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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/21 (Thu) 17:50:37

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No.663
2013/09/15 (Sun) 12:01:05

 昔アメリカで竜巻が発生し、その近くに釘を作る工場があったため、竜巻は無数の釘を暴風に巻き込み、そのせいで多くの人が亡くなったということがあったらしい。それからゴルフ場でクラブを振り上げた瞬間にそこに雷が落ちて死ぬ者だっている。こういうのは天災でどうしようもないことだから、釘の工場やゴルフ用品の会社を訴えるわけにはいかない。そして天災は何の罪もない人間を死なせてしまう残酷なものだ……運転手の上村は山道のカーブでハンドルを切りながら考えた。

 ところが、後ろに座っている横田という男はそうは考えないのだ。何事も因果応報、たとえ津波で百人死のうと、それらの人々には罪がなかったとは言えない、などと考えるのである。いつか横田は言った、たとえ天災に巻き込まれて被害をこうむろうと、その当人は我が身を振り返り、自分の行いに悪い所があったに違いない、そう思うのがまっとうな人間なのだと。しかしそんな説教臭いことをいう横田という男はじつは悪党なのであって、上村たちは彼をボスとしてついさっき銀行強盗を働いてきたところだ。助手席にはもう一人の仲間、井上が座っている。大男で、別に横田に逆らったりしないが、このボスの因果応報論を聞かされると、ときおり「そりゃおかしいぜボス」などと食い下がることもある。

 道路にカマキリがぺちゃんこにつぶれているのが見えた。カマキリというのは自分より強いものはいないというおごり高ぶった考えを持っているから、車が来てもよけないのだという話を上村は聞いたことがあった。馬鹿なカマキリ。俺たちは謙虚な心持で慎重に銀行強盗の計画を立てた。俺たちは成功するだろう。
 いや、まだまだ油断は禁物だ。安全運転でいこう……上村はじっとりと汗をかいた手でハンドルを握りなおした。
 前方に「落石注意」の立て看板が見えた。下見のときから見慣れた看板だが、これはいただけない文句だ、と改めて上村は思った。注意してたって岩がいきなり落ちてきたら逃げる暇なんかあるもんか。落石だって天災でそれに出くわしたときは運が悪かったというしかないが、落石注意と書かれると、ひょっとして注意すれば助かるのかも、などと誤った期待を抱いてしまう。で、せっかく注意したのに落石に潰されて死んでしまったら、その看板を立てたやつを恨むに違いない。どうせなら「落石覚悟」って書けよって。すると井上が
「落石に注意しろよ」などとイラつくことを言った。
「そんなもん注意したって始まらねえや!」上村が怒気を含んで言うと
「いや、このところ雨が続いたろ? だから崩れやすくなってるんじゃねえかって……」
「あーわかったよ。せいぜい注意するさ」
「上村。井上の言う通りだ。すべてにぬかりなく注意するんだ」後部座席から横田が言った。
 横田の足元には銀行から奪った現金の詰まったアタッシュケースが置かれていた。
 
 すると、まさかのことが現実に起こった。岩肌の上のほうからがらがらと大小の石が崩れ落ちてきたのだ。
「ちくしょう!」
 彼ら強盗団の車は、逃げる間もなく落石の下敷きになり、石の山に覆われて車は見えなくなってしまった。

