。保安官は取り調べの結果、男が無罪だと確信した。しかし町の人々はこれを信じない。男を処刑しなければ暴動が起き、確実に多数の死者が出る。保安官は、男を処刑して暴動を回避すべき?
功利主義的に、町全体の幸福を考えれば男は処刑されなければならないが、それはちょっと変ではないか……という議論をさせたいのだろうと思ったが、なんとも人工的なシチュエーションで、考えるのもアホらしい気がした。
功利主義について自分で調べた訳でもなく、ベンサムやミルがこの「問題」を見て頭を抱えるものかどうか分からないけど、「道徳についてみんなで考えよう」という際の素材として、これは失敗作のように感じた。
小中学校の時の「道徳の授業」を思い出してみると、いかにも「教育的」な匂いのする読み物やビデオにふれる時間で、自分はちょっとひねくれた子供だったのかどれも嘘くさく感じ、恐ろしく退屈な時間だったように思う。上の「問題」のように人工的で、ある思想を持つようしむけているのが見え見えの物語もよく読まされた気がする。
小学校の道徳の時間では、よくNHK教育の子供向けの教育的なドラマを見せられ、あれもあまり好きじゃなかった。
番組名は忘れたが、確かテーマソングに「みんなみんな、みんな友だちなーんーだー♪」というフレーズが入っていて、小学生の登場人物たちが、ときには嘘をついて友情関係にひびが入ったり、転校生がいじめられるのを看過して自己嫌悪に陥ったりして、「友情とは何か」考えるよう執拗に迫ってくるイヤなドラマだった。
今の「道徳の授業」でもあんな映像を見せたりしているのかな?
僕はあんなものを見せるぐらいなら、「妖怪人間ベム」をみんなで鑑賞したほうがずっといいと思う。
あのアニメでは、妖怪人間でありながら正義の味方であるベム、ベラ、ベロの三人が、邪悪な考えを持った人間や妖怪を毎回こらしめている。テーマソングで彼らは「人間になりたい!」と叫び、ストーリーの中でも「良い事をしていればいつかきっと人間になれる」を合言葉に悪と対決する。
僕は「いくら良い事をしても肉体が人間に変わるはずはないのに」と子供心に思ったものだけど、そう思った人、けっこう多かったのではないだろうか。「いつか人間になれる」というのは、三人のうち誰が言い出したのかハッキリしないけれど、どうもベムが最初に言いだした事のような気がする。ベムは三人のうちで最も思慮深いし、僕が感じたように「いくら善行を重ねても身体は人間にはならない」ぐらいの事は気付いていたんじゃないかな。
ベロが町を走ったり転げまわったりして遊んでいる間、よくベムは地下道などで帽子を目深にかぶり、じっとうずくまっているが、彼はああいうとき「妖怪人間の生き方」について深く考えていたんだと思う。
なるほど我々は、身体こそ妖怪だが、善悪を判断することが出来る。そして悪を憎む心を持っている。しかし人間の世界を見てみると、平気で悪行を重ねる奴がいくらでもいる。俺は肉体は人間ではないが、真の人間らしい人間とは、善を好み悪を憎む心の持ち主のことではないだろうか。してみると、生物学的に人間と妖怪を分けへだてするのは、実は下らない事ではなかろうか。俺は「人間とは、善を好み悪を憎むものをいう」と定義したい。すると俺たちはすでに人間と言ってもよいのではなかろうか。いやしかし、この定義によると、我々が人間であると主張するためには、常に善行を行わなければならない。悪行を行った瞬間に人間ではなくなる。身体が妖怪なだけに、なおさら善行を継続しなければ、人間の側も俺たちを仲間だとは認めまい。善行を続けることのみが、俺たちが人間性を主張するための唯一の道なのだ。
