『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.682
2015/08/21 (Fri) 05:27:51
1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件、通称「酒鬼薔薇事件」の犯人である「元少年A」による手記が、今年六月に太田出版から『絶歌』というタイトルで出版された。
この出版については、遺族の了承を得ていないもので、事件について赤裸々に記されているとすれば被害者の人権を冒涜するものであり、それが公にされることによって遺族はまたも理不尽な苦しみを覚えることになる。
この出版のあり方を選んだのは少年Aの失敗ではなかったろうか。彼がもっとも攻撃を受けているのはこの遺族の了解を得ていないという点だからだ。
しかし僕はこの本を読んで、正直よい本だと思った。
これに反して、この本について「悪い点」をあげつらっても「よい点」を称揚する批評はあまり目にしない。本書は二部構成になっていて、前半は事件を起こすまで、後半はその後の彼の人生が描かれている。前半部分で犯行の経緯やその方法を具体的に述べており、まさにこの部分が被害者の心情を傷つけるものとして、おおいに糾弾の材料になるのだろう。
しかしまさにこの前半部分が、猟奇殺人のプロセスを知りたいという大衆の知的欲求を起こさせ、おそらくはそうした理由でこの本は売れている。
しかし僕はこの書物で本当に読む価値があるのは後半部分だと思った。
二〇〇五年にAは関東医療少年院を本退院し、何の束縛も受けず社会に生きることになった。そのあとAは様々な人と出会うのだが、本書の批評でよく目にするのは、少年院を出てからもAは犯行時とまったく変わっていない、この本の行間からあふれ出てくるのは被害者の首を学校の校門に置いたのと同様の自己顕示欲であり、文学的な文章でそれを飾りたてて自己陶酔に浸っているのだ、といったものだ。しかし自分はこれを率直に読み、ここに書かれているのが嘘でないのなら、こうした批評は全くの的外れだと思った。
そして現在の少年Aはある意味更生に成功していると考える。
被害者は命を奪われたのに、加害者が社会の中でのうのうと生きていられるのは絶対におかしい、と人は言う。たしかにおかしい。しかし法は少年Aに生きよと命じた。
Aは少年院を出たあと、自分の過去をひたかくしにして、溶接工の仕事などをしながら必死に生きている。決して楽ではなく、少年院や刑務所の中でのほうがよほどのうのうと生きていられる。出所してから十年、再犯もしていない。
さらに斟酌されるべきは、あれだけの罪を犯した犯人が死刑にもならず、これまでずっと生きてきて、そしてこれからも生きていくということが、おそらくまれなケースだということである。つねに強い自責の念に駆られ、生きている限り世間の人間は彼を決して許さない。事件当時Aは十四歳だったから、この生活が五十年から七十年続くのである。これはもはや死刑より重い刑に処せられていると言えるのではないか?
しかし本当にAは、被害者への罪の意識を感じているのだろうか?
Aは本書の中で、自分が「生きたい」という言葉を口に出すことさえはばかられ、「謝罪したい」と言うことすら傲慢だと感じている、と述べている。
あれだけの犯罪をおかし、それに見合った謝罪の言葉などあり得ないということだと思う。
少年院を出る前に、教官から、被害者の両親が我が子への思いをつづった手記『淳』『彩花へ』を読むよう勧められたという。Aはそれを読んだ。親の子に対する思い、無念に触れると、それ以来、殺人の瞬間に自分が見た被害者の無垢な顔、首のない淳君の姿など凄惨な場面が頭の中でフラッシュバックし続け、眠れなくなり睡眠薬をもらったがそれでも眠れず、はっきり自分が壊れていくのが分かった、という。
このようにAは、人の痛みのわからない人間ではない。ただ事件の前には、人の痛みを想像する能力が極度に抜け落ちていたことは否めない。
同時に彼は愛情に飢えていた。彼にとって「真に愛されている」と感じることのできたのは、祖母だけだった。二人で公園に行ったとき、Aは祖母にいいところを見せようと大きな木にのぼって、高い枝から声をかけた。しかし祖母はAがどこにいるのかわからず、ただおろおろして目に涙を浮かべながら孫の名を呼んだ。ひどく悪いことをしたと思ったAは謝り、二度とあんなことはしないと誓った。
