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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/22 (Fri) 18:52:47

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No.495
2011/11/08 (Tue) 23:01:37

 カーディガンと言えば、

 今年というか去年くらいからボチボチ、流行りというか復活の兆しというか感じられるけど・・・。
 少し、ぴったり目のショール襟(昔、ヘチマ襟なんて言ってたんだよね)で、インナーにシンプルなTシャツ、ヘンリーネックとかを合わせるのが今年風なんだとか。

 昨日、表参道ヒルズに行ったら階段にそびえるクリスマス・ツリー。ディズニーのキャラクターの影絵が珍しいのか、行きかう人がみな、携帯を出して撮っていた。

 「大人になりゃ、クリスマスなんて忘れちまうのに」とも思うけど・・・。

 男子にあげるクリスマス・プレゼントって、マフラーに次いでセーターも多かったはずなんだけど。

 70年代には結構、ニュートラ・・・なんて懐かしい響きでしょう!!?? ・・・などにももてはやされた時期もある。
 レタード・カーデなんていうのもあって、胸にWとかMとか大きなワッペンが付いていて、腕に2本の線が入ってるヤツ。
 「週番のセーター」なんて言われたりもしたけどね。

 ところで、毛玉の出来ないニットなどは世の中にはない。
 出来にくいというのはあるかもしれないが。
 脇や腹など、頻繁にこすれれば糸が持ち上がって、やがて毛糸が丸まって毛玉ができる。これは安いからとか、高いからだとかではなくて、宿命と言うべき特性だ。
 値段の差異云々の次元ではない。

 カウチンとか、フィッシャーマン(通はアラン・セーターとかいうんだって)などのバルキッシュなニットはもともと値が張るものだけど、脱脂していないウールが雪山で着ても風を通さずあったかいというので、メイド・イン・U・S・Aブームに乗って粋なジーンズやさんやメンズショップの冬のアイテムだった。
 ¥9,800あたりから安いのだと¥3,900あたりまであったと思うけど、フリースの台頭やユニクロの浸透などで巷からは消えてしまった感がある。

 《一本半》これは1.5ゲージの太さの毛糸を使って編まれたセーターで、バブル時代の直後くらいまでこう言った。
 特にフィッシャーマンという生成の毛糸のセーターは、もともとアイルランドに近いアラン諸島で漁師たちが着ていた手編みのセーターが伝わり、広く人々に好まれたのがきっかけと言うが、安価で売られていたのはむろん、その手編のレプリカで、柄もケーブルやさまざまな凹凸に富んだボリュームのあるもの、腕や肩に小さいボンボリ?団子?のついた《ポップコーン》と呼ばれたものもあった。
 問屋に居た時、「そこのポップコーンも一緒に箱に入れておいて」と先輩に頼まれて、「何処にもポップコーンの袋なんてないですよ!」と言ったらああで、こうでと知識のなかった小生に伝授してくれた。

 服に希望が持てたあの頃というのは今ほど情報過多にならず、先に述べた、ポパイやホットドッグ、それにモノ・マガジンなども含めて、布地やデザインやその産地など知識を提供する特集で多くを学んだ。

 軍モノなどはそのいい例だ。

 МAー1などは《マイチ》と呼んでいた人が当初、どれくらい居たか知らないけど、裏地のインディアン・オレンジは、兵隊が遭難したときに上空から発見されやすいためにそんな目立つ色を採用しているとか、CWUー45なんて燃えないノーメックスこそ本物だとかね。

 昨今、ご婦人がたもこぞって履きたがるカーゴパンツ・・・今でこそカジュアル(←こんな言い方も死語に近いのかも)の必須アイテムとなり、迷彩柄も立派な市民権を得て逆に街に溶け込むかのようだが、ベトナム戦争時代の産物だ。
 あの腿の脇に付いた大きなポケットは、地図をたたんで入れて持ち歩くためのものだと確かどこかに書いてあった。
 昔は《ベトコンズボン》と呼ばれて作業着屋で売っていたけどね。

 そんな古着をアメ横あたりで仕入れてきて、オヤジに「戦争を愚弄するのか?そのズボンがどんな戦地で着られていたのか考えてみろ・・」などと叱られたり・・・。

 くろすとしゆき氏著の「トラッド歳時記」によれば、「靴下は黒か紺、あるいはチャコールグレイのリブ編みがベスト」とスーツ着用時のコーディネートにはあった。


 時代は変わり、愛と平和は確かに世界規模で浸透したかもしれないが、満たされているように見えて、そのくせ不安や不満だらけで、夢も希望もあったもんじゃない。
 踝ソックスで通勤してよくなった代わりに、仕事の仕方や常識をわきまえぬ若い殿方も増殖を続けている。無能で無責任な経営者も後を絶たない。

 好きな音楽を聴いて気に入った服を着ていたら、そのうち夢が叶うとか、希望の転機が訪れる・・・なんて思わない。

 そんな夢も時代も返してくれなんて、野暮は言わない。

 まどろみや憧憬を愛す、朽ちていく自分がそこに居るだけかもしれない。


 便利で早く、綺麗になんでも揃うこの時代には、空虚さと儚さを覚えるのは小生だけだろうか・・・・?



 (c)2011 Ronnie Ⅱ , all rights reserved.




