『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.423
2011/03/15 (Tue) 23:23:37
「もしもし?」礼子が電話に出た。
「青柳です。夜分遅くにすみません、緊急の要件なんです」
「どういうことですか?」
青柳は、緑川が自宅マンションに忍び込んだこと、溝口も狙われる恐れがあることを告げた。
「いいですか、戸締りを厳重にして、誰が来てもドアを開けないでください」
「わかったわ」
未明、溝口礼子の住むマンションに、光る目をした数名の男女が忍び寄っていた。彼女の部屋の扉に、彼らは爪を立て、生臭い息を吐き、中に押し入ろうとした。その者どもは人間のものとは思えぬ野太い叫び声をあげ、今度は窓を叩き割ろうとする。
礼子は警察に通報した。住所を言い、暴漢が家に押し入ろうとしていると伝えると、しばらくしてパトカーのサイレンが聞こえてきた。と同時に怪物じみた暴漢どもはどこかへ消えたようで、辺りは静かになった。警官たちは、礼子の部屋の鉄製の扉につけられた暴漢たちの引っかき傷を見て、異常者が徘徊していると認め、以後この地域のパトロールを強化すると言って去っていった。
礼子は出勤すると、さっそく青柳にこのことを伝えた。
「野獣のような野太い声に、生臭い息を感じたんですね? しかも相手は複数、間違いないですか」
「ええ」
「すると、緑川は仲間の吸血鬼をすでに増やしているに違いない……そしてその集団は、我々を亡き者にするか、でなければ吸血鬼の仲間に引き込もうとしている」
「でも、吸血鬼の話なんて警察は信じないでしょうし……」
「僕の古い友人の兄が、刑事をやっています。信じてもらえるかどうかは分からないが、紹介してくれるようその友人に連絡を取りました。明日の夕方、会う予定です。溝口先生も来てもらえませんか」
青柳が紹介を受けた刑事は、河合虎児郎(かわい・こじろう)という三十代後半の背の低い人物だった。ひとなつこい柔和な笑顔の、刑事らしからぬ男だ。青柳は、これまでのいきさつを河合に話して聞かせた。とくに緑川がバラバラ死体から血を吸っていた件は、まだ警察には話していなかったから、河合刑事は興味深げに聞きいっていた。
「もちろん警察でも、これまでのバラバラ殺人の被害者の遺体には、人間のものとは思えない牙のような歯で噛まれた跡があることは把握していました。しかも共通の歯形です」河合刑事はゆっくり話し始めた。「はじめは野犬か何かの仕業だろうとされてたんですが、連続殺人で刀を持った人間と野犬が共犯とは考えにくい。青柳さんのほかにも、怪物じみた人間の目撃例は数件あります……ただちに吸血鬼どもがここらを徘徊しているとは結論できないが、私は緑川蘭三を張ってみようと思います。お二人のご自宅近くには、パトロール強化に加えて、私の部下を配置しましょう」
「あ、それから警察の行動は富沢と藤堂にも知られないように」
「もちろんですとも」
「河合警部は、きょうから緑川蘭三の監視を始めるようです」河合の上司である刑事課長の山倉が、警察署長に告げた。
「そうか」窓を見つめたまま、熊のように大柄な署長が応えた。署長の口からは、緑川と同じく鋭い牙が伸びており、生臭い息が大きくひとつ吐き出された。
(c) 2011 ntr ,all rights reserved.
