『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.540
2012/01/22 (Sun) 02:31:51
子供たちが学校の休み時間になるといっせいに携帯電話を取り出し、ゲームをしたりイヤホンをつけて音楽を聴きだす、また電車に乗っていると老若男女問わずスマートフォンなどの携帯端末をいじっている、そんな現象を見ていると、こんご人間はどうなっていくのか、などという壮大な疑問をもつことも多い。
思い出せば自分が小学校に入ったころに任天堂から「ゲームウォッチ」というのが発売され、それが携帯用コンピュータ・ゲームの最初ではなかったろうか。その後「ファミコン」が普及して、多くの同級生がそれを持つようになり、携帯用ゲームの種類も増えていった。しかしまだみんな「暇さえあればゲームをやっている」という状態では全然なくて、遊びといえば小さな子なら鬼ごっこ、長ずるにつれドッジボールや野球、というふうに体を動かすことが主流だった。いまは子供の数自体も減っているが、外で子供が体を動かして遊んでいる風景がめっきり減ってしまった。まあ昔はみんな体を動かして遊んでいた、などと言っても自分は本を読んでいるほうが好きな子供だったのだが。
自分の父の世代になると、体を動かして遊ぶというその度合いがより激しくて、父の子供時代の話を聞くと、友達と海で潜る競争をしていて鼓膜を破ったとか、釘抜きを腰に差したまま海に潜ったら浮き上がれなくなって溺死しかけたとか、家の二階から庭に飛び降りたらそこに落ちていた五寸釘を踏んでしまってかかとからアキレス腱まで釘が突き抜けたとか、それらはもはやスポーツとは呼べない蛮行であって、そんな命にかかわるようなことをして日々遊んでいたらしい。
では父たちは心身ともに健康で長生きしたのかというと、そんなことはなくて、父の兄弟やその周辺の人々はどちらかというと短命だった。前にも書いたけれど六十代で亡くなっている人が多い。もちろん寿命は子供時代の遊び方だけに関わるのではなくて、とくに昔は栄養状態や衛生状態が悪かったことも関係しているはずだが、しかし体を動かすのが体に良いというのにも限度があるのは確かなようで、相撲取りやプロ野球選手などには短命な人が多い。自分の従弟は小学生のころから野球少年で、中学高校と野球に明け暮れ、大人になった今も草野球を楽しんでいるが、長年のバットの振り過ぎでヘルニアに苦しんでおり、医者にはもう治らないと言われているようだ。まあほどほどに体を動かすのが良い、などというのは誰もが思っていることだろうが。
今の日本人の平均寿命は八十歳前後だ。ほどよく体を動かし栄養のあるものを食べるのが健康に良いらしいが、健康といっても精神の健康もあるし、本当のところ何が寿命を延ばすのか、決定的なことは誰にもよく分からないのではなかろうか。西丸震哉という人は、日本は環境汚染が進んでいてそれは食生活に影響を及ぼし、急速に日本人の健康は破壊され、近いうちに平均寿命は41歳になるであろう、と言ったそうだが、それが二十年ぐらい前の話で、しかし実際にはその後も日本人の寿命は延び続けている。西丸氏の話は極端な例だけれど、学識のある人が根拠あって主張することでも、人の健康に関することはどうも相矛盾する説や反例の多いような説を聞かされることが多く、近ごろは最初から話半分に耳を傾ける人が多いのではなかろうか。
だから携帯端末に熱中している人が増え、外で遊ぶ子供が減ったのを見て、みな運動不足になって寿命にさわりはしないかと心配しても、やはりどんどん平均寿命は延びて、思い過ごしだったということになりそうな気もする。
(近ごろは放射能という別の大きな問題が持ち上がっているが。)
しかし携帯端末への人々の関わり方に、寿命は別にしても何か不健全なものを感じるのは確かで、それで目や耳からしじゅう情報を入れる、またその操作が指先だけによってなされる、ということで体には支障がないとしても、精神面、とくに子供の内面にはどうも暗い影を落とすような気がするのである。
たとえば目や耳から入る情報によって刺激されているのが常態になって、それがなくなると耐えられないという中毒症状は、軽微なものなら誰でも感じたことがあるのではなかろうか。その環境が生まれたときからだと、その中毒が脱すべきものだとも思えず、退屈に耐えるということを知らないで育ってしまう、ということもありそうだ。自分は数年前に大阪の公立中学で酷い学級崩壊を目の当たりにしたけれども、とにかく授業中じっと座っていられない子供たちがたくさんいて、それが見た目には不良少年でも何でもないごく普通の子供たちだけに病的なものを感じさせ、ふりかえると上述のような「情報中毒」が関係しているのではないかと思うのである。つまり手元にゲーム機器などがない状態でじっと座っている、という当たり前のことが退屈で耐えられなくなっているのかも知れない。
また最近見ている高校生の「大事を大事と思わない異様なまでの天真爛漫さ」も気になっている。学力が低い子達を見ているせいもあるが、明らかに重要な試験でもまったく努力しない、大切な約束をすぐに忘れる、といった傾向がある。昨日から行なわれたセンター試験で、寝坊して遅刻した受験生が相当数いたと報じられているけれど、これも最近の子供たちの心の傾向を示しているのではなかろうか。この「天真爛漫さ」がどこからくるのか、はたして情報過多とどう関係するのかは、どうも心当たりがないのだけれど。
(c) 2012 ntr ,all rights reserved.
