『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.660
2013/09/09 (Mon) 20:40:13
誰かが病気をよそおって保険金をだまし取ったあと、その嘘がばれた場合などに「あの病気は狂言だった」というふうに言われることがあるが、あれもよく考えると変な話である。
たとえば心臓病のふりをする人がいて、しかもそれが狂言だというなら、「さてもさても胸が痛いことでごじゃる」などと独特の節回しで言うはずだから、見た人は「これは狂言だ」とすぐに気付くはずなのである。あとになってあれは狂言だったと思い至るほどに鈍い人は、厳しいようだがお金をだまし取られても仕方がないといえよう。
映画「カリオストロの城」のラストシーンでは、カリオストロ伯爵が時計台に登って山羊の紋章の両目に金と銀の指輪を差し込むと、辺りの水が引いてローマの街が出てくるのだった。ただこれは金銀の指輪を入れる穴の左右を間違えたためであり、正しく指輪を入れれば、辺りの水が引いたあとローマの偽札工場が出てくるはずだったのである。そしてカリオストロ公国は偽札事業をさらに拡張してますます発展するはずだったのだ。ただしそうなったときは、クラリスは新たな偽札工場に目の色を変え、心を盗むの盗まれるのと言っている場合ではなくなり、ルパンも銭形も幻滅しつつ日本に帰っていくという残念な展開になっていたに違いない。
ところで道頓堀の有名なグリコの看板も、同様に両目に穴が開いており、しかるべき金と銀の指輪をそこに差し込めば、轟音とともに道頓堀川の水が引いていくのである。ただしこの場合、川の底から出てくるのは錆びた自転車などの鉄くずと、阪神ファンの二三の白骨死体だけである。
特撮ヒーローものの怪獣の着ぐるみは、通気性が悪く、それを長時間着ていると息苦しいだけでなく、汗が蒸発しないためむれて非常に不快であるらしい。漫画「ブラック・ジャック」のあるエピソードでは、怪獣役の俳優が、不潔な着ぐるみを長期にわたって着つづけたために両足が象皮病になってしまうのだった。象皮病は皮膚が異常に膨張ししわが寄って固くなり、象のようになってしまう病気である。では象に怪獣の着ぐるみを着せたら、さらに象っぽくなるのだろうか。「さらに象っぽい」といったときの象っぽさの基準がどういうものかよく分からないが、仮にそれが「象の原種に近い」という意味なら、マンモスのように毛が生えてくるのかも知れない。
雑誌「ニュートン」の九月号によると、ティラノサウルスは最新の研究によれば、頭にふさふさとしたたてがみが生えていたとのことである。その想像図も載っていたが、それは昔から抱いてきたティラノサウルスのイメージとはかなり違ったものだった。
頭に毛が生えていたというなら、ティラノサウルスの間にはハゲという概念もあっただろう。ヅラもあったかも知れない。狩りをするときもヅラがはずれないよう気を付けているティラノサウルスというのは、なんと哀愁を誘う存在だろう。若いティラノサウルスなら、たてがみを茶髪にしてみたり金髪にしたり、おしゃれを楽しんでいたかも知れない。野球部のティラノサウルスはやはり丸刈りだろう。
(c) 2013 ntr ,all rights reserved.
