『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.656
2013/08/16 (Fri) 04:53:59
久しぶりに漢詩を作った。七言絶句。
夏日湖畔
清漣蛙子緑陰眠
湖鏡細鱗山更鮮
葉際蝸牛吹午夢
輕雷雲起遠連天
すんださざ波の打ち寄せる水際の葉陰で 蛙が気持ちよく眠っている
湖面で魚が身を躍らせる しかし何事もなかったかのように湖は 鏡のようなその水面にさらに鮮やかに夏の山を映し出す
大きな葉の上にいたかたつむりが ふうと一息 みんなの午後の夢を吹き消してしまった
雷が軽くごろごろと鳴り 雲がどこからともなく湧き起って それは天のかなたまで続いているようだった
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夏日湖畔
清漣蛙子緑陰眠
湖鏡細鱗山更鮮
葉際蝸牛吹午夢
輕雷雲起遠連天
すんださざ波の打ち寄せる水際の葉陰で 蛙が気持ちよく眠っている
湖面で魚が身を躍らせる しかし何事もなかったかのように湖は 鏡のようなその水面にさらに鮮やかに夏の山を映し出す
大きな葉の上にいたかたつむりが ふうと一息 みんなの午後の夢を吹き消してしまった
雷が軽くごろごろと鳴り 雲がどこからともなく湧き起って それは天のかなたまで続いているようだった
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No.655
2013/08/02 (Fri) 13:26:05
死んだ磯田進吉のアパートの大家であった小林氏は、今度は葬儀場のロビーの長椅子に腰かけている長身の紳士のところに近づいて行った。例によってその人物が磯田氏とどういう関係にあったのか聞いてみると、その紳士は
「私は雪竹広春というものです。磯田さんとは二十五年前に初めて出会いました。あなたも新聞などでご存知かも知れませんが、当時富士山麓の地下で『タイムトンネル』の研究開発が行われていたんです。磯田さんと私とはその研究に携わっていたのです。地下の広大な研究施設で日夜研究に励み、五年ほどたったころ、現在と過去をトンネルによってつなぐかすかな糸口が見え始めたのです。まあ、トンネルの中にボルトを投げ込むとときおりそれが過去の世界に到達する、というぐらいですが、我々研究者にとっては非常に大きな進歩だったわけです。
そんなある日、政府の役人が研究施設にやってきました。
『君たちは五年もここで実験と研究をしているのにさしたる成果もあげていない。わが国には他にも進歩させなければならない科学技術がごまんとある。このタイムトンネルが成果を上げていない以上、ここへの研究費用を捻出しつづけるわけにはいかない。そういうわけでわが国のタイムトンネル研究は今年いっぱいで打ち切りにする』
これは大変なことになりました。いちおう理論的には、人間を現在から過去へ、過去から未来へ送り込むことは可能であるという結論を得ていましたが、我々の目算では多くの実験動物でタイムトンネルを試した後、人間での実験を行うことになっていたんです。しかし年も押し迫り、この政府の役人にめざましい研究成果を見せる必要が生じました。
そこで磯田さんは、まだ不完全な点の多いタイムトンネルに飛び込んでいったんです。あちこちの計器が火花を吹き出し、磯田さんの行動の無謀ぶりを示していました。しかし研究所のみんなの気持ちは同じです。私も磯田さんに続いてタイムトンネルに飛び込みました。
私は、自分がどこかの海辺に放り出されたことに気づきました。少し離れた砂浜には磯田さんが座り、ショックを受けたのか頭をぶるぶるっと震わせていました。
ふと振り向くと、そこに麻布を継ぎ合せただけの粗末な格好の少年が立っていました。少年は、私の精巧な腕時計にありありと興味を示していました。その腕時計には、人間をタイムトンネルに送り込んだ場合に、送り込まれた場所から目には見えないトンネルの入り口の位置を示す計器が付いていました。
少年は、石斧で私に殴り掛かってきました。そして私が石に打たれて苦しんでいる間に、その特殊な腕時計を奪い去ってしまったのです。少年は、腕時計の機構に興味を持ったというよりも、そこに使われている金やルビーや水晶が気に入ったようで、たちまち石のかけらで腕時計を壊してしまいました。
磯田さんはというと、いつのまにか煙を挙げているいくつかの人家のほうへ赴いていました。腕時計については磯田さんも同じものを持っているのだし、まあ安心していました。
磯田さんは集落をうろついて、いろんな人に話しかけているようでした。
『言葉がわかるんですか?』と私が聞くと
