「失礼ですが、磯田さんとはどういうご関係の方でしょうか」
「私ですか? 私は平田正というもので、画家をしております。かれこれ三十五年ほど前、パリで修業を積んでいたころ、磯田さんの知遇を得ましてね。彼には本当にお世話になりました。今日の私があるのも、まったく磯田氏のおかげといっていいほどです。
当時の私は、芸術家の卵の例にもれず、パリで極貧の生活を送っていました。昼間はカフェで、そこにいる客たちの似顔絵を描いたりして小銭を稼いでいました。
ある日、カフェの隅っこに座って考え事をしている日本人が目に付きました。それが磯田さんだったんです。私は近い将来個展を開いて、自分の実力がどう評価されるか試してみたいという欲求を持っていました。ただ個展の目玉になるような傑作がまだ描けていなかったんです。しかしそのとき私は、磯田氏の顔を見て、これだと思いました。霊感に打たれたんですね。彼の顔、そして眼差しには、底知れない闇と、それを統御しうる理性が表れていると同時に、また狂気のようなものがちかりちかりと明滅しているように感じました。
私は磯田氏に、時間があるなら絵のモデルになってくれないかと頼みました。
『謝礼はもらえるのかね』と聞かれたので
『大したお礼はできませんが、今晩の夕食をご馳走します』
『そうか』と言って磯田さんは私のアパルトマンにやってきました。磯田氏は私がコーヒーを差し出すと『実はフランスに来て早々金を盗まれてしまってね。一か月ほどたてば日本からまとまった額の金が送られてくる目算があるんだが、今は一文無しなんだ。だから君が夕食に招待してくれたのはとてもあがたい』
『日本大使館に行って事情を話したらどうです?』と私がいうと
『駄目だ、日本に送り返される。今は事情があって日本には帰れない。君も私をモデルに絵を描くのならしばらく時間がかかるだろう? 君の迷惑にはならないから、私をしばらくここに置いてもらえないだろうか』
素性の知れない男で、普通ならそんな申し出には躊躇するところでしょうが、磯田さんという人からは立派な人柄がすでに十分に伝わっていましたし、仮に磯田さんが泥棒だったとしても盗るものなんてほとんどありませんしね。結局磯田さんは我が家にしばらく逗留することになりました。
私は昼間になると、なじみのカフェや路上で似顔絵かきをして小銭を稼いでいましたが、磯田さんもどこかへふらりと出かけ、どうやってかは知りませんが、いくばくかのお金を手に入れてきました。だから絵のモデルとしてだけでなく、磯田さんと同居することはこちらにとっても助かりました。それと、我が家にはひっきりなしに借金取りがおしかけてきましたが、それも磯田さんが対応し、一か月かそこらで必ず返すからと言って追っ払ってくれたんです。磯田さんが請け合うとたいていの借金取りは納得して帰っていきますから、私は絵に専念することが出来そうだと思いました。
しかし、容易に追い返せない借金取りもいたのです。デュモンという金貸しの手下のもので、磯田さんはとうとう頭にきて『これだけ言っても分からないのか!』と言って相手の顎に鉄拳を食らわせ、昏倒させると私が住んでいる三階の窓からそいつを放り出しました。そいつはもう来なくなりましたが、翌日にはデュモンの別な手下がやってきました。昨日の奴よりずっと大きく腕っぷしが強そうで、こいつを三階から放り投げるわけにはいくまいと思われました。そいつは磯田さんに
『お前には用はねえ。平田に用があるんだよ』と言いました。
『平田には金はないし、そのあてもない! 一か月かそこらで耳をそろえて金を返すと何度も言ったろう?』
『信じられないね』
すると磯田さんは白い紙にフランス語でいついつまでに金を返すという証文を書き、包丁で親指の先を切って血で拇印を押しました。
『これは必ず約束を守るという印で、日本の血判というものだ。日本人は血判を押せば命に代えても約束を守る、これを持って親分のところに帰れ』磯田さんがそう言っても相手は