たとえば心臓病のふりをする人がいて、しかもそれが狂言だというなら、「さてもさても胸が痛いことでごじゃる」などと独特の節回しで言うはずだから、見た人は「これは狂言だ」とすぐに気付くはずなのである。あとになってあれは狂言だったと思い至るほどに鈍い人は、厳しいようだがお金をだまし取られても仕方がないといえよう。
映画「カリオストロの城」のラストシーンでは、カリオストロ伯爵が時計台に登って山羊の紋章の両目に金と銀の指輪を差し込むと、辺りの水が引いてローマの街が出てくるのだった。ただこれは金銀の指輪を入れる穴の左右を間違えたためであり、正しく指輪を入れれば、辺りの水が引いたあとローマの偽札工場が出てくるはずだったのである。そしてカリオストロ公国は偽札事業をさらに拡張してますます発展するはずだったのだ。ただしそうなったときは、クラリスは新たな偽札工場に目の色を変え、心を盗むの盗まれるのと言っている場合ではなくなり、ルパンも銭形も幻滅しつつ日本に帰っていくという残念な展開になっていたに違いない。
ところで道頓堀の有名なグリコの看板も、同様に両目に穴が開いており、しかるべき金と銀の指輪をそこに差し込めば、轟音とともに道頓堀川の水が引いていくのである。ただしこの場合、川の底から出てくるのは錆びた自転車などの鉄くずと、阪神ファンの二三の白骨死体だけである。
特撮ヒーローものの怪獣の着ぐるみは、通気性が悪く、それを長時間着ていると息苦しいだけでなく、汗が蒸発しないためむれて非常に不快であるらしい。漫画「ブラック・ジャック」のあるエピソードでは、怪獣役の俳優が、不潔な着ぐるみを長期にわたって着つづけたために両足が象皮病になってしまうのだった。象皮病は皮膚が異常に膨張ししわが寄って固くなり、象のようになってしまう病気である。では象に怪獣の着ぐるみを着せたら、さらに象っぽくなるのだろうか。「さらに象っぽい」といったときの象っぽさの基準がどういうものかよく分からないが、仮にそれが「象の原種に近い」という意味なら、マンモスのように毛が生えてくるのかも知れない。
雑誌「ニュートン」の九月号によると、ティラノサウルスは最新の研究によれば、頭にふさふさとしたたてがみが生えていたとのことである。その想像図も載っていたが、それは昔から抱いてきたティラノサウルスのイメージとはかなり違ったものだった。
頭に毛が生えていたというなら、ティラノサウルスの間にはハゲという概念もあっただろう。ヅラもあったかも知れない。狩りをするときもヅラがはずれないよう気を付けているティラノサウルスというのは、なんと哀愁を誘う存在だろう。若いティラノサウルスなら、たてがみを茶髪にしてみたり金髪にしたり、おしゃれを楽しんでいたかも知れない。野球部のティラノサウルスはやはり丸刈りだろう。
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No.659
2013/09/09 (Mon) 20:38:38
数学者の秋山仁は、中学高校までの数学だったか、とにかく数学ができるためには次の四つの能力があれば十分だ、とどこかで書いていた。
1 下駄箱に靴をそろえて入れることができる
2 辞書が引ける
3 カレーライスが作れる
4 最寄駅から自宅までの地図が描ける
1の靴をそろえられるということは「1対1の対応」の概念が理解できているということで、2の辞書が引ける、すなわち辞書で目的の単語を見つけられるというのは「順序」の概念が分かっているということであり、3のカレーが作れるというのは「手順を整理し観察・実行」ができるということを意味し、4の地図が描けるということは「抽象能力」がある(3次元のものを2次元に移して考えられる、よけいな風景を省いて道順だけ抜き出して描ける、といった)……という意味だそうだ。
この話は森重文がフィールズ賞を受賞したとき、新聞記者の取材を受けた秋山氏が、森理論は分からないからというので、とっさに思いついてサービスで披露したのが最初らしい。
即席で考えたにしては見事なたとえ話だが、ただ最初の下駄箱に靴を入れられるから1対1対応が分かっているというのはどうか、ちょっとリップサービスが過ぎるような気がしないでもない。
一口に1対1対応と言っても難易度はピンからキリまであって、高度なものになると相当に思考力を研ぎ澄まさなければ理解できないものである。簡単な例から考えてみよう。
(例1) 教室にいる生徒がすべて着席している。このとき生徒の数と椅子の数ではどちらが多いか?
そう尋ねられて教室にいる生徒をいちいち数える人はいないだろう。生徒が全員座れているのだから椅子が生徒より少ないはずはない。つまり
生徒の数 ≦ 椅子の数
である。この場合なかば無意識的にだろうけれど、生徒と椅子を1対1に対応付けているのである。
(例2) 1 + 2 + 3 + … + 100 を計算せよ。
これは高校で公式を習うし、多少とも数学に縁のある生活をしている人は即座に計算できるかも知れない。これは
S = 1 + 2 + 3 + … + 100
とおいてみて、逆さまの順序で足し算したものをその下に書いてみると
S = 1 + 2 + 3 + … + 98 + 99 + 100
S = 100 + 99 + 98 + … + 3 + 2 + 1
上と下を見比べてみると、1 と100, 2 と99, 3 と 98 … といった具合に数が上下に並んでいる。上の段は数が1つずつ増えていき、下の段は数が1つずつ減っていくのだから、このばあい上下に並んでいる2つの数字を足したものはいつも101であるはずだ。だから上のS と下のS を加えたものは
2S = 101 + 101 + 101 + … + 101 ( 101 を 100個足し合わせたもの)
= 101×100 = 10100.