『いや。ただ“何”に当たる言葉を探り当てたから、その“何”でいろんな現地人に問いかけてみているところだ。タイムトンネルが我々をどこに連れてきたのか正確なところは分からないが、ここは何百年も昔の北欧の寒村という印象を受ける。ま、しばらく調査を続けてみるさ』
磯田さんの語学習得力というのは大したもので、数時間後には彼らの言語をかたことながら話せるようになっていました。彼の話によると、この集落の酋長にひきあわせられることになったようです。そして酋長の風貌を見ると、彼らが一体何者であるかがはっきり分かった気がしました。酋長は二本の角の生えた兜をかぶり、片目を黒い眼帯でおおい、ひげも頭髪もボサボサでした。これは我々が歴史の本で見るバイキングそのままの姿でした。
バイキングの酋長も磯田さんの腕時計に興味をひかれたようで、『そいつを俺によこせ。痛い目にあいたくなかったらな』そう酋長は言ったようです。しかし磯田さんはそんなことにおいそれと従う人ではありません。彼はいつのまにか手に入れたバイキングの長剣を構え『これがほしくば尋常に勝負におよべ』とでも言ったのでしょう、そういわれれば酋長にも面子がありますから、同じく長剣で勝負に及びました。ところが磯田さんははじめてそんな剣を持ったでしょうに、酋長と互角に戦います。やがて疲れ果てた両者は、ぐったりと地べたに座り込みました。酋長の部下が、ごにょごにょと耳打ちします。するとバイキングの酋長は『石球投げで勝負だ』と言ったようです。大きな丸い石の球をどこまで遠くに投げられるかで勝負を決めようというわけです。今度は酋長は金貨の詰まった小さな袋を持ってきて、自分が負ければこの金貨を磯田氏に進呈する、ということのようでした。
まず酋長が、重い石球を何度か反動をつけて思いきり放り投げました。二十メートル近く飛んだでしょうか。次は磯田さんの番です。しかし酋長と同じ投げ方をしたのではとても叶わないと思ったのか、ハンマー投げのように石球を両手に持ってぐるぐる体を回転させ始めました。そして石球を投げた……はずなのですが、砂浜にはそれがどこにも見当たりません。それもそのはず、磯田さんの投げた石球は真横に飛んで、バイキングの酋長の頭を直撃していたのです。『あー、こりゃ駄目だ』磯田さんは酋長を一目見ていいました。その頭は完全に砕け、大きなナマコのような灰色の脳髄のかけらが辺りに飛び散っていたのです。
この事態を見て、バイキング村の長老たちと思しき老人たちが話し合いを始めました。
やがて長老の一人が磯田さんのところに歩み寄り『競技の上の事故とはいえ、あなたと酋長ウッタルはその前に命がけの勝負を始めていた。磯田さんとやら、あなたはウッタルとの尋常な勝負に勝ったのだ。だからウッタルの財産はすべてあなたのものだ』
ウッタルの住居の戸口から、若い女がそっと酋長の亡骸を、そして磯田氏を見つめた。
『あれはウッタルの妻です。妻も当然あなたのものとなります』
磯田氏はしばし立ち尽くして何か考え込んでいました。そしてやおら腕時計を見ると
『タイムトンネルの入り口がここに近づいている。せっかく私は勝負に勝ち、酋長ウッタルの財産を受け継いだわけだが、それはここにいる仲間の雪竹君に譲渡したい。ではさようなら』
そういうと磯田さんは波打ち際の空間に向かって身を躍らせ、ふっと消えてしまいました。私も慌てて磯田さんの後を追いかけましたが、ときすでに遅しです。タイムトンネルの入り口は間一髪のところで閉じてしまったのです。
私は磯田さんを恨みました! 何故わたし一人が大昔のバイキングの世界で暮らさなければならないのか! タイムトンネルの精度についてはよく知っていました。あの富士山麓の地下研究施設からこの何百年も昔のバイキングの寒村に再びタイムトンネルの照準を合わせ、救助隊を派遣することなどまず不可能でした。
わたしは筆舌に尽くしがたいほど嘆き苦しみましたが、時間がたつにつれ結局このバイキングの村でうまくやっていくしかないと思うようになりました。私はタイムトンネルの研究に従事する前は、いろんな分野の学問を収めました。だからここの連中が繰り返し他の地域に船で出かけ略奪をすることで生計を立てていることに、どうもなじめないものがありました。私は藻類や地衣類で食用になるものを効果的に育て、このやせた土地でも育つ作物の研究をはじめました。私が磯田氏に代わって貰い受けた酋長の妻のヨアラも、私のしていることを理解しようと努め、やがて良い助手になってくれました。
こういう努力が報われて、村の経済における略奪の割合も着実に減ってきました。
