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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/23 (Sat) 01:10:08

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No.457
2011/08/22 (Mon) 17:42:29

「えー、馬鹿のことを昔は愚者と申しましたそうです。女の尻をしじゅう追い掛け回して鼻の下を伸ばしている馬鹿、ケチでお金に異常なほど執着する馬鹿。馬鹿にも四十八馬鹿ございまして、その大統領が噺家ということになっております」
 そこで観客はどっと笑った。すると噺家は急に激怒し、高座の下から機関銃をとりだした。
「安易に笑うんじゃねえ!」噺家は客席に向かって銃を乱射した。耳をつんざくような兇悪な銃声、飛び散る血しぶき、観客の阿鼻叫喚。
 撃ち終わった噺家は呼吸を整え、着物についたほこりを手で払った。
「その程度で笑うなら落語家なんて要りゃしねぇんだ」
 そして再び正座して話し始めた。
「中でもたちの悪いのは理屈を言う馬鹿ですな。おう、そこにいるのは八兵衛じゃないか、こっちにお入り。どうもご隠居さん、今日はちょっと分からないことがありまして、教えてもらおうというわけで参じました。……なんだ、その分からねえことってのは」
 噺家はそこでお茶をすすった。
「うわばみってものがあるでしょう。ありゃどうしてうわばみってんですかい? ……何だ、変なことを尋ねる奴だな、蛇の太く大きくなったものをうわばみというんだ。……いやそりゃ分かってますがね、どうしてうわばみっていう名前になったんです? 蛇の大きくなったものなら、『おおへび』とか『へびおお』とか言いそうなもんじゃないですかい、うわばみなんて蛇とは縁のない言葉ですからね、そこんとこをご隠居さんにお尋ねしようと思って。するとご隠居さん、しばらく腕組みしてこう言った」
 噺家は客席をにらみまわした。
「まずここに、うわっ、ていうものがあると思いねぇ」
 噺家は急に立ち上がり、客席に降りていったと思うと若い男性客のむなぐらを掴んだ。
「思いねぇ!」と噺家。その迫力に押されて客は
「お、思いました」
「それが、ばむんだな」
「……」
「ばむんだよ!」噺家は返事を強要した。
「は、はぁ」
「うわ、が、ばむからうわばみだ、分かったか」
「分かりました」
「本当に分かったんだな?」噺家は男性客をにらみつけた。
「ええ」
「それじゃあここに、うわ、が、ばんでるところを描いてみな」というと噺家はスケッチブックとマジックを客に手渡した。
 客が何も描けずに凝固していると、噺家はストップウォッチをふところから取り出した。そしてたもとから出した剃刀を客の頚動脈に押し付け、
「三十秒以内に描け。さもなくば殺す」
 なおも客が描けずにいると
「あと二十秒……あと十五秒……あと十秒だ」
 噺家は額から汗を流しながらストップウォッチを見ている。
「五……四……三……二……、一」
 そのとき、寄席の後部の扉が開き、銃をもった私服の男と数人の警官がなだれこんできた。
「そこまでだ! 手に持った武器を捨てろ!」
「おっと、邪魔者が入ったな。だがしかし、タイムリミットだ」
 そういうと噺家は、男性客の頚動脈を勢いよくかき切った。鮮血がシャワーのように飛び出し、噺家の顔を真っ赤に染めた。そしてもろはだを脱ぐと、彼の胴体にはガムテープで筒状のものがたくさん巻きつけられていた。
「ダイナマイトだ。下手に俺を撃ったら寄席ごとふっとぶぜ」
 噺家はゆうゆうと高座に戻り、凍りついたように沈黙している観客、そして刑事たちに向かって言った。
「そうとも、俺はまともな噺家じゃねぇ。立派な師匠に弟子入りしたが、さっぱり芽が出ず毎日いらいらして、気晴らしに日本刀を持ってある家に忍び込み一家五人皆殺しよ。だがな、警察のおっさんたちよ、俺は気が狂ってるとかで裁判所は死刑にしてくれねぇんだ。で精神病院にぶち込まれはしたが、俺みたいな気狂いが日本中にわんさかいるのか、定員オーバーですぐ釈放されたのさ。だが俺に何をして食ってけってんだ。キチガイの凶状持ちがやる仕事なんて無え。そこで俺は、本当のキチガイ、殺人狂にしかできない落語をやることにした。気に入らねぇ客は容赦なくぶち殺す、サバイバル寄席だ。すべからくエンターテインメントは客からスリルを求められる。だがな、本当のスリルってものは一生の心の傷にもなりかねねぇおっかねぇものだ。それを俺はこの世に知らしめようとしてるんだよ」
「講釈はそれで終わりか、くされ外道!」私服刑事が拳銃を構えながら言った。
「何を、この」噺家が言いかけたところで刑事の銃が発砲された。弾丸は見事に噺家の眉間を撃ちぬいた。
「即死だな」高座に上がった刑事は、噺家の脈を調べて言った。「皆さん、もう安全です。この男は死にました。安心してください」

