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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/23 (Sat) 03:28:06

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No.455
2011/08/22 (Mon) 17:39:37

移居公安山館  杜甫

南國晝多霧 北風天正寒
路危行木杪 身迥宿雲端
山鬼吹燈滅 廚人語夜闌
雞鳴問前館 世亂敢求安

南国では昼でも霧が多く 北風が吹いて天は本当に寒い
路は危うく木のこずえの辺りを歩き 身ははるかに雲のある辺りに宿をとる
山鬼が灯火を吹き消し 台所の人々が夜更けに話し合う声が聞こえる
鶏の鳴くころ自分はまたゆくての駅館について人に尋ねてみる この乱世にどうしてひとつところに安住していられようぞ


 まだ二十歳前後だがひげを立派にたくわえた三人の男が、深夜、荒野を歩いていた。彼らはさる県の自然豊かな地に建つ全寮制の神学校の学生であり、夏休みになって里帰りする途中だった。ふところの寂しい神学校の学生たちは、もっぱら徒歩で故郷まで帰るのだった。
 神学校に籍を置いている連中は、一般に想像されているよりもずっと性質が悪い。粗末な学食に飽き足らず、ふだんから近隣の農家から作物や鶏を盗んではむさぼり食い、酒屋に押し入り地酒を強奪し、夜な夜な酔ってはどら声で寮歌や賛美歌を歌い怪気炎を上げるのである。だからいっせいに学生たちが里帰りの旅に出るこの時期は、とくに近隣住民たちは恐怖におののくのだった。一文も持たぬ学生たちは、もっぱら強盗と略奪によって帰郷までの糧食を得るのが常だったからである。中には女を犯す者もいる、少年を犯す者だっている。警察といっても田舎のことゆえ、駐在所に年老いた巡査がいるだけでとても頼りにならなかった。
 さて荒野を踏破しようという件の三人の学生たちは、そろそろ今夜のねぐらを見つける必要を感じていた。しかし夕暮れから濃くなった霧に惑わされてか、一行は踏みならされた正しい道のりをいつしかはずれてしまい、人里はまるで見当たらず、のみならず危険な狼の遠吠えも聞こえてきた。こうなってはいかに肝の据わった神学校の学生といえども、多少の恐怖と焦燥を感じないわけにはいかなかった。しかし狼たちの吠え声が頻繁になりいよいよ三人が肝を冷やしたとき、一軒のあばら家の灯りが見えてきた。三人はその家の塀の外に立って、中の住民に声をかけた。
「こんばんは! 僕たちは怪しい者ではありません。どうか一晩泊めてもらえませんか? 私は神学科生の本間です!」
「俺は哲学科生の饗庭(あえば)!」
「僕は修辞学科生の不動(ふどう)!」
 三人は声を張り上げたが、何の反応もない。本間はさらに大きな声で言った。
「納屋でも馬小屋でもどこでも構いません! どうか一晩! でないと狼に食われちまいます! 神に仕える者を見殺しにしていいんですか?」
 しばらくして中から老婆の声が聞こえてきた。「夜は誰も入れないんだよ」
「お願いします!」と食い下がる本間。「お礼はしますから!」
 すると粗末な門扉がすこし開き、中から年のころ八十ぐらいの白髪の老婆が顔を見せた。うさんくさそうな三白眼で、三人をじろじろと眺め回す。しばしの沈黙ののち、
「入りな」と老婆は言った。
「ありがとうございます」
「何も食べるものはないよ。それに三人いっしょだとうるさくってかなわない。お前はこっちの馬小屋で寝な。あんたは納屋だ。そっちの若いのは風呂場に泊まってもらう」