思い出せば自分が小学校に入ったころに任天堂から「ゲームウォッチ」というのが発売され、それが携帯用コンピュータ・ゲームの最初ではなかったろうか。その後「ファミコン」が普及して、多くの同級生がそれを持つようになり、携帯用ゲームの種類も増えていった。しかしまだみんな「暇さえあればゲームをやっている」という状態では全然なくて、遊びといえば小さな子なら鬼ごっこ、長ずるにつれドッジボールや野球、というふうに体を動かすことが主流だった。いまは子供の数自体も減っているが、外で子供が体を動かして遊んでいる風景がめっきり減ってしまった。まあ昔はみんな体を動かして遊んでいた、などと言っても自分は本を読んでいるほうが好きな子供だったのだが。
自分の父の世代になると、体を動かして遊ぶというその度合いがより激しくて、父の子供時代の話を聞くと、友達と海で潜る競争をしていて鼓膜を破ったとか、釘抜きを腰に差したまま海に潜ったら浮き上がれなくなって溺死しかけたとか、家の二階から庭に飛び降りたらそこに落ちていた五寸釘を踏んでしまってかかとからアキレス腱まで釘が突き抜けたとか、それらはもはやスポーツとは呼べない蛮行であって、そんな命にかかわるようなことをして日々遊んでいたらしい。
では父たちは心身ともに健康で長生きしたのかというと、そんなことはなくて、父の兄弟やその周辺の人々はどちらかというと短命だった。前にも書いたけれど六十代で亡くなっている人が多い。もちろん寿命は子供時代の遊び方だけに関わるのではなくて、とくに昔は栄養状態や衛生状態が悪かったことも関係しているはずだが、しかし体を動かすのが体に良いというのにも限度があるのは確かなようで、相撲取りやプロ野球選手などには短命な人が多い。自分の従弟は小学生のころから野球少年で、中学高校と野球に明け暮れ、大人になった今も草野球を楽しんでいるが、長年のバットの振り過ぎでヘルニアに苦しんでおり、医者にはもう治らないと言われているようだ。まあほどほどに体を動かすのが良い、などというのは誰もが思っていることだろうが。
今の日本人の平均寿命は八十歳前後だ。ほどよく体を動かし栄養のあるものを食べるのが健康に良いらしいが、健康といっても精神の健康もあるし、本当のところ何が寿命を延ばすのか、決定的なことは誰にもよく分からないのではなかろうか。西丸震哉という人は、日本は環境汚染が進んでいてそれは食生活に影響を及ぼし、急速に日本人の健康は破壊され、近いうちに平均寿命は41歳になるであろう、と言ったそうだが、それが二十年ぐらい前の話で、しかし実際にはその後も日本人の寿命は延び続けている。西丸氏の話は極端な例だけれど、学識のある人が根拠あって主張することでも、人の健康に関することはどうも相矛盾する説や反例の多いような説を聞かされることが多く、近ごろは最初から話半分に耳を傾ける人が多いのではなかろうか。
だから携帯端末に熱中している人が増え、外で遊ぶ子供が減ったのを見て、みな運動不足になって寿命にさわりはしないかと心配しても、やはりどんどん平均寿命は延びて、思い過ごしだったということになりそうな気もする。
(近ごろは放射能という別の大きな問題が持ち上がっているが。)
しかし携帯端末への人々の関わり方に、寿命は別にしても何か不健全なものを感じるのは確かで、それで目や耳からしじゅう情報を入れる、またその操作が指先だけによってなされる、ということで体には支障がないとしても、精神面、とくに子供の内面にはどうも暗い影を落とすような気がするのである。
