『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.241
2010/02/28 (Sun) 17:29:30
飛行機 木下杢太郎
飛行機から人が落ちて死んだといふ号外を見ながら夜おそく楂古聿(ちよこれえと)のむ何となきいたはしさかなしさ小気びよさ小づくりのおかみは沙汰過ぎたれども眉は剃れども
「沙汰過ぎ」は年のいったという意。
今日は暖かで木曜日は早く帰れるから気分よく帰途についた。学校からバス停まで歩いて十分、いい散歩だ。学校自体人里から離れているが、利用しているバス停はさらに辺鄙な場所にある。僕は手ごろな石を蹴りながら歩いた。しかしまっすぐ前方に蹴り続けることができずに、石は道の右手の草むらの中に転がり込んで見えなくなった。僕は何とはなしに草むらに入っていき石を探してみたがそれは無かった。そのかわり草むらのせいで目立たなかった道のくぼみに足をとられ、同時にガチャンという音がして僕の足は何かに挟まれた。それは動物を取るための罠だったようで、その金属製の歯が僕の足首を締め付け痛みが走った。その罠は頑丈でどうやっても外すことができなかった。そのうちバスが僕を追い越していった。どうやら一時間に一本のバスを乗り過ごしてしまったようだ。しかし今は罠を外すことのほうが重要かつ深刻な問題だった。誰か通りかかってくれれば良いがと思ったが、いくら待っても人っ子一人通らなかった。
そして二百年の歳月が過ぎた。僕は罠にとらわれた場所で一本の桜の木になっていた。足もとから生えたその木と僕がいつしか同化したのであろう。多くの人間が僕の前を通り過ぎ、春になり僕が花をつけると人はそこで立ち止まって花を見上げた。僕は木になったことに半ば満足し、半ば動けないことに不満を感じ続けた。
ある年の四月。僕がもともとは足であった根っこを動かしてみると、今まで頑として僕を放さなかった金属の罠が錆びて朽ち果て、もはや僕を捉えてはいないことに気付いた。僕は思い切って根っこを地面から引き抜いて歩いてみた。人間と同じように歩ける。よたよたと歩いてみると、僕の枝々で咲き乱れる桜の花がはらはらと散った。よし、とりあえず動いても目立たないように暗くなるまで待とう。
その夜たまたまみごとな流星群が空を覆い、一つひとつが巨大で緑色に輝く星々が無数に天をかけめぐった。何時間も、何時間もその天体ショーは続いた。僕の近くに通りかかった何人かの人間は口をあけて空を見上げ、流星に魅せられているようだった。大流星群が去り、空が暗闇に戻ると僕は根を動かしてゆっくりと人里のほうへ歩いていった。朝になると人間に出会うであろうと思ったが、いつまでも街はしんとしていた。ふだんなら車が往来をさかんに走っているはずの時刻になっても、動いている自動車は一台も見かけない。やっと、ふらふらとつまずきながら歩く中年男性を発見した。どうもこの男は目が見えないらしい。その後何人かの男女を見かけたが、そのいずれもが視力を失っているようだった。これは何か大事件が起こったのではあるまいか。
「誰か目の見えるものはいないのか!?」という声が聞こえてきた。これはひょっとすると流星群を見たせいで人間たちが視力を失ったのではあるまいか。僕は絶好の機会とばかりに触手を伸ばし人間どもをとらえて血を吸った。血を吸えば吸うほど、僕の桜の花は濃い赤色に染まった。それは我ながら美しい赤色の桜だった。これを人間が見ないのはすこし残念な気もした。僕が次々に人間をひっとらえているとき、一陣の風が吹き、僕の花を散らせた。その花びらはさながら青空に舞い散る無数の赤血球のようだった。という夢を見た。
