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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/22 (Fri) 22:27:06

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No.491
2011/11/03 (Thu) 01:32:27

 先週は繁華街のセールスの仕事でやたらカウチン・セーターを見かけたので、自分も今日は背中にインディアンの編み込みがしてるのを着ていったら、今日は暑いこと。

 あちこちのウインドウを見たり店頭を覗くと、どうやらダウンベストが流行りらしい。


 70年代の中盤、ベトナム戦争が収束に向かいつつある頃雑誌POPEYEも創刊された。確か、高2のころだ。

 ポパイとはポップ・アイをつなげてポパイにしたらしく、ブルータスなんていう
雑誌もその後世に出た。
 どちらもこの出版印刷離れの御時世に揉まれながらも姿形を変えて生き残っているが、たとえば小学○年生なんていう月刊誌がいとも簡単に葬られたことを思えば、案外快挙なのかもしれないが。

 さて・・・。

 ダウンベストと言っても、本当の羽毛を詰めた本格派、ノース・フェイスなどを筆頭にするアウトドア御用達と、ポリエステルの中綿をつめたダウンベストもどきと二つに分かれ、当然のごとく前者は値も張り、後者は街着として有効だし気軽に羽織るのがいい。

 ネルシャツや、ダンガリー、ウェスタンシャツなどと組み合わせる着こなしはメイドイン・USAカタログなんかで紹介された。
 今ではその亜流が世の中にはびこり、当然の文化として着られているに過ぎない。
 
 今日、たまたまガード下の店でいつものようにセールスプロモーション・・・といっても単なる売り子というかオヤジが店番してるだけだが・・・生後1年以内くらいのベビーを前に抱えた若い人妻らしき小柄な女性が小生に近寄って曰く「こういうのってもっと安くなりますか?」と訊かれたのはかのダウンベストもどき。

 コットンスェードのような布地に合成皮革でウェスタンシャツの肩ヨークのようにアンブレラカットで貼ってある。
 単価は¥3900だが税込¥4095。

「ええ、消費税くらいならオマケしてあげますよ」妙齢の人妻に目が眩んだ訳じゃないが、普段、この街で商売するならこれくらいは愛想がえしかと思っているので。

 ところが、
 「え?半分くらいになりませんか?」と応酬され、
 「いや、どんなに頑張っても入荷したてだからいいとこ¥3700くらいが精いっぱい」
 と答えると「それだけですか・・・」と言い放ち出て行った。

 最近、こういうのがやたら増えている。
値切るという行為は構わないが程度を知らない。


 高校生のころ、ポケットに3千円しかなくて3500円のセーターを欲しい時に負けて貰って嬉しかった記憶はあるが、さすがにいきなり「半分にしてよ!」とは言えなかった。
 いつも言うけど「じゃ、コンビニやブランドの店で同じことが言える?」と問いかけたくなるが。

 今はどこの店もカサカサ言うナイロン?ビニル袋に買った服を入れて客に渡すのがほとんど主流だ。
 色やデザインはいろいろだけど。

 そのポパイが出た頃はVANを筆頭にJUNやエドワーズなどが御三家で、その次に三峰やtakaQだった。紙袋のステータスとして。
 むろん、ビギとかあったけどね(他にもあったと思うけど思い出せない) 。
ポパイにはその紙袋の粋な持ち方までレクチャーされたいたと記憶しているが、他にもディスコで流行ってる曲のステップの踏み方やマフラーの巻き方などが紹介されていた。
 ストーンズをどんなロケーションで聴いたらよいのか?などもあったがこれは後述するとして。

 携帯や過剰なギャンブル投資、パチンコ、パチスロなどは我々の時代・・・ 結局、機械には勝てないと悟ってからはしなくなったが・・・ 仮面ライダーや北斗の拳、花の慶次などのキャラクターを続々と用いて、結果、一大娯楽産業という名のもとにすっかり後ろめたいイメージは払拭された。
 実は此処に大きな落とし穴があるのだが。

 紙袋のロゴや持ち方が文化などと言っていたのは確かにとうの昔だ。

 コーチやルイ・ヴィトンなど今じゃ中国人女性の必須アイテムだが、当時は高根の花どころかそんなヨーロッパの王侯貴族の持つ鞄や革製品なんて誰も知らなかった。


 スーパーで入れてくれる紙のサミット袋が、実は日本家庭の核家族化を促したという経済学者もいたが、時世次節は変わろうと・・・である。

 豊かさを享受しすぎて苦労も努力もなく結果、感謝、尊敬などいう気持ちが薄らいでいく。24時間開いてるコンビニに行けば何でも飲食できる。


 利便性が最優先の当節、ダウンジャケットなど「もどき」で充分なのかもしれない。



 (c)2011 Ronnie Ⅱ , all rights reserved.




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No.490
2011/11/02 (Wed) 01:03:17

 昨日は週末の日課で、最寄り駅に近いゲオでブルーレイを物色して帰った。

 この間借りたパチーノの最新作、確か「陰謀の報酬」とかって言ったと思うけど、意味のある社会派ドラマなんだろうけど薄っぺらで全然ピンとこなかった。
 前作のデ・ニーロと久々の共演の「ボーダー」、あれも似たような題材、警察の腐敗や汚職警官を題材にした話だったけど。

 デ・ニーロのように器用な役者は、ビッグネームとなってもコミカルもシニカルも結構こなすけど、パチーノみたいな俳優は個性が強すぎて無理なんだろう。
 「ゴッドファーザー」も「セント・オブ・ウーマン」も彼の演説めいたセリフが最高のクライマックスなんだけど、往年の輝きは失われていく。

