『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.548
2012/02/21 (Tue) 04:03:12
小学校のときA先生という面白い男性の先生がいた。ベテランで、担任などは持たれていなかったが、ちょっとしたレクリエーションの際によく僕らの相手をしてくれた。A先生は自称「ガンマー星」からやってきたガンマー星人で、本国での国民番号は1億2345万6789号だという。そして日本の未来の小学生についての予見を語った。
「お父さん、実は僕は、今度の修学旅行で火星に行くことになりました」
「そうか。達者で行ってこい」
未来においてはそんな会話が普通になるであろう、と。
また将来、地球の裏側まで行くのに飛行機を使う必要はなくなるであろう、とA先生は言った。どうするかというと、日本から垂直に穴を掘って、その穴が地球の中心を通って地球の裏側まで貫通するようにすれば、あとはゴンドラに乗ってその穴を落ちていけばよい。地球の中心までは重力で加速していき、中心を過ぎればそれまでの勢いで向こうの出口まで昇っていけるのである。しかし出口に着いたときに素早くゴンドラを降りなければ、それはまた地球の中心に向かって落下していき日本に戻り、そこからまた落下していくという永久運動から抜け出せなくなる。
そういえば小学生のころ読んだ何かの本に、それと似た方法による新幹線の走らせ方が書かれていた。たとえば東京-大阪間なら、東京から大阪まで真っ直ぐなトンネルを掘るのである。地球は丸く、東京と大阪の間ぐらいでも、地表は球体の一部として膨らんでいる。つまりそのトンネルは、地球という球面上にある東京と大阪という二つの点をまっすぐ貫くように掘られる。そうすれば、そこを走る新幹線はもはや電力などの外部のエネルギーを必要としない。なぜなら東京を出発したその列車は、東京と大阪の真ん中の地点までは下り坂で加速していき、真ん中を過ぎたらその惰力で大阪までたどり着くのである。
幸田露伴の「番茶会談」には、老人と子供たちの対話という形式で、世の中を良くする工夫や発明について多くのことが書かれている。その中で今日実現しているものとして例えば「常灯銀行」がある。銀行にお金を預けるのも引き出すのも、日中の限られた時間内に行なわなければならず不便だが、これを年中無休で行なえるようにしてはどうか、と語られているが、いまは誰もが知るとおりコンビニで二十四時間ATMが使える。また「単軌鉄道」というものが語られているが、これは従来のように車輪を列車の左右につけるのではなく、中央にだけつけることで、レールも一本で済んで経済的だというのである。今のモノレールがこれに近いのかも知れないが、しかし大阪のモノレールの料金の高さを思うと、決して経済的な乗り物とは言えなさそうだ。
今日においても実現していない発明として「電力の無線送電」が語られているが、もしこれが実現すれば画期的だろう。遠くの発電所から距離を気にせず送電できるのだから、エネルギー問題の軽減にも大いに役立つはずだ。この技術の実現は難事だが、それについて語っている部分を少し引用すると「無線電力輸送のごとき大業は、出来るとしても一朝夕の事では無いが、既にこれを出来さうなことに考へるだけは考へ得て、そしてその企図に対つて力を注いで居る一英雄がある。それは米国人では無いが、現に米国に居るテスラとか言ふものである」とある。こんなところにニコラ・テスラの名前が出てきているが、存命中、遠く日本でも注目される人物だったとは知らなかった。
いま自転車がパンクしていて、おそらくチューブも使い物にならないほど傷んでおり、修理代が高くつきそうだからずっと歩いている。「ドクター・スランプ」に出てきたスクーターのように、タイヤが無く宙に浮いて走る乗り物があれば、パンクしなくていいのにと思う。高校のとき物理の実験で、床との摩擦が生じない物体は等速直線運動をする、というのを確かめるのにエアー・パックというものを使った。これは軽い箱で下に向かって空気を噴き出し、そのためわずかに宙に浮かんでいる。横へはじくと床との摩擦が無いため、どこまでも等速度で移動する。この原理を使った乗り物が出来たらいいのにと思うが、実現は難しいのだろうか。
アメリカの小学校で予防注射をしている場面がときおりTVに映るが、ああいう映像で見る注射器にはしばしば針がなくて、圧縮空気で薬剤を注入するようである。僕は大人になった今でも注射が大嫌いだから、ああいう注射器を使ってくれたらいいのにと思う。ところで自分が子供のころは学校でいっせいに予防注射をしたが、最近は予防接種を受けるかどうかは各家庭の判断にまかされているようだ。そうなったら僕は予防注射など受けなかったろうから、無理に注射してくれて良かったのかも知れない。しかし日本脳炎の予防注射の痛かったことと言ったら! だから針のない圧縮空気式の注射器も使われたことがあったらしいが、当時のその注射器は神経線維を傷つけることが多かったらしく、日本では使われなくなったらしい。
ドラえもんの道具で何が欲しいか、という話によくなるが、僕はとりあえずパーマンに出てくるコピーロボットが欲しい。赤い鼻のボタンを押すと本人の身代わりになってくれるロボットである。そしてそのコピーロボットには仕事に行ってもらう。まあ平凡な望みではあるが。
(c) 2012 ntr ,all rights reserved.
