『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.87
2009/10/16 (Fri) 05:04:10
2007年4月15日でしたか、三重県中部を震源とする地震があって、大阪でもけっこう揺れました。
次の日の朝刊で読んで知ったんですけど、「緊急地震速報」というものがいま試験的に行われていて、病院や工場、一部の一般家庭に「今から10秒以内に地震が来ます」のような予報が配信されてるんだそうですね。
http://members.jcom.home.ne.jp/mikedo/Guidepost_Culture_292Urgent_earthquake_news_flash.htm
今回の地震でも、四日市市で2秒前、桑名市で5秒前、名古屋市で10秒前に予報されたそうです。2秒前の予報ではちょっとなすすべがないような気もしますが、10秒前なら、家の中の火を消して安全な場所に移動するぐらいのことは出来そうです。
地震はP波(縦波)とS波(横波)からなっていて、被害をもたらすのは後者だけど速く伝わるのは前者であり、そのP波を検知することでこうした予報が可能になるそうです(自分は物理には不慣れで、縦波というものがよくイメージできないのですが……)。
この予報が全国で行われるようになるのなら、地震の前の10秒間に何をすべきか、普段から考えておくといいですね。
寝ぼけているときに火事や地震が来て、家を脱出したのはいいけれど慌てて持ち出したのが枕だった、なんて古典的なボケをかまさないためにも、10秒間に確保すべき貴重品などを決めておくといいなと思いました。
4月15日に揺れたときも、自分はPCでDVDを観ていたのですが、避難する前にプレイヤーのストップボタンを押さなきゃと思ってしばらくマウスを操ってしまいました。馬鹿ですね。予報があったら、そんなことしないで済むような気もします。
でも、地震だから「十秒前」もある程度有効ですが、「十秒後に核ミサイルが飛んできます」「十秒後に日本が沈没します」などと言われたらどうしようもないですね。「十秒後にバルンガが来ます」なんて言われたら、マイミクの皆さんにお別れを言う暇もなさそうです。
(バルンガ:「ウルトラQ」に出てきた、電気、ガスなどあらゆるエネルギーを吸い尽くす怪物。)
話かわって。
「生物物理学」というものがあるそうですね。
動物の体型についてちょっと気になっていたことがあって、生物学科出身の人に尋ねたとき、そういう分野があることを教えられました。
気になっていたのは、象とかカバのように、大きな動物になるとずんぐりした体形になるのが自然だと思うけれど、なぜキリンはほっそりした体つきをしているのかということでした。
なぜずんぐりしているのが自然かというと、同じ形の立体が二つあって一方が他方の2倍の高さのとき、表面積は4倍、体積は8倍になる(「表面積の比は相似比の2乗、体積の比は相似比の3乗」)。動物の体重はその体積に比例しそうだから、シルエットが同じで身長が2倍になれば、(表面積は4倍で)体重は8倍。ところが動物の骨が支えることができる体重は、骨の断面積に比例すると考えられるから、骨のシルエットまで同じで身長が2倍になれば、支えきれる体重はもとの4倍でしかない。だから小さな動物のシルエットのままで大きな動物になるのは難しいことで、大きくなればなるほどぶっとい骨を持った、ずんぐりした体形なのが自然と考えられる。。。
で、キリンについては、体の中には非常に太い骨が通っていて、足がほっそりして見えるのは肉がほとんど付いていないからなんだそうですね。
生物物理学では、上記のような視点も含めて、物理学的な角度から生物を研究するみたいです。
ところでウルトラマンは、身長が40メートルで体重が3万5000トンです。身長が人間の約20倍ですが、仮に体重70キロの人間の身長が20倍になったら、体重は8000(=20^3)倍ぐらい、つまり560トンぐらいだろうと思います。つまりウルトラマンは、シルエットは人間そっくりですが、体の骨や肉の密度は人間の60倍以上という恐るべき動物です。きっと体の中のほとんどが硬い骨からなっていることでしょう。
モスラも、単に蛾が巨大化したものだとは考えられません。蛾があんなに大きくなったら、上と同じ理屈で、飛ぼうとした瞬間に翼が折れます。