たとえば目や耳から入る情報によって刺激されているのが常態になって、それがなくなると耐えられないという中毒症状は、軽微なものなら誰でも感じたことがあるのではなかろうか。その環境が生まれたときからだと、その中毒が脱すべきものだとも思えず、退屈に耐えるということを知らないで育ってしまう、ということもありそうだ。自分は数年前に大阪の公立中学で酷い学級崩壊を目の当たりにしたけれども、とにかく授業中じっと座っていられない子供たちがたくさんいて、それが見た目には不良少年でも何でもないごく普通の子供たちだけに病的なものを感じさせ、ふりかえると上述のような「情報中毒」が関係しているのではないかと思うのである。つまり手元にゲーム機器などがない状態でじっと座っている、という当たり前のことが退屈で耐えられなくなっているのかも知れない。
また最近見ている高校生の「大事を大事と思わない異様なまでの天真爛漫さ」も気になっている。学力が低い子達を見ているせいもあるが、明らかに重要な試験でもまったく努力しない、大切な約束をすぐに忘れる、といった傾向がある。昨日から行なわれたセンター試験で、寝坊して遅刻した受験生が相当数いたと報じられているけれど、これも最近の子供たちの心の傾向を示しているのではなかろうか。この「天真爛漫さ」がどこからくるのか、はたして情報過多とどう関係するのかは、どうも心当たりがないのだけれど。
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No.539
2012/01/10 (Tue) 09:36:13
昨日、普段メトロで行く客先にバスで行こうと思った。
その客先から帰る時には大きな車庫があるので、そこに行って始発のバスで座って帰るのが常だが、逆のコースをたどったことはなかった。
いつも降りる下りのバス停のせいぜい50m以内位で「上りのバス停も
あるだろう」と探したが見つからず、近くの米屋で訊いたら「旦那さん、あと100m先・・・2つ目の信号を渡ったローソンの先にありますよ。気を付けて・・」と
親切に教えてくれた。
近頃、ものを尋ねたり道を訊いて親身にされるとかなり幸福な気分になってしまう。なんだか、年よりじみている感じもするけれどそれだけ今の世間は刹那的で世知辛いのだと思う。
たとえば、地下鉄にしたって、乗り換え駅で各線に紫や橙の色を付け、丸いしるしで分かりやすいように案内するのはいいけれど、スマホまでそんなアプリがあるという。
一体、どこまで利便を追求すれば満足なのか?とも思ってしまう。
昨日ネットで傷がついても直せるスマホだかi-phoneのニュースを流していたが
、だから、どうなのだろうとも思う。
ポケットやカバンであんな電卓大のガラス板を持ち歩けば割れたり傷が付くのは当然だ。
指でなぞればシュッシュと見たい画面に移れるのは画期的だと思わざるを得ない。
確かに便利で合理的だ。
だが、携帯と言うのは開いて相手にかけるものだと最近定義づけてしまっている。
昨日、職場の同僚たち・・・といっても皆自分よりははるかに若かったがi-phoneの普及率やら携帯の使用実態やら新しいモノが出ればそれで世間が取りあげ話題になってブームで・・・とテレビやパソコンをはじめいろんな道具の変遷について世間話をしていた。
頷いては居たが、では音楽を聴くというのも公衆電話をかけるのも昔はLPレコードに傷を付けないように中指と親指、人差し指を子供ながらに巧みに使いターンテーブルに載せたし、赤電話で長距離をかけるときは大量の10円玉を必要とした。
いわば、儀式めいた動作が必要だった。
都バスがいつの間にか変てこなキャラクターの絵を座席にも描くようになって結構経つみたいだけど、その割には乗り方やバス停の在り処は冒頭に書いたように心もとない。だが、調べるとか訊くとかいう儀式は存在する。パスモやスイカで自動改札をくぐって上を見上げてホームへ降りる・・・なんていうことはない。
