『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.15
2009/10/15 (Thu) 22:11:38
4月29日午後8時56分、ある家庭での会話。
娘 「わ、お父さん、チャンネル変えてもいい? 9時からトロイっていう映画を観たいの」
父 「何だね血相を変えて。そんなに面白い映画なのかい」
娘 「だってブラッド・ピットが出るのよ。明日友だちと会うのに、観なきゃ話題についていけなくなるんだから」
父 「ブラッド・ピット? お父さんにはよく分からんが、軽薄な映画なんじゃないか?」
娘 「とにかく面白いはずだわ。トロイア戦争を描いた映画……とか聞いたわ」
父 「ふーん。いまどきの女子大生がそんなものに興味を持つもんかね。あれ? 急にテレビが映らなくなったな」
娘 「壊れたの!? 冗談じゃないわ」
父 「いやいや、大丈夫さ。叩けばまた映るようになる……ありゃ。うーん、駄目だな。こりゃ本格的にいかれた」
娘 「きゃー! どうしてくれるのよ! トロイ観られないじゃない」
弟 「姉さん、ちょっと落ち着いたらどうだい」
父 「浩一の言うとおりだ。落ち着け。お父さんだってトロイア戦争のことぐらい知ってる。昔『トロイのヘレン』という映画も観たし、そう、うちにギリシャ神話の本があったな。お母さん、あの本を持ってきておくれ……さ、これからそのトロイとかいう映画の内容を聞かせてやろうじゃないか。これで話題に遅れなくてすむぞ」
娘 「ぶーぶー」
父 「そう不満を言うな。博学な父を持ったことを有り難く思うんだな。えーと、この本によると……いかん、トロイア戦争のページがだいぶ破けてるな」
娘 「大丈夫なの!?」
父 「心配するな、だいたいのことは記憶している。えー、破れずに残っている部分によると、こういうことになるな。むかし天上界で、アテナ、ヘラ、アフロディーテという三人の女神が美しさを競うことになった。ゼウスは誰がいちばん美しいかの判決を、パリスという羊飼いの少年にゆだねることにした。ところがアフロディーテが、自分を指名してくれたらこの世で最も美しい女を妻として与える、とパリスに持ちかけたんだな。パリスはこれに目がくらみ、アフロディーテを一位に推した。パリスはアフロディーテの保護のもとギリシアに渡り、スパルタ王メネラオスに迎えられた。で、メネラオスの妻であるヘレンが絶世の美女で、アフロディーテがパリスの妻にと約束した女がこれだったんだな。女神の庇護があるから、パリスはなんなくヘレンを口説き落とし、トロイアに連れて帰った。えーと、パリスは羊飼いなんかやっていたが、実はトロイアの王子だったんだな。それがきっかけになって、スパルタの呼びかけに応じたギリシア諸国の連合軍は、トロイアと全面戦争になったというわけだ」
娘 「ふーん、なんだかややこしいわね。アキレスっていうのが出てこない? ブラピがやるらしいのよ」
父 「ここからは本が破れていてよくわからないな……しかしどうも、アキレスというのはギリシア方の戦士らしいな」
娘 「ということはギリシア方が勝つのね。でも、いろんな名前が出てきてよく分からないわ……そのパリスっていうのはパリス・ヒルトンと関係があるのかしら」
父 「うーん、その辺がよく分からんな……まあしかし、関係あると見るのが妥当だろうな。おそらくトロイアの王子パリスの妹がパリス・ヒルトンだろう。配役から見て、ブラッド・ピットの恋人だろうな」
娘 「ふーん。ヘレンっていうのも物語の鍵を握っているわね。どんな女優さんがやるのかしら」
父 「まあヘレンというぐらいだから、西川へレンじゃないかな」
娘 「じゃあメネラオスは西川きよし?」
父 「当然そういうことになるな」
弟 「父さん、俺、数学の幾何の時間にメネラウスの定理っていうのを習ったんだけど、それは関係ないかな」
父 「それだ。確か聞いたことがあるぞ。ギリシアの数学者で、戦争になっても地面に図形ばかり描いていて、兵士にあっけなく殺されたのがいたな。たぶんメネラオスがそれだ」
娘 「じゃあメネラオスはスパルタの王で数学者なの? で、すぐに殺されちゃうの? 西川きよしなのに?」
父 「おそらく友情出演なんだろう」
弟 「いやしかし、メネラオスが妻を奪われたからこそ戦争してるんだろ? すぐに死んじゃったら戦争を続ける意味が無いじゃないか」
父 「しかし西川へレンを奪われ西川きよしが殺されたら、吉本興業は黙っちゃおるまい? だから全面戦争もやむをえないことだろうさ」
弟 「じゃ、ギリシア方というのは吉本興業のことなの?」
父 「そう解釈するのが自然だろうな。ギリシア軍とはすなわち、吉本の若手芸人が組織したものに相違あるまい」
娘 「わかった! じゃトロイアは、パリス・ヒルトンが娘なんだからヒルトン財閥のことなのよ!」