最近くしゃみがよく出る。「先生、花粉症じゃない?」と生徒に言われた。その生徒は小学生のとき、朝礼で並んでいると花粉症のせいでいつも鼻血を流していたそうである。花粉症で出血するとは知らなかった。今さら花粉症になるのは嫌だが、最近はよく効く薬もあるらしい。薬といえば去年の夏からこの冬にかけて、よく葛根湯を飲んだ。よく風邪を引いていたのだ。自分はそれで治ることが多かったのだが、葛根湯はがっしりした体格の人にしか効かないという話を聞いてへえと思った。自分はたしかにそういう体格だが、体つきによって効く効かないがあるというのは本当だろうか。あと葛根湯といえばある落語のマクラでむかし「葛根湯医者」という者がいたことを知った。葛根湯はいつ飲んでも悪いというものではないから、どんな患者が来ても葛根湯を飲ませるのだそうである。あなた、どこが痛いんですか。頭? そりゃ頭痛だ。葛根湯を飲みなさい。あなたはどこが痛いの? お腹。そりゃ腹痛だ。葛根湯を飲みなさい。あなたは付き添いの方? まあそこにいても退屈だろうから葛根湯でも飲みなさい。
平井和正の『幻魔大戦』を読み始めた。ずいぶん気宇壮大な話だ。はるかな昔から大宇宙を侵食し続けてきた「幻魔」は、あらゆるものを「無」に変えてしまい、多くの星雲を滅亡させてきた。それがいよいよわれわれの住む銀河系に魔の手を広げてきた。地球も危ない。そこで超能力者を結集して人間の「正のエネルギー」を集めることで「幻魔」を退けよう、という試みがなされる。ちょっと読んだ感じレンズマン・シリーズやネバー・エンディング・ストーリーを連想したが、どう展開するのだろうか。
今日は学校の図書室で処分することになった数学の雑誌を大量にもらった。自宅での置き場所にも困るぐらいだが、その本の山を見ていたらとてもワクワクしてきた。退職金代わりに受け取っておこう。
(c) 2010 ntr ,all rights reserved.
飛行機から人が落ちて死んだといふ号外を見ながら夜おそく楂古聿(ちよこれえと)のむ何となきいたはしさかなしさ小気びよさ小づくりのおかみは沙汰過ぎたれども眉は剃れども
「沙汰過ぎ」は年のいったという意。
今日は暖かで木曜日は早く帰れるから気分よく帰途についた。学校からバス停まで歩いて十分、いい散歩だ。学校自体人里から離れているが、利用しているバス停はさらに辺鄙な場所にある。僕は手ごろな石を蹴りながら歩いた。しかしまっすぐ前方に蹴り続けることができずに、石は道の右手の草むらの中に転がり込んで見えなくなった。僕は何とはなしに草むらに入っていき石を探してみたがそれは無かった。そのかわり草むらのせいで目立たなかった道のくぼみに足をとられ、同時にガチャンという音がして僕の足は何かに挟まれた。それは動物を取るための罠だったようで、その金属製の歯が僕の足首を締め付け痛みが走った。その罠は頑丈でどうやっても外すことができなかった。そのうちバスが僕を追い越していった。どうやら一時間に一本のバスを乗り過ごしてしまったようだ。しかし今は罠を外すことのほうが重要かつ深刻な問題だった。誰か通りかかってくれれば良いがと思ったが、いくら待っても人っ子一人通らなかった。
そして二百年の歳月が過ぎた。僕は罠にとらわれた場所で一本の桜の木になっていた。足もとから生えたその木と僕がいつしか同化したのであろう。多くの人間が僕の前を通り過ぎ、春になり僕が花をつけると人はそこで立ち止まって花を見上げた。僕は木になったことに半ば満足し、半ば動けないことに不満を感じ続けた。
ある年の四月。僕がもともとは足であった根っこを動かしてみると、今まで頑として僕を放さなかった金属の罠が錆びて朽ち果て、もはや僕を捉えてはいないことに気付いた。僕は思い切って根っこを地面から引き抜いて歩いてみた。人間と同じように歩ける。よたよたと歩いてみると、僕の枝々で咲き乱れる桜の花がはらはらと散った。よし、とりあえず動いても目立たないように暗くなるまで待とう。
