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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/21 (Thu) 15:28:59

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No.678
2014/09/19 (Fri) 03:03:28

 アニメ「未来少年コナン」にテキという名の白い小鳥が出てきて、ヒロインのラナに可愛がられ、主人公のコナンとの橋渡しにもなる愛らしい存在だった。
 僕が大学に入った年に同級の文学部生のあいだでテキといえば、それはドイツ語のH先生のことを指していた。ほとんど笑うことのない厳格そのものの先生で、ロボットのように機械的で暗い話し方をした。なぜテキなのかといえば、顔つきや服装がテキ屋の親父にしか見えなかったからである。一回生のとき、ドイツ語選択者にはたしか週に三回ドイツ語の講義があって、テキ先生の概論とネコ先生の文法、それからティーレン先生による会話がその三つだった。ネコ先生は本当は金子といったが、カネコのカがいつの間にか省略されてネコになった。ネコ先生の講義で使われていた文法の教科書は、たまたまテキ先生が書かれたものだった。ネコ先生によるとテキ先生は、その教科書の原稿を出版社に渡したさい、誤りがないかほかの先生に見てもらったかと聞かれると、例のロボットのような口調で「私は誤りを犯さない」と言ったそうである。
 そういう物言いはテキ先生の性格をよく表していたが、一方でドイツ語という言語が非常に規則正しくできており、誤りのない教科書を書くのが比較的容易だという事情があったと思われる。またドイツ人のティーレン先生によると、教科書を一冊マスターしておけば、だいたいにおいて自然なドイツ語が話せるのだという。英語や日本語の場合、文法をひととおり知っていても、いちおう通じるように話せはするが、自然な発話ができるようになるのにはそれだけでは足りなくて、それはネイティブスピーカーとの実地の会話を繰り返して身につけるしかない。

 そういうことを考えると、こんにち英語が世界共通語のようになったのはやや不幸なことかも知れず、ドイツ語が広まったほうが良かったのではないかとも思える。たとえば英語の大きな欠点として、単語のつづりを見ても正しい発音が断定できないことがあげられるが、これはドイツ語にはほとんどない。というより世界の言語の中で、英語のほうが例外的に発音が不規則であるらしい。英語が誤った発音がなされやすく、地域によって訛(なま)った話し方が定着しやすいのには、一つにはそういう事情があるのだろう。
 最近のTOEICやTOEFLでは、そういう各地の訛った英語の聞き取り能力も問われるらしい。具体的にどこの訛りについて聞かれるのか自分はよく知らないけれども、インドなどではとくに激しく訛った英語が話されていて、しかし話者の多さからいうとインド訛りは決して無視できないものになっている。

 インドの英語教育では、日本のように正しい英語を使うよう意識させるのではなく、むしろ積極的に「間違えなさい」と教えるという。間違いを恐れずどんどん話すという積極性が大事であるし、間違えて人に指摘された事柄というのは強く記憶に残るから、合理的な教育方法かも知れない。ただ間違いを恐れずどんどん話す結果、みながよく間違えて使う英語表現や発音が、いつの間にかインドでは正しい英語としてまかり通ってしまうことはありそうなことで、それが訛りというものではなかろうか。そう考えると、日本人も間違いを恐れずどんどん英語を話し、日本訛りの英語が出来上がってそれが国際的に認知されてしまえば、もっと英語は近づきやすいものになるのではないか。

 すでに日本の英語の話者はそうしているかも知れないが、冠詞の a, the などは日本語にその種のものがないから難しいし、そんなものはどんどんすっ飛ばして話しても差支えないのではなかろうか。ただそのときの文脈で「その本」なのか「ある本」なのかはっきりさせなければならないようなときだけ the book とか a book と冠詞をつければよい。不規則動詞にもあまり神経を使わず、迷ったら語尾に –ed をつければいい。

 ただイギリスやアメリカなど昔から英語を使っている地域の人々の中には、不規則動詞のようなものは大切な文化だという思いがきっとあって、took というべきところを taked などと言えば、教養のない人間だと思われる場合があることは、覚悟しなければならないだろう。上で冠詞などは飛ばしてよいと書いたのは、それが論理的には不要だからだが、言語というものは論理だけで出来上がっているものではなく、論理的には要らないものが大切な文化だったりするのである。オーウェルの『1984年』という小説は未来世界が舞台で、そこでは人々はつねに政府に監視され、厳しく思想が統制され、思想を画一化するために「ニュースピーク」と呼ばれる極度に簡素化された英語が使われている。自分は原書を見ていないからはっきりとは知らないのだが、おそらく不規則動詞などはなく、単語は極力減らされ、たとえば bad, poor, dirty などという語は無くしてしまって、それぞれ ungood, unrich, unclean などと言い換える。名詞から形容詞を作るときは語尾を-wise とすることで一律化され、beautiful, funny などはそれぞれ beautywise, funwise となる。この「ニュースピーク」での会話の場面は、いかにも思想や文化の乏しい、不気味で暗い世界を効果的に表現しているようだ。

 そのように言語の難しい部分を簡単なものに変えたり無くしたりというのは、やり過ぎると文化の破壊につながり、言語を非人間的なものにしてしまう。だから僕が上で提案した「日本訛りの英語」というのも、いちおうきちんとした英語は念頭に置きつつ、会話のとき困ったら簡素化した英語表現をする、というようなバランスが大切かも知れない。


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No.677
2014/05/20 (Tue) 04:44:09

