忍者ブログ
AdminWriteComment
 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/22 (Fri) 01:35:34

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

No.645
2013/05/15 (Wed) 00:19:37

 篝火(かがりび)の影しるければうばたまの夜河の底に水も燃えけり  紀貫之

 塚本邦雄のアンソロジー『王朝百首』で知った作品。かがり火の光がくっきりとしているから、夜の川面にそれが映って、あたかも川底の水が燃えているかのようだ、といっている。自分は詩歌を読むとき頭が理系に働くのか、恋の歌などよりはこうした、自然の中にシンメトリー等の美しさを発見した喜びを歌ったものに心惹かれる。
(ところで塚本邦雄によると小倉百人一首には優れた歌はひとつもないという。おかきで有名なお菓子メーカー「小倉山荘」の関係者が塚本の読者でないことを祈ろう。)


月下獨酌  李白

花間一壺酒 獨酌無相親
擧杯邀名月 對影成三人
月既不解飮 影徒隨我身
暫伴月將影 行樂須及春
我歌月徘徊 我舞影零亂
醒時同交歡 酔後各分散
永結無情遊 相期邈雲漢

花の間で酒壺をひとつ置き 友もいないから独り酒を飲む
杯を挙げて名月を迎え 自分の影も合わせれば仲間は三人だ
しかし月は酒を飲む楽しみを知らないし 影は自分に従って動くだけ
だがまあ月と影とを相手に 今宵はぜひとも春の楽しみを味わおう
わたしが歌うと月はさまよい わたしが舞えば影もふらふら踊りだす
正気のうちはこうして一緒に悦びあっているが 酩酊したあとはめいめいばらばらになってしまう
しかし月と影とわたしの三人は世俗を離れた遊び仲間のちぎりを永久に結ぶ 落ち合う約束の場所は天の川のはるか彼方だ

 有名な李白の詩だが、これも「はじめは一人だった、月を見つけて二人になった、そして影も見つかって三人になった」というのが、僕には「認識主体がいたから世界が始まった」という宇宙観を思い起こさせ、また一つ、二つ、三つと数えることが数学の始まりでもある、といったような理系的な面白さを感じるのである。
 もちろんこの詩は酒の徳と愉しみを詠って酔余の幻想を極大にまで拡大してみせた李白一代の傑作であって、これを味わうのに読者が理系だの文系だのといった区別などまるで要しないことはいうまでもない。


宇治川を船渡せをと喚(よ)ばへども聞えざるらし楫(かぢ)の音(と)もせず 作者不詳(万葉集巻七・一一三八)

 これまでにも何度か取り上げた歌である。夜に宇治川の岸に来て、船を渡せと呼ぶけれども、聞こえないのか、こいでくる櫂(かい)の音がしない、と言っている。それだけの歌だが、闇のなか河の向こうで何が起こっているのか推測するしかない、そこで何が起こっているのか分からない、というところが闇に覆われた空間の広大さを思わせ、僕はそこに宇宙的な広がりを感じるのである。ブルックナーの交響曲も連想するし、またいつくるか分からない船を闇の中で待っている情景は、闇を宇宙にたとえるなら、素粒子物理学の巨大な実験装置「スーパーカミオカンデ」が太陽から飛来する微細なニュートリノを静かに待ち続けるのにも似ている。
 あと絶対に面白いと思ってtwitter やmixiにアップした発言に意外に何の反応もなく、茫然と待ちつくすさまにも似ていなくもない。

(c) 2013 ntr ,all rights reserved.
PR
No.644
2013/05/15 (Wed) 00:01:05

 富士山が世界遺産に登録される運びらしいが、雑誌「ニュートン」の今年の二月号によれば、その富士山が近いうちに噴火する可能性が大いにあるそうだ。近いうちというのは今年か来年あたりである。その根拠は、歴史上世界で起きた火山の噴火について調べると、しばしばそれが大地震のあとに連動して起こっていることである。マグニチュード九・〇以上の大地震についていえば、一九一〇年から二〇一〇年の間に五回起きているが、地震の翌日から三年以内に例外なく近くの火山が噴火を起こしている。そして二〇一一年三月十一日に起きた東日本大震災はマグニチュード九・〇で、いまだに付近の火山は噴火していない。東日本には箱根山など、富士山以外にも火山はあるが、とくに富士山は三つのプレートの境界が合わさるところに位置していて、地震との関係でいえばもっとも噴火を起こしやすいと考えられる。
 
 富士山が噴火すればその近隣がこうむるであろう災害はもちろん大きなもので、とくに厄介なのは火山灰だそうだが、僕は世界遺産に登録された大きなゆえんであろう富士山の優美な形状が噴火のあとどうなるのかが気になるのだ。
 一般に火山はその頂上が噴火するとは限らないもので、じっさい富士山がもっとも最近噴火した一七〇七年の場合では、南東の山腹七合目あたりからマグマが噴き出している。富士山にはフィリピン海プレートに乗った伊豆半島がつねに南東方向から圧力をかけているそうで、そのため南東から北西にかけての山腹には岩盤に裂け目が出来やすくなっており、そこが噴火口になりやすい。
 そこで心配になってくるのだが、かりに有史以来の大噴火がそうした岩盤の裂け目から起きた場合、富士山南東の山腹が大きく欠けてしまい、南西あるいは北東方向から見るとまるで左右対称でないブサイクな山になってしまわないだろうか。富士山はあるいは天皇にもまさるとも劣らない日本の象徴なのだから、これは由々しき問題である。もしそのときは、日本民族の超人的な勤勉さと科学技術を結集して、富士山を元のかたちに修復してもらいたいものだ。富士山の左右対称性を保つというだけなら、山の反対側である北西の山腹を同じ程度に削るほうがあるいは簡単かも知れないが、そういうことはして欲しくないのだ。日本人の美意識が狂っていないことを信じたいところである。