 という訳で本間は馬小屋の隅、饗庭は納屋、不動は風呂場で寝ることになった。薄気味悪い老婆で、愛想も何もなかったが、三人はめいめい礼を言ってそれぞれのねぐらに入っていった。
 本間は馬小屋の隅で、干草を枕にして横になったが、なかなか寝付かれなかった。馬の匂いはさほど気にならなかったし、狼や猿の哀しげな鳴き声もどうとも思わなかったが、時おりなんだか分からぬ動物の苦悶の叫び声が聞こえてきて、それがどうにも重苦しく胸にのしかかってくる。
 そうこうするうち、本間は馬小屋の中にふと人の気配を感じた。この家の老婆が、ろうそくを持って入ってきたのだ。浴衣姿で、なぜか薄笑いを浮かべている。老婆は無言で本間に近づいてくる。気味が悪くなり逃げようとしたが、老婆は機敏に右に左に動いてとおせんぼをした。馬小屋の隅に追いつめられた本間は言った。
「婆さん、変な真似はよせよ。俺は斎戒中なんだぜ」
 しかし老婆はそれが聞こえないかのように無言の笑みを浮かべながら、何を思ったかやおら浴衣の胸をはだけ、しぼんだ乳をあらわにした。そしてその乳を振り回し本間の顔を乳でぴしゃぴしゃとたたき始めたではないか。干しぶどうのような乳首で鼻先をこすられた本間は、
「何しやがるんだ、この婆あ!」と叫んだが、老婆は恐るべき怪力で彼を押さえつけている。窮した本間は、悪霊退散の祈祷の文句を唱え始めた。すると老婆の顔からやっと笑みが消え、うろたえた様子である。ふっと軽くなった老婆をはねのけ、本間はろうそくを奪って馬小屋を出て行った。
 納屋の扉を開けてみると、饗場がうつぶせに倒れていた。よく照らしてみると、彼の頭には大きな釘が五六本打ちこまれており、そこから大量の血を流していた。後頭部から額までを貫いている釘もあり、明らかに饗場は死んでいた。
「なんてこった!」
 こんどは風呂場に行ってみた。そこにいるはずの不動は、水を張った風呂桶に頭を突っ込んでぐったりとしていた。本間がその上体を起こしてみると、不動の喉は横一文字に刃物で切られていた。彼も明らかに死んでいた。
「畜生、何てことするんだ……」
 本間は唖然としたが、身の危険を感じ、すぐ風呂場を出た。
 そこには老婆が立っており、手にはわらを運ぶための三つ又の槍を持っていた。またも無言で笑みを浮かべながら、その槍で攻撃してくる。全速力で逃げても老婆は平気でついてきて、左右に体をよけても機敏に対応してくる。とても八十歳の老人とは思えなかった。本間は地面から砂をつかみ取り、老婆の目に力いっぱい投げつけた。老婆は
「ぎゃ」
 と叫んで目を押さえた。そのすきに本間は塀を乗り越え、外に逃げた。走りに走った。
 そのとき彼は、僥倖ともいうべきものを目にした。遠くから、自動車のヘッドライトの光が二条はっきりと見え、しかもその車はこちらへ向かってくる。あの車に乗せてもらおう! 本間はその車に向かって走り出した。
 そのときである。びゅん、びゅーんという車とは違う大きな機械音が後ろから聞こえてきた。件の老婆が、今度はチェーンソーをうならせて追いかけてきたのである。そんな重い機械を持ちながら全速力で走り、みるみるうちに本間を追いつめてきた老婆の体力は、もはや人間のものではないといえた。
 東の空がだんだんと白んできた。薄明の中、ようやく本間は自動車に手を振って停車させた。
「乗せてください、殺人狂です!」
 助手席のドアが開き、そこに乗り込もうとした彼の背中を老婆のチェーンソーが切り裂いた。しかし傷は浅く、彼は車に何とか乗り込みドアを閉じた。老婆はそれでも諦めず、助手席のドアの隙間にチェーンソーの刃をめりこませてきた。
「早く、早く出してください!」
 車が急発進すると、老婆はなおも追いかけてきたが、みるみるその距離は遠ざかっていった。本間は小さくなっていく老婆の姿を見て、やっと安堵のため息をついた。