バス停を訊いたらひたすらそこで待つだけだ。
そんなことを江東区を走るバスの車内で考えていたら、営団地下鉄と言ってた30年以上も以前の地下鉄の改札を思い出した。
いや、当時の国鉄や私鉄各線皆そうだったが、切符を買って改札を通る際の入鋏(にゅうきょう)をする駅員が必ず改札口に座るか立つかで居た。カチカチカチとやるあの動作だ。5mm四方くらいの紙吹雪を飛ばすあの動き・・・・なんで客が通らなくてもカチカチやっているのかと訊いたら「リズムが取りにくいからだ」と誰かに聞いた覚えがある。
その動作は今にして思えば何処となく滑稽だ。
高校の頃通っていた地下鉄東西線の下りホームには、車両の最後部あたりの改札出口で二挺振り回し、場合によってはカチカチやってから二挺をかわるがわる放り投げキャッチして、また客が通るとカチカチするという離れ業?まあ、慣れなんだろうが・・・あたかもローンレンジャーばりの早撃ち西部劇の主人公を彷彿とさせ見てると楽しかったし、駅員も意識してより演技?に身を入れた。
スイカもパスモも便利だが機械に操られていると感じるのは自分だけだろうか?
米屋の主人は俺より若くてもなんだかとても親切で耳触りのよい案内をしてくれた。
店内を覗くとあきたこまちだのコシヒカリだの産地の札を立てたコメが処狭しと並んでいた。旨い白飯が食べたくなったらあの節は御世話に・・と言って買いに来てみよう。
白飯で思い出すのが正月にバイト先の近所で食べたスタ丼だ。確かに上に載っている豚の炒め物は旨いのかもしれないが、ご飯がまるで古米のようでやっとの思いで食べた。昔の店やモノだってこんなに飯はまずくなかったぜ・・・と思ったが、現実にその店は流行っている。味覚と言う価値観の違いか販促ポスターや自販機の行列につられて人が来るのか分からない。
「三丁目の夕日」の続編がまた映画化され公開されるという。
セブンイレブンでは因んだキャンペーンで鉄腕アトムのマーブルチョコなんぞを売っている。文明もインフラも生活を豊かにはするのだろう。
機械や文明の脆さを示す報道は毎日のようにメディアに登場する。
沈没したイタリア客船の船長などは言えば敵前逃亡以下だと思うが、いつの日かなぜ逃げたか真実の物語などと映画化されたりするのかもしれない。
便利、機能も人が操ってこそと改めて問いたいし、責任や自覚のない者がいとも簡単に大量の無責任を生み出し挙句ダイオキシンや放射能・・・といった公害に悩まされ続ける現代は何処まで続くのだろう。
ありそうでなくなった会話や対話の機会に触れ、切符にパンチする駅員たちのあのユーモラスな動きを、紙吹雪のようになった切符の紙片が散らばる改札の床とともに思い出す。
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その客先から帰る時には大きな車庫があるので、そこに行って始発のバスで座って帰るのが常だが、逆のコースをたどったことはなかった。
いつも降りる下りのバス停のせいぜい50m以内位で「上りのバス停も
あるだろう」と探したが見つからず、近くの米屋で訊いたら「旦那さん、あと100m先・・・2つ目の信号を渡ったローソンの先にありますよ。気を付けて・・」と
親切に教えてくれた。
近頃、ものを尋ねたり道を訊いて親身にされるとかなり幸福な気分になってしまう。なんだか、年よりじみている感じもするけれどそれだけ今の世間は刹那的で世知辛いのだと思う。
たとえば、地下鉄にしたって、乗り換え駅で各線に紫や橙の色を付け、丸いしるしで分かりやすいように案内するのはいいけれど、スマホまでそんなアプリがあるという。
一体、どこまで利便を追求すれば満足なのか?とも思ってしまう。
昨日ネットで傷がついても直せるスマホだかi-phoneのニュースを流していたが
