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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/21 (Thu) 17:48:33

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No.578
2012/08/21 (Tue) 03:29:07

 友人の御子息は名をケンタ君という、今年で小学6年だ。
 盆休みに都合が付いて一緒に過ごせたことは先の記事「望郷の浅草」にて述べた。彼独特のボキャブラリーは非常に素晴らしいのだが、そんなに本は嫌いではないらしい。
 それにしても、当節は課題図書などと夏休みのいわば強制読書習慣は学校教育からは排除されてしまったのだろうか?

 小生が小学生の頃は学年ごとに、ジャンルにもよるが3〜5冊くらいの課題図書が夏休みのPTAでもリストアップされていて、えせ教育熱心の母親がよく買ってきたものだ。

             

 松谷みよ子の「まえがみ太郎」、作者は忘れたが「エルマーの冒険」、「エルマーと15ぴきのりゅう」・・・イソップ童話やグリム童話には子供のころから親しみ「ありときりぎりす」、「しあわせの王子」などは大体小3か小4くらいに慣れ親しんだと思う。小5、小6の高学年になればルパンやホームズ、海神二十面相、十五少年漂流記、ロビンソン・クルーソー・・・・なんかをよく読んだものだ。

 仲良しになってくれたケンタ君の趣味はクルマだった。何年型のいつ出たモデルでなんてやらのグレードはなんのエンジンでとかよく知っている。特に少し前のクルマ・・・父親が最初にあてがったトミカがクレスタだったらしく男らしさを感じるセダンが断然好きらしい。健気な知識の習得と披露はウィキペディアの成せる技だろう。
 かつてのように重く分厚い百科事典のページを開かずとも数インチの画面や携帯で必要なことは確かに知ることはできる。ただ、表面的な事象や記述も多くなってしまう。やはりより探究心を満足させたり
知りたいと云う欲求を満たし継続するなら本を読むことだと思う。

 この不景気の世にあって出版業界の不況と言うのも判らぬ話ではないが、独特の価値観や主張を得意とするメンズ誌やアウトドア誌が減ったりページ数が格段に薄くなって袋モノやカラビナなど、それぞれ魅力はあるけれども附録を付けなければ売れない、買わないと云うのもなんだか寂しい。附録を得意とした「小学○年生」はとっくに廃刊になってしまったし。
 古本をリサイクルやエコの名を借りて急成長したブックオフでも、新刊を揃えるようなアトレの中の本屋に行っても、少子化のあおりか子供向けの児童書はかなり手狭なスペースしかなく「○×○レストラン」とか「なんとかゾロリ」とかの隅でエジソンやキュリー夫人だのが寂しそうに書架に入っているだけである。

 本屋の棚割を心配しているのではないし、問題はその裏側にあるものだと思う。
 長引く不況、震災、政治不信、高齢化・・・少子化に拍車をかける要因はおそらくもっとある。課題図書を読ませたから子供が皆、作文上手になる訳でもないし作家や小説家を目指す訳でもない。だが、本も映画も実録であれフィクションであれ、他人の人生を垣間見ることができる究極であると思っている。
 そのうえで「どう感じたとか、自分ならこうする、こうだと思う」という価値観や選択肢のシミュレーションを練習していく。それらが実在した歴史上の人物や偉人であれば知識の習得と言う副産物も得ることになる。
 机に向かってペンと紙を睨めっこするだけが勉強ではないからと、昔、何処かの先生に習った記憶もあるけれど、結局、本人の知りたいこと、得意のジャンル、無意識にスキルに成りえることなどは知らずとも、本人の記憶や知識や財産となって形成される。
 課題図書を読むことが国語の勉強のきっかけにはならないだろう。たとえ、宿題に読後感想文を強要されても・・・。でも、読書の習慣のきっかけには成り得るかもしれない。

             


 数ヶ月前、この「幻のスーパーカー」福野 礼一郎氏著の双葉文庫版を五反田のブックオフで手に入れた。当初、立ち読みでイタリアの本か読みやすい歴史小説かなんかを探していて偶然手に取ったのだと思う。ランボルギーニやポルシェ、フェラーリの、小生が高2くらい・・・世の中が池沢さとしの手になる「サーキットの狼」の影響もあってブームが訪れていた。マセラッティも当時はデ・トマソと同じ国で造られた未来的なクルマ・・・ぐらいと中東やアラブの風の名前(砂嵐とか熱風とか)をつけるくらいのことしか知識になかった。

 例えばランボルギーニといえばカウンタックかミウラ、それにイオタだろう。世界で何台とか、ガヤルドとかレヴェントンだとかムルシェラゴと言われても、「脳天気な日本で目立ちたがりの高額所得層が246をひけらかしに乗る車」とかしか現代のランボルギーニには感じられない。
 フェラーリもそれは同じことが云える。ドア周りから回り込むNACAダクトは緩急の伴うセクシーなラインだと今でも思うし、ドラマ「マイアミ・バイス」に出てきたクロケットの黒のデイトナ・スパイダーも良かった。(まあ、実際の撮影ではダミーが使われてたらしいけれども)白のテスタロッサになると確かにカッコいいのだが、なんだか別の次元に入ったようであまり好きにはなれなかった。

             