「助かりました……」
「あんた、背中の傷は大丈夫か?」中年のドライバーが尋ねた。
「いや、なんとか大丈夫なようです」
 しばらく無言のドライブが続いた。本間は外を眺めながら、胸の鼓動がだんだんと落ち着いてくるのを感じた。運転手は彼のほうをちらちらと見て、本間の呼吸が整ってきたころに尋ねた。
「しかし何なんだ、あのバアさんは?」
「知りません。昨日の晩、泊めてもらったんですが、友達二人は殺されてしまって……」本間はため息をついた。「しかし、もう安心です。有り難うございました」
「でもないようだぞ」運転手がバックミラーを見て言った。
 本間が後ろを振り向くと、老婆がハーレー・ダビッドソンに乗って追いかけてくるのが見えた。浴衣の胸をはだけさせ、しぼんだ乳房を振り回し、白髪を風になびかせて、裸足でハーレーを操作する老婆。さすがにもう微笑は消え、必死の形相だ。
 そのとき、自動車が急停止した。
「何ですか、止めないでください!」本間が叫ぶと、ドライバーは
「踏み切りだよ」
 カーンカーンカーンという踏み切りの信号音が、やけに長く感じられた。
「無視して進んでください!」
「いや、もう列車が来る」
 黒い大きな機関車が汽笛を鳴らして近づいてきた。老婆のバイクは、すぐ後ろまで迫っている。長い貨物車の列が通過するのを、車の二人はいらだたしく眺めていた。
 二人の乗った軽自動車が、いきなり後ろからドーンという衝撃を受けた。老婆の乗るハーレーが追突したのだ。老婆は構わずエンジンをふかし、自動車を後ろから押してきた。運転手はブレーキを力いっぱい踏みサイドブレーキも引いたが、老婆の乗るハーレーは特別製なのか、ぐいぐい自動車は押し出されていく。列車は目と鼻の先を轟音を立てて通過している。このままでは列車に轢きつぶされてしまう。本間は助手席のドアを開けて逃げようとしたが、前に老婆がチェーンソーを無理に突っ込んだためにそのドアは馬鹿になっており、どうしても開かなかった。
「助けてくれ!」
 自動車の鼻が列車の車輪をこするかこすらないかというときになって、ようやく列車は通過し終えた。猛発進する軽自動車。老婆のハーレーも後をついていく。
 追いつ追われつの死のレースがしばらく続いた。老婆の顔には笑みがもどっていた。余裕の笑みかも知れない。速力も老婆のほうが出るらしいのに、獲物をいたぶる猫のように、わざと追いかけっこをしているのだ。やがて二人の自動車と老婆のバイクは、市街地に入った。斜め前方に車高の高いトレーラーが、道路をふさぐように停まっているのが見えた。
「ようし、一か八かだ。頭を低くしてろよ」中年のドライバーが言って、トレーラーに近いところまで猛スピードで直進して、いきなりトレーラーにぶつかるように進路変更した。
 車高の低いその軽自動車は、屋根を吹き飛ばされつつもすれすれでトレーラーの下をくぐり抜けた。しかし思わずそれについて来ようとした老婆のバイクは、車体を斜めにしたが間に合わず、老婆の上半身はトレーラーの車体に吹き飛ばされた。
 本間たちの乗る自動車の後ろを、転倒したバイクがすべってきて停止した。そこには老婆の下半身だけが残っていた。運転手はやがて屋根のなくなった車を止め、二人は降りてバイクの残骸を見に行った。
「なんだったんだろうな、この婆さん」
「そりゃ永遠の謎だ」
 二人は夕陽を眺めながら、近くの崖に腰かけ、石ころを二三手にとって投げた。
 そのときである。上半身だけになった件の老婆が白髪を振り乱し、手を使って猛然と走ってきた。
「また来たぞ、逃げろ!」二人は慌てて駆け出した。
 彼らの死のレースがいつ終わるのかは誰も知らない。