「青柳です。夜分遅くにすみません、緊急の要件なんです」
「どういうことですか?」
青柳は、緑川が自宅マンションに忍び込んだこと、溝口も狙われる恐れがあることを告げた。
「いいですか、戸締りを厳重にして、誰が来てもドアを開けないでください」
「わかったわ」
未明、溝口礼子の住むマンションに、光る目をした数名の男女が忍び寄っていた。彼女の部屋の扉に、彼らは爪を立て、生臭い息を吐き、中に押し入ろうとした。その者どもは人間のものとは思えぬ野太い叫び声をあげ、今度は窓を叩き割ろうとする。
礼子は警察に通報した。住所を言い、暴漢が家に押し入ろうとしていると伝えると、しばらくしてパトカーのサイレンが聞こえてきた。と同時に怪物じみた暴漢どもはどこかへ消えたようで、辺りは静かになった。警官たちは、礼子の部屋の鉄製の扉につけられた暴漢たちの引っかき傷を見て、異常者が徘徊していると認め、以後この地域のパトロールを強化すると言って去っていった。
礼子は出勤すると、さっそく青柳にこのことを伝えた。
「野獣のような野太い声に、生臭い息を感じたんですね? しかも相手は複数、間違いないですか」
「ええ」
「すると、緑川は仲間の吸血鬼をすでに増やしているに違いない……そしてその集団は、我々を亡き者にするか、でなければ吸血鬼の仲間に引き込もうとしている」
「でも、吸血鬼の話なんて警察は信じないでしょうし……」
「僕の古い友人の兄が、刑事をやっています。信じてもらえるかどうかは分からないが、紹介してくれるようその友人に連絡を取りました。明日の夕方、会う予定です。溝口先生も来てもらえませんか」
青柳が紹介を受けた刑事は、河合虎児郎(かわい・こじろう)という三十代後半の背の低い人物だった。ひとなつこい柔和な笑顔の、刑事らしからぬ男だ。青柳は、これまでのいきさつを河合に話して聞かせた。とくに緑川がバラバラ死体から血を吸っていた件は、まだ警察には話していなかったから、河合刑事は興味深げに聞きいっていた。
「もちろん警察でも、これまでのバラバラ殺人の被害者の遺体には、人間のものとは思えない牙のような歯で噛まれた跡があることは把握していました。しかも共通の歯形です」河合刑事はゆっくり話し始めた。「はじめは野犬か何かの仕業だろうとされてたんですが、連続殺人で刀を持った人間と野犬が共犯とは考えにくい。青柳さんのほかにも、怪物じみた人間の目撃例は数件あります……ただちに吸血鬼どもがここらを徘徊しているとは結論できないが、私は緑川蘭三を張ってみようと思います。お二人のご自宅近くには、パトロール強化に加えて、私の部下を配置しましょう」
「あ、それから警察の行動は富沢と藤堂にも知られないように」
「もちろんですとも」
「河合警部は、きょうから緑川蘭三の監視を始めるようです」河合の上司である刑事課長の山倉が、警察署長に告げた。
「そうか」窓を見つめたまま、熊のように大柄な署長が応えた。署長の口からは、緑川と同じく鋭い牙が伸びており、生臭い息が大きくひとつ吐き出された。
(c) 2011 ntr ,all rights reserved.
PR
No.417
2011/03/02 (Wed) 16:11:20
自分が大学院時代、修士課程、博士課程を通じてお世話になったのはK教授という小柄な初老の人物だった。K教授の研究室では、大まかに言って群の表現という分野が研究されており、当然自分の専門分野も群の表現だった。
大学の数学教室では、学部四年生以上になると「セミナー」というものに出席することが義務付けられる。それは学生が自分の研究テーマに沿った英語の数学書を読んできて、指導教授の座っている前で、理解した内容を黒板を使って説明するというものである。数学科の学生は昔も今も、このセミナーという形式で数学的思考と発表の仕方を訓練し、数学者としての基礎を身につけていくのである。セミナーには、発表の際に自分の勉強している本を見てはならないというルールがある。だから学生は、あらかじめ用意してきた自筆のメモを参照しながらセミナーを進めることになる。
さて自分も修士課程に入ると、K教授の指導のもとセミナーを行うことになった。K教授のセミナーは、他の教授のそれよりもさらに厳格だった。発表の際には、メモすらも見てはならないというのだ! 私はJ.-P. Serre の Linear Representations of Finite Groups という書物でセミナーを行った。毎週一回、セミナー室と呼ばれる小さな部屋で、K教授たった一人を相手に二、三時間の発表を行った。その間メモの類をいっさい見られないということで、セミナーの前日はいつも徹夜で勉強した。
それは確かに勉強になった。そうやって骨を折った甲斐があったのか、入学二年目の冬に書き上げた修士論文は好評をもって迎え入れられた。
修士を出たあと私は一般企業に就職したが、のちに同じ大学の大学院に戻り、再びK教授の指導を仰いだ。博士課程に入ったわけだが、数年間のブランクがあったため、同じ研究室には年下の先輩が何人もいるという状態になった。
