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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/22 (Fri) 16:07:38

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No.519
2011/12/18 (Sun) 03:42:26

お久しぶりの杏仁ブルマです!!
皆さんいかがお過ごしでしょう?
僕自身は締め切り間際ほぼ間に合わない原稿と格闘しながら
この怪文書を書くという
暴挙すなわち
テスト前の掃除症候群になっている所存なのですが
まーたまには思想というのをぶちまけたい年頃なので
ハレークリシュナ並に思想をぶちまけましょう。
現在日本は完全にオワコン臭がすごいですが
僕の思想は1999年に戻したい
あの日に戻りたいのではなく
あの恐怖をもう一度取り戻したい
今では正直槍が降って来ていても
驚かないくらい日本が壊れてしまった。
このバグだらけの世界はそれなりに楽しいのだが
OSを1999年に戻し
此の世界を楽しみたいと思っている。
過去に戻ると言う思想は
すなわち死
衰え
なのだが
まー何が言いたいのかというと
今の世の中に振り回されず
空に風穴空けたい年頃なのさ
という訳で
1999年の音楽を聞こう

浜崎あゆみ
そんなに好きとか嫌いとかそんなんじゃないが99年の歌姫であるのは
確かである。

マリスミゼルはある意味ヴィジュアル系バンドの究極なのだが
僕は彼らの完璧主義なパフォーマンス力が好きなのだ。
ある意味でダルマルダの目指す目標の一つでもある。

モーニング娘。は今思えばまともなアイドルだったと思える。これも1999年を感じるナンバーである。


宇多田ヒカルは正直1999年って感じしないんだが99年代最高にぶっ飛ばしていたのは確かだ。
さてさて告知のお話

杏仁ブルマのこれからの予定は
12月31日東京ビッグサイトに
コミックマーッケトにて
西地区ひ19aにて
アイマス臓器本なる前代未聞の臓器本を出します。



お楽しみに!ダルマルダ

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No.518
2011/12/17 (Sat) 09:28:50

 真冬の晴天が続く。

 この時間にオフィスに帰っても、見上げる空は抜けるほど蒼い。
 午前中は世田谷に仕事で行っていた。用事を済ませて東急世田谷線・・・まるで都電の兄貴みたいな電車だが・・・に乗って世田谷で降り、帰りは若林まで銀杏並木の舗道を歩きながら、古道具やらアンティークやら、ついでにブックオフまで覗きながら松陰神社の前を通って、若林から三現茶屋まで世田谷線で戻った。

 三現茶屋は10年以上も前に、小生にいろんなことを教えてくれた義兄が入院していた病院がある。義兄は既に鬼籍に入ってしまったが。

 北陸に住んだ頃、義兄の入退院を聞いて数度訪ねたこの街は、通りや街の趣はさほど変わらないが、立ち並んだ店にはやはり店舗寿命と言うかサイクルがあるようだ。 駅の傍のSEIYUにも入ってみた。10年以上も前に覗いた時にはもっとそれらしい売り場だったのに・・とも思う。イトーヨーカ堂と並んでSEIYUも高度成長期の昭和40年代にはかなりの出店攻勢をかけていた。ダイエーがローソン、ヨーカ堂がセブン・イレブン、西友(西武)がファミリー・マート・・・。

 高度成長期に有効であった広い売り場はやがて、己が生み出したコンビニエンス・ストアによって食い荒らされ、活気のあった売り場からは従業員も客の姿も消え、売り場を閉じるか極端な人員削減によって、息も絶え絶えで生きていく。
 手間のかかるディスプレイなどなく、平台とハンギングできるラックだけだ。

 いいものか着たいものかも分からない、魅せられない。

 レジに列ができていたのは、孫にクリスマスの玩具を買い求める年寄りと食品レジだけだった。

 なんとなく、かつての面影を求めて通りを歩いたが「確か此処にあった古本屋で影丸を求めたはずだが・・」と言う店は煙草屋になっていたり、個性的なクロージングを提供していたような店はリサイクルショップに変わっていた。

