『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.52
2009/10/16 (Fri) 01:20:06
「夢でも見てたんじゃないの?」森の中で、殺気(さつき)が冥(めい)に言った。
「嘘じゃないもん」冥はかたくなに答えた。彼女の大きな目は涙ぐんでいる。
冥は吐屠郎にこの森で出会ったことを、興奮して殺気と父親に伝えたのだが、再度森の中に入ってみると、どこにも吐屠郎のすみからしき場所は見つからなかった。
「誰も冥を嘘つきだなんて言ってやしないさ」草壁が神経質に唇の端をぴくぴくさせ、眼鏡を指でずり上げながら言った。
「この森の空気は異常だ。おそらく旧日本軍の化学兵器か何かのせいで、樹木から発するフィトンチットが毒性をおび、それが冥の視床下部に影響して幻覚を生んだのだろう」
「幻覚なんかじゃないもん!!」
草壁は冥のことばを無視して、目の前の巨木に向かって叫んだ。「冥がひどい目にあいました! もうこんりんざい関わらないでください!」草壁は深々と一礼した。
「うちまで競走!」父はそう言うと急に駆け出した。
「あ、お父さんずるい!!」
「幻覚じゃないもん!!」
そうして三人は、森を抜けて仲良くわが家に駆けていった。
七酷山病院(しちこくやまびょういん)――獄門島の北端に位置するこの病院は、つくりは古い木造だが最新型の設備も備えた、この島には立派過ぎるともいえる病院だった。
殺気と冥の母親が、肺病を患ってこの病院に入院していた。今日は、二人の娘が見舞いに訪れていた。
「それがね、お母さん、今度の家、またお化け屋敷なのよ」
「まあ。でもね、お母さん、お化け屋敷大好きよ」母はにっこりと微笑んだ。
そのあと、母は殺気の髪をクシですいてやった。
「殺気はあいかわらずのくせっ毛ねえ。お母さんの子供のころにそっくり」
「私も大人になったらお母さんみたいな髪の毛になる?」
「たぶんねー」
病室に、大柄でがっしりした、中年だが色白の医師が現れた。
「草壁さん、今日のお加減はいかがですか」
「ええ、とても具合はいいんですの。こうして子どもたちもお見舞いに来てくれましたし。……こちら、私を診てくださっている西神先生よ。殺気も冥もごあいさつなさい」
「しにがみ先生?」殺気が言った。
「ニシガミだ」医師は憮然として訂正した。
「わ、すみません!! すごく失礼なこと言っちゃいました!」殺気はあわてて頭を下げた。
「ワハハハ。いや、小さいのにしっかりしたお嬢ちゃんだ。いいさ、わしのことを死神博士と呼ぶ仲間もじっさい大勢いる。わしが外科医として、何でもすぐに切ってしまうからだろう。しかし風邪が万病のもとというのと同様に、ほんの小さな指先の怪我が破傷風を引き起こしたり、命に関わることが往々にしてあるのだ。命に比べれば、腕の一本や二本、足の二本や三本切り落としたって安い代償なのだ。だから何でも切ってしまうに限る。さっきも足に擦り傷をした少年がいて、膝から下を切断してきたところだがね」
「お母さんの具合はどうなんですか?」殺気が尋ねた。
「いや、君たちのお母さんの病気は軽いものだ。肺の一部をちょっと切り取れば助かるからね」
「ウシシ、ウシシ、シニガミ博士~」とつぜん冥が首をリズミカルに振りながら言った。
「なんだ、このガキは?」西神博士はさっきまでのにこやかな表情を一変させ、険しい表情で言った。そして冥の髪をつかんでぐいと顔を近づけた。
「目玉が異様に飛び出しておる。バセドー氏病か? そしてこの鼻と唇は末端肥大症の兆候を見せておる。それもおそらく重度だ。おい、助手! 新しい患者だ!」
「はっ」緑の手術着をきて大きな眼鏡をかけた助手が、鉄のベッドをがらがらと押して病室に入ってきた。
「このガキを緊急オペだ。手術の用意をしろ」
「術式は?」
「脳下垂体の部分切除およびラジウム片移植だ。甲状腺も切ろう。必要ならロボトミーも施す」
助手は冥をベッドに押さえつけ、太いゴムひもで縛り付けてしまった。ぎゃあぎゃあ泣き叫ぶ冥を乗せたベッドは、あっという間にどこかに運ばれていった。
「冥、だいじょうぶかしら」殺気はあっけにとられて言った。
「あの先生に任せておけば大丈夫よ」母親はにっこりして答えた。
草壁が毎日利用しているバスの停留所。夕方から急に雨が降り出し、殺気は父の傘を持ってむかえに行くことになった。西神博士の脳手術を受けて傷あとも生々しい冥は、家でじっとしていろという姉の忠告を聞き入れず、黄色い雨がっぱを着て、バス停まで付いてきた。
冥は、雨のなか長時間バスを待つうちに眠くなり、立ちながらウトウトとしかけていた。