 しかしここで眉間を撃たれて死んだ落語家、その名も桂米狂(かつら・べいきょう)は、その過激すぎるパフォーマンスによって死後、一部の演芸関係者の間で熱狂的に支持を集め始めた。またそのご日本の演芸界は退廃の一途をたどり、あらゆる娯楽に飽きて感覚の麻痺しきった人々は、二代目三代目の桂米狂が提供するサバイバル寄席をおおいに歓迎したのである。

 それから百五十年。十代目を数える桂米狂は政界に打って出た。総理大臣に上りつめた彼は、当然のごとく核ミサイルで大戦争を引き起こし、その結果ほとんどの地球人類は死に絶えてしまった。彼は最後に「ハレルヤ!」と叫んで自分の頭を撃ちぬいたそうである。


(c) 2011 ntr ,all rights reserved.
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No.456
2011/08/22 (Mon) 17:41:07

 ベムは禿げた茶色い頭をなでながら、自社ソフトの修正プログラムをデバッグにかけ、うまく作動することを画面上で確かめた。あとは他の社員にプログラムのテストをまかせ、今日はもう帰るとしよう。
 ベムは黒いソフト帽をかぶり、白い金属製の短い杖を手に取ると、
「ウー、ウガンダー!」
 と叫んだ。するとベムの体中から人間のものとは思えぬ、異様な発達を遂げた筋肉がもりあがった。頭部は左右に裂けて、大脳が露出したかのように白くなって大きく膨らみ、口からは鋭い牙も伸びてきて、よだれがあふれ出す。その姿はまさに妖怪だった。
「お先に失礼します」
 ベムはタイムカードを記録器に差し込み、オフィスを出て行った。
 かつてベムは張り切って力を出すべきときに妖怪に変身していたが、人間社会に溶け込むため、仕事を離れた夜の自分の時間にだけ、妖怪の姿になることにしていたのだ。

 帰途、列車の窓に疲れた体をもたせかけ、ぼんやり夜景を眺めるベム。
 俺は一生いまの会社で働くのだろうか? それでいいのか、妖怪人間なのに? 
 これまで何百回となく繰り返されてきた想念が去来する。その想念はもはや擦り切れて薄っぺらなものになっていて、疲労してぼんやりしたベムの頭脳をほとんど刺激することなく、彼はいつしかこくりこくりと居眠っていた。

 翌日はベロの運動会。日曜ぐらい眠っていたいが、家族サービスを怠るとベラに鞭で打たれる。ソフト帽を頭にのせ、ベロの通う小学校に足を運んだ。
 ベムはカメラを構え、ベロが徒競走で走ったり綱引きする姿を、せっせと写真に収める。一般人に混じっての見物だから、もちろん人間の姿である。
「次は父兄参加によるスウェーデンリレーです」というアナウンス。
「なにぼんやりしてるのよ」とベラ。
「わかった、参加するよ」抵抗が無駄なことを知っているベムは、力なく返事した。

 禿頭に白いハチマキをさせられたベムは、お玉にのせたボールを落とさないように注意して、出発の合図を待った。
 ピストルが鳴らされ、走者いっせいにスタート。運動不足の父親たちが主な参加者だから転倒者が出るのもご愛嬌だが、妖怪の運動神経を持つベムは、足取りも軽く他の参加者をどんどん引き離していった。
 一等はいただきだと思ったベムだったが、心に隙ができたのか、ぐんぐん追い上げてくる男がいるのに気づかず、ややペースダウンした。追い上げてきたのは髪を短く刈った三十代と思しき男で、ベムに追いつくとにやりと笑った。そして足を引っ掛けてきた。ベムはたまらず転倒した。
 ベムはむらむらと怒りがこみ上げてきた。久しぶりに悪の匂いをかいだ気分だ。
「ウー、ウガンダー!」
 ベムは妖怪の姿に変身し、自分を転ばせた男を追いかけた。
 会場は異様に盛り上がった。しかし誰もベムを応援しなかった。妖怪に追いかけられる一般人を見ては、一般人のほうを応援するのが人情というものである。
 ベムが卑怯な短髪の男をとうとう捕まえ、格闘が始まった。金属のお玉で互いに殴り合いを始めたのである。会場は騒然となった。
「みなさん、落ち着いてください! 落ち着いてください!」というアナウンス。「では次のプログラムに移ります! 六年生による玉入れです」
 六年生たちが運動場の真ん中に出てきた。そこには赤と白の玉がばら撒かれている。
「よーい、始め!」
 笛の音とともに玉入れが始まった……かに見えたが、六年生たちは競技よりも妖怪人間に興味を持っていた。そして石を拾ってベムに投げ始めたのである。
「ぐぁーっ」
 ベムは石をぶつけられて苦悶の声を上げた。