、だから、どうなのだろうとも思う。
ポケットやカバンであんな電卓大のガラス板を持ち歩けば割れたり傷が付くのは当然だ。
指でなぞればシュッシュと見たい画面に移れるのは画期的だと思わざるを得ない。
確かに便利で合理的だ。
だが、携帯と言うのは開いて相手にかけるものだと最近定義づけてしまっている。
昨日、職場の同僚たち・・・といっても皆自分よりははるかに若かったがi-phoneの普及率やら携帯の使用実態やら新しいモノが出ればそれで世間が取りあげ話題になってブームで・・・とテレビやパソコンをはじめいろんな道具の変遷について世間話をしていた。
頷いては居たが、では音楽を聴くというのも公衆電話をかけるのも昔はLPレコードに傷を付けないように中指と親指、人差し指を子供ながらに巧みに使いターンテーブルに載せたし、赤電話で長距離をかけるときは大量の10円玉を必要とした。
いわば、儀式めいた動作が必要だった。
都バスがいつの間にか変てこなキャラクターの絵を座席にも描くようになって結構経つみたいだけど、その割には乗り方やバス停の在り処は冒頭に書いたように心もとない。だが、調べるとか訊くとかいう儀式は存在する。パスモやスイカで自動改札をくぐって上を見上げてホームへ降りる・・・なんていうことはない。
バス停を訊いたらひたすらそこで待つだけだ。
そんなことを江東区を走るバスの車内で考えていたら、営団地下鉄と言ってた30年以上も以前の地下鉄の改札を思い出した。
いや、当時の国鉄や私鉄各線皆そうだったが、切符を買って改札を通る際の入鋏(にゅうきょう)をする駅員が必ず改札口に座るか立つかで居た。カチカチカチとやるあの動作だ。5mm四方くらいの紙吹雪を飛ばすあの動き・・・・なんで客が通らなくてもカチカチやっているのかと訊いたら「リズムが取りにくいからだ」と誰かに聞いた覚えがある。
その動作は今にして思えば何処となく滑稽だ。
高校の頃通っていた地下鉄東西線の下りホームには、車両の最後部あたりの改札出口で二挺振り回し、場合によってはカチカチやってから二挺をかわるがわる放り投げキャッチして、また客が通るとカチカチするという離れ業?まあ、慣れなんだろうが・・・あたかもローンレンジャーばりの早撃ち西部劇の主人公を彷彿とさせ見てると楽しかったし、駅員も意識してより演技?に身を入れた。
スイカもパスモも便利だが機械に操られていると感じるのは自分だけだろうか?
米屋の主人は俺より若くてもなんだかとても親切で耳触りのよい案内をしてくれた。
店内を覗くとあきたこまちだのコシヒカリだの産地の札を立てたコメが処狭しと並んでいた。旨い白飯が食べたくなったらあの節は御世話に・・と言って買いに来てみよう。
白飯で思い出すのが正月にバイト先の近所で食べたスタ丼だ。確かに上に載っている豚の炒め物は旨いのかもしれないが、ご飯がまるで古米のようでやっとの思いで食べた。昔の店やモノだってこんなに飯はまずくなかったぜ・・・と思ったが、現実にその店は流行っている。味覚と言う価値観の違いか販促ポスターや自販機の行列につられて人が来るのか分からない。
「三丁目の夕日」の続編がまた映画化され公開されるという。
セブンイレブンでは因んだキャンペーンで鉄腕アトムのマーブルチョコなんぞを売っている。文明もインフラも生活を豊かにはするのだろう。
機械や文明の脆さを示す報道は毎日のようにメディアに登場する。
沈没したイタリア客船の船長などは言えば敵前逃亡以下だと思うが、いつの日かなぜ逃げたか真実の物語などと映画化されたりするのかもしれない。
便利、機能も人が操ってこそと改めて問いたいし、責任や自覚のない者がいとも簡単に大量の無責任を生み出し挙句ダイオキシンや放射能・・・といった公害に悩まされ続ける現代は何処まで続くのだろう。