しかし、そこは野蛮な世界です。こちらが略奪に出かけなくとも、他の地域のバイキングが攻めてくるということが起こりました。そういう可能性についてはヨアラや村人からあらかじめ聞かされていましたから、私は自衛のための武器を村人と協力して作りました。投石器や、特殊な油を使った火器です。この火器から出る炎は水にぬれても消えず、敵船への絶好の武器になります。
敵は劣勢になりましたが、船を下りてしゃにむに押し寄せてくる命知らずの海賊たちもやってきます。そいつらは投石器や弓矢でなんとか倒すことが出来ましたし、陸戦で死んだ敵の首を切り取ってそれを投石器で敵方の舟に投げ込んでやったりしました。やつらの狼狽ぶりが目に見えるようでしたよ。やがて敵は降参して逃げていきました。
その後もいくどか他の地域から海賊たちが攻めてきましたが、その都度私が工夫した武器で退治することに成功しました。
そうこうするうちに、私とヨアラの間に子供が生まれました。男の子、ついで女の子が生まれました。
私がこの地に来てから五年ほどたったある日、タイムトンネルが突如通じて、救助隊がやってきました。そりゃ驚きましたよ。現代に戻ることなんてとっくに諦めていましたからね。この北欧の寒村も住めば都で、離れがたいものがありましたが、結局ヨアラと二人の子供を連れて現代に帰ってくることにしました。
しかしすこし気になったのは、いざ現代に戻ったとして、磯田さんに会ったとしたら、僕はどんな気持ちになるのだろう、ということでした。磯田さんは私一人を見捨ててタイムトンネルで現代に帰って行ってしまった。そのときの悔しさはいつまでも忘れません。しかし、私のバイキングの村での生活は、不便ではあっても充実したものでした。愛する妻とかわいい子供にも恵まれました。
しかし、タイムトンネルをくぐって広大な地下研究室に戻ったとき、そこには磯田さんの姿はありませんでした。かわりに私あての置手紙を、彼はこの研究所に託していました。
『雪竹君、その節は私だけが現代に帰る形になって本当にすまなかった。あのとき海岸に生じたタイムトンネルは本当に小さく、かつ寿命の短いもので、君を引っ張ってきて押し込むわけにはいかなかったのだ。しかしあの瞬間、私は君のためを思っていたのも事実なのだ。君は実にたくさんの学問をおさめ、むろんタイムトンネルの基幹技術たる次元移行導来器についても世界で一、二を争う権威と言える。しかし、君は専門の細分化された現代において、本当に自分らしく生き、仕事してきたろうか? これはむろん大きなお世話なのかも知れない。しかしタイムトンネルの技術も日進月歩で、数年のうちには例の北欧の寒村に照準を合わせて君を現代に連れ戻せる目算は十二分にあった。そして君の取り残されたバイキングの村は、君のありとあらゆる知識、能力を生かす絶好の場所ではなかったろうか。そして本当の科学者とは、しばしばそうした全人的な活動の中から偉大なアイディアを得るものなのだ。しかしもし雪竹君が北欧での日々はまったくの無駄だったというなら、私は幾重にも謝る。科学の粋を凝らして、その失われた時間を取り戻すと約束もしよう。
さて、私はいま君とは会えない場所にいる。2××4年の初めには会う機会も持てるだろう。無礼を許してくれたまえ』
手紙を読み終えた私は、タイムトンネル研究所の所員に磯田がどこにいるのか尋ねました。
所員の話によると、はじめに私たちが出発した時より進歩したタイムトンネルは、まもなく今どこに照準があっているかが正確にわかるようになったそうです。現代に戻った磯田さんが目にしたタイムトンネルには、1912年4月13日、北大西洋を航行中の豪華客船タイタニック号が映し出されました。周知のようにタイタニック号は翌4月14日に氷山にぶつかって沈没することになっています。それを見ていても立ってもいられなくなった磯田さんは、日本刀やショットガンを背中にしょって、タイムトンネルをくぐって4月13日のタイタニック号に乗り込み、船長を人質にとってブリッジを占領、氷山に接触しないよう進路を変更し、船を救ったとのことでした。
しかし磯田氏は歴史を大きく変えてしまったということで重い罪を負い、禁固六年の罰を受けました。
それでも磯田氏は弱気になることなく、今度はこの独房から一歩も出ずに1945年の日本への原爆投下を止めてみせると豪語し、実際そのとおり原爆投下を阻止しました。ただその点については、その後発足した「歴史矯正委員会」によってふたたび歴史が改変され、やはり広島・長崎に原爆は落とされましたがね」
磯田宅の大家だった小林氏は、この雪竹氏の途方もない話を聞いて眩暈がするようだった。タイムトンネルの噂は聞いたことがあったが、実用化されたような話は聞かないし、この雪竹という男は気違いで、いっぱい食わされているのではないかと疑いさえした。しかし雪竹が「ヨアラ」と言って呼び寄せたその妻はたしかに北欧系の顔をしている。してみると彼の話は本当なのか。