 リサイクルや古道具屋と言うのは意外と面白い。
 品揃えのセンスや陳列にもよるのだろうが、バラエティも個性も両立していて飽きない店が多い。古着屋の割に高いのが難点だが。

 かつては、ファッションとかアパレルとか持て囃された時代があったし、デパートの売り子にも憧れた時代があった。
 スーパーの売り場に魅力がないのはアメリカの管理の仕方を学び過ぎて、日本のマーケットのリサーチを忘れ、しかもそのリサーチした情報も顧客第一主義と言いながら置き去りにしてしまった
 戦略が取り返しのつかないミスだったんだろう。

 たとえば、いつもと違う電車に乗り、違う町の現場へ出かけても同じような黒いダウンを車内で何割くらいの人が着てるか?年齢だと?男女比は?ルーズに着てる?ぴったり目?それとももっと違う何か?背中にロゴが入ってるとか・・・?こんな情報を自らの目で得ていたとする。
 自分の店で並んでいるモノや、自店に来店する客はどんな黒いダウンを着ているのだろう?ユニクロばっかりか?・・・こんなことを楽しみながら自店の仕入れやディスプレイを考えているような店ってきっと楽しいだろう。

 昔は自分もそうだった。
 そんなこと考えたって仕方ない・・・PCの画面にかじりついてゲーム機みたいなスキャナーで在庫を取って本部の云う事を聞くだけさ・・。

 今はどこでもそうだろう。合理化省力化の名のもとに現地現場、現物なんて言わないのかもしれない。

 だが、こんな時代だからこそ他にない楽しみを求める時代でもある。

 
 世田谷の銀杏の落葉は世相を嘲笑うかの如く、真っ黄色で鮮やかだった。



 (c)2011 Ronnie Ⅱ , all rights reserved.




 ☆ 索引 〜 昭和の憧憬  へ戻る
No.517
2011/12/16 (Fri) 14:08:27

 職場から見える街路樹も、つい先日までは赤々とした葉を優雅に舞い落していたのに、すっかり、葉が落ち寂しげな真冬の景色となった。
 しばらくは外で携帯を持つ手もかじかむような寒さだから致し方ない。

 「山本五十六」がまた、映画化されて公開するのだという。役所広司の主演らしいけど。

 ウィキペディアで検索してみれば、山本五十六を最も多く演じたのはかの三船敏郎その人である。

             


 連合艦隊司令長官の役があれほど決まった役者も居ないと思うが、他にもはまり役は三船プロの威信をかけて制作された大河時代ドラマ「大忠臣蔵」の大石内蔵助。

 すでに討ち入りの12月14日は過ぎてしまったが、クリスマスだイルミネーションだと楽しい光りものばかりを尊ぶ現代の風潮にあって、忠臣蔵だの真珠湾攻撃の日だのって忘れられない史実の一片だと思う。

 youtubeを探せば、「南部坂の別れ」はすぐに出てくるので視聴環境があるなら是非、御勧めの昭和時代劇の名場面・・・泣かせるシーンの凝縮が其処に散りばめられている。

 討ち入りの日の迫った師走に、浅野家の奥方、遥泉院の実家(赤坂氷川神社の脇に南部坂はまだあるが)に廃藩となる折の会計報告にと適当な項目で挨拶に出向く。仇討こそ本懐と願い続けている遥泉院は「ついに来たか?」とばかりに内蔵助を出迎えるが、「いや、仇討などは諦めました。山科へ戻って百姓などをしながら余生を・・・」などと答えるものだからあてが外れた彼女は憤懣やる瀬なく三船敏郎演ずる内蔵助を散々に詰る。