ありそうでなくなった会話や対話の機会に触れ、切符にパンチする駅員たちのあのユーモラスな動きを、紙吹雪のようになった切符の紙片が散らばる改札の床とともに思い出す。
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No.536
2012/01/07 (Sat) 14:50:44
年末年始は本業も休みに入りアメ横での客あしらいに精を出した。
日本一とも呼ばれるガード下の繁華街での店番だ。
今年は震災の影響か不景気か分からないけれど、交通整理の警官の拡声は響くものの、思ったより人手は少なかったと思う。
30日辺りがいつもならピークで全く、人の波が進まなく時間もあるのだが、昨年はそれがなかった。普段の土日よりは多いかな?と感じるくらいだ。
中国をはじめとして、アジアから来る人々は毎年増え続けている。行儀の悪い連中も比例して増え続けているが、悲しいことにこれは日本人でもあてはまってしまう。
オーストラリア人の家族連れが店内を見て回ってる間に世帯主らしい恰幅のよいオヤジが自分の処へきて訪ねる。
「おい、警官はこのパニックみたいな行列について何か言っているのか?何かあったのか?」
「いや、この国じゃ年の終わりに此処で買い物をするか、この喧噪を味合わないと一年生きた気がしない人が大勢いて、それでこんなに混んでるのさ。ちょっとしたカーニバルと一緒でさっきからポリスが言ってるのは”Keep Left for Traffic!!"」と解説したら
「ああそうか、この国じゃ毎年なのか?」というから
「そうさ、Have a Nice Stay! and Happy New Year !」
「You too!!」などと会話を交わす。
テレビでイタリア語講座に出ている某イタリア語教師がローマからの家族を伴って店に来た。ソックスやニット帽やら選ぶのを手伝って会計後に
「回転ずしのおいしい処知らない?」
と訊かれ
「すしざんまいじゃ駄目なのか?その人数じゃこの辺りの回転寿司は狭いから座れないぜ!」
「すしざんまいは昨日行ったから・・・回転寿司を食いたいのさ」
「じゃ、ガード下を左に折れて何件かあるけど、オススメは大江戸だな、行ってごらん」
あちこちの国から来る人々とこんな会話を出来るのは、このバイトの余禄だと思えばいい。
年末に貰う取引先からのカレンダーは何処もシンプルで書き込みのできる大型のものが主流だが、味気ないと言えばこの上ない。
小生がアパレルへ入った時代にはジェームス・ディーンやマリリン・モンローで、大きさや白黒かを選んで客先に配ったりしたものだ。金沢に移り住み、あるカジュアルチェーン店の店長をしている時もやはり、J・ディーンを買い上げ金額に合わせて顧客に年末の会計時に配っていたが、経営者の意向である年からそれが前触れなく廃止され
「あんたんとこのジェームス・ディーンがないと壁の色、そこだけ色が違うてるんや・・・なんとかしてや」と叱られた思い出もある。
元来、ポスターや絵画を屋内に飾るゆとりを持たぬ戦後の人々にとって、絵柄やデザインのついたカレンダーこそは究極のインテリアだったが、各種の技術、経済や趣味趣向の発展変遷によってさほど重要では無くなったのか誠に味気ないカレンダーばかりがと思うが、これも世の習いなのだろう。
それにしても、前の記事で述べたブルーレイの「グランプリ」は色々と楽しみが多い。
鮮やか過ぎる60年代のフェラーリF1は当然として、女優たちの纏うファッションや、ホテルやロビーの内装、調度に目を凝らすとなかなかに鮮やかに興味深い。
紙をめくる画像の楽しみは激減したが、映像の旧きを追う楽しみはまた別か・・・?