「おい、生きてるか」横田が仲間の二人に声をかけた。
「ああ、生きてる」井上が言った。上村も
「俺もなんとか生きてる」
「普通なら潰されてお陀仏のところだ。俺たちは運がいい」と横田。
「津田が装甲の厚いパトカーを買ってきたおかげだ」
 津田というのは、最初は計画に参加し、足のつかない中古屋でパトカーを買ってきた男で、普通車に見えるよう塗装までやったが、直前になって足を骨折したと言って計画をおりた男だ。
「だが、誰かが気付いて岩をどけたら、助かってもその場でお縄になっちまうぜ。津田は運がいいよ」上村が言うと、
「まだ助かるかどうか分からん。車は密封されてるし、空気がいつまでもつか分からねえ」と横田は言い「これで見納めかも知れんし、札束を拝んでおくか」と懐中電灯で照らしてアタッシュケースを開けた。
 札束から一枚抜き取り、穴のあくほど見つめて横田は言った。「こいつは偽札だ」
「なあんだ。だがどっちみち捕まるんだから偽札でも構うもんか」
「いや、偽札を盗まれたって銀行には被害はない。ということは、俺たちはどちらかというと悪いことをしたとは言えない。悪いようにはことは運ばねえと思うな」
「そりゃおかしいだろ、ボス」と井上。「俺たちゃ盗んだときは本物だと思ってたんだ。だかられっきとした罪になるんじゃねえのかい」
「ということは、動機が悪けりゃ何をやっても悪いっていうのか? 癌患者に毒を飲ませようとして間違って癌の特効薬を飲ませてしまって、相手の命が助かっても、そいつは悪人だっていうのか?」
「そりゃたとえが飛躍しすぎてるよ、ボス。別に俺たちが偽札を盗んだからって誰かの命が助かったりしないだろ?」
「だからお前はうすのろだっていうんだ。いいか、銀行強盗に襲われて本物の三千万円を盗まれたらどうなると思う? 支店長はまず減給じゃすまねえ、離島の支店とかに左遷されるんだよ。単身赴任だったらもう母ちゃんとはヤれねえ、いや家族といっしょに転勤しても、母ちゃんは不機嫌でヤらしちゃくれねえだろうな。それがどっこい盗まれたのが偽札で支店長には落ち度がなかったことになる、そりゃ支店長は天にも昇る気持ちだろうよ。そういうときは夜は母ちゃんとがんがんやるもんだ。子供がひとり出来ることになる。それから支店全体も気分が高揚して、みんな家に帰ったらヤりまくるに決まってる。そうすりゃ子供は何人生まれることになる? 誰かの命が助かるわけじゃねえが、新しい命が生まれりゃおんなじことだ。つまり俺たちゃ何人もの命を救ったのと変わりはないんだよ」
「でもボス、みんなゴムをつけてやりまくるかも知れねえぜ」
「馬鹿かおまえ。こういう自分たちの地位が安泰であることが確かめられたような、こんなめでてえ日には誰だってナマでやるんだよ」
「しかしボス、あそこの行員は若いやつが多かったぜ。みんな独身かも知れねえ」
「そういうときは、銀行の中で行員どうしヤりまくるだろうな」
「銀行員がそんなことするかい?」
「お前なんにも知らねえんだな。銀行は閉店後、手形を扱ったりして忙しいもんだが、手形には商業手形とか代金取立手形ってもんがある」
「知ってるよ」
「それじゃ代金取立手形のことを奴らが『ダイテ』と略して言うのは知ってるか? だから閉店後、女子行員は『係長ダイテください』とかしょっちゅう言ってるんだよ。で、今日のような強盗が入ってしかも偽札を盗んでいって被害がなかった、そんなテンションの上がる日にゃ係長さんは、女子行員に『ダイテください』と言われりゃ『おお、抱いてやるとも』となるに決まってらあ。だから今日の閉店後の支店内は乱交パーティになるんだよ」
「でも、その場合は女子行員と係長は他人だぜ。俺はゴムをつけると思うな」
「井上なあ、ちっとは世間のことを勉強しろ。銀行みたいなお堅い職場にゴムなんか持ってきてみろ、すぐに懲戒免職だぜ。これぐらい小学生だって知ってらぁ」