(c) 2011 ntr ,all rights reserved.
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No.442
2011/07/24 (Sun) 01:07:07

 無意識の海の中で声にならない声を上げ、その声の奇妙さに驚いて目を覚ます。
悪夢につきものの寝覚めの悪さというものだ。
嫌な夢というのは大抵の場合何らかの(ほぼよろしくない事柄の)兆候であったり、さらに最悪なことには、予知夢であるということがある。


寝ぼけ眼で仰ぎ見た空は青白みがかっていて、徐々に明るさを増していった。漸く朝が始まるところだ。
時計を見るまでもない。
約束の時間まで、まだまだ長い。
私は、もたげかかった頭をまた寝床に戻した。
ここは現実なのだ、という安堵。
夢から逃げるように覚醒したものの、体はまだ寝ていたい。
そういう心境のもと体を丸めて息をひそめながら、さざ波のようにやってくるまどろみを楽しんだ。

それにしても嫌な夢だった。
大きな少女に追いかけまわされ、足を引っ張られそうになり、挙句の果てには背中から踏みつぶされそうになる夢だった。
もともと子供は嫌いなのだ。
無神経に近づき、頭をくしゃくしゃに撫で回し、髭や耳をを引っ張り、不愉快そうな顔をすれば可笑しいと笑い、逃げればどこまでも追いかけてくる。まったくもって理解不能な生き物だ。
元来、私の外見は温和で、不本意ではあるが愛嬌があるほうらしく、、人に警戒心を持たせない。そのために子供たちはあんなに無遠慮に振舞うのだろうか。しかし、無邪気さと残酷さは紙一重だ。フロイト的にも、そういう解釈がなされるのではなかろうか。
。なんにせよ、会話が成り立たず、意思の疎通が不可能な者と関わってもろくなことはない。

そして・・・追いかけられるのはさらに嫌いだ。
周りの空気や目の前の脅威に対して、皮膚感覚は非常に敏感に察知してしまう。
そして脳が信号を発する前に、筋肉の条件反射が脚に鞭を打つ。
はたから見れば小心で臆病と映るだろうが、それこそ不本意と言わざるを得ない。
ただ、立ち向かい攻撃を仕掛ける度量も術をも持たないのも事実。
否、素早さと後ろ脚の強さに優れているのだということにしておこう。
例えその場を後にしたとしても、生きてさえいればその場にまた戻ることも、作戦を練って挑みなおすことも可能なのだ。
そうとも、私は弱く、生きるためにその場から逃げだすことだってある。
まるで、脱兎さながらに後ろ脚で強く蹴りあげ、腕を精一杯伸ばして、一筋の光になったように空を切る。
もしかしたら、生き物は脅威(あるいは自然界の食物連鎖)から逃げることにより進化を遂げて来たのかも知れないな。生死紙一重の生存競争から離脱する為に、さらにより良い条件、より良い環境で生きていく為に。
それこそ世界の思うつぼで、面白い方向に成長を遂げていくのを天上から見ている誰かさんが居るのかも知れないけれども。
雑念に駆られた途端に視界がぶれ、私は走っていた地面が崖崩れを起こしたのに伴い、バランスを失ってそのまま地面めがけて真っ逆さまに落ちていく―――。

額からはじわりと汗が噴き出していた。硬直した手足の先は冷え、荒くなった息をやっとの思いで整えた。
心臓の音が耳に直接振動として響いてくる。
なんなんだろう。この、夢の中でどこぞから落ちた時に感じる非常に凄まじい衝撃は。
というよりもいつの間に眠っていたのだろう。時計を見ると、さほど時間は経っていない。いよいよ、気味が悪くなってきた。
夢見の悪い時は、いつだってろくなことがない。
私はとりあえず起き上がり、今日の待ち合わせのための準備だけを始めることにした。
まず服を着替え、こざっぱりとしたチョッキを羽織る。
そして大切にしている懐中時計のねじを巻き、携えておいた。
帽子をかぶるかは大いに迷ったが、それは家を出る時に考えることにした。
顔を洗い、食事を済ませるといくらか落ち着いた。
準備を早々にしておくと、心に余裕が生まれる。
ソファーにゆったりと腰を下ろし、淹れたてのコーヒーを啜る。
夢の中のあの焦燥感、走っているときの余裕のなさが嘘のようだ。
しかし夢は所詮夢にすぎない。
私は元来こうして穏やかな時間をたっぷり使ってじっくりと考え事をするのが好きなのだ。
脅威からは逃げなければならぬ。だが、好き好んで誰がバタバタと走りまわらなければならぬのだ。
逃げれば追い、追えば逃げるのが恋の法則と誰かが言っていた。
でもそれでは埒があくまい。
捕まったからとてとって喰われるわけでもないのだから、一度立ち止まって向き合ってみるべきだ。
だからと言ってあの巨大な少女と向き合うなんざ願い下げだが。
そういえば少し前に仲良くなったあの娘は元気だろうか。また近いうちに会ってみようか。
何歳になったところで、恋愛というものはいい。
彼女のことを考えるだけで顔色が上気するのがわかる。年甲斐のない、と言われようと、相手を好きになる感性はいつまでも持っていたいものだ。彼女もそうであればいいと思うのだが・・・。
しかし、本当に暑くなってきた。どういうわけだろう。まるで日中のような・・・。