ふれがき【触(れ)書き】
①一般の人に知らせるための文書。
②芝居で、名題・俳優などを記したもの。
③気のふれたガキ。

ふれなばおちん【触れなば落ちん】
さわったらすぐにでも落ちそうな。「―風情(ふぜい)(=誘ワレルノヲ待チカマエテイルサマ)」
(注)実際には誘われるのを妄想して楽しんでいるだけの場合があるから、食事に誘っても断られることも多い。

ふれんぞくめん【不連続面】
大気中の一つの面を境に、風・気温などの気象要素のうち、どれか一つでも不連続的に変わっている場合のその面。
(注)コンビニエンスストアで冷蔵食品のガラス扉も気温に関して不連続面をなしているが、精神に影響を与える何らかの気象要素もあるようで、そこに入ると気が狂う。(→バカッター)

フレンド【 friend 】
友。友達。
(注)日本でこの語が使われるとき、英語の場合とは違って恋人は含まれない。しかし二十一世紀初頭、セックスをするだけであくまで友達であるというセックスフレンドという異様な言葉(略してセフレ)が現れた。同様の語にキスをするだけのキスフレ、結婚するだけのケフレ、愛し合うだけのアフレ、子供を作るだけのコフレ、それに養育費を払うオプションのついたヨフレ、某化粧品メーカーの商品を与え合うだけのチフレがある。


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No.676
2014/03/23 (Sun) 21:44:57


 腎不全にかかる検査結果

 病院名 H大学附属病院
 氏名 ナカガワ シンジ  男 33才

 内因性クレアチニンクリアランス値 34ml/分
 血清クレアチニン濃度 2.5mg/dl
 1日尿蛋白量が3.5g/日(以上)を継続して血清アルブミンが3.3g/dl かつ血清総蛋白が6.2g/dl

 以上の結果、厚生労働省の定める認定基準により、被験者は腎疾患の1級、2級、3級のいずれにも該当しない。



 つまり彼、中川慎二は腎疾患で障害年金を受け取ることが出来ないことが今度もはっきりしたのだった。何度同じ検査を繰り返したろう? 彼は数値こそ障害年金を受け取る域に達してはいないが、その病の苦しみはひどいものだった。彼はその年金を切実に必要としていた。

 ときは春。気晴らしにデパートに行ってみると、新生活を始める人々のための春服が飾られ、きらきらしたペンや万能手帳なども目立った。
 本屋に入ってみると、ファッション雑誌の表紙は華やいだモデルたちが飾り、そこにも新生活を謳歌する文句が散りばめられていた。
 慎二は病身に鞭打ち高校で講師をしていた。担当教科でもある好きな数学の専門書のコーナーで、しばし時間をつぶそうと思った。
 外を、轟々という音を立てて風が吹き抜けていく。春一番だろう。

 と、そのとき、静かに本を立ち読みしていた中年の女性、それから初老の男性が、急に腹や胸から血を流し、ほどなくその場に倒れるという現象が起きた。慎二はあっけにとられてその光景を見ていたが、やがて自分の腹部が燃えるように熱くなり、見ると自分も腹から大量の血を流しているのに気が付いた。そして頭から血の気が引き、その場で気を失った。

 慎二は救急車の中でうっすらと目を覚ました。身じろぎしようとすると「動くな! あんた大動脈が裂けかかってるんだ!」という声がした。そしてまた意識を失った。

 夢の中で、彼は小学校低学年に戻っていた。図画工作の時間に、春の絵を描くというので、野山にきれいな野花が一面に咲き乱れ、蝶が楽しげに舞い、犬が楽しげに駆け回り、大自然のすべてが春の陽気を楽しんでいるさまを描いていた。
 次に場面は小学校高学年か中学生のころに変わった。物識りの伯父と、春の野原を散歩しているのだった。
「大自然のすべてが喜んで春を迎えていると思うか?」と伯父が言う。「いやそんなことはない。新しい花を咲かせる草、新しい枝をのばす木だけがそこにあるのではない。老いた草、枯れかかった木もある。これらにとっては春の生気はかえって毒なのだ。必死で冬の寒さをしのんで生き延びたこうした草木は、春にはどうなる? 春一番の猛風で根絶やしにされ、息の根を止められるんだよ。年老いた草木は、死んで新しい命のための養分になる」

 そこで目が覚めた。病室にはテレビがあり、ニュースが流れていた。自分を含む四名の男女の名が読み上げられ、その四人は通り魔に胸や腹部や背中を刃物で切られ、ある者は死亡、ある者は重傷を負ったが生き延びた、と報じていた。しかし自分はあのとき、通り魔の姿など見なかった。しかし書店の店員は、犯人がわれわれに刃物を振りかざすのを見たと証言している。これはどうしたことか。
 ただ、捕まった犯人の名前は伏せられており、精神疾患を病んだ者の犯行であることがうかがわれた。
 なんのことはない、その犯人は春の風の猛威を人間界にもたらし、年老いて死にきれずにいるもの、病弱なものを大鎌をふるって息の根を止めるためにやってきた大自然の死神ではないのか。俺も障害年金をもらえないままどんどん体が悪くなってきて、働けなくなって、この春でもう破滅だったところだ。おい、キチガイの死神、どうして俺の息の根を止めてくれなかった? 

 入院中、長く会わなかった伯父が亡くなったという連絡が入った。
 彼は慎二に結構な額の遺産を与えた。幸か不幸か、差し当たりはゆっくり養生できる。
 しかし彼は造化の神とやらのやり口に、憤怒を感じてもいた。なぜ俺が生きるために、伯父が死ななければならない? 新しい命のために古い命が死ぬ、大自然にはそれ以外の方法はないのか?

(c) 2014 ntr ,all rights reserved.
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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









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