2S = 10100 なのだから、結局知りたかった答えは
S = 10100÷2 = 5050
である。この場合、足して101になる2つの数字を対応させられるかどうかが鍵になる。これも1対1の対応だが、何と何を対応させればよいのか発見するところに飛躍が必要となる。
(例3)50チームが参加する野球の大会でトーナメント戦をする。優勝チームが決まるまでに何試合おこなわれるか?
実際に50チーム書き出して対戦表を作り、試合数を数えるのはかなり手間がかかる。
トーナメント戦とはどういうものか考えてみよう。高校野球などでよく見るように、トーナメントでは1度負けるとそのチームは大会から去らなければならない。つまり1試合おこなえば1チーム負け去るのであり、試合で負ける以外の理由でチームが去っていくことはない。ということは
行った試合数 = 大会から去っていったチームの数
ということになる。そして優勝チームが決まるということは、そのチーム以外の49チームが負け去ることを意味する。だから結局この大会では49試合おこなわれたことになる。答えは49試合。
試合数と負け去ったチームの数を対応させるというのはかなり高度な思考である。何もヒントを与えられずにこういうことを思いつくとしたらそのほうが異常である。その人はすぐに数学者を目指したほうが良い。
上にあげた3つの例は比較的有名な問題で「そんなことは知っている」と退屈した人もいるかも知れない。だから最後にもっと高度な例をあげてみる。
記号をいくつか用意する。
正の整数 a, b に対してその最大公約数を ( a, b ) で表す。とくに ( a, b ) = 1 のとき、a, b は「互いに素である」という。
正の整数 n に対して、n よりも小さく n と互いに素な正の整数の個数をφ( n ) で表す。記号で書けば
φ( n ) = ♯{ m | 1≦m≦n, ( m, n ) = 1 }
となる。ただし ♯ はその後ろに書かれている集合の要素の個数を表す。ちなみにφ( n ) はオイラーの関数と呼ばれている。そこで次の問題である。
(例4)正の整数 n に対して
n = Σφ( d ) (ただし d は n を割り切る正の整数)
を証明せよ。
つまり n を割り切るようなすべての d について φ( d ) を考え、それらをすべて足し合わせたのがΣφ( d ) である。
ここで d_1, d_2, … , d_k をn の正の約数のすべてだとすると、証明すべき式は
n = Σφ( d_i ) (ただしi は1からkまでの整数をわたる)
と書ける。また
N = { 1, 2, 3, … , n },
i = 1, 2, … , k に対し D_i = { [ m, d_i ] | 1≦m≦d_i, ( m, d_i ) = 1 } とすると
♯D_i = φ( d_i ), ♯( D_1∪D_2∪…∪D_k ) = Σφ( d_i ) だから
集合Nと集合D_1∪D_2∪…∪D_k の要素間に1対1の対応がつけば、証明すべき式が示される。
さて1≦m≦n であるような整数 m に対し( m, n ) = c だったとする。m, n をそれらの最大公約数 c で割った m/c, n/c を考えると、この2数の公約数はもはや1しかないはずである: ( m/c, n/c ) = 1. また 1≦m/c≦n/c である。n/c は n の約数であり、d = n/c とおくと ( m/c, d ) = 1 で、m/c は d より小さくて d と互いに素な整数である。つまりあるj に対し [ m/c, d ] はD_j の要素で、したがって D_1∪D_2∪…∪D_k の要素である。そこでmに[ m/c, d ]を対応させ、この対応をf とする:f (m) = [ m/c, d ]. f は集合NからD_1∪D_2∪…∪D_kへの対応を与えている。
他方d を新たにnの任意の約数とし、d = n/c だったとする。そこで 1≦m≦d, ( m, d ) = 1 を満たす整数 m をとってくると、あるj に対し[ m, d ] はD_j の要素で、したがって D_1∪D_2∪…∪D_k の要素である。n = cd だから 1≦cm≦n, ( cm, n ) = c. よってcmはNの要素となる。そこで [ m, d ]に対してcmを対応させ、この対応をgとする:g ([ m, d ]) = cm. gは集合D_1∪D_2∪…∪D_k からNへの対応を与えており、明らかに f の逆の対応となっている。これによって、集合NとD_1∪D_2∪…∪D_kの間に1対1の対応があることが分かり、証明は終わった。