そんな心底からの感情の触れ合いがもてたのはAにとって祖母だけだったが、小学校五年の頃、祖母は死んでしまう。世界が根底から崩れてしまうかのように感じた、と言う。
Aの最大の不幸は、祖母以外にも彼を愛してくれる人間がいたのに、それに気づくことが出来なかったことだろう。
事件を起こして警察に収監されているあいだ、両親がしばしばAのもとを訪れた。Aにとって驚きだったのは、両親は事件のことにはいっさい触れず「ちゃんとごはん食べてるの? やせたんじゃない?」「何があってもお前は我々の子なんだから、いつでも戻ってくるんだぞ」という親の子に対する真率な思いに触れたことだった。Aは生来、拒絶されることには慣れていても、受け入れられることには慣れていなかった。両親はこんなに自分のことを思ってくれている、これまでも思ってくれていた、自分はその両親をなんと苦しめる事件をおこしたことか! そう思うと耐えきれなくなって、涙をぼろぼろこぼし母親に「来るなって言ってあったやろ! もう来んなブタ!」と思いもせぬ悪罵を浴びせた。母親が帰って落ち着くと、Aは母親に謝りたいからまた来るように取り計らってほしい、と教官に述べていた。
Aの父親は職人で、家族の前で涙を見せるということはいっさい無かったらしい。Aが少年院を仮退院したころ、父と二人で山奥のコテージで二日過ごしたことがあった。
(以下引用)
「なぁ、A。今すぐにとは言わへんけど、お前の気持ちが落ち着いたら、また家族みんなでいっしょに暮されへんやろか? 父さんも母さんも、どうしてもおまえのそばにおってやりたいんよ。被害者の方たちのこと考えると、こんなこと言えた義理やないけど、おまえがちゃんと立ち直って、世の中に適応してやっていけるように、親として見守ってやりたいねん。考えてみてくれへんか?」
僕にはわかっていた。父親の本心が。父親は僕が更生したことを信じ切れれず、心のどこかで、僕が一人になるとふたたび罪を犯すのではないかと恐れていた。妙な話だが、父親のその疑いを皮膚で感じ取り、嬉しかった。少なくとも父親は、僕の中に何か得体のしれない恐ろしい一面があることを認め、それも含めて僕を「息子」と受け入れているように見えた。
「ありがとう、父さん。でも、ごめん。父さんの気持ちは嬉しいけど、やっぱり僕はひとりで生活したい。よく想像するねん。昔みたいに家族でテーブル囲んで、和気あいあいと食事しとるときに、つけとったテレビからいきなり僕の事件に関連したニュースが流れて、そこにおるみんなの表情が凍りつくところを。それはほんまに辛い。たとえ父さんたちが大丈夫でも、僕が耐えられへん。少し離れたところから見守っといてほしいねん」
(中略)
「なぁ、父さん」
父親が振り返る。
「おう、どないしたんや? 風呂先にはいってええで」
「いや、ちゃうねん」
僕が話したがっているのを察して、父親は洗い物を手早く済ませると、こちらに向き直った。
「父さん、今まで生きてきて、いちばん幸せやったことって何?」
「おまえが生まれてきた時や。あの日のことは一生忘れへん。初めての子供で、生まれた瞬間、父さん嬉しくて泣いてもぉた」
(中略)
「父さん、僕ら五人はほんまに普通の家族やったよな。ほかのみんなと同じように、家族で一緒に出かけたり、誕生日を祝ったりして、幸せやったよな。僕さえおらんかったらよかったのに。なんで僕みたいな人間が父さんと母さんの子供に生まれてきたんやろな。ほんまにごめん。僕が父さんの息子で」
事件後、僕は初めて父親に面と向かって謝った。
次の瞬間、父親は僕から目を逸らし、親指と人差し指で目頭を突き刺すように抑え、見ないでくれとでもいうように、俯き、肩を震わせ、声を殺して泣き始めた。父親が泣くところを見たのは生まれて初めてだった。謝っているのは僕のほうなのに、まるで父親が怒られて泣いているようだった。
(引用終)
さて話は前後するが、医療少年院を仮退院しても、お金があるわけではなしすぐに自立できないから、更生保護施設というところに住んでアルバイトなどをすることになる。ただこういう施設では悪いうわさが広まりやすく、あれが酒鬼薔薇事件の犯人だといいふらすものが出てきた。マスコミに居場所を知られたら終わりだから、新たな居住場所をもとめてビジネスホテルなどを転々とする。ところでAのような元受刑者の身柄を引き受け社会復帰を助ける篤志家が全国には数多くいて、その中のY氏という人物がAの面倒を見てもよいと申し出たのだ。僕もそういう篤志家が世間にいることは知っていたが、あの酒鬼薔薇事件の犯人を受け入れようという人物がいる、ということには正直驚いた。
