『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.18
2009/10/15 (Thu) 22:18:40
深海に眠る難破船から引き上げられたその大きな箱は、いかにも宝箱らしく見えた。頑丈な造り、鉄の縁取り、いかにも宝箱だ。錠が打ち壊され、重いふたを開けると……そこには何もなかった。空の箱だったのである。財宝探しに来ていた五人は、がっかりした。しかし箱そのものは立派なものだったので、国に持って帰ることにした。その後も彼らは深海調査を続けたが、何も得るところはなかった。
「絶対だと思ったんだがなあ」
「まあ、こういうこともあるさ」
空の箱のほかは手ぶらで帰ることになったのだから、内輪もめが起きても不思議はなかったが、そのときの彼らは妙にさっぱりとした気持ちで諦めをつけた。そして、五人は国に帰った。
財宝探しに行っていたひとりであるヒロシは、妻の待つ我が家に帰ってきた。
「あなた、結果はどうだった?」
「何もなしだ……空の箱がひとつだけ。まあそういうこともあるさ」
「そういうこともあるって、何呑気なこと言ってんの? この計画には、半年もかけたんじゃないの。どうしてそう平気でいられるの?」
「いや、残念といえば確かに残念なんだが、なにかこう、怒る気持ちがわいてこないんだ」
「これからどうするつもり?」
妻は喧嘩腰だったが、夫はあいかわらずのんびりとしていた。
「ん……また計画を立てて、財宝は探しに行くよ」
「そういうと思った。ねえ、何年こんなことを続ける気なの」
妻は鋭い目つきで夫を問い詰める勢いだったが、おかしなことに急に柔和な顔つきに変わった。
「しかたないわね。あなたが続けたいなら、わたしも応援するわ」
夫のヒロシは、妻の態度の急変に驚きもせずに言った。
「ありがとう。助かるよ」
夫婦の間には、新婚当初のような、柔らかな優しい雰囲気が戻ってきていた。
財宝探しに行ったほかの四人の家でも、それぞれ同じようなことが起きていた。すなわち、はじめは手ぶらで帰ってきたことを家族からなじられ、ふとした瞬間から家族の態度は手のひらを返したように柔らかになり、ゆるしてもらえるのだった。
ヒロシの隣り近所では、ちょっと不思議なことが起きていた。争いの絶えない夫婦、不良少女を抱えた家庭など、少なくとも二つの家から、ひっきりなしにののしり声や、物を投げて壊す音などが聞こえてきたものだったが、ヒロシが帰ってきてから二、三日のうちに、そうした騒々しい音がぱったりとやんだのである。そういえば彼の隣り近所の人たちは、いつのまにか、のんきな、のどかな春を楽しむような雰囲気にひとり残らずひたるようになっていたのである。
また、ヒロシの住む町は、もともと、荒れた町だった。少年による暴力事件や、暴力団の抗争などが耐えなかった。しかし、彼が帰ってから一週間もすると、どの少年も大人しくなって学校は静かになり、暴力団もすっかりなりをひそめるようになった。
ヒロシのほかの四人が住む町でも、多かれ少なかれ同じようなことが起きていた。みんな、争いごとをやめてしまったのである。
例の、空の箱を持ち帰ったリーダーのタツミの町では、とりわけその現象が顕著だった。なんと、犬や猫までも喧嘩をやめてしまったのである。
しかも、この現象は五人の町から周囲にしだいに広がりを見せ始めていた。町から市へ、市から県へと、争いのない地域は広がっていった。
最近まで全国のニュースでは「荒れた十代」と称して、毎日のように少年犯罪を報じていたが、それもぱったりとやんでしまった。
みんな、夢うつつのような表情をして、争いのない幸せをかみ締めていた。和をもって尊しとなす、というが、人々はつとめて人間関係に角が立つことのないようにしていた。争いや険悪な雰囲気をもたらしやすい、いわゆる「気の荒い」人がいるものだが、そういう人物も、すっかり大人しくなった。
犯罪がめっきり減ったから警察はすっかり暇になった。みんな、この減少を少し変だと思っていたが、おおむね喜ばしいことと受け止めていた。