父 「おそらくそうだろうね。しかしそうなると王子のパリスというのはどんな奴なんだろうね……お父さんが思うに、昔スパイ大作戦に出てきた変装の名人パリスと同一人じゃないかな」
弟 「なんでいきなりそんなマニアックなキャラが出てくるんだい?」
父 「変装のパリスといえば、演じるのはMr.スポックのレナード・ニモイだぞ。西川へレンとも年齢的に釣り合うじゃないか」
娘 「整理するわね。トロイアの王家はすなわちヒルトン財閥で、その王子であるパリス・ニモイが、ギリシア方つまり吉本興業から西川へレンを奪い、さらには王である西川きよしを殺し、戦争に突入。さらにギリシア方のブラピ演じるアキレスはトロイアのパリス・ヒルトンと恋仲。なんだかスリリングな話ね。でも、アキレスも吉本の芸人なの? アキレスはすごくかっこよくて強いっていう設定なのよ。芸人って柄じゃないわ」
父 「お父さんもさっきからそれを考えてたんだがね。最近は吉本も多角経営だからプロレス部門みたいなものがあって、アキレスはそこの所属なんじゃないかな」
弟 「じゃ、アキレスはレスラーなの? 名前から察するに得意技はアキレス腱固めかな」
父 「かも知れん。ん……だんだん思い出してきたぞ。この本によると、トロイア戦争の物語の原作は『イーリアス』だそうだが、これを書いたのは確か梶原一騎だ。アキレスは虎の穴で鍛えられ、自らが育った孤児院を援助するために戦い続けるんだ」
娘 「じゃ、ブラッド・ピットの演じるアキレスはタイガーマスクで本名は伊達直人? なんだか複雑だわ……でも孤児院で育ったアキレス・伊達が財閥のパリス・ヒルトンと恋仲って、ロマンティックでいいわね。なれそめは何だったのかしら」
父 「おそらくアキレス・タイガー・伊達がおのれを鍛えるため、セレブたちの娯楽であるルール無用の『地下プロレス』のリングに上がっていたとき出逢ったんじゃないかな。パリス・ヒルトンはあちこちで派手なパーティをやりすぎてどこの店でも出入り禁止になり、彼氏とのセックスを映したビデオが流出し、自暴自棄になって地下プロレスのリング・サイドで酒に溺れていた。それをタイガーが見初めたというわけだ」
娘 「頭がこんがらがってくるわ……で、結局、戦争はどうなるのよ」
弟 「トロイの木馬っていうのが出てくるんじゃなかったっけ?」
娘 「何それ。コンピュータ・ウィルス?」
父 「確かギリシア方がトロイの木馬を送ることで、最終的にトロイアに勝ったんだ。おそらくコンピュータ・ウィルスだろうね」
弟 「そんなんで戦争に勝てるの?」
父 「たぶん、パリス・ニモイはシステム・エンジニアなんだよ。ウィルス騒ぎで対応に追われている間に、西川へレンを奪われ、しかも連日の徹夜で疲労が溜まって過労死してしまい、トロイアは滅亡というわけさ」
娘 「なんだか救われない話ね」
父 「えてしてギリシア悲劇というのはそんなもんだよ」
娘 「パリス・ヒルトンはどうなるのよ」
父 「そのキャラを買われて吉本の舞台に立つだろうね」
弟 「それも悲しいオチだなあ」
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
娘 「わ、お父さん、チャンネル変えてもいい? 9時からトロイっていう映画を観たいの」
父 「何だね血相を変えて。そんなに面白い映画なのかい」
娘 「だってブラッド・ピットが出るのよ。明日友だちと会うのに、観なきゃ話題についていけなくなるんだから」
父 「ブラッド・ピット? お父さんにはよく分からんが、軽薄な映画なんじゃないか?」
娘 「とにかく面白いはずだわ。トロイア戦争を描いた映画……とか聞いたわ」
父 「ふーん。いまどきの女子大生がそんなものに興味を持つもんかね。あれ? 急にテレビが映らなくなったな」
娘 「壊れたの!? 冗談じゃないわ」
父 「いやいや、大丈夫さ。叩けばまた映るようになる……ありゃ。うーん、駄目だな。こりゃ本格的にいかれた」
娘 「きゃー! どうしてくれるのよ! トロイ観られないじゃない」
弟 「姉さん、ちょっと落ち着いたらどうだい」
父 「浩一の言うとおりだ。落ち着け。お父さんだってトロイア戦争のことぐらい知ってる。昔『トロイのヘレン』という映画も観たし、そう、うちにギリシャ神話の本があったな。お母さん、あの本を持ってきておくれ……さ、これからそのトロイとかいう映画の内容を聞かせてやろうじゃないか。これで話題に遅れなくてすむぞ」
娘 「ぶーぶー」
父 「そう不満を言うな。博学な父を持ったことを有り難く思うんだな。えーと、この本によると……いかん、トロイア戦争のページがだいぶ破けてるな」
娘 「大丈夫なの!?」