「お父さん、実は僕は、今度の修学旅行で火星に行くことになりました」
「そうか。達者で行ってこい」
未来においてはそんな会話が普通になるであろう、と。
また将来、地球の裏側まで行くのに飛行機を使う必要はなくなるであろう、とA先生は言った。どうするかというと、日本から垂直に穴を掘って、その穴が地球の中心を通って地球の裏側まで貫通するようにすれば、あとはゴンドラに乗ってその穴を落ちていけばよい。地球の中心までは重力で加速していき、中心を過ぎればそれまでの勢いで向こうの出口まで昇っていけるのである。しかし出口に着いたときに素早くゴンドラを降りなければ、それはまた地球の中心に向かって落下していき日本に戻り、そこからまた落下していくという永久運動から抜け出せなくなる。
そういえば小学生のころ読んだ何かの本に、それと似た方法による新幹線の走らせ方が書かれていた。たとえば東京-大阪間なら、東京から大阪まで真っ直ぐなトンネルを掘るのである。地球は丸く、東京と大阪の間ぐらいでも、地表は球体の一部として膨らんでいる。つまりそのトンネルは、地球という球面上にある東京と大阪という二つの点をまっすぐ貫くように掘られる。そうすれば、そこを走る新幹線はもはや電力などの外部のエネルギーを必要としない。なぜなら東京を出発したその列車は、東京と大阪の真ん中の地点までは下り坂で加速していき、真ん中を過ぎたらその惰力で大阪までたどり着くのである。
幸田露伴の「番茶会談」には、老人と子供たちの対話という形式で、世の中を良くする工夫や発明について多くのことが書かれている。その中で今日実現しているものとして例えば「常灯銀行」がある。銀行にお金を預けるのも引き出すのも、日中の限られた時間内に行なわなければならず不便だが、これを年中無休で行なえるようにしてはどうか、と語られているが、いまは誰もが知るとおりコンビニで二十四時間ATMが使える。また「単軌鉄道」というものが語られているが、これは従来のように車輪を列車の左右につけるのではなく、中央にだけつけることで、レールも一本で済んで経済的だというのである。今のモノレールがこれに近いのかも知れないが、しかし大阪のモノレールの料金の高さを思うと、決して経済的な乗り物とは言えなさそうだ。
今日においても実現していない発明として「電力の無線送電」が語られているが、もしこれが実現すれば画期的だろう。遠くの発電所から距離を気にせず送電できるのだから、エネルギー問題の軽減にも大いに役立つはずだ。この技術の実現は難事だが、それについて語っている部分を少し引用すると「無線電力輸送のごとき大業は、出来るとしても一朝夕の事では無いが、既にこれを出来さうなことに考へるだけは考へ得て、そしてその企図に対つて力を注いで居る一英雄がある。それは米国人では無いが、現に米国に居るテスラとか言ふものである」とある。こんなところにニコラ・テスラの名前が出てきているが、存命中、遠く日本でも注目される人物だったとは知らなかった。
いま自転車がパンクしていて、おそらくチューブも使い物にならないほど傷んでおり、修理代が高くつきそうだからずっと歩いている。「ドクター・スランプ」に出てきたスクーターのように、タイヤが無く宙に浮いて走る乗り物があれば、パンクしなくていいのにと思う。高校のとき物理の実験で、床との摩擦が生じない物体は等速直線運動をする、というのを確かめるのにエアー・パックというものを使った。これは軽い箱で下に向かって空気を噴き出し、そのためわずかに宙に浮かんでいる。横へはじくと床との摩擦が無いため、どこまでも等速度で移動する。この原理を使った乗り物が出来たらいいのにと思うが、実現は難しいのだろうか。
アメリカの小学校で予防注射をしている場面がときおりTVに映るが、ああいう映像で見る注射器にはしばしば針がなくて、圧縮空気で薬剤を注入するようである。僕は大人になった今でも注射が大嫌いだから、ああいう注射器を使ってくれたらいいのにと思う。ところで自分が子供のころは学校でいっせいに予防注射をしたが、最近は予防接種を受けるかどうかは各家庭の判断にまかされているようだ。そうなったら僕は予防注射など受けなかったろうから、無理に注射してくれて良かったのかも知れない。しかし日本脳炎の予防注射の痛かったことと言ったら! だから針のない圧縮空気式の注射器も使われたことがあったらしいが、当時のその注射器は神経線維を傷つけることが多かったらしく、日本では使われなくなったらしい。