外国でも、今まで紛争の絶えなかった地域が、ぱったりと戦争をやめてしまった。ここにいたって人々は、何か異常なことが起こっている、あまりに争いがなさすぎる、と不思議がるようになった。科学者たちが、調査に乗り出した。
まもなく、微生物の研究者たちが、今までにない細菌を発見した。実験動物を使って、この細菌が動物から好戦的気分を奪うことが明らかにされた。この細菌は、俗に「幸福菌」と呼ばれるようになった。
タツミは、はっと思いついて、財宝探しから持ち帰った空の箱を、それを見つけたいきさつをしたためた手紙を添えて、微生物研究所に送った。その箱の中からは、異常に多くの「幸福菌」が検出された。その箱が、世界から争いごとをなくした原因ではないか、と推測された。人々はそれを「宝の箱」と呼ぶようになった。
人々は毎日を、幸福感に目を輝かせて過ごした。
そんなある日の夜のことである。
「あなた。わたし、幸せな気分でいっぱい」
ヒロシの妻が言った。
「俺もだよ、ヨウコ」
彼は妻の肩を抱き寄せた。
秋の夜長である。外では涼しげな虫の声がしていた。
「おい、潮の香りがしないか」
「ほんと。いい匂い」
二人は、その町が海から遠く、滅多なことでは潮の香りなどしてこないことなど、気にしなかった。
「俺、海に行きたくなってきた」
「わたしも今、それを言おうと思ってたの」
二人は、ベランダに出た。大勢の人が、外に出ていた。みな、一定の方向に歩いている。
「みんな、海に行くんじゃないかしら」
「俺たちも行こう」
ヒロシとヨウコは、急いで支度して出て行った。そして、人々の行進に加わった。
人々の列は延々と続き、海まで達していた。先頭の人々は、波の打ち寄せる海岸に来ても立ち止まることなく、海に入っていった。どんどん歩いていき、やがてその人々は海に飲み込まれていった。
後から来る人々も、次々と海に入っていった。幸せに目を輝かせながら……。それはまるで、黄泉の世界に、より大きな幸福が待っているとでも思っているかのようだった。
月を見ると頭がおかしくなる、と古人の言ったように、あたかもその夜は満月だった。
世界中で、人々の海への行進が行われていた。レミングの行進のように、何の疑いもなく、次々と海に飛び込んでいった。
それが「幸福菌」のもたらす最後の症状だったのだ。
その数日間で、世界のすべての人々が、海に飲み込まれていった。地球は人間がいなくなって、しんと静かになった。あとに残されたのは、永遠の沈黙に包まれた、この上もない平和な世界。喧騒のなくなった無人の街、人間に汚されることのなくなった静かな大地の上を、ただ風が吹きわたっていった。
(終)
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
「絶対だと思ったんだがなあ」
「まあ、こういうこともあるさ」
空の箱のほかは手ぶらで帰ることになったのだから、内輪もめが起きても不思議はなかったが、そのときの彼らは妙にさっぱりとした気持ちで諦めをつけた。そして、五人は国に帰った。
財宝探しに行っていたひとりであるヒロシは、妻の待つ我が家に帰ってきた。
「あなた、結果はどうだった?」
「何もなしだ……空の箱がひとつだけ。まあそういうこともあるさ」
「そういうこともあるって、何呑気なこと言ってんの? この計画には、半年もかけたんじゃないの。どうしてそう平気でいられるの?」
「いや、残念といえば確かに残念なんだが、なにかこう、怒る気持ちがわいてこないんだ」
「これからどうするつもり?」
妻は喧嘩腰だったが、夫はあいかわらずのんびりとしていた。
「ん……また計画を立てて、財宝は探しに行くよ」
「そういうと思った。ねえ、何年こんなことを続ける気なの」
妻は鋭い目つきで夫を問い詰める勢いだったが、おかしなことに急に柔和な顔つきに変わった。
「しかたないわね。あなたが続けたいなら、わたしも応援するわ」
夫のヒロシは、妻の態度の急変に驚きもせずに言った。
「ありがとう。助かるよ」
夫婦の間には、新婚当初のような、柔らかな優しい雰囲気が戻ってきていた。