父 「心配するな、だいたいのことは記憶している。えー、破れずに残っている部分によると、こういうことになるな。むかし天上界で、アテナ、ヘラ、アフロディーテという三人の女神が美しさを競うことになった。ゼウスは誰がいちばん美しいかの判決を、パリスという羊飼いの少年にゆだねることにした。ところがアフロディーテが、自分を指名してくれたらこの世で最も美しい女を妻として与える、とパリスに持ちかけたんだな。パリスはこれに目がくらみ、アフロディーテを一位に推した。パリスはアフロディーテの保護のもとギリシアに渡り、スパルタ王メネラオスに迎えられた。で、メネラオスの妻であるヘレンが絶世の美女で、アフロディーテがパリスの妻にと約束した女がこれだったんだな。女神の庇護があるから、パリスはなんなくヘレンを口説き落とし、トロイアに連れて帰った。えーと、パリスは羊飼いなんかやっていたが、実はトロイアの王子だったんだな。それがきっかけになって、スパルタの呼びかけに応じたギリシア諸国の連合軍は、トロイアと全面戦争になったというわけだ」
娘 「ふーん、なんだかややこしいわね。アキレスっていうのが出てこない? ブラピがやるらしいのよ」
父 「ここからは本が破れていてよくわからないな……しかしどうも、アキレスというのはギリシア方の戦士らしいな」
娘 「ということはギリシア方が勝つのね。でも、いろんな名前が出てきてよく分からないわ……そのパリスっていうのはパリス・ヒルトンと関係があるのかしら」
父 「うーん、その辺がよく分からんな……まあしかし、関係あると見るのが妥当だろうな。おそらくトロイアの王子パリスの妹がパリス・ヒルトンだろう。配役から見て、ブラッド・ピットの恋人だろうな」
娘 「ふーん。ヘレンっていうのも物語の鍵を握っているわね。どんな女優さんがやるのかしら」
父 「まあヘレンというぐらいだから、西川へレンじゃないかな」
娘 「じゃあメネラオスは西川きよし?」
父 「当然そういうことになるな」
弟 「父さん、俺、数学の幾何の時間にメネラウスの定理っていうのを習ったんだけど、それは関係ないかな」
父 「それだ。確か聞いたことがあるぞ。ギリシアの数学者で、戦争になっても地面に図形ばかり描いていて、兵士にあっけなく殺されたのがいたな。たぶんメネラオスがそれだ」
娘 「じゃあメネラオスはスパルタの王で数学者なの? で、すぐに殺されちゃうの? 西川きよしなのに?」
父 「おそらく友情出演なんだろう」
弟 「いやしかし、メネラオスが妻を奪われたからこそ戦争してるんだろ? すぐに死んじゃったら戦争を続ける意味が無いじゃないか」
父 「しかし西川へレンを奪われ西川きよしが殺されたら、吉本興業は黙っちゃおるまい? だから全面戦争もやむをえないことだろうさ」
弟 「じゃ、ギリシア方というのは吉本興業のことなの?」
父 「そう解釈するのが自然だろうな。ギリシア軍とはすなわち、吉本の若手芸人が組織したものに相違あるまい」
娘 「わかった! じゃトロイアは、パリス・ヒルトンが娘なんだからヒルトン財閥のことなのよ!」
父 「おそらくそうだろうね。しかしそうなると王子のパリスというのはどんな奴なんだろうね……お父さんが思うに、昔スパイ大作戦に出てきた変装の名人パリスと同一人じゃないかな」
弟 「なんでいきなりそんなマニアックなキャラが出てくるんだい?」
父 「変装のパリスといえば、演じるのはMr.スポックのレナード・ニモイだぞ。西川へレンとも年齢的に釣り合うじゃないか」
娘 「整理するわね。トロイアの王家はすなわちヒルトン財閥で、その王子であるパリス・ニモイが、ギリシア方つまり吉本興業から西川へレンを奪い、さらには王である西川きよしを殺し、戦争に突入。さらにギリシア方のブラピ演じるアキレスはトロイアのパリス・ヒルトンと恋仲。なんだかスリリングな話ね。でも、アキレスも吉本の芸人なの? アキレスはすごくかっこよくて強いっていう設定なのよ。芸人って柄じゃないわ」
父 「お父さんもさっきからそれを考えてたんだがね。最近は吉本も多角経営だからプロレス部門みたいなものがあって、アキレスはそこの所属なんじゃないかな」
弟 「じゃ、アキレスはレスラーなの? 名前から察するに得意技はアキレス腱固めかな」
父 「かも知れん。ん……だんだん思い出してきたぞ。この本によると、トロイア戦争の物語の原作は『イーリアス』だそうだが、これを書いたのは確か梶原一騎だ。アキレスは虎の穴で鍛えられ、自らが育った孤児院を援助するために戦い続けるんだ」
娘 「じゃ、ブラッド・ピットの演じるアキレスはタイガーマスクで本名は伊達直人? なんだか複雑だわ……でも孤児院で育ったアキレス・伊達が財閥のパリス・ヒルトンと恋仲って、ロマンティックでいいわね。なれそめは何だったのかしら」
父 「おそらくアキレス・タイガー・伊達がおのれを鍛えるため、セレブたちの娯楽であるルール無用の『地下プロレス』のリングに上がっていたとき出逢ったんじゃないかな。パリス・ヒルトンはあちこちで派手なパーティをやりすぎてどこの店でも出入り禁止になり、彼氏とのセックスを映したビデオが流出し、自暴自棄になって地下プロレスのリング・サイドで酒に溺れていた。それをタイガーが見初めたというわけだ」