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1 下駄箱に靴をそろえて入れることができる
2 辞書が引ける
3 カレーライスが作れる
4 最寄駅から自宅までの地図が描ける
1の靴をそろえられるということは「1対1の対応」の概念が理解できているということで、2の辞書が引ける、すなわち辞書で目的の単語を見つけられるというのは「順序」の概念が分かっているということであり、3のカレーが作れるというのは「手順を整理し観察・実行」ができるということを意味し、4の地図が描けるということは「抽象能力」がある(3次元のものを2次元に移して考えられる、よけいな風景を省いて道順だけ抜き出して描ける、といった)……という意味だそうだ。
この話は森重文がフィールズ賞を受賞したとき、新聞記者の取材を受けた秋山氏が、森理論は分からないからというので、とっさに思いついてサービスで披露したのが最初らしい。
即席で考えたにしては見事なたとえ話だが、ただ最初の下駄箱に靴を入れられるから1対1対応が分かっているというのはどうか、ちょっとリップサービスが過ぎるような気がしないでもない。
一口に1対1対応と言っても難易度はピンからキリまであって、高度なものになると相当に思考力を研ぎ澄まさなければ理解できないものである。簡単な例から考えてみよう。
(例1) 教室にいる生徒がすべて着席している。このとき生徒の数と椅子の数ではどちらが多いか?
そう尋ねられて教室にいる生徒をいちいち数える人はいないだろう。生徒が全員座れているのだから椅子が生徒より少ないはずはない。つまり
生徒の数 ≦ 椅子の数
である。この場合なかば無意識的にだろうけれど、生徒と椅子を1対1に対応付けているのである。
(例2) 1 + 2 + 3 + … + 100 を計算せよ。
これは高校で公式を習うし、多少とも数学に縁のある生活をしている人は即座に計算できるかも知れない。これは
S = 1 + 2 + 3 + … + 100
とおいてみて、逆さまの順序で足し算したものをその下に書いてみると
S = 1 + 2 + 3 + … + 98 + 99 + 100
S = 100 + 99 + 98 + … + 3 + 2 + 1
上と下を見比べてみると、1 と100, 2 と99, 3 と 98 … といった具合に数が上下に並んでいる。上の段は数が1つずつ増えていき、下の段は数が1つずつ減っていくのだから、このばあい上下に並んでいる2つの数字を足したものはいつも101であるはずだ。だから上のS と下のS を加えたものは
2S = 101 + 101 + 101 + … + 101 ( 101 を 100個足し合わせたもの)
= 101×100 = 10100.
2S = 10100 なのだから、結局知りたかった答えは
S = 10100÷2 = 5050
である。この場合、足して101になる2つの数字を対応させられるかどうかが鍵になる。これも1対1の対応だが、何と何を対応させればよいのか発見するところに飛躍が必要となる。
(例3)50チームが参加する野球の大会でトーナメント戦をする。優勝チームが決まるまでに何試合おこなわれるか?
実際に50チーム書き出して対戦表を作り、試合数を数えるのはかなり手間がかかる。
トーナメント戦とはどういうものか考えてみよう。高校野球などでよく見るように、トーナメントでは1度負けるとそのチームは大会から去らなければならない。つまり1試合おこなえば1チーム負け去るのであり、試合で負ける以外の理由でチームが去っていくことはない。ということは
行った試合数 = 大会から去っていったチームの数
ということになる。そして優勝チームが決まるということは、そのチーム以外の49チームが負け去ることを意味する。だから結局この大会では49試合おこなわれたことになる。答えは49試合。
試合数と負け去ったチームの数を対応させるというのはかなり高度な思考である。何もヒントを与えられずにこういうことを思いつくとしたらそのほうが異常である。その人はすぐに数学者を目指したほうが良い。
上にあげた3つの例は比較的有名な問題で「そんなことは知っている」と退屈した人もいるかも知れない。だから最後にもっと高度な例をあげてみる。
記号をいくつか用意する。
正の整数 a, b に対してその最大公約数を ( a, b ) で表す。とくに ( a, b ) = 1 のとき、a, b は「互いに素である」という。