財宝探しに行ったほかの四人の家でも、それぞれ同じようなことが起きていた。すなわち、はじめは手ぶらで帰ってきたことを家族からなじられ、ふとした瞬間から家族の態度は手のひらを返したように柔らかになり、ゆるしてもらえるのだった。
ヒロシの隣り近所では、ちょっと不思議なことが起きていた。争いの絶えない夫婦、不良少女を抱えた家庭など、少なくとも二つの家から、ひっきりなしにののしり声や、物を投げて壊す音などが聞こえてきたものだったが、ヒロシが帰ってきてから二、三日のうちに、そうした騒々しい音がぱったりとやんだのである。そういえば彼の隣り近所の人たちは、いつのまにか、のんきな、のどかな春を楽しむような雰囲気にひとり残らずひたるようになっていたのである。
また、ヒロシの住む町は、もともと、荒れた町だった。少年による暴力事件や、暴力団の抗争などが耐えなかった。しかし、彼が帰ってから一週間もすると、どの少年も大人しくなって学校は静かになり、暴力団もすっかりなりをひそめるようになった。
ヒロシのほかの四人が住む町でも、多かれ少なかれ同じようなことが起きていた。みんな、争いごとをやめてしまったのである。
例の、空の箱を持ち帰ったリーダーのタツミの町では、とりわけその現象が顕著だった。なんと、犬や猫までも喧嘩をやめてしまったのである。
しかも、この現象は五人の町から周囲にしだいに広がりを見せ始めていた。町から市へ、市から県へと、争いのない地域は広がっていった。
最近まで全国のニュースでは「荒れた十代」と称して、毎日のように少年犯罪を報じていたが、それもぱったりとやんでしまった。
みんな、夢うつつのような表情をして、争いのない幸せをかみ締めていた。和をもって尊しとなす、というが、人々はつとめて人間関係に角が立つことのないようにしていた。争いや険悪な雰囲気をもたらしやすい、いわゆる「気の荒い」人がいるものだが、そういう人物も、すっかり大人しくなった。
犯罪がめっきり減ったから警察はすっかり暇になった。みんな、この減少を少し変だと思っていたが、おおむね喜ばしいことと受け止めていた。
外国でも、今まで紛争の絶えなかった地域が、ぱったりと戦争をやめてしまった。ここにいたって人々は、何か異常なことが起こっている、あまりに争いがなさすぎる、と不思議がるようになった。科学者たちが、調査に乗り出した。
まもなく、微生物の研究者たちが、今までにない細菌を発見した。実験動物を使って、この細菌が動物から好戦的気分を奪うことが明らかにされた。この細菌は、俗に「幸福菌」と呼ばれるようになった。
タツミは、はっと思いついて、財宝探しから持ち帰った空の箱を、それを見つけたいきさつをしたためた手紙を添えて、微生物研究所に送った。その箱の中からは、異常に多くの「幸福菌」が検出された。その箱が、世界から争いごとをなくした原因ではないか、と推測された。人々はそれを「宝の箱」と呼ぶようになった。
人々は毎日を、幸福感に目を輝かせて過ごした。
そんなある日の夜のことである。
「あなた。わたし、幸せな気分でいっぱい」
ヒロシの妻が言った。
「俺もだよ、ヨウコ」
彼は妻の肩を抱き寄せた。
秋の夜長である。外では涼しげな虫の声がしていた。
「おい、潮の香りがしないか」
「ほんと。いい匂い」
二人は、その町が海から遠く、滅多なことでは潮の香りなどしてこないことなど、気にしなかった。
「俺、海に行きたくなってきた」
「わたしも今、それを言おうと思ってたの」
二人は、ベランダに出た。大勢の人が、外に出ていた。みな、一定の方向に歩いている。
「みんな、海に行くんじゃないかしら」
「俺たちも行こう」
ヒロシとヨウコは、急いで支度して出て行った。そして、人々の行進に加わった。
人々の列は延々と続き、海まで達していた。先頭の人々は、波の打ち寄せる海岸に来ても立ち止まることなく、海に入っていった。どんどん歩いていき、やがてその人々は海に飲み込まれていった。
後から来る人々も、次々と海に入っていった。幸せに目を輝かせながら……。それはまるで、黄泉の世界に、より大きな幸福が待っているとでも思っているかのようだった。