「おい、石を突き崩すような音がする。助けに来たんじゃないか?」上村が言った。
「こんなに早くか?」と横田。
 彼らが気づいた通り、ショベルカーが強盗団の車を覆っている岩をどける作業を始めていたのだった。
 岩の撤去作業を指揮している男が岩肌の上に向かって叫んだ。
「おい、津田。誰がこんなに岩を落とせと言った! このぶんじゃ予定より二十分は遅れるぞ」
「だってしかたがない、岩肌がもろくなってるんだよ!」崖の上の津田は叫んだ。
 岩がどけられやがて車の姿が現れると
「屋根がつぶれてる、バーナーで焼き切れ」
 バーナーの火がゆっくりと車体を焼き切っていく。そして屋根に大きな穴が開くと、作業していた男は驚いて叫んだ。
「おい、こいつら生きてるぞ! どうします、ボス」
「バラすにゃ及ばねえだろう。おい、お前は横田だな? そのアタッシュケースをよこしな」
 横田はピストルを向けられて、素直にそれを渡した。
「よし、津田も降りて来い。ずらかるぞ」
 そういって男たちはショベルカーを置き去りにして、乗用車で逃げて行った。

「馬鹿な奴らだ……しかし津田の奴、裏切ったのか?」上村が言うと
「はじめからあっちの仲間だったのかも知れねえ」と横田。
「しかしボス、これで津田に罪をなすりつけられますね」と井上。
 三人が車から這い出ると、パトカーがサイレンを鳴らしながら坂道を曲がって現れた。

「だから俺たちは津田武夫って男に命令されてやったんですよ! 現に俺たちはあいつに金を渡しちまった」
「お前たちが言っている津田武夫という男だがね」刑事は言った。「いくら探してもそんな男はいないんだよ」
「そりゃ名前は偽名かも知れない。しかし奴の住処を当たってみれば分かるはずだ!」
「もちろん当たってみたさ。そして津田武夫という男が住んでいたのも確かだ。しかしなんというかな、やつに関していくら調べてみても日本の戸籍にそんな男は存在しないんだ。理解に苦しむことだが」

 そのころ、津田とその仲間は偽札を安全な麻薬にかえ、彼らの故郷である千年後の未来に戻るところだった。つまり彼らはタイムマシンでやってきた未来人だったのである。
「ひょー、二十一世紀の麻薬はこの原始的な快感がたまらんな」
「おい、誰が運転するんだ。みんなラリってるんだぜ」
「まかせときな。俺ぁきのうきょうの薬好きじゃねえんだ。いざ3020年に向けて出発!」
「おい、このタイムマシンに十一人は乗りすぎじゃねえか」
「大丈夫だって……おい誰だよ、勝手にアクセル踏むやつは! いけね、ブレーキが壊れた」
「お、おい。メーターがもう紀元30万年まで来てるぞ。燃料切れまで走り続けたらどこまで行くのかな」
「吾輩の計算によるとだな、約七十億年後だ」
「その時代にはもう地球なんてないぞ。とっくに膨張した太陽に飲み込まれてる」
「もう地球なんか無くたって、ヤクがありゃ俺ぁハッピーだよ」
「そうだな。太陽に突っ込んだって、そんときゃそんときだ」
「誰か、そこのするめ取ってくれ」
 こうして彼らは七十億年後の未来へ、赤色巨星と化した太陽の中へとまっしぐらに突き進んでいった。

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No.662
2013/09/15 (Sun) 00:20:39

 K帝国大学の理科に入って半年、学業は順調に進んでいたが、ふとしたことで胸の病を得、体が弱ったことで神経が鋭敏になりすぎたのか、私はしばしば被害妄想に苦しめられ幻聴にも悩まされるようになった。医師によると、しばらく刺激の少ない離島で静養したほうが良いとのことで、とにかく脳を酷使するのは禁物であると言われた。そこで友人の郷里である、新潟県沖佐渡島からさらに北西に離れた木武島(きぶじま)という小さな島でしばらく静養することになった。
 友人の実家の、庭に面した日当たりのよい部屋を与えられ、これなら快適に過ごせそうだと思った。

