『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.212
2010/01/30 (Sat) 15:20:01
日蘭交流史の中でひときわ異彩を放つボッス神父について深い興味を抱いたのは、2007年の夏ごろだったと思う。この人物は通常、江戸時代に単身和歌山まで来てフラフープを伝えた人物、ということで知られているが、地元では今なお多くの信者を引きつけているのである。取材してみると地元での神父についての情報は錯綜を極めていたが、そこから彼の人となりが徐々に浮かび上がってきたのだった。
「というわけで和歌山までやってきたのです。ボッス神父についてお話を伺えますか」
「ボッスさまのお話ですか、それはもう子供のころから耳にタコができるぐらい聞かされてきましたのよ。その昔、わが一族は代々隠れナポリタンでして」
「キリシタン」
「そうその隠れクリンゴン。それでお代官様からじきじきにお達しがあって、踏み絵っていうんですか、デウスさまとマリアさまの絵を地べたに置いてですね、われわれに踏まそうっていうんです」
「踏みましたか」
「そりゃ踏めませんよ。朝晩拝んでいる神様なんですもの。そのとき、あなたがお尋ねになったボッス神父がわれわれを救ってくださったんです。敢然と代官所に乗り込んできた神父様は言われたのです。そんな絵や像を踏んだからと言って神様はお怒りにならない。それよりあなたがたが苦しむのを見るのが何よりつらいと思し召しのはずだ、さあ踏みなさい、その絵を、とね」
「その当時、外国人の神父が代官所に乗り込んでくるなんて異例のことだったでしょうね」
「そりゃ役人たちはたまげたそうですよ。外人なんて赤鬼とか化け物のように思ってたんですからね。しかし代官様はさすがに胆力のある人で、日本人よりはるかに大柄なボッス神父を見ても屁とも思わなかったようです。何しに来てんこの毛唐が、と言って神父の胸ぐらをつかんだそうですよ」
「神父はどうしましたか」
「それは鉄の軌条のごとき信仰をもった神父様ですもの、いささかもひるまず、代官様を神の愛を知らぬ憐れな一個の人間として扱い、優しく諭したのです。神様は言われました、隣人を恨むなかれ。恨みからは何も生れません、ご覧なさいわれわれ皆を等しく照らすあの太陽を、神様はどんなに罪深い人間をもその慈愛で包み込むのです。あなたも神の子としてずっと愛されて育ってきたのですよ、と。しかしこの太い悪代官には馬の耳に念仏だったようです。ボッス神父のこのお話を聞いてもぽかんとして、やおらこう言い放ったのです。おまえ外人やからチンポでかいやろ。さすがの神父様もこれにはたじろぎました。で、でかくないですよ。と答えるのが精一杯だったそうです。こういった日本人の無理解にもめげず、ボッス神父は三十年にもわたってこの地方の教化につとめ、その一生をこの地で終えたのです」
「神父はどのようにフラフープを伝えたのですか」
「それも子供のころから蛸に耳ができるぐらい聞かされてきましたわ。ボッスさまは、信仰の強さは腸の長さに比例するという不思議な考えをお持ちでしたの。それで腸を鍛えるにはフラフープが一番だ、というので近所の子供たちに教えていましたわ。ずいぶん多くの子が腸捻転を起こし、信仰どころではございませんでした」
このような取材を通して、僕はボッス神父について論文を書き、幸いにしてそれは雑誌「オランダ」の日蘭交流400年記念号に載った。噂によるとボッス神父は皿回しの名人だったそうだが、これには確たる証拠がないため十分な論述ができなかった。読者諸賢の叱正を請う次第である。
(c) 2010 ntr ,all rights reserved.
「というわけで和歌山までやってきたのです。ボッス神父についてお話を伺えますか」
「ボッスさまのお話ですか、それはもう子供のころから耳にタコができるぐらい聞かされてきましたのよ。その昔、わが一族は代々隠れナポリタンでして」
「キリシタン」
「そうその隠れクリンゴン。それでお代官様からじきじきにお達しがあって、踏み絵っていうんですか、デウスさまとマリアさまの絵を地べたに置いてですね、われわれに踏まそうっていうんです」
「踏みましたか」
「そりゃ踏めませんよ。朝晩拝んでいる神様なんですもの。そのとき、あなたがお尋ねになったボッス神父がわれわれを救ってくださったんです。敢然と代官所に乗り込んできた神父様は言われたのです。そんな絵や像を踏んだからと言って神様はお怒りにならない。それよりあなたがたが苦しむのを見るのが何よりつらいと思し召しのはずだ、さあ踏みなさい、その絵を、とね」
「その当時、外国人の神父が代官所に乗り込んでくるなんて異例のことだったでしょうね」
「そりゃ役人たちはたまげたそうですよ。外人なんて赤鬼とか化け物のように思ってたんですからね。しかし代官様はさすがに胆力のある人で、日本人よりはるかに大柄なボッス神父を見ても屁とも思わなかったようです。何しに来てんこの毛唐が、と言って神父の胸ぐらをつかんだそうですよ」
「神父はどうしましたか」
「それは鉄の軌条のごとき信仰をもった神父様ですもの、いささかもひるまず、代官様を神の愛を知らぬ憐れな一個の人間として扱い、優しく諭したのです。神様は言われました、隣人を恨むなかれ。恨みからは何も生れません、ご覧なさいわれわれ皆を等しく照らすあの太陽を、神様はどんなに罪深い人間をもその慈愛で包み込むのです。あなたも神の子としてずっと愛されて育ってきたのですよ、と。しかしこの太い悪代官には馬の耳に念仏だったようです。ボッス神父のこのお話を聞いてもぽかんとして、やおらこう言い放ったのです。おまえ外人やからチンポでかいやろ。さすがの神父様もこれにはたじろぎました。で、でかくないですよ。と答えるのが精一杯だったそうです。こういった日本人の無理解にもめげず、ボッス神父は三十年にもわたってこの地方の教化につとめ、その一生をこの地で終えたのです」
