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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
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2024/11/21 (Thu) 17:50:32

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No.687
2016/01/09 (Sat) 03:54:29

ネットの掲示板などで右翼や左翼と呼ばれる人たちが議論しているのを見ると、本当に博覧多識な人が多いなあと感心する。彼らはどこの国のどこの党の何という政治家が最近こういう行動を取ったがその裏事情はこうである、とか、先の大戦における各国の動機や戦局の推移についてとか、実にたくさんのことを知っていて、きちんとした人はその情報のソースを示すことを忘れない。彼らの議論を見ていて自分も思うことはあるのだが、自分は彼らに比べ知識量が圧倒的に少ないから、そこに口をさしはさむ資格などないように思えて、だからネット上で見知らぬ人と政治上の議論を交わしたことはない。こちらの知識はおもに文学と数学に限られていて、そういうことについてならずいぶんたくさんの人と議論したものだが。で、自分の専門からはずれる政治的なことがらについて考えを巡らすと、知っていることが少ないから分かることも当然ずいぶん少ない。ただ少ないぶん単純で分かりやすい結論になる。で、さいきん右翼と左翼について考えてみて自分が思いついたことを書いてみる。

 さて自分が生まれたのは昭和48年、1973年だから戦後ずいぶん経ったころで、だから小学校の時分からいわゆる平和教育を受けている。まず第一に戦争は悪いことだと刷り込まれた。第二に第二次大戦において悪者だったのは日本だったと教えられた。この第一のことについては教師たちにはずいぶん口を酸っぱくして繰り返し教えられたように思うが、第二のことについてはさほど強調しては教えられなかったように思う。そういう教育については地域差があるようで、自分が生まれ育ったのは大阪だが、たとえば長野の出身である義理の兄は、かつて君が代を歌ったことがなく、だからその歌詞も知らないという。これは僕にとっては驚くべきことで、小学校のころ音楽の教科書のいちばん最後のページに載っていた君が代は、僕は音楽の時間や行事などで何度も歌ったし、それが普通だと思っていた。常識中の常識であるはずの君が代を知らないままの状態で小中学校を卒業させるというのは、それは長野の教員たちが君が代に無関心なのではなくて、むしろ憎むべきものと考えているからそういう徹底がはかれるのだと思う。NHK教育テレビをつければ毎晩それは演奏されているし、大相撲を見れば千秋楽には必ずそれが歌われているのだから。平和教育と結びついた日本国の否定が、長野では極端なまでに推し進められたようである。
 日本を悪とする教育ということで僕がいまでも覚えているのは、小学校五年か六年のころ、担任の教師があるときぽそりと言った、戦前戦中の日本の指導者の幾人かが戦犯として死刑になった、という一言だけである。誰が彼らを死刑にしたのかは言わなかった。それを言われないのだから、子供だった自分は神様か何かが彼らを処刑したのだろう、とでも思ったかも知れない。戦争を起こした日本に、天が鉄槌を下したのである。

 中学になれば、連合国側による東京裁判において誰それがA級戦犯とされて死刑になった、と習うが、しかし中学生ぐらいではまだ、もしかして悪かったのは日本だけではなかったかも知れない、というふうには頭は回らない。しかし大人になって考えてみると、そこにいろいろな疑問もわいてくる。
 戦争が悪いのはなぜか。人を殺すから。だから戦争を起こした人々は死刑になった。しかしながら、アメリカ軍だって相当数の日本人を殺している。なぜアメリカは悪くないのか。アメリカは日本が戦争を起こしてきたから、しかたなくそれをやったので、悪くはないのだ、と答え得る。しかし戦争を起こしたものは悪いから殺してよい、とするなら、戦争を起こした主体ではない日本の一般庶民、非戦闘員は殺してはならないのではないか、なのに日本の多くの非戦闘員がアメリカ軍によって殺されている、それでもアメリカは悪くないのか。それに対しては、そんなこと言ってたら、空爆するたびにそこに一人の非戦闘員もいないことをいちいち確かめなければならないが、そんなことは不可能だ、とアメリカを擁護しうる。では原爆はどうか。あらかじめアメリカ国内で投下実験しているのだから、どれぐらいの人間が死ぬか計算していたはずで、また投下地点にいる日本人の多くが非戦闘員であることも知っていたはずだ。だから原爆投下は悪いのではないか。それに対してアメリカを擁護しようとしたら、そんなこと言ってたら戦争に勝てない、としか言いえないだろう。アメリカの歴史教育では、原爆投下によって戦争終結が早まり、結果的に犠牲者の数を減らすことが出来た、と教えてきたのである。しかし最近では、その説には大いに疑問がある、実際には原爆投下の必要はなかった、とするアメリカの歴史学者も出てきている。必要がなかったのならこれはどういうことになるのか。原爆で死んだ約三十万人のひとびとは、冤罪で死刑になったようなものである。よく調べもせずに三十万人もの人間を死刑にするのは、これは悪いことなのではないか。そう、それは確かに悪いことと自分には思われる。死んだ人間の数からいえば、少なくとも原爆投下を命じた当時のトルーマン大統領はA級戦犯と同じ程度には罪は重く、日本のA級を死刑にするならトルーマンも死刑になるべきだったと僕は思う。