 私はしばしばスケッチブックを持って海岸へ行った。しかしその風景を写生するのではなかった。脳を酷使するなと言われたのを思い出し、頭をからっぽにして画用紙に向かうと、そのときどきに頭に浮かんだ女神や怪獣や、得体の知れない奇怪な花などを海辺の風景の中に次々と描きいれることになった。楕円形をした緑の太陽の上には能役者が腰かけ、同時に輝く満月の中には金木犀が咲き誇り、兎が跳びはねていた。そして能役者はなぜか機関銃を持っていて兎たちを虐殺しているのであり、月の世界には鮮血が飛び散ってあたりを赤く染めている。浜辺ではK帝大の教授たちが翼竜に追いかけられ、私の好きな英語の教官は天がけるケンタウロスに弓で射られて矢が喉を突き抜けて、橙色の血でシャツが染まっていた。

 海辺のいろんな場所で絵を描いたが、私が描く絵はどれも写実ではなく、いつも想像上の残酷な図像で埋め尽くされていた。といって私を変人のように見られるのも困るのであって、私が思うに健全な精神は必ずいくぶんかの邪悪な部分を持つものである。そして常識さえ保てていれば、密かにその邪悪な発想を楽しむことによって、強壮な精神が育まれるのである。またありのままの風景を描かないのは、おそらく古代人もそうだったろうと思うのだ。けだし古代には風景画などというものは無かったのであり、古の人々は目には見えぬ神々や魔物をしばしば主題に絵を描いたものである。

 夏の終りのある日、見慣れぬ白い大きな軍艦が木武島の北から近づき、いきなり砲撃をしてきた。威嚇射撃だったのか砲弾のほとんどは砂浜に落ちたが、すわ一大事と島民は慌てふためいた。軍艦が着岸すると、青い目をした兵隊たちがライフルを担って上陸してきた。船のスピーカーからサイレンが大きな音で鳴り響き、やがて流暢な日本語で、彼らはロシア人で、この島を占領したとの旨を伝えた。
 こうして、木武島はソ連軍の支配下に置かれたのである。

 村役場にソ連軍のリーダーが居座り、島民にあれこれ指示を出した。武器となるものは隠さず差し出すこと、夜八時以降の外出は禁止すること、三人以上の集会は禁止すること、などなど。ソ連軍のリーダーはゾローニンといい、アジア系のようで、黒い目と黒い髪をしていた。そしていつも葉巻をくわえていた。

 ある日、ゾローニンは数名の兵隊を引き連れて島民の家々を視察して回った。彼らはこちらが大人しくしていれば愛想よく振る舞った。ゾローニンが私の家に来ると、あちこちに散らばった画用紙を見て、流暢な日本語で「絵を描くのか?」と尋ねた。そして私の怪獣が暴れまわり血みどろの女神が踊り狂っているグロテスクな絵をしばしじっと見て、いきなり「がはははは」と笑い出した。私もこれまで面白い絵を描いているつもりが下宿先の人たちにはいつも気味悪がられていたから、ゾローニンが笑ったときは正直嬉しかった。「お前の絵は面白い。もらっていっていいか」と言って彼は絵を持って行った。そして礼のつもりなのかチョコレートの包みをテーブルに置いていった。
 しかしゾローニンが私に友好的に接したことは、他の島民の反感を買ったようだった。道を歩いていると石や馬糞を投げつけてくるものがいた。そういうことはさほど気にしなかったが、ただ下宿先の人たちにはすまないと思った。
 