……なんていうつっこみは、SF、とくに特撮ものを観るに際しては「あまりよろしくない」と誰かが言っていました。
実をいうと僕も同感です。SFは娯楽であって学術論文ではないのだから、多少誇大な数字が出てきても、深く考えずに楽しむのがいいんだと思います。レイ・ブラッドベリのSF小説には「零下1000度」なんていう有り得ない温度が出てきたりしますが、たとえ科学に詳しい読者であっても、いちいちつっこみを入れるのは無粋なように僕には感じられます。
「科学的にものを観る」というのと「娯楽として細かいことは気にせずに楽しむ」という、二つのチャンネルを自由に切り替えられたほうが、きっと楽しいだろうと思うんですね。
「空想科学読本」のようなものも、ある種の面白味はありますけど。
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
次の日の朝刊で読んで知ったんですけど、「緊急地震速報」というものがいま試験的に行われていて、病院や工場、一部の一般家庭に「今から10秒以内に地震が来ます」のような予報が配信されてるんだそうですね。
http://members.jcom.home.ne.jp/mikedo/Guidepost_Culture_292Urgent_earthquake_news_flash.htm
今回の地震でも、四日市市で2秒前、桑名市で5秒前、名古屋市で10秒前に予報されたそうです。2秒前の予報ではちょっとなすすべがないような気もしますが、10秒前なら、家の中の火を消して安全な場所に移動するぐらいのことは出来そうです。
地震はP波(縦波)とS波(横波)からなっていて、被害をもたらすのは後者だけど速く伝わるのは前者であり、そのP波を検知することでこうした予報が可能になるそうです(自分は物理には不慣れで、縦波というものがよくイメージできないのですが……)。
この予報が全国で行われるようになるのなら、地震の前の10秒間に何をすべきか、普段から考えておくといいですね。
寝ぼけているときに火事や地震が来て、家を脱出したのはいいけれど慌てて持ち出したのが枕だった、なんて古典的なボケをかまさないためにも、10秒間に確保すべき貴重品などを決めておくといいなと思いました。
4月15日に揺れたときも、自分はPCでDVDを観ていたのですが、避難する前にプレイヤーのストップボタンを押さなきゃと思ってしばらくマウスを操ってしまいました。馬鹿ですね。予報があったら、そんなことしないで済むような気もします。
でも、地震だから「十秒前」もある程度有効ですが、「十秒後に核ミサイルが飛んできます」「十秒後に日本が沈没します」などと言われたらどうしようもないですね。「十秒後にバルンガが来ます」なんて言われたら、マイミクの皆さんにお別れを言う暇もなさそうです。
(バルンガ:「ウルトラQ」に出てきた、電気、ガスなどあらゆるエネルギーを吸い尽くす怪物。)
話かわって。
「生物物理学」というものがあるそうですね。
動物の体型についてちょっと気になっていたことがあって、生物学科出身の人に尋ねたとき、そういう分野があることを教えられました。
気になっていたのは、象とかカバのように、大きな動物になるとずんぐりした体形になるのが自然だと思うけれど、なぜキリンはほっそりした体つきをしているのかということでした。
なぜずんぐりしているのが自然かというと、同じ形の立体が二つあって一方が他方の2倍の高さのとき、表面積は4倍、体積は8倍になる(「表面積の比は相似比の2乗、体積の比は相似比の3乗」)。動物の体重はその体積に比例しそうだから、シルエットが同じで身長が2倍になれば、(表面積は4倍で)体重は8倍。ところが動物の骨が支えることができる体重は、骨の断面積に比例すると考えられるから、骨のシルエットまで同じで身長が2倍になれば、支えきれる体重はもとの4倍でしかない。だから小さな動物のシルエットのままで大きな動物になるのは難しいことで、大きくなればなるほどぶっとい骨を持った、ずんぐりした体形なのが自然と考えられる。。。
で、キリンについては、体の中には非常に太い骨が通っていて、足がほっそりして見えるのは肉がほとんど付いていないからなんだそうですね。