正の整数 n に対して、n よりも小さく n と互いに素な正の整数の個数をφ( n ) で表す。記号で書けば
φ( n ) = ♯{ m | 1≦m≦n, ( m, n ) = 1 }
となる。ただし ♯ はその後ろに書かれている集合の要素の個数を表す。ちなみにφ( n ) はオイラーの関数と呼ばれている。そこで次の問題である。
(例4)正の整数 n に対して
n = Σφ( d ) (ただし d は n を割り切る正の整数)
を証明せよ。
つまり n を割り切るようなすべての d について φ( d ) を考え、それらをすべて足し合わせたのがΣφ( d ) である。
ここで d_1, d_2, … , d_k をn の正の約数のすべてだとすると、証明すべき式は
n = Σφ( d_i ) (ただしi は1からkまでの整数をわたる)
と書ける。また
N = { 1, 2, 3, … , n },
i = 1, 2, … , k に対し D_i = { [ m, d_i ] | 1≦m≦d_i, ( m, d_i ) = 1 } とすると
♯D_i = φ( d_i ), ♯( D_1∪D_2∪…∪D_k ) = Σφ( d_i ) だから
集合Nと集合D_1∪D_2∪…∪D_k の要素間に1対1の対応がつけば、証明すべき式が示される。
さて1≦m≦n であるような整数 m に対し( m, n ) = c だったとする。m, n をそれらの最大公約数 c で割った m/c, n/c を考えると、この2数の公約数はもはや1しかないはずである: ( m/c, n/c ) = 1. また 1≦m/c≦n/c である。n/c は n の約数であり、d = n/c とおくと ( m/c, d ) = 1 で、m/c は d より小さくて d と互いに素な整数である。つまりあるj に対し [ m/c, d ] はD_j の要素で、したがって D_1∪D_2∪…∪D_k の要素である。そこでmに[ m/c, d ]を対応させ、この対応をf とする:f (m) = [ m/c, d ]. f は集合NからD_1∪D_2∪…∪D_kへの対応を与えている。
他方d を新たにnの任意の約数とし、d = n/c だったとする。そこで 1≦m≦d, ( m, d ) = 1 を満たす整数 m をとってくると、あるj に対し[ m, d ] はD_j の要素で、したがって D_1∪D_2∪…∪D_k の要素である。n = cd だから 1≦cm≦n, ( cm, n ) = c. よってcmはNの要素となる。そこで [ m, d ]に対してcmを対応させ、この対応をgとする:g ([ m, d ]) = cm. gは集合D_1∪D_2∪…∪D_k からNへの対応を与えており、明らかに f の逆の対応となっている。これによって、集合NとD_1∪D_2∪…∪D_kの間に1対1の対応があることが分かり、証明は終わった。
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No.658
2013/09/09 (Mon) 20:35:49
楓橋夜泊 張継
月落烏啼霜満天
江楓漁火對愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半鐘聲到客船
月は天に落ちて闇の中に烏(からす)の鳴く声が聞こえる。厳しい霜の気配は天いっぱいに満ち満ちてもう夜明けかと思われた。
紅葉した岸の楓(かえで)、点々とともる川のいさり火が、旅の愁いの浅い眠りの目にチラチラと映る。
折も姑蘇の町はずれの寒山寺から、
夜半を知らせる鐘の音が、わが乗る船にまで聞こえて、ああ、まだ夜中だったか、と知られた。
張継は唐の時代の人で、中国の詩人の例にもれず官僚であり、詩もよくしたと伝えられるが、彼の詩で有名なのはこの一首のみのようである。秋の川べりの冷たい空気、紅葉といさり火の赤や黄色の色彩、いんいんと鳴り響く鐘の音、またそれらを詩としてつづる美しい文字の排列と、五感を通じて豊富なイメージが伝わってくる傑作である。
のちに宋代の文人・欧陽修がこの詩について「句は優れているが、夜中というのは鐘を打つ時ではない」と批判したが、しかし唐代には他にも夜中に鐘を打つ詩が多くあるという反論をうけた。どうも唐の時代には夜に鐘を突くことがあったらしいというのが穏当な結論のようだが、その後この議論がむしかえされたのか他の議論が持ち上がったのか、この詩は多くの論議のまとになり、それでますますこの作品の知名度が上がったとか。