娘 「頭がこんがらがってくるわ……で、結局、戦争はどうなるのよ」
弟 「トロイの木馬っていうのが出てくるんじゃなかったっけ?」
娘 「何それ。コンピュータ・ウィルス?」
父 「確かギリシア方がトロイの木馬を送ることで、最終的にトロイアに勝ったんだ。おそらくコンピュータ・ウィルスだろうね」
弟 「そんなんで戦争に勝てるの?」
父 「たぶん、パリス・ニモイはシステム・エンジニアなんだよ。ウィルス騒ぎで対応に追われている間に、西川へレンを奪われ、しかも連日の徹夜で疲労が溜まって過労死してしまい、トロイアは滅亡というわけさ」
娘 「なんだか救われない話ね」
父 「えてしてギリシア悲劇というのはそんなもんだよ」
娘 「パリス・ヒルトンはどうなるのよ」
父 「そのキャラを買われて吉本の舞台に立つだろうね」
弟 「それも悲しいオチだなあ」
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No.14
2009/10/15 (Thu) 21:59:16
ある宗教団体の教義によれば、みだりに異性の裸を目にすると、霊魂に穴が開くのだそうである。つまり異性の裸は、われわれの胸のうちにある魂を傷つけ、穴を開け、そこから生命エネルギーを流出させてしまうというのだ。もちろん好色を戒めるための比喩なのだろうが、この流儀で言えば、裸像に満ち溢れた世界に住む現代人の魂は、さながら蜂の巣のようになっているに違いない。
ある離島に少年が、親子三人で住んでいた。そこは、美しい自然に恵まれた静かな島だった。夏には観光客も訪れるが、あまり知られていない島だったから、その数もまばらだった。都会のどぎつい歓楽とは無縁のこの島で、少年は素朴に育っていた。小学六年生である。
ある夏のこと。三人の女子高校生が、この島に遊びに来た。民宿を営んでいた少年の家に、三人は滞在することになった。
三人は美しかった。とりわけユミという少女の美しさは際立っていた。他の二人より背は低かったが、雪のように肌が白く、いつも潤みがちのその目は敏感に動き、髪は栗色。
少年はこの三人、とりわけユミに心を奪われた。しかし小学生の彼は、恋をしているとか、そういう意識は持たなかった。ただユミが廊下を通り過ぎるときや、他の二人と玄関を出ていくとき、その白く輝く姿をそっと見ているだけ……挨拶ていどはするが、それ以上には口をきかなかった。
そんなある日、少年は釣りに出かけた。いつものように、海岸に出る近道の、木々の密生する林の中を歩いていく。少年は、海岸近くの木々の中で、三人の白い人影を見た。彼の家に泊まっている女子高生たちが、木陰で水着に着替えているのだった。
少年はユミの一糸まとわぬ裸体を見た。その裸体は白磁のように輝き、その美しい曲線が少年の目を射た。少年は慌てて目をそむけ、もと来た道を急いで引き返していった。
彼女の裸体を見たのは一瞬だけだったが、少年の脳裏にはそれが強く焼きついて離れなかった。
数日後、三人は帰っていった。少年は結局、ユミとはろくに口がきけなかった。三人が帰ってからも、少年はことあるごとに、ユミの裸を思い出さずにはいられなかった。それを見たのが一瞬だったからこそ、余計に強く記憶に残ったのかもしれない。
そんなある日、少年の家に、彼の名前宛にこんな葉書が届いた。
有料映像未納利用料 請求督促通達書
このたびご通知致しましたのは、過去に貴方様のご利用なされた「有料映像の未納金」について運営業者様から当社が債権譲渡を承りましたので、大至急当社の方までご連絡ください。期限までにご連絡していただけないお客様に関しては、お支払いの意思がないものとみなし、裁判所の許可のもとに担当回収員がご自宅に直接回収に伺います。尚ご自宅不在の場合はお客様の近隣調査を行い、財産の差し押さえ手続きを行わせていただきます。
(近年、債権回収業者を装った悪質な業者による被害が急増していますので、ご注意してください)
債権総合管理センター
そのあとに「担当直通」の電話番号と「最終受付期限」の日付が書かれていた。日付は明後日になっている。
少年は恐れおののいて、父にこの葉書を見せた。父は、何かいかがわしい「映像」を見た覚えはあるか、と尋ねた。少年がそんな覚えはないと言うと、父は
「たちの悪いいたずらだ」
と言って、葉書を破り捨てた。
しかし、少年は心のどこかに、何か引っ掛かるものを感じていた。いかがわしい映像。見てはいけないもの。ユミの裸体が少年の脳裏にくっきりと浮かんだ。
その晩、少年は悪夢にうなされた。
夢の中で少年は、テレビドラマによく出てくる警察の取調(とりしらべ)室のような部屋にいた。そして、正面に座った背広の男から尋問を受けている。