生物物理学では、上記のような視点も含めて、物理学的な角度から生物を研究するみたいです。
ところでウルトラマンは、身長が40メートルで体重が3万5000トンです。身長が人間の約20倍ですが、仮に体重70キロの人間の身長が20倍になったら、体重は8000(=20^3)倍ぐらい、つまり560トンぐらいだろうと思います。つまりウルトラマンは、シルエットは人間そっくりですが、体の骨や肉の密度は人間の60倍以上という恐るべき動物です。きっと体の中のほとんどが硬い骨からなっていることでしょう。
モスラも、単に蛾が巨大化したものだとは考えられません。蛾があんなに大きくなったら、上と同じ理屈で、飛ぼうとした瞬間に翼が折れます。
……なんていうつっこみは、SF、とくに特撮ものを観るに際しては「あまりよろしくない」と誰かが言っていました。
実をいうと僕も同感です。SFは娯楽であって学術論文ではないのだから、多少誇大な数字が出てきても、深く考えずに楽しむのがいいんだと思います。レイ・ブラッドベリのSF小説には「零下1000度」なんていう有り得ない温度が出てきたりしますが、たとえ科学に詳しい読者であっても、いちいちつっこみを入れるのは無粋なように僕には感じられます。
「科学的にものを観る」というのと「娯楽として細かいことは気にせずに楽しむ」という、二つのチャンネルを自由に切り替えられたほうが、きっと楽しいだろうと思うんですね。
「空想科学読本」のようなものも、ある種の面白味はありますけど。
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No.86
2009/10/16 (Fri) 05:00:35
もともと近眼だが、最近さらに視力が落ちてきている気がする。裸眼で0.01ないかも知れない。
生徒の開いている四十センチほど先のテキストの文字がよく見えない。とくにxとかyの右上の、2乗とか3乗とかの文字が識別できない。顔を一生懸命近づけて判読しようとしていると、生徒も最近は慣れてきて「2乗です」とか教えてくれる。優しい子たちだ。顔を近づけるのは、老眼で顔を遠ざけて読もうとする姿よりは見映えがいいのでは、と勝手に考えたりしている。
眼が悪くなったのは、PCに向かう時間が多くなったせいかも知れない。
ふだんは上の写真の右の眼鏡をかけているが、さらに度の強いレンズに替えるべきか。いちど思い切ってコンタクトにしてみようか。僕はコンタクトをしたことがない。あのレンズが眼球と眼窩の間に滑り落ちて取れなくなったら、と思うと怖いのだ。しかしコンタクトをつけたまま寝起きして一週間ぐらい平気、という人も知っている。だから、それほど怖くないのかも知れない。
コンタクトか……青い色つきのコンタクトにして外人になりすますのも面白いだろうな。
しかし新しいフレームの眼鏡も欲しい。写真の左の眼鏡、丸いレンズのジョン・レノン風で、以前は痩せていて面長だったから似合っていたと思うが、最近は自分の顔にそぐわない気がする。
すっかり鼻に眼鏡の跡がついてしまった。耳の上も時々うっとうしく感じる。むかし眉村卓さんのショートショートで読んだ、「未来の眼鏡」の広告を思い出す。
「耳や鼻に引っ掛ける必要のない“レンズだけ”のニュー・タイプの眼鏡。極微の重力制御装置を内蔵、レンズだけが常にあなたの眼前の一定位置に浮遊しています。おしゃれ度満点。ただ装置の故障により、一億人に一人程度の確率で首から上だけが異次元に行ってしまいますが、まずご安心してご使用いただけます」。
話はそれるが「パタリロ」に出てきた「不運クジ」を思い出す。マリネラ王国で宝くじが売り出された。「売り出された」というよりは、そのクジを受け取った人は、一等に当たらない限り一万円(一万マリネラ?)もらえるのである。ただ一等に当たると死刑にされる。その「不運クジ」の主催者パタリロは、クジを受け取った人間に掛けた生命保険で儲けを上げようともくろんでいた。一等に当たる確率は十万人に一人とか、とにかく交通事故で死ぬよりも低い確率だ、などと宣伝し国民を安心させ、そのクジを「買わせる」。
オチはどんなだったっけ……たしかタマネギが一等に当たったような気がする。これ、落語が元ネタなんじゃないかと誰かに聞いたが、その落語を知らない。ご存知の方、いらっしゃいますか?