と、ベムはこんな事を考えていたのではなかろうか。そしてベムは続けて次のように思う。
しかしベラやベロは馬鹿だから、こんなことを話したって理解できまい。彼らに善行を継続させるには、「良い事をしていればいつか人間になれる」と言い聞かせるのがよかろう。まあベラは「あたしは悪い奴ってのが大っ嫌いでねえ」というのが口癖なぐらい、本能的に悪を憎む心を持っているから、道を外れることはなさそうだが、問題はベロだ。あいつは考えが幼いし、善を行って見返りがないと悩んでしまう。奴には特に「いつか人間になれる」というスローガンが必要だ。
という訳で、僕はあのアニメは、妖怪人間があえて人間らしく生きようとする困難を描いた、非常に深読みの出来るドラマだと思う(上に書いたベムの心の中は全部僕の想像だけど)。他にも、なぜ彼らは常に「人知れず」善行を行おうとするのか、といった突っ込みどころもある。
まあベムを素材に小学生にディスカッションしてもらうのも良さそうだけど、それが「道徳の授業」で行われると、とたんにつまらなくなる可能性もあるんだろうな……。
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
講義では「倫理学の歴史を概観する」という時間が多かったけれど、毎回配られるプリントに沿って「皆でディスカッションしよう」という時間も取られていた。
こんなディスカッションはナンセンスではないか、と感じることもあった。
「功利主義」というテーマの回では、ベンサムとミルの言葉が紹介されて、「功利主義において正しい行為とされるのは、行為者個人の幸福ではなくて、関係者全部の幸福を目的とした行為である」といった簡単な認識のもと、次のような問題を考えてディスカッションしよう、ということになった。
問題
ある町で、ある男が殺人犯として捕らえられた。町の人々は、この男の処刑を要求。保安官は取り調べの結果、男が無罪だと確信した。しかし町の人々はこれを信じない。男を処刑しなければ暴動が起き、確実に多数の死者が出る。保安官は、男を処刑して暴動を回避すべき?
功利主義的に、町全体の幸福を考えれば男は処刑されなければならないが、それはちょっと変ではないか……という議論をさせたいのだろうと思ったが、なんとも人工的なシチュエーションで、考えるのもアホらしい気がした。
功利主義について自分で調べた訳でもなく、ベンサムやミルがこの「問題」を見て頭を抱えるものかどうか分からないけど、「道徳についてみんなで考えよう」という際の素材として、これは失敗作のように感じた。
小中学校の時の「道徳の授業」を思い出してみると、いかにも「教育的」な匂いのする読み物やビデオにふれる時間で、自分はちょっとひねくれた子供だったのかどれも嘘くさく感じ、恐ろしく退屈な時間だったように思う。上の「問題」のように人工的で、ある思想を持つようしむけているのが見え見えの物語もよく読まされた気がする。
小学校の道徳の時間では、よくNHK教育の子供向けの教育的なドラマを見せられ、あれもあまり好きじゃなかった。
番組名は忘れたが、確かテーマソングに「みんなみんな、みんな友だちなーんーだー♪」というフレーズが入っていて、小学生の登場人物たちが、ときには嘘をついて友情関係にひびが入ったり、転校生がいじめられるのを看過して自己嫌悪に陥ったりして、「友情とは何か」考えるよう執拗に迫ってくるイヤなドラマだった。
今の「道徳の授業」でもあんな映像を見せたりしているのかな?