まどろみをかき消し、慌てて時計を見ると、約束の時間はとっくに過ぎていた。
・・・やってしまった。
寝覚めに考え事をしてしまうと止まらなくなるのは構わないが、夢とも現ともつかなくなるのだから始末が悪い。
もともと白い顔を紙のように白くさせ、私は懐中時計を握りしめてわき目も振らずに飛び出した。

その道中、嫌な予感が脳裏をよぎる。

後ろに誰かいる。

まさか。

恐る恐る振り向くと、そこには人間の少女がいた。
目が合うやいなや、眼をパッと輝かせ捕まえようと手を伸ばしてくる。
「あん、待ってようさぎさん、どうしてチョッキを着ているの?」
「アリス、どこにいるの?」
「ねえ、お姉ちゃん!お姉ちゃん!!うさぎがいるわ!!早く来て!うさぎが逃げちゃう!!」


ああ。これが夢なら早く醒めて欲しいものだ。


(c) 2011 chugokusarunashi, all rights reserved.
No.441
2011/07/23 (Sat) 00:52:44

 統一教会に出入りしていたころの話の続き。この団体について組織だった話をするのは大変だから、とりとめもなく自分の身辺に起こったことを中心に書いてみる。

 一ヵ月の合宿でも、ほぼ毎日講義が行われ、時おり教会内部で非常に地位の高いらしい講師が招かれ講演が行われた。とくに印象に残っているのは、統一教会の教義だけではなくキリスト教の教派全般にわたって広範な知識を持つHという人物だった。猛烈な早口で、物理や数学の話もまじえて縦横に宗教についてしゃべりまくるその語り口は、ただの宗教家というより思想家といった印象があった。統一教会の教義を信じる信じないは別にして、その博学ぶりについては敬服しないわけにはいかなかった。統一教会におけるバイブルは『原理講論』という分厚いハードカバーの本で、講義のときは皆それを持参しているわけだが、何のミーハー心か自分の原理講論の扉にH氏からサインをもらった。いま見返すとこうある。

 御言の目的は実体 実体の目的は心情である 1995年8月24日 

 だからもう十五年以上も前の話だ。ちなみに原理研究会の合宿では参加者はいくつかの班に別れ、夕食後「レク」(と呼ばれていたと思うが定かでない)という「出し物」を班ごとにすることがあった。コントをしたり歌を歌ったりしなければならないから、嫌がる参加者もいた。その年、オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こし話題になっていたが、コントの中でオウムのヨガ修行者のマネをする者もいて「おお、アブない!」と爆笑を誘っていた。世間からは統一教会もアブない団体と見なされていたのだから、思えば変な話である。あと参加者は自分の誕生日には皆の前で歌を歌わなければならない、という不文律があって、カラオケ嫌いの僕にはこれはストレスだった。とりあえず一番うまく歌えるH2Oの「思い出がいっぱい」を歌った。いやな思い出だ。
 
 さて統一教会について簡単に解説すると、それはまずキリスト教の一派である。そしてこの団体においては、教祖である文鮮明をイエス・キリストに続いて現れた救世主としており、その著『原理講論』は「旧約聖書」「新約聖書」に続く聖書であると位置づけられ、別名「成約聖書」とも呼ばれている。
 その教義においては、今日の人類はすべて「堕落した」存在である。もともと神は、人間を世界の支配者となるべく創造し、人間は神の愛を受けるはずだったが、アダムとイブが神に対する背信を行なったため、人間は「愛される存在」ではなくなってしまった。聖書にいう、イブが蛇にそそのかされ禁断の木の実を食べた、というのはセックスの比喩であり、蛇とはすなわち天使長ルーシェル、のちのサタンである。イブは夫たるアダムではなく天使と肉体関係を結んでしまったことで罪を負い、彼女は神に対する恐怖から正式な夫であるアダムとも急いで関係を結んだ。これは本来の配偶者との結びつきとはいえど、動機からして忌むべき関係であり、そこから生まれた人類のすべてが「不義の子」「堕落の産物」と見なされるようになってしまった。しかしこうして「愛されざる存在」となってしまった人類は、どうすれば救われるのか。セックスが悪いのではない。神に夫婦として認められていないもの同士がセックスするのが悪いのである。人類はずいぶんと増えてしまったが、しかしこれからでも神が夫婦と認めた信仰深い男女なら、肉体関係を結んで殖え広がればいい。そこで神の使いである救世主・文鮮明が、「神に認められた結婚」の担い手として、仲人の役を司るようになった。しかし数十億もの地球人類すべての婚姻をとりもつのは大変である。時間もない。そこで文鮮明は、信者の顔写真を大広間いっぱいに並べ「こいつとこいつ、こいつとこいつ」と素早く夫婦となるべき男女を選んでいく。彼は「最も夫婦としてふさわしい二人」を猛スピードで選ぶことができる「超能力」を持っていると信じられている。そしていっせいに結婚式をやる。これが合同結婚式である。