今度私がセミナーで読むことになったのは、コクセター群の組み合わせ論という分野の本だったが、そのほか学生たちだけで自主的に行うセミナーにも出席した。コクセター群のほうは私の発表だったが、自主セミナーのほうでは私は聴き手で、K教授もいないから、だいぶ気が楽だった。自主セミナーでの発表者はOさんという年下の先輩だったが、講読する本はHartshorne の Algebraic Geometry だった。代数幾何の有名な入門書である。代数幾何は我々の研究室の研究テーマとは少しかけ離れたものであり、難しいことで有名な分野だ。しかし難しいと同時に華々しい内容を持っており、日本でフィールズ賞を受賞した小平、広中、森の三氏の研究分野がいずれも代数幾何だったこともあって、聴講者たちにもある種の期待感があったのではなかろうか。
この自主セミナーは毎週日曜に行われた。大学の講義棟には鍵がかかっていたが、学生証のカード認証で中に入ることができた。だいたい午後一時ごろからの開始だったが、Oさんの都合で遅くなることもあった。したがって毎回の終わりに、次回の開始時間の確認が行われた。しかしあるとき、Oさんが「次回は午後一時からで」というべきところを「午前一時からで」と言い間違えた。みんな「午前一時!?」といっせいに驚きの声を上げた。Y先輩はにやにやしながら「僕は午前一時でもかまわないよ」と言った。するとみな冗談交じりに「じゃあ僕も午前一時でいい」と口々に言いはじめ、その声はOさんの「いや、午後一時です」という小さな声を押しつぶしてしまった。しばし談笑が続いたが、当然次回は午後一時からということをみな了解して、その日は解散となった。
みな了解していたはずだった。しかしT君という修士一年の青年だけは違っていた。T君は寡黙で、セミナーの出席者の中でもほんのときどきしか発言しなかった。だから彼一人が午前一時開始という誤解が解けないまま帰ってしまったとしても、他の者が気づかなかったのは無理もなかった。
さてT君は次の日曜日の午前一時、すなわち通常は土曜日の深夜と認識されている時間にいつものセミナー室にやってきた。そしていつも座っている一番前の席に陣取って、ずっと皆が集まるのを待っていた。
そのころ、学校荒らしが深夜、頻々と出没していた。数学科の教授の部屋が、何度か荒らされる被害もあった。いちど大学の監視カメラがその学校荒らしの姿をとらえたことがあって、その写真が廊下に張り出されていた。それは頭の禿げ上がった五十代半ばぐらいの痩せた小さな男で、暗い廊下をいかにも不審な目つきで歩いているところが写されていた。
T君が三十分ばかりセミナー室で待っていると、がちゃりと戸が開いた。入ってきたのは件の写真に写っていた学校荒らしだった。
「何の用ですか」T君が尋ねると、
「お前こそ何をしている」という返事。
「セミナーが始まるんです」
「こんな時間にか?」
「あなたは誰ですか。泥棒ですか」とT君。
「俺がか? それは誤解だ。俺はこの大学の数学科の卒業生だ」
学校荒らしと目されてきたこの人物によると、彼は過去に長くこの大学の大学院に在籍したが、指導教授との仲違いから退学し、以来どこの大学にも籍をおかず独自に数学を研究してきたのだという。自分の最近の研究成果をこの大学の教授のもとに送ったが、まったく相手にされないため、最近の研究の動向を知るために深夜大学に忍び込み、教授たちの部屋にある資料を見て回っていたらしい。
その学校荒らしは思いがけずT君という数学科の学生と出くわし、多年の研究成果を聞いてもらおうと思い立ったらしく、黒板を使って彼の理論を説明し始めた。
T君は真面目にその話を聞いていたが、専門外の微分幾何の話題だったため、途中で理解できなくなってしまった。しかし黙ってこの見知らぬ男の話を聞き続けた。
突然「こんな時間に何してる?」と大きな声がして、扉が開いた。K教授だった。教授は忘れ物を取りに大学に来たのだった。そしてセミナー室に自分の教え子と不審な初老の男がいるのを認めたが、黒板にびっしり書かれた数式を見て、すぐにセミナーが行われていると理解した。そして学校荒らしも学生と同等に扱い、「学校は二十四時間営業じゃない。すぐ帰ってください」と促した。しかし学校荒らしは大学の教授が来たのを知り、ここを先途とばかりに自分の発見したことを聞くようK教授に迫った。K教授は黒板中に書かれたテンソル記号やちまちました添え字や微分作用素を見て、
「どうも私の専門じゃないようだが」といいつつも、この不審人物の話に耳を傾け始めた。
K教授ははじめはじっと立って黒板を注視し、また話が難しいところにくると、いつもするようにうつむきながら部屋を行ったり来たりした。
やがて夜が白々と明けてきたころ、教授は初めて口を開き「きみの話には飛躍がある」と言った。K教授は学生に対しては「きみ」、大学に職を得ているものは「先生」と呼び、その言葉を截然と使い分けていた。学校荒らしは学生として扱われたわけだ。
K教授が指摘した「飛躍」は、この学校荒らしによる主定理の証明の、いわば根幹に関わっていた。その「飛躍」によって、彼の研究成果は台無しになってしまうのである。教授の指摘によって、自分の多年の努力がどうやら水の泡になってしまったのを理解すると、学校荒らしはがっくりとうなだれた。
朝になって警備員が出勤してくると、セミナー室に座って呆然としている学校荒らしを見咎め、彼はお縄になった。あとで聞くと、その男は強盗殺人の罪で全国に指名手配中の人物だったそうだ。
(c) 2011 ntr ,all rights reserved.
