葬儀の当日は、孤独な印象のあった磯田に似合わず、百名を超える人々が参列した。葬儀のあと、十数名がずっと会場に残っていたから、世話係を務めていた大家は好奇心を起こし、それらの人々に磯田がどういう人物だったのか聞いてみることにした。
「私ですか? 私は橋本といいます。神奈川で町工場をやっている者で、磯田さんには若い頃たいへんお世話になりました。いやお世話どころじゃない、彼は私の命の恩人なんです。
かれこれ三十年ばかり前ですが、私は登山が趣味で、長野の黒姫山に登りにいきました。それが、だいぶ登ったところで道に迷いましてね。暗くなってくるし、そろそろ冬にさしかかる時季で、これは本格的に遭難してしまったと途方に暮れました。そこに木陰からふいに男が出てきましてね。それが磯田さんだったんです。彼は植物採集の箱を背負っていて、いかにも山のその辺の地理に通じているという感じがしました。それで私は訳を話し、磯田さんに助けを求めました。今から下山はやめたほうがいい、今晩私はここで野宿するがそれでもいいかと言うので、一晩いっしょに過ごすことになりました。
鳥のもも肉を焼いてくれて、ご馳走してくれました。磯田さんは無口な人で、焚き火の前で、ずっと黙って皮ベルトでナイフを研いでいました。まだ三十代だったと思いますが、日焼けして深いしわの寄った額や頬は、何十年も前からこの山で暮らしているようにも見えました。それでいて目は知的で眼光鋭く、山の精霊から無限の英知と活力を得ているようにも感じました。
そのとき、周りの木々がにわかにざわつき、五、六名の男たちが現われ、私たちは取り囲まれました。彼らは動物の毛皮で作った着物を身につけ、みな髭をぼうぼうに生やし、ある者は猟銃を構えていました。
『何事でしょうか?』私が尋ねると、磯田さんはこともなげに『山賊だよ』と答えました。あのころの信州にはまだまだそういう連中がいたんですなあ。まもなく我々は縄で縛られ、彼らの首領の元へ連れていかれました。
はげ頭で長い白髭を生やした山賊の首領は、まず私に『お前は何の仕事をしている? それから親はどんな家に住んでいる?』と尋ねました。私は父親の工場で働いている、家はいたって小さな家だと答えると、首領は『しけとるのう。身代金はせいぜい十万か。そっちの男はどうだ、何の仕事をしている?』と今度は磯田さんに聞きました。磯田氏は黙ったままです。すると子分の一人が、磯田さんから取り上げた鞄に入っていた名刺を首領に渡しました。『なになに、S大学理学部教授、生物学教室、理学博士か。あんた大学の教授なのか』『それは去年の名刺だ。もう大学はやめた』『だが博士なんだろ、偉いんだろう? これはずいぶん儲かりそうだ、身代金は三百万にしておこう』『そんな金払ってくれる奴なんていないよ』『嘘をつけ。このあいだ新聞で読んだが、博士ってのは千人に一人ぐらいしかなれねえそうじゃねえか。金持ちに決まってる。よし、この二人に交代で見張りをつけろ。他の者は寝てもいいぞ』
それでわれわれは、縛られたまま小さなテントに押し込まれました。見張りの者は煙草を吸いながらテントの入口を固めています。磯田さんがその見張りに『俺にも煙草を一本くれないか』といいました。すると見張りの男はにやりと笑って、煙草の火を磯田さんの手首にぎゅっと押し付けました。私が小便に行きたいと言うと殴られました。磯田さんはぎろりと見張りの男をにらみつけます。
夜が明けてきたころ磯田さんは『そろそろおいとまするか』と言ってするりと自分の縄を解きました。とっくに隠していたナイフで切っていたのです。そして不意をついて見張りの男のあごをぶんなぐり、あっけなく昏倒させました。『こいつらはゴミだ。しかも燃えるゴミだ』というと、ポケットからアルミの缶を出して何かの液体を見張りの男にふりかけました。そして火をつけたんです。わっと男は燃え出しました。男はじたばたしましたが容易に火は消えず、どんどん黒く焦げていってまもなく焼け死にました。磯田さんはテントから出ていき、三十分ほどして戻ってきました。『おっと、君のことを忘れていたね』といって私の縄を解くと『外に出てあたりを見たまえ』と私を促しました。