 統一教会の宇宙観は「人間原理宇宙論」である。すなわち、この宇宙はわれわれ人類が生活の場とするために生まれた、と考える。ほかのすべての動物は人類に仕えるために誕生した。したがって異星人などいない。いたとすればそれは「異星の動物」である。
 ときおり原理研究会の人は、それぞれの言葉で統一教会の宇宙論を語って聞かせる。Mという女性信者の言うのには、人間より背の低い草木の花は上を向いて咲き、人間より背の高い草木の花は下を向いて咲くのである。それは人間が宇宙の中心であることのひとつの証拠である、と。あとで考えてみればモクレンは人間より高いところで上を向いて花を咲かせるのであり、そのとき反論してやればよかったと思った。
 Tという年かさの男性信者とはよく話をしたが、彼は船井幸雄の思想が統一教会の思想と非常に近いとして、よくその言葉を引用していた。またTさんによると「相対性理論は間違いである」とのこと。これは深野一幸という工学者の影響だったが、この宇宙には人間には観測し得ない微粒子が瀰漫しているのであって、そこに霊の世界があるらしい。なにゆえ観測し得ないかというと、10の-20乗メートル以下の小ささのものは現在のどんな精密な機器でも存在を確認できないのであり、そこに検知できない微粒子の世界が広がっている。統一教会の教えでは、「霊人体」というものが人間の魂にあたり、それが死後天国に行って永遠に暮らす。輪廻はない。その霊人体の存在を保証するために、Tさんは未知の微粒子が充満する宇宙観を必用としたのだろう。しかしここから絶対静止空間という相対論で否定された考えが出てくるのであり、その思想は深野一幸著『宇宙エネルギーの超革命』という本で述べられている。もちろんトンデモ本であり、この深野一幸という人はトンデモ学者としてときおりTVに出てきて大槻教授などと論争していた。しかし宗教者というのは博士号に弱いのか、Tさんは「この深野先生というのは工学博士だよ! 工学博士が言ってるんだよ!」といって相対論を否定してきかなかった。
 どんな新興宗教でもそうかも知れないが、彼らは信用を得るためにしばしば科学者を広告塔として使う。統一教会を信仰している科学者もすこしはいるから、懐疑的な入門者に「あの科学者も信じてるんだよ!」などという。当時、数学者の一松信先生も広告塔として使われていた。いまも信仰しているのかどうか知らないが、一松先生が統一教会の教義を黒板に書いて熱弁をふるっている写真が彼らのパンフに載っていたものである。

 統一教会でもっとも厳しく言われていたのは「姦淫の禁止」だった。合同結婚式による結婚をするまでは、もちろんセックスしてはならないし、ヌード写真も見てはならない。テレビで女性のヌードが出てきたら目をふせろと言われた。ヌードを見ると「霊人体に穴が開く」らしい。
 原理研究会との付き合いが長くなってくると、彼らの寮、通称「学舎」に引っ越すよう勧められる。彼らにしてみれば、信者たらんとする者は邪念を起こさないように、一日の大部分を信者と過ごすことが望ましいのである。自分は「学舎」に住むことはなかったが、どうもプライバシーというものがほとんどない空間らしかった。そんなのは嫌だというと、M女史に「人間は好きな仲間と一日二十四時間いっしょに過ごしたいと思うのが当たり前だ」と言われた。プライバシー、すなわち孤独を欲するなど病的だ、というのだ。自分はこのM女史とは徹底的にそりが合わず、よく喧嘩した。M女史との喧嘩がもとで辞める決心がついたのだから、今では彼女に感謝すべきかも知れないが。

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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









 ※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※







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