月を見ると頭がおかしくなる、と古人の言ったように、あたかもその夜は満月だった。
世界中で、人々の海への行進が行われていた。レミングの行進のように、何の疑いもなく、次々と海に飛び込んでいった。
それが「幸福菌」のもたらす最後の症状だったのだ。
その数日間で、世界のすべての人々が、海に飲み込まれていった。地球は人間がいなくなって、しんと静かになった。あとに残されたのは、永遠の沈黙に包まれた、この上もない平和な世界。喧騒のなくなった無人の街、人間に汚されることのなくなった静かな大地の上を、ただ風が吹きわたっていった。
(終)
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
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No.17
2009/10/15 (Thu) 22:16:27
以前、近所にあったミニシアターで、映画の本編が始まる前に映されるオマケのようなアニメーションで、面白いのがあった。白地に黒い線だけで描かれた無声のアニメで、たしか年老いた男性が臨終の床にあるという場面から始まるのだった。
その男性が息を引き取って家族が悲嘆にくれていると、彼の頭から小さな天使がふわりと抜け出て、すいすい天に昇っていく。空で、他の天使とばったり出会うと「やあやあお疲れさん」といった感じで手を挙げて挨拶しあう。
天国らしき場所に着くと、天使は古ぼけた役所のような建物に入り、タイムカードを押していそいそと帰宅していく。天使の「自宅」は、いかにも若い独身男性の部屋のようで、彼は缶ビールを飲みながらしばしぼんやりとテレビを見てから眠る。
次の朝、ねむい目をこすりながら出勤。再び翼を広げて地上界に降りていって、いま産声を上げた赤ん坊の頭の中にすいと入り込む。両親に誕生を祝福されているその赤ん坊の目の中は、飛行機のコクピットのようになっていて、天使がつまらなそうに頬杖を付いて操縦席についている。その顔には、平日の朝のブルーな気持ちがありありと浮かんでいる。
見ていて、ああ、輪廻って退屈なことなのかも、などと思ってしまう変テコなアニメだった。
この天使の日常にセリフを付けてみる。
第一日
ああ、しんどい。やっぱこれは風邪だな。早く帰って寝よう。一度出勤すると早退ってなかなかしづらいけど、しょうがないよな。今日おれが乗り込んでた男の子って「心身ともに健康」という設定で、ふつうに操縦してたら長生き間違いなしって感じだったな。でも今日はどうしても早引きしたかったから、ホントはいけないんだけど「謎の自殺」をとげさせちゃった。上司も口では「風邪なら仕方ないな」って言ってたけど、白い目でおれを見てたなあ。おれだって、しばらくしたら長期休暇をとって旅行に行くつもりだから、ここで有給を使うのは痛いんだよな。
でも自殺ってやっぱり卑怯だよね。死んだ男の子を見てた両親を操縦してた天使仲間も、イヤーな顔しておれを見てたなあ。気持ちはよくわかるよ。みんな許してね。
第二日
よーし今朝は復活して元気だぞー。今日も男の子を操縦か。よーしやる気いっぱいだから頑張って医者の人生でもやろーかなー。両親を操縦してる天使仲間にメールを打とう。「オレ、医者ニナルカラ」って。おっ返事が来た。「金ガカカルンダロ。父親ヲ操縦スル天使ノ身ニモナッテミロ」だって。大丈夫だって、おれ勉強いっぱいして国公立に行くから親には迷惑かけないよー。
よーし医者になったぞー。やる気まんまんだからハードな救急医療でもやってやるぜ。どんな患者でも救ってやるぞー。っていきなりやる気のなさそうな患者が来たなあ。目の中で操縦してる天使を見れば分かるよ。事故に遭って瀕死の重傷、早く死ねたらラッキー!ってまるわかりの表情してるじゃねえか。なんかそんな患者ばっかりだぞ。ハイ、命おわりました、お疲れさんって、どいつもこいつもさっぱりした顔で天国に引き上げていきやがる。あーあ、せっかく今日はやる気があるのに、こういう患者ばっかで拍子抜けだわ。今日のおれってやる気ありすぎでちょっと周りから浮いてるのかな。やっぱもうちょっとドライに割り切ってこの仕事やるべきかな。
