『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.437
2011/05/23 (Mon) 23:45:24
休日、温水プールでひと泳ぎした帰り、Kは通ったことのない道を通った。見たことのない公園、馴染みのない居酒屋、初めて通る小さなトンネル。
「平衡律研究所」。そんな看板のかかった、トタン屋根のさびれた工場が目についた。入口が開け放たれて、中は真っ暗だった。入口の上の隅には、大きな蜘蛛の巣がかかっている。
万力だの丸ノコだの電気ドリルだのが雑然とのっかった台が奥に見えた。白く細長いものが床に落ちているのが見えた。よく見ると、それは計算尺だった。今の社会ではほとんど無用の道具となっているこの計算尺というものに、Kはなんとなく愛着を感じていたから、歩み寄ってそれを拾い上げた。 暗い工場の中でしばらくそれをいじくっているうち、だんだん暗闇に目が慣れてきて、壁に「予定表」と書かれた大きな紙が貼ってあるのに気がついた。一九××年何々、二〇××年何々と、かなり長期にわたる予定表のようだった。その大部分が、すでに過去となっていた。Kはそれを読むうちに思わず頬がゆるみ、笑みが浮かんできた。おそらく大部分が達成されなかったであろう予定ばかりだったからである。いわく、
一九××年 平衡律の研究により○○大学より博士号を授与される。
一九××年 平衡律誘導装置の開発により特許を得、○○社より商品化、特許料により巨万の富を得て数百の棟よりなる研究開発施設を設置。
二〇××年 平衡律誘導装置の改良により宇宙旅行が飛躍的に進歩し、人類初の恒星間飛行が実現。
二〇××年 自ら宇宙船に乗り込み人類未踏の恒星系を探検。(異星人と出会った場合を考え万能翻訳装置の開発が必要)
この工場の主は、しばしば巷に見られるような野心的な発明家を通り越し、誇大妄想狂になってしまったのかも知れない。
その予定表の近くの作業台に、小さな天秤が置かれているのに気がついた。そのそばには、いろいろな大きさの丸い錘(おもり)があった。Kは天秤の二つの皿に、錘をのせてみた。大小の錘で調節して、二つの皿がつりあうようにした。両側の皿は同じ高さになって、静止した。とくに何も起こらない。工場の中はひっそりしていた。
「何かご用ですか」と、工場の入り口から声がした。Kが振り返ると、この古い工場には似つかわしからぬ、さっぱりした身なりの若い男が立っていた。ここの持ち主だろう。
「すみません」あわててKは言ったが、なぜ勝手に入り込んだのかをどう説明しようか迷いつつ「いや、たまたま通りかかったのですが、機械類や、またあの予定表にも興味をひかれまして」
「ああ、あの表。恥ずかしいから外そうと思っていたんですよ」若い男は苦笑して言った。
「あの、ここは平衡律研究所ということですが、平衡律というのは何ですか」Kは尋ねた。
「私もよく知らないのです。ここは父の工場だったのですが、父はだいぶ前に死にました。死んだのは、一九××年です」
その年は、予定表にある最初の年よりも前だった。
「死ぬすこし前に、大発見をしたと言って喜んでいました。それがあの平衡律というやつです。工場の名前も『平衡律研究所』にしてしまいました」
「そんなすごい発明をしたというのに、その内容は聞かされなかったのですか」
「父の発明熱はそれよりだいぶ前から始まっていましたから。いつも役に立たない、あるいは実現不可能な発明の話を聞かされ、家族も相手にしなくなっていました。ここも初めはネジなんかを作る工場だったんですが、だんだん発明専門みたいになってきましてね」
Kはこの工場の主のことが、すこし哀れに思えてきた。
「この敷地は売るんですよ。明日、この工場を取り壊します」若い男が言った。
Kはもう一度勝手に入り込んだことを詫びてから、工場を立ち去った。立ち去り際もう一度、あの予定表と、静かにつりあって動かない天秤に目をやった。
二人が工場を去ったあと、天秤の二つの皿に変化が現れた。右の皿の錘は紫の光、左の皿の錘は緑の光を発して輝きだした。やがて二つの光は目もくらむような閃光となり、おもむろに工場の機械類がぶーんとうなって動き出した。工場の床下で巨大な歯車が回転し始め、地中に隠れていた噴射口が轟然と火を噴いた。平衡律研究所は、その建物ごと空へ飛び立った。そのまま大気圏を脱出、地球の周回軌道を離脱するとワープしてアルファ・ケンタウリ星系に到着した。
しかし運悪くアルファ・ケンタウリ星人を多数乗せた宇宙船と衝突、百名の乗組員は全員死亡した。アルファ・ケンタウリ星人の地球への大々的な報復が始まったが、彼らが地球に近づくと、平衡律研究所跡の敷地から自動的に「平衡律ミサイル」が次々と発射され、まんまと敵の宇宙船団を全滅させた。
かくして訳が分からないながらも、いまだに地球の平和は続いている。
(筆者による文芸社刊『無限ホテル』所収の「平均律」を改作)
(c) 2011 ntr ,all rights reserved.
