『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.574
2012/08/19 (Sun) 02:46:03
教師はたいてい生徒の提出物に押すための「検印」を持っていて、僕のものは数字のついたいくつかの輪を回転させることで年月日を表示できる、比較的高価なものである。年月日の周りに「検・中村」という文字を押すための円いゴム印がついているのだが、長年使っているためかそれがはがれてしまった。職員室で誰か接着剤を持っていないかと思い、美術の教員ならということで眞野あずさ先生に聞いてみたが、彼女は木工用ボンドしか持っていなかった。それでもないよりはと思って借りると、ボンドは容器の中でほぼカマンベールチーズのように固まっていて、接着剤の用をまるで成さない。それでも憧れのあずさ先生から借りたものだから「すごく助かりました!」と言って返しておき、しかたがないから日曜にホームセンターでゴム用ボンドを買ってきた。
しかし僕は不器用だから「検・中村」の円いゴム板だけを接着しなければならないのに、年月日の数字のところにまでボンドをつけてしまった。で月と日は問題なく回転するのだが、年のところが2078年で固定されてしまった。「それまで待って使ったらどうですか?」と隣の先生が言ったから、自分は105歳まで教師を続けなければならないのかと暗然たる気持ちになったが、とりあえずはこの検印を使い続けることにした。生徒には未来人がハンコを押したような変な気分を味わわせることになるだろうが、じきに慣れるに違いない。だいたい数学の教師は細かいことを気にしない大雑把な人間が多く、生徒もそれを知っているから、僕も年数が狂っていることなど気にしないことにしよう。たかだか66年の誤差など、137億年の歴史を持つ宇宙から見ればどうだっていいことだ。100年もたてば生徒はすべて死に絶え、80億年たてば太陽は膨張し赤色巨星となって地球を飲み込み、さらに10^34年後にはすべての陽子が崩壊して宇宙から原子というものも一切無くなって、そのとき残るのはブラックホールだけである。
そう思うと、我々の日々の悩みなどすべてが小さいことだ。どうせ宇宙は最後には粉微塵になって無くなるのだ。この世の決まりごとに縛られあくせくするのはもうやめよう。かくして僕は働くのも馬鹿らしいと思い、ブルドーザーを盗んで銀行ATMを破壊してお金をせしめようと計画を練り始める。金さえあれば密貿易の輩から銃の十丁や百丁ぐらいすぐに手に入るだろう。警官が逮捕に来たらすべて銃殺し、僕は海外、おそらくは南米に逃げることになる。コロンビアあたりに行って金をバラ撒けば一生退屈しないだけの麻薬が手に入るだろう。この世の憂いはすべて忘れ、麻薬に陶酔しつつ、敵が来ればぶち殺し、好きなだけ女を抱いて一生を終えればいいではないか。どうせ死ねばすべてが終わりだ。
いや、必ずしもそうではない、と僕はあることを思い出す。何度かこれまで記事で述べたように、我々の霊魂は死後ブラックホールにおもむく可能性があるのである。そして上に述べた如く、宇宙の最後になってもブラックホールだけは残存し続けるのだから、そこに閻魔大王の如き裁きの神が棲んでいて、我々の生前の悪行を償わせるのかも知れない。そして血を吐くような苦役が永遠に続くのだ。なるほどアインシュタインの方程式を解いてもブラックホールは出てくるが閻魔大王は出てこない。しかし小さきもの人間よ、慢心してはならぬ。大自然を前にして心を虚にし、畏怖すべきもの、それは神と呼んでもよいが、その存在を感じ取るべきである。そして畏れればおのずと人の由るべき道が眼前にあらわれるであろう。そして日々に粛敬恐懼し、道に違わざらんと終日努めてやまずして、而して夕に惕若たらんと欲すべきなのだ。
要するに、諦めずに検印の年のところから丹念にボンドを取り除いて、年数を2012年に合わせたほうが良かろうということだ。なんのこっちゃ。
(c) 2012 ntr ,all rights reserved.