鐘といえば、自分が通っていた仏教系の幼稚園の鐘の音を思い出す。夕方六時になると決まってその鐘が鳴った。近所にユウちゃんという幼なじみがいて、知恵遅れの子だったが、彼はお寺が大好きだった。中学以後は障がい者のための学校に行ったのか自然と会わなくなったが、子供のころは見晴らしのいい僕の家に来ると、遠くに見える幼稚園の鐘楼をよく眺めていたものだった。彼が僕の家に毎日遊びに来ていた時期は、家に上がると必ず自宅にあった千昌夫の「北国の春」のレコードを母にかけてもらい、二人で合唱した。合計すれば三百回は歌ったと思う。よくも同じ歌を飽きずに聴いて歌ったものだと思うが、幼児というのは誰しも猿のように同じことを繰り返して喜ぶものである。千昌夫も当時のユウちゃんと僕のような熱狂的なファンが爆発的に増えれば借金を全額返すのも夢ではないかも知れない。
僕らが通っていた幼稚園の建物は、たまたま建築家だった父が設計したのだった。だからさいしょ僕は幼稚園で、給食を多くもらえるとか物を壊しても怒られないとか、何らかの特別待遇が受けられることを期待していた。もちろんそんな特別待遇はなかった。学習院に通う皇族のお子様方だってそんな待遇は受けてはいないだろう。
父が幼稚園を設計したということで、とっちゃんという僕の親友は父を非常に尊敬した。そして子供というのはすぐに話を大きくするもので、とっちゃんはあつしという友達の前で、僕の父は幼稚園だけでなく我々の住む団地の建物、それに加え近所の消防署や十三駅も設計したのだと自慢げに言い放ち、しまいには大阪じゅうの名だたる建築物がすべて父の設計になってしまいそうな勢いだった。本当は父の設計した著名な建物は幼稚園だけであって、僕はそれを知っていたのだが、とっちゃんの熱弁に圧倒されてあつしがそれを信じていく光景が面白かったから黙って聞いていた。
鐘といってあと僕が思い出すのは、寺田寅彦と幸田露伴のやりとりに表れる「鐘に血ぬる」話である。孟子の梁恵王篇、齊宣王問章に、斉の宣王が「わたしのようなものでも人民の生活を安定させることができるだろうか」と問うたのに対し、孟子は「勿論できます」と答え、その根拠として、いぜん宣王が『新しく作った鐘に血を塗る(釁<ちぬ>る)儀式のため』今から殺されようとしている牛を見て、家来に「可哀そうだから助けてやれ」と言った話を引き、その仁慈の心を人民にも及ぼせば立派な王者たり得るだろうと主張した。そういう話がのっている。
寺田はこの鐘に釁(ちぬ)る、すなわち血を塗るというのはいったい何のためだろうかと露伴にしきりに尋ねたらしい。露伴は
「卒然として答えるには餘り多岐多端なことであるから、大要を語った後に、数日を費やして自分は自分の方の分内でそれに関することを記しつけた。勿論科学の方の事では無い、又科学のためにでもない。ただ君の問を機縁として、自分は自分の勝手な思付を書いたのである。おそらく君の予想の科学上の或考とは背いたことに自分の考は傾いていたかも知れない。君の研究に入用なのは蓋し鐘を鋳ることの方に属し、自分の研究は文字及び儀式のことの方に属していたからである」
と書いている(岩波・露伴全集第三十巻「寺田君をしのぶ」)。そしてこれについて「釁考」という大部の論考をものしている(露伴全集第十九巻)。これによると「釁(ちぬ)る」という言葉は、孟子での用例のように、犠牲の血をもって祭典を挙行するという意味に使われた場合が多いらしい。
ところで寺田寅彦の「鐘に釁る」という文章を読むと、寺田が露伴にこの質問をしたのは、油脂の金属への吸着という現象についての関心からだったらしい。その文中で彼は、古代人が鐘に血を塗ったのは、もとは純粋に宗教的な儀式だったかも知れないが、同時にそれで鐘にできたひびを血液が充填(じゅうてん)し鐘の音が良くなることに気づき、血を塗ることの実用性にも目を向けるようになったのではないか、と想像をたくましくしている。
およそ金属の表面というのはしばしば目に見えない油脂の被膜で覆われており、それが金属面の摩擦を著しく減少させるとのことで、その意味で金属と油脂との関係は重要であるけれど、油脂が鐘のひびに与える音響学的影響も興味ある現象である。たとえば血液中のどの成分がその現象でもっとも有効に働いているのだろうか。また油脂が金属面の摩擦を減少せしめるのはいったい何故なのか、それを油脂の分子構造などから究明するのもこれからの課題である、そして金属と油脂の関係はもっといろいろな方面から研究されて良いはずだ……と寺田はこの文章を結んでいる。