ドラえもんの道具で何が欲しいか、という話によくなるが、僕はとりあえずパーマンに出てくるコピーロボットが欲しい。赤い鼻のボタンを押すと本人の身代わりになってくれるロボットである。そしてそのコピーロボットには仕事に行ってもらう。まあ平凡な望みではあるが。
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No.547
2012/02/21 (Tue) 03:59:27
ベム、ベラ、ベロの三人は、日々善行を重ねながらも姿かたちが妖怪であることから迫害を受け、人里はなれた山間僻地に住むことになった。不自由な山の斜面に小屋を立て、雨の日には湿気に悩まされ、雪の日には隙間風に凍えながら、妖怪人間たちはなんとか生きていた。こんな土地で、どうやって糊口をしのごうかという段になって、ベムは養鶏がいいと思い立った。作物を育てにくい斜面であっても、鶏を飼うことはできると何かの本で読んだのだ。
「コーコッコッコッコッコ……」
ベムは渋い声で鶏の口真似をしながら、鳥たちにえさをやる。風が吹く中、黒いソフト帽を飛ばされないように片手で押さえながら。
ベラは鞭を使って狩に出かけていた。たいていは鼠やコウモリなどの小動物を捕まえてきたが、あるときは巨大なアホウドリを捕獲し、それが天然記念物であることにはお構いなく、三人はそれを焼いてむさぼり食った。それを見とがめた近隣の住民が警察に報告し、警官が捜査にやってきたが、三人は警官四人を皆殺しにし、大釜で煮て食った。骨はそこらへんに埋めておいた。
かつて善行を心がけていた妖怪人間たちは、原始的な生活を営むうちにいつしかモラルを失っていた。しかしなぜかベムは、鶏にだけは異常なほどの愛情をふりそそいだ。
鶏たちは毎日卵を産む。それを食べることもあり、ヒヨコを孵化させて育てることもあった。あるときヒヨコが多くなりすぎて育てられなくなったから、近くの村に下りていって子供たちにヒヨコを売った。しかしそのついでに子供たちをさらってきたから、妖怪人間の行動には無駄がなかった。
しかしそれだけベムが可愛がっていた鶏たちに、ある日とんだ災厄が襲い掛かったのである。いつものように早朝ベムは鶏小屋を開けに行ったが、あたりに点々と血痕がある。そして三羽の鶏が無残にも首を切り取られて死んでいるのを発見したのである。
「ウ、ウ、ウガンダー!」ベムは怒りに震えて妖怪の姿に変身し、とはいっても犯人が分からないいま、怒りをどこにぶつけてよいやら分からず、とりあえず巨岩をいくつか眼下の村に投げ下ろし、村人の幾人かを血祭りに上げた。
「ベム、無駄なことはよしなよ!」ベロが言った。「冷静に犯人を捜してみよう……おや?」
ベロは鶏の血痕に混じって、赤い蝋が地面に落ちているのを発見した。蝋のしたたったあとをたどって森の中を歩いていくと、大きな赤い蝋燭が落ちているのを見つけた。それを拾って見つめていると、どこからか絹を裂くような女の叫び声がした。
「きゃーっ」
ベロは久しぶりに正義感を呼び覚まされ、声のするほうに脱兎の如く駆けていった。
林の向こうに、黒いマントを着た十数名の人々が、若い女を縛りつけた板をかついで歩いているのが見える。叫んだのは縛られている女だ。やがて黒いマントの行列は、大きな黒々とした廃墟に入っていった。
「よーし!」
ベロはさっと廃墟に近づき、閉じられた扉の隙間から中をのぞこうとしたが、何も見えない。思い切って扉を開けようとしたが、固く閉じられていてびくともしなかった。窓など他に出入り口はないかと探し回ったが、どこにも入れそうな所はない。
そのうちにとっぷりと日が暮れた。ベロは昼間拾った赤い蝋燭のことを思い出し、木をこすり合わせてそれに火をともした。蝋燭の光が扉の取っ手を照らすと、不思議なことに扉はひとりでに少し開いた。ベロが中をのぞくと、強烈な甘い香りが鼻をつき、うなるような呪文が耳に入ってきた。
「エークステルシオーネーム、エークスルテルシオゥネェェ~ム」