「君、葉書でも知らせたように、禁断の映像を見たね」
背広の男が言ったが、少年は黙っていた。
「ユミという少女の裸の姿を見ただろう!」
少年は拳を固め、うつむいてなおも黙っていた。
いきなり背広の男が少年のむなぐらをつかんだ。
「性の快楽には常に高い代償が付きまとうんだ! 子供だからといって許されると思ったら大間違いだ!」
背広の男は少年を殴り飛ばした。男は少年になおも馬乗りになり、何度も平手打ちをくわせる。
そこで目が覚めた。汗びっしょりだった。少年は恐ろしくなり、いても立ってもいられなくなった。まず、破り捨てられてごみ箱の中にあった葉書をみつけ、そこにある番号に電話してみようかと思った。しかし、それは少しためらわれた。なにか途方もない金額を払わされるはめになるような気がしたからだ。
何かよい手立てはないかと少年は思った。それとともに、ユミの裸を見てしまったことに対する罪悪感に襲われた。彼は子供ながらに、なにかの形で責任を取らねばと思った。
少年は、三人の女子高生が泊まったときの宿帳を見つけ、ユミの住所を調べた。そして両親の箪笥(たんす)の引き出しから現金をいくらか取り出し、その日の船で本土に旅立った。期限は明日なのだ、という切迫感とともに、必死でユミの家を捜し求めた。
その日の夕方になって、少年はユミの家にたどりついた。ドアのチャイムを鳴らす。
ユミが出てきた。
「どちらさま?」
「すみません、僕、このあいだお世話させていただいた島の民宿のものです」
「まあ、またどうしてこちらへ?」
少年はここへ来るまで、何度も心の中で、ユミに言うべき言葉を思い浮かべていた。自分が彼女の裸を見てしまって罪の意識にかられている事、明日の「期限」までにどうしても謝罪を受け入れてもらわねば困ること……しかし彼女を前にすると、どうしてもその言葉が口から出てこなかった。
「……すみません。たまたまこちらに旅行に来たので……あの、寄らせてもらいました」
「まあ。私たちの旅行のときには、本当にお世話になりました。うん。ありがとう」
それに対し、少年は何か言おうとしたものの言葉にならず、じっと押し黙ってしまった。その様子をしばらく不思議そうに見ていたユミは、急ににっこりと微笑んだ。少年には、彼女がなぜ笑顔になったのかまるで見当がつかなかった。
「いま家族でお茶を飲んでいたところだったの。よかったら上がってちょうだい」
ユミの家族にあたたかくもてなされ、彼女とも次第に打ち解けてお喋りするうちに、少年の心からは馬鹿げた妄想や罪悪感がきれいに融けてなくなっていった。
少年は安心して島に帰っていった。その後、彼がユミと会うことがあったかどうかは分からない。
(終)
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
ある離島に少年が、親子三人で住んでいた。そこは、美しい自然に恵まれた静かな島だった。夏には観光客も訪れるが、あまり知られていない島だったから、その数もまばらだった。都会のどぎつい歓楽とは無縁のこの島で、少年は素朴に育っていた。小学六年生である。
ある夏のこと。三人の女子高校生が、この島に遊びに来た。民宿を営んでいた少年の家に、三人は滞在することになった。
三人は美しかった。とりわけユミという少女の美しさは際立っていた。他の二人より背は低かったが、雪のように肌が白く、いつも潤みがちのその目は敏感に動き、髪は栗色。
少年はこの三人、とりわけユミに心を奪われた。しかし小学生の彼は、恋をしているとか、そういう意識は持たなかった。ただユミが廊下を通り過ぎるときや、他の二人と玄関を出ていくとき、その白く輝く姿をそっと見ているだけ……挨拶ていどはするが、それ以上には口をきかなかった。
そんなある日、少年は釣りに出かけた。いつものように、海岸に出る近道の、木々の密生する林の中を歩いていく。少年は、海岸近くの木々の中で、三人の白い人影を見た。彼の家に泊まっている女子高生たちが、木陰で水着に着替えているのだった。
少年はユミの一糸まとわぬ裸体を見た。その裸体は白磁のように輝き、その美しい曲線が少年の目を射た。少年は慌てて目をそむけ、もと来た道を急いで引き返していった。
彼女の裸体を見たのは一瞬だけだったが、少年の脳裏にはそれが強く焼きついて離れなかった。
数日後、三人は帰っていった。少年は結局、ユミとはろくに口がきけなかった。三人が帰ってからも、少年はことあるごとに、ユミの裸を思い出さずにはいられなかった。それを見たのが一瞬だったからこそ、余計に強く記憶に残ったのかもしれない。
そんなある日、少年の家に、彼の名前宛にこんな葉書が届いた。
有料映像未納利用料 請求督促通達書