「平衡律研究所」。そんな看板のかかった、トタン屋根のさびれた工場が目についた。入口が開け放たれて、中は真っ暗だった。入口の上の隅には、大きな蜘蛛の巣がかかっている。
万力だの丸ノコだの電気ドリルだのが雑然とのっかった台が奥に見えた。白く細長いものが床に落ちているのが見えた。よく見ると、それは計算尺だった。今の社会ではほとんど無用の道具となっているこの計算尺というものに、Kはなんとなく愛着を感じていたから、歩み寄ってそれを拾い上げた。 暗い工場の中でしばらくそれをいじくっているうち、だんだん暗闇に目が慣れてきて、壁に「予定表」と書かれた大きな紙が貼ってあるのに気がついた。一九××年何々、二〇××年何々と、かなり長期にわたる予定表のようだった。その大部分が、すでに過去となっていた。Kはそれを読むうちに思わず頬がゆるみ、笑みが浮かんできた。おそらく大部分が達成されなかったであろう予定ばかりだったからである。いわく、
一九××年 平衡律の研究により○○大学より博士号を授与される。
一九××年 平衡律誘導装置の開発により特許を得、○○社より商品化、特許料により巨万の富を得て数百の棟よりなる研究開発施設を設置。
二〇××年 平衡律誘導装置の改良により宇宙旅行が飛躍的に進歩し、人類初の恒星間飛行が実現。
二〇××年 自ら宇宙船に乗り込み人類未踏の恒星系を探検。(異星人と出会った場合を考え万能翻訳装置の開発が必要)
この工場の主は、しばしば巷に見られるような野心的な発明家を通り越し、誇大妄想狂になってしまったのかも知れない。
その予定表の近くの作業台に、小さな天秤が置かれているのに気がついた。そのそばには、いろいろな大きさの丸い錘(おもり)があった。Kは天秤の二つの皿に、錘をのせてみた。大小の錘で調節して、二つの皿がつりあうようにした。両側の皿は同じ高さになって、静止した。とくに何も起こらない。工場の中はひっそりしていた。
「何かご用ですか」と、工場の入り口から声がした。Kが振り返ると、この古い工場には似つかわしからぬ、さっぱりした身なりの若い男が立っていた。ここの持ち主だろう。
「すみません」あわててKは言ったが、なぜ勝手に入り込んだのかをどう説明しようか迷いつつ「いや、たまたま通りかかったのですが、機械類や、またあの予定表にも興味をひかれまして」
「ああ、あの表。恥ずかしいから外そうと思っていたんですよ」若い男は苦笑して言った。
「あの、ここは平衡律研究所ということですが、平衡律というのは何ですか」Kは尋ねた。
「私もよく知らないのです。ここは父の工場だったのですが、父はだいぶ前に死にました。死んだのは、一九××年です」
その年は、予定表にある最初の年よりも前だった。
「死ぬすこし前に、大発見をしたと言って喜んでいました。それがあの平衡律というやつです。工場の名前も『平衡律研究所』にしてしまいました」
「そんなすごい発明をしたというのに、その内容は聞かされなかったのですか」
「父の発明熱はそれよりだいぶ前から始まっていましたから。いつも役に立たない、あるいは実現不可能な発明の話を聞かされ、家族も相手にしなくなっていました。ここも初めはネジなんかを作る工場だったんですが、だんだん発明専門みたいになってきましてね」
Kはこの工場の主のことが、すこし哀れに思えてきた。
「この敷地は売るんですよ。明日、この工場を取り壊します」若い男が言った。
Kはもう一度勝手に入り込んだことを詫びてから、工場を立ち去った。立ち去り際もう一度、あの予定表と、静かにつりあって動かない天秤に目をやった。
二人が工場を去ったあと、天秤の二つの皿に変化が現れた。右の皿の錘は紫の光、左の皿の錘は緑の光を発して輝きだした。やがて二つの光は目もくらむような閃光となり、おもむろに工場の機械類がぶーんとうなって動き出した。工場の床下で巨大な歯車が回転し始め、地中に隠れていた噴射口が轟然と火を噴いた。平衡律研究所は、その建物ごと空へ飛び立った。そのまま大気圏を脱出、地球の周回軌道を離脱するとワープしてアルファ・ケンタウリ星系に到着した。
しかし運悪くアルファ・ケンタウリ星人を多数乗せた宇宙船と衝突、百名の乗組員は全員死亡した。アルファ・ケンタウリ星人の地球への大々的な報復が始まったが、彼らが地球に近づくと、平衡律研究所跡の敷地から自動的に「平衡律ミサイル」が次々と発射され、まんまと敵の宇宙船団を全滅させた。
かくして訳が分からないながらも、いまだに地球の平和は続いている。
(筆者による文芸社刊『無限ホテル』所収の「平均律」を改作)
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目次
上段の『☆ 索引』、及び、下段の『☯ 作家別索引』からどうぞ。本や雑誌をパラパラめくる感覚で、読みたい記事へと素早くアクセスする事が出来ます。
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
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