黒いマントを着た男女がその呪文を合唱しながら、よだれをたらしたり白目をむいたりして、訳の分からぬ陶酔にひたっていた。祭壇には一人だけ赤いマントを着た外人の僧侶と思しき初老の男が、十字架のついた杖を振り、その杖に念をこめるように呪文を唱えていた。しかし最も目に付いたのは祭壇の前のテーブルに縛り付けられている若い女だった。彼女は服を脱がされており、その一糸まとわぬ白い裸体は、蝋燭の明かりに照らされてなまめかしく光っていた。その美しい女は意識を失っているのか、目を閉じて浅く呼吸していた。息を吸うたびに膨らむ白い乳房、また栗色の陰毛の間から見え隠れする女の秘肉を見て、ベロは思わず勃起した。
「エ~クステルゥシィオウウネエエエーム」
赤いマントの僧侶は、どこからか生きた鶏を取り出し、鎌でその首をはねた。鮮血が縛られた女の肌に飛び散り、首を失った鶏はバタバタと飛び惑った。その瞬間、なんとも言えぬ恍惚感に襲われていたベロは射精した。そして自分もこの黒ミサの一員になることを心に誓ったのである。その晩、ベロはテーブルに縛り付けられていた女を抱き、さらなる快感を味わったのだった。
黒魔術に魅入られてしまった妖怪人間ベロの今後やいかに!?
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「コーコッコッコッコッコ……」
ベムは渋い声で鶏の口真似をしながら、鳥たちにえさをやる。風が吹く中、黒いソフト帽を飛ばされないように片手で押さえながら。
ベラは鞭を使って狩に出かけていた。たいていは鼠やコウモリなどの小動物を捕まえてきたが、あるときは巨大なアホウドリを捕獲し、それが天然記念物であることにはお構いなく、三人はそれを焼いてむさぼり食った。それを見とがめた近隣の住民が警察に報告し、警官が捜査にやってきたが、三人は警官四人を皆殺しにし、大釜で煮て食った。骨はそこらへんに埋めておいた。
かつて善行を心がけていた妖怪人間たちは、原始的な生活を営むうちにいつしかモラルを失っていた。しかしなぜかベムは、鶏にだけは異常なほどの愛情をふりそそいだ。
鶏たちは毎日卵を産む。それを食べることもあり、ヒヨコを孵化させて育てることもあった。あるときヒヨコが多くなりすぎて育てられなくなったから、近くの村に下りていって子供たちにヒヨコを売った。しかしそのついでに子供たちをさらってきたから、妖怪人間の行動には無駄がなかった。
しかしそれだけベムが可愛がっていた鶏たちに、ある日とんだ災厄が襲い掛かったのである。いつものように早朝ベムは鶏小屋を開けに行ったが、あたりに点々と血痕がある。そして三羽の鶏が無残にも首を切り取られて死んでいるのを発見したのである。
「ウ、ウ、ウガンダー!」ベムは怒りに震えて妖怪の姿に変身し、とはいっても犯人が分からないいま、怒りをどこにぶつけてよいやら分からず、とりあえず巨岩をいくつか眼下の村に投げ下ろし、村人の幾人かを血祭りに上げた。
「ベム、無駄なことはよしなよ!」ベロが言った。「冷静に犯人を捜してみよう……おや?」
ベロは鶏の血痕に混じって、赤い蝋が地面に落ちているのを発見した。蝋のしたたったあとをたどって森の中を歩いていくと、大きな赤い蝋燭が落ちているのを見つけた。それを拾って見つめていると、どこからか絹を裂くような女の叫び声がした。
「きゃーっ」
ベロは久しぶりに正義感を呼び覚まされ、声のするほうに脱兎の如く駆けていった。
林の向こうに、黒いマントを着た十数名の人々が、若い女を縛りつけた板をかついで歩いているのが見える。叫んだのは縛られている女だ。やがて黒いマントの行列は、大きな黒々とした廃墟に入っていった。
「よーし!」
ベロはさっと廃墟に近づき、閉じられた扉の隙間から中をのぞこうとしたが、何も見えない。思い切って扉を開けようとしたが、固く閉じられていてびくともしなかった。窓など他に出入り口はないかと探し回ったが、どこにも入れそうな所はない。
そのうちにとっぷりと日が暮れた。ベロは昼間拾った赤い蝋燭のことを思い出し、木をこすり合わせてそれに火をともした。蝋燭の光が扉の取っ手を照らすと、不思議なことに扉はひとりでに少し開いた。ベロが中をのぞくと、強烈な甘い香りが鼻をつき、うなるような呪文が耳に入ってきた。
「エークステルシオーネーム、エークスルテルシオゥネェェ~ム」