その夜たまたまみごとな流星群が空を覆い、一つひとつが巨大で緑色に輝く星々が無数に天をかけめぐった。何時間も、何時間もその天体ショーは続いた。僕の近くに通りかかった何人かの人間は口をあけて空を見上げ、流星に魅せられているようだった。大流星群が去り、空が暗闇に戻ると僕は根を動かしてゆっくりと人里のほうへ歩いていった。朝になると人間に出会うであろうと思ったが、いつまでも街はしんとしていた。ふだんなら車が往来をさかんに走っているはずの時刻になっても、動いている自動車は一台も見かけない。やっと、ふらふらとつまずきながら歩く中年男性を発見した。どうもこの男は目が見えないらしい。その後何人かの男女を見かけたが、そのいずれもが視力を失っているようだった。これは何か大事件が起こったのではあるまいか。
「誰か目の見えるものはいないのか!?」という声が聞こえてきた。これはひょっとすると流星群を見たせいで人間たちが視力を失ったのではあるまいか。僕は絶好の機会とばかりに触手を伸ばし人間どもをとらえて血を吸った。血を吸えば吸うほど、僕の桜の花は濃い赤色に染まった。それは我ながら美しい赤色の桜だった。これを人間が見ないのはすこし残念な気もした。僕が次々に人間をひっとらえているとき、一陣の風が吹き、僕の花を散らせた。その花びらはさながら青空に舞い散る無数の赤血球のようだった。という夢を見た。
最近くしゃみがよく出る。「先生、花粉症じゃない?」と生徒に言われた。その生徒は小学生のとき、朝礼で並んでいると花粉症のせいでいつも鼻血を流していたそうである。花粉症で出血するとは知らなかった。今さら花粉症になるのは嫌だが、最近はよく効く薬もあるらしい。薬といえば去年の夏からこの冬にかけて、よく葛根湯を飲んだ。よく風邪を引いていたのだ。自分はそれで治ることが多かったのだが、葛根湯はがっしりした体格の人にしか効かないという話を聞いてへえと思った。自分はたしかにそういう体格だが、体つきによって効く効かないがあるというのは本当だろうか。あと葛根湯といえばある落語のマクラでむかし「葛根湯医者」という者がいたことを知った。葛根湯はいつ飲んでも悪いというものではないから、どんな患者が来ても葛根湯を飲ませるのだそうである。あなた、どこが痛いんですか。頭? そりゃ頭痛だ。葛根湯を飲みなさい。あなたはどこが痛いの? お腹。そりゃ腹痛だ。葛根湯を飲みなさい。あなたは付き添いの方? まあそこにいても退屈だろうから葛根湯でも飲みなさい。
平井和正の『幻魔大戦』を読み始めた。ずいぶん気宇壮大な話だ。はるかな昔から大宇宙を侵食し続けてきた「幻魔」は、あらゆるものを「無」に変えてしまい、多くの星雲を滅亡させてきた。それがいよいよわれわれの住む銀河系に魔の手を広げてきた。地球も危ない。そこで超能力者を結集して人間の「正のエネルギー」を集めることで「幻魔」を退けよう、という試みがなされる。ちょっと読んだ感じレンズマン・シリーズやネバー・エンディング・ストーリーを連想したが、どう展開するのだろうか。
今日は学校の図書室で処分することになった数学の雑誌を大量にもらった。自宅での置き場所にも困るぐらいだが、その本の山を見ていたらとてもワクワクしてきた。退職金代わりに受け取っておこう。
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目次
上段の『☆ 索引』、及び、下段の『☯ 作家別索引』からどうぞ。本や雑誌をパラパラめくる感覚で、読みたい記事へと素早くアクセスする事が出来ます。
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
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