このたびご通知致しましたのは、過去に貴方様のご利用なされた「有料映像の未納金」について運営業者様から当社が債権譲渡を承りましたので、大至急当社の方までご連絡ください。期限までにご連絡していただけないお客様に関しては、お支払いの意思がないものとみなし、裁判所の許可のもとに担当回収員がご自宅に直接回収に伺います。尚ご自宅不在の場合はお客様の近隣調査を行い、財産の差し押さえ手続きを行わせていただきます。
(近年、債権回収業者を装った悪質な業者による被害が急増していますので、ご注意してください)
債権総合管理センター
そのあとに「担当直通」の電話番号と「最終受付期限」の日付が書かれていた。日付は明後日になっている。
少年は恐れおののいて、父にこの葉書を見せた。父は、何かいかがわしい「映像」を見た覚えはあるか、と尋ねた。少年がそんな覚えはないと言うと、父は
「たちの悪いいたずらだ」
と言って、葉書を破り捨てた。
しかし、少年は心のどこかに、何か引っ掛かるものを感じていた。いかがわしい映像。見てはいけないもの。ユミの裸体が少年の脳裏にくっきりと浮かんだ。
その晩、少年は悪夢にうなされた。
夢の中で少年は、テレビドラマによく出てくる警察の取調(とりしらべ)室のような部屋にいた。そして、正面に座った背広の男から尋問を受けている。
「君、葉書でも知らせたように、禁断の映像を見たね」
背広の男が言ったが、少年は黙っていた。
「ユミという少女の裸の姿を見ただろう!」
少年は拳を固め、うつむいてなおも黙っていた。
いきなり背広の男が少年のむなぐらをつかんだ。
「性の快楽には常に高い代償が付きまとうんだ! 子供だからといって許されると思ったら大間違いだ!」
背広の男は少年を殴り飛ばした。男は少年になおも馬乗りになり、何度も平手打ちをくわせる。
そこで目が覚めた。汗びっしょりだった。少年は恐ろしくなり、いても立ってもいられなくなった。まず、破り捨てられてごみ箱の中にあった葉書をみつけ、そこにある番号に電話してみようかと思った。しかし、それは少しためらわれた。なにか途方もない金額を払わされるはめになるような気がしたからだ。
何かよい手立てはないかと少年は思った。それとともに、ユミの裸を見てしまったことに対する罪悪感に襲われた。彼は子供ながらに、なにかの形で責任を取らねばと思った。
少年は、三人の女子高生が泊まったときの宿帳を見つけ、ユミの住所を調べた。そして両親の箪笥(たんす)の引き出しから現金をいくらか取り出し、その日の船で本土に旅立った。期限は明日なのだ、という切迫感とともに、必死でユミの家を捜し求めた。
その日の夕方になって、少年はユミの家にたどりついた。ドアのチャイムを鳴らす。
ユミが出てきた。
「どちらさま?」
「すみません、僕、このあいだお世話させていただいた島の民宿のものです」
「まあ、またどうしてこちらへ?」
少年はここへ来るまで、何度も心の中で、ユミに言うべき言葉を思い浮かべていた。自分が彼女の裸を見てしまって罪の意識にかられている事、明日の「期限」までにどうしても謝罪を受け入れてもらわねば困ること……しかし彼女を前にすると、どうしてもその言葉が口から出てこなかった。
「……すみません。たまたまこちらに旅行に来たので……あの、寄らせてもらいました」
「まあ。私たちの旅行のときには、本当にお世話になりました。うん。ありがとう」
それに対し、少年は何か言おうとしたものの言葉にならず、じっと押し黙ってしまった。その様子をしばらく不思議そうに見ていたユミは、急ににっこりと微笑んだ。少年には、彼女がなぜ笑顔になったのかまるで見当がつかなかった。
「いま家族でお茶を飲んでいたところだったの。よかったら上がってちょうだい」
ユミの家族にあたたかくもてなされ、彼女とも次第に打ち解けてお喋りするうちに、少年の心からは馬鹿げた妄想や罪悪感がきれいに融けてなくなっていった。
少年は安心して島に帰っていった。その後、彼がユミと会うことがあったかどうかは分からない。
(終)
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No.13
2009/10/15 (Thu) 21:57:29
友達としゃべって盛り上がっているときなど、急な用事ができて、さて用事を済ませて戻ってきてみると、さほどしゃべりたい気持ちは互いになくなっていて、残念な思いをすることがたまにある。急な用事ができたときに、しゃべっている相手を「一時停止」し、用事を済ませたあと「一時停止」を解除できれば、盛り上がっている雰囲気そのままに、おしゃべりを続けることができる。そんな「一時停止装置」があれば便利ではないか。
大学生のジュン君は、発明家の兄からその「一時停止装置」を譲りうけた。
「あまり濫用するなよ」
兄は言った。しかしジュン君は濫用する気だったのである。