黒いマントを着た男女がその呪文を合唱しながら、よだれをたらしたり白目をむいたりして、訳の分からぬ陶酔にひたっていた。祭壇には一人だけ赤いマントを着た外人の僧侶と思しき初老の男が、十字架のついた杖を振り、その杖に念をこめるように呪文を唱えていた。しかし最も目に付いたのは祭壇の前のテーブルに縛り付けられている若い女だった。彼女は服を脱がされており、その一糸まとわぬ白い裸体は、蝋燭の明かりに照らされてなまめかしく光っていた。その美しい女は意識を失っているのか、目を閉じて浅く呼吸していた。息を吸うたびに膨らむ白い乳房、また栗色の陰毛の間から見え隠れする女の秘肉を見て、ベロは思わず勃起した。
「エ~クステルゥシィオウウネエエエーム」
赤いマントの僧侶は、どこからか生きた鶏を取り出し、鎌でその首をはねた。鮮血が縛られた女の肌に飛び散り、首を失った鶏はバタバタと飛び惑った。その瞬間、なんとも言えぬ恍惚感に襲われていたベロは射精した。そして自分もこの黒ミサの一員になることを心に誓ったのである。その晩、ベロはテーブルに縛り付けられていた女を抱き、さらなる快感を味わったのだった。
黒魔術に魅入られてしまった妖怪人間ベロの今後やいかに!?
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No.546
2012/01/28 (Sat) 11:39:00
昨日、代々木から新宿あたりを営業の合間にブラブラしてたら、紀伊国屋で「西部警察PART 1」のDVD?ブルーレイ?ボックス発売記念で予告編を流していたのにハマって見続けてしまった。
やはり、この時代の実写の凄さに改めて感じ入ってしまった。
国会議事堂の前を爆走する装甲車、爆発炎上、ひっくり返るパトカー、白バイ、川を飛び越しサスをべったり沈ませて着地するフェアレディZ・・・「西部警察」については詳しく後日機会を改めて書きたいと思うけど。
新宿を出て甲州街道沿い、高井戸に近いバイク屋でRZ250を発見し立ち寄って
見せて貰う。
初のラジエーター付きの2ストエンジンは当時はかなりの話題だった。
初期型のストロボをトリコロールで配した白いタンクもいいけれど、自分が30年前に乗っていたのはこのブルーのラインのヤツだ。
今年のような寒い冬ではラジエーターが冷え過ぎて、ガムテープで半分ほど覆わないと調子が悪い。片肺にもよくなった。NGKの♯8が確か標準だったがいつも6か7をシートボックスの下に入れてグズグズ言い出したらプラグを自分で交換したりもした。
天気の悪い時の信号待ちでよくそのトラブルに見舞われた。
モクモクと白い煙を吐きCastrolのオイル特有の匂いは甘ったるかった。
だが、その一番の魅力はナナハン・キラーとも評されたその圧倒的な加速だろう。
思わず跨ってみたかったが、そうすると本当に欲しくなってしまうのでやめておいた。
このサイドカバーはいたずらされたり、盗まれたりいろんな災難を引き起こしたが
、タンクから後輪へ向かう尖ったストライプはこのバイクのセールスポイントだ。
少年キングに連載されていた「ワイルド7」を読むようになったのは中1からだったと思う。
悪を以て悪を制すは、なんだか幕末の新撰組にも似たコンセプトだが、リーダーの飛葉大陸ほか世界やオヤブン、ヘボピー、両国など個性的なキャラと彼らが操るバイクがさらに個性的だった。
八百の乗っていたノートンはヤモリのように、ビルの谷間や隙間を横から二つ出てくる車輪で上ることもできた。こんな万能なバイクがあるのかと本気で信じていたが、大人になってあんなバイクはおとぎ話と知った。
このころから段々、本格的なオフロードバイク、いわゆるトレール車の市場は主にヤマハとスズキで形成されていく。ホンダも作ってはいたが、マックイーンにCM出演させたエルシノアだけで4ストを得意とするホンダが2ストのバイク市場にそんな真剣ではなかった。
70年代中盤から後期にかけてのトレール車の魅力にタンクラインを、自分なら上げるだろう。
ヤマハのDT400と250だ。
特に250の方は黄色いタンクと一体化するような流麗なラインでまとめられている。このバイクが世に出た当時はまだ50ccのマメタンしか乗れなかった。
数年してスズキのハスラー400を友人から譲り受けるのだが、日本通運のトラックの助手のアルバイトをしていた時に酔っ払い運転で捕まり免許は取り消し、ハスラーも処分するしかなかった。
欠格期間を終えてバイクの免許も中型を取ったが、そのときはオンロードのGSX250や前述のRZ250だった。