(以下引用)
Yさんはとても明るくて、愉快な人だった。人とのどんな些細な繋がりも大事にしていた。僕の他にも、過去に傷のある人や、生き辛さを抱える人たちのために、手弁当であちこち駆け回り、無償で尽くしていた。
Yさんの奥さんは、穏やかで、物静かであるが、そこはかとない芯の強さと忍耐力を感じさせる人だった。奥さんは人付き合いが苦手な僕のことをよく理解してくれて、いつも一歩引いたところから、僕を支え、見守ってくれた。
彼ら二人は、嫌な顔もせず、文句のひとつも言わず、取り返しのつかない罪を犯した僕を実の家族のように迎え入れてくれた。食事や身の回りの世話ばかりではなく、これからどのように生き、罪を償っていけば良いのかを、僕と一緒に悩み、真剣に考えてくれた。
(引用終)
ただAは、Y氏の奥さんについては、本当は自分のような凶悪犯と寝食を共にするのは正直嫌なのではないか、と疑っていた。Y氏がAを引き受けると決めたからしかたなくそれに従っているだけではないのか、と。
しかし、ある日こんなことがあった。夜七時ごろ、家にはAと奥さんのふたり。奥さんが話しかけてきて、公民館でこれからコンサートがあるんだけど、夜道は怖いから一緒に来てくれない? Aは耳を疑った。自分のような殺人鬼と夜道を二人で歩く? Y氏の奥さんを内心で疑っていたAには、嬉しい驚きだった。
こうした、人との温かみのあるふれあいが、Aの心の殻をすこしずつ破っていったのだろう。少年時代の彼は、周りの人間すべてから拒絶されているという感じを常に持っていて、つねに自分は醜いと思い続け、それが事件の背景となったことは間違いない。
(事件の直接の動機は実は少年時代のAの性的欲求にあって、生き物の死を伴わなければオーガズムに達することができないという倒錯した欲求によるものだった。本書に書かれている限り事件後には、Aのこの性的倒錯は表れてこない。少年院を出て十年以上再犯を犯していないことは、この性癖が治ったことの表れと見てよいのだろうか。)
Aのもとには自分の事件を扱ったTV番組のビデオなどの資料が、弁護士や精神科医から送られてくるらしい。Y氏の家に起居していたとき「罪の意味 少年A仮退院と被害者家族の7年」という番組のビデオが送られてきた。淳君の二歳年上のお兄さんにスポットライトを当て、事件後、彼が何を思い、どのように苦悩してきたのかを取材したものだった。お兄さんは加害者の償いについてこう語った。
「更生してくれるのは結構なこととは思いますけど、内心はどうして弟はあんな目にあわされたのに、相手側はのうのうと生きていられて、まともな生活ができるのかなと思います。もし本当に罪が償えると思っているなら、それは傲慢だと思うし、所詮言い逃れに過ぎない」
Aはその言葉を重く受け止めた。
淳君の兄の言う通り「つぐない」など不可能なのかもしれない。しかしAはこの「つぐない」と向き合っていく決心をする。
AはY氏の家を出て一人暮らしをしばらく続け、工場などで働いていたが、ふと思う。これまで自分がしてきた仕事は、すべて更生施設や弁護士などがあっせんしてくれたものばかりだ。これでは決められたレールに乗って生きているだけではないのか。これで本当に生きていると言えるのか。そしてつぐないという答えのない問い。それに真摯に向き合うためにも、自分のことはすべて自らの責任で決め、自ら迷い、はいつくばってでも過去を背負って生きていかなければならないのではないか。
少年院の職業訓練で身につけた溶接の技術を生かそうと思い、溶接工の仕事を見つけた。もともと人づきあいが苦手なうえ、過去を詮索されるのが何より困るAは、ほとんど仕事仲間と口もきかず、人づきあいが悪かった。そのため同僚に嫌われトラブルに巻き込まれることもあったが、いつも助けてくれる先輩がいた。Aは不愛想でも仕事ぶりは真剣そのもので、その先輩から見て決して悪い青年ではない、ただ何か暗い過去を背負っているために不愛想なのだろう、と受け取られたらしい。優秀な先輩で、人望も厚かった。ある日その先輩から、夕食を食べに家に来ないかと誘われた。そのような人を見る目のある人の誘いを受けたのだから、これは喜ぶべきことだろう。Aの過去を知らない人が、現在のAの人となりを見て認めてくれたわけだから。