「ほら、いわんこっちゃない……私の背中におぶさりな」殺気が冥の小さな体をおんぶした。傘を差しながらだから大変だが、姉はこうしたことにはもう慣れっこだった。
ぽとり……という音が耳に入り、殺気がふと横を見ると、そこには大きくて奇妙な動物が立っていた。頭は人間、胸と腕はゴリラ、腹は牛、足は馬……これは冥の言っていた吐屠郎に違いない。
「あなた、吐屠郎ね!? そうでしょ?」
吐屠郎はうすら笑いを浮かべながら、殺気を見おろした。
「あ、ちょっと待って」殺気は、父の傘を開いて吐屠郎に渡した。「ほら、こうやって使うのよ」
吐屠郎は傘を不思議そうに眺めてから、頭の上に差した。
ぽとり……ぽとり……。雨のしずくの音が聞こえるたびに、吐屠郎は目を丸くしてニタリと笑った。
「気に入ってくれた?」殺気がにっこりして尋ねた。
そのとき、暗闇の向こうにバスのヘッドライトが輝くのが見えた。
「あ、バスが来たわ」
大幅に遅れたバスが、ようやくバス停に到着した。
その途端、吐屠郎は血相を変えてバスの車体に手をかけ、ぐらぐらと揺すった。
「うがー!」
吐屠郎はついにバスを横倒しにした。乗客の阿鼻叫喚。砕ける窓ガラス、炎を上げるエンジン。
「あなた、何するの!?」
モンスターは殺気の詰問には答えずに、脱兎のごとく駆け出し、暗闇の中に消えていった。
「まったく、何事だい」草壁が額から出る血をハンカチで押さえながら、バスの窓から姿を現した。
「吐屠郎よ、吐屠郎が……」
冥も目を覚ました。「え、吐屠郎? どこどこ?」
バス停の横に、新聞紙で何かをくるんだらしい物が落ちていた。
「これ、吐屠郎からのプレゼントよ、きっと」冥が言った。
この夕暮れの雨は、獄門島の運命を変える雨だった。島の南端にある喪漏博士の屋敷から漏れたゲルジウム・ガスが、雨に吸収されて地面に吸い込まれていった。そして運悪いことに、この島では土葬が一般的だった。いま、島の南部の墓地の地下からは、死者がうめき声を上げて次々と目を覚ましつつあった。
ズボッ、ズボッ。墓地の地面から次々に突き出す死人の手……。
このゾンビたちは、この島にいかなる災厄をもたらすのであろうか……。
(つづく)
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
「嘘じゃないもん」冥はかたくなに答えた。彼女の大きな目は涙ぐんでいる。
冥は吐屠郎にこの森で出会ったことを、興奮して殺気と父親に伝えたのだが、再度森の中に入ってみると、どこにも吐屠郎のすみからしき場所は見つからなかった。
「誰も冥を嘘つきだなんて言ってやしないさ」草壁が神経質に唇の端をぴくぴくさせ、眼鏡を指でずり上げながら言った。
「この森の空気は異常だ。おそらく旧日本軍の化学兵器か何かのせいで、樹木から発するフィトンチットが毒性をおび、それが冥の視床下部に影響して幻覚を生んだのだろう」
「幻覚なんかじゃないもん!!」
草壁は冥のことばを無視して、目の前の巨木に向かって叫んだ。「冥がひどい目にあいました! もうこんりんざい関わらないでください!」草壁は深々と一礼した。
「うちまで競走!」父はそう言うと急に駆け出した。
「あ、お父さんずるい!!」
「幻覚じゃないもん!!」
そうして三人は、森を抜けて仲良くわが家に駆けていった。
七酷山病院(しちこくやまびょういん)――獄門島の北端に位置するこの病院は、つくりは古い木造だが最新型の設備も備えた、この島には立派過ぎるともいえる病院だった。
殺気と冥の母親が、肺病を患ってこの病院に入院していた。今日は、二人の娘が見舞いに訪れていた。
「それがね、お母さん、今度の家、またお化け屋敷なのよ」
「まあ。でもね、お母さん、お化け屋敷大好きよ」母はにっこりと微笑んだ。
そのあと、母は殺気の髪をクシですいてやった。
「殺気はあいかわらずのくせっ毛ねえ。お母さんの子供のころにそっくり」
「私も大人になったらお母さんみたいな髪の毛になる?」
「たぶんねー」
病室に、大柄でがっしりした、中年だが色白の医師が現れた。
「草壁さん、今日のお加減はいかがですか」
「ええ、とても具合はいいんですの。こうして子どもたちもお見舞いに来てくれましたし。……こちら、私を診てくださっている西神先生よ。殺気も冥もごあいさつなさい」
「しにがみ先生?」殺気が言った。
「ニシガミだ」医師は憮然として訂正した。
「わ、すみません!! すごく失礼なこと言っちゃいました!」殺気はあわてて頭を下げた。
「ワハハハ。いや、小さいのにしっかりしたお嬢ちゃんだ。いいさ、わしのことを死神博士と呼ぶ仲間もじっさい大勢いる。わしが外科医として、何でもすぐに切ってしまうからだろう。しかし風邪が万病のもとというのと同様に、ほんの小さな指先の怪我が破傷風を引き起こしたり、命に関わることが往々にしてあるのだ。命に比べれば、腕の一本や二本、足の二本や三本切り落としたって安い代償なのだ。だから何でも切ってしまうに限る。さっきも足に擦り傷をした少年がいて、膝から下を切断してきたところだがね」