『日本の風習なんか知るかよ。さっさと平田を出すんだ』と言ってききません。すると磯田さんは『この石頭め』と言ってやおらその大男の左の耳をつかんでびりっと引きちぎり、ちぎった耳を相手の顔に投げつけました。そして包丁を大男の頸動脈につきつけ『帰って親分に言いな。こんどは耳の一つや二つじゃすまねえぞってな』と言って追い返しました。
磯田さんは私を振り返って言いました。
『いったい何なんだあの連中は。金を必ず返すといっても耳を貸さない。まるで金には用がないようだ』
『実は、いぜん私はここで妻と暮らしていたんです。フランス人でシモーヌといいます。私のデュモンへの借金がかさんでくると、かねてからシモーヌに懸想していたデュモンは、借金のかただと言ってシモーヌを連れ去ってしまったんです。デュモンにとってはもう金なんかどうだっていい。シモーヌを自分になびかせるために、僕をパリから追い出すか、ひそかに殺してしまうかしたいんでしょう。いや、我ながら情けない話です』
『そんなことが許されるのか? 人身売買と同じじゃないか』
『デュモンはここでは大物ですからね。彼を訴えても警察は動いちゃくれません。幹部がみな買収されてるんでしょうよ』
それ以来磯田さんは目に見えていらいらし始めました。デュモンの手下が来ると、有無を言わさず相手の口に手を突っ込んで顎の関節をはずしたり、眼窩に指を突っ込んで目玉をくりぬいたり、一度などは関係のない酒屋がやってきたのに、磯田さんはいつもの調子で剃刀を閃かし相手の鼻をそぎとってしまいました。『それはデュモンの手下じゃない、ただの酒屋ですよ!』と私が叫ぶと磯田さんは正気に戻ったのか、『それはえらいことだ』とつぶやいて彼の黒い鞄を開くと、そこにはメスだの注射器だの、手術道具がたくさん入っていて、さっそく酒屋の鼻をつなぎ合わせる手術を始めました。このとき初めて、私は磯田さんが医者であることを知ったんです。
ある日のことです。磯田さんをモデルにした絵は八割がた出来上がったように思えましたが、それは自分にとっても最高傑作になるという予感がしました。磯田さん自身はふらりとどこかに出かけていました。私が絵の前に立って仕上げについてあれこれ考えていると、呼び鈴が鳴りました。そのときは早朝で、デュモンの手下が押し掛けてくるには早すぎます。安心して玄関のドアを開けると、大きな眼鏡をかけ顔の下半分は布でぐるぐる巻きにした男が立っていて、掃除機のノズルのようなものを私の顔に向けたかと思うと、白く生暖かいガスを勢いよく吹き付けました。私はとたんに気分が悪くなり、その場に倒れてしまいました。
気が付いた時にはベッドに横たわっており、磯田さんが手当てをしてくれていました。そして何があったのか、いま痛いところはないか、などと質問を受けました。私が起こったことを話すと、磯田さんは玄関へブラシやシャーレを持っていき、辺りから何かを採取しているようです。彼は鞄から取り出した顕微鏡で、採取したものを調べています。
『培養してみないとはっきりしたことは言えないが、おそらく結核菌だ。ひどいことをしやがる、お前さんは胸いっぱいに結核菌を吸い込まされたんだ』
『で、私はどうなるんです!?』
『今は比較的安価に特効薬が手に入るが、いまの我々の財政状態では手が届かない』
そうして、磯田さんは応急処置しかできないという状態で、しばらく看病してくれました。
数日後、磯田さんはにこにこ顔でアパルトマンに帰ってきました。日本の知人からお金が届いたから、特効薬を買ってきたというんです。それで私は間一髪のところで命を取り留めました。
『君にはずいぶん世話になったね。私の宿泊代と思って受け取ってほしい』磯田さんは私が負っている借金の分と、当座の生活費として十分な額のお金をベッドの脇に置きました。
そして磯田さんは、テーブルの上に並べていたシャーレと試験管、注射器でしばらく何かやっていたと思うと、『じゃ、デュモンのところに行ってくるか』というんです。昼過ぎに出かけていったのですが、夕方には驚いたことにシモーヌが帰ってきたんです! それは嬉しかったですが、同時に磯田さんのことも気がかりでした。