しかし僕は不器用だから「検・中村」の円いゴム板だけを接着しなければならないのに、年月日の数字のところにまでボンドをつけてしまった。で月と日は問題なく回転するのだが、年のところが2078年で固定されてしまった。「それまで待って使ったらどうですか?」と隣の先生が言ったから、自分は105歳まで教師を続けなければならないのかと暗然たる気持ちになったが、とりあえずはこの検印を使い続けることにした。生徒には未来人がハンコを押したような変な気分を味わわせることになるだろうが、じきに慣れるに違いない。だいたい数学の教師は細かいことを気にしない大雑把な人間が多く、生徒もそれを知っているから、僕も年数が狂っていることなど気にしないことにしよう。たかだか66年の誤差など、137億年の歴史を持つ宇宙から見ればどうだっていいことだ。100年もたてば生徒はすべて死に絶え、80億年たてば太陽は膨張し赤色巨星となって地球を飲み込み、さらに10^34年後にはすべての陽子が崩壊して宇宙から原子というものも一切無くなって、そのとき残るのはブラックホールだけである。
そう思うと、我々の日々の悩みなどすべてが小さいことだ。どうせ宇宙は最後には粉微塵になって無くなるのだ。この世の決まりごとに縛られあくせくするのはもうやめよう。かくして僕は働くのも馬鹿らしいと思い、ブルドーザーを盗んで銀行ATMを破壊してお金をせしめようと計画を練り始める。金さえあれば密貿易の輩から銃の十丁や百丁ぐらいすぐに手に入るだろう。警官が逮捕に来たらすべて銃殺し、僕は海外、おそらくは南米に逃げることになる。コロンビアあたりに行って金をバラ撒けば一生退屈しないだけの麻薬が手に入るだろう。この世の憂いはすべて忘れ、麻薬に陶酔しつつ、敵が来ればぶち殺し、好きなだけ女を抱いて一生を終えればいいではないか。どうせ死ねばすべてが終わりだ。
いや、必ずしもそうではない、と僕はあることを思い出す。何度かこれまで記事で述べたように、我々の霊魂は死後ブラックホールにおもむく可能性があるのである。そして上に述べた如く、宇宙の最後になってもブラックホールだけは残存し続けるのだから、そこに閻魔大王の如き裁きの神が棲んでいて、我々の生前の悪行を償わせるのかも知れない。そして血を吐くような苦役が永遠に続くのだ。なるほどアインシュタインの方程式を解いてもブラックホールは出てくるが閻魔大王は出てこない。しかし小さきもの人間よ、慢心してはならぬ。大自然を前にして心を虚にし、畏怖すべきもの、それは神と呼んでもよいが、その存在を感じ取るべきである。そして畏れればおのずと人の由るべき道が眼前にあらわれるであろう。そして日々に粛敬恐懼し、道に違わざらんと終日努めてやまずして、而して夕に惕若たらんと欲すべきなのだ。
要するに、諦めずに検印の年のところから丹念にボンドを取り除いて、年数を2012年に合わせたほうが良かろうということだ。なんのこっちゃ。
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No.573
2012/07/09 (Mon) 18:48:20
番一郎(ばん・いちろう)は優秀な警察官だった。大勢の人間から犯罪者もしくはこれから罪を犯そうという者を嗅ぎ分け、迅速に犯人を逮捕あるいは犯罪を防止した。組織犯罪に対しても的確に作戦を立て、実行し、確実に検挙した。彼は巡査の時代から数々の勲功を立て、昇進を重ね、四十代の若さで警視になった。さらに昇進して警察の幹部になるはずだったが、ある日彼を恨むやくざ者に拳銃で撃たれ、銃弾は脳天を突きぬけ、死にはしなかったが警官を続けるにはあまりに酷い怪我を負った。四肢は動かせず、目は見えず耳は聞こえず口もきけない人間となって、病床に寝たきりとなったのだ。しかし脳波を調べると彼の意識だけはしっかりしていることが分かった。
折しも、科学技術は精巧な人型ロボットを造り上げ、あとはいかに人間らしい高度な思考能力を身に付けさせるかという問題だけが残っていた。ロボット警官の開発を目指していたある工学者は、熟達した生身の警官の脳の状態を解析することにより、いわば警官の思考の設計図とでもいうべきものを取り出し、それをロボットの頭脳に植え付けることにより、もとの警官とまったく同じ能力を持つロボットを作ることに成功した。そしてロボット警官を量産するに当たって、もっとも優秀な警官であった番一郎の頭脳から思考パターンを取り出し、それをロボットたちに付与することになった。