 「幻のスーパーカー」は双葉文庫版の古本で、五反田のブック・オフにて105円也で入手した。それまで福野礼一郎氏の名前も知らなかったし本やエッセイ寄稿も読んだことはなかった。パラパラとめくってスーパーカーの事が真面目に描かれていて、高校生時代に束の間タイムスリップ出来たら痛快だと思った。
 3月ごろから読み始めて5月にはほぼ一旦読み終えたが、何故か今も愛用のショルダーには忍ばせてある。ランボルギーニ・カウンタック、フェラーリ308GTB、ポルシェ911・・・カタログスペックだけではない、機械としての評価や魅力、弱点が語られている。

 さて、暑い東京のお盆にやってきたケンタ君を最初に連れて行ったのは、隅田川の向こうにある下町のくるま屋さん。販売だけでなく内外のメーカー問わず修理もレストアもやってくれるОさんという方がオーナーのショップだ。
 現場に行く途中で赤いウェッジシェイプのボディを纏ったスーパーカーがボンネットを開けて整備中だった。ふと、見とれていたら「お好きですか?こういうの・・・」と話しかけられてからの御縁になった。
 コンピュータ制御、電子技術の発達によってクルマはさらに使いやすく身近な機会に成りえたけれど、反面、アクセルとブレーキを踏み違えて起きるオートマ車の事故には嘆いておられたし、右足アクセル・左足ブレーキが人間工学上からももっとも自然なクルマの操り方ではないかと説いておられた。
ご自身も淡いブルーメタリックのフェラーリ308・クアトロ・ヴァルボーレをお持ちになっている。

 小さな友人のケンタ君の上京を予告してあったので、盆休みにもかかわらず店を開けてくれた上、待っていたのはマセラッティ・カムシン(人によってはカムジンとも云うらしい)。
 照れくさそうに「○×から来たケンタです、よろしくお願いします」とОさんに挨拶すると暖機の済んでいるマセラッティ・カムシンに乗せて貰って近所を一回り。

 降りて来た後は興奮のせいか顔がやや紅潮している。

              
      マセラッティ・カムシンのコクピットに収まるケンタ君

 ケンタ君はまだスポーツカーやスーパーカーよりは国産のセダンの方に興味があるらしい。だが、彼の地元ではこんな40年近く前のスーパーカーに乗せてもらうことなど有り得ないから相当楽しかった様子だ。
 ケンタ君が持ってきた地元のお土産とあたかもプレゼント交換するかのように、京商の1:64のフェラーリ308GTBと今はもう存在しないROSSOのフェラーリF1キットで642を頂いた。(宿で組み立てたフェラーリ308はケンタ君に記念にあげたけど642は未だに箱を見ては作らずにニコニコ笑ってる)
 その後、丁寧にОさんに見送りされてから赤坂にあるマクラーレンのショールーム、青山のホンダ本社(生憎、御盆で休業中だったが)を観に行き、いくつかのミニカー屋さんをスカイツリー経由で見て回り、数台のヴィンテージ・トミカと京商の1:64を彼は手に入れた。
 暑い中をよく歩き、あちこち見て回った。やや熱中症気味にはなったけどケンタ君の中ではきっと暑い思い出が残ったに違いない。東京駅で最後に見送る時は入場券の要領が分からずに改札口で彼を見送った。愛用の遣い込んだグリンのキャップの上から頭を何度も撫でてやると、彼も子供にしては大きな手を伸ばし同様の仕草をして小生の頭を撫でるのだった。
 あたかも、「離れていても、想いは同じだよ。友達なんだ」と。曾ての「エルマーとりゅう」の物語の心の交流が目に浮かび、少し目頭が熱くなったけれど。

 福野礼一郎氏の「幻のスーパーカー」のあとがきにはこうある。

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流行の実態とは要するに商行為上の好機に過ぎず、商いが活性すれば現象は満足されるのだから、流行中の存在とはそもそも深く考えたり追及したりする対象ではないのだ。流行はどこからともなくやってきて、いずこともなく去っていく。去った後にはほろ苦い思いだけが残渣となって、そのことがまた探究の門戸を閉ざしてしまう。
「あれは一体どうだったのか」ようやく探究が始まるのは、流行が古き良き思い出に転じてのち、はるか後に下ってからである。

カッコよくて速くて強くて高価だからいい機械なんだ、そういうクルマを作ったのは偉大な人間、いい男なんだ、それは子供の描くお子様ランチも世界観である。
成功や失敗、完成したものの良否の区別なくヒトの汗と努力に夢を見ることができるのが大人の熱である。



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 小さな友人のケンタ君にはきっとこの後も「オッチャンならこうするぜ!」と、彼の成長の中で意見をすることもあるのかもしれない。エルマーとりゅうはいくつかの物語を通じて友情を暖めあってきた。
そんなおとぎ話は世に存在しないだろう・・・


 最近、宵の口に秋葉原をうろついて帰ることが多い。とある、絶版メーカーのフェラーリF1キットを探しに行くのだが。
 石丸電気のあった辺りは妙にさびれて、怪しげなラーメン屋が軒を連ねてる。目にするのはアニメから抜け出たような、何処か抜けてるような少女たちがコスプレと称する変てこな衣装に身を包みティッシュ配りかなんかしてる。
 なんだか、退廃や堕落を感じてしまうと云ったら大袈裟か?
 こんなの目にしたらエルマーもりゅうも逃げていく。
 子供の夢を大人の熱に換えるのは大きな感動も呼ぶ。だが、大人になりきれない大人が増えてしまった。それはそれで職業として成り立つ?なんて信じがたい話だけれどそうなんだろう。

 「オッチャンがしてきたことはケンチャンに教えてあげる。だけどその先はケンチャン自身が考えなきゃ・・」



 (c)2012 Ronnie Ⅱ , all rights reserved.




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快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

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