シモーヌが言うには、血みどろのハンマーやのこぎりを両手に持った磯田氏がいきなりデュモン邸に押し入ってきて、デュモンの護衛の者たちをもぐら叩きのように金づちで次々打ちのめし、血が噴水のように彼らの頭頂から吹き出てきて、あれで十分致命傷だったと思うけれども、さらに彼らの頸動脈に次々と何かを注射していったそうです。『三十億匹の結核菌を食らえ』などと言っていたそうなので、私のアパルトマンでせっせと結核菌を培養していたんでしょう。
それで彼らの親玉をぎろりと見つめ『おのれがデュモンか。お前は簡単には殺さん』というとメスを投げつけ、それは相手の鼻にぐさりと突き立って、オレンジ色の血液が飛び散りました。デュモンはあまりの痛みに歯をがちがちいわせて苦悶の声を漏らし、絨毯に手をつきました。それを抱き起し、手足と胴体を縛ってベッドに固定し、さらにさるぐつわをかませ、磯田氏はあちこちに電話をかけ始めました。
『もしもし、モン・サン・ミシェル病院ですか? お宅に腎臓移植が必要な患者がいましたね。こちらに腎臓があります。住所は……。ああもしもし、バティニョール病院ですか? そちらに生体肝移植を必要とする患者がいましたね? こちらに肝臓があります。住所は……。もしもし、オーヴェルニュ総合病院? そちらに骨髄移植を必要とする患者がたくさんいらっしゃいますね。こちらに骨髄がごっそりあります。住所は……』
そうして十軒ばかりの病院に電話し終えた磯田は『さあ、いま私が言った臓器をこれから一つずつ、貴様の体から取り出していくつもりだ。もちろん麻酔などという結構なものはしないよ。まずみぞおちから正中切開』
腹の真ん中を、縦にまっすぐメスが切り裂く。もちろんデュモンは悲鳴を上げます。
『では痛みに敏感な肝臓を切ろう。覚悟しろ』容赦なく磯田は臓器を切り裂いていく。またもや絶叫。
シモーヌはその凄惨な場面に耐え切れなくなり、デュモン邸から逃げ出し、私のアパルトマンへと帰ってきました。
それ以来、私は磯田さんに会っていません。
しかし、デュモンから取り出した臓器で一命をとりとめた者の中にはフランスの大統領も含まれており、磯田氏はその後日本の比類なき名医としてフランスから勲章が与えられたようです。磯田さんの行動がどうやって勲章に結びつくのかよく分かりませんが、とにかく偉い人だったんでしょう。
幸いにして、磯田進吉氏の肖像を目玉とした私の個展は大成功を収めました。磯田さんは私の命の恩人、そして妻と再会させてくれた恩人というだけでなく、私の画業においても大変な恩人なんですよ」
大家の小林氏は、平田氏の話を聞き終えてまたも呆然となった。磯田進吉はいったい善人なのか悪魔なのか。こんな人物がつい目と鼻の先に住んでいたと思うと、誇らしいようでもあり、殺されずにすんで良かったと胸をなでおろしもした。そしていっそう好奇心をかきたてられた小林氏は、今度は長身で白髪を短く刈った紳士のもとへと近づいていった。
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葬儀の当日は、孤独な印象のあった磯田に似合わず、百名を超える人々が参列した。葬儀のあと、十数名がずっと会場に残っていたから、世話係を務めていた大家は好奇心を起こし、それらの人々に磯田がどういう人物だったのか聞いてみることにした。
「私ですか? 私は橋本といいます。神奈川で町工場をやっている者で、磯田さんには若い頃たいへんお世話になりました。いやお世話どころじゃない、彼は私の命の恩人なんです。
かれこれ三十年ばかり前ですが、私は登山が趣味で、長野の黒姫山に登りにいきました。それが、だいぶ登ったところで道に迷いましてね。暗くなってくるし、そろそろ冬にさしかかる時季で、これは本格的に遭難してしまったと途方に暮れました。そこに木陰からふいに男が出てきましてね。それが磯田さんだったんです。彼は植物採集の箱を背負っていて、いかにも山のその辺の地理に通じているという感じがしました。それで私は訳を話し、磯田さんに助けを求めました。今から下山はやめたほうがいい、今晩私はここで野宿するがそれでもいいかと言うので、一晩いっしょに過ごすことになりました。