しかし、人の家の食卓にお邪魔するなど、長年人づきあいを断ってきたAには非常に勇気を要することだった。ぎこちなくAのために用意された席に着いたが、先輩の子供たちが人懐っこく寄ってくる。純真無垢な目をして「お兄ちゃん、名前は? 家族は何人いるの?」と問いかけてくる。これがAには耐えられない。かつてこれと同じ目をした二人の子供を殺したことが、頭の中をフラッシュバックする。Aはもうその場にいたたまれず、ぶしつけも承知で、急に気分が悪くなったからといって逃げるように先輩宅をあとにした。
Aは「生きたい」と発言することさえはばかれる自分であり、自分が手にかけた淳君彩花さんのことを思うとなおさらそれは言ってはならないと思うが、ずっと生きてきてますます生きたいという思いがたちがたく湧いてくるようになったのだという。
本書を読んで思うのは、そのように生きたいと思うのは、Aが、こんな自分でも愛してくれる人がいるという強い感動をいくども覚えたからではないか。
そして今のAの「生きたい」はかつての「殺したい」という感情とは真逆のように感じられる。
本書を読んで、犯罪者の更生にとって「愛される」という体験が非常に重要だと感じた。
また自分は本書を読み終えて、元少年Aにいつしか好感を持つようになった。
ではお前は、あの神戸連続児童殺傷事件の犯人を許すのか、というかも知れない。
それは決して許されない。
しかし諺にも言うではないか。罪を憎んで人を恨まず、と。
(元少年Aがこの出版で得るであろう印税は、彼がこの本に書かれている通りの人間なら、遺族の損害賠償に充てるなり、しかるべき団体に全額寄付するものと僕は思っている。)
(c) 2015 ntr ,all rights reserved.
この出版については、遺族の了承を得ていないもので、事件について赤裸々に記されているとすれば被害者の人権を冒涜するものであり、それが公にされることによって遺族はまたも理不尽な苦しみを覚えることになる。
この出版のあり方を選んだのは少年Aの失敗ではなかったろうか。彼がもっとも攻撃を受けているのはこの遺族の了解を得ていないという点だからだ。
しかし僕はこの本を読んで、正直よい本だと思った。
これに反して、この本について「悪い点」をあげつらっても「よい点」を称揚する批評はあまり目にしない。本書は二部構成になっていて、前半は事件を起こすまで、後半はその後の彼の人生が描かれている。前半部分で犯行の経緯やその方法を具体的に述べており、まさにこの部分が被害者の心情を傷つけるものとして、おおいに糾弾の材料になるのだろう。
しかしまさにこの前半部分が、猟奇殺人のプロセスを知りたいという大衆の知的欲求を起こさせ、おそらくはそうした理由でこの本は売れている。
しかし僕はこの書物で本当に読む価値があるのは後半部分だと思った。
二〇〇五年にAは関東医療少年院を本退院し、何の束縛も受けず社会に生きることになった。そのあとAは様々な人と出会うのだが、本書の批評でよく目にするのは、少年院を出てからもAは犯行時とまったく変わっていない、この本の行間からあふれ出てくるのは被害者の首を学校の校門に置いたのと同様の自己顕示欲であり、文学的な文章でそれを飾りたてて自己陶酔に浸っているのだ、といったものだ。しかし自分はこれを率直に読み、ここに書かれているのが嘘でないのなら、こうした批評は全くの的外れだと思った。
そして現在の少年Aはある意味更生に成功していると考える。
被害者は命を奪われたのに、加害者が社会の中でのうのうと生きていられるのは絶対におかしい、と人は言う。たしかにおかしい。しかし法は少年Aに生きよと命じた。
Aは少年院を出たあと、自分の過去をひたかくしにして、溶接工の仕事などをしながら必死に生きている。決して楽ではなく、少年院や刑務所の中でのほうがよほどのうのうと生きていられる。出所してから十年、再犯もしていない。
さらに斟酌されるべきは、あれだけの罪を犯した犯人が死刑にもならず、これまでずっと生きてきて、そしてこれからも生きていくということが、おそらくまれなケースだということである。つねに強い自責の念に駆られ、生きている限り世間の人間は彼を決して許さない。事件当時Aは十四歳だったから、この生活が五十年から七十年続くのである。これはもはや死刑より重い刑に処せられていると言えるのではないか?