浮遊レンズの話で思い出したけれど、姉とどういう話の流れからだったか、女性のお化粧について喋ったことがあった。とにかく最近は、化粧品も優れたものが出ていて、美容業界も日進月歩、街を歩いている美しい女性も、ほとんどは化粧を落とせば素顔はまるで別な顔、ということも考えられる。美容整形の技術も進んでいて、とくにアメリカでは整形に対する抵抗のない女性が多く、ハリウッド女優でも五十はゆうに超えているはずなのに、不自然なほどしわのない顔の人がいる。顔面の皮膚を加工しているのがありありと判り、その若さへの執着は痛々しいほどだ。
で、究極の化粧、美容の技術の終着点は何だろうという話になったのだが、それは例えば両肩に小さな立体映像投射機を装着し、その女性の頭部のところに思いのままの美人の顔をホログラムとして映し出す、そういうものではないか、という馬鹿な結論になった。
そういう話をしたのが五年ほど前で、はじめは冗談で言ったことだったが待てよ、これはあるいは技術的に可能なことかも知れない、と考え始めた。
そもそもテレビジョンの原理とは、無数の静止画を高速度でつぎつぎ映して見せることである。その一つひとつの静止画をホログラム画像にすることは可能である。つまり立体映像を動画として記録再生することは原理的には難しくない。だから人間の頭部のところに、別人の顔が笑ったりまばたきする動画を立体として映すことも可能なのである。問題になるのは、たとえばある女性の理想とする美人の顔の立体映像が、その女性が笑えば笑い、まばたきすればまばたきするというように、使用者と立体映像の表情を連動させることである。僕は、まず使用者の女性の顔の動きはそのままホログラム動画として記録し、それを再生する際には「整形関数」というものを用いて、美人の顔の動きとして像を結ぶようにする方針を採った。
整形関数とは、簡単に言えばもとの女性の顔の各点の座標を、美人の顔の対応する点に移すというものである。つまりたとえば、もとの女性の口の周りが美人の口の周りとして変換されて、したがってもとの女性が笑えば立体映像の美人も笑うのである。
しかし人間の表情というのは複雑極まりなく、目的の美人の映像が自然な表情を見せるためには、ただひとつの関数でデータを変換するのではもちろん足りない。だからおおもととなるひとつの整形関数で変換された顔のデータを、別に用意した多くのアルゴリズムで補正してやらなければならないのだが、この辺の話はかなり込み入っているから割愛しよう。
僕は試行錯誤ののち、どうやら満足できるぐらいの整形関数を一つ作り上げた。「もとの女性」のモデルとしては姉に協力してもらい、「理想の美人像」としてはオードリー・ヘップバーンの顔を使った。ホログラム動画の記録再生装置は、実用化はまだされていなかったが研究している機関はいくつもあったから、苦労してその試作品を分けてもらい、それに整形関数を組み込んだ。じっさい姉の表情の変化に応じて、ヘップバーンの立体映像が見せる笑ったり怒ったりの自然な表情は見ものだった!
装置はこれである意味ひとつの完成を見たのだが、実用化にはまだ遠い道のりがあった。つまりこの装置はまだ「人間の両肩にさりげなく乗る」ような小さな物ではなかったのである。「もとの女性」の顔の動きを記録し、美人の顔の動きに変換してただちに映写する「生中継」をやる必要があるのだが、これは小さな装置一つでやるのはなかなか困難なことなのである。そもそもホログラムというのは、通常のカラー画像が持っている「光の光強度と波長」という情報に加え、「光の位相」の情報を持つことによって立体に見える。この「位相」を記録するためには、一つのレーザー光を「ビームスプリッタ」により二つに分解し、一方を被写体にあて他方を鏡に当てて反射させ……いや、あまり長々とした技術の話はきっと退屈だろう。
僕は小型化の前にこの装置の特許を取り、実際の小型化の研究はある電機メーカーがやることになった。そして今年の二月ごろ、かなり実用可能に近い段階まで小型化に成功したらしい。来年の秋ぐらいには発売にこぎつけるだろうとも聞いたから、世間があっと驚くのが今から楽しみである。
もちろんこの発明の話はすべて嘘である。
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生徒の開いている四十センチほど先のテキストの文字がよく見えない。とくにxとかyの右上の、2乗とか3乗とかの文字が識別できない。顔を一生懸命近づけて判読しようとしていると、生徒も最近は慣れてきて「2乗です」とか教えてくれる。優しい子たちだ。顔を近づけるのは、老眼で顔を遠ざけて読もうとする姿よりは見映えがいいのでは、と勝手に考えたりしている。
眼が悪くなったのは、PCに向かう時間が多くなったせいかも知れない。