 
 さて、レンタルなんとかいう商売が出始めたのは80年代の中盤ではなかったか?・・・・

 ビデオはVHSとベータと両方置いてる店が多かった。ツタヤやゲオなどチェーン店がまださほど存在しない頃の話だ。
 CDの普及率もまだまだだったころ貸しレコード店と兼ねる店もあった。
 数千円もする入会金や法外とも思う延滞金など高かったよね以前は。

 新作、話題作も数本しかなくて人気のあるのはいつも貸出中で、「箱だけしか飾ってないんじゃねーの?」と店員にごねた思い出もある。

 VHSが終焉に向かう90年代後半から、圧倒的なチェーン店一辺倒時代が到来する。やはり、在庫や資金回転の面からすると難しいのだろう。
 中小や零細ではほんの趣味になってしまう。地方のローカル都市だと何十台も停められる大型の駐車場が必要になるし、都心の駅の周辺ではそれなりの家賃もかかる。

 欧米型の家族が半日過ごせるようなショッピングセンターがもてはやされるのはその為だろうが、スペースの割に奥行きがない。
 単に陳列やディスプレイのことだけをこだわるのでない。

 産業自体が、この国と同様に若者優先、偏重で来ているから新しいものしかブームにしようとしない。

 必然的にクラシックに近いスタンダードな名作は隅っこに追いやられる。

 心に訴えるサウンド、映画とは言え他人の人生を垣間見る物語、胸を打つ技、むろん今の世にそれがないとは云えぬが・・・。
 だが、映画本来の中身としたらじつに薄っぺらになったと言わざるを得ないし、CGをはじめとする機械仕掛けの紙芝居ごっこに付き合わされているような気がする。 画質が良くなればきれいな半面、アラも目立つ。

 俺に言わせれば3Dなんてもってのほかだ。
 臨場感や迫力に名を借りた電脳猿芝居といえば叱られるか?

 ゲオに往っても結局、幅を利かせてるのは韓流ドラマや24などの延長線上にある連続ドラマたちだ。
 それはそれでいいんだけれど、煽りを食って好きなアラン・ドロン氏の「フランク・リーヴァ」は他店に移動されてしまった。

 嘆かわしい。これも時節か・・・。

 そういえば、カフェラテなんぞが幅を利かせて昔のウインナコーヒーがいつの間にか姿を見ない。
 甘いようでいてほろ苦い、魂を揺さぶるような悪魔のようなコーヒーの味。

 缶コーヒーは無糖しか飲まないけど昨今は微糖が主流らしい。
 贅沢微糖なんていうのもある。が、結局甘いだけであの悪魔のような魂を揺さぶるコーヒーからは程遠い。

 甘くて軽いものがもてはやされ、やがて忘れられていく、
 これも時代か、潮流か・・・。



 (c)2011 Ronnie Ⅱ , all rights reserved.




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No.489
2011/11/01 (Tue) 00:46:01

 高校時代はスズキの50cc、マメタンと一緒だった。

 一度、日光へ出かけた折、接触で修理を余儀なくされていたが。
 フロント・フォークをイージーライダーのように伸ばし、リアショックを短いものにしてより、チョッパー色を増していた。

 信号待ちなどで「整備不良じゃないのか?ちょっと交番まで・・・」と、免許証を見せた挙句職務質問だの身体検査などされる場面は多かった。


 いつの間にか受験シーズンだの進学だのとやかましくなり、いったんはバイクから遠ざかり、専門学校入学が決まってから毎日新聞の朝刊配達を始めた。

 以前、高1の夏にも2カ月ほどやったことはあったが、そのときは読売で自転車で配達部数も150くらいだった。
 バイクで配達し部数も300部以上で1回の配達の走破距離は40kmを楽に越えるハードなものだった。

 配達のお供はホンダが世界に誇る超精密機械、スーパーカブだった。

 取り回しと燃費の良さ、静粛性では他の2ストの実用車ではかなわなかっただろう。今じゃ、若者のファッションバイクの用途もあるらしいが。

 夏場は蚊に喰われたり、雨や台風になかされ犬に吠えられたり合計2年近くの配達のバイトは集金なんかも含めて結構大変だったから今でも記憶に残ってる。

 冬場は手がかじかみ、寒かった。
 皮の手袋はすぐに硬くなったし、ダウンなんか高くて買えなかった。シュノーケルと呼ばれたN3B・・・ナイロンツイルでできたフードにボアのついたハーフコートの下はつなぎだった。

 余ったスポーツ新聞をいつも入れに行く農家のオバちゃんから「いつも、ありがとう。御苦労だね。朝ごはん食べておいでよ・・」とほほ笑みながら、熱いみそ汁と白いご飯、自家製の糠漬け・・・。
 電子レンジなどまだ普及はさほどしていなかった頃だ。

 あったかい御飯が胃袋にしみた。

 「また、いつでもおいでよ・・・、御苦労さん」と送り出してくれた。

 それから1度もその家でご飯を御馳走になることなどはなかったが、スポーツ紙が余るとそのお宅へは届けていた。


 配達も止め、学校も中退し思ってもみなかった業種へ就職し、都心を離れて北陸にその後移り住んだ。

 10年振り以上でその農家のあった場所をクルマで通ると辺りはすっかり変わっていた。
 整地された土地にはマンションが立ち並び、かつて配達の帰りに最高速で飛ばして帰った一帯は今やレイクタウンなどと超大型のショッピングセンターになり、のどかな湿地帯だったころの面影はない。


 カブのアイドリングの音をたまに聞く機会があると、

 あの熱いみそ汁を思い出す。



 (c)2011 Ronnie Ⅱ , all rights reserved.




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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









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