すると四つか五つあった山賊のテントが全部ぼんぼん燃えているではありませんか。テントから火だるまになって這い出してくる者たちもいましたが、みなすぐに黒焦げになって死んでしまいました。磯田さんはかん高い声でけたけた笑い『見ろ、人間がゴミのようだ!』と叫びました。しかし首領だけは木に縛り付けられ、磯田さんの放火攻撃を免れていました。白髭の首領が『命だけは助けてくれ!』と叫ぶと磯田さんは『おい、お前らは大川一家だな。小林一家は今どこにいる?』と尋ねました。『小林一家ならいま妙高山にいる! 頼むから助けてくれ!』『それだけ聞けば十分だ』と言った磯田さんはどこから見つけてきたのかいつの間にか手にのこぎりを持っていて、それで首領の首をぎこぎこ斬りはじめたのです! さすがに私はあわてて『何やってるんですか! それはやりすぎだ!』と言いました。すると磯田さんはちょっと悲しそうな顔をして『いや、僕は一年近く放浪していてもうからっけつでね。小林一家というのはこの大川一家と対立している山賊だから、こいつの首を持っていけばいい待遇で仲間に入れてくれると思うんだ。つまりしばらく僕は山賊に鞍替えしようというわけだ。君には気持ち悪いものを見せてしまったね。安全な下山ルートを教えるから気をつけて帰るんだよ』そういって磯田さんは山賊の首領の首を斬り落としたあと、血みどろの手で詳しい地図を描いてくれました。
そういうわけで、磯田さんの行動は決して人の模範になるようなものではありませんでしたが、私にとっては命の恩人なわけです。ところでしばらくたって、磯田さんが新聞に大きく二面にわたって取り上げられたときはたまげました。その一面は『極悪非道の山賊・磯田進吉ついに逮捕』で、もう一面は『磯田進吉博士、野草の成分からがん治療の画期的新薬を開発』となっており、両方に磯田さんの大きな写真が載っていました。磯田さんは山賊稼業の合い間をぬって研究を続け、論文を海外の科学雑誌に投稿していたんです。まあ私のような凡人には到底理解しかねる人物ですよ」
そういうと橋本氏は別れを告げて葬儀場を去っていった。磯田氏のアパートの大家は話を聞いて呆気に取られたが、同時に訳の分からない感動を覚え、さらに磯田氏の話を聞くべく今度は喫煙所で煙草を吸っている口髭の中年男に近づいていった。
(つづく)
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ダイアナ・ブラックリーはダア・ハウス開発研究所に籍をおく生化学者だった。ある日、彼女がいつも猫にやっているミルクの皿に、ある種の地衣類(藻類と菌類の共生体)が繁殖しているのに、彼女と所長のサクソバー博士は気が付いた。地衣類は抗生物質として医療に役立つことがあるため、サクソバー博士はその点について研究してみるといってサンプルを持ち去った。ダイアナもその地衣類を自分で調べてみた。
結果、それは驚くべき性質を持った物質であることが分かった。それは、人間の代謝を遅らせる働き、すなわち人間を長生きさせる働きを持っていたのだ。サクソバーもダイアナもそのことを突き止めたが、互いにそれを隠し、ダイアナは突如研究所を退職する。その「超寿物質」はのちにアンチ・ジェローンと名付けられた。
ダイアナは「ネフェルティティ」という高級美容院を始め、客にアンチ・ジェローンを投与して、文字通り客の「若さを保つ」施術を行った。しかしアンチ・ジェローンにアレルギーを起こした婦人がネフェルティティを訴えたことから、ダイアナは十四年ぶりにダア・ハウスのサクソバー博士に連絡を取る。博士はあくまでアンチ・ジェローンの効能について公表を避けており、自らと自分の子供たちだけにその投与を行っていた。サクソバーの娘ゼファニーは自分が二百年も生きることを知らされ、衝撃を受ける。息子のポールも同様に驚いたが、自分の妻も同じく長生きする権利があると主張、しかしポールの妻はこれを金儲けの種と考えたため、アンチ・ジェローンの秘密が広く流出し、やがてマスコミをにぎわすようになる。
ダイアナがアンチ・ジェローンについて正式な発表を行ったが、今のところイギリス全国民に行き渡るだけのそれは確保できないと言わざるを得なかった。かつての発明品と同じくそれを多く製造することもやがてはできるだろうという楽観論もあったが、人間が二百歳まで生きることによる食糧問題、次の世代に起こるであろう失業問題を重く見て、アンチ・ジェローンの製造は禁止するべきだ、という声もあった。
さまざまな利害関係にある勢力がうずまき、ダイアナはなんとか事態を収拾しようとするが、暴徒によって暗殺されてしまう。ただしこの物語はハッピーエンドで終わる。
「人間が二百歳まで生きられる薬品が開発されたと人々が知ったら?」という設定で社会の各層が次々とテンポよく映し出されていくさまは面白く、かつリアルである。実際に人々が長生きするところは描かれていないから、その際に起こる社会の変動については、読者の想像に任されている。
しかし三日の早朝まだ夜の明けない四時ごろ、遠方の友人と電話で話していてすこし気持ちがぐらつき始めた。僕が今の教師の仕事での最大の関心事は来年の四月以降も契約を延長して雇ってもらえるかどうかだ、というと彼女は、それならぜひ吹奏楽部の演奏会に行くべきだ、という。子供は先生が見に来てくれるというのを喜ぶものだし、きっと僕のことを親御さんに良い先生だと言うようになるだろう、とにかくこういう機会に親御さんへの得点を稼いでおけば雇い主へのアピールになるはずだ、というのだ。なるほど一理あると思い、夜が明けると僕は学校に電話をかけ、演奏会の場所と、それが午後二時に始まるということを確かめた。しかしそれは遠方であって、その距離は僕の意気をくじくのに十分なものであり、行こうという気持ちをすっかり失ってしまい昼過ぎまでぼんやりしていた。しかしながら僕はいっこうに頭が冴えず、休日に自分に課している書き物がまったく進まないのに嫌気がさし、時計が一時を指すと気分を一新して吹奏楽部の定期演奏会に出かけることに決めた。