 そういう日々の中にあっても、私は絵を描き続けた。海辺を自由に歩くというのはしにくくなっていたから、部屋の中で妄想を膨らませて描いた。するとある日またロシア兵が庭先に現れ、そのとき描いていた絵をひったくって行った。レーニンがキツツキにつつかれて頭が穴だらけになって血を流し、穴々にはラッコやアシカが住みついており、緑色の鼻血を垂れ流してほくろから剛毛が生えている絵だった。これはまずいと思った。相手国にとってこれ以上の不敬はないというぐらい不敬な絵だったから。
 しかし夕方別なロシア兵が来て、ゾローニン将軍は今度の絵をとくに面白がっておられるから、村役場にご機嫌伺いに来いとのことだった。ずいぶん懐の深い将軍だなと思い、ついでに別な絵も持って村役場に出かけた。

「君の絵はケッサクだ。こんなに笑ったのは久しぶりだ。どうだ、一杯やらんかね」ゾローニンは言って、ウォッカをグラスに注いでくれた。私はとりあえずレーニンをあんなふうに描いたことを詫びたが、ゾローニンは「いいんだよ、とかくロシア人は堅物が多くていかん」と言って自分のウォッカをあけた。「今度からここに直接絵を持ってきてくれたまえ。そのときはご馳走しようじゃないか」
 この日の会見でゾローニンはかなりのブラックユーモア好きだとわかったから、私のほうでも調子に乗って木武島にやってきたロシア兵を面白おかしく描いてみたりした。ときにはロシア兵が頭を斧で割られ中からピロシキの具が飛び出している絵や、彼らの大小の生首をマトリョーシカに見立てた絵も描いた。こうした絵にも、ゾローニンはいつもご満悦だった。

 ある日、いつものように新作の絵を持って村役場に行く途中、向こうからどこかで見たような日本人が歩いてくるのが見えた。背丈は五尺八寸ほど、痩せていて眼鏡をかけ、白いシャツにカーキ色のズボン。その男の目を見た瞬間に分かった。これは私自身ではないか!
 私の分身はいそいそと歩いて私に気づかぬ様子ですれ違って行った。
 私は呆然自失のていで村役場についた。
「忘れ物かね?」ゾローニンは言った。
「さっきも私が来ましたか?」
「どういうことだね?」
「いや、何でもありません」
「それにしても君が今日もってきてくれた絵は、ちょっとよく分からん所があるがとにかく迫力があるね。大きな真っ黒いタコがこの島全体に覆いかぶさっておる。しかし君のこういう発想はどこから出てくるのかねえ」
「いや、ええ。忘れ物なんです。また伺います」
 そういうと私は村役場を急いであとにした。私の分身が勝手に絵をもってきた……私の見たこともない絵。ドッペルゲンガー。死の前兆とも言われている……。
 私は下宿につくとすぐふとんにもぐりこむ気だった。しかし部屋の戸を開けると、私の机には私自身が座っていた。そいつは振り返って私を見た。二人の目が合った瞬間、私は悲鳴を上げた。

 ふとんをがばとはね上げ飛び起きると、自分の叫び声でガラス戸が震えているのが分かった。夢だったのだ。ドッペルゲンガーは夢だった。しかし夢の中の出来事ははっきり脳裏に焼き付いていた。あの不気味な蛸の絵。
 私は忘れないうちに、その絵を画用紙に描いた。黒く巨大な蛸は、この島の真ん中に胴体を据え、八本の足で島全体を包み込むようにしていた。大急ぎで色を塗り終えたとき、軍艦のサイレンがけたたましく鳴り響いてきた。私が下駄をひっかけ大急ぎで海に向かうと、あろうことか私が描いたのとそっくり同じ黒い大蛸がソ連の軍艦に襲い掛かっていた。足を船体にからめ、黒蛸はいとも簡単に船をひっくり返した。ゾローニンは機関銃で蛸に応戦していた。しかし蛸は銃弾などものともせず、かえって一本の足を伸ばしてゾローニンに巻き付け、抱え上げた。そのしめつけにゾローニンは悲鳴をあげ、背骨の折れる音が聞こえて彼はこときれた。私はその黒蛸の絵を片手に持って、呆然とその様子を見ていた。