80年代初頭のポパイにはDT250にトニーラマのブーツでジーンズ、マンパーみたいなスタイルで合わせよう、街中トレール!なんて出ていたと思うが、当時のレーサーレプリカブームでカウル付きのカフェレーサーにしか眼が行かなくなっていた。
江戸川の土手を二人乗りでサードギアで上れるハスラー400の魅力など何処かへ
置き忘れていた。
最近、公開された映画のワイルド7はこのオフロードバイクの魅力よりコンクリート・ウェスタン=都会の西部劇のほうがイメージが強いのかもしらない。
観ていないし何も言えないけれど。
オヤブンが乗っていたのはハスラー250だと思う。子分が1,000人も居るヤクザの親分がいきなり白バイ隊になんかなれないとその当時から思っていたが、劇中のオヤブンは人情味あるキャラクターでトレール車の扱いが抜群にうまい。
飛葉ちゃんが右手にライフルを提げてCB750で突っ走ってるのがよくあるけど
、スロットルはどうなってるんだろう?
アオシマから発売された飛葉のCB750の下部にはゼンマイが付いていた。
リアシートの端部からチェーン付きのミサイルを発射するギミックはついていたが
、いざ、作ってみるとなんとなく不格好で味気なかった記憶がある。
「ゼンマイで動くバイクのプラモなんてねえ...」と思うけど、当時は今のようなリアルな造形をフィギュアで飾っておくなんて言うよりギミックが命だったから仕方ないだろう。
この模型のゼンマイについても別の機会で語りたい。
旧いバイクに昂ぶるのはなぜだろう?
今更、DTやハスラーを手に入れて乗ってみたら心の中のオヤブンや八百が甦るのだろうか・・・?昔、実写版で放映されたワイルド7は、ほとんどスズキのバイクしか出てこなかったが、あれはあれでなかなか憧れたものだ。
中山麻理なんかも革のツナギで、マリアンヌ・フェイスフルばりにバイクで仇を追う殺し屋みたいな役をやっていて妙にセクシーだった。
「・・・♪ お前がやれぬことならば 俺がこの手でやってやる そうさ、この世のどぶさらい・・・」
よく行く旧い歌を素敵に歌わせてくれる店でこの主題歌を歌っていたら、帰りがけに自分より5歳ほど上のカッコイイおじさんに声をかけられた。
「いや、こんなところでこの歌聴けるなんて!あの番組に出てたスタントは友人だったんですよ。ありがとうございます」
などとお礼を言われてしまった。
この店に来る50前後から60手前くらいの方と案外、カウンターで呑んでいて歌や曲の事を話して友達になってしまう場面が多い。
やはり、テレビなどというものがそれだけの娯楽性を失ってきたからだろう。
使い捨てになるような業界や番組作成の在り方、視聴率ばかりに目を奪われろくでなしがはびこるような御笑いや下品なコントを垂れ流している。
家人に食事中にそれを見せられるのはたまに拷問に近い苦痛に感じる時もある。
自らの人生や体験の中で後進に道を説くような大人は今は嫌われる風潮にある。
先人の苦労や辛酸を我がことに、己の人生に置き換えて人の話を聞こうとするスタンスは今の大方の3,40台には少ないだろう。
旧いバイクは求めるのは意外と楽かもしれないが、今は駐車スペースも居る。
ヘルメットや手袋を置いて置くスペースも欲しい。ガレージ付きの郊外の戸建てが望ましいが今すぐではどうにもならない。
準備が整って、70年代の旧車にでも出会えたら何処の土手や河原を旅して回ろうか?林道ツーリングも楽しいかもしれない。
オンロード・バイクより2ストのトレールのほうがあちこち走るのにきっと便利だろう。旧いバイクに乗れたからと言って、心の中の八百も飛葉ちゃんもオヤブンも出てきてくれる訳ではない。
ただ、少しは自分を楽に励ましてくれる友達が増えるだけだ。
リーダーの飛葉は最終章で思わせぶりな占い師の老婆から優しい鷲と比喩された。
新緑の草木、秋や冬に感じるその草木の枯れて朽ちていく気配と匂い・・・。
懸命に生きてきた自分とその代償をクリアな思い出とともに感じ、生きながら得る自分を「たまには いいことあるさ・・」と願ってやまない自分が居る。
携帯電話などなく、いちいちバイクを公衆電話の脇に停めて公衆電話をかけていた
、あの頃の自分のすがすがしく脳天気なころに少しは戻りたい。
70年代から80年代初頭のバイクたちはワイルド7とともに、そんな思いをタンクのラインから教えてくれる。
優しい鷲は今も心の何処かで生きているんだとも・・・。
(c)2012 Ronnie Ⅱ , all rights reserved.