たとえば授業中眠くなってくると、教室全体を「一時停止」し、仮眠をとってから停止を解除する。いつもすっきりした気分で授業が受けられるわけだ。
自動車教習所でも、所内での技能教習の時間中に教習所全体を「一時停止」し、一人で思うさま運転の練習をしたあと、停止を解除する。教官からすると、ジュン君は驚くほど上達の早い生徒に見えた。
ジュン君は大学で同級のユリに恋をしていた。そしてあるとき、おずおずと自分の気持ちを打ち明けた。するとユリもジュン君のことを好きだと言った。ジュン君は天にも昇る気持ちだった。二人はそれからデートを重ねた。
ジュン君は、ユリには「一時停止装置」を使わなかった。なんとなく失礼になると思ったからだ。しかしあるときジュン君は不安になった。ユリが自分を好きでいてくれる気持ちが、いつまでも続くのかどうか。ジュン君は、自分がときどき人から「頼りない」と思われているような気がしていた。こんな頼りない自分のままでは……とてもユリとは結婚できまい。そこである日のデートの待ち合わせのとき、ユリを待たせておいて、彼女に「一時停止」をかけた。
それからジュン君はがむしゃらに働いた。自分で会社を作り、必死に事業を拡大した。ジュン君は成功し、結構な年商をあげられるようになった。そこで彼はユリの一時停止を解こうと思った。
ジュン君は高級車に乗って、デートの待ち合わせ場所に行った。
「ジュン、あなた、変わってしまったわ。まるで金の亡者じゃない」
一時停止を解かれたユリが言う。
「でも、僕は君のために頑張ったんだ」
「でもあなたはもう、わたしの好きになったジュン君じゃない。もう、お別れね」
そしてユリは去っていった……。
ジュン君は車の中でそんな場面を想像して不安にかられた。やっぱり、ユリの一時停止を解くのはもう少し先にのばそうか?
しかし、ぐずぐずしていても始まらない。ジュン君は高級車の中からユリに装置を向けて、一時停止を解いた。
車から出てくるジュン君を見てユリは目をまるくした。
「すごいわ、ジュン。これ誰の車?」
「僕の車だよ」
「でも……」
「僕は君の知らない間に、一所懸命に働いたんだ。実は、会社の社長なんだ」
「知らなかった! あなたって、努力家なのね」
それから楽しいデートが始まった。一流のレストランで食事をとり、またジュンは彼女に一流ブランドの服やバッグを買ってあげた。ユリはそれを素直に喜んだ。
そして、二人は結婚した。ユリの気持ちが離れるかもしれないというジュンの気持ちは杞憂に終わったようだった。ユリは裕福な生活を楽しんでいるようだった。
ある晩、二人はレストランで食事をとっていた。しばらく仕事が忙しくてユリと過ごす時間を持てず、ジュンは彼女との関係が冷えてしまうのを恐れてきたが、その夜は楽しい会話が尽きなかった。食事も美味しかった。ジュンは、美しいユリの姿をつくづく眺めた。白い肌。うるんだような瞳。栗色の髪。彼女は優しい微笑を浮かべていた。
急に、彼女の表情がまじめになった。また、彼女のお腹が急に大きく膨らんだ。
「ジュン、まず謝らなければならないわ。わたし、じっくり考えてみたの。とんとん拍子に幸せになったけれど、しばらくあなたが忙しくて孤独な時間が増えたとき、本当にこれでよかったのかなって。そしてある日、あなたの机の引出しから、奇妙な機械を見つけたの。なんでも一時的に止められる、便利な道具だったわ。そして、このレストランで食事しているとき、その装置をあなたに対して使いました。そして、改めてあなたとの生活を考え直してみたの。本当にこの人でよかったのかなって。裕福さだけが幸せなのかなって、思った。わたし、もっと別なかたちの幸せを求めていたんじゃなかったかって……そんな時、ある男性に出会いました。その人は、わたしの悩みを百パーセント理解してくれたわ。わたし、その人こそ自分にふさわしいんじゃないかって思った。今、お腹にいる子供は、その人の子供です。その男性は今そこにいるの」
ユリはレストランの入り口の方を振り返った。ジュンもそっちを見ると、背の高いきちんとした身なりの男が、深々と一礼した。
「あなたには急な話でショックでしょうけど、わたしたちのこと、わかってね」
ジュンは唖然とした。自分が幸福の絶頂から不幸のどん底に落ちてしまった事に、まだ実感がわかなかった。実感を持てようはずがなかった。
そしてユリの大きくなったお腹を、ただ呆然と、いつまでも見つめ続けていた。
(終)
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
大学生のジュン君は、発明家の兄からその「一時停止装置」を譲りうけた。
「あまり濫用するなよ」
兄は言った。しかしジュン君は濫用する気だったのである。
たとえば授業中眠くなってくると、教室全体を「一時停止」し、仮眠をとってから停止を解除する。いつもすっきりした気分で授業が受けられるわけだ。
