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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/21 (Thu) 17:45:41

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No.436
2011/05/23 (Mon) 23:43:54

「光彦、お仏壇にお水をあげてきて」台所で、昼食の用意をしていた母親が言った。
「はーい」光彦は小さな湯呑に水を汲んで、居間に持っていった。「向こうの天気はどうかな」
「晴れてるんじゃないかしら。でも、寒いだろうから、セーターを着ていきなさい」
 光彦はセーターを着て、湯呑を手に持ち、仏壇の扉を開いた。
 扉の向こうには、雪原が広がっていた。その上空は快晴で、雲ひとつなく真っ青だった。右手の、遠くのほうに、ブナ林が見えた。
「あんまり長居しちゃだめよ」
「ああ、すぐ帰ってくる」光彦は、小さな体を仏壇にもぐりこませ、雪原に降りた。突然広々とした世界に降り立った彼は、ぶるっと震えた。陽光を全身に浴びてはいたが、かなり寒かったのだ。この雪原の世界からは、彼の今通ってきた、こちらへの入り口の跡は、何も見えない。ただ何もない空間が、広がっているだけ。しかし目に見えなくとも、仏壇の縁に手を触れることはできる。そこで光彦は、ハンカチを取り出して、雪の中に半分だけ埋め、元の世界に戻るための目印にした。赤いハンカチが、遠くからでもよく見えるだろう。少年は目を細めて、周囲を見渡した。どこまでも平坦な、まばゆいばかりの雪景色。そして、この世界で唯一、白くも青くもない、茶色のブナ林に向かって歩き出した。
 ブナ林の中に、彼の父の墓所がある。そこへ行って水を供えるのが、光彦の日課だった。
 光彦は湯呑を手に、黙々と歩いた。しかし、林にはなかなか近づかなかった。林との距離は、縮まる気配をまったく見せなかった。光彦は汗だくになった顔をあげて、言った。
「父さん、意地悪はやめて」
 すると、ブナ林がパッと近くに現れた。光彦は安心して、ひとつため息をつき、林の中に入っていった。そして、林の真ん中に位置する祠に水を供えて、すぐにもと来た道を引き返し始めた。が、今度はなかなか林から出られない。なんだか、ブナの木がさっきより多くなった感じだ。
「ごめん。長居できないんだ」すると、光彦の周りから木々が消え失せた。「赤いハンカチが埋めてある所まで運んでいってくれると、嬉しいんだけど」
 しかし、彼がそう言ったとたんに、周囲の雪の色がすべて真っ赤になった。見わたす限り赤色になった雪原は、気味の悪いものだった。
「目印が分からなくなったから、連れてゆけないって言うつもりかい。もういいよ、自分で探すから」少年はそう言って、歩き出した。すると、雪は元通りの白になった。
「ありがとう」
 しばらく歩くと、光彦の目の前に、大きな木造の家が現れた。扉がひとりでに開く。彼は立ち止まった。
「この家に住めって言うの。駄目だ、早く帰らないと母さんが心配する」
 すると家が、ミシッミシッという音を立てて、少しづつ動き始めた。やがて家は、回転運動を始めた。それはだんだんと速さを増し、ぐるぐるぐるぐる、ものすごい勢いで家が回り始めた。
「なにしてるの。どうしたの、父さん」光彦の顔に不安の影がさした。
 空が突然、黄緑色に変わった。真っ黒い雲が、どこからか次々と集まってきて、強い雨が降ってきた。雨に混じって、白くて丸いものが、たくさん落ちてきた。よく見ると、それは無数の人間の目玉だった。
「父さん。どうしたの。本当にどうかしたの」光彦の顔色は蒼白になっていた。帰れなくなるのではないか。そんな予感が、彼の頭をよぎった。
 雨は、どんどん強くなっていった。広々とした雪原はもう見えず、あたりは灰色だった。地面は、雨でグシャグシャになり、だんだん茶色っぽくなっていった。
 雨の中、光彦は走った。赤いハンカチを早く見つけないと、どういうことになるか。しかし、光彦は泥に足を取られ、倒れた。その瞬間に雨はやんだ。
 周囲は一転して、大海原になっていた。空は快晴。光彦は、海に浮かんでいた。見わたす限りの海。陸地はない。
 光彦は、大洋のうねりに、身をまかせていた。雲ひとつない青空のかなたで、太陽がギラギラと輝いている。彼は恐ろしくなった。少年は、体をあっちに運ばれこっちに流されしているうちに、気が遠くなっていった。

「光彦。光彦」母親が、かたわらから、彼を呼んでいる。光彦は、布団に横になっていた。助かったのだ。彼が目を開けると、母親は安心して、言った。「よかった……大丈夫なのね」
 光彦は、居間に寝かせられていた。仏壇を見ると、扉は閉じられ、大きな錠前がかけられている。扉のすきまから、海草のようなものがはみ出し、仏壇のまわりは水で濡れていた。
「父さん、急におかしくなったんだ」光彦が言った。
「そうね……あのお仏壇は、とうぶん開けられないわ」
「父さん、また元気になるかな」光彦はそう言って、仏壇の閉ざされた扉を、じっと見つめた。いつまでも、いつまでも。


(筆者による文芸社刊『無限ホテル』所収の「静かな、広々とした」を改作)


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 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

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