全国で最も優秀な警官と同等の能力を持つロボット警官が、国中の交番、地方の警察署に配備された。番一郎にかなわぬ人間の警官は、職を失うことになった。窃盗、強盗、密輸、殺人などの犯人はたちどころに捕らえられるか、その犯罪を未然に食い止められ、日本の凶悪事件はそのほとんどが解決され、事件自体の発生件数もいちじるしく減っていった。すべて番一郎の優秀な頭脳の賜物であった。しかし日々巧妙化する犯罪に対応するため、ロボット警官の思考も成長する必要があった。ロボット工学者たちはその場合、番一郎の並外れた頭脳に最近の事件のデータをインプットし、番の頭脳がその一つ一つを解決するのを待ち、バージョン・アップした番一郎の警官としての思考回路からコピーを作って、全国のロボット警官の頭脳に付与した。ひとえに日本の警察力は病床で寝たきりになっている番一郎の頭脳にかかっているといってよかった。
「ゆきちゃん、学校でいつまでも友達とおしゃべりしてちゃ駄目よ。授業が終わったら早く帰らないと、怖いおじさんに誘拐されちゃうわよ」
「平気よ。だってこのごろのお巡りさんってスーパーマンみたいじゃない? 誰も見ていないなって思って信号無視しようとしても、どこからともなくお巡りさんが現われて、駄目だよ、おじさんたちはどこからでも見ているからね、って止められちゃった。不良の中学生たちも、このごろは全然万引きできなくなったって言ってるのよ。だから誰かに誘拐されたって、あのお巡りさんたちがすぐに現われて、悪い犯人を捕まえてしまうに決まってるわ」
「でもね、この辺りは人通りの少ないところよ。お巡りさんたちもあまり通らないの。だからね、お母さんの言うことを聞いてちょうだい。帰るときはなるべく一人にならないこと。いいわね」
しかしゆきはその日、学校で友達とおしゃべりしすぎて帰りが遅くなったばかりか、一緒に帰るはずだった友達も塾があるからといってみな先に行ってしまい、一人で夕暮れの寂しい道をとぼとぼと帰ることになった。
「きみ、こんな時間に一人で歩いていると危ないよ」
ゆきが振り返ると、ロボット警官がやさしげに話しかけていたのだった。
「ありがと! お巡りさん」
「家まで送っていってあげよう」
「うん」ゆきは警官の手を握り、二人は長い坂道を登っていった。子供が大好きだった番一郎そっくりそのままに、そのロボット警官はにこにこしながら、ゆきを良からぬ輩から守ることだけを考えて家まで送り届けた。
全国の津々浦々で、このような光景が見られた。番一郎をモデルとしたロボット警官は、理想的な市民の守り手であり、安心のみなもとになっていた。
しかしある年、東日本で大規模な地震が起こった。そして悪いことに、震源の近くには稼働中の原子力発電所があった。放射能漏れが懸念されたが、政府は「ただちに健康に害を及ぼすほどの放射性元素は漏れていない」と言い張るばかりだった。
この地震で、これまで鳴りを潜めていた犯罪者たちがいっせいに活動を始めた。というのも、これまで万能に見えたロボット警官によって犯罪は抑止されていたが、この未曾有の大地震は番一郎のこれまでの経験にない都市の混乱を引き起こし、ロボット警官たちは普段にも似ず混乱し、不十分にしか機能しなくなったのだ。平時には食い止められたはずの強盗や略奪が頻発し、とくに被災地では食い物の奪い合いが激しくなった。もちろんすぐにこの非常事態を経験したロボットたちから、見聞したことのデータが警察病院に集められ、それは番一郎の頭脳にインプットされた。
殺人、強盗、強姦などの人災に加え、交通機関の麻痺、不規則に起こる余震、また場所によっては猛獣の徘徊など、山のような難題がデータとして番の頭脳に送り込まれていく。計器によれば、番の超人的頭脳は、その難題の一つ一つを猛スピードで理解し、吟味し、仮想的に解決しているはずだった。数時間後、やすらかな寝息を立てる番の頭につながれたコンピュータは、最新版の番一郎警視の思考パターンを収めた小さな金属盤を吐き出した。これをすぐに大量にコピーし、全国のロボット警官たちに与えバージョン・アップさせるのだ。
これはロボット工学者によって行なわれる手馴れた作業だったが、ただ一つ、重大な見落としがあった。それは原発事故から数週間を経て、放射性元素が関東一帯に流出し、番一郎の栄養チューブにも多量に混入したため、その頭脳にも深刻な影響を与えた可能性があったことだった。いや可能性ではない、放射性元素の発する危険なガンマ線は、じじつ番一郎の脳内で、彼の情操の根幹を破壊してしまっていたのである。
(つづく)
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No.572
2012/07/09 (Mon) 18:40:04