服を着替え急いでひげを剃ると上唇を切ってしまった。血が止まらないまま家を出て自転車を飛ばし、電車を乗り継いでなんとか目的地に着いたのは二時二十分ぐらいだった。顔見知りの二年生が受付をやっていて、プログラムを渡され会場に入り、舞台にいる生徒たちの顔がよく見えるよう前のほうの席に陣取った。二曲目のムソルグスキーの「展覧会の絵」の途中だった。
授業中はまるでやる気を見せない女子生徒が、真剣な面持ちでフルートを吹いているのがまず目に付いた。真ん中の奥の席ではいつも授業をかき乱すおかっぱの女子が真っ赤な顔をしてトランペットを吹いている。とにかく知っている生徒が何の楽器をやっているのか目を皿のようにして確かめていった。一人だけ確認できなかった生徒はおそらくユーフォニウムの陰に顔が隠れていたのであり、せっかくの晴れ舞台に顔が出せないとは可哀そうなことだと思った。
いつもは弦の音の入った演奏をCDで聴いている「展覧会の絵」だが、吹奏楽でも十分に聴き応えがあった。フルート、クラリネット、サックス、トランペットなどそれぞれに音色が違い、この曲にふさわしい華やかな音の色彩を生み出していた。
次はOB・OGによるステージだったが、その前の休憩の時間に小さな子供を連れた女性が僕の一列前の席に来てあいさつしてきた。同じ学校の国語の先生だった(この学校では国語は「日語」と呼ばれている)。会場までどういうルートで来たのかといった世間話をしていたら再び僕の上唇から血が噴き出してきたから弱った。ところでその先生は古典も教えているけれども、この学校の生徒の約半数は韓国語を第一言語としており、彼らにとって外国語である日本語の、しかも古典を学ぶというのはそうとうの苦痛であるらしい。しかし日本の文科省の認可を受けた学校である以上、日本の古典はどうしてもやらせなければならないようだ。
OB・OGたちはCジャム・ブルースなどのジャズナンバーを三曲ほどやって、次の部で再び現役生の舞台になったが「ポップスステージ」と題して親しみやすいナンバーを次々演奏した。
「アルセナール」だの「Make Her Mine」などという初めての曲もあったが、「松田聖子メドレー」だの「津軽海峡冬景色」だの「ハナミズキ」だのといった誰もが耳にした事のある曲が続いた。この定期演奏会の慣習なのか、長いソロをとる奏者はわざわざ前に出てきて楽器を吹いた。楽員たちはだいたい中学一年で入部して高校卒業までの六年間活動するらしく(この学校は幼稚園から高校までの一貫校である)、高校生たちの楽器の腕前はみななかなかのものだった。にぎやかな曲が続いたあとのしっとりした「ハナミズキ」のメロディは耳に心地よかった。ところでこの原曲の歌詞にある「君と好きな人が百年続きますように」という台詞を発しうる人というのはいったいどんな人間なのだろう。作詞をした一青窈がこれを本気で言っているとしたら、彼女は古代中国の堯・舜に始まり、孔子・孟子と続く系列に加えてもよいほどの聖人ではなかろうか。
続いて「アンパンマンのマーチ」それから「Born This Way」という曲があって、「君の瞳に恋してる」で締めくくりとなったが、どうやらお約束らしいアンコールとなった。アンコール曲のときに高三生の吹奏楽部の部長が前に出てきてあいさつし、そしてクラブの引退が近いのか個人的な思い出や感謝の気持ちを述べ、思わず涙ぐんだときは感動の場面だった。
プログラムがすべて終わり、観客が会場を出て行くとき、出口のところで今日の演奏者が並んであいさつしていた。いつも授業をかき乱すおかっぱのトランペッターが目についたから「良かったよ」と声をかけると照れくさいのかそっぽを向かれてしまった。他の女子生徒たちはくったくなく僕が来たことを喜んでくれていたようだった。
この女子生徒たちのクラスではどうも僕と生徒たちとの間に溝があるのを感じてきたのだが、これをきっかけにすこしは打ち解けられればいいと願うばかりである。
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❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
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