しかし本当にAは、被害者への罪の意識を感じているのだろうか?
Aは本書の中で、自分が「生きたい」という言葉を口に出すことさえはばかられ、「謝罪したい」と言うことすら傲慢だと感じている、と述べている。
あれだけの犯罪をおかし、それに見合った謝罪の言葉などあり得ないということだと思う。
少年院を出る前に、教官から、被害者の両親が我が子への思いをつづった手記『淳』『彩花へ』を読むよう勧められたという。Aはそれを読んだ。親の子に対する思い、無念に触れると、それ以来、殺人の瞬間に自分が見た被害者の無垢な顔、首のない淳君の姿など凄惨な場面が頭の中でフラッシュバックし続け、眠れなくなり睡眠薬をもらったがそれでも眠れず、はっきり自分が壊れていくのが分かった、という。
このようにAは、人の痛みのわからない人間ではない。ただ事件の前には、人の痛みを想像する能力が極度に抜け落ちていたことは否めない。
同時に彼は愛情に飢えていた。彼にとって「真に愛されている」と感じることのできたのは、祖母だけだった。二人で公園に行ったとき、Aは祖母にいいところを見せようと大きな木にのぼって、高い枝から声をかけた。しかし祖母はAがどこにいるのかわからず、ただおろおろして目に涙を浮かべながら孫の名を呼んだ。ひどく悪いことをしたと思ったAは謝り、二度とあんなことはしないと誓った。
そんな心底からの感情の触れ合いがもてたのはAにとって祖母だけだったが、小学校五年の頃、祖母は死んでしまう。世界が根底から崩れてしまうかのように感じた、と言う。
Aの最大の不幸は、祖母以外にも彼を愛してくれる人間がいたのに、それに気づくことが出来なかったことだろう。
事件を起こして警察に収監されているあいだ、両親がしばしばAのもとを訪れた。Aにとって驚きだったのは、両親は事件のことにはいっさい触れず「ちゃんとごはん食べてるの? やせたんじゃない?」「何があってもお前は我々の子なんだから、いつでも戻ってくるんだぞ」という親の子に対する真率な思いに触れたことだった。Aは生来、拒絶されることには慣れていても、受け入れられることには慣れていなかった。両親はこんなに自分のことを思ってくれている、これまでも思ってくれていた、自分はその両親をなんと苦しめる事件をおこしたことか! そう思うと耐えきれなくなって、涙をぼろぼろこぼし母親に「来るなって言ってあったやろ! もう来んなブタ!」と思いもせぬ悪罵を浴びせた。母親が帰って落ち着くと、Aは母親に謝りたいからまた来るように取り計らってほしい、と教官に述べていた。
Aの父親は職人で、家族の前で涙を見せるということはいっさい無かったらしい。Aが少年院を仮退院したころ、父と二人で山奥のコテージで二日過ごしたことがあった。
(以下引用)
「なぁ、A。今すぐにとは言わへんけど、お前の気持ちが落ち着いたら、また家族みんなでいっしょに暮されへんやろか? 父さんも母さんも、どうしてもおまえのそばにおってやりたいんよ。被害者の方たちのこと考えると、こんなこと言えた義理やないけど、おまえがちゃんと立ち直って、世の中に適応してやっていけるように、親として見守ってやりたいねん。考えてみてくれへんか?」
僕にはわかっていた。父親の本心が。父親は僕が更生したことを信じ切れれず、心のどこかで、僕が一人になるとふたたび罪を犯すのではないかと恐れていた。妙な話だが、父親のその疑いを皮膚で感じ取り、嬉しかった。少なくとも父親は、僕の中に何か得体のしれない恐ろしい一面があることを認め、それも含めて僕を「息子」と受け入れているように見えた。
「ありがとう、父さん。でも、ごめん。父さんの気持ちは嬉しいけど、やっぱり僕はひとりで生活したい。よく想像するねん。昔みたいに家族でテーブル囲んで、和気あいあいと食事しとるときに、つけとったテレビからいきなり僕の事件に関連したニュースが流れて、そこにおるみんなの表情が凍りつくところを。それはほんまに辛い。たとえ父さんたちが大丈夫でも、僕が耐えられへん。少し離れたところから見守っといてほしいねん」
(中略)
「なぁ、父さん」
父親が振り返る。
「おう、どないしたんや? 風呂先にはいってええで」
「いや、ちゃうねん」