僕はあんなものを見せるぐらいなら、「妖怪人間ベム」をみんなで鑑賞したほうがずっといいと思う。
あのアニメでは、妖怪人間でありながら正義の味方であるベム、ベラ、ベロの三人が、邪悪な考えを持った人間や妖怪を毎回こらしめている。テーマソングで彼らは「人間になりたい!」と叫び、ストーリーの中でも「良い事をしていればいつかきっと人間になれる」を合言葉に悪と対決する。
僕は「いくら良い事をしても肉体が人間に変わるはずはないのに」と子供心に思ったものだけど、そう思った人、けっこう多かったのではないだろうか。「いつか人間になれる」というのは、三人のうち誰が言い出したのかハッキリしないけれど、どうもベムが最初に言いだした事のような気がする。ベムは三人のうちで最も思慮深いし、僕が感じたように「いくら善行を重ねても身体は人間にはならない」ぐらいの事は気付いていたんじゃないかな。
ベロが町を走ったり転げまわったりして遊んでいる間、よくベムは地下道などで帽子を目深にかぶり、じっとうずくまっているが、彼はああいうとき「妖怪人間の生き方」について深く考えていたんだと思う。
なるほど我々は、身体こそ妖怪だが、善悪を判断することが出来る。そして悪を憎む心を持っている。しかし人間の世界を見てみると、平気で悪行を重ねる奴がいくらでもいる。俺は肉体は人間ではないが、真の人間らしい人間とは、善を好み悪を憎む心の持ち主のことではないだろうか。してみると、生物学的に人間と妖怪を分けへだてするのは、実は下らない事ではなかろうか。俺は「人間とは、善を好み悪を憎むものをいう」と定義したい。すると俺たちはすでに人間と言ってもよいのではなかろうか。いやしかし、この定義によると、我々が人間であると主張するためには、常に善行を行わなければならない。悪行を行った瞬間に人間ではなくなる。身体が妖怪なだけに、なおさら善行を継続しなければ、人間の側も俺たちを仲間だとは認めまい。善行を続けることのみが、俺たちが人間性を主張するための唯一の道なのだ。
と、ベムはこんな事を考えていたのではなかろうか。そしてベムは続けて次のように思う。
しかしベラやベロは馬鹿だから、こんなことを話したって理解できまい。彼らに善行を継続させるには、「良い事をしていればいつか人間になれる」と言い聞かせるのがよかろう。まあベラは「あたしは悪い奴ってのが大っ嫌いでねえ」というのが口癖なぐらい、本能的に悪を憎む心を持っているから、道を外れることはなさそうだが、問題はベロだ。あいつは考えが幼いし、善を行って見返りがないと悩んでしまう。奴には特に「いつか人間になれる」というスローガンが必要だ。
という訳で、僕はあのアニメは、妖怪人間があえて人間らしく生きようとする困難を描いた、非常に深読みの出来るドラマだと思う(上に書いたベムの心の中は全部僕の想像だけど)。他にも、なぜ彼らは常に「人知れず」善行を行おうとするのか、といった突っ込みどころもある。
まあベムを素材に小学生にディスカッションしてもらうのも良さそうだけど、それが「道徳の授業」で行われると、とたんにつまらなくなる可能性もあるんだろうな……。
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No.66
2009/10/16 (Fri) 03:21:19
エドガー・アラン・ポオの「赤死病の仮面」という短編が大好きなのだけれど、これが映画化されたものを最近観た。
ロジャー・コーマン監督、ヴィンセント・プライス主演による「ポオ・シリーズ」の一篇で、1963年撮影の作品。映画は、色彩豊かでキレイな映像だったけれど、僕は原作のほうが好きだなと思った。
ある国で「赤死病」という死の伝染病が猛威を振るい、民衆の半ばが死に絶えようというとき、領主のプロスペロ公はその惨状を無視して宏大な城郭に閉じこもることにした。赤死病も堅固な城郭の中までは入り込んでこないだろうと高をくくり、千人ばかりの貴族や貴婦人を呼び寄せ、敢えて陽気な酒宴を毎夜くりかえしていた。ある日、城内で壮大な仮装舞踏会が開かれることになった。