「ベム、なんでみんなといざこざを起こしたんだよ!」
 運動会が終わった帰り道、ベロが詰問した。
「さ、ベロ、機嫌を直しなさい。今日はお寿司を食べに行くわよ」とベラ。
「寿司に行く金なんてないだろ」ベムが小声でベラに言った。
「今月のあなたのお小遣いを五十パーセントカットするから平気よ」ベラはキッとなって答えた。

 ベムはその晩、寝床で考えた。

 ああ、明日も会社か。もう本当に辞めてしまいたい。しかし家のローンがあと二十年近くあるしな……かつては人間になりたいと本気で望んだものだった。しかし人間は家を持たなければならないなどと、いったい誰が決めたんだ? また人間の男は、なぜ身を粉にして家族を養わなければならないのか。妖怪人間なら、下水道にでも住めばいい。そして家族には鼠でも食わせてりゃいいんだ。
 家族サービス? むかし俺たちが戦った悪霊や怪物どもが聞いたらへそが茶を沸かすぜ。
 つくづく、以前の生活に戻りたくなった。

 ああ、妖怪になりたい! 決めた。明日から失踪しよう。


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No.455
2011/08/22 (Mon) 17:39:37

移居公安山館  杜甫

南國晝多霧 北風天正寒
路危行木杪 身迥宿雲端
山鬼吹燈滅 廚人語夜闌
雞鳴問前館 世亂敢求安

南国では昼でも霧が多く 北風が吹いて天は本当に寒い
路は危うく木のこずえの辺りを歩き 身ははるかに雲のある辺りに宿をとる
山鬼が灯火を吹き消し 台所の人々が夜更けに話し合う声が聞こえる
鶏の鳴くころ自分はまたゆくての駅館について人に尋ねてみる この乱世にどうしてひとつところに安住していられようぞ