第三日
今日は昨日の反動であんまりやる気ねえんだよな。今度の人生は女かー。美人に育つんだとさ。これはこれでめんどくさい人生なんだよな。フツーがいちばん楽なんだけど。
お! 向こうから来る男を操縦してる天使は、幼なじみのよっちゃんじゃないか。久しぶりだなー。メールを打とう。なんだあいつ、最近になって輪廻の仕事始めたのかー。しばらく見ないわけだ。この女と恋人同士にしよっと。自動操縦「恋愛モード」にしよう。こうしておけばほとんど何もしなくていいもーん。
でもさあよっちゃん、この仕事みんなが思うほど華やかなもんじゃないぜ。よっちゃんの前の仕事はIT関係だっけ? 手に職があるんなら輪廻なんてやらなくてもいいのに。
とかメールのやり取りしてる間にセックスが始まったー。さすがに美人は発展が早いなー。セックスのときって操縦してる側は退屈なんだよね。え、よっちゃんはこういうの初めて? 面白い? じきに飽きるよー。っていうか今から飲みに行かない? 二人で早退してさ。早退ってつまり、こっちの女とそっちの男を心中させるんだよ。駄目? やっぱ駄目かー。よっちゃんはまだこの仕事始めて日が浅いもんなー。そういえばおれも最初は真面目にやってたな。じゃ、帰り一緒になれるように、二人を結婚させるか。夫婦だったら、ずっと近くでメールのやりとりも出来るし。でも、夫婦かー。おれも嫁さん欲しいなー。よっちゃんは彼女いるの? じゃ、今度三対三ぐらいで天使仲間の合コンやらない? え? 合コンはもう飽きた? そっかー。「いい女は合コンなんかやらない」って? まあいえてるけどねー。
(終)
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その男性が息を引き取って家族が悲嘆にくれていると、彼の頭から小さな天使がふわりと抜け出て、すいすい天に昇っていく。空で、他の天使とばったり出会うと「やあやあお疲れさん」といった感じで手を挙げて挨拶しあう。
天国らしき場所に着くと、天使は古ぼけた役所のような建物に入り、タイムカードを押していそいそと帰宅していく。天使の「自宅」は、いかにも若い独身男性の部屋のようで、彼は缶ビールを飲みながらしばしぼんやりとテレビを見てから眠る。
次の朝、ねむい目をこすりながら出勤。再び翼を広げて地上界に降りていって、いま産声を上げた赤ん坊の頭の中にすいと入り込む。両親に誕生を祝福されているその赤ん坊の目の中は、飛行機のコクピットのようになっていて、天使がつまらなそうに頬杖を付いて操縦席についている。その顔には、平日の朝のブルーな気持ちがありありと浮かんでいる。
見ていて、ああ、輪廻って退屈なことなのかも、などと思ってしまう変テコなアニメだった。
この天使の日常にセリフを付けてみる。
第一日
ああ、しんどい。やっぱこれは風邪だな。早く帰って寝よう。一度出勤すると早退ってなかなかしづらいけど、しょうがないよな。今日おれが乗り込んでた男の子って「心身ともに健康」という設定で、ふつうに操縦してたら長生き間違いなしって感じだったな。でも今日はどうしても早引きしたかったから、ホントはいけないんだけど「謎の自殺」をとげさせちゃった。上司も口では「風邪なら仕方ないな」って言ってたけど、白い目でおれを見てたなあ。おれだって、しばらくしたら長期休暇をとって旅行に行くつもりだから、ここで有給を使うのは痛いんだよな。
でも自殺ってやっぱり卑怯だよね。死んだ男の子を見てた両親を操縦してた天使仲間も、イヤーな顔しておれを見てたなあ。気持ちはよくわかるよ。みんな許してね。
第二日
よーし今朝は復活して元気だぞー。今日も男の子を操縦か。よーしやる気いっぱいだから頑張って医者の人生でもやろーかなー。両親を操縦してる天使仲間にメールを打とう。「オレ、医者ニナルカラ」って。おっ返事が来た。「金ガカカルンダロ。父親ヲ操縦スル天使ノ身ニモナッテミロ」だって。大丈夫だって、おれ勉強いっぱいして国公立に行くから親には迷惑かけないよー。