(c) 2013 ntr ,all rights reserved.
No.637
2013/05/02 (Thu) 18:05:44

                            

  春秋左氏伝に呉の王の言葉として「溺るる人は必ず笑う」というのがあると知り、そんな馬鹿なと思い原本を見てみたら註に「水に溺るる者口を張りて笑う状をなすという諺あり」とあった。なるほど必死で息を吸おうとする口の形が笑っているように見えることがある、ということか。しかしこれが事実だとすると本当に溺れかかっている人がへらへら笑いながらふざけているように見える可能性があるということで、通りがかった船の上の人も同調してげらげら笑いながら溺れている人を櫂で引っぱたいたり棒でつつきまわしたりしていっこうに助けない、ということもあるかも知れない。とくにシンクロナイズド・スイミングの選手は水面で笑顔を作る癖があるだろうから、例えば海水浴で沖を泳いでいるときに溺死した亡者が海中から足を引っ張ってくるような際には注意が必要だろう。化粧をばっちりして笑顔で海に沈んでいったら、誰しもシンクロの技だと思うに違いない。

 女性はいつでも笑顔でいて欲しいと多くの人は思うが、それも時と場合によるのである。だからときには鏡を見て死ぬほど苦しい顔の練習もすべきかも知れない。そしてもちろん、嫌な人間をきっぱりと遠ざける毅然とした態度を表に出せることも大事だ。イルカという動物にはそれが出来ない。何しろ人間が好きで好きでしかたがなく、人の乗った船が通りかかるともう嬉しくてどこまでもついてくる。むかしイルカが食用にされた時代には、そうしたイルカの習性を利用して、沖からイルカを撫でたりしながら浅瀬まで連れてきて、砂浜近くまで来たところを皆でよってたかって棒でぶち殺したのだ。愛想が良すぎてひどい目にあいがちな、いわゆる男にとって「都合の良い」芸者をイルカ芸者とも言ったらしい。

 むかし子供向けのテレビ番組に「ママと遊ぼうピンポンパン」というのがあり、進行役のお姉さんを支えるキャラクターとしてカッパのカータンというのが出てきた。写真のように愛らしく笑顔の親しみやすいキャラクターである。視聴者参加型の番組で毎回多くの子供たちが母親といっしょに出てくるが、中にはやんちゃな子もいて、カータンを殴ったり蹴ったりする。
 聞くところによるとカータンの着ぐるみにはいつも同じ人物が入っていたわけではなく、ある代のお姉さんのころによく入っていた人物は番組中彼女のお尻を執拗に触ってくる品の悪い男で「エロガッパ」と陰口を叩かれたらしいが、それはともかくカータンには似つかわしからぬ子供嫌いの人物が入っていることもあって、そういうとき子供がカータンを殴ったり蹴ったりするとある種の問題が発生する。そのカータンは子供をカメラに映らない物影に連れて行って、その大きな重い頭で頭突きを浴びせるのである。とうぜん子供は泣きながら母親にこのことを報告する。しかしカータンの顔というのはとても子供に暴力を振るうようには見えない愛くるしいものであって、母親は子供の言うことを本気にしない。逆に気の弱い男がカータンに入っている場合は子供に好き放題に小突き回されてしまうが、しかしやはりカータンの顔は幸福そのものといった笑顔であって、とても不幸な目にあっているようには見えない。この場合はその可愛らしい顔が中の人物に不利に働くのである。
 カータンの顔はそのように幸福のシンボルそのものといってもいいほどで、それが逆に見るものに「実は残酷なカッパだったら」「実は好色なカッパだったら」という空想をたくましくさせるところがある。ある漫画ではカータンの着ぐるみを着た男がチンポだけ出して女と激しくセックスする場面があったらしく、自分はそれを見ていないけれどもさぞ抱腹絶倒ものだったろう。

 チャップリンの映画の一場面で、兵士に扮したチャップリンが手榴弾を投げようとしたらそれが袖の中に入ってしまい取れなくなる、というシーンがあって、現実にそういうことがあったら生きるか死ぬかの重大事だが、しかしだからこそチャップリンの慌てぶりが可笑しくてしかたがない。
 また作家の筒井康隆があるとき自宅で鍋焼きうどんを作って、さあ食べようというのでレンジから食卓に運ぶ途中、何かにつまづいて転びそうになった。鍋焼きうどんで火傷したら大変だととっさに思った彼は、その鍋を出来るだけ遠くに放り投げた。鍋が落ちたところは金魚の水槽で、その熱で水槽の水はあっという間にぐらぐらと沸騰し金魚はすべて煮えてしまったという。
 必死な人間はしばしば非常に面白い。僕の場合で言えば、教室で授業していて下に落ちたものを拾おうとして、しゃがんだ瞬間にスーツの股が派手に裂けてしまったということがあった。「あー裂けちゃった」と堂々と言ってのけるほど人間の出来ていなかった僕は、できるだけ何事もなかったように授業を続けたが、生徒のうち一人が気づき二人が気づき、最後にはみんな気づいていたと思うが、生徒たちは僕の「何もなかったふり」に付き合ってくれて、チャイムが鳴るまで静かに授業を受けてくれた。なんとも優しい子たちである。

(c) 2013 ntr ,all rights reserved.
[10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









 ※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※







文書館内検索
バーコード
忍者ブログ [PR]