それが催されることになった七つの部屋は美しく豪華きわまりない。七つの部屋は不規則に折れ曲がってつながっており、東の端の部屋は青色を基調とし、壁掛けや装飾品はすべて青。次は全ての物が紫色になっている紫の部屋、続いて緑の部屋、オレンジの部屋、白の部屋、すみれ色の部屋、最後は黒の部屋。各部屋の壁にはおのおのの色に合わせたステンド・グラスが嵌めてあり、それは七つの部屋に沿った廊下に面していて、廊下に置かれた幾つものかがり火で外から照らされている。色ガラスを通して差し込んでくるその光で、青の部屋はいっそう青く、紫の部屋はいっそう紫に輝き、宴をさらに妖しく演出している。
西の端の黒い部屋には黒檀の巨大な時計があり、それが一時間毎に陰鬱な音で鳴り響くたび、にぎやかに騒ぎ踊っていた参加者も不吉な面持ちで沈黙してしまう。鳴り終われば元通り楽しげな雰囲気に戻り、宴はえんえんと続く。最後は不気味な仮面の男とともに、この部屋にも赤死病が入り込んできて、舞踏会の人々もすべて死に絶える。
と、こんな感じの話だった。外の世界で荒れ狂う伝染病を無理に忘れようとして、酒や音楽で浮かれ騒ぐ人たちの姿は不気味でもあり、ときに身につまされるような気もする。借金に追われたり、やるべき仕事をほったらかしにして享楽的な生活を送っている、そんな自分に気づいた瞬間とか。
建てもの探訪
ポオの小説や、それを映像化したものに登場する建物には、美しい調度や妖しげな小物もあいまって、いつも魅力を感じる。
僕は「渡辺篤史の建てもの探訪」という番組が好きで、いつも見ているのだけど、ポオの世界に出てくるような建物が紹介されたら面白いと思う。
長寿番組で、渡辺篤史さんもすでに建てものレポートの大ベテランなわけだけど、ときにはつまらないと感じつつレポートしている場合もあるだろう。このあいだ見たときは、二階に上がったところにある「階段のフード」の斜面をほめたたえ、それにもたれかかって天井を見て「うわー、いいですねぇ」と言って、そこに付いていた小棚を見るや「お! これ取り外しが出来るんですねぇ。いやなんとも小粋で素晴らしい」と、執拗にその斜面で話を膨らませていて「渡辺さんも今回は時間をつぶすのに苦心しているな」と思った。
ポオ風の建物ならそんな気苦労は要らないだろう。玄関を入ったら、いつもなら「下駄箱がいかに機能的に出来ているか」のような賞賛をしなきゃいけないけど、この建物なら入るなり迫力ある地下室に直行。先祖伝来の拷問用具を鑑賞。渡辺さんはプロだから、ひるまずいつもの笑顔をまったく崩さないで「お、私もこういうものには目がないほうでしてねえ」と言うだろう。
「この台も趣きがあっていいですね。横になってもいいですか? うわー、あの天井から釣り下がっている巨大な三日月形の刃物! 趣きがありますねえ」
振り子状の刃物が勢いよく左右に揺れながら下がってきても、目を細めながらにこやかに、
「建築家のこだわりを感じます」。
二階に上がるとそこはリビング。上方にはロフト状の空間があり、そこに登ってみる渡辺さん。いつもだと、だいたいその家の子供がチョコンと机に向かっていて「どうだい、こんな家だと勉強も進むだろ」のようなセリフが出てくる。しかしこの建物では、ロフトにはほとんど素っ裸の若い男女が大勢横になっていて、アヘンか何かを吸って虚ろな目をしている。渡辺さんはこれにも全く動揺せず「うわー」と叫びながら女体の群れにおどりこむだろう。自分もアヘンを吸わせてもらい、美女のお腹を枕にして「いや、まったく極楽です」。
ポオといえば最後はやはり「呪われた家の破滅」ということで、失火で燃えていく建物が見たいところ。邸宅がぼんぼん燃えさかり、渡辺さんは落ちてきた梁の下敷きになっても汗ひとつかかず、笑顔でレポートをしめくくる。
「いかがでしたでしょうか、閑静な中にも歴史の重みを感じさせるアッシャー邸。延床面積30000平米、建築費202億円、坪単価250万円」
炎上する建物をバックに、いつものように小田和正の平和的なエンディング・テーマ。
「どんなに小さな声でも きっといつもきいてるから♪」
で、次週は何事もなかったように普通の家を紹介する。