 まだ二十歳前後だがひげを立派にたくわえた三人の男が、深夜、荒野を歩いていた。彼らはさる県の自然豊かな地に建つ全寮制の神学校の学生であり、夏休みになって里帰りする途中だった。ふところの寂しい神学校の学生たちは、もっぱら徒歩で故郷まで帰るのだった。
 神学校に籍を置いている連中は、一般に想像されているよりもずっと性質が悪い。粗末な学食に飽き足らず、ふだんから近隣の農家から作物や鶏を盗んではむさぼり食い、酒屋に押し入り地酒を強奪し、夜な夜な酔ってはどら声で寮歌や賛美歌を歌い怪気炎を上げるのである。だからいっせいに学生たちが里帰りの旅に出るこの時期は、とくに近隣住民たちは恐怖におののくのだった。一文も持たぬ学生たちは、もっぱら強盗と略奪によって帰郷までの糧食を得るのが常だったからである。中には女を犯す者もいる、少年を犯す者だっている。警察といっても田舎のことゆえ、駐在所に年老いた巡査がいるだけでとても頼りにならなかった。
 さて荒野を踏破しようという件の三人の学生たちは、そろそろ今夜のねぐらを見つける必要を感じていた。しかし夕暮れから濃くなった霧に惑わされてか、一行は踏みならされた正しい道のりをいつしかはずれてしまい、人里はまるで見当たらず、のみならず危険な狼の遠吠えも聞こえてきた。こうなってはいかに肝の据わった神学校の学生といえども、多少の恐怖と焦燥を感じないわけにはいかなかった。しかし狼たちの吠え声が頻繁になりいよいよ三人が肝を冷やしたとき、一軒のあばら家の灯りが見えてきた。三人はその家の塀の外に立って、中の住民に声をかけた。
「こんばんは! 僕たちは怪しい者ではありません。どうか一晩泊めてもらえませんか? 私は神学科生の本間です!」
「俺は哲学科生の饗庭(あえば)!」
「僕は修辞学科生の不動(ふどう)!」
 三人は声を張り上げたが、何の反応もない。本間はさらに大きな声で言った。
「納屋でも馬小屋でもどこでも構いません! どうか一晩! でないと狼に食われちまいます! 神に仕える者を見殺しにしていいんですか?」
 しばらくして中から老婆の声が聞こえてきた。「夜は誰も入れないんだよ」
「お願いします!」と食い下がる本間。「お礼はしますから!」
 すると粗末な門扉がすこし開き、中から年のころ八十ぐらいの白髪の老婆が顔を見せた。うさんくさそうな三白眼で、三人をじろじろと眺め回す。しばしの沈黙ののち、
「入りな」と老婆は言った。
「ありがとうございます」
「何も食べるものはないよ。それに三人いっしょだとうるさくってかなわない。お前はこっちの馬小屋で寝な。あんたは納屋だ。そっちの若いのは風呂場に泊まってもらう」
 という訳で本間は馬小屋の隅、饗庭は納屋、不動は風呂場で寝ることになった。薄気味悪い老婆で、愛想も何もなかったが、三人はめいめい礼を言ってそれぞれのねぐらに入っていった。
 本間は馬小屋の隅で、干草を枕にして横になったが、なかなか寝付かれなかった。馬の匂いはさほど気にならなかったし、狼や猿の哀しげな鳴き声もどうとも思わなかったが、時おりなんだか分からぬ動物の苦悶の叫び声が聞こえてきて、それがどうにも重苦しく胸にのしかかってくる。
 そうこうするうち、本間は馬小屋の中にふと人の気配を感じた。この家の老婆が、ろうそくを持って入ってきたのだ。浴衣姿で、なぜか薄笑いを浮かべている。老婆は無言で本間に近づいてくる。気味が悪くなり逃げようとしたが、老婆は機敏に右に左に動いてとおせんぼをした。馬小屋の隅に追いつめられた本間は言った。
「婆さん、変な真似はよせよ。俺は斎戒中なんだぜ」
 しかし老婆はそれが聞こえないかのように無言の笑みを浮かべながら、何を思ったかやおら浴衣の胸をはだけ、しぼんだ乳をあらわにした。そしてその乳を振り回し本間の顔を乳でぴしゃぴしゃとたたき始めたではないか。干しぶどうのような乳首で鼻先をこすられた本間は、
「何しやがるんだ、この婆あ!」と叫んだが、老婆は恐るべき怪力で彼を押さえつけている。窮した本間は、悪霊退散の祈祷の文句を唱え始めた。すると老婆の顔からやっと笑みが消え、うろたえた様子である。ふっと軽くなった老婆をはねのけ、本間はろうそくを奪って馬小屋を出て行った。
 納屋の扉を開けてみると、饗場がうつぶせに倒れていた。よく照らしてみると、彼の頭には大きな釘が五六本打ちこまれており、そこから大量の血を流していた。後頭部から額までを貫いている釘もあり、明らかに饗場は死んでいた。
「なんてこった!」
 こんどは風呂場に行ってみた。そこにいるはずの不動は、水を張った風呂桶に頭を突っ込んでぐったりとしていた。本間がその上体を起こしてみると、不動の喉は横一文字に刃物で切られていた。彼も明らかに死んでいた。
「畜生、何てことするんだ……」
 本間は唖然としたが、身の危険を感じ、すぐ風呂場を出た。
 そこには老婆が立っており、手にはわらを運ぶための三つ又の槍を持っていた。またも無言で笑みを浮かべながら、その槍で攻撃してくる。全速力で逃げても老婆は平気でついてきて、左右に体をよけても機敏に対応してくる。とても八十歳の老人とは思えなかった。本間は地面から砂をつかみ取り、老婆の目に力いっぱい投げつけた。老婆は
「ぎゃ」
 と叫んで目を押さえた。そのすきに本間は塀を乗り越え、外に逃げた。走りに走った。