 実は、この時、吉良方の間者が潜んでいることを視野に入れ、最期の大芝居を亡き主君の奥方に打つのである。
 「亡き殿の遺影に・・」と四十七士の連判状を仏壇にそっと置き引き上げる。内蔵助が去ってのち、その連判状に気付いた遥泉院はおのれの思慮深さと内蔵助の報恩の決意にうなだれる・・・。

 この時の遥泉院は佐久間良子が演じていたが、どちらの演技も誠に素晴らしい。 しゃあしゃあと、口上を述べる三船敏郎はこの頃油も乗り切っていて素晴らしい。  「レッドサン」の黒田重兵衛役もなかなか渋いが、この大石内蔵助こそ最高だ。声には出さぬとも「これこそがもののふの道」と言わんばかりの重厚な演技である。

             

               

 世界のミフネにはアラン・ドロンも兄弟のように慕い、自らの香水「サムライ」は三船敏郎のイメージを踏襲させて造られたとも言うし、紳士服ダーバンのコマーシャル出演も三船敏郎がドロンに薦めたとも言われている。

 「グランプリ」はマックイーンの「栄光のルマン」と並ぶレース映画の金字塔だが、劇中ではヤムラこと本田宗一郎をモデルにしたチームオーナー役をジェームズ・ガーナーを向こうに回して演じ切った。

             

 小生の頭の中では、この「グランプリ」と「栄光のルマン」こそが、造られたモーターレーシングの世界を描いた中では秀逸過ぎて他に比肩のしようがない。勿論、ドキュメントとして描かれたものは別格だが。


 先日、復元改修中の東京駅を通りがかった。江戸の末期から明治にかけて、そこに何があってどのようにして今の駅舎になっているかも、仮囲いに貼ってある様々な地図や写真や文献でおぼろげながら興味深い知識を得て帰ってきた。

              

 わずか100年ちょっとの間に相当のスピードでインフラが進み、今の首都圏の大動脈として成り立ってきたのが良くわかる。
 昭和には言うまでもなく大戦の前と後では大きく異なってくる。としても、占領下にあって点呼を受けながらの駅の朝礼やら、今では考えられない乗車券を買い求め故郷や疎開先へ向かう人の行列・・・。

 スマホや携帯、パソコンなどなかった時代コミュニケーションの手段は数少なかったろうが、人と人の生業はもっと濃かったのだろう。

 昨今の3Dなどの奇をてらった目の錯覚にも等しい仕掛けで欺くような映画は、当時は存在しなかったから、人間が等身大で演じる人の心の奥行きがそうさせた。機械や画面の小細工だけに拘らなかった。
 大石内蔵助や山本五十六をはじめとする史実に存在した人々も含め、フィクションに登場する人物も自身が成し遂げるキャラクターの中で自在に演じて見せた。

 暮れや大晦日や正月に豪華絢爛の時代劇をテレビで観ることはなくなった。

 そういえば、TBSだったと思うが三船敏郎が島左近を演じた「関ヶ原」も忘れられない。高橋幸治演じる大谷吉継や加藤剛の石田三成、敵役の家康を演じた森重久弥、キャスト陣も素晴らしかったが、司馬遼太郎の原作も時代考証も骨太な脚本と相まって素晴らしい物語のベースとなったからだろう。

 B29によって、大戦下で被爆炎上した東京駅は現代のテクノロジーと膨大な人々のたゆまぬ努力によって、やがて在りし日の姿を衆目に提供するだろう。
 だが、我が心に大きな足跡を残した歴史の断片、三船敏郎が生涯をかけて演じたもののふの道は画面や画像の中でしか観ることはできない。

 21世紀となってから既に10年以上が過ぎ去った。スカイツリーのような新しくて高い建物に目を奪われがちだが、東京駅の工事現場の仮囲いでふと10分かそこらも足を留めれば、懐かしい記憶の数々とこの国の辿った生業を感じることができる。


 ただ、高い空から下を眺め降ろせばそれで済む・・・ということではあるまいと感じさせてくれる。



 (c)2011 Ronnie Ⅱ , all rights reserved.




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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









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