よーし医者になったぞー。やる気まんまんだからハードな救急医療でもやってやるぜ。どんな患者でも救ってやるぞー。っていきなりやる気のなさそうな患者が来たなあ。目の中で操縦してる天使を見れば分かるよ。事故に遭って瀕死の重傷、早く死ねたらラッキー!ってまるわかりの表情してるじゃねえか。なんかそんな患者ばっかりだぞ。ハイ、命おわりました、お疲れさんって、どいつもこいつもさっぱりした顔で天国に引き上げていきやがる。あーあ、せっかく今日はやる気があるのに、こういう患者ばっかで拍子抜けだわ。今日のおれってやる気ありすぎでちょっと周りから浮いてるのかな。やっぱもうちょっとドライに割り切ってこの仕事やるべきかな。
第三日
今日は昨日の反動であんまりやる気ねえんだよな。今度の人生は女かー。美人に育つんだとさ。これはこれでめんどくさい人生なんだよな。フツーがいちばん楽なんだけど。
お! 向こうから来る男を操縦してる天使は、幼なじみのよっちゃんじゃないか。久しぶりだなー。メールを打とう。なんだあいつ、最近になって輪廻の仕事始めたのかー。しばらく見ないわけだ。この女と恋人同士にしよっと。自動操縦「恋愛モード」にしよう。こうしておけばほとんど何もしなくていいもーん。
でもさあよっちゃん、この仕事みんなが思うほど華やかなもんじゃないぜ。よっちゃんの前の仕事はIT関係だっけ? 手に職があるんなら輪廻なんてやらなくてもいいのに。
とかメールのやり取りしてる間にセックスが始まったー。さすがに美人は発展が早いなー。セックスのときって操縦してる側は退屈なんだよね。え、よっちゃんはこういうの初めて? 面白い? じきに飽きるよー。っていうか今から飲みに行かない? 二人で早退してさ。早退ってつまり、こっちの女とそっちの男を心中させるんだよ。駄目? やっぱ駄目かー。よっちゃんはまだこの仕事始めて日が浅いもんなー。そういえばおれも最初は真面目にやってたな。じゃ、帰り一緒になれるように、二人を結婚させるか。夫婦だったら、ずっと近くでメールのやりとりも出来るし。でも、夫婦かー。おれも嫁さん欲しいなー。よっちゃんは彼女いるの? じゃ、今度三対三ぐらいで天使仲間の合コンやらない? え? 合コンはもう飽きた? そっかー。「いい女は合コンなんかやらない」って? まあいえてるけどねー。
(終)
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No.16
2009/10/15 (Thu) 22:13:26
国の法律で、国民はすべてガラスの面を付けなければならなくなった。その仮面は、国から支給された。それはいろいろな表情をしたものがあり、無作為に国民に割り当てられた。
今まで善人で通ってきた人が、いかにも悪人づらといった面を付けなければならなかったり、根っからの悪人が、いかにも徳の備わったよい表情の面を付けたりした。
今まで立派な有能な人物として社会から認められ、会社でも高い地位にあった人物が、いかにも不愉快そうな、苦虫を噛み潰したような表情の面を付けることになった。周囲も、はじめは外形よりも内面が大事だと思って、この人の高い地位がおびやかされることはなかったが、次第に、この不愉快きわまる表情の面のために人格を疑われ始めた。人の嫌がる仕事を進んで引き受けていたのが、仕事をまわされたときに、苦虫を噛み潰したような表情をしているために「嫌なのか」と思われてしまう。ついにはこの人物は降格の憂き目を見ることになったのである。
逆に、以前は怒りやすくつまらぬことで周囲と衝突を繰り返していたある人物は、戎(えびす)様のようなにこにこ顔の面を付けることになり、以前とはうって変わって「人間のできた立派な人物」との評判を得ることになったのである。もっとも、この人も非常に腹が立って相手を殴りつけることもあり、そういうときは、にこにこしながらの激怒なので相手もうす気味悪がったものである。