僕が話したがっているのを察して、父親は洗い物を手早く済ませると、こちらに向き直った。
「父さん、今まで生きてきて、いちばん幸せやったことって何?」
「おまえが生まれてきた時や。あの日のことは一生忘れへん。初めての子供で、生まれた瞬間、父さん嬉しくて泣いてもぉた」
(中略)
「父さん、僕ら五人はほんまに普通の家族やったよな。ほかのみんなと同じように、家族で一緒に出かけたり、誕生日を祝ったりして、幸せやったよな。僕さえおらんかったらよかったのに。なんで僕みたいな人間が父さんと母さんの子供に生まれてきたんやろな。ほんまにごめん。僕が父さんの息子で」
事件後、僕は初めて父親に面と向かって謝った。
次の瞬間、父親は僕から目を逸らし、親指と人差し指で目頭を突き刺すように抑え、見ないでくれとでもいうように、俯き、肩を震わせ、声を殺して泣き始めた。父親が泣くところを見たのは生まれて初めてだった。謝っているのは僕のほうなのに、まるで父親が怒られて泣いているようだった。
(引用終)
さて話は前後するが、医療少年院を仮退院しても、お金があるわけではなしすぐに自立できないから、更生保護施設というところに住んでアルバイトなどをすることになる。ただこういう施設では悪いうわさが広まりやすく、あれが酒鬼薔薇事件の犯人だといいふらすものが出てきた。マスコミに居場所を知られたら終わりだから、新たな居住場所をもとめてビジネスホテルなどを転々とする。ところでAのような元受刑者の身柄を引き受け社会復帰を助ける篤志家が全国には数多くいて、その中のY氏という人物がAの面倒を見てもよいと申し出たのだ。僕もそういう篤志家が世間にいることは知っていたが、あの酒鬼薔薇事件の犯人を受け入れようという人物がいる、ということには正直驚いた。
(以下引用)
Yさんはとても明るくて、愉快な人だった。人とのどんな些細な繋がりも大事にしていた。僕の他にも、過去に傷のある人や、生き辛さを抱える人たちのために、手弁当であちこち駆け回り、無償で尽くしていた。
Yさんの奥さんは、穏やかで、物静かであるが、そこはかとない芯の強さと忍耐力を感じさせる人だった。奥さんは人付き合いが苦手な僕のことをよく理解してくれて、いつも一歩引いたところから、僕を支え、見守ってくれた。
彼ら二人は、嫌な顔もせず、文句のひとつも言わず、取り返しのつかない罪を犯した僕を実の家族のように迎え入れてくれた。食事や身の回りの世話ばかりではなく、これからどのように生き、罪を償っていけば良いのかを、僕と一緒に悩み、真剣に考えてくれた。
(引用終)
ただAは、Y氏の奥さんについては、本当は自分のような凶悪犯と寝食を共にするのは正直嫌なのではないか、と疑っていた。Y氏がAを引き受けると決めたからしかたなくそれに従っているだけではないのか、と。
しかし、ある日こんなことがあった。夜七時ごろ、家にはAと奥さんのふたり。奥さんが話しかけてきて、公民館でこれからコンサートがあるんだけど、夜道は怖いから一緒に来てくれない? Aは耳を疑った。自分のような殺人鬼と夜道を二人で歩く? Y氏の奥さんを内心で疑っていたAには、嬉しい驚きだった。
こうした、人との温かみのあるふれあいが、Aの心の殻をすこしずつ破っていったのだろう。少年時代の彼は、周りの人間すべてから拒絶されているという感じを常に持っていて、つねに自分は醜いと思い続け、それが事件の背景となったことは間違いない。
(事件の直接の動機は実は少年時代のAの性的欲求にあって、生き物の死を伴わなければオーガズムに達することができないという倒錯した欲求によるものだった。本書に書かれている限り事件後には、Aのこの性的倒錯は表れてこない。少年院を出て十年以上再犯を犯していないことは、この性癖が治ったことの表れと見てよいのだろうか。)
Aのもとには自分の事件を扱ったTV番組のビデオなどの資料が、弁護士や精神科医から送られてくるらしい。Y氏の家に起居していたとき「罪の意味 少年A仮退院と被害者家族の7年」という番組のビデオが送られてきた。淳君の二歳年上のお兄さんにスポットライトを当て、事件後、彼が何を思い、どのように苦悩してきたのかを取材したものだった。お兄さんは加害者の償いについてこう語った。