「お母さんの具合はどうなんですか?」殺気が尋ねた。
「いや、君たちのお母さんの病気は軽いものだ。肺の一部をちょっと切り取れば助かるからね」
「ウシシ、ウシシ、シニガミ博士~」とつぜん冥が首をリズミカルに振りながら言った。
「なんだ、このガキは?」西神博士はさっきまでのにこやかな表情を一変させ、険しい表情で言った。そして冥の髪をつかんでぐいと顔を近づけた。
「目玉が異様に飛び出しておる。バセドー氏病か? そしてこの鼻と唇は末端肥大症の兆候を見せておる。それもおそらく重度だ。おい、助手! 新しい患者だ!」
「はっ」緑の手術着をきて大きな眼鏡をかけた助手が、鉄のベッドをがらがらと押して病室に入ってきた。
「このガキを緊急オペだ。手術の用意をしろ」
「術式は?」
「脳下垂体の部分切除およびラジウム片移植だ。甲状腺も切ろう。必要ならロボトミーも施す」
助手は冥をベッドに押さえつけ、太いゴムひもで縛り付けてしまった。ぎゃあぎゃあ泣き叫ぶ冥を乗せたベッドは、あっという間にどこかに運ばれていった。
「冥、だいじょうぶかしら」殺気はあっけにとられて言った。
「あの先生に任せておけば大丈夫よ」母親はにっこりして答えた。
草壁が毎日利用しているバスの停留所。夕方から急に雨が降り出し、殺気は父の傘を持ってむかえに行くことになった。西神博士の脳手術を受けて傷あとも生々しい冥は、家でじっとしていろという姉の忠告を聞き入れず、黄色い雨がっぱを着て、バス停まで付いてきた。
冥は、雨のなか長時間バスを待つうちに眠くなり、立ちながらウトウトとしかけていた。
「ほら、いわんこっちゃない……私の背中におぶさりな」殺気が冥の小さな体をおんぶした。傘を差しながらだから大変だが、姉はこうしたことにはもう慣れっこだった。
ぽとり……という音が耳に入り、殺気がふと横を見ると、そこには大きくて奇妙な動物が立っていた。頭は人間、胸と腕はゴリラ、腹は牛、足は馬……これは冥の言っていた吐屠郎に違いない。
「あなた、吐屠郎ね!? そうでしょ?」
吐屠郎はうすら笑いを浮かべながら、殺気を見おろした。
「あ、ちょっと待って」殺気は、父の傘を開いて吐屠郎に渡した。「ほら、こうやって使うのよ」
吐屠郎は傘を不思議そうに眺めてから、頭の上に差した。
ぽとり……ぽとり……。雨のしずくの音が聞こえるたびに、吐屠郎は目を丸くしてニタリと笑った。
「気に入ってくれた?」殺気がにっこりして尋ねた。
そのとき、暗闇の向こうにバスのヘッドライトが輝くのが見えた。
「あ、バスが来たわ」
大幅に遅れたバスが、ようやくバス停に到着した。
その途端、吐屠郎は血相を変えてバスの車体に手をかけ、ぐらぐらと揺すった。
「うがー!」
吐屠郎はついにバスを横倒しにした。乗客の阿鼻叫喚。砕ける窓ガラス、炎を上げるエンジン。
「あなた、何するの!?」
モンスターは殺気の詰問には答えずに、脱兎のごとく駆け出し、暗闇の中に消えていった。
「まったく、何事だい」草壁が額から出る血をハンカチで押さえながら、バスの窓から姿を現した。
「吐屠郎よ、吐屠郎が……」
冥も目を覚ました。「え、吐屠郎? どこどこ?」
バス停の横に、新聞紙で何かをくるんだらしい物が落ちていた。
「これ、吐屠郎からのプレゼントよ、きっと」冥が言った。
この夕暮れの雨は、獄門島の運命を変える雨だった。島の南端にある喪漏博士の屋敷から漏れたゲルジウム・ガスが、雨に吸収されて地面に吸い込まれていった。そして運悪いことに、この島では土葬が一般的だった。いま、島の南部の墓地の地下からは、死者がうめき声を上げて次々と目を覚ましつつあった。
ズボッ、ズボッ。墓地の地面から次々に突き出す死人の手……。
このゾンビたちは、この島にいかなる災厄をもたらすのであろうか……。
(つづく)
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No.51
2009/10/16 (Fri) 01:18:25
考古学者草壁が、殺気(さつき)と冥(めい)の二人の娘を連れて獄門島に越してきてから数日がたっていた。
冥は、殺気が学校に行く前に毎日作ってくれる弁当を楽しみにしていた。その日の弁当は、冥の大好物であるコウモリの姿煮だった。
「ウシシ、ウシシ~! コウモリのスガタニ~!」冥はちゃぶ台のまわりで泡を吹いて狂喜乱舞した。黄色味がかった赤黒い眼球を、ぐりぐり回している。
「冥、座って食べなさい」草壁が憂鬱な声で言った。