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa ルイ・マル監督の「さよなら子供たち」を観た。十代前半ぐらいの男子が集まっている寄宿学校が舞台で、時代は第二次大戦中。ルイ・マルの自伝的映画とのことで、主人公の金髪で小柄な少年ジュリアンは監督自身がモデルなのだろう。ある日もじゃもじゃの黒髪をした転入生ジャンがやってきて、ジュリアンと次第に仲良くなる。ジャンは読書の楽しみをジュリアンに教え、夜中に千一夜物語のエロティックな場面を小声で朗読しあったりする仲になる。フランスはドイツに征服され、ある日ドイツ軍の将校が学校にやってくる。学校はユダヤ人の生徒を引き渡すように強要され、ジャンはユダヤ人だったため連れ去られる。のちにジュリアンは、ジャンがアウシュビッツで死んだことを知るのだった。全体に寄宿学校の生活が淡々と描かれているが、不思議と見飽きないのは寄宿舎や教室にある、木の机や白い壁やメトロノーム、世界地図といったものの、地味ながら美しい色彩も手伝っていると思う。
ユダヤ人というだけで強制収容所送りになるのは今日から見れば狂気の沙汰だが、では現在のチンパンジーが、いつか人間と同等の知能と感情を持つようになったとして、人間と同じ権利を欲したとしたら拒否する人間は多かろう。それだって猿の人権が確立された時代がきたとしたら、狂気の沙汰だったと見られるかも知れない。また犬や猫を、人間の都合で日々保険所が殺処分しているが、感情面で見れば犬や猫も人間と似通ったものを持っていて、人間と同等の存在と見ることも無理でなく、そうした殺処分も狂気の沙汰と言えば言えるのである。
ヨーロッパの戦時中の学校の話に戻ると、小学校のとき教科書に載っていた「最後の授業」という話が思い出される。フランスがプロイセンに戦争で負け、国境に近いフランスの学校はそこがプロイセン領になったため次の日からドイツ語で授業を行なわなければならない。国語教師はフランス語で行なう最後の授業で、フランス語がいかに優秀な言語であるかを訴える。自分が子供のころ読んだときはさほど感銘は受けなかったが、それは単に変わるのが教えられる言語だけで、思想・信条の変更を強要されるところまでいかなかったためかも知れない。
第二次大戦後、学校で受けた日本の子供たちのカルチャーショックのほうがずっと大きかったのではと想像するが、それはさておき、日本の神話を学校でもっと教えるべきだという提言をときどき耳にする。古事記は大切な日本の古典であって、そこで語られる建国の物語を初等教育で取り上げるのはごく自然なことに思える。ただそこで日本神話に関心を深めた子供が、神話のほかの部分を読んで、神武天皇がアマテラスオオミカミの子孫であることを知れば、現在の天皇陛下も当然神の子孫と考えざるを得なくなって、昭和天皇の「人間宣言」から逆行した信条を持つ子供たちが育つかも知れない。それはそれで面白いことだと僕は思うが。
戦後天皇の権限はいちじるしく縮小され、それを定めた憲法は多くの日本人に支持されている。しかし震災以来、どの政治家も利権にまみれているためか何なのか知らないが、誰も正しい決断が出来ない状況が続き、そうしたとき天皇陛下が至上大権を行使し、真に国民のためになる決断が出来る、そんなしくみが日本にあればよいのにと自分は思った。これは間違った考え方だろうか。
また話を戻して、社会が激変しこれまでの人々の思想・信条が瓦解したときの小中学校というのは面白いドラマがいろいろ出来そうだ。楳図かずおの「漂流教室」などもその一種だろう。「夜にも奇妙な物語」に「23分間の奇跡」という傑作もあった。 http://www.youtube.com/watch?v=WahIh7VnGlM
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目次
上段の『☆ 索引』、及び、下段の『☯ 作家別索引』からどうぞ。本や雑誌をパラパラめくる感覚で、読みたい記事へと素早くアクセスする事が出来ます。
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
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セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
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