☆ 索引 〜 昭和の憧憬 へ戻る
やはり、この時代の実写の凄さに改めて感じ入ってしまった。
国会議事堂の前を爆走する装甲車、爆発炎上、ひっくり返るパトカー、白バイ、川を飛び越しサスをべったり沈ませて着地するフェアレディZ・・・「西部警察」については詳しく後日機会を改めて書きたいと思うけど。
新宿を出て甲州街道沿い、高井戸に近いバイク屋でRZ250を発見し立ち寄って
見せて貰う。
初のラジエーター付きの2ストエンジンは当時はかなりの話題だった。
初期型のストロボをトリコロールで配した白いタンクもいいけれど、自分が30年前に乗っていたのはこのブルーのラインのヤツだ。
今年のような寒い冬ではラジエーターが冷え過ぎて、ガムテープで半分ほど覆わないと調子が悪い。片肺にもよくなった。NGKの♯8が確か標準だったがいつも6か7をシートボックスの下に入れてグズグズ言い出したらプラグを自分で交換したりもした。
天気の悪い時の信号待ちでよくそのトラブルに見舞われた。
モクモクと白い煙を吐きCastrolのオイル特有の匂いは甘ったるかった。
だが、その一番の魅力はナナハン・キラーとも評されたその圧倒的な加速だろう。
思わず跨ってみたかったが、そうすると本当に欲しくなってしまうのでやめておいた。
このサイドカバーはいたずらされたり、盗まれたりいろんな災難を引き起こしたが
、タンクから後輪へ向かう尖ったストライプはこのバイクのセールスポイントだ。
少年キングに連載されていた「ワイルド7」を読むようになったのは中1からだったと思う。
悪を以て悪を制すは、なんだか幕末の新撰組にも似たコンセプトだが、リーダーの飛葉大陸ほか世界やオヤブン、ヘボピー、両国など個性的なキャラと彼らが操るバイクがさらに個性的だった。
八百の乗っていたノートンはヤモリのように、ビルの谷間や隙間を横から二つ出てくる車輪で上ることもできた。こんな万能なバイクがあるのかと本気で信じていたが、大人になってあんなバイクはおとぎ話と知った。
このころから段々、本格的なオフロードバイク、いわゆるトレール車の市場は主にヤマハとスズキで形成されていく。ホンダも作ってはいたが、マックイーンにCM出演させたエルシノアだけで4ストを得意とするホンダが2ストのバイク市場にそんな真剣ではなかった。
70年代中盤から後期にかけてのトレール車の魅力にタンクラインを、自分なら上げるだろう。
ヤマハのDT400と250だ。
特に250の方は黄色いタンクと一体化するような流麗なラインでまとめられている。このバイクが世に出た当時はまだ50ccのマメタンしか乗れなかった。
数年してスズキのハスラー400を友人から譲り受けるのだが、日本通運のトラックの助手のアルバイトをしていた時に酔っ払い運転で捕まり免許は取り消し、ハスラーも処分するしかなかった。
欠格期間を終えてバイクの免許も中型を取ったが、そのときはオンロードのGSX250や前述のRZ250だった。
80年代初頭のポパイにはDT250にトニーラマのブーツでジーンズ、マンパーみたいなスタイルで合わせよう、街中トレール!なんて出ていたと思うが、当時のレーサーレプリカブームでカウル付きのカフェレーサーにしか眼が行かなくなっていた。
江戸川の土手を二人乗りでサードギアで上れるハスラー400の魅力など何処かへ
置き忘れていた。
最近、公開された映画のワイルド7はこのオフロードバイクの魅力よりコンクリート・ウェスタン=都会の西部劇のほうがイメージが強いのかもしらない。
観ていないし何も言えないけれど。
オヤブンが乗っていたのはハスラー250だと思う。子分が1,000人も居るヤクザの親分がいきなり白バイ隊になんかなれないとその当時から思っていたが、劇中のオヤブンは人情味あるキャラクターでトレール車の扱いが抜群にうまい。
飛葉ちゃんが右手にライフルを提げてCB750で突っ走ってるのがよくあるけど
、スロットルはどうなってるんだろう?