とにかく今の話は山賊や借金取りを殺すといった話とは次元が違っている。もう磯田という男は訳が分からない。
小林氏はハンカチを濡らして顔にかけ、ソファに上を向いて腰かけた。
すると隣から話しかけてくる男がいる。
「あなたも磯田さんとお知り合いですか?」
見ると恐ろしく太った男がソファの隣に腰かけていた。
次は磯田についてどんな話を聞かされるのだろう……小林氏は肥満の男をぼんやりと眺めた。
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「私は雪竹広春というものです。磯田さんとは二十五年前に初めて出会いました。あなたも新聞などでご存知かも知れませんが、当時富士山麓の地下で『タイムトンネル』の研究開発が行われていたんです。磯田さんと私とはその研究に携わっていたのです。地下の広大な研究施設で日夜研究に励み、五年ほどたったころ、現在と過去をトンネルによってつなぐかすかな糸口が見え始めたのです。まあ、トンネルの中にボルトを投げ込むとときおりそれが過去の世界に到達する、というぐらいですが、我々研究者にとっては非常に大きな進歩だったわけです。
そんなある日、政府の役人が研究施設にやってきました。
『君たちは五年もここで実験と研究をしているのにさしたる成果もあげていない。わが国には他にも進歩させなければならない科学技術がごまんとある。このタイムトンネルが成果を上げていない以上、ここへの研究費用を捻出しつづけるわけにはいかない。そういうわけでわが国のタイムトンネル研究は今年いっぱいで打ち切りにする』
これは大変なことになりました。いちおう理論的には、人間を現在から過去へ、過去から未来へ送り込むことは可能であるという結論を得ていましたが、我々の目算では多くの実験動物でタイムトンネルを試した後、人間での実験を行うことになっていたんです。しかし年も押し迫り、この政府の役人にめざましい研究成果を見せる必要が生じました。
そこで磯田さんは、まだ不完全な点の多いタイムトンネルに飛び込んでいったんです。あちこちの計器が火花を吹き出し、磯田さんの行動の無謀ぶりを示していました。しかし研究所のみんなの気持ちは同じです。私も磯田さんに続いてタイムトンネルに飛び込みました。
私は、自分がどこかの海辺に放り出されたことに気づきました。少し離れた砂浜には磯田さんが座り、ショックを受けたのか頭をぶるぶるっと震わせていました。
ふと振り向くと、そこに麻布を継ぎ合せただけの粗末な格好の少年が立っていました。少年は、私の精巧な腕時計にありありと興味を示していました。その腕時計には、人間をタイムトンネルに送り込んだ場合に、送り込まれた場所から目には見えないトンネルの入り口の位置を示す計器が付いていました。
少年は、石斧で私に殴り掛かってきました。そして私が石に打たれて苦しんでいる間に、その特殊な腕時計を奪い去ってしまったのです。少年は、腕時計の機構に興味を持ったというよりも、そこに使われている金やルビーや水晶が気に入ったようで、たちまち石のかけらで腕時計を壊してしまいました。
磯田さんはというと、いつのまにか煙を挙げているいくつかの人家のほうへ赴いていました。腕時計については磯田さんも同じものを持っているのだし、まあ安心していました。
磯田さんは集落をうろついて、いろんな人に話しかけているようでした。
『言葉がわかるんですか?』と私が聞くと
『いや。ただ“何”に当たる言葉を探り当てたから、その“何”でいろんな現地人に問いかけてみているところだ。タイムトンネルが我々をどこに連れてきたのか正確なところは分からないが、ここは何百年も昔の北欧の寒村という印象を受ける。ま、しばらく調査を続けてみるさ』
磯田さんの語学習得力というのは大したもので、数時間後には彼らの言語をかたことながら話せるようになっていました。彼の話によると、この集落の酋長にひきあわせられることになったようです。そして酋長の風貌を見ると、彼らが一体何者であるかがはっきり分かった気がしました。酋長は二本の角の生えた兜をかぶり、片目を黒い眼帯でおおい、ひげも頭髪もボサボサでした。これは我々が歴史の本で見るバイキングそのままの姿でした。