ふだんは上の写真の右の眼鏡をかけているが、さらに度の強いレンズに替えるべきか。いちど思い切ってコンタクトにしてみようか。僕はコンタクトをしたことがない。あのレンズが眼球と眼窩の間に滑り落ちて取れなくなったら、と思うと怖いのだ。しかしコンタクトをつけたまま寝起きして一週間ぐらい平気、という人も知っている。だから、それほど怖くないのかも知れない。
コンタクトか……青い色つきのコンタクトにして外人になりすますのも面白いだろうな。
しかし新しいフレームの眼鏡も欲しい。写真の左の眼鏡、丸いレンズのジョン・レノン風で、以前は痩せていて面長だったから似合っていたと思うが、最近は自分の顔にそぐわない気がする。
すっかり鼻に眼鏡の跡がついてしまった。耳の上も時々うっとうしく感じる。むかし眉村卓さんのショートショートで読んだ、「未来の眼鏡」の広告を思い出す。
「耳や鼻に引っ掛ける必要のない“レンズだけ”のニュー・タイプの眼鏡。極微の重力制御装置を内蔵、レンズだけが常にあなたの眼前の一定位置に浮遊しています。おしゃれ度満点。ただ装置の故障により、一億人に一人程度の確率で首から上だけが異次元に行ってしまいますが、まずご安心してご使用いただけます」。
話はそれるが「パタリロ」に出てきた「不運クジ」を思い出す。マリネラ王国で宝くじが売り出された。「売り出された」というよりは、そのクジを受け取った人は、一等に当たらない限り一万円(一万マリネラ?)もらえるのである。ただ一等に当たると死刑にされる。その「不運クジ」の主催者パタリロは、クジを受け取った人間に掛けた生命保険で儲けを上げようともくろんでいた。一等に当たる確率は十万人に一人とか、とにかく交通事故で死ぬよりも低い確率だ、などと宣伝し国民を安心させ、そのクジを「買わせる」。
オチはどんなだったっけ……たしかタマネギが一等に当たったような気がする。これ、落語が元ネタなんじゃないかと誰かに聞いたが、その落語を知らない。ご存知の方、いらっしゃいますか?
浮遊レンズの話で思い出したけれど、姉とどういう話の流れからだったか、女性のお化粧について喋ったことがあった。とにかく最近は、化粧品も優れたものが出ていて、美容業界も日進月歩、街を歩いている美しい女性も、ほとんどは化粧を落とせば素顔はまるで別な顔、ということも考えられる。美容整形の技術も進んでいて、とくにアメリカでは整形に対する抵抗のない女性が多く、ハリウッド女優でも五十はゆうに超えているはずなのに、不自然なほどしわのない顔の人がいる。顔面の皮膚を加工しているのがありありと判り、その若さへの執着は痛々しいほどだ。
で、究極の化粧、美容の技術の終着点は何だろうという話になったのだが、それは例えば両肩に小さな立体映像投射機を装着し、その女性の頭部のところに思いのままの美人の顔をホログラムとして映し出す、そういうものではないか、という馬鹿な結論になった。
そういう話をしたのが五年ほど前で、はじめは冗談で言ったことだったが待てよ、これはあるいは技術的に可能なことかも知れない、と考え始めた。
そもそもテレビジョンの原理とは、無数の静止画を高速度でつぎつぎ映して見せることである。その一つひとつの静止画をホログラム画像にすることは可能である。つまり立体映像を動画として記録再生することは原理的には難しくない。だから人間の頭部のところに、別人の顔が笑ったりまばたきする動画を立体として映すことも可能なのである。問題になるのは、たとえばある女性の理想とする美人の顔の立体映像が、その女性が笑えば笑い、まばたきすればまばたきするというように、使用者と立体映像の表情を連動させることである。僕は、まず使用者の女性の顔の動きはそのままホログラム動画として記録し、それを再生する際には「整形関数」というものを用いて、美人の顔の動きとして像を結ぶようにする方針を採った。
整形関数とは、簡単に言えばもとの女性の顔の各点の座標を、美人の顔の対応する点に移すというものである。つまりたとえば、もとの女性の口の周りが美人の口の周りとして変換されて、したがってもとの女性が笑えば立体映像の美人も笑うのである。
しかし人間の表情というのは複雑極まりなく、目的の美人の映像が自然な表情を見せるためには、ただひとつの関数でデータを変換するのではもちろん足りない。だからおおもととなるひとつの整形関数で変換された顔のデータを、別に用意した多くのアルゴリズムで補正してやらなければならないのだが、この辺の話はかなり込み入っているから割愛しよう。
僕は試行錯誤ののち、どうやら満足できるぐらいの整形関数を一つ作り上げた。「もとの女性」のモデルとしては姉に協力してもらい、「理想の美人像」としてはオードリー・ヘップバーンの顔を使った。ホログラム動画の記録再生装置は、実用化はまだされていなかったが研究している機関はいくつもあったから、苦労してその試作品を分けてもらい、それに整形関数を組み込んだ。じっさい姉の表情の変化に応じて、ヘップバーンの立体映像が見せる笑ったり怒ったりの自然な表情は見ものだった!
