『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.113
2009/10/29 (Thu) 20:01:35
駅のホームの、目の不自由な人のための黄色いタイルは、なぜあんなにホームの端っこにあるのだろうか。目の不自由な人には、もっと安全なところを歩かせるべきではなかろうか。
自動車が道の端に停車するために進路変更する際、方向指示器を点けるよう教習所では習うが、公共のバスなどを除いてはそんなことをする人は少ない。道を歩いていて、それで危ない思いをすることがあって、たまに腹が立つ。
いまは電車の優先座席でも平気で携帯電話を使っている人が多いが、心臓ペースメーカーの利用者はどうしているのだろう。携帯電話の電波がペースメーカーの誤作動を引き起こす可能性があるというのは、間違いだったのだろうか。
勤め先が淀川沿いにあるから、モーターボートでの通勤も検討してみようか。免許持ってないけど。やはり車のほうが安くつくものだろうか。
タクシーの運転手が強盗や暴行の被害に遭うという話をよく聞く。テレビでも以前、酔っ払いの乗客が走行中の運転手に殴る蹴るの暴行を加えている映像を見た。いざという時は座席ごと空中に脱出できるようにして、パラシュートが開くようにしてはどうか。
飛行機の操縦席が、危険時に空中に飛び出すようになっているのを映画等でよく見るけれど、ヘリコプターであれは難しいのではなかろうか。
むかし夜の街が暗かったころ、路面電車の安全地帯につまづく人が多かったようで、古今亭志ん生さんが噺のマクラで「そこは安全地帯だ、危ねえよ!!」と言っていた。
路面電車にはあまり乗ったことがない。高校の修学旅行で博多で行ったとき、あと就職活動で京都のある会社に訪問するときに乗ったぐらいだ。博多の路面電車には、乗り口の注意書きに「鳥獣の持ち込み不可」とあったのが妙に可笑しかった。獣は分かるとして鳥を持ち込もうとする人は少ないのではなかろうか。
年かさの従兄は昔オーディオマニアだったと聞いた。もちろん音楽を聴くためにオーディオの機械を揃えていたのだが、その知り合いのオーディオマニアに「機関車の音を聴く専門」という人がいたそうだ。たった数枚の機関車の音のレコードを聴くために、高価な機械を買い揃えていたのである。鉄道マニアの世界に「音専門」の人がいるとは知らなかった。
いろんな分野に評論家がいて、たとえば読んだ事はないけど「間違いだらけのクルマ選び」の徳大寺有恒のような「自動車評論家」など、一人で買える車にも限界があるだろうし、どうやって「評論家」になれるのだろう。そんなことを考えてウィキペディアで調べてみたら、彼は元レーサーだそうだ。あと「コロコロ主張を変える人」として有名とのことで、そういえば昔「こち亀」で車同士が相撲を取るその取り組みの解説者として彼そっくりの人物が出てきて、ころころ主張を変えていて面白かったのだが、そういう背景があったのだといま知った。
そういえばテレビに出てくる「航空評論家」は元パイロットばかりだ。
「モノレール評論家」など案外スキマ産業ではなかろうか。いや、世の中そんなに甘くないか。
僕は新幹線に乗るととても疲れる。加速に弱いのだ。そういえばデビッド・ボウイ主演の映画「地球に落ちてきた男」に出てきた、ボウイ演じる宇宙人も加速に弱く、エレベーターに乗ると鼻血を出して気を失うのだった。そして水ばかり飲んでいる。僕も最近は真水を好む。僕は実は異星人なのではないかと、こんど母に聞いてみよう。
ロープウェイは一回だけ乗ったけど、面白かった。
戸川純の「夢の山獄地帯」という歌に、「最新型のケーブルカー、登ってくるよ、降りてくる、青年たちの集う場所、ワンダーフォーゲル、ヨーレイホー」という部分があって、「登ってくるよ 降りてくる」というのがどうもトマソン的で可笑しくてたまらなかった。
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
自動車が道の端に停車するために進路変更する際、方向指示器を点けるよう教習所では習うが、公共のバスなどを除いてはそんなことをする人は少ない。道を歩いていて、それで危ない思いをすることがあって、たまに腹が立つ。
いまは電車の優先座席でも平気で携帯電話を使っている人が多いが、心臓ペースメーカーの利用者はどうしているのだろう。携帯電話の電波がペースメーカーの誤作動を引き起こす可能性があるというのは、間違いだったのだろうか。
勤め先が淀川沿いにあるから、モーターボートでの通勤も検討してみようか。免許持ってないけど。やはり車のほうが安くつくものだろうか。
タクシーの運転手が強盗や暴行の被害に遭うという話をよく聞く。テレビでも以前、酔っ払いの乗客が走行中の運転手に殴る蹴るの暴行を加えている映像を見た。いざという時は座席ごと空中に脱出できるようにして、パラシュートが開くようにしてはどうか。
飛行機の操縦席が、危険時に空中に飛び出すようになっているのを映画等でよく見るけれど、ヘリコプターであれは難しいのではなかろうか。
