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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/21 (Thu) 20:21:57

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No.675
2014/03/23 (Sun) 02:22:42

最近聴いたクラシック音楽で特に気に入ったのは、スヴェンセンの交響曲第2番(エンゲセト指揮ボーンマス交響楽団)。これまでスヴェンセンという人を知らなかったが、調べてみると「グリーグと並ぶノルウェーの国民主義音楽の代表的な作曲家」であるとのこと。この交響曲第2番は、グリーグの交響曲よりずっと分かりやすくて良いと思う。全四楽章がきれいに起承転結をなしていて、第一楽章は聴き手を魅力的なメロディでぐいぐい引きつけ、緩徐楽章、スケルツォを経て終楽章は民謡的な親しみやすいメロディのアレグロで、最後は堂々としたしめくくり。北欧の自然を感じさせるようなところはあまりない。今回は交響曲第1番・第2番のディスクを聴いたのだが、他にもスヴェンセンの作品を聴いてみたくなった。「ノルウェイ狂詩曲」というのがいくつかあるようだが、興味深い。

 あとラウタヴァーラという人の交響曲八曲を聴いた。この人は1928年フィンランドの生まれで存命中のようだから、厳密には「交響曲全集」とは言えないのかも知れない。聴いてはみたけれど、正直まだよく分からない。自分はこれを好きなのか嫌いなのか? 全体にややとらえどころのない不可思議な音が鳴り続けるが、晦渋というほどでもなく、どことなく親しみやすさも感じる。第1番から第4番までは、この不可思議な世界に浸るにはやや短すぎるように思えた。八曲の中では第7番「光の天使」が有名なようで、繰り返し聴くとよい味がしみ出てくるような予感はある。あとこの作曲家のピアノ協奏曲が気になる。その第3番「夢の贈り物」をアシュケナージが演奏しているディスクが出ていて、ネットで少し試聴しただけだが、その限りでは迫力がありそうな曲だ。

 ルドルフ・ゼルキンによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ「月光」「熱情」「悲愴」「テレーゼ」を聴いた。多くの人が名盤と呼んでいるらしい。ベートーヴェンのソナタで誰もが認める名盤、というとバックハウスぐらいしか聴いていないような気がしたから買ってみた。フリードリヒ・グルダも聴いたが、この人は代表的なベートーヴェン弾きと呼ばれている割には何かが足りない感じがして、かえってモーツァルトなどのほうで傑作を残していると思う。で、ゼルキンだが、粒のそろった綺麗な音で、音の美しさが崩れることなく難所も楽に乗り越え、なるほど聴き心地が良かった。しかし欠点がない代わりに型破りな個性のようなものがなくて、どうも習字のお手本を見せられたような物足りなさを感じないこともなかった。ただ実際にピアノを学ぶ人には、こういう録音が良いお手本になるのかも知れない。

 そこで、ふと思いついたのがヴェデルニコフというピアニスト。この人は音が綺麗だとは言いにくいが、力強い打鍵で、曲の骨格を太く描き出すという印象がある。僕は初めて耳にしたときからこの人が好きだった。このピアニストによるベートーヴェン「月光」「テンペスト」および「自作の主題による32の変奏曲」が収められたディスクを買ってみた。ゼルキンの「月光」と比べると、一つ一つの音が強くてごつごつしている。特に強く鳴らしたいときには音が多少汚くなることもいとわない。その力強さが、速いパッセージや技術的な難所に来ても失われない、というのがこの人の凄いところなのだろう。「一つ一つの音が強くてごつごつしている」というとバックハウスもそういう特徴があるが、バックハウスの音はそれでも粒のそろった綺麗な音だ。ヴェデルニコフの魅力は、ときに音を汚くしてでも何かを訴えかけようという、荒々しさ、野趣とでもいったようなものだろうか。

 フレデリック・フェネル指揮イーストマン・ロチェスター・ポップス・オーケストラによるルロイ・アンダーソン名曲集。ルロイ・アンダーソンという名前は記憶になかったが、聴いてみると、ああ、中学生ごろに学校で聴きに行ったコンサートで演奏されていた曲の数々!「タイプライター」とか「フィドル・ファドル」とか懐かしい。フェネルという指揮者は吹奏楽の録音をたくさん出していて、グレインジャーの「リンカンシャーの花束」というのが良かったからこれも入手したが、たまにはポップス寄りのクラシックを聴くのもよい。ヘンリー・マンシーニ自作自演集なども以前はよく聴いていた。



 閑話休題。

 1 より大きい自然数 n が、 n と 1 以外に約数を持たないとき、n を素数という。
 素数を小さいほうから列挙すると

 2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, 37, 41, ……

となる。素数が無限に存在することはすぐに分かるが、オイラーが示したと言われる

(☆) 1/2 + 1/3 + 1/5 + 1/7 + 1/11 + 1/13 + … = ∞ (左辺はすべての素数の逆数の和)