今日は研究所が休みだったため、草壁は戸を開け放って、庭に面した書斎で浩瀚な学術書に目を通していた。ときどき、森のほうからどこかの狂女の叫び声が聞こえてくる。
「キィー! イヒヒヒヒ……ウケケケケケケ」
草壁は体をぶるっとさせて、すでに依存症になって久しいヒロポンの錠剤を何錠か口に放り込んだ。獄門島の湿気の多い陰鬱でかび臭い空気が、生来の憂鬱な性質をさらに暗いものにしつつあった。
ふと机の上を見ると、小さな髑髏がいくつか並べられていた。
「お父さん骨屋さんね」
冥がどこから拾ってきたのか、こどもの頭蓋骨を父の机の上に並べていたのだった。
冥は弁当を片手に、森のほうへ歩き出した。
「どこへ行くんだい」
「ちょっとそこまで♪」冥は黄色いギザギザの歯をむき出してニッと笑った。
「ウシシ、ウシシ、うまそうなゴキブリ~」冥は小さな昆虫を追いかけて、四つんばいになって灌木の中へ這って行った。無我夢中で虫を追い求めるうちに、林の中の開けたところに出て、うっかり段差から転げ落ちてしまった。
ぽん、とやわらかい場所に冥は着地した。
そこには、不気味な巨大な動物が横たわっていて、冥はその腹の上に落ちたのだった。その動物は、頭は人間で、腕と胸部はゴリラのよう、胴体は牛のようで足は馬のようだった。
「うが、うが」その動物は青白い顔を持ち上げてうめいた。
「あなた誰?」
「うぉ、うぉ、うぉー」
「と、と、ろ……ととろ! 分かった、あなた吐屠郎っていうのね!」
「ウォー!」その動物は苦しそうに口からどろどろの血へどを吐いて、さらに顔面を蒼白にした。
「吐屠郎♪」冥が嬉しそうに足をばたばたさせた。
そのとき、喪漏博士(もろうはかせ)の家の実験室では、博士と助手の毒島(ぶすじま)が意識を失って倒れていた。そこらじゅうに実験器具やガラスの破片が散乱していた。うっすらと白いガスがたちこめている。
喪漏博士が先に気がついた。鉄のベッドに目をやって、驚愕の表情を浮かべた。
「毒島君、おきろ! 大変だ、モンスターが逃げ出したぞ」
毒島はもうろうとした顔をしてなんとか起き上がった。
「逃げた……あの鎖をちぎって? あの頑丈な扉をやぶって?」
「のんきなことを言っている場合ではない、モンスターを早く確保せねば」
「しかし私は……どうも頭がぼんやりして……博士、これはゲルジウム・ガスが漏れているのではありませんか!?」
「うむ……しかしこの家からはまだ漏れてはおらんだろう。吸気装置を作動させたまえ」
毒島はいそいで装置のスイッチを入れた。
毒島はそのときまざまざと思い出していた。死者を生き返らせる作用を持つゲルジウム・ガス。いぜん喉切島(のどきりじま)でこのガスを使った実験をした際の、悪夢のような思い出。地面から、つぎつぎと腐りかけの生けるしかばねが這い出し、島の住民はすべてゾンビと化した。
数百におよぶゾンビの大群をかいくぐって、喪漏博士と毒島は小さなボートで命からがら喉切島を逃げ出してきたのだった。
二人は実験室で落ち着きを取り戻し、モンスター捕獲の段取りを冷静に検討した。
しかし博士も毒島も気づいていなかった。少量のゲルジウム・ガスが、客間の暖炉から伸びる煙突から放出されてしまっていたことを。
(つづく)
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冥は、殺気が学校に行く前に毎日作ってくれる弁当を楽しみにしていた。その日の弁当は、冥の大好物であるコウモリの姿煮だった。
「ウシシ、ウシシ~! コウモリのスガタニ~!」冥はちゃぶ台のまわりで泡を吹いて狂喜乱舞した。黄色味がかった赤黒い眼球を、ぐりぐり回している。
「冥、座って食べなさい」草壁が憂鬱な声で言った。
今日は研究所が休みだったため、草壁は戸を開け放って、庭に面した書斎で浩瀚な学術書に目を通していた。ときどき、森のほうからどこかの狂女の叫び声が聞こえてくる。
「キィー! イヒヒヒヒ……ウケケケケケケ」
草壁は体をぶるっとさせて、すでに依存症になって久しいヒロポンの錠剤を何錠か口に放り込んだ。獄門島の湿気の多い陰鬱でかび臭い空気が、生来の憂鬱な性質をさらに暗いものにしつつあった。
ふと机の上を見ると、小さな髑髏がいくつか並べられていた。
「お父さん骨屋さんね」
冥がどこから拾ってきたのか、こどもの頭蓋骨を父の机の上に並べていたのだった。
冥は弁当を片手に、森のほうへ歩き出した。
「どこへ行くんだい」
「ちょっとそこまで♪」冥は黄色いギザギザの歯をむき出してニッと笑った。
「ウシシ、ウシシ、うまそうなゴキブリ~」冥は小さな昆虫を追いかけて、四つんばいになって灌木の中へ這って行った。無我夢中で虫を追い求めるうちに、林の中の開けたところに出て、うっかり段差から転げ落ちてしまった。