次は「栄光のルマン」でも探しに行こう。
この時期、東京で抜ける蒼い空を見上げると金沢の雪景色を思い出す。
年間の降雨日数が196日というこの地にあって、冬の雪も例外でなく、特に年始明けの今頃の雪は日中最高気温が0度からさほど上がらぬため、数メーターの積雪でなくても路上の雪や自宅の各所に積もる雪はなかなか解けない。
関東暮らししか経験のない自分にとって、この時期の除雪作業はこたえたものだった。
積雪の重なる日だと、自分の車の雪を下ろしてウオーミングアップをし、駐車場から一般道へ出るのに1,2時間かかってしまう・・・なんてざらにあった。
通勤途中に卯辰山を周り近道をしたつもりが坂の頂上付近で一時停止をしたら最後、じりじりと坂を逆に下り続け、通りがかったトラック運転手に押してもらって脱出したり、シャーベットが凍ったような積雪の路地でスタックして出れなくなり、近所の人が助けにスコップを持って出てくれたり、数えれば暇がない。
逆に、自分もそんな風に助けられたからと見ず知らずの人たちを助ける場面も何度もあった。この辺りの経験は「人は相み互い」足りない部分を補い合うことが人間関係の究極であることも思い知らされたし、なによりも自然をなめてかからないスタンスを心に持ち共存していくというスタンスの重要性を金沢で住んだ日々に学んだ。
東京都心に移り住んでもう10年以上が経つ。
山手線や東京メトロは携帯の案内通りに乗れば数十分で大概、目的地に運んでくれる。実に楽で快適だ。
カレンダーの月のページを破るくらいの記憶の断片しか脳裏に描けなくなったが、路上に流れる融雪の水、遠くに降り積もる雪景色と兼六園とともに心のカレンダーを引っ張り出してはスコップがアスファルトを擦る音とともに蘇る。
ゆっくりと鱗町の交差点から裏の路地へ抜けていく時に感じる湿った寒さの中のあの懐かしさ、柔らかさは絶対に東京では味わうことのできないものだ。
昨晩からまた冷え込みも一段と増した。
大陸からの寒気団はこの時期日本海側に居座り西高東低を繰り返す。除雪の合間に空や山間から覗く陽光、雪解けの雫が木々から眩しい光を放つ兼六園の雪吊・・・来る日も来る日も幾度も幾度もそんな景色を目の当たりにして春へと向かう。雪さえ降らなければ良い処、住みやすい町と言ってしまえばそれまでだ。
だが、人の営みの姿をこうまで教えてくれる街もそうあるまい。
独特の湿気を伴う心地よい寒さは心地よい水や酒をもたらしてくれる。
寒いところにはやはり寒い時に訪れるのが一番だとも思う。
四季の折々で楽しみは尽きないのだけれど。
春待つ心でカレンダーの1枚1枚を破った頃が懐かしい。
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日本一とも呼ばれるガード下の繁華街での店番だ。
今年は震災の影響か不景気か分からないけれど、交通整理の警官の拡声は響くものの、思ったより人手は少なかったと思う。
30日辺りがいつもならピークで全く、人の波が進まなく時間もあるのだが、昨年はそれがなかった。普段の土日よりは多いかな?と感じるくらいだ。
中国をはじめとして、アジアから来る人々は毎年増え続けている。行儀の悪い連中も比例して増え続けているが、悲しいことにこれは日本人でもあてはまってしまう。
オーストラリア人の家族連れが店内を見て回ってる間に世帯主らしい恰幅のよいオヤジが自分の処へきて訪ねる。
「おい、警官はこのパニックみたいな行列について何か言っているのか?何かあったのか?」
「いや、この国じゃ年の終わりに此処で買い物をするか、この喧噪を味合わないと一年生きた気がしない人が大勢いて、それでこんなに混んでるのさ。ちょっとしたカーニバルと一緒でさっきからポリスが言ってるのは”Keep Left for Traffic!!"」と解説したら
「ああそうか、この国じゃ毎年なのか?」というから
「そうさ、Have a Nice Stay! and Happy New Year !」
「You too!!」などと会話を交わす。
テレビでイタリア語講座に出ている某イタリア語教師がローマからの家族を伴って店に来た。ソックスやニット帽やら選ぶのを手伝って会計後に
「回転ずしのおいしい処知らない?」
と訊かれ
「すしざんまいじゃ駄目なのか?その人数じゃこの辺りの回転寿司は狭いから座れないぜ!」
「すしざんまいは昨日行ったから・・・回転寿司を食いたいのさ」
「じゃ、ガード下を左に折れて何件かあるけど、オススメは大江戸だな、行ってごらん」
あちこちの国から来る人々とこんな会話を出来るのは、このバイトの余禄だと思えばいい。
年末に貰う取引先からのカレンダーは何処もシンプルで書き込みのできる大型のものが主流だが、味気ないと言えばこの上ない。
小生がアパレルへ入った時代にはジェームス・ディーンやマリリン・モンローで、大きさや白黒かを選んで客先に配ったりしたものだ。金沢に移り住み、あるカジュアルチェーン店の店長をしている時もやはり、J・ディーンを買い上げ金額に合わせて顧客に年末の会計時に配っていたが、経営者の意向である年からそれが前触れなく廃止され
「あんたんとこのジェームス・ディーンがないと壁の色、そこだけ色が違うてるんや・・・なんとかしてや」と叱られた思い出もある。
元来、ポスターや絵画を屋内に飾るゆとりを持たぬ戦後の人々にとって、絵柄やデザインのついたカレンダーこそは究極のインテリアだったが、各種の技術、経済や趣味趣向の発展変遷によってさほど重要では無くなったのか誠に味気ないカレンダーばかりがと思うが、これも世の習いなのだろう。
それにしても、前の記事で述べたブルーレイの「グランプリ」は色々と楽しみが多い。
鮮やか過ぎる60年代のフェラーリF1は当然として、女優たちの纏うファッションや、ホテルやロビーの内装、調度に目を凝らすとなかなかに鮮やかに興味深い。
紙をめくる画像の楽しみは激減したが、映像の旧きを追う楽しみはまた別か・・・?
