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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/21 (Thu) 17:57:52

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No.197
2010/01/21 (Thu) 23:19:04

タイムリーな話題でもないが、脳死移植というものについてときどき考える。考えるといってもぼんやり考えているので、その関係の本を読み漁るなどということはしていない。いくつかその関係のHPを見ていると、次のような記述があった。

―*―*―*―*―*―*―*―*―
脳死:全脳機能 (大脳~脳幹) の不可逆的停止状態、全脳死。各臓器への血流が保たれている状態で、臓器移植のドナーとして理想的と考えられている。欧米では脳死を人の死と法律で定義しているが、反対の考えの人もいる。日本では「臓器の移植に関する法律」により、臓器移植が適切に行われる場合に限り心臓死でなく脳死を人の死とする限定脳死説を採用。

植物状態:大脳機能のみの不可逆的停止状態、大脳死。個人 (人格) を精神活動で定義するならば、植物状態になった時点でその人の死とする考え方もある。
―*―*―*―*―*―*―*―*―

つまり欧米では「脳が死んだ」ことをもって「その人が死んだ」とする、という具合に死を定義しているが、日本はそうではない。日本の法律では、人の死は基本的に「三徴候死(心停止・呼吸停止・対光反射の消失)」で定義され、「心臓が止まる」ことが不可欠である。しかし、脳死した人がドナーカードなどで臓器移植に同意しており、家族全員の同意もあり、回復の見込みがないといった条件が重なって、「この人から臓器を取り出しても倫理上問題がなかろう」となった場合には、特別に「脳死=人の死」とみなし、臓器を取り出すのである。これが日本で採用されている「限定脳死説」のようだ。

何年か前、日本で初めて脳死移植が行われた際、その経過がリアルタイムで報道された。何時何分に脳死が確認され、臓器が次々取り出され、肝臓は…県に、腎臓は…県にいま輸送されている、という具合に。脳死した人についてはプライバシーが保護され名前などは公表されていなかったが、何かぞっとさせられるものがあった。脳死したとたんに、その人の体が「道具」として扱われてしまう違和感とでも言うのか……。

しかしこの後「ドナー患者に十分な治療は尽くされただろうか?」という問題点が指摘されたようである。脳死は上述のように、全脳機能の「不可逆的」停止状態でなければならないから、「現在行いうるすべての適切な治療手段をもってしても,回復の可能性が全くないと判断される」状態である必要がある。だからドナー患者に本当に最善の医療が施されたかどうかが常に問題になる。しかし医学という分野もきっと複雑広大で、脳死患者のいる病院に「現在行いうるすべての適切な治療手段」を行いうる医師が必ずいるかというと、何か怪しい気がする。そう考えると「全脳機能 (大脳~脳幹) の不可逆的停止状態」という脳死の定義も、曖昧に思えてくる。

脳死判定というのは、次のように行われるそうである。

―*―*―*―*―*―*―*―*―
脳死判定基準:
(1) 深昏睡、(2) 瞳孔散大・固定、(3) 脳幹反射消失、(4) 平坦脳波、(5) 自発呼吸停止の5項目を6時間おいて2回判定。聴性脳幹誘発反応の実施も推奨。
―*―*―*―*―*―*―*―*―

ところで僕の最大の疑問は、こんな風に「脳が死んだ」と判定された人は、本当に精神活動が行えなくなるのだろうか、ということである。つまり「脳が死んだ人間でも物事が考えられる」という状態は絶対にありえないのだろうか。

「テストによって『脳が生きている』と判定されれば、その人はものを考えることができる」というのは確かめられるかもしれない。脳が生きていれば、四肢や言語を操れる可能性があって、その人との意思疎通もありえるからだ。
しかし逆に「その人がものを考えることができるならば、必ずテストによって『脳が生きている』と判定されるものだ」というのはどうだろう。確認のしようがあるだろうか。上述の(1)~(6)のテストをやって、脳が死んだと判定されているのに、やはりその人がものを考えているという場合、その人の精神活動をとらえることはできないのではないか。その人は手足や口を動かせないから、外界との意思疎通はできない。だから傍目には死んでいるようにしか見えないはずである。

昔、楳図かずおの漫画にあったが、生前心臓移植に同意していた少女が交通事故に遭い、医師によって外見的に死が確認されたため、心臓を取り出されることになった。しかし少女の意識ははっきりしており、ただ手足も口も動かせず、意思をまったく表現できない。「私は生きてるのよ!」という心の叫びが外界に届かず、「この子は死んだね」「じゃあ心臓を取り出そう」という医師たちの会話を耳にし、胸を裂かれ自分の心臓が取り出されるのをただ黙って見ている恐怖。

手塚治虫の「ブラック・ジャック」にも、少し似た話があった。何かの会社の若い社長が、昏睡状態に陥り植物人間に。若社長の周りには、家族や幹部社員が集まり、植物人間であることをいいことに傍らで遺産の分配についてもめ事をしたり、悪口を言ったり。常識的にはものを考えられないはずの植物人間だが、ときどき変わった呼吸音を出すことに傍らの医師が気づいた。その呼吸音は実はモールス信号のようなもので、解読してみると「うるさい奴を部屋から出て行かせてくれ」だった。

「脳が死んだらものが考えられなくなるのか」という疑問は、医学を学べば解消する類のものなのだろうか。この方面に詳しい方、ご教示願えれば幸いです。


今回参考にしたHP
http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/ethics/theme3.html
http://www.ceres.dti.ne.jp/~gengen/masui/nousi.html


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