それにしても、露伴の「釁考」が全集で五十五頁を費やしている大部のものであるのに対し、寺田の「鐘に釁る」がたった三頁ほどなのは、前者が後者よりも本格的な論考だということもあるだろうが、文科系と理科系の違いを端的に表しているようで面白い。自分が大学の文学部を出るときの卒論は原稿用紙五十枚以上という決まりがあったが、理学研究科の数学教室にはそんな決まりは無かった。内容さえ良ければいくら短くても構わないのである。
きっと文科系でも内容が良ければ短くても良いのだろうが、文系では何か説得力のある主張をするためには、ある程度の例証を外延的に書き並べざるをえないという事情があるのではないだろうか。理系の場合、主張の正しさはそこに書かれている式や言葉自身に由来し、外的な例証というものを必要としない(先人の残した結果を使うため文献を引用することはあるが)。数学以外では、主張の正しさは実験が保証してくれるが、それは「例証」ではないから多くの言葉を要しないのである。
2008年に小林誠、益川敏英の両氏にノーベル物理学賞が与えられたが、その授賞理由となった小林・益川理論の論文はたった六ページのものだった。それは1973年に書かれたものだったが、理論の正しさが1990年代に実験で確認され、2008年の受賞という結果になったのである。
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月落烏啼霜満天
江楓漁火對愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半鐘聲到客船
月は天に落ちて闇の中に烏(からす)の鳴く声が聞こえる。厳しい霜の気配は天いっぱいに満ち満ちてもう夜明けかと思われた。
紅葉した岸の楓(かえで)、点々とともる川のいさり火が、旅の愁いの浅い眠りの目にチラチラと映る。
折も姑蘇の町はずれの寒山寺から、
夜半を知らせる鐘の音が、わが乗る船にまで聞こえて、ああ、まだ夜中だったか、と知られた。
張継は唐の時代の人で、中国の詩人の例にもれず官僚であり、詩もよくしたと伝えられるが、彼の詩で有名なのはこの一首のみのようである。秋の川べりの冷たい空気、紅葉といさり火の赤や黄色の色彩、いんいんと鳴り響く鐘の音、またそれらを詩としてつづる美しい文字の排列と、五感を通じて豊富なイメージが伝わってくる傑作である。
のちに宋代の文人・欧陽修がこの詩について「句は優れているが、夜中というのは鐘を打つ時ではない」と批判したが、しかし唐代には他にも夜中に鐘を打つ詩が多くあるという反論をうけた。どうも唐の時代には夜に鐘を突くことがあったらしいというのが穏当な結論のようだが、その後この議論がむしかえされたのか他の議論が持ち上がったのか、この詩は多くの論議のまとになり、それでますますこの作品の知名度が上がったとか。
鐘といえば、自分が通っていた仏教系の幼稚園の鐘の音を思い出す。夕方六時になると決まってその鐘が鳴った。近所にユウちゃんという幼なじみがいて、知恵遅れの子だったが、彼はお寺が大好きだった。中学以後は障がい者のための学校に行ったのか自然と会わなくなったが、子供のころは見晴らしのいい僕の家に来ると、遠くに見える幼稚園の鐘楼をよく眺めていたものだった。彼が僕の家に毎日遊びに来ていた時期は、家に上がると必ず自宅にあった千昌夫の「北国の春」のレコードを母にかけてもらい、二人で合唱した。合計すれば三百回は歌ったと思う。よくも同じ歌を飽きずに聴いて歌ったものだと思うが、幼児というのは誰しも猿のように同じことを繰り返して喜ぶものである。千昌夫も当時のユウちゃんと僕のような熱狂的なファンが爆発的に増えれば借金を全額返すのも夢ではないかも知れない。
僕らが通っていた幼稚園の建物は、たまたま建築家だった父が設計したのだった。だからさいしょ僕は幼稚園で、給食を多くもらえるとか物を壊しても怒られないとか、何らかの特別待遇が受けられることを期待していた。もちろんそんな特別待遇はなかった。学習院に通う皇族のお子様方だってそんな待遇は受けてはいないだろう。
父が幼稚園を設計したということで、とっちゃんという僕の親友は父を非常に尊敬した。そして子供というのはすぐに話を大きくするもので、とっちゃんはあつしという友達の前で、僕の父は幼稚園だけでなく我々の住む団地の建物、それに加え近所の消防署や十三駅も設計したのだと自慢げに言い放ち、しまいには大阪じゅうの名だたる建築物がすべて父の設計になってしまいそうな勢いだった。本当は父の設計した著名な建物は幼稚園だけであって、僕はそれを知っていたのだが、とっちゃんの熱弁に圧倒されてあつしがそれを信じていく光景が面白かったから黙って聞いていた。