アオシマから発売された飛葉のCB750の下部にはゼンマイが付いていた。
リアシートの端部からチェーン付きのミサイルを発射するギミックはついていたが
、いざ、作ってみるとなんとなく不格好で味気なかった記憶がある。
「ゼンマイで動くバイクのプラモなんてねえ...」と思うけど、当時は今のようなリアルな造形をフィギュアで飾っておくなんて言うよりギミックが命だったから仕方ないだろう。
この模型のゼンマイについても別の機会で語りたい。
旧いバイクに昂ぶるのはなぜだろう?
今更、DTやハスラーを手に入れて乗ってみたら心の中のオヤブンや八百が甦るのだろうか・・・?昔、実写版で放映されたワイルド7は、ほとんどスズキのバイクしか出てこなかったが、あれはあれでなかなか憧れたものだ。
中山麻理なんかも革のツナギで、マリアンヌ・フェイスフルばりにバイクで仇を追う殺し屋みたいな役をやっていて妙にセクシーだった。
「・・・♪ お前がやれぬことならば 俺がこの手でやってやる そうさ、この世のどぶさらい・・・」
よく行く旧い歌を素敵に歌わせてくれる店でこの主題歌を歌っていたら、帰りがけに自分より5歳ほど上のカッコイイおじさんに声をかけられた。
「いや、こんなところでこの歌聴けるなんて!あの番組に出てたスタントは友人だったんですよ。ありがとうございます」
などとお礼を言われてしまった。
この店に来る50前後から60手前くらいの方と案外、カウンターで呑んでいて歌や曲の事を話して友達になってしまう場面が多い。
やはり、テレビなどというものがそれだけの娯楽性を失ってきたからだろう。
使い捨てになるような業界や番組作成の在り方、視聴率ばかりに目を奪われろくでなしがはびこるような御笑いや下品なコントを垂れ流している。
家人に食事中にそれを見せられるのはたまに拷問に近い苦痛に感じる時もある。
自らの人生や体験の中で後進に道を説くような大人は今は嫌われる風潮にある。
先人の苦労や辛酸を我がことに、己の人生に置き換えて人の話を聞こうとするスタンスは今の大方の3,40台には少ないだろう。
旧いバイクは求めるのは意外と楽かもしれないが、今は駐車スペースも居る。
ヘルメットや手袋を置いて置くスペースも欲しい。ガレージ付きの郊外の戸建てが望ましいが今すぐではどうにもならない。
準備が整って、70年代の旧車にでも出会えたら何処の土手や河原を旅して回ろうか?林道ツーリングも楽しいかもしれない。
オンロード・バイクより2ストのトレールのほうがあちこち走るのにきっと便利だろう。旧いバイクに乗れたからと言って、心の中の八百も飛葉ちゃんもオヤブンも出てきてくれる訳ではない。
ただ、少しは自分を楽に励ましてくれる友達が増えるだけだ。
リーダーの飛葉は最終章で思わせぶりな占い師の老婆から優しい鷲と比喩された。
新緑の草木、秋や冬に感じるその草木の枯れて朽ちていく気配と匂い・・・。
懸命に生きてきた自分とその代償をクリアな思い出とともに感じ、生きながら得る自分を「たまには いいことあるさ・・」と願ってやまない自分が居る。
携帯電話などなく、いちいちバイクを公衆電話の脇に停めて公衆電話をかけていた
、あの頃の自分のすがすがしく脳天気なころに少しは戻りたい。
70年代から80年代初頭のバイクたちはワイルド7とともに、そんな思いをタンクのラインから教えてくれる。
優しい鷲は今も心の何処かで生きているんだとも・・・。
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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
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