しょんぼりした、いかにも楽しくなさそうな表情の面を付けた人物も、具合の悪いことが多かった。宴会の席や、みんなで遊園地に行こうなどというときには、この人は周囲と非常な不調和をきたした。みんなが盛り上がり、楽しくしているのに、一人だけつまらなさそうにしている。そういうわけで、みんなにつまはじきにあうというわけだ。もっともこの人物も、葬式では歓迎された。
逆に、いかにも楽しそうな「笑いが止まらない」といった表情の面をつけた人は、たいていの場面で歓迎された。笑顔はいつ見ても気持ちがいいものである。いかに憂鬱なときでも、顔だけは笑っている。仕事仲間からも「おい、一杯つき合えよ」と常に声がかかり、人気者だ。ただし先ほどの人物とは逆に、葬式の席では袋叩きにされ、追い返される破目におちいった。
ことほどさように人間の表情の変化というのは大切なものである。しかしこの悪法はやむことがなかった。そしてこの仮面は特殊硬質ガラスでできており、表情を変えようとしても無駄だった。また、この面は一度付けると外れることがなかった。
良い表情の面を付けた悪人が、人をナイフで刺し殺した。そして死体を、悪い表情の面を付けた善人に押し付けて逃げた。善人は一瞬なにごとかと思い、押し付けられた体からナイフを引き抜いた。そのとき、女の悲鳴が上がった。
「人殺し!」
悪い表情の面を付けた男が、血のついたナイフを手に握って、死体を抱えている。これはもう、この悪人づらの人物がやったと思われてもしかたがない。この善人は、真の下手人である悪人を追いかける。悪人は、バス乗り場の人の列に割り込んで、バスに飛び乗る。列の人々も福徳円満な表情のこの人物を、どうぞどうぞといって順番を譲った。しかし罪をなすりつけられた善人が同じようにしてバスに乗ろうとすると、人々は、なんだ順番を守れと怒って突き放す。いかに善人でも悪人づらをしていれば、列の人々も割り込みを許すわけにはいかない。
そういうわけで、この善人は、バスに乗れず、真犯人を乗せたその車をむなしく見送るほかはなかった。そしてこの善人は、目撃者の証言にしたがって、警察に逮捕された。
「白昼堂々の殺人」「衆人環視の中での凶行」。そんな見出しとともに、この善人の悪人づらは新聞に報道された。
状況はこの善人にとっていかにも不利だった。真犯人は手袋をしていたため、ナイフには善人の指紋しかなかった。それに、この極めつきの悪人づら! 犯人はこいつに決まっていた。
そのとき、一人の少年が、一枚の写真を持って警察を訪れた。真犯人が犠牲者をナイフで刺している写真だった。少年はそのときたまたまカメラを持っていて、決定的瞬間を写真に撮ったのだった。
かくしてこの善人は釈放された。この事件をきっかけに、国民の間に、外見で人を判断しないという風潮が、少しだけ広まった。しかし笑顔はやはり気持ちがよく、不愉快なツラはやはり不愉快なツラなのであった。
この悪法は、なぜか今日まで続いている。
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今まで善人で通ってきた人が、いかにも悪人づらといった面を付けなければならなかったり、根っからの悪人が、いかにも徳の備わったよい表情の面を付けたりした。
今まで立派な有能な人物として社会から認められ、会社でも高い地位にあった人物が、いかにも不愉快そうな、苦虫を噛み潰したような表情の面を付けることになった。周囲も、はじめは外形よりも内面が大事だと思って、この人の高い地位がおびやかされることはなかったが、次第に、この不愉快きわまる表情の面のために人格を疑われ始めた。人の嫌がる仕事を進んで引き受けていたのが、仕事をまわされたときに、苦虫を噛み潰したような表情をしているために「嫌なのか」と思われてしまう。ついにはこの人物は降格の憂き目を見ることになったのである。
逆に、以前は怒りやすくつまらぬことで周囲と衝突を繰り返していたある人物は、戎(えびす)様のようなにこにこ顔の面を付けることになり、以前とはうって変わって「人間のできた立派な人物」との評判を得ることになったのである。もっとも、この人も非常に腹が立って相手を殴りつけることもあり、そういうときは、にこにこしながらの激怒なので相手もうす気味悪がったものである。