ってふざけた話ですみません。断っておきますが「建てもの探訪」は大好きです。映画「赤死病の仮面」を観た翌朝にこの番組を見たものだから、つまらない妄想が膨らんでしまったようです。
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
ロジャー・コーマン監督、ヴィンセント・プライス主演による「ポオ・シリーズ」の一篇で、1963年撮影の作品。映画は、色彩豊かでキレイな映像だったけれど、僕は原作のほうが好きだなと思った。
ある国で「赤死病」という死の伝染病が猛威を振るい、民衆の半ばが死に絶えようというとき、領主のプロスペロ公はその惨状を無視して宏大な城郭に閉じこもることにした。赤死病も堅固な城郭の中までは入り込んでこないだろうと高をくくり、千人ばかりの貴族や貴婦人を呼び寄せ、敢えて陽気な酒宴を毎夜くりかえしていた。ある日、城内で壮大な仮装舞踏会が開かれることになった。
それが催されることになった七つの部屋は美しく豪華きわまりない。七つの部屋は不規則に折れ曲がってつながっており、東の端の部屋は青色を基調とし、壁掛けや装飾品はすべて青。次は全ての物が紫色になっている紫の部屋、続いて緑の部屋、オレンジの部屋、白の部屋、すみれ色の部屋、最後は黒の部屋。各部屋の壁にはおのおのの色に合わせたステンド・グラスが嵌めてあり、それは七つの部屋に沿った廊下に面していて、廊下に置かれた幾つものかがり火で外から照らされている。色ガラスを通して差し込んでくるその光で、青の部屋はいっそう青く、紫の部屋はいっそう紫に輝き、宴をさらに妖しく演出している。
西の端の黒い部屋には黒檀の巨大な時計があり、それが一時間毎に陰鬱な音で鳴り響くたび、にぎやかに騒ぎ踊っていた参加者も不吉な面持ちで沈黙してしまう。鳴り終われば元通り楽しげな雰囲気に戻り、宴はえんえんと続く。最後は不気味な仮面の男とともに、この部屋にも赤死病が入り込んできて、舞踏会の人々もすべて死に絶える。
と、こんな感じの話だった。外の世界で荒れ狂う伝染病を無理に忘れようとして、酒や音楽で浮かれ騒ぐ人たちの姿は不気味でもあり、ときに身につまされるような気もする。借金に追われたり、やるべき仕事をほったらかしにして享楽的な生活を送っている、そんな自分に気づいた瞬間とか。
建てもの探訪
ポオの小説や、それを映像化したものに登場する建物には、美しい調度や妖しげな小物もあいまって、いつも魅力を感じる。
僕は「渡辺篤史の建てもの探訪」という番組が好きで、いつも見ているのだけど、ポオの世界に出てくるような建物が紹介されたら面白いと思う。
長寿番組で、渡辺篤史さんもすでに建てものレポートの大ベテランなわけだけど、ときにはつまらないと感じつつレポートしている場合もあるだろう。このあいだ見たときは、二階に上がったところにある「階段のフード」の斜面をほめたたえ、それにもたれかかって天井を見て「うわー、いいですねぇ」と言って、そこに付いていた小棚を見るや「お! これ取り外しが出来るんですねぇ。いやなんとも小粋で素晴らしい」と、執拗にその斜面で話を膨らませていて「渡辺さんも今回は時間をつぶすのに苦心しているな」と思った。
ポオ風の建物ならそんな気苦労は要らないだろう。玄関を入ったら、いつもなら「下駄箱がいかに機能的に出来ているか」のような賞賛をしなきゃいけないけど、この建物なら入るなり迫力ある地下室に直行。先祖伝来の拷問用具を鑑賞。渡辺さんはプロだから、ひるまずいつもの笑顔をまったく崩さないで「お、私もこういうものには目がないほうでしてねえ」と言うだろう。
「この台も趣きがあっていいですね。横になってもいいですか? うわー、あの天井から釣り下がっている巨大な三日月形の刃物! 趣きがありますねえ」
振り子状の刃物が勢いよく左右に揺れながら下がってきても、目を細めながらにこやかに、
「建築家のこだわりを感じます」。