むかし夜の街が暗かったころ、路面電車の安全地帯につまづく人が多かったようで、古今亭志ん生さんが噺のマクラで「そこは安全地帯だ、危ねえよ!!」と言っていた。
路面電車にはあまり乗ったことがない。高校の修学旅行で博多で行ったとき、あと就職活動で京都のある会社に訪問するときに乗ったぐらいだ。博多の路面電車には、乗り口の注意書きに「鳥獣の持ち込み不可」とあったのが妙に可笑しかった。獣は分かるとして鳥を持ち込もうとする人は少ないのではなかろうか。
年かさの従兄は昔オーディオマニアだったと聞いた。もちろん音楽を聴くためにオーディオの機械を揃えていたのだが、その知り合いのオーディオマニアに「機関車の音を聴く専門」という人がいたそうだ。たった数枚の機関車の音のレコードを聴くために、高価な機械を買い揃えていたのである。鉄道マニアの世界に「音専門」の人がいるとは知らなかった。
いろんな分野に評論家がいて、たとえば読んだ事はないけど「間違いだらけのクルマ選び」の徳大寺有恒のような「自動車評論家」など、一人で買える車にも限界があるだろうし、どうやって「評論家」になれるのだろう。そんなことを考えてウィキペディアで調べてみたら、彼は元レーサーだそうだ。あと「コロコロ主張を変える人」として有名とのことで、そういえば昔「こち亀」で車同士が相撲を取るその取り組みの解説者として彼そっくりの人物が出てきて、ころころ主張を変えていて面白かったのだが、そういう背景があったのだといま知った。
そういえばテレビに出てくる「航空評論家」は元パイロットばかりだ。
「モノレール評論家」など案外スキマ産業ではなかろうか。いや、世の中そんなに甘くないか。
僕は新幹線に乗るととても疲れる。加速に弱いのだ。そういえばデビッド・ボウイ主演の映画「地球に落ちてきた男」に出てきた、ボウイ演じる宇宙人も加速に弱く、エレベーターに乗ると鼻血を出して気を失うのだった。そして水ばかり飲んでいる。僕も最近は真水を好む。僕は実は異星人なのではないかと、こんど母に聞いてみよう。
ロープウェイは一回だけ乗ったけど、面白かった。
戸川純の「夢の山獄地帯」という歌に、「最新型のケーブルカー、登ってくるよ、降りてくる、青年たちの集う場所、ワンダーフォーゲル、ヨーレイホー」という部分があって、「登ってくるよ 降りてくる」というのがどうもトマソン的で可笑しくてたまらなかった。
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No.112
2009/10/28 (Wed) 20:10:59
どっかへ 走っていく 汽車の
七十五セント ぶんの 切符をくだせえ
ね どっかへ 走っていく 汽車の
七十五セント ぶんの
切符を くだせえ ってんだ
どこへいくか なんて 知っちゃあ
いねえ
ただもう こっから はなれてくんだ
これは、ラングストン・ヒューズという黒人によって書かれた「七十五セントのブルース」という詩だそうだ。
無学で朴訥とした、おそらくは五十を越えた人物のセリフのように感じる。
これを読むと何故か亡父を思い出す。ただし父が「無学で朴訥とした人物」というわけではない。
父は個人で建築設計事務所を営んでいた。夜は自宅で図面を引き、昼はヘルメットを被って現場監督に出て行った。
若い頃、気の荒い大工や鳶職人ににらみをきかすため外見に気を配り、煙草を吸い始めたのだと言っていた。だから父の作業着には、煙草のにおいが染み付いていた。
鉄骨の組みあがったふもとで、夏はじりじりと照りつける太陽の下、冬はドラム缶の焚き火のまわりで、父は職人たちの輪の中にいた。そうした工事現場からの帰り道、おそらくは小さな駅の近くだろうか。夕闇の中、上の詩のような人物に父がばったりと出会い、そして唐突に切符代をせがまれたとしたら……と、そんな情景が目に浮かぶ。そんなとき父はどうしたろう? 無視して立ち去ったろうか。いや憮然としながらも、使い古して縁の剥げた革の財布から、黙って五百円札を取り出して渡したのではなかろうか。辺りにひとけのないことを確かめてから……。
「七十五セントのブルース」は僕には、そんな空想を喚起させられる。父を知らない他人様には面白くもおかしくもない空想かも知れないが。
皆さんはこの詩から、どんな情景が思い浮かびますか。
(この詩の日本語訳は、詩人でもある木島始という人によるそうです。)
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七十五セント ぶんの 切符をくだせえ
ね どっかへ 走っていく 汽車の
七十五セント ぶんの
切符を くだせえ ってんだ
どこへいくか なんて 知っちゃあ
いねえ
ただもう こっから はなれてくんだ
これは、ラングストン・ヒューズという黒人によって書かれた「七十五セントのブルース」という詩だそうだ。
無学で朴訥とした、おそらくは五十を越えた人物のセリフのように感じる。
これを読むと何故か亡父を思い出す。ただし父が「無学で朴訥とした人物」というわけではない。