「神父はどのようにフラフープを伝えたのですか」
「それも子供のころから蛸に耳ができるぐらい聞かされてきましたわ。ボッスさまは、信仰の強さは腸の長さに比例するという不思議な考えをお持ちでしたの。それで腸を鍛えるにはフラフープが一番だ、というので近所の子供たちに教えていましたわ。ずいぶん多くの子が腸捻転を起こし、信仰どころではございませんでした」
このような取材を通して、僕はボッス神父について論文を書き、幸いにしてそれは雑誌「オランダ」の日蘭交流400年記念号に載った。噂によるとボッス神父は皿回しの名人だったそうだが、これには確たる証拠がないため十分な論述ができなかった。読者諸賢の叱正を請う次第である。
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No.211
2010/01/29 (Fri) 01:47:29
2008年3月31日の日記。
さる3月25日、教員免許状申請のために、大阪府庁別館に行った。いいお天気。
目的のビルの前では「府教委は雇用責任を果たせ!」という横断幕を張って座り込みをしている人が四、五人。みんなハチマキをして格好は気合が入っているが、品の良いお年寄りばかりで、のんびりひなたぼっこしているようにしか見えなかった。「講師の使い捨て、首切りは許さないぞ!」ともあり、自分もこれから講師になるのだからしばしじっと見ていると、「どうぞどうぞ」とビラをくれた。にしても、警備員も黙認しているようだし、こうやって府庁舎の前で座り込みする権利が府民にはあるんだな、と新たな発見をしたように思った。厳密には不法侵入になるのでは、などとも思ったがよく分からない。
教育委員会は五階にあったが、エレベーターの扉が開くたび、どのフロアの職員も実に楽しそうに仕事をしているのが見て取れた。春の陽気がそうさせるのだろうか。橋下府知事に「死んでください」と言われているようにはとても感じられない。ふと、自分もこんな職場で働いてみたい、と思った。
大学で取得した単位が、本当に免許取得ために十分足りているのか最後まで不安だったが、すんなりと申請は受理され、免許状そのものは二ヵ月後だが、免許状と同じ効力を持つ「受理票」がもらえた。
ところで、事前に知った情報によると「教員免許法第5条第1項第3号から第7号に該当する者は、免許状の申請ができない」のでありその第7号には
日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者
とある。自分はmixiで「現憲法は破棄せよ!」というコミュに入っているが退会すべきだろうか。しかしあれはきっと「暴力」ではないのだしまあいいか(そんなこと言ってても僕は政治にはまるで詳しくないです)。
いやしかし、その日は「日本国憲法施行の日」という言葉にちょっと引っかかるものをちょうど感じていたのだった。その二日ほど前に日本国憲法の本を見ていると、第100条に
この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。
とあった。そして1946年11月3日にこの憲法は公布され、翌1947年5月3日に施行された、のだそうだ。しかしこの第100条って無意味じゃないかい? この条文は日本国憲法に含まれているのだから、第100条が有効で1947年5月3日に日本国憲法が施行されるためには、それ以前にすでにこの憲法が施行されていなければならない。だから今日においても、厳密には日本国憲法は施行されていないと考えるべきではなかろうか(いっぽうで施行されていないと仮定しても矛盾は生じなさそうだから、これはラッセルのパラドックスとは少し違うのかも)。
新任の学校に挨拶に行ったとき、同じく新任の国語の先生にこの話をしたら、たいそう熱心に聴いてくれた。数学の先生って、そんなへんなことに悩むものなんです。
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さる3月25日、教員免許状申請のために、大阪府庁別館に行った。いいお天気。
目的のビルの前では「府教委は雇用責任を果たせ!」という横断幕を張って座り込みをしている人が四、五人。みんなハチマキをして格好は気合が入っているが、品の良いお年寄りばかりで、のんびりひなたぼっこしているようにしか見えなかった。「講師の使い捨て、首切りは許さないぞ!」ともあり、自分もこれから講師になるのだからしばしじっと見ていると、「どうぞどうぞ」とビラをくれた。にしても、警備員も黙認しているようだし、こうやって府庁舎の前で座り込みする権利が府民にはあるんだな、と新たな発見をしたように思った。厳密には不法侵入になるのでは、などとも思ったがよく分からない。
教育委員会は五階にあったが、エレベーターの扉が開くたび、どのフロアの職員も実に楽しそうに仕事をしているのが見て取れた。春の陽気がそうさせるのだろうか。橋下府知事に「死んでください」と言われているようにはとても感じられない。ふと、自分もこんな職場で働いてみたい、と思った。
大学で取得した単位が、本当に免許取得ために十分足りているのか最後まで不安だったが、すんなりと申請は受理され、免許状そのものは二ヵ月後だが、免許状と同じ効力を持つ「受理票」がもらえた。
ところで、事前に知った情報によると「教員免許法第5条第1項第3号から第7号に該当する者は、免許状の申請ができない」のでありその第7号には
日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者
とある。自分はmixiで「現憲法は破棄せよ!」というコミュに入っているが退会すべきだろうか。しかしあれはきっと「暴力」ではないのだしまあいいか(