二階に上がるとそこはリビング。上方にはロフト状の空間があり、そこに登ってみる渡辺さん。いつもだと、だいたいその家の子供がチョコンと机に向かっていて「どうだい、こんな家だと勉強も進むだろ」のようなセリフが出てくる。しかしこの建物では、ロフトにはほとんど素っ裸の若い男女が大勢横になっていて、アヘンか何かを吸って虚ろな目をしている。渡辺さんはこれにも全く動揺せず「うわー」と叫びながら女体の群れにおどりこむだろう。自分もアヘンを吸わせてもらい、美女のお腹を枕にして「いや、まったく極楽です」。
ポオといえば最後はやはり「呪われた家の破滅」ということで、失火で燃えていく建物が見たいところ。邸宅がぼんぼん燃えさかり、渡辺さんは落ちてきた梁の下敷きになっても汗ひとつかかず、笑顔でレポートをしめくくる。
「いかがでしたでしょうか、閑静な中にも歴史の重みを感じさせるアッシャー邸。延床面積30000平米、建築費202億円、坪単価250万円」
炎上する建物をバックに、いつものように小田和正の平和的なエンディング・テーマ。
「どんなに小さな声でも きっといつもきいてるから♪」
で、次週は何事もなかったように普通の家を紹介する。
ってふざけた話ですみません。断っておきますが「建てもの探訪」は大好きです。映画「赤死病の仮面」を観た翌朝にこの番組を見たものだから、つまらない妄想が膨らんでしまったようです。
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No.65
2009/10/16 (Fri) 01:48:52
磯野家のあるS-7地区の核シェルターに、突如として放射能汚染の警報がわんわんと鳴り響いた。死の灰の降り積もった地上から、放射線が漏れてきているときに鳴るものであり、緊急度が高いとコンピュータが判断したためか、あっという間にS-7地区は分厚いシャッターで他の地区から隔離されてしまった。
「どこが汚染されたのか?」人々は防護服を着て探知機であちこち調べて回ったが、どこにも異常は認められなかった。どうもコンピュータの誤作動らしい……しかし一度降りてしまった重いシャッターを開けることはなんとしても不可能だった。そして間もなくこの地区で食糧危機が叫ばれるようになった。
「この地区の食糧庫には、一ヶ月分の余剰しかないそうだ。なんとか他に食糧を確保する方法を考えんと」波平は言った。
波平を含めこの地域の大人たちは、もやしやカイワレ大根のようにすぐに育つ植物の栽培を試みたり、プラスチックからパンを作る研究も始めた。
「どうせそのうち死ぬんだから、今を楽しめばいいのになあ」カツオは大人たちを見て言った。「なあワカメ、バーチャルリアリティもいいけど、そろそろ飽きてきたよ。俺、本当にうきえさんとやりてえよ。ワカメ、いい方法考えろよ」
「簡単よ。うきえさんを薬漬けにすればいいんじゃない」
ワカメとカツオは、うきえのいる伊佐坂家に、大量の薬物を持って押しかけて行った。
「大変ですぅー!」タラちゃんが叫びながら、磯野家に帰ってきた。「カツオ兄ちゃんが、うきえお姉さんと変なことしてるです!」
血相を変えた波平が、伊佐坂家の窓からその行為の最中のカツオに怒鳴りつけた。
「カツオ!! 何をしとるか!」
しかしカツオは動じなかった。「へっ。もうモラルもへったくれもあるかい! うきえさんが孕んだとしてもどうせ一ヶ月の命じゃないか。なっ、うきえ」
「カツオくん、もっと上」
波平にはもう言う事がなかった。そう、一ヶ月もすれば、おそらくみんな餓死だ。この期に及んでくどくど説教するのは野暮かも知れない。いやしかし、親として何か伝えられることはないだろうか。
食糧がほとんど底をつきかけてきたある日。磯野家のみんなはげっそり痩せこけていた。波平は庭で麻酔を自分の脊髄に注射し、のこぎりを片手に瞑想していた。
「む、麻酔が効いてきたぞ。感覚がなくなってきた」波平はやおらのこぎりで自分の右の太腿を切り始めた。「こりゃ一人では手に余るな。おーい、マスオくん」
「なんですか。わぁ、何やってらっしゃるんですか!?」
「みんなにわしの足を食ってもらおうと思ってな。すまんがのこぎりで切ってくれんか」
「そそそんなこと、できませんよ」
「血におびえたか。意気地なしめ。おーい、サザエ!」
サザエは割合に平気に、血しぶきを浴びながら波平の右足を切断した。