自動車教習所でも、所内での技能教習の時間中に教習所全体を「一時停止」し、一人で思うさま運転の練習をしたあと、停止を解除する。教官からすると、ジュン君は驚くほど上達の早い生徒に見えた。
ジュン君は大学で同級のユリに恋をしていた。そしてあるとき、おずおずと自分の気持ちを打ち明けた。するとユリもジュン君のことを好きだと言った。ジュン君は天にも昇る気持ちだった。二人はそれからデートを重ねた。
ジュン君は、ユリには「一時停止装置」を使わなかった。なんとなく失礼になると思ったからだ。しかしあるときジュン君は不安になった。ユリが自分を好きでいてくれる気持ちが、いつまでも続くのかどうか。ジュン君は、自分がときどき人から「頼りない」と思われているような気がしていた。こんな頼りない自分のままでは……とてもユリとは結婚できまい。そこである日のデートの待ち合わせのとき、ユリを待たせておいて、彼女に「一時停止」をかけた。
それからジュン君はがむしゃらに働いた。自分で会社を作り、必死に事業を拡大した。ジュン君は成功し、結構な年商をあげられるようになった。そこで彼はユリの一時停止を解こうと思った。
ジュン君は高級車に乗って、デートの待ち合わせ場所に行った。
「ジュン、あなた、変わってしまったわ。まるで金の亡者じゃない」
一時停止を解かれたユリが言う。
「でも、僕は君のために頑張ったんだ」
「でもあなたはもう、わたしの好きになったジュン君じゃない。もう、お別れね」
そしてユリは去っていった……。
ジュン君は車の中でそんな場面を想像して不安にかられた。やっぱり、ユリの一時停止を解くのはもう少し先にのばそうか?
しかし、ぐずぐずしていても始まらない。ジュン君は高級車の中からユリに装置を向けて、一時停止を解いた。
車から出てくるジュン君を見てユリは目をまるくした。
「すごいわ、ジュン。これ誰の車?」
「僕の車だよ」
「でも……」
「僕は君の知らない間に、一所懸命に働いたんだ。実は、会社の社長なんだ」
「知らなかった! あなたって、努力家なのね」
それから楽しいデートが始まった。一流のレストランで食事をとり、またジュンは彼女に一流ブランドの服やバッグを買ってあげた。ユリはそれを素直に喜んだ。
そして、二人は結婚した。ユリの気持ちが離れるかもしれないというジュンの気持ちは杞憂に終わったようだった。ユリは裕福な生活を楽しんでいるようだった。
ある晩、二人はレストランで食事をとっていた。しばらく仕事が忙しくてユリと過ごす時間を持てず、ジュンは彼女との関係が冷えてしまうのを恐れてきたが、その夜は楽しい会話が尽きなかった。食事も美味しかった。ジュンは、美しいユリの姿をつくづく眺めた。白い肌。うるんだような瞳。栗色の髪。彼女は優しい微笑を浮かべていた。
急に、彼女の表情がまじめになった。また、彼女のお腹が急に大きく膨らんだ。
「ジュン、まず謝らなければならないわ。わたし、じっくり考えてみたの。とんとん拍子に幸せになったけれど、しばらくあなたが忙しくて孤独な時間が増えたとき、本当にこれでよかったのかなって。そしてある日、あなたの机の引出しから、奇妙な機械を見つけたの。なんでも一時的に止められる、便利な道具だったわ。そして、このレストランで食事しているとき、その装置をあなたに対して使いました。そして、改めてあなたとの生活を考え直してみたの。本当にこの人でよかったのかなって。裕福さだけが幸せなのかなって、思った。わたし、もっと別なかたちの幸せを求めていたんじゃなかったかって……そんな時、ある男性に出会いました。その人は、わたしの悩みを百パーセント理解してくれたわ。わたし、その人こそ自分にふさわしいんじゃないかって思った。今、お腹にいる子供は、その人の子供です。その男性は今そこにいるの」
ユリはレストランの入り口の方を振り返った。ジュンもそっちを見ると、背の高いきちんとした身なりの男が、深々と一礼した。
「あなたには急な話でショックでしょうけど、わたしたちのこと、わかってね」
ジュンは唖然とした。自分が幸福の絶頂から不幸のどん底に落ちてしまった事に、まだ実感がわかなかった。実感を持てようはずがなかった。
そしてユリの大きくなったお腹を、ただ呆然と、いつまでも見つめ続けていた。
(終)
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
目次
上段の『☆ 索引』、及び、下段の『☯ 作家別索引』からどうぞ。本や雑誌をパラパラめくる感覚で、読みたい記事へと素早くアクセスする事が出来ます。
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
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