 島民たちは、はじめ大蛸がソ連の軍艦を沈めたことに大喜びしたが、ついで八本の足をうねらせて上陸してくると、悲鳴をあげて逃げ惑った。蛸は足を広げると優に島を覆いつくすほどの大きさだったから、逃げる場所は海しかなかったが、逃げ遅れたある者は蛸に踏みつぶされ、ある者は食われた。漁船で逃げようとした者もいたが、それも大蛸の触手で叩き潰された。
 私は島の中央の小山のほうへ走り、そのふもとの洞穴に逃げ込んだ。島の真ん中に体を運んだ大蛸は、その洞穴をのぞき込み、丸い目をぎょろぎょろさせていたが、どうやら私は見つからずにすんだらしい。

 誰か助けに来ないだろうか? しかしこの馬鹿でかい大蛸相手では、空母も戦闘機も歯が立つまい。私は手の中でくしゃくしゃになった黒蛸の絵をひろげて見た。私にはどうやら予知夢を見る能力があるらしい。してみると、黒蛸が倒される夢を見れば、助かるかも知れない。そして必死で念ずれば、そういう夢を見られるのではないか。しかしこの大蛸を倒す手立てなどあるだろうか……そう、聞いたことがあるぞ。アインシュタイン博士の理論から導かれ、理論的には可能と言われているあの兵器。どうか、どこの国でもいいから、原子爆弾をこの島に落としてくれ!

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No.661
2013/09/15 (Sun) 00:18:44

死んだ磯田進吉のアパートの大家である小林氏が葬儀場のロビーにあるソファに腰かけていると、となりに大きな肥満の男が座った。男はハンカチで汗を拭き拭き、落ち着かなげに手帳を開いて何か書き込んでいた。小林氏は肥満男の書き物が一段落するのを待って、その男が磯田氏とどういう関わりの人物であるかを尋ねた。

「私ですか? 私は長谷部英世といいまして、長年心霊現象を扱った雑誌を作ったり、またそれに関する記事を書いて生計を立ててきたものです。まあ世間一般からすれば胡散臭がられている物書きですな。磯田さんと会ったのはかれこれ二十数年前になりますか。当時彼はタイムトンネルの研究を主にしていて、それを安定的に稼働させる鍵となる研究がイギリス人物理学者によって精力的になされているというので、磯田さんもその物理学者との共同研究のために渡英していたんです。

 そこでなぜ私が磯田氏の知遇を得たかというと、ちょっと話は長くなります。イギリスには昔からあちこちに幽霊屋敷というものがあって、それ自体は珍しくなかったのですが、ある科学者がそうした幽霊屋敷に住んで、幽霊を空気中から捕まえてさまざまな実験器具でその正体をとらえようという試みをしていたのです。それには幽霊を降霊術によって呼び寄せ、特性のタンクに幽霊を呼び込み、閉じ込めて高い気圧をかけたり、氷点下に冷やしたり、電気刺激を与えたりしました。彼は、もし幽霊が気体であるなら、圧力をかけることによってそれを液状にしたり、冷やすことによって幽霊で出来た雪を作ることも可能だと考え、しかもその実験に成功していました。ちょっとしたマッド・サイエンティストですな。

 そこで私も興味を駆られて遠路日本からイギリスへ取材にやってきたわけです。この幽霊の研究をしている一風変わった科学者、名前をジョンソンと言いましたが、彼はたまたま磯田氏の旧友でした。ある日私がジョンソン邸で取材をしていたところ、そこへ磯田さんもふらりとやって来ました。しかし、このジョンソンという科学者は残念ながらまともな精神状態ではありませんでした。ときどき幽霊に呪われたかのように奇声を発し、その場にばったと倒れます。我々が彼を介抱すると、こんどは磯田さんは機械の中で液化され雪の結晶と化した幽霊がどういうものか興味を持ち、もとの幽霊の姿にもどすことに成功しました。そして彼ら幽霊との対話を試みました。私もこうしたオカルト的な出来事には人一倍関心を持っていますから、いろいろと幽霊に質問しました。
 それにしても磯田さんは科学者といってもジョンソン氏と違い、幽霊をただの物質とは扱わず、その話にじっと耳を傾けたその態度は謙虚で立派なものでした。