装置はこれである意味ひとつの完成を見たのだが、実用化にはまだ遠い道のりがあった。つまりこの装置はまだ「人間の両肩にさりげなく乗る」ような小さな物ではなかったのである。「もとの女性」の顔の動きを記録し、美人の顔の動きに変換してただちに映写する「生中継」をやる必要があるのだが、これは小さな装置一つでやるのはなかなか困難なことなのである。そもそもホログラムというのは、通常のカラー画像が持っている「光の光強度と波長」という情報に加え、「光の位相」の情報を持つことによって立体に見える。この「位相」を記録するためには、一つのレーザー光を「ビームスプリッタ」により二つに分解し、一方を被写体にあて他方を鏡に当てて反射させ……いや、あまり長々とした技術の話はきっと退屈だろう。
僕は小型化の前にこの装置の特許を取り、実際の小型化の研究はある電機メーカーがやることになった。そして今年の二月ごろ、かなり実用可能に近い段階まで小型化に成功したらしい。来年の秋ぐらいには発売にこぎつけるだろうとも聞いたから、世間があっと驚くのが今から楽しみである。
もちろんこの発明の話はすべて嘘である。
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
No.85
2009/10/16 (Fri) 04:58:04
大阪は今日もお天気です。たまには雨でも降ってくれたほうが涼しくなるのに、とも思いますが、毎日ぎらぎらと太陽が照りつけています。塾の仕事は開始時間が不規則で、今日は夕方まで暇なのでだらだらと日記を書いてみます。
中一の生徒を教えていて最近感じるのは、身につけるべき事項が機械的な計算が多く、テキストを進めていても変化に乏しくて、しばしば退屈な授業になってしまうということです。中学に入って、「算数」が「数学」と名を変え生徒が難しく感じがちなのが、文字式のようです。「200円のものを4個買いました。合計金額はいくら?」のような問題が、「200円のものをa個買いました……」となって、aのような抽象的な文字が出てきます。具体的に「4個」とかなら、200×4とすぐに「掛け算すればいいんだな」と分かるようですが、aとなったとたんに200+aなのか200×aなのか分からなくなったりするようです。
文字式にそろそろ慣れてきたと思ったら、つまらないトラップを仕込んだ問題が出てくることがあります。
「1リットルの水が入った水槽から、aデシリットルずつ5回水をくみ出しました。残りは何リットル?」のようなものです。
「リットル」と「デシリットル」が混ざっているけれど、最後に尋ねているのは「何リットル」だから、「デシリットル」という単位を「リットル」に直す必要がある。数学をやる人に特有の「重箱の隅をつつくような細かい注意深さ」をこの段階から身に付けてもらおうという事でしょうか。注意深さはもちろん重要でしょうが、そうした訓練はどうも辛気臭くなりがちです。
苦労して「aデシリットル=(1/10)aリットル」と自分で直せるようになったとしても、それ自体は面白くもなんともない。
そこで面白みのある雑談でもと思い、以前書店で立ち読みした『新しい単位の辞典』という本の話をしたら結構もりあがりました。この本の内容は詳しくは覚えていないのですが、われわれがふだん感じるいろんな感覚を数値化するために、新しい単位を作ろうと試みていました。
たとえば、喫茶店でジュースを飲むとき、コップの口に果物、ことにパイナップルなどがささっていたら、ちょっと豪華な感じがします。そこで、その程度の豪華さのことを1pnp(1パイナポー)と呼ぶことにする。では例えば、箱入りのせんべいをもらって、ふたを開けてみたらさらに綺麗な和紙でせんべいがくるまれていたらどうでしょう。3パイナポーぐらいの豪華さを感じないでしょうか。で、その生徒に、夕食のおかずに何が出てきたらいちばん豪華だと感じるかと聞いたら、それはアワビだとのことでした。彼の言うには、それは7パイナポーぐらいの豪華さだそうです。
『新しい単位の辞典』に載っていたものであと僕が覚えているのは、ガッカリ度を示すnpr(ニッポリ)という単位です。