バイキングの酋長も磯田さんの腕時計に興味をひかれたようで、『そいつを俺によこせ。痛い目にあいたくなかったらな』そう酋長は言ったようです。しかし磯田さんはそんなことにおいそれと従う人ではありません。彼はいつのまにか手に入れたバイキングの長剣を構え『これがほしくば尋常に勝負におよべ』とでも言ったのでしょう、そういわれれば酋長にも面子がありますから、同じく長剣で勝負に及びました。ところが磯田さんははじめてそんな剣を持ったでしょうに、酋長と互角に戦います。やがて疲れ果てた両者は、ぐったりと地べたに座り込みました。酋長の部下が、ごにょごにょと耳打ちします。するとバイキングの酋長は『石球投げで勝負だ』と言ったようです。大きな丸い石の球をどこまで遠くに投げられるかで勝負を決めようというわけです。今度は酋長は金貨の詰まった小さな袋を持ってきて、自分が負ければこの金貨を磯田氏に進呈する、ということのようでした。
まず酋長が、重い石球を何度か反動をつけて思いきり放り投げました。二十メートル近く飛んだでしょうか。次は磯田さんの番です。しかし酋長と同じ投げ方をしたのではとても叶わないと思ったのか、ハンマー投げのように石球を両手に持ってぐるぐる体を回転させ始めました。そして石球を投げた……はずなのですが、砂浜にはそれがどこにも見当たりません。それもそのはず、磯田さんの投げた石球は真横に飛んで、バイキングの酋長の頭を直撃していたのです。『あー、こりゃ駄目だ』磯田さんは酋長を一目見ていいました。その頭は完全に砕け、大きなナマコのような灰色の脳髄のかけらが辺りに飛び散っていたのです。
この事態を見て、バイキング村の長老たちと思しき老人たちが話し合いを始めました。
やがて長老の一人が磯田さんのところに歩み寄り『競技の上の事故とはいえ、あなたと酋長ウッタルはその前に命がけの勝負を始めていた。磯田さんとやら、あなたはウッタルとの尋常な勝負に勝ったのだ。だからウッタルの財産はすべてあなたのものだ』
ウッタルの住居の戸口から、若い女がそっと酋長の亡骸を、そして磯田氏を見つめた。
『あれはウッタルの妻です。妻も当然あなたのものとなります』
磯田氏はしばし立ち尽くして何か考え込んでいました。そしてやおら腕時計を見ると
『タイムトンネルの入り口がここに近づいている。せっかく私は勝負に勝ち、酋長ウッタルの財産を受け継いだわけだが、それはここにいる仲間の雪竹君に譲渡したい。ではさようなら』
そういうと磯田さんは波打ち際の空間に向かって身を躍らせ、ふっと消えてしまいました。私も慌てて磯田さんの後を追いかけましたが、ときすでに遅しです。タイムトンネルの入り口は間一髪のところで閉じてしまったのです。
私は磯田さんを恨みました! 何故わたし一人が大昔のバイキングの世界で暮らさなければならないのか! タイムトンネルの精度についてはよく知っていました。あの富士山麓の地下研究施設からこの何百年も昔のバイキングの寒村に再びタイムトンネルの照準を合わせ、救助隊を派遣することなどまず不可能でした。
わたしは筆舌に尽くしがたいほど嘆き苦しみましたが、時間がたつにつれ結局このバイキングの村でうまくやっていくしかないと思うようになりました。私はタイムトンネルの研究に従事する前は、いろんな分野の学問を収めました。だからここの連中が繰り返し他の地域に船で出かけ略奪をすることで生計を立てていることに、どうもなじめないものがありました。私は藻類や地衣類で食用になるものを効果的に育て、このやせた土地でも育つ作物の研究をはじめました。私が磯田氏に代わって貰い受けた酋長の妻のヨアラも、私のしていることを理解しようと努め、やがて良い助手になってくれました。
こういう努力が報われて、村の経済における略奪の割合も着実に減ってきました。
しかし、そこは野蛮な世界です。こちらが略奪に出かけなくとも、他の地域のバイキングが攻めてくるということが起こりました。そういう可能性についてはヨアラや村人からあらかじめ聞かされていましたから、私は自衛のための武器を村人と協力して作りました。投石器や、特殊な油を使った火器です。この火器から出る炎は水にぬれても消えず、敵船への絶好の武器になります。
敵は劣勢になりましたが、船を下りてしゃにむに押し寄せてくる命知らずの海賊たちもやってきます。そいつらは投石器や弓矢でなんとか倒すことが出来ましたし、陸戦で死んだ敵の首を切り取ってそれを投石器で敵方の舟に投げ込んでやったりしました。やつらの狼狽ぶりが目に見えるようでしたよ。やがて敵は降参して逃げていきました。
その後もいくどか他の地域から海賊たちが攻めてきましたが、その都度私が工夫した武器で退治することに成功しました。
そうこうするうちに、私とヨアラの間に子供が生まれました。男の子、ついで女の子が生まれました。