大学の数学教室では、学部四年生以上になると「セミナー」というものに出席することが義務付けられる。それは学生が自分の研究テーマに沿った英語の数学書を読んできて、指導教授の座っている前で、理解した内容を黒板を使って説明するというものである。数学科の学生は昔も今も、このセミナーという形式で数学的思考と発表の仕方を訓練し、数学者としての基礎を身につけていくのである。セミナーには、発表の際に自分の勉強している本を見てはならないというルールがある。だから学生は、あらかじめ用意してきた自筆のメモを参照しながらセミナーを進めることになる。
さて自分も修士課程に入ると、K教授の指導のもとセミナーを行うことになった。K教授のセミナーは、他の教授のそれよりもさらに厳格だった。発表の際には、メモすらも見てはならないというのだ! 私はJ.-P. Serre の Linear Representations of Finite Groups という書物でセミナーを行った。毎週一回、セミナー室と呼ばれる小さな部屋で、K教授たった一人を相手に二、三時間の発表を行った。その間メモの類をいっさい見られないということで、セミナーの前日はいつも徹夜で勉強した。
それは確かに勉強になった。そうやって骨を折った甲斐があったのか、入学二年目の冬に書き上げた修士論文は好評をもって迎え入れられた。
修士を出たあと私は一般企業に就職したが、のちに同じ大学の大学院に戻り、再びK教授の指導を仰いだ。博士課程に入ったわけだが、数年間のブランクがあったため、同じ研究室には年下の先輩が何人もいるという状態になった。
今度私がセミナーで読むことになったのは、コクセター群の組み合わせ論という分野の本だったが、そのほか学生たちだけで自主的に行うセミナーにも出席した。コクセター群のほうは私の発表だったが、自主セミナーのほうでは私は聴き手で、K教授もいないから、だいぶ気が楽だった。自主セミナーでの発表者はOさんという年下の先輩だったが、講読する本はHartshorne の Algebraic Geometry だった。代数幾何の有名な入門書である。代数幾何は我々の研究室の研究テーマとは少しかけ離れたものであり、難しいことで有名な分野だ。しかし難しいと同時に華々しい内容を持っており、日本でフィールズ賞を受賞した小平、広中、森の三氏の研究分野がいずれも代数幾何だったこともあって、聴講者たちにもある種の期待感があったのではなかろうか。
この自主セミナーは毎週日曜に行われた。大学の講義棟には鍵がかかっていたが、学生証のカード認証で中に入ることができた。だいたい午後一時ごろからの開始だったが、Oさんの都合で遅くなることもあった。したがって毎回の終わりに、次回の開始時間の確認が行われた。しかしあるとき、Oさんが「次回は午後一時からで」というべきところを「午前一時からで」と言い間違えた。みんな「午前一時!?」といっせいに驚きの声を上げた。Y先輩はにやにやしながら「僕は午前一時でもかまわないよ」と言った。するとみな冗談交じりに「じゃあ僕も午前一時でいい」と口々に言いはじめ、その声はOさんの「いや、午後一時です」という小さな声を押しつぶしてしまった。しばし談笑が続いたが、当然次回は午後一時からということをみな了解して、その日は解散となった。
みな了解していたはずだった。しかしT君という修士一年の青年だけは違っていた。T君は寡黙で、セミナーの出席者の中でもほんのときどきしか発言しなかった。だから彼一人が午前一時開始という誤解が解けないまま帰ってしまったとしても、他の者が気づかなかったのは無理もなかった。