関西に住んでいるとよく分からないのですが、東京では「あこがれの美人の女の子が日暮里に住んでいると知ったら、ちょっとガッカリする」のだそうです。日暮里という所は、おそらくちょっとひなびた、そこに住んでいるというのがややカッコ悪いと感じさせる場所なのでしょう。で、「あこがれの女の子が日暮里に住んでいるのを知った」程度のガッカリ度を、1npr(1ニッポリ)とする。では、雨の日に公衆便所に入り、その後ずぶぬれになって帰宅したときに、その公衆便所に財布を落としてきたのに気付いたとしたらどうでしょう。推測でしかないのですが、おそらくこれは80ニッポリぐらいのガッカリ度ではないでしょうか。しかし、大阪の中学一年の生徒には日暮里がどうしてもイメージできないらしく、単位ニッポリの話は出来ませんでした。
あとは僕が創作した単位なのですが、たとえばシャーペンを人に貸したとき、後ろの消しゴムを使われると少しムッときます。その消しゴムはあくまでシャーペンの芯を入れるときのフタであって、基本的には使うべきものではないという考えの人が結構いるわけです。そこで、その程度のムカツキのことを1spk(1シャーペンケシゴム)と呼ぶことにする。では例えば、停めていた自転車の前かごにジュースの空き缶が放り込まれていたら、それはどの程度のムカツキでしょう。僕はこれは15シャーペンケシゴムぐらいのムカツキを感じます。で、その話をしていたときの生徒がテニス部に入っているとの事なので、もし自分のラケットが知らない間に誰かにバキッと折られていたら、どれぐらいムカつくか聞いてみました。彼は500シャーペンケシゴムと答えました。ラケットはそれほど彼にとって大事なものだったのです。
次に、ラッキー度というものを考えました。塾に来たときに、僕が急遽来られなくなって授業が中止になったときに感じる程度のラッキーさを、1nym(1ntr ヤスミ)とする。では朝、ハシカか何かのために急に学級閉鎖で学校が休みになったと知ったときのラッキー度はどのくらいかと尋ねました。答えは30nymでした。僕はちょっと嬉しかったです。僕の授業は彼にとって、学校の30分の1程度のイヤさしか感じないという事ですから(もっとも彼も僕に気を使ったのかも知れませんが)。では学校が急に爆発して、3ヶ月ぐらい学校が休みになったら? と尋ねると、それは500nymぐらいだとのことでした。そりゃ嬉しいですよね。3ヶ月の休みだなんて。
いつもより身近な話題の日記になりましたが、皆さんも新しい単位を作って遊んでみませんか。
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
中一の生徒を教えていて最近感じるのは、身につけるべき事項が機械的な計算が多く、テキストを進めていても変化に乏しくて、しばしば退屈な授業になってしまうということです。中学に入って、「算数」が「数学」と名を変え生徒が難しく感じがちなのが、文字式のようです。「200円のものを4個買いました。合計金額はいくら?」のような問題が、「200円のものをa個買いました……」となって、aのような抽象的な文字が出てきます。具体的に「4個」とかなら、200×4とすぐに「掛け算すればいいんだな」と分かるようですが、aとなったとたんに200+aなのか200×aなのか分からなくなったりするようです。
文字式にそろそろ慣れてきたと思ったら、つまらないトラップを仕込んだ問題が出てくることがあります。
「1リットルの水が入った水槽から、aデシリットルずつ5回水をくみ出しました。残りは何リットル?」のようなものです。
「リットル」と「デシリットル」が混ざっているけれど、最後に尋ねているのは「何リットル」だから、「デシリットル」という単位を「リットル」に直す必要がある。数学をやる人に特有の「重箱の隅をつつくような細かい注意深さ」をこの段階から身に付けてもらおうという事でしょうか。注意深さはもちろん重要でしょうが、そうした訓練はどうも辛気臭くなりがちです。
苦労して「aデシリットル=(1/10)aリットル」と自分で直せるようになったとしても、それ自体は面白くもなんともない。