次は「栄光のルマン」でも探しに行こう。
この時期、東京で抜ける蒼い空を見上げると金沢の雪景色を思い出す。
年間の降雨日数が196日というこの地にあって、冬の雪も例外でなく、特に年始明けの今頃の雪は日中最高気温が0度からさほど上がらぬため、数メーターの積雪でなくても路上の雪や自宅の各所に積もる雪はなかなか解けない。
関東暮らししか経験のない自分にとって、この時期の除雪作業はこたえたものだった。
積雪の重なる日だと、自分の車の雪を下ろしてウオーミングアップをし、駐車場から一般道へ出るのに1,2時間かかってしまう・・・なんてざらにあった。
通勤途中に卯辰山を周り近道をしたつもりが坂の頂上付近で一時停止をしたら最後、じりじりと坂を逆に下り続け、通りがかったトラック運転手に押してもらって脱出したり、シャーベットが凍ったような積雪の路地でスタックして出れなくなり、近所の人が助けにスコップを持って出てくれたり、数えれば暇がない。
逆に、自分もそんな風に助けられたからと見ず知らずの人たちを助ける場面も何度もあった。この辺りの経験は「人は相み互い」足りない部分を補い合うことが人間関係の究極であることも思い知らされたし、なによりも自然をなめてかからないスタンスを心に持ち共存していくというスタンスの重要性を金沢で住んだ日々に学んだ。
東京都心に移り住んでもう10年以上が経つ。
山手線や東京メトロは携帯の案内通りに乗れば数十分で大概、目的地に運んでくれる。実に楽で快適だ。
カレンダーの月のページを破るくらいの記憶の断片しか脳裏に描けなくなったが、路上に流れる融雪の水、遠くに降り積もる雪景色と兼六園とともに心のカレンダーを引っ張り出してはスコップがアスファルトを擦る音とともに蘇る。
ゆっくりと鱗町の交差点から裏の路地へ抜けていく時に感じる湿った寒さの中のあの懐かしさ、柔らかさは絶対に東京では味わうことのできないものだ。
昨晩からまた冷え込みも一段と増した。
大陸からの寒気団はこの時期日本海側に居座り西高東低を繰り返す。除雪の合間に空や山間から覗く陽光、雪解けの雫が木々から眩しい光を放つ兼六園の雪吊・・・来る日も来る日も幾度も幾度もそんな景色を目の当たりにして春へと向かう。雪さえ降らなければ良い処、住みやすい町と言ってしまえばそれまでだ。
だが、人の営みの姿をこうまで教えてくれる街もそうあるまい。
独特の湿気を伴う心地よい寒さは心地よい水や酒をもたらしてくれる。
寒いところにはやはり寒い時に訪れるのが一番だとも思う。
四季の折々で楽しみは尽きないのだけれど。
春待つ心でカレンダーの1枚1枚を破った頃が懐かしい。
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☆ 索引 〜 昭和の憧憬 へ戻る
目次
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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
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