 さて戦争は悪いことだと小学校いらい厳しく教えられてきたのだが、建国以来ねんがら年中戦争を行っているアメリカの戦争については、常識的にはそれを悪であると言わないことになっている。戦争は悪いことだが、アメリカがやるならそれは悪くないのである。おそらくいつもいつも、どうしてもやむをえない事情があって戦争しているということだろう。しかしアメリカについてだけではなく、ナチス・ドイツは例外として、ヨーロッパの国々が行うたいていの戦争についてもそれはいえる。19世紀、欧米列強といわれる国々は、アジアやアフリカで数多くの侵略戦争を行い、植民地支配を行ってきた。それらの侵略戦争を悪であるとは常識的には言わない、少なくとも日本では。ただ日本が朝鮮と中国に対して行った侵略戦争だけを悪であるとする習慣になっている。植民地支配についても、日本が朝鮮と中国に対して行った植民地支配だけを悪とする習慣である。これはどうしたことだろうか。戦争は、とくに侵略戦争は悪であると口を酸っぱくしてしじゅう互いに言い合っているわれわれ日本人は、なぜかヨーロッパ諸国が行った侵略戦争についてはそれを悪であるとは言わない習慣を持っている。また第二次大戦の前後では、アジアは大きく変化した。植民地として支配されている地域がほとんどなくなったのである。中国と朝鮮における日本の植民地だけではない、東南アジア地域でのフランス、イギリス、オランダなどの植民地もなくなったのだ。それは日本が連合国と戦った結果として起こったことである。植民地支配が悪であるなら、それを開放した東南アジアでの日本の戦闘は、もしかしたら良いことなのではないか。しかしこれを言うと、黙殺するか、それを言った人を右翼と呼ぶ習慣になっている。

 よくよく考えてくると、戦争は悪である、侵略は悪である、戦争反対、としじゅう唱えているわれわれの思考の中には、戦争とは別の「常識」があるように思われる。たぶん、われわれの常識は次のようになっている。

 第一条 白人は何をやってもよい。
 第二条 第一条に抵触しない限りにおいて、戦争は行ってはならない。

 つまり白人が行う戦争はそれを悪であると弾劾しないが、我々日本人を含め有色人種が行う戦争は悪であるとして弾劾するのがわれわれのならわしである。
 この第一条のような考えがわれわれの思考にひそんでいるというこの主張は、はたして間違っているだろうか?

 かりに間違っていないとして話を進めよう。

 明らかに、この第一条は人種差別であり、人類はみな平等であるとする現代の理念からして間違った考えである。
 この第一条は撤廃すべきである。
 そのために取るべき選択肢は、次の二つに一つである。

 第一案 我々日本人を含め有色人種も、戦争を行ってよいとする。だから、日本も戦争を行ってよいとする。
 第二案 白人諸国も含め全世界が、戦争を行ってはならないとする。具体的には、世界のすべての国々が、日本国憲法第九条と同様の平和憲法をもつようにする。

 この二つ以外にはありえない。世界のある国は戦争してよいがある国は戦争してはならないなどという考え方は、不徹底かつ不公平で説得力を持たない。

 右翼と呼ばれる人々が、日本も交戦権を取り戻すべきだとするのは、世界中で交戦権を持たない国が日本だけである以上、第一案にそった考え方で、間違ってはいない。
 左翼と呼ばれる人々は、戦争反対と言ってもそれはおおむね日本の戦争についてしか反対していないから不徹底で、全世界から戦争をなくせと主張をあらためるべきである。具体的な運動としては世界のすべての国々に対し平和憲法をもつよう働きかけるべきである。そうでなければその主張にはまったく説得力がない。

 間違ったことを言っているだろうか。あるいは当たり前のことを言っているのだろうか。
 上で左翼などと呼んでいるが、つまりは第二案で言っていることを実現しようと努力している人々もすでにいるのかも知れない。そういう人がいるなら、それは現実には左翼などとは呼ばれない人たちだろう。
 
 とにかく、上の第二案はすこぶる難事で、本気で実現しようとすれば狂気の沙汰と言われるかも知れない。しかし本気で着手する人がいるなら、たとえ失敗してもその高い理想は、その人の死後も他の誰かに引き継がれていくと期待できそうだ。


(もちろん日本国の左翼である以上、まず日本の平和を願い日本の戦争に反対するのは当然のことである。そこにいきなり全世界が平和憲法をもつことを目標とせよというのは、確かに無理難題であり非現実的だろう。だがしかし、日本以外のすべての国が戦争を起こしうる国であるのに、ひとり日本のみが平和であり続けようというのも非現実的だろう。だから少なくとも日本と関係の深い国々、攻撃を加えてくる可能性のある国々については、その平和を願い、その戦争に反対しなければならないはずである。実際にそれらの国々に対しては、関係を良好に保とうと日々政治家たちが奔走している。だからまずは、それらの国々が平和憲法をもつように主張すべきである。それだって非現実的だと言われるかも知れないが、それが最も望ましい形であるのは間違いないだろう。そもそも平和憲法は、一国のみが持ち続けるという性質のものではない。他国が攻めてくれば平和憲法など何の役にも立たず平和は破れてしまうからである。平和憲法は近隣の諸国へ押し広げていくべきものである。左翼と呼ばれる人たちは、まずはそこから始めて、全世界の永久平和を目標に掲げるべきではないか。)

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快文書作成ユニット(仮)
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 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

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