 そのとき彼は、僥倖ともいうべきものを目にした。遠くから、自動車のヘッドライトの光が二条はっきりと見え、しかもその車はこちらへ向かってくる。あの車に乗せてもらおう! 本間はその車に向かって走り出した。
 そのときである。びゅん、びゅーんという車とは違う大きな機械音が後ろから聞こえてきた。件の老婆が、今度はチェーンソーをうならせて追いかけてきたのである。そんな重い機械を持ちながら全速力で走り、みるみるうちに本間を追いつめてきた老婆の体力は、もはや人間のものではないといえた。
 東の空がだんだんと白んできた。薄明の中、ようやく本間は自動車に手を振って停車させた。
「乗せてください、殺人狂です!」
 助手席のドアが開き、そこに乗り込もうとした彼の背中を老婆のチェーンソーが切り裂いた。しかし傷は浅く、彼は車に何とか乗り込みドアを閉じた。老婆はそれでも諦めず、助手席のドアの隙間にチェーンソーの刃をめりこませてきた。
「早く、早く出してください!」
 車が急発進すると、老婆はなおも追いかけてきたが、みるみるその距離は遠ざかっていった。本間は小さくなっていく老婆の姿を見て、やっと安堵のため息をついた。
「助かりました……」
「あんた、背中の傷は大丈夫か?」中年のドライバーが尋ねた。
「いや、なんとか大丈夫なようです」
 しばらく無言のドライブが続いた。本間は外を眺めながら、胸の鼓動がだんだんと落ち着いてくるのを感じた。運転手は彼のほうをちらちらと見て、本間の呼吸が整ってきたころに尋ねた。
「しかし何なんだ、あのバアさんは?」
「知りません。昨日の晩、泊めてもらったんですが、友達二人は殺されてしまって……」本間はため息をついた。「しかし、もう安心です。有り難うございました」
「でもないようだぞ」運転手がバックミラーを見て言った。
 本間が後ろを振り向くと、老婆がハーレー・ダビッドソンに乗って追いかけてくるのが見えた。浴衣の胸をはだけさせ、しぼんだ乳房を振り回し、白髪を風になびかせて、裸足でハーレーを操作する老婆。さすがにもう微笑は消え、必死の形相だ。
 そのとき、自動車が急停止した。
「何ですか、止めないでください!」本間が叫ぶと、ドライバーは
「踏み切りだよ」
 カーンカーンカーンという踏み切りの信号音が、やけに長く感じられた。
「無視して進んでください!」
「いや、もう列車が来る」
 黒い大きな機関車が汽笛を鳴らして近づいてきた。老婆のバイクは、すぐ後ろまで迫っている。長い貨物車の列が通過するのを、車の二人はいらだたしく眺めていた。
 二人の乗った軽自動車が、いきなり後ろからドーンという衝撃を受けた。老婆の乗るハーレーが追突したのだ。老婆は構わずエンジンをふかし、自動車を後ろから押してきた。運転手はブレーキを力いっぱい踏みサイドブレーキも引いたが、老婆の乗るハーレーは特別製なのか、ぐいぐい自動車は押し出されていく。列車は目と鼻の先を轟音を立てて通過している。このままでは列車に轢きつぶされてしまう。本間は助手席のドアを開けて逃げようとしたが、前に老婆がチェーンソーを無理に突っ込んだためにそのドアは馬鹿になっており、どうしても開かなかった。
「助けてくれ!」
 自動車の鼻が列車の車輪をこするかこすらないかというときになって、ようやく列車は通過し終えた。猛発進する軽自動車。老婆のハーレーも後をついていく。
 追いつ追われつの死のレースがしばらく続いた。老婆の顔には笑みがもどっていた。余裕の笑みかも知れない。速力も老婆のほうが出るらしいのに、獲物をいたぶる猫のように、わざと追いかけっこをしているのだ。やがて二人の自動車と老婆のバイクは、市街地に入った。斜め前方に車高の高いトレーラーが、道路をふさぐように停まっているのが見えた。
「ようし、一か八かだ。頭を低くしてろよ」中年のドライバーが言って、トレーラーに近いところまで猛スピードで直進して、いきなりトレーラーにぶつかるように進路変更した。
 車高の低いその軽自動車は、屋根を吹き飛ばされつつもすれすれでトレーラーの下をくぐり抜けた。しかし思わずそれについて来ようとした老婆のバイクは、車体を斜めにしたが間に合わず、老婆の上半身はトレーラーの車体に吹き飛ばされた。
 本間たちの乗る自動車の後ろを、転倒したバイクがすべってきて停止した。そこには老婆の下半身だけが残っていた。運転手はやがて屋根のなくなった車を止め、二人は降りてバイクの残骸を見に行った。
「なんだったんだろうな、この婆さん」
「そりゃ永遠の謎だ」
 二人は夕陽を眺めながら、近くの崖に腰かけ、石ころを二三手にとって投げた。
 そのときである。上半身だけになった件の老婆が白髪を振り乱し、手を使って猛然と走ってきた。
「また来たぞ、逃げろ!」二人は慌てて駆け出した。
 彼らの死のレースがいつ終わるのかは誰も知らない。


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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









 ※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※







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