「肉はたくさん付いとるから、味噌味、しょうゆ味、いろいろ試すといいぞ」波平が言うと、フネが調理の準備を始めた。
「いやあ、食った食った。お父さんも久々にいい事したねえ」爪楊枝を片手にカツオが言った。
「おいしかったですぅ」タラちゃんが言った。
「ところでマスオさんは?」とサザエ。
「さっき鴨居で首吊ってたわよ」とワカメ。
「わはははははは。じゃあ次はマスオくんを食うか!」と波平が言うと、久しぶりに磯野家の居間に、どっと笑い声が起こった。
(つづく)
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
「どこが汚染されたのか?」人々は防護服を着て探知機であちこち調べて回ったが、どこにも異常は認められなかった。どうもコンピュータの誤作動らしい……しかし一度降りてしまった重いシャッターを開けることはなんとしても不可能だった。そして間もなくこの地区で食糧危機が叫ばれるようになった。
「この地区の食糧庫には、一ヶ月分の余剰しかないそうだ。なんとか他に食糧を確保する方法を考えんと」波平は言った。
波平を含めこの地域の大人たちは、もやしやカイワレ大根のようにすぐに育つ植物の栽培を試みたり、プラスチックからパンを作る研究も始めた。
「どうせそのうち死ぬんだから、今を楽しめばいいのになあ」カツオは大人たちを見て言った。「なあワカメ、バーチャルリアリティもいいけど、そろそろ飽きてきたよ。俺、本当にうきえさんとやりてえよ。ワカメ、いい方法考えろよ」
「簡単よ。うきえさんを薬漬けにすればいいんじゃない」
ワカメとカツオは、うきえのいる伊佐坂家に、大量の薬物を持って押しかけて行った。
「大変ですぅー!」タラちゃんが叫びながら、磯野家に帰ってきた。「カツオ兄ちゃんが、うきえお姉さんと変なことしてるです!」
血相を変えた波平が、伊佐坂家の窓からその行為の最中のカツオに怒鳴りつけた。
「カツオ!! 何をしとるか!」
しかしカツオは動じなかった。「へっ。もうモラルもへったくれもあるかい! うきえさんが孕んだとしてもどうせ一ヶ月の命じゃないか。なっ、うきえ」
「カツオくん、もっと上」
波平にはもう言う事がなかった。そう、一ヶ月もすれば、おそらくみんな餓死だ。この期に及んでくどくど説教するのは野暮かも知れない。いやしかし、親として何か伝えられることはないだろうか。
食糧がほとんど底をつきかけてきたある日。磯野家のみんなはげっそり痩せこけていた。波平は庭で麻酔を自分の脊髄に注射し、のこぎりを片手に瞑想していた。
「む、麻酔が効いてきたぞ。感覚がなくなってきた」波平はやおらのこぎりで自分の右の太腿を切り始めた。「こりゃ一人では手に余るな。おーい、マスオくん」
「なんですか。わぁ、何やってらっしゃるんですか!?」
「みんなにわしの足を食ってもらおうと思ってな。すまんがのこぎりで切ってくれんか」
「そそそんなこと、できませんよ」
「血におびえたか。意気地なしめ。おーい、サザエ!」
サザエは割合に平気に、血しぶきを浴びながら波平の右足を切断した。
「肉はたくさん付いとるから、味噌味、しょうゆ味、いろいろ試すといいぞ」波平が言うと、フネが調理の準備を始めた。
「いやあ、食った食った。お父さんも久々にいい事したねえ」爪楊枝を片手にカツオが言った。
「おいしかったですぅ」タラちゃんが言った。
「ところでマスオさんは?」とサザエ。
「さっき鴨居で首吊ってたわよ」とワカメ。
「わはははははは。じゃあ次はマスオくんを食うか!」と波平が言うと、久しぶりに磯野家の居間に、どっと笑い声が起こった。
(つづく)
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目次
上段の『☆ 索引』、及び、下段の『☯ 作家別索引』からどうぞ。本や雑誌をパラパラめくる感覚で、読みたい記事へと素早くアクセスする事が出来ます。
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
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