ぽん、とやわらかい場所に冥は着地した。
そこには、不気味な巨大な動物が横たわっていて、冥はその腹の上に落ちたのだった。その動物は、頭は人間で、腕と胸部はゴリラのよう、胴体は牛のようで足は馬のようだった。
「うが、うが」その動物は青白い顔を持ち上げてうめいた。
「あなた誰?」
「うぉ、うぉ、うぉー」
「と、と、ろ……ととろ! 分かった、あなた吐屠郎っていうのね!」
「ウォー!」その動物は苦しそうに口からどろどろの血へどを吐いて、さらに顔面を蒼白にした。
「吐屠郎♪」冥が嬉しそうに足をばたばたさせた。
そのとき、喪漏博士(もろうはかせ)の家の実験室では、博士と助手の毒島(ぶすじま)が意識を失って倒れていた。そこらじゅうに実験器具やガラスの破片が散乱していた。うっすらと白いガスがたちこめている。
喪漏博士が先に気がついた。鉄のベッドに目をやって、驚愕の表情を浮かべた。
「毒島君、おきろ! 大変だ、モンスターが逃げ出したぞ」
毒島はもうろうとした顔をしてなんとか起き上がった。
「逃げた……あの鎖をちぎって? あの頑丈な扉をやぶって?」
「のんきなことを言っている場合ではない、モンスターを早く確保せねば」
「しかし私は……どうも頭がぼんやりして……博士、これはゲルジウム・ガスが漏れているのではありませんか!?」
「うむ……しかしこの家からはまだ漏れてはおらんだろう。吸気装置を作動させたまえ」
毒島はいそいで装置のスイッチを入れた。
毒島はそのときまざまざと思い出していた。死者を生き返らせる作用を持つゲルジウム・ガス。いぜん喉切島(のどきりじま)でこのガスを使った実験をした際の、悪夢のような思い出。地面から、つぎつぎと腐りかけの生けるしかばねが這い出し、島の住民はすべてゾンビと化した。
数百におよぶゾンビの大群をかいくぐって、喪漏博士と毒島は小さなボートで命からがら喉切島を逃げ出してきたのだった。
二人は実験室で落ち着きを取り戻し、モンスター捕獲の段取りを冷静に検討した。
しかし博士も毒島も気づいていなかった。少量のゲルジウム・ガスが、客間の暖炉から伸びる煙突から放出されてしまっていたことを。
(つづく)
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No.50
2009/10/16 (Fri) 01:16:16
浪山帝国大学サイバネティックス研究所――大学本部から遠く離れ獄門島に設けられたこの研究所が、考古学者草壁の新しい職場だった。その名前に似合わず石造りの古めかしい建物で、なかへ一歩足を踏み入れるとかび臭い空気が鼻をつき、昼間でも薄暗く、何ともいえぬ陰鬱な雰囲気につつまれた空間だった。
草壁が赴任してから二日目、出勤してくると、建物の中を数名の警官が行ったり来たりしており、時おり誰かの怒号も響き渡ってなにやら騒々しかった。同僚に出くわしたから、草壁はわけを尋ねてみた。
「物理学の石黒教授ですよ、公金横領の容疑で逮捕されたんです。教授は否定してますがね」
同僚はそう言うと、足早に立ち去った。草壁もしばし怒声の聞こえるほうを見ていたが、やがて肩をそびやかし自分の研究室に入っていった。
草壁の長女、殺気(さつき)は早くも新しい学校に、すっかり馴染んでいた。隣の席になったミッちゃんとはすぐに仲良しになった。今朝もミッちゃんは殺気の家に迎えに来てくれ、父親は「もう友達ができたのかい」と目を丸くしていた。
すこし離れた席にいる姦太(かんた)は、近づいては来ないものの、その不気味な黄色い目で四六時中、殺気を凝視していた。
「姦太のやつ、また殺気ちゃんを見てるわよ。きもーい」とミッちゃん。
「ご近所さんなの。仲良くしなきゃ」殺気は苦笑いしながら言った。
三時間目のあとの休み時間。
姦太は左手を机の上において、カッターナイフの刃で指の間をトントンと突き始めた。級友がわらわらと姦太の机のまわりに集まってくる。
「殺気ちゃんの気を引こうとしてるのよ」とミッちゃん。
カッターが指の間を移動するスピードがどんどん増してくる。その間もときおり殺気のほうを見て「うー、うー」とうなる。そして何度目かのよそ見をした瞬間、薬指と小指の間を突くはずだったカッターが、姦太の小指をはね飛ばした。
「うがー!」
「ちょっと姦太くん!」殺気が驚いてかけ寄ろうとすると、ミッちゃんが手を引っ張った。
「ほっときなさいよ。あいつ、しじゅうあんなバカやってんだから」
教室はしばしどよめいていたが、ミッちゃんの言うとおりこんなことは日常茶飯事らしく、級友たちはすぐに関心を失った。
いちにちの授業が終わると、ミッちゃんが言った。