私がこの地に来てから五年ほどたったある日、タイムトンネルが突如通じて、救助隊がやってきました。そりゃ驚きましたよ。現代に戻ることなんてとっくに諦めていましたからね。この北欧の寒村も住めば都で、離れがたいものがありましたが、結局ヨアラと二人の子供を連れて現代に帰ってくることにしました。
しかしすこし気になったのは、いざ現代に戻ったとして、磯田さんに会ったとしたら、僕はどんな気持ちになるのだろう、ということでした。磯田さんは私一人を見捨ててタイムトンネルで現代に帰って行ってしまった。そのときの悔しさはいつまでも忘れません。しかし、私のバイキングの村での生活は、不便ではあっても充実したものでした。愛する妻とかわいい子供にも恵まれました。
しかし、タイムトンネルをくぐって広大な地下研究室に戻ったとき、そこには磯田さんの姿はありませんでした。かわりに私あての置手紙を、彼はこの研究所に託していました。
『雪竹君、その節は私だけが現代に帰る形になって本当にすまなかった。あのとき海岸に生じたタイムトンネルは本当に小さく、かつ寿命の短いもので、君を引っ張ってきて押し込むわけにはいかなかったのだ。しかしあの瞬間、私は君のためを思っていたのも事実なのだ。君は実にたくさんの学問をおさめ、むろんタイムトンネルの基幹技術たる次元移行導来器についても世界で一、二を争う権威と言える。しかし、君は専門の細分化された現代において、本当に自分らしく生き、仕事してきたろうか? これはむろん大きなお世話なのかも知れない。しかしタイムトンネルの技術も日進月歩で、数年のうちには例の北欧の寒村に照準を合わせて君を現代に連れ戻せる目算は十二分にあった。そして君の取り残されたバイキングの村は、君のありとあらゆる知識、能力を生かす絶好の場所ではなかったろうか。そして本当の科学者とは、しばしばそうした全人的な活動の中から偉大なアイディアを得るものなのだ。しかしもし雪竹君が北欧での日々はまったくの無駄だったというなら、私は幾重にも謝る。科学の粋を凝らして、その失われた時間を取り戻すと約束もしよう。
さて、私はいま君とは会えない場所にいる。2××4年の初めには会う機会も持てるだろう。無礼を許してくれたまえ』
手紙を読み終えた私は、タイムトンネル研究所の所員に磯田がどこにいるのか尋ねました。
所員の話によると、はじめに私たちが出発した時より進歩したタイムトンネルは、まもなく今どこに照準があっているかが正確にわかるようになったそうです。現代に戻った磯田さんが目にしたタイムトンネルには、1912年4月13日、北大西洋を航行中の豪華客船タイタニック号が映し出されました。周知のようにタイタニック号は翌4月14日に氷山にぶつかって沈没することになっています。それを見ていても立ってもいられなくなった磯田さんは、日本刀やショットガンを背中にしょって、タイムトンネルをくぐって4月13日のタイタニック号に乗り込み、船長を人質にとってブリッジを占領、氷山に接触しないよう進路を変更し、船を救ったとのことでした。
しかし磯田氏は歴史を大きく変えてしまったということで重い罪を負い、禁固六年の罰を受けました。
それでも磯田氏は弱気になることなく、今度はこの独房から一歩も出ずに1945年の日本への原爆投下を止めてみせると豪語し、実際そのとおり原爆投下を阻止しました。ただその点については、その後発足した「歴史矯正委員会」によってふたたび歴史が改変され、やはり広島・長崎に原爆は落とされましたがね」
磯田宅の大家だった小林氏は、この雪竹氏の途方もない話を聞いて眩暈がするようだった。タイムトンネルの噂は聞いたことがあったが、実用化されたような話は聞かないし、この雪竹という男は気違いで、いっぱい食わされているのではないかと疑いさえした。しかし雪竹が「ヨアラ」と言って呼び寄せたその妻はたしかに北欧系の顔をしている。してみると彼の話は本当なのか。
とにかく今の話は山賊や借金取りを殺すといった話とは次元が違っている。もう磯田という男は訳が分からない。
小林氏はハンカチを濡らして顔にかけ、ソファに上を向いて腰かけた。
すると隣から話しかけてくる男がいる。
「あなたも磯田さんとお知り合いですか?」
見ると恐ろしく太った男がソファの隣に腰かけていた。
次は磯田についてどんな話を聞かされるのだろう……小林氏は肥満の男をぼんやりと眺めた。
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No.654
2013/08/02 (Fri) 13:23:04
