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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/24 (Sun) 14:47:21

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No.107
2009/10/21 (Wed) 18:36:27

 埼玉に住む中学生の甥Dが、修学旅行で関西に来た。奈良と京都に一泊ずつだったらしい。最近の修学旅行生は、班行動の時間はタクシーに乗って移動するのが一般的だそうで、Dもタクシーで奈良・京都を観光したと聞いた。

 Dの班にいた乱暴者K。「やっぱり奈良の土産は鹿の頭だな。親父から猟銃を借りてきたぜ」
「だめですよ、奈良県で鹿殺しは重罪なんですから」とタクシーの運転手。
「おい、客のニーズにこたえられなくてどうする。奈良公園がすぐそこだ、停めてくれ」
「その銃をしまったら停めますがね」
「やかましい、運転手ふぜいが!」
 Kはハンドルに手をかけ、タクシーの進路を強引に奈良公園へ向けた。広場に群がっていた鹿たちは、一目散に逃げていった……いや、一頭だけ、逃げずにタクシーに向かってくる鹿がいた。
「関東のガキたちになめられたんじゃあ、古都奈良の名物としての名がすたるぜ、かかってきやがれ」
 その雄々しい鹿は二本の角でがっしとタクシーを受け止め、前輪はきゅんきゅんと空しく回転しやがて停止するかに見えたが、じりじりと後退する牡鹿、後ろにあった大きな楠とバンパーに挟まれついに息絶えた。

「さいたま市O中学三年一組、二班の四名、ならびにタクシー運転手、喜多川淀五郎、おもてを上げい」奈良の町奉行が言った。
「ははぁ」五名のものは顔を上げた。
「そのほうらO中学の四名、奈良観光せんとてタクシーに乗り合わせしところ、班員K、奈良公園の近くにて強引にハンドルを操作し、公園内にタクシーを侵入させ、牡鹿を一頭死なせしと訴えにあるが、左様相違ないか」
「相違ございません」二班の班員たちは恐れ入って答えた。
「運転手、喜多川淀五郎、相違ないか」
「へえ、相違ございません」
「奈良での鹿殺しは大罪と知っての所業か」
「へへえー」
「牡鹿の遺骸をこれへ」
 役人が鹿の死骸を戸板に乗せて運んできた。
「はて、これが鹿か。奉行にはこれは犬に見えるがな」
「そのようなこと仰せられては困ります」傍らにいた鹿奉行が口を挟んだ。
「ほう、そちにはこれが鹿に見えるか」
「拙者これでも鹿奉行をおおせつかっている身、鹿と犬を見間違えるはずもございません。これは鹿にございます」
「ではそちに尋ねるが」奉行はふところから何やら絵が描かれた紙を取り出した。「これはせんとくんかまんとくんか」
「ははぁ、せんとくんにございます」
「せんとくんに相違ないか」
「相違ございません」
「近頃これとよく似たキャラクターが奈良公園にて鹿をなぶり殺しにした上、その鹿を煮て食っているところを見たと民百姓が申し出たそうな。その際そのほうが、殺されたのは犬じゃと言い張ったと耳にしたが、はてこれは奉行の聞き違いか」
「お恐れながら申し上げます。せんとくんがなぶり殺したのは確かに犬にございました。お奉行様のお聞き違えかと存じます」
「黙れ黙れ黙れ。そのほうがせんとくんから多額の賄賂を受け取ったというのは明々白々たる事実、せんとくんをこれへ!」
 縄でしばられたせんとくんがお白州に引き立てられた。
「鹿奉行、これでもここにある死骸は鹿だと申すか、犬か鹿かしっかと目を見開いて返答いたせ、犬か鹿か!?」
「い、犬にございます」

 という夢を見た。
 Dは京都では金閣寺などを観てまわったらしい。お土産にはなぜか「やつはし」を山ほど買ってきて、彼の弟Tには「やつはしのぬいぐるみ」を買ったそうだ。
 Dいわく「ほかには何にもなくて」。嘘だろ。

(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
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No.106
2009/10/21 (Wed) 02:53:46

「川本喜八郎作品集」というDVDを観た。いろんな手法のアニメーションが11編入っている。主に人形アニメーション。今昔物語からの説話とか「道成寺」とか、日本の古い話が多い。人形はマネキンっぽいつやつやした顔の人物が多くて、表情豊かだった。日本の本格的な人形アニメはあまり観たことがなかったから、着物など新鮮に感じた。