「今日はちょっと寄り道して帰らない? 面白いイベントがあるの」
「なに、イベントって?」
「ギロチンよ、ギロチン」
ミッちゃんの話によると、学校の裏手をすこし行ったところに高台があり、そこに断頭台があるらしかった。そこで今日、死刑がおこなわれるという噂が伝わってきたのだ。
二人が高台に行くと、すでに人だかりが出来ていた。どんよりと曇った空の下、黒々とした断頭台がそびえ立ち、その刃は鈍い光を放っていた。
「今日は誰が死刑なのかしら。あ、死刑囚が見えたわ……あれ、石黒博士じゃない?」
「誰それ?」
「サイバネティックス研究所の物理学教授よ。天才というもっぱらの噂よ」
「その研究所って、あたしのお父さんの勤め先だわ……なぜそんな人が死刑になるの?」
「待って……他にも死刑囚がいるらしいわ」
石黒博士の他、手錠をはめられた男たちが三人、警官に引っ張られてきた。そのなかに、容貌が石黒博士とよく似た男がいた。
「あれは石黒博士の双子の弟じゃないかしら……このあたりでは札つきの浮浪者で、しかもキチガイよ。みんなタケやんって呼んでるけどね」
警官の一人が一枚の紙を広げ、刑の執行に先立って一人ひとりの罪状を読み上げた。
「イシグロアツシ。サイバネッティクス研究所教授。罪状は公金の横領」
「違う! 私は無実だ! 誰かにはめられたんだ!」石黒博士は叫んだ。しかし警官は無視して、淡々と書類を読みあげる。
「イシグロタケシ。無職。罪状は強盗殺人……タニヌママサヒロ。無職。罪状は……」
「冤罪だ!」
「よって大日本帝国刑法の定めるところにより、本日この四人を斬首刑に処す」
石黒博士は最後まで叫び続けた。しかし刑吏は耳を持たないかのように、博士の頭を断頭台にむりやり据えつけ、無情にも躊躇なく、その重い刃を落とした。博士の首がとぶ。
「首、ひとーつ!」
博士の双子の弟、タケやんもあとに続く。
「首、ふたーつ!」
他の二人の死刑囚の斬首もつぎつぎ執り行われた。
見物人が三々五々帰っていき、辺りが静かになると、刑吏は死体を一体ずつ別々に袋につめ、馬車で来ていた墓堀人に引き渡した。墓堀人は荷台に死体をのせると、夕闇のなか墓地へと続く道を、馬車を走らせていった。
しかし、この墓堀人の行く先は墓場ではなかった。獄門島の南端にある、世捨て人として知られる喪漏博士(もろうはかせ)の屋敷に向かったのだった。
「喪漏博士、わしです、猿川です」墓堀人はドアをノックして言った。
「ああ、ご苦労」ドアを開けたのは、小柄で痩せてはいるが、知的で精悍な顔立ちの男だった。年は五十代半ばぐらい。これが喪漏博士だった。
「これが石黒博士の頭だね」
「へえ、そうでさあ。いや、ちょっと待てよ……この袋の中の胴体は、確かに石黒博士のもんですが、その顔立ちはどうも、タケやんのほうに似てますね……刑吏のやつ、チョンボしやがったのかな」
「誰だね、タケやんというのは」
「石黒博士の双子の弟でさあ。待ってくだせえ、タケやんの袋のほうの頭も持ってきますんで」
喪漏博士と猿川は、二つの頭をならべて見比べた。
「タケやんというのも科学者なのかね」
「とんでもねえ、ウスノロの浮浪者です」
「では、こっちの頭が石黒博士のものだろう。この前額部の張り出し方を見たまえ。これは前頭葉が非常に発達し、科学的な思考に秀でた頭脳だ」
「難しいことは分からねえでがすが、あっしにはそれがタケやんのように思えますがね」
「いや、間違いなかろう。ほら、約束の金だ。もう引き取っていいぞ」
「しかし喪漏博士、あんたもよくやりますなあ。あっしが小耳にはさんだところでは、石黒教授の公金横領も、すべてあんたの差し金によるデッチ上げだとか……さぞ大金をバラ撒かれたこってしょう。そんなにまでしてその首が欲しいわけって、いったい何ですかい?」
「余計なことには首を突っ込まんことだ」
「あんたが助手さんと一緒にこの島に漂着したとき、船にヘンテコな猿をいっぱい積んでなさったね。両腕をもぎ取られたのや、両足だけ鹿みたいに長いやつとか。キチガイじみた実験を、今もこのお屋敷で続けなさってるんだろ。石黒博士の頭も……」
「もういい。あと幾ら払えば、その口を塞いでいてくれる?」
「へへ、さすが喪漏博士は話が早いね」
猿川を追い返し、扉に施錠した喪漏博士は、買い上げた石黒博士の首を持って地下の実験室に下りていった。そこでは助手の毒島(ぶすじま)が、真空管や電気回路が複雑に入り組んだ装置を、熱心に調整していた。
「毒島君。待ちに待った石黒博士の頭が手に入ったぞ。天才の頭脳だ」喪漏博士はそういうと、頭の入った袋を丁寧に実験台の上に置いた。