小学生のころ剣道を習いに道場に通っていて、ある年の夏、奈良県の柳生の里に合宿に行った。二泊ぐらいの短い合宿だったが、朝から夕方までは稽古をし、夕食のあとは皆で持ち寄ったお菓子を食べたりして楽しく過ごした。そして夜もとっぷり更けたころに、肝試しが予定されていた。その辺りには土葬の墓があって、そこから人魂がときおり出ると聞かされ、怖いもの見たさで胸が躍った。すると雨がしとしと降ってきた。一般に雨が降ると人魂はより出やすくなるとされる。怖いが強がって「面白くなってきた!」と叫んだりしていたが、雨はどんどん強くなり、結局肝試しは中止になってしまった。だから人魂とは会えずじまいになったが、人魂の正体というのは実際のところよく分かっていないらしい。
昔は人や馬の骨に含まれるリンが雨水と反応して発光したものが人魂であるとされていたが、動物の骨から発するリンは光らないのだという。コケの中には光るものがあるから、人魂というのはそれを身に着けた小動物だろうとか、沼から発生した引火性のガスがその正体だろう、などといろいろな説があるらしい。TVでお馴染みの物理学者・大槻義彦は、空気中に発生したプラズマがその正体であると唱えた。プラズマとは、気体であるけれどもそれを構成する分子が部分的に、あるいは完全に電離したものである。電離しているというのは、分子が電子と陽イオンに分かれた状態にあるということだ。つまり大槻説に従えば、人魂は一種の電気が見えたものということになろうか。決してプラズマテレビから人魂が飛び出てくるわけではない。
江戸時代以前の肝試しは、今日よりずっとスリルに富んだものだったに違いない。重罪人に対して打ち首獄門の刑というのがあったからである。だから夜、一人ずつ獄門台に行って罪人の首から頭の毛を抜いてくるとか、いろいろなルールがあったろう。
水戸光圀というとお爺さんの姿でしかイメージにない人が多いだろうが、彼は子供のころ勇気ある人間になるよう特に厳しくしつけられたという。ある晩父親が光圀に、その勇気を試すため、これから獄門台に行って罪人の首を持って来るよう命じた。彼が五歳ぐらいのころである。すると光圀はまったく動じることなくその使命を果たしたのだった。もっとも五歳の少年にとっては人間の頭は重いから、ずるずる引きずって帰ってきたそうだが。帰ってきた光圀は、生きている人間のほうが何をしでかすか分からないからよっぽど怖い、と言い放ったという。
だからあるいは水戸黄門は、好々爺然とした穏やかな老人というよりは、むしろ矍鑠(かくしゃく)とした気の強いお爺さんだったかも知れない。
そういえばTVの「水戸黄門」で、水戸黄門役が初代の東野英治郎から西村晃に変わったとき、デモンストレーションで西村は黄門様の格好で得意のローラースケートを披露し、元気なおっさんが出てきたなと思わせたが、もちろんドラマではおっとりと黄門様を演じた。
悪代官の手下たちを助さん格さんが懲らしめ、その戦況を静かに見守る黄門様は、ころあいを見計らって「もういいでしょう」と言い、すると格さんが「この紋所が目に入らぬか」と印籠を見せつけるという、これはお馴染みのパターンである。僕の記憶違いかも知れないが、だいたい八十年代半ばまでそういう戦闘シーンだったのが、西村が黄門役を降板する九十年代はじめに近づくにつれだんだん黄門様がアクティブになり、竹の杖を振り回して戦闘に積極的に参加するようになって、敵が大刀を持っているのをものともせず相手を殴り倒すまでになった。いくらなんでも黄門様にそこまでの体力はないだろうと思うのだが、ちょうどそのころから戦闘に飛猿(とびざる)だの由美かおるのお銀だのという忍者たちが加わるようになり、敵味方が複雑に入り乱れて戦うようになると、画面の端で黄門様が老人にはあり得ない武闘を見せていてもさほど気にならないという現象が起きていたのである。
ドラマ「水戸黄門」は2011年に最終回を迎えたが、それまではアニメのサザエさんなどと同じく決して終わらないであろうという見方が多かったろう。僕もそう思っていたが、中高生のころよく聴いていた深夜ラジオ番組では、水戸黄門についてある予想がまことしやかに唱えられていた。つまり、うっかり八兵衛役または風車の弥七役の俳優が死ねば、水戸黄門は終わるというのである。水戸黄門も助さんも格さんも、それを演じる俳優にはいくらでも代わりはいる。しかしうっかり八兵衛役の高橋元太郎と、風車の弥七役の中谷一郎にだけは代わりがいない、他の俳優には演じられないというのである。しかしこの予想は見事にはずれた。2004年に中谷一郎が死んだあと、内藤剛志が風車の弥七役を引き継いだのである。まああのスマートな石坂浩二が水戸黄門を演じるほどにこのドラマは変質を遂げていたのだから、弥七のキャラがその程度に変わったからといって大勢に影響はなかったのだろう。