鳥のもも肉を焼いてくれて、ご馳走してくれました。磯田さんは無口な人で、焚き火の前で、ずっと黙って皮ベルトでナイフを研いでいました。まだ三十代だったと思いますが、日焼けして深いしわの寄った額や頬は、何十年も前からこの山で暮らしているようにも見えました。それでいて目は知的で眼光鋭く、山の精霊から無限の英知と活力を得ているようにも感じました。
そのとき、周りの木々がにわかにざわつき、五、六名の男たちが現われ、私たちは取り囲まれました。彼らは動物の毛皮で作った着物を身につけ、みな髭をぼうぼうに生やし、ある者は猟銃を構えていました。
『何事でしょうか?』私が尋ねると、磯田さんはこともなげに『山賊だよ』と答えました。あのころの信州にはまだまだそういう連中がいたんですなあ。まもなく我々は縄で縛られ、彼らの首領の元へ連れていかれました。
はげ頭で長い白髭を生やした山賊の首領は、まず私に『お前は何の仕事をしている? それから親はどんな家に住んでいる?』と尋ねました。私は父親の工場で働いている、家はいたって小さな家だと答えると、首領は『しけとるのう。身代金はせいぜい十万か。そっちの男はどうだ、何の仕事をしている?』と今度は磯田さんに聞きました。磯田氏は黙ったままです。すると子分の一人が、磯田さんから取り上げた鞄に入っていた名刺を首領に渡しました。『なになに、S大学理学部教授、生物学教室、理学博士か。あんた大学の教授なのか』『それは去年の名刺だ。もう大学はやめた』『だが博士なんだろ、偉いんだろう? これはずいぶん儲かりそうだ、身代金は三百万にしておこう』『そんな金払ってくれる奴なんていないよ』『嘘をつけ。このあいだ新聞で読んだが、博士ってのは千人に一人ぐらいしかなれねえそうじゃねえか。金持ちに決まってる。よし、この二人に交代で見張りをつけろ。他の者は寝てもいいぞ』
それでわれわれは、縛られたまま小さなテントに押し込まれました。見張りの者は煙草を吸いながらテントの入口を固めています。磯田さんがその見張りに『俺にも煙草を一本くれないか』といいました。すると見張りの男はにやりと笑って、煙草の火を磯田さんの手首にぎゅっと押し付けました。私が小便に行きたいと言うと殴られました。磯田さんはぎろりと見張りの男をにらみつけます。
夜が明けてきたころ磯田さんは『そろそろおいとまするか』と言ってするりと自分の縄を解きました。とっくに隠していたナイフで切っていたのです。そして不意をついて見張りの男のあごをぶんなぐり、あっけなく昏倒させました。『こいつらはゴミだ。しかも燃えるゴミだ』というと、ポケットからアルミの缶を出して何かの液体を見張りの男にふりかけました。そして火をつけたんです。わっと男は燃え出しました。男はじたばたしましたが容易に火は消えず、どんどん黒く焦げていってまもなく焼け死にました。磯田さんはテントから出ていき、三十分ほどして戻ってきました。『おっと、君のことを忘れていたね』といって私の縄を解くと『外に出てあたりを見たまえ』と私を促しました。
すると四つか五つあった山賊のテントが全部ぼんぼん燃えているではありませんか。テントから火だるまになって這い出してくる者たちもいましたが、みなすぐに黒焦げになって死んでしまいました。磯田さんはかん高い声でけたけた笑い『見ろ、人間がゴミのようだ!』と叫びました。しかし首領だけは木に縛り付けられ、磯田さんの放火攻撃を免れていました。白髭の首領が『命だけは助けてくれ!』と叫ぶと磯田さんは『おい、お前らは大川一家だな。小林一家は今どこにいる?』と尋ねました。『小林一家ならいま妙高山にいる! 頼むから助けてくれ!』『それだけ聞けば十分だ』と言った磯田さんはどこから見つけてきたのかいつの間にか手にのこぎりを持っていて、それで首領の首をぎこぎこ斬りはじめたのです! さすがに私はあわてて『何やってるんですか! それはやりすぎだ!』と言いました。すると磯田さんはちょっと悲しそうな顔をして『いや、僕は一年近く放浪していてもうからっけつでね。小林一家というのはこの大川一家と対立している山賊だから、こいつの首を持っていけばいい待遇で仲間に入れてくれると思うんだ。つまりしばらく僕は山賊に鞍替えしようというわけだ。君には気持ち悪いものを見せてしまったね。安全な下山ルートを教えるから気をつけて帰るんだよ』そういって磯田さんは山賊の首領の首を斬り落としたあと、血みどろの手で詳しい地図を描いてくれました。