「これで全てのパーツがそろったわけですね。ゴリラの腕と胸部、牛の胴体、馬の足、そして石黒博士の頭。これらをつなぎ合わせれば、強靭な肉体と優れた知能をあわせ持った、もっとも優れた生物が出来上がる……」
「それは人間を超えた、いわば神人類、ゴット・メンシュとでも呼ぶべきものだろう」
「しかし博士、これら各部を拒否反応なしにつなぎ合わせる外科的な理論は分かりましたが、仰っていた、確実に命を吹き込むという最後の段階の具体的方法については、まだうかがっていません」
「そう、そうだった。というのも、それを話してしまうと、君が引きつづき実験に協力してくれるかどうかが危ぶまれたからだ」
「まさか、私がこの期に及んで実験を放棄するとは、博士も本気で思ってはいないでしょう?」
「いや、それほどに危険をはらんでいる方法なのだ。覚えているだろう、わしたちが喉切島(のどきりじま)を脱出したときのことを」
「ええ、まあ」毒島はとたんに不愉快そうに表情をゆがめた。
「あの騒動のきっかけになった危険なガス、あれをもう一度使うのだ」
「まさか……」
重苦しい沈黙が、喪漏博士の実験室を支配した。
(つづく)
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
草壁が赴任してから二日目、出勤してくると、建物の中を数名の警官が行ったり来たりしており、時おり誰かの怒号も響き渡ってなにやら騒々しかった。同僚に出くわしたから、草壁はわけを尋ねてみた。
「物理学の石黒教授ですよ、公金横領の容疑で逮捕されたんです。教授は否定してますがね」
同僚はそう言うと、足早に立ち去った。草壁もしばし怒声の聞こえるほうを見ていたが、やがて肩をそびやかし自分の研究室に入っていった。
草壁の長女、殺気(さつき)は早くも新しい学校に、すっかり馴染んでいた。隣の席になったミッちゃんとはすぐに仲良しになった。今朝もミッちゃんは殺気の家に迎えに来てくれ、父親は「もう友達ができたのかい」と目を丸くしていた。
すこし離れた席にいる姦太(かんた)は、近づいては来ないものの、その不気味な黄色い目で四六時中、殺気を凝視していた。
「姦太のやつ、また殺気ちゃんを見てるわよ。きもーい」とミッちゃん。
「ご近所さんなの。仲良くしなきゃ」殺気は苦笑いしながら言った。
三時間目のあとの休み時間。
姦太は左手を机の上において、カッターナイフの刃で指の間をトントンと突き始めた。級友がわらわらと姦太の机のまわりに集まってくる。
「殺気ちゃんの気を引こうとしてるのよ」とミッちゃん。
カッターが指の間を移動するスピードがどんどん増してくる。その間もときおり殺気のほうを見て「うー、うー」とうなる。そして何度目かのよそ見をした瞬間、薬指と小指の間を突くはずだったカッターが、姦太の小指をはね飛ばした。
「うがー!」
「ちょっと姦太くん!」殺気が驚いてかけ寄ろうとすると、ミッちゃんが手を引っ張った。
「ほっときなさいよ。あいつ、しじゅうあんなバカやってんだから」
教室はしばしどよめいていたが、ミッちゃんの言うとおりこんなことは日常茶飯事らしく、級友たちはすぐに関心を失った。
いちにちの授業が終わると、ミッちゃんが言った。
「今日はちょっと寄り道して帰らない? 面白いイベントがあるの」
「なに、イベントって?」
「ギロチンよ、ギロチン」
ミッちゃんの話によると、学校の裏手をすこし行ったところに高台があり、そこに断頭台があるらしかった。そこで今日、死刑がおこなわれるという噂が伝わってきたのだ。
二人が高台に行くと、すでに人だかりが出来ていた。どんよりと曇った空の下、黒々とした断頭台がそびえ立ち、その刃は鈍い光を放っていた。
「今日は誰が死刑なのかしら。あ、死刑囚が見えたわ……あれ、石黒博士じゃない?」
「誰それ?」
「サイバネティックス研究所の物理学教授よ。天才というもっぱらの噂よ」
「その研究所って、あたしのお父さんの勤め先だわ……なぜそんな人が死刑になるの?」
「待って……他にも死刑囚がいるらしいわ」
石黒博士の他、手錠をはめられた男たちが三人、警官に引っ張られてきた。そのなかに、容貌が石黒博士とよく似た男がいた。
「あれは石黒博士の双子の弟じゃないかしら……このあたりでは札つきの浮浪者で、しかもキチガイよ。みんなタケやんって呼んでるけどね」
警官の一人が一枚の紙を広げ、刑の執行に先立って一人ひとりの罪状を読み上げた。
「イシグロアツシ。サイバネッティクス研究所教授。罪状は公金の横領」
「違う! 私は無実だ! 誰かにはめられたんだ!」石黒博士は叫んだ。しかし警官は無視して、淡々と書類を読みあげる。
「イシグロタケシ。無職。罪状は強盗殺人……タニヌママサヒロ。無職。罪状は……」
「冤罪だ!」
「よって大日本帝国刑法の定めるところにより、本日この四人を斬首刑に処す」