父は個人で建築設計事務所を営んでいた。夜は自宅で図面を引き、昼はヘルメットを被って現場監督に出て行った。
若い頃、気の荒い大工や鳶職人ににらみをきかすため外見に気を配り、煙草を吸い始めたのだと言っていた。だから父の作業着には、煙草のにおいが染み付いていた。
鉄骨の組みあがったふもとで、夏はじりじりと照りつける太陽の下、冬はドラム缶の焚き火のまわりで、父は職人たちの輪の中にいた。そうした工事現場からの帰り道、おそらくは小さな駅の近くだろうか。夕闇の中、上の詩のような人物に父がばったりと出会い、そして唐突に切符代をせがまれたとしたら……と、そんな情景が目に浮かぶ。そんなとき父はどうしたろう? 無視して立ち去ったろうか。いや憮然としながらも、使い古して縁の剥げた革の財布から、黙って五百円札を取り出して渡したのではなかろうか。辺りにひとけのないことを確かめてから……。
「七十五セントのブルース」は僕には、そんな空想を喚起させられる。父を知らない他人様には面白くもおかしくもない空想かも知れないが。
皆さんはこの詩から、どんな情景が思い浮かびますか。
(この詩の日本語訳は、詩人でもある木島始という人によるそうです。)
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No.111
2009/10/28 (Wed) 18:23:03
僕は犬より猫を好む。犬はあたりかまわず排泄や交尾をする破廉恥なところが気に食わない。その点猫は節度がある。きれい好きで身勝手なところも自分と似ていて好感が持てる。猫は小動物を追い回してなぶり殺す残酷なところがある。自分も心の奥底は残酷な人間のような気もするが、動物を手ずから殺すような真似はよほどの必要がない限りしない。どんな小さな虫でも。小さな虫などは目の前で死んでもそんなにかわいそうとか思うわけではないが、その虫が死んでも気にならないからといって殺してよい理由にはならない。気にならないなら殺してよいというのだったら、僕という人間が死んでも気にならない大きな動物が目の前に出てきたら、そいつに殺されても文句は言えないことになる。だからなるべく不殺生を心がけている。
そういうわけでジャイナ教の教徒が、蟻や微生物をも踏み殺さないように箒で足元を掃きながら歩くのは、かなり共感できる。百科事典で「ジャイナ教」を調べてみると、「高下の差を問わず生命の不殺生が主な原則である。『何ものをも傷つけないこと』は、あらゆる生命に対して愛情と同情を要求する積極的な禁令である。年老いた病気の動物に避難所や休息所を建てるのはジャイナ教徒のみであり、そこでは動物が自然死を果たすまで飼育される」とある。だんだんジャイナ教徒になりたくなってきた。でもそんな暇ないか。
しかし不殺生とはいうものの、自分は肉を食べる。自分の手では殺さないが、人が殺してきた動物を食べるというのはよく考えると不徹底だ。鶏肉など大好きだが、信念が勝ってこれを遠ざけ、来年の今頃は菜食主義者になっているかもしれない。別になりたくもないが、普段からいろんな強迫観念に追い回されている自分を省みると、そうなってしまうような予感がある。ジャイナ教徒にはなりそうもないけど。
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そういうわけでジャイナ教の教徒が、蟻や微生物をも踏み殺さないように箒で足元を掃きながら歩くのは、かなり共感できる。百科事典で「ジャイナ教」を調べてみると、「高下の差を問わず生命の不殺生が主な原則である。『何ものをも傷つけないこと』は、あらゆる生命に対して愛情と同情を要求する積極的な禁令である。年老いた病気の動物に避難所や休息所を建てるのはジャイナ教徒のみであり、そこでは動物が自然死を果たすまで飼育される」とある。だんだんジャイナ教徒になりたくなってきた。でもそんな暇ないか。
しかし不殺生とはいうものの、自分は肉を食べる。自分の手では殺さないが、人が殺してきた動物を食べるというのはよく考えると不徹底だ。鶏肉など大好きだが、信念が勝ってこれを遠ざけ、来年の今頃は菜食主義者になっているかもしれない。別になりたくもないが、普段からいろんな強迫観念に追い回されている自分を省みると、そうなってしまうような予感がある。ジャイナ教徒にはなりそうもないけど。
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目次
上段の『☆ 索引』、及び、下段の『☯ 作家別索引』からどうぞ。本や雑誌をパラパラめくる感覚で、読みたい記事へと素早くアクセスする事が出来ます。
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
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セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
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