そういうわけで、磯田さんの行動は決して人の模範になるようなものではありませんでしたが、私にとっては命の恩人なわけです。ところでしばらくたって、磯田さんが新聞に大きく二面にわたって取り上げられたときはたまげました。その一面は『極悪非道の山賊・磯田進吉ついに逮捕』で、もう一面は『磯田進吉博士、野草の成分からがん治療の画期的新薬を開発』となっており、両方に磯田さんの大きな写真が載っていました。磯田さんは山賊稼業の合い間をぬって研究を続け、論文を海外の科学雑誌に投稿していたんです。まあ私のような凡人には到底理解しかねる人物ですよ」
そういうと橋本氏は別れを告げて葬儀場を去っていった。磯田氏のアパートの大家は話を聞いて呆気に取られたが、同時に訳の分からない感動を覚え、さらに磯田氏の話を聞くべく今度は喫煙所で煙草を吸っている口髭の中年男に近づいていった。
(つづく)
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ダイアナ・ブラックリーはダア・ハウス開発研究所に籍をおく生化学者だった。ある日、彼女がいつも猫にやっているミルクの皿に、ある種の地衣類(藻類と菌類の共生体)が繁殖しているのに、彼女と所長のサクソバー博士は気が付いた。地衣類は抗生物質として医療に役立つことがあるため、サクソバー博士はその点について研究してみるといってサンプルを持ち去った。ダイアナもその地衣類を自分で調べてみた。
結果、それは驚くべき性質を持った物質であることが分かった。それは、人間の代謝を遅らせる働き、すなわち人間を長生きさせる働きを持っていたのだ。サクソバーもダイアナもそのことを突き止めたが、互いにそれを隠し、ダイアナは突如研究所を退職する。その「超寿物質」はのちにアンチ・ジェローンと名付けられた。
ダイアナは「ネフェルティティ」という高級美容院を始め、客にアンチ・ジェローンを投与して、文字通り客の「若さを保つ」施術を行った。しかしアンチ・ジェローンにアレルギーを起こした婦人がネフェルティティを訴えたことから、ダイアナは十四年ぶりにダア・ハウスのサクソバー博士に連絡を取る。博士はあくまでアンチ・ジェローンの効能について公表を避けており、自らと自分の子供たちだけにその投与を行っていた。サクソバーの娘ゼファニーは自分が二百年も生きることを知らされ、衝撃を受ける。息子のポールも同様に驚いたが、自分の妻も同じく長生きする権利があると主張、しかしポールの妻はこれを金儲けの種と考えたため、アンチ・ジェローンの秘密が広く流出し、やがてマスコミをにぎわすようになる。
ダイアナがアンチ・ジェローンについて正式な発表を行ったが、今のところイギリス全国民に行き渡るだけのそれは確保できないと言わざるを得なかった。かつての発明品と同じくそれを多く製造することもやがてはできるだろうという楽観論もあったが、人間が二百歳まで生きることによる食糧問題、次の世代に起こるであろう失業問題を重く見て、アンチ・ジェローンの製造は禁止するべきだ、という声もあった。
さまざまな利害関係にある勢力がうずまき、ダイアナはなんとか事態を収拾しようとするが、暴徒によって暗殺されてしまう。ただしこの物語はハッピーエンドで終わる。
「人間が二百歳まで生きられる薬品が開発されたと人々が知ったら?」という設定で社会の各層が次々とテンポよく映し出されていくさまは面白く、かつリアルである。実際に人々が長生きするところは描かれていないから、その際に起こる社会の変動については、読者の想像に任されている。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※