 すると真っ暗な屋敷の奥から、金属の甲冑を身につけた大男が、足を引きずって現れました。そしてその男は首を斬りおとされており、左手にその首を抱え、右手に剣を持っていました。そして床板の一部を剣で壊すと、中に古びた大きな箱が入っており、磯田氏と私に『これをお前たちにやる』と身振りで示しました。箱の中には金貨がぎっしり詰まっていました。
 ジョンソン邸の幽霊は『これから我らが一族を虐殺した者たちに復讐せねばならぬ』と厳かに宣言しました。ジョンソン邸に棲む幽霊たちは、もとはシルバースミス家という一族の末裔だそうで、二百年ものむかし一族を皆殺しにされたとのことです。そしてこれからその怨敵の子孫を殺しに行くのだ、と告げました。子孫に仇討するなど馬鹿げたことだ、子孫に罪はないだろうと磯田さんはいいましたが、かえって甲冑の騎士に殴られ昏倒してしまいました。私はあまりの恐ろしさにその場にじっとしていました。

 そうして、このシルバースミス家の霊による復讐が始まりました。ところで偶然にも、シルバースミス家の復讐の相手とは、磯田さんが泊まっている安ホテルの主人とその一家だったのです。甲冑の幽霊は、その重い剣でホテルの主人一家四人を無残にも皆殺しにしてしまいました。ある者は首をはねられ、ある者は剣で腹を突き通されて。
 そこに戻ってきたのが磯田さんです。彼は警察を呼んで、状況を説明しました。しかし殺人を犯したのが幽霊だなどと警察は信じるはずはありません。かえって磯田氏が、ジョンソン邸でもらった金貨でポケットを一杯にしていることから、彼に強盗殺人の嫌疑がかかってしまいました。私も磯田さんと同様の古い金貨を持っていたことで警察に引っ張られました。

 まもなく裁判になり、我々は被告の席につきましたが、開廷後まもなく法廷の照明がふっと消えてしまいました。そしてどこからともなく
『そこにいる磯田と長谷部という男に罪はない。アリバイはジョンソン博士が証明してくれるだろう』
という声がこだまし、気違いになっていたはずのジョンソン博士が、青い顔をして機械人形のように法廷にはいってきました。
『磯田氏と長谷部氏は事件当夜、私の邸宅にいました。殺人に関わっていたはずはありません』
 しかしその声はシルバースミス家の幽霊の声に瓜二つで、どうみてもその霊に操られているようでした。ジョンソン博士はアリバイの供述を終えるや否やその場に倒れてしまいました。もはや息はありませんでした。

 これで事件は一件落着しましたが、私は磯田さんからジョンソン博士の実験の原理、つまりいかにして幽霊を液状にしたり雪状にしたりするかを教えられ、オカルト専門ライターとして多くの知識を得ました。また磯田さんは霊界との交信ということに興味を持ち、霊の声を受信する装置を作り上げました。私は先祖たちの声を聞かせてもらいましたが、七人の先祖すべてに『肥満を解消しろ、養豚場で人生やり直すか?』と言われたことにはさすがにへこみましたね」

 小林氏は、磯田氏が幽霊と話す機械までを作っていたことを聞いても、もはや感覚が麻痺していたのか「へえ、そうですか」などと人形のように受け答えした。

「ちょっともし、あなたは磯田さん宅の大家さん?」呼ばれて振り返ると、身の丈二メートルはありそうな大きな男が立っていた。喪服を着たこの人物は、まるで黒い壁だった。見上げんばかりのこの男に呼ばれ、とにかく小林氏は返事をした。

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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









 ※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※







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