という式がなぜそうなるのか、僕には長いこと分からなかった。結局ハーディ&リトルウッドによる数論の入門書 " An Introduction to the Theory of Numbers " の中にその解答を見つけたのだが、言われてみれば何故これが思い浮かばなかったのだろうというようなものだった。

(☆)の証明:
 2, 3, ... , p_j を最初の j 個の素数とし、p_j より大きなどんな素数でも割り切れないような自然数 n のうち x を超えないものの個数を N(x) とする。そのような n を

  n = n_1^2×m

の形で表す。ここで m は、どんな素数の平方でも割り切れない数とする。すなわち m は

  m = 2^b_1×3^b_2× ... ×p_j^b_j

とかいたとき、どの b_k も 0 か 1 となっているような数である。b_k の選び方をすべてあわせると 2^j 通りあるから、m の異なる値は 2^j個を超えない。また n_1 ≦ √n ≦ √x より、n_1 の異なる値は√x を超えない。よって

  N(x) ≦ 2^j・√x ……①

 そこで全ての素数の逆数の和

  Σ1/p = 1/2 + 1/3 + 1/5 + 1/7 + 1/11 + ......

を考える。これが無限大になるのではなく、一定値 S に収束する(つまりこの和がSに限りなく近づく)と仮定すると
 
  1/2 + 1/3 + 1/5 + ... + 1/p_j ≧ S‐1/2

となる j があるはずで、このとき

  1/p_{ j+1 } + 1/p_{ j+2 } + ... < 1/2.

  x‐N(x) は p_{ j+1 } , p_{ j+2 }, ...... のうち少なくとも1つで割り切れる数 n (≦ x)の個数で、また素数 p で割り切れるような数 n (≦ x)の個数は高々 x/p である。したがって

  x - N(x) ≦ x/p_{ j+1 } + x/p_{ j+2 } + ... < x/2.

 これと①を合わせれば

  x/2 < N(x) ≦ 2^j・√x.

 よって x/2 < 2^j・√x となり、この両辺を2乗すると x^2/2^2 < 2^2j・x, 両辺を x で割ると x/2^2 < 2^2j, 結局

  x < 2^{ 2j+2 }

となり、自由に選んでよいはずだった x が、ある数より小さいという矛盾した結果が得られた。
 ゆえに(☆)が証明された。■


 自然数からなる無限集合Aについて、その要素の逆数の和が有限の値になるか無限大になるかというのは、難しい問題だ。
 たとえば

  1 + 1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + ... = 2,

  1 + 1/2 + 1/3 + 1/4 + 1/5 + ... = ∞,

  1 + 1/4 + 1/9 + 1/16 + 1/25 + 1/36 + ... = π^2/6,

などなど、一見しただけでは和がどうなるのか分からない場合も多い。
 自然数列の中で、素数は不規則にとびとびに現れるけれども、上で証明した(☆)と 1 + 1/2 + 1/4 + 1/8 + ... = 2 を見比べると、素数の現れる頻度は 1, 2, 4, 8, 16, … よりは頻繁だということになる。

 上で紹介した 1 + 1/2 + 1/3 + 1/4 + ... = ∞, 1 + 1/4 + 1/9 + 1/16 + ... = π^2/6 のような例についてははっきりしたことが知られていて、

  1^{ 1+a } + 1/2^{ 1+a } + 1/3^{ 1+a } + ...

という和は、a > 0 のとき有限の値に収束し、a ≦ 0 のとき無限大に発散するのである。

 この手の話で難しいトピックとして、双子素数のことがある。双子素数とは、素数 p であって、p + 2 も素数であるようなものである。たとえば (3, 5), (5, 7), (11, 13), (7211, 7213)など、たくさん見つかるが、実は双子素数が無限に多く存在するか否かは現在未解決の問題である。無限に存在すると考えている数学者が多数派ではなかろうか。ところが双子素数について(☆)のような逆数の和を計算してみると、これが有限の値になるのである。だからといって双子素数そのものが有限個しかないとはいえない。無限数列 1, 2, 4, 8, 16, ... の逆数の和が 2 になるという上の例のような場合があるからだ。

 そこで次のような問いを立ててみたくなる。
 自然数からなる無限数列の全体を S とする。S の要素 A={ a_1, a_2, a_3, ... } について、すべての要素の逆数の和を

  T(A) = 1/a_1 + 1/a_2 + 1/a_3 + ...

と置くとき、T(A) = ∞ となるような A の全体を U とする。S の要素について U に属するということを、実際に逆数の和をとることなしに特徴づけることは可能か?

 こういうことを研究している整数論の専門家がいるのかどうか寡聞にして知らないが、個人的にずっと気になっている問題である。 

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執筆陣
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快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

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