しょんぼりした、いかにも楽しくなさそうな表情の面を付けた人物も、具合の悪いことが多かった。宴会の席や、みんなで遊園地に行こうなどというときには、この人は周囲と非常な不調和をきたした。みんなが盛り上がり、楽しくしているのに、一人だけつまらなさそうにしている。そういうわけで、みんなにつまはじきにあうというわけだ。もっともこの人物も、葬式では歓迎された。
逆に、いかにも楽しそうな「笑いが止まらない」といった表情の面をつけた人は、たいていの場面で歓迎された。笑顔はいつ見ても気持ちがいいものである。いかに憂鬱なときでも、顔だけは笑っている。仕事仲間からも「おい、一杯つき合えよ」と常に声がかかり、人気者だ。ただし先ほどの人物とは逆に、葬式の席では袋叩きにされ、追い返される破目におちいった。
ことほどさように人間の表情の変化というのは大切なものである。しかしこの悪法はやむことがなかった。そしてこの仮面は特殊硬質ガラスでできており、表情を変えようとしても無駄だった。また、この面は一度付けると外れることがなかった。
良い表情の面を付けた悪人が、人をナイフで刺し殺した。そして死体を、悪い表情の面を付けた善人に押し付けて逃げた。善人は一瞬なにごとかと思い、押し付けられた体からナイフを引き抜いた。そのとき、女の悲鳴が上がった。
「人殺し!」
悪い表情の面を付けた男が、血のついたナイフを手に握って、死体を抱えている。これはもう、この悪人づらの人物がやったと思われてもしかたがない。この善人は、真の下手人である悪人を追いかける。悪人は、バス乗り場の人の列に割り込んで、バスに飛び乗る。列の人々も福徳円満な表情のこの人物を、どうぞどうぞといって順番を譲った。しかし罪をなすりつけられた善人が同じようにしてバスに乗ろうとすると、人々は、なんだ順番を守れと怒って突き放す。いかに善人でも悪人づらをしていれば、列の人々も割り込みを許すわけにはいかない。
そういうわけで、この善人は、バスに乗れず、真犯人を乗せたその車をむなしく見送るほかはなかった。そしてこの善人は、目撃者の証言にしたがって、警察に逮捕された。
「白昼堂々の殺人」「衆人環視の中での凶行」。そんな見出しとともに、この善人の悪人づらは新聞に報道された。
状況はこの善人にとっていかにも不利だった。真犯人は手袋をしていたため、ナイフには善人の指紋しかなかった。それに、この極めつきの悪人づら! 犯人はこいつに決まっていた。
そのとき、一人の少年が、一枚の写真を持って警察を訪れた。真犯人が犠牲者をナイフで刺している写真だった。少年はそのときたまたまカメラを持っていて、決定的瞬間を写真に撮ったのだった。
かくしてこの善人は釈放された。この事件をきっかけに、国民の間に、外見で人を判断しないという風潮が、少しだけ広まった。しかし笑顔はやはり気持ちがよく、不愉快なツラはやはり不愉快なツラなのであった。
この悪法は、なぜか今日まで続いている。
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目次
上段の『☆ 索引』、及び、下段の『☯ 作家別索引』からどうぞ。本や雑誌をパラパラめくる感覚で、読みたい記事へと素早くアクセスする事が出来ます。
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
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✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
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我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
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