そこで面白みのある雑談でもと思い、以前書店で立ち読みした『新しい単位の辞典』という本の話をしたら結構もりあがりました。この本の内容は詳しくは覚えていないのですが、われわれがふだん感じるいろんな感覚を数値化するために、新しい単位を作ろうと試みていました。
たとえば、喫茶店でジュースを飲むとき、コップの口に果物、ことにパイナップルなどがささっていたら、ちょっと豪華な感じがします。そこで、その程度の豪華さのことを1pnp(1パイナポー)と呼ぶことにする。では例えば、箱入りのせんべいをもらって、ふたを開けてみたらさらに綺麗な和紙でせんべいがくるまれていたらどうでしょう。3パイナポーぐらいの豪華さを感じないでしょうか。で、その生徒に、夕食のおかずに何が出てきたらいちばん豪華だと感じるかと聞いたら、それはアワビだとのことでした。彼の言うには、それは7パイナポーぐらいの豪華さだそうです。
『新しい単位の辞典』に載っていたものであと僕が覚えているのは、ガッカリ度を示すnpr(ニッポリ)という単位です。
関西に住んでいるとよく分からないのですが、東京では「あこがれの美人の女の子が日暮里に住んでいると知ったら、ちょっとガッカリする」のだそうです。日暮里という所は、おそらくちょっとひなびた、そこに住んでいるというのがややカッコ悪いと感じさせる場所なのでしょう。で、「あこがれの女の子が日暮里に住んでいるのを知った」程度のガッカリ度を、1npr(1ニッポリ)とする。では、雨の日に公衆便所に入り、その後ずぶぬれになって帰宅したときに、その公衆便所に財布を落としてきたのに気付いたとしたらどうでしょう。推測でしかないのですが、おそらくこれは80ニッポリぐらいのガッカリ度ではないでしょうか。しかし、大阪の中学一年の生徒には日暮里がどうしてもイメージできないらしく、単位ニッポリの話は出来ませんでした。
あとは僕が創作した単位なのですが、たとえばシャーペンを人に貸したとき、後ろの消しゴムを使われると少しムッときます。その消しゴムはあくまでシャーペンの芯を入れるときのフタであって、基本的には使うべきものではないという考えの人が結構いるわけです。そこで、その程度のムカツキのことを1spk(1シャーペンケシゴム)と呼ぶことにする。では例えば、停めていた自転車の前かごにジュースの空き缶が放り込まれていたら、それはどの程度のムカツキでしょう。僕はこれは15シャーペンケシゴムぐらいのムカツキを感じます。で、その話をしていたときの生徒がテニス部に入っているとの事なので、もし自分のラケットが知らない間に誰かにバキッと折られていたら、どれぐらいムカつくか聞いてみました。彼は500シャーペンケシゴムと答えました。ラケットはそれほど彼にとって大事なものだったのです。
次に、ラッキー度というものを考えました。塾に来たときに、僕が急遽来られなくなって授業が中止になったときに感じる程度のラッキーさを、1nym(1ntr ヤスミ)とする。では朝、ハシカか何かのために急に学級閉鎖で学校が休みになったと知ったときのラッキー度はどのくらいかと尋ねました。答えは30nymでした。僕はちょっと嬉しかったです。僕の授業は彼にとって、学校の30分の1程度のイヤさしか感じないという事ですから(もっとも彼も僕に気を使ったのかも知れませんが)。では学校が急に爆発して、3ヶ月ぐらい学校が休みになったら? と尋ねると、それは500nymぐらいだとのことでした。そりゃ嬉しいですよね。3ヶ月の休みだなんて。
いつもより身近な話題の日記になりましたが、皆さんも新しい単位を作って遊んでみませんか。
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目次
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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
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