中島敦の「名人伝」も「不射之射」という題で入っていた。もとは「列子」にある弓の名人の話。
天下第一の弓の名人を目指していた主人公は、かずかずの困難な修業の後、師との勝負に僅差で敗れた。これ以上の技量を得ようとするなら蛾眉山にすむ老隠者のもとへ行け、と言われてそこに向かうと、その隠者は、弓など使っているうちはまだ駄目だ。「不射之射」ということを学べ、と言い、何も手にしないで高空を飛ぶ鳥を射落とした。主人公がそこで九年間修行して邯鄲の街に戻ると、天下第一の名人が帰ってきたと人々に熱烈な歓迎を受けたが、いっこうに弓矢を手にせず、その妙技を見せようとしない。しかしかつての師のもとに行くと、師はその顔つきをひと目見て「おお、これこそが天下第一の名人、我らごときが及ぶ境地ではない」と感嘆して深々と頭を下げた。それから主人公は死ぬまで弓を手にしなかったが、死の数年前、街のある人物から夕食に招待されたおり、そこにあった弓矢を見て「この器具は何という名で何に使うものか」と真顔で尋ねた。「不射之射」を極めた主人公は、弓矢の用途すら忘れてしまったのだ。

これを観ていて、野球でそういう話はできないか、などと考えた。天下第一の投手を目指す男と、古今無双の打者を目指す男。二人は別々の山で、隠者について修行を積み、戻ってきて勝負することになった。しかし大観衆が息をひそめて見つめる中、二人はバットとボールを見てもその用途を思い出せない。「これはこうやって使うものではないか」と推理をはじめた二人は、ヘルメットとバットを使ってやおら「たたいてかぶってジャンケンポン」を始める……。
いや、読者には熱心な野球ファンのかたもいらっしゃるので、これは本格的に書くのはやめました、すみません。

(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
No.105
2009/10/21 (Wed) 01:55:22

夏の暑い盛りのことである。
近くに薬局があるのに、置き薬の営業の男が僕の家に来て「置いてくれるだけでいいので」としつこく迫ってきた。近くに薬局がない地域を回ればいいのに、と思ったが、暑さで投げやりになっているのか「置くだけなら害がないでしょう」といった台詞一本槍でこの近辺を絨毯爆撃しているらしい。最後にこの男は「三百個置いていかないと帰れないんです!」と言ったが営業がそれを言ったらお仕舞いだろう、こっちは「知ったことか」だもの。電話の営業でもそんなことを言われて腹が立つことがある。「ぜひ梅田のキャンペーン会場に来てください! その地域で来られてないのはNさんだけなんで、Nさんが来られないとキャンペーンが終れないんです!」ってそれはそっちの事情だろ。しかし飛び込みはもちろん、電話でも営業というのはいつも大変だろうと思う。小さな編プロにいたとき、人手が足りなくて電話営業を何度かやったが、百件電話して一件アポが取れるかどうか、アポが百件あって一件仕事に結びつくかどうか、ぐらいの確率だった。電話口で「御社の商品のパンフレットなど印刷物のご用件はございませんか」と自動人形のように喋り続ける。ペットショップに電話をかけてそういうことを言ったら、ペットを「商品」とは何事か、とムッとされたりということもあった。

ごく狭い経験からの感想だが、その編プロで思ったことの一つに、編集者というのは世間の「常識」をたくさん知っていなければならないが、世間の「真実」を知っている必要はない、というのがある。仮に世間で天動説がまかり通っていたら天動説を知っていればいいので、たぶんガリレオは編集者にはなれなかったろう。雑誌で天動説を書けといわれて「編集長、それでも地球は動いています!」なんて叫んだって「それは自分の論文にでも書けや」と言われるだけだ。僕も雑誌の健康特集で、「健康に良いびわエキス」という記事を自信を持って書いたら、真実はともあれ、びわが健康にいいなんて誰も思っていないから却下! なのだ。たとえば学校現場でのモンスター・ペアレントなるものが話題になりだしたのはつい最近のことで、以前はいくら親が学校に無理難題をふっかけている事例があろうと、マスコミは「教師が悪いに決まっている、教師を叩け!」の一本槍だったのだ。それがある教員が保護者対応に神経を参らせて自殺した、という事件が起こって初めて「親が悪いのかも」という発想がマスコミに出てきた。

話は違うが学歴ってなんだろう。自分はごく単純な人間だから、大学は勉強するところ、だと思っていたが、むかし就職活動した際、少なくとも就職する人間にとっては「大学は勉強するところではない」という誰も口には出さない暗黙の申し合わせが存在するのではないか、と感じたのだった。企業にとっては、表向きは面接で「何を勉強してきたか」と尋ねはするが、「本当に勉強が好きな人間」には来て欲しくないのではなかろうか。本音の部分では、勉強は落第しない程度にやって来ていればよくて、むしろスポーツやアルバイトに精を出して「コミュニケーション能力」を磨いている学生に来て欲しい。口には出さないけどその本音を空気で分かってね、と言っているように感じた。僕のように「大学は勉強するところ」という大義名分を真に受けてきた人間には実は用がなくて、大学はおもに「大卒」という肩書きを得るための場所だ、と分かっていてほしい。就職の面接はこういう恐ろしく込み入った「空気を読む術」が要求されているようで常に苦手だった。こういう「暗黙のルール」が分かっていない人間にとっては、就職の際、高学歴というのもちっとも有利にならないのではなかろうか。

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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









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