「更生してくれるのは結構なこととは思いますけど、内心はどうして弟はあんな目にあわされたのに、相手側はのうのうと生きていられて、まともな生活ができるのかなと思います。もし本当に罪が償えると思っているなら、それは傲慢だと思うし、所詮言い逃れに過ぎない」
Aはその言葉を重く受け止めた。
淳君の兄の言う通り「つぐない」など不可能なのかもしれない。しかしAはこの「つぐない」と向き合っていく決心をする。
AはY氏の家を出て一人暮らしをしばらく続け、工場などで働いていたが、ふと思う。これまで自分がしてきた仕事は、すべて更生施設や弁護士などがあっせんしてくれたものばかりだ。これでは決められたレールに乗って生きているだけではないのか。これで本当に生きていると言えるのか。そしてつぐないという答えのない問い。それに真摯に向き合うためにも、自分のことはすべて自らの責任で決め、自ら迷い、はいつくばってでも過去を背負って生きていかなければならないのではないか。
少年院の職業訓練で身につけた溶接の技術を生かそうと思い、溶接工の仕事を見つけた。もともと人づきあいが苦手なうえ、過去を詮索されるのが何より困るAは、ほとんど仕事仲間と口もきかず、人づきあいが悪かった。そのため同僚に嫌われトラブルに巻き込まれることもあったが、いつも助けてくれる先輩がいた。Aは不愛想でも仕事ぶりは真剣そのもので、その先輩から見て決して悪い青年ではない、ただ何か暗い過去を背負っているために不愛想なのだろう、と受け取られたらしい。優秀な先輩で、人望も厚かった。ある日その先輩から、夕食を食べに家に来ないかと誘われた。そのような人を見る目のある人の誘いを受けたのだから、これは喜ぶべきことだろう。Aの過去を知らない人が、現在のAの人となりを見て認めてくれたわけだから。
しかし、人の家の食卓にお邪魔するなど、長年人づきあいを断ってきたAには非常に勇気を要することだった。ぎこちなくAのために用意された席に着いたが、先輩の子供たちが人懐っこく寄ってくる。純真無垢な目をして「お兄ちゃん、名前は? 家族は何人いるの?」と問いかけてくる。これがAには耐えられない。かつてこれと同じ目をした二人の子供を殺したことが、頭の中をフラッシュバックする。Aはもうその場にいたたまれず、ぶしつけも承知で、急に気分が悪くなったからといって逃げるように先輩宅をあとにした。
Aは「生きたい」と発言することさえはばかれる自分であり、自分が手にかけた淳君彩花さんのことを思うとなおさらそれは言ってはならないと思うが、ずっと生きてきてますます生きたいという思いがたちがたく湧いてくるようになったのだという。
本書を読んで思うのは、そのように生きたいと思うのは、Aが、こんな自分でも愛してくれる人がいるという強い感動をいくども覚えたからではないか。
そして今のAの「生きたい」はかつての「殺したい」という感情とは真逆のように感じられる。
本書を読んで、犯罪者の更生にとって「愛される」という体験が非常に重要だと感じた。
また自分は本書を読み終えて、元少年Aにいつしか好感を持つようになった。
ではお前は、あの神戸連続児童殺傷事件の犯人を許すのか、というかも知れない。
それは決して許されない。
しかし諺にも言うではないか。罪を憎んで人を恨まず、と。
(元少年Aがこの出版で得るであろう印税は、彼がこの本に書かれている通りの人間なら、遺族の損害賠償に充てるなり、しかるべき団体に全額寄付するものと僕は思っている。)
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目次
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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
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❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
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