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昔は人や馬の骨に含まれるリンが雨水と反応して発光したものが人魂であるとされていたが、動物の骨から発するリンは光らないのだという。コケの中には光るものがあるから、人魂というのはそれを身に着けた小動物だろうとか、沼から発生した引火性のガスがその正体だろう、などといろいろな説があるらしい。TVでお馴染みの物理学者・大槻義彦は、空気中に発生したプラズマがその正体であると唱えた。プラズマとは、気体であるけれどもそれを構成する分子が部分的に、あるいは完全に電離したものである。電離しているというのは、分子が電子と陽イオンに分かれた状態にあるということだ。つまり大槻説に従えば、人魂は一種の電気が見えたものということになろうか。決してプラズマテレビから人魂が飛び出てくるわけではない。
江戸時代以前の肝試しは、今日よりずっとスリルに富んだものだったに違いない。重罪人に対して打ち首獄門の刑というのがあったからである。だから夜、一人ずつ獄門台に行って罪人の首から頭の毛を抜いてくるとか、いろいろなルールがあったろう。
水戸光圀というとお爺さんの姿でしかイメージにない人が多いだろうが、彼は子供のころ勇気ある人間になるよう特に厳しくしつけられたという。ある晩父親が光圀に、その勇気を試すため、これから獄門台に行って罪人の首を持って来るよう命じた。彼が五歳ぐらいのころである。すると光圀はまったく動じることなくその使命を果たしたのだった。もっとも五歳の少年にとっては人間の頭は重いから、ずるずる引きずって帰ってきたそうだが。帰ってきた光圀は、生きている人間のほうが何をしでかすか分からないからよっぽど怖い、と言い放ったという。
だからあるいは水戸黄門は、好々爺然とした穏やかな老人というよりは、むしろ矍鑠(かくしゃく)とした気の強いお爺さんだったかも知れない。
そういえばTVの「水戸黄門」で、水戸黄門役が初代の東野英治郎から西村晃に変わったとき、デモンストレーションで西村は黄門様の格好で得意のローラースケートを披露し、元気なおっさんが出てきたなと思わせたが、もちろんドラマではおっとりと黄門様を演じた。
悪代官の手下たちを助さん格さんが懲らしめ、その戦況を静かに見守る黄門様は、ころあいを見計らって「もういいでしょう」と言い、すると格さんが「この紋所が目に入らぬか」と印籠を見せつけるという、これはお馴染みのパターンである。僕の記憶違いかも知れないが、だいたい八十年代半ばまでそういう戦闘シーンだったのが、西村が黄門役を降板する九十年代はじめに近づくにつれだんだん黄門様がアクティブになり、竹の杖を振り回して戦闘に積極的に参加するようになって、敵が大刀を持っているのをものともせず相手を殴り倒すまでになった。いくらなんでも黄門様にそこまでの体力はないだろうと思うのだが、ちょうどそのころから戦闘に飛猿(とびざる)だの由美かおるのお銀だのという忍者たちが加わるようになり、敵味方が複雑に入り乱れて戦うようになると、画面の端で黄門様が老人にはあり得ない武闘を見せていてもさほど気にならないという現象が起きていたのである。
ドラマ「水戸黄門」は2011年に最終回を迎えたが、それまではアニメのサザエさんなどと同じく決して終わらないであろうという見方が多かったろう。僕もそう思っていたが、中高生のころよく聴いていた深夜ラジオ番組では、水戸黄門についてある予想がまことしやかに唱えられていた。つまり、うっかり八兵衛役または風車の弥七役の俳優が死ねば、水戸黄門は終わるというのである。水戸黄門も助さんも格さんも、それを演じる俳優にはいくらでも代わりはいる。しかしうっかり八兵衛役の高橋元太郎と、風車の弥七役の中谷一郎にだけは代わりがいない、他の俳優には演じられないというのである。しかしこの予想は見事にはずれた。2004年に中谷一郎が死んだあと、内藤剛志が風車の弥七役を引き継いだのである。まああのスマートな石坂浩二が水戸黄門を演じるほどにこのドラマは変質を遂げていたのだから、弥七のキャラがその程度に変わったからといって大勢に影響はなかったのだろう。
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目次
上段の『☆ 索引』、及び、下段の『☯ 作家別索引』からどうぞ。本や雑誌をパラパラめくる感覚で、読みたい記事へと素早くアクセスする事が出来ます。
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
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