 ☆ 索引 〜 昭和の憧憬  へ戻る
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No.494
2011/11/07 (Mon) 21:54:16

 世の中は、特にアパレルとか、カジュアルとか、時に「インベストメント・クロージング」なんていう言葉が出来つつあった。

 要は持っていて腐らない服、自分を着飾るのに投資するだけの価値のある服といった具合だ。

 高1でバイトをして、グレコのレプリカのヴァイオリン・ベース・・・ビートルズに憧れた暁の、ポール・マッカートニーがヘフナーのを使用したレプリカ・・・今から40年近く前、確か¥36,000程で求め、ローランドのベースアンプも買ったが、基本的にオタマジャクシも読めず、コードすら知らないため挫折してしまい、バイクに走りそうでないときは結構バイト代は服に消えていった。

 雑誌、ポパイも高2あたりから読み始めていろんな事を教わったのは既に書いていたが、ネットや携帯が存在しない頃は、こういう少年向けのファッション雑誌というより文化向上雑誌が多数出版されたと思う。
 ホットドッグ・プレスなんていうのは何処に行ったんだろう?確か、実家の押入れには創刊号があるはずなんだが。

 さて、前段で触れたが、《リンクス編み》と言われた伸縮に富んだニットも実は欠点があった。

 要は引っ掛けやすいのだ。

 ちょっとしたことで糸が出てきてループ状になり、引っ込まなくなる。ワンシーズン着ただけで、乱暴な人なら恐ろしく糸の出たセーターやカーデになってしまう。
 小生はこの素材がすたれたのはブランドブームでなしに、実はこの素材が良くなかったのだと思う。

 最近、古着屋で、このリンクス編みを改良したようなニットでなかなかいいのが見つかったが赤いラコステだった。

 今では無印良品、ユニクロなどで安価ないいセーターが帰るし、高番手で薄くて
あったかいセーターは街にいくらでもあるし、高級素材のイタリー糸なんぞを使ったゼニア・・・なんとかは、もはやブルジョアの持ち物だけでなくなった。
 自分としてはシェットランドのややチクチクするあの風合いこそが懐かしいのだが。勿論、胸には何も付かなくて構わない。

 ラルフ・ローレンもラコステも要らない。


 この項続く



 ☆ 索引 〜 昭和の憧憬  へ戻る
No.493
2011/11/06 (Sun) 21:42:05

 小生の通勤最寄り駅はJR山手線の下町寄りだが、毎朝、跨線橋を渡るのに案外急な階段を昇降するのだが・・・

 親の躾か本人の自覚か、はたまた学校の生活指導か、悩んでしまうのが昨今のアンクルソックス、いわゆる、くるぶしソックスの浸透が深刻なことである。
 
 ジーンズやカーゴパンツでスニーカーなんぞで出かけられる方々は、職業上、何の問題もないとしても、スーツ姿のサラリーマンや中学、高校生らの諸君には「なぜ、そんなに足首を露出したいの?」と問答してみたくなる。

 靴下という観念は一体、何処にあるのか?
 などとは言うつもりもないけれど・・・。

 中学のころ、生活指導の躾は大変やかましかった。
 
 思い出すとアパレルにおけるブランドブームの創世記にあたっていたのではないか?昭和46,7年頃の話だ。
 レナウンが当時出したプロ・ゴルファー、アーノルド・パーマーや、小杉が出した同じゴルファーのジャック・ニクラウスは、それぞれ前者はカラフルな傘、後者はゴールデン・ベアと呼ばれた金色のクマの刺繍がワンポイントとして、セーターやカーディガンなら胸、ソックスなら足首に付いていた。

 小生の通った中学では色や柄、ワンポイントのソックスでさえ華美であるとの解釈のもとに着用を禁じていた。
 生活指導の体育教師によく、注意をされたものだ。
 裕福な同級生は確かにアーノルド・・・なんかのセーターを学生服の中に着こんでたが、そうでない小生などはソックスが精一杯のお洒落だった。

 この当時のセーターやカーディガンの特徴は「パール編み」と呼ばれる(リンクスとか両頭と専門用語で呼んでいたが)独特の編み地を持ち、伸縮に優れた地が薄いニットが多かった。
 他に一般向けで知られたブランドとしては今でこそアンダー・ウェアの隠れた国内ブランドだが「B.V.D.」がある。確かマークには二通りあって、メキシカンといわれたソンブレロを被ったしゃがんだ外人と、ナインティ・ホールで呼ばれた19番ホールの旗を刺繍のモチーフに使ったものとが存在したと思う。
 のちに味気ないBVDのロゴだけに販売戦略上なっていって、やがてすたれてしまうのだが・・・。

 この時代は国内ジーンズも群雄割拠の時代・・・江戸での勝利成功を祈願し、ロゴにあてこんだエドウイン、大戦で勝ちをさらわれた米国にこれ以上負けてたまるか!「ならボブに損をさせてやれ!」とばかりに生まれたボブソン、大物で通すというビッグジョンなど、岡山、広島での藍を扱う業者が旗揚げし、パパママストアの先駆となるジーンズショップへ販売攻勢をかけていたのもこの時代である。ビッグストーンなんていうのもあったな。

 世界を席巻させた蒼の制服というような本まで出て、かのジョン・レノンやジョージ・ハリスンなどがジーンズ姿をアルバムのジャケットに出していた時代・・・これらは反戦、平和という願いの象徴がブルーデニムであり社会現象とまで成り得たからだろう。
 小資本でも、町の萬やさんみたいな○×洋品店みたいな店でも「ヤングの集まる店」なんてキャッチ・フレーズを看板につけて出店や拡張を繰り返した。

 もっとも「ヤングの集まる」、などと言っていて福助の足袋なんぞしか見当たらない店も結構あったはずだが・・・。


 この項続く



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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









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