石黒博士は最後まで叫び続けた。しかし刑吏は耳を持たないかのように、博士の頭を断頭台にむりやり据えつけ、無情にも躊躇なく、その重い刃を落とした。博士の首がとぶ。
「首、ひとーつ!」
博士の双子の弟、タケやんもあとに続く。
「首、ふたーつ!」
他の二人の死刑囚の斬首もつぎつぎ執り行われた。
見物人が三々五々帰っていき、辺りが静かになると、刑吏は死体を一体ずつ別々に袋につめ、馬車で来ていた墓堀人に引き渡した。墓堀人は荷台に死体をのせると、夕闇のなか墓地へと続く道を、馬車を走らせていった。
しかし、この墓堀人の行く先は墓場ではなかった。獄門島の南端にある、世捨て人として知られる喪漏博士(もろうはかせ)の屋敷に向かったのだった。
「喪漏博士、わしです、猿川です」墓堀人はドアをノックして言った。
「ああ、ご苦労」ドアを開けたのは、小柄で痩せてはいるが、知的で精悍な顔立ちの男だった。年は五十代半ばぐらい。これが喪漏博士だった。
「これが石黒博士の頭だね」
「へえ、そうでさあ。いや、ちょっと待てよ……この袋の中の胴体は、確かに石黒博士のもんですが、その顔立ちはどうも、タケやんのほうに似てますね……刑吏のやつ、チョンボしやがったのかな」
「誰だね、タケやんというのは」
「石黒博士の双子の弟でさあ。待ってくだせえ、タケやんの袋のほうの頭も持ってきますんで」
喪漏博士と猿川は、二つの頭をならべて見比べた。
「タケやんというのも科学者なのかね」
「とんでもねえ、ウスノロの浮浪者です」
「では、こっちの頭が石黒博士のものだろう。この前額部の張り出し方を見たまえ。これは前頭葉が非常に発達し、科学的な思考に秀でた頭脳だ」
「難しいことは分からねえでがすが、あっしにはそれがタケやんのように思えますがね」
「いや、間違いなかろう。ほら、約束の金だ。もう引き取っていいぞ」
「しかし喪漏博士、あんたもよくやりますなあ。あっしが小耳にはさんだところでは、石黒教授の公金横領も、すべてあんたの差し金によるデッチ上げだとか……さぞ大金をバラ撒かれたこってしょう。そんなにまでしてその首が欲しいわけって、いったい何ですかい?」
「余計なことには首を突っ込まんことだ」
「あんたが助手さんと一緒にこの島に漂着したとき、船にヘンテコな猿をいっぱい積んでなさったね。両腕をもぎ取られたのや、両足だけ鹿みたいに長いやつとか。キチガイじみた実験を、今もこのお屋敷で続けなさってるんだろ。石黒博士の頭も……」
「もういい。あと幾ら払えば、その口を塞いでいてくれる?」
「へへ、さすが喪漏博士は話が早いね」
猿川を追い返し、扉に施錠した喪漏博士は、買い上げた石黒博士の首を持って地下の実験室に下りていった。そこでは助手の毒島(ぶすじま)が、真空管や電気回路が複雑に入り組んだ装置を、熱心に調整していた。
「毒島君。待ちに待った石黒博士の頭が手に入ったぞ。天才の頭脳だ」喪漏博士はそういうと、頭の入った袋を丁寧に実験台の上に置いた。
「これで全てのパーツがそろったわけですね。ゴリラの腕と胸部、牛の胴体、馬の足、そして石黒博士の頭。これらをつなぎ合わせれば、強靭な肉体と優れた知能をあわせ持った、もっとも優れた生物が出来上がる……」
「それは人間を超えた、いわば神人類、ゴット・メンシュとでも呼ぶべきものだろう」
「しかし博士、これら各部を拒否反応なしにつなぎ合わせる外科的な理論は分かりましたが、仰っていた、確実に命を吹き込むという最後の段階の具体的方法については、まだうかがっていません」
「そう、そうだった。というのも、それを話してしまうと、君が引きつづき実験に協力してくれるかどうかが危ぶまれたからだ」
「まさか、私がこの期に及んで実験を放棄するとは、博士も本気で思ってはいないでしょう?」
「いや、それほどに危険をはらんでいる方法なのだ。覚えているだろう、わしたちが喉切島(のどきりじま)を脱出したときのことを」
「ええ、まあ」毒島はとたんに不愉快そうに表情をゆがめた。
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(つづく)
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目次
上段の『☆ 索引』、及び、下段の『☯ 作家別索引』からどうぞ。本や雑誌をパラパラめくる感覚で、読みたい記事へと素早くアクセスする事が出来ます。
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
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