鐘といってあと僕が思い出すのは、寺田寅彦と幸田露伴のやりとりに表れる「鐘に血ぬる」話である。孟子の梁恵王篇、齊宣王問章に、斉の宣王が「わたしのようなものでも人民の生活を安定させることができるだろうか」と問うたのに対し、孟子は「勿論できます」と答え、その根拠として、いぜん宣王が『新しく作った鐘に血を塗る(釁<ちぬ>る)儀式のため』今から殺されようとしている牛を見て、家来に「可哀そうだから助けてやれ」と言った話を引き、その仁慈の心を人民にも及ぼせば立派な王者たり得るだろうと主張した。そういう話がのっている。
寺田はこの鐘に釁(ちぬ)る、すなわち血を塗るというのはいったい何のためだろうかと露伴にしきりに尋ねたらしい。露伴は
「卒然として答えるには餘り多岐多端なことであるから、大要を語った後に、数日を費やして自分は自分の方の分内でそれに関することを記しつけた。勿論科学の方の事では無い、又科学のためにでもない。ただ君の問を機縁として、自分は自分の勝手な思付を書いたのである。おそらく君の予想の科学上の或考とは背いたことに自分の考は傾いていたかも知れない。君の研究に入用なのは蓋し鐘を鋳ることの方に属し、自分の研究は文字及び儀式のことの方に属していたからである」
と書いている(岩波・露伴全集第三十巻「寺田君をしのぶ」)。そしてこれについて「釁考」という大部の論考をものしている(露伴全集第十九巻)。これによると「釁(ちぬ)る」という言葉は、孟子での用例のように、犠牲の血をもって祭典を挙行するという意味に使われた場合が多いらしい。
ところで寺田寅彦の「鐘に釁る」という文章を読むと、寺田が露伴にこの質問をしたのは、油脂の金属への吸着という現象についての関心からだったらしい。その文中で彼は、古代人が鐘に血を塗ったのは、もとは純粋に宗教的な儀式だったかも知れないが、同時にそれで鐘にできたひびを血液が充填(じゅうてん)し鐘の音が良くなることに気づき、血を塗ることの実用性にも目を向けるようになったのではないか、と想像をたくましくしている。
およそ金属の表面というのはしばしば目に見えない油脂の被膜で覆われており、それが金属面の摩擦を著しく減少させるとのことで、その意味で金属と油脂との関係は重要であるけれど、油脂が鐘のひびに与える音響学的影響も興味ある現象である。たとえば血液中のどの成分がその現象でもっとも有効に働いているのだろうか。また油脂が金属面の摩擦を減少せしめるのはいったい何故なのか、それを油脂の分子構造などから究明するのもこれからの課題である、そして金属と油脂の関係はもっといろいろな方面から研究されて良いはずだ……と寺田はこの文章を結んでいる。
それにしても、露伴の「釁考」が全集で五十五頁を費やしている大部のものであるのに対し、寺田の「鐘に釁る」がたった三頁ほどなのは、前者が後者よりも本格的な論考だということもあるだろうが、文科系と理科系の違いを端的に表しているようで面白い。自分が大学の文学部を出るときの卒論は原稿用紙五十枚以上という決まりがあったが、理学研究科の数学教室にはそんな決まりは無かった。内容さえ良ければいくら短くても構わないのである。
きっと文科系でも内容が良ければ短くても良いのだろうが、文系では何か説得力のある主張をするためには、ある程度の例証を外延的に書き並べざるをえないという事情があるのではないだろうか。理系の場合、主張の正しさはそこに書かれている式や言葉自身に由来し、外的な例証というものを必要としない(先人の残した結果を使うため文献を引用することはあるが)。数学以外では、主張の正しさは実験が保証してくれるが、それは「例証」ではないから多くの言葉を要しないのである。
2008年に小林誠、益川敏英の両氏にノーベル物理学賞が与えられたが、その授賞理由となった小林・益川理論の論文はたった六ページのものだった。それは1973年に書かれたものだったが、理論の正しさが1990年代に実験で確認され、2008年の受賞という結果になったのである。
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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
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