さてT君は次の日曜日の午前一時、すなわち通常は土曜日の深夜と認識されている時間にいつものセミナー室にやってきた。そしていつも座っている一番前の席に陣取って、ずっと皆が集まるのを待っていた。
そのころ、学校荒らしが深夜、頻々と出没していた。数学科の教授の部屋が、何度か荒らされる被害もあった。いちど大学の監視カメラがその学校荒らしの姿をとらえたことがあって、その写真が廊下に張り出されていた。それは頭の禿げ上がった五十代半ばぐらいの痩せた小さな男で、暗い廊下をいかにも不審な目つきで歩いているところが写されていた。
T君が三十分ばかりセミナー室で待っていると、がちゃりと戸が開いた。入ってきたのは件の写真に写っていた学校荒らしだった。
「何の用ですか」T君が尋ねると、
「お前こそ何をしている」という返事。
「セミナーが始まるんです」
「こんな時間にか?」
「あなたは誰ですか。泥棒ですか」とT君。
「俺がか? それは誤解だ。俺はこの大学の数学科の卒業生だ」
学校荒らしと目されてきたこの人物によると、彼は過去に長くこの大学の大学院に在籍したが、指導教授との仲違いから退学し、以来どこの大学にも籍をおかず独自に数学を研究してきたのだという。自分の最近の研究成果をこの大学の教授のもとに送ったが、まったく相手にされないため、最近の研究の動向を知るために深夜大学に忍び込み、教授たちの部屋にある資料を見て回っていたらしい。
その学校荒らしは思いがけずT君という数学科の学生と出くわし、多年の研究成果を聞いてもらおうと思い立ったらしく、黒板を使って彼の理論を説明し始めた。
T君は真面目にその話を聞いていたが、専門外の微分幾何の話題だったため、途中で理解できなくなってしまった。しかし黙ってこの見知らぬ男の話を聞き続けた。
突然「こんな時間に何してる?」と大きな声がして、扉が開いた。K教授だった。教授は忘れ物を取りに大学に来たのだった。そしてセミナー室に自分の教え子と不審な初老の男がいるのを認めたが、黒板にびっしり書かれた数式を見て、すぐにセミナーが行われていると理解した。そして学校荒らしも学生と同等に扱い、「学校は二十四時間営業じゃない。すぐ帰ってください」と促した。しかし学校荒らしは大学の教授が来たのを知り、ここを先途とばかりに自分の発見したことを聞くようK教授に迫った。K教授は黒板中に書かれたテンソル記号やちまちました添え字や微分作用素を見て、
「どうも私の専門じゃないようだが」といいつつも、この不審人物の話に耳を傾け始めた。
K教授ははじめはじっと立って黒板を注視し、また話が難しいところにくると、いつもするようにうつむきながら部屋を行ったり来たりした。
やがて夜が白々と明けてきたころ、教授は初めて口を開き「きみの話には飛躍がある」と言った。K教授は学生に対しては「きみ」、大学に職を得ているものは「先生」と呼び、その言葉を截然と使い分けていた。学校荒らしは学生として扱われたわけだ。
K教授が指摘した「飛躍」は、この学校荒らしによる主定理の証明の、いわば根幹に関わっていた。その「飛躍」によって、彼の研究成果は台無しになってしまうのである。教授の指摘によって、自分の多年の努力がどうやら水の泡になってしまったのを理解すると、学校荒らしはがっくりとうなだれた。
朝になって警備員が出勤してくると、セミナー室に座って呆然としている学校荒らしを見咎め、彼はお縄になった。あとで聞くと、その男は強盗殺人の罪で全国に指名手配中の人物だったそうだ。
(c) 2011 ntr ,all rights reserved.
No.407
2011/02/07 (Mon) 11:06:52
二月一日。学校全体がマラソン大会で、授業がないため自分は休暇。
毎月一日は映画が安く観られるということで「武士の家計簿」という作品を観に行った。
算用者すなわち藩の経理係として、加賀藩・前田家に仕えた猪山家の物語。
猪山直之(堺雅人)は父の跡を継いで算用者として出仕するようになったが、会計の計算に対する異常な打ち込みぶりは同じ算用者からも「ソロバン馬鹿」と仇名されるほどだった。お駒という妻(仲間由紀恵)を娶り、跡取りとなる子どもも生まれた。
折からの飢饉のため、藩から救済米が出されたが、二百石のはずが百五十石ほどしか民衆に届いていなかった。それに気付いた庶民は怒った。それが直之の耳に入り、救済米に関する帳簿を徹底的に調べ上げ、何者かが横領を働いていることを突き止める。ただ藩の巨悪に下っ端役人の直之が立ち向かうのは無理であり、一時は能登に左遷されかける。しかし庶民が騒動を起こしたことに端を発して横領の罪が露見し、かえってその事実を突き止めていた直之は異例の出世をすることになる。
と、役職上は出世してめでたい話なのだが、猪山家の家計は代々の借金もあって風前の灯だった。直之は猪山家の金目のものをほとんど売り払い、すさまじい倹約の日々が始まる。
直之の父も息子もどちらかというと普通の人物だったが、祝いの席で客の膳に絵に描いた鯛を出したり、倹約のしすぎでしじみの貝殻を碁石の代わりにしたりと、直之だけが突出した変わり者だった。猪山家三代を描いているが、おおむね物語は直之によるソロバン馬鹿一代といってよかろう。直之の祖母(草笛光子)が「塵劫記」に読みふけっているシーンなども面白かった。
二月二日。一時間目は中学一年の数学で、いつもにぎやかなクラス。みな先を争って発言したがり、問題を出したらすぐ答えを言おうとする。その代わり誰かがつまらぬ発言をすると、他の誰かがそいつを罵倒する。
今日は皆があまりに罵り合うから「お前ら今から運動場に出て決闘するか? いつまでもぐだぐだ言うてんと決着つけえ!」と言ってみたら静かになった。
三時間目、高校一年の数学Ⅰ。昨日のマラソンの疲れからか、教室全体が適度に静かで授業しやすかった。中学もマラソンしたはずなのに、この元気の差はどうしたことだろう。
四時間目、教科会議。二月十一日の祝日に出勤できるかと聞かれたが、できないと答えた。その日は映画「洋菓子店コアンドル」の初日だから。
(c) 2011 ntr ,all rights reserved.
毎月一日は映画が安く観られるということで「武士の家計簿」という作品を観に行った。
算用者すなわち藩の経理係として、加賀藩・前田家に仕えた猪山家の物語。
猪山直之(堺雅人)は父の跡を継いで算用者として出仕するようになったが、会計の計算に対する異常な打ち込みぶりは同じ算用者からも「ソロバン馬鹿」と仇名されるほどだった。お駒という妻(仲間由紀恵)を娶り、跡取りとなる子どもも生まれた。
折からの飢饉のため、藩から救済米が出されたが、二百石のはずが百五十石ほどしか民衆に届いていなかった。それに気付いた庶民は怒った。それが直之の耳に入り、救済米に関する帳簿を徹底的に調べ上げ、何者かが横領を働いていることを突き止める。ただ藩の巨悪に下っ端役人の直之が立ち向かうのは無理であり、一時は能登に左遷されかける。しかし庶民が騒動を起こしたことに端を発して横領の罪が露見し、かえってその事実を突き止めていた直之は異例の出世をすることになる。
と、役職上は出世してめでたい話なのだが、猪山家の家計は代々の借金もあって風前の灯だった。直之は猪山家の金目のものをほとんど売り払い、すさまじい倹約の日々が始まる。
直之の父も息子もどちらかというと普通の人物だったが、祝いの席で客の膳に絵に描いた鯛を出したり、倹約のしすぎでしじみの貝殻を碁石の代わりにしたりと、直之だけが突出した変わり者だった。猪山家三代を描いているが、おおむね物語は直之によるソロバン馬鹿一代といってよかろう。直之の祖母(草笛光子)が「塵劫記」に読みふけっているシーンなども面白かった。
二月二日。一時間目は中学一年の数学で、いつもにぎやかなクラス。みな先を争って発言したがり、問題を出したらすぐ答えを言おうとする。その代わり誰かがつまらぬ発言をすると、他の誰かがそいつを罵倒する。
今日は皆があまりに罵り合うから「お前ら今から運動場に出て決闘するか? いつまでもぐだぐだ言うてんと決着つけえ!」と言ってみたら静かになった。
三時間目、高校一年の数学Ⅰ。昨日のマラソンの疲れからか、教室全体が適度に静かで授業しやすかった。中学もマラソンしたはずなのに、この元気の差はどうしたことだろう。
四時間目、教科会議。二月十一日の祝日に出勤できるかと聞かれたが、できないと答えた。その日は映画「洋菓子店コアンドル」の初日だから。
(c) 2011 ntr ,all rights reserved.
目次
上段の『☆ 索引』、及び、下段の『☯ 作家別索引』からどうぞ。本や雑誌をパラパラめくる感覚で、読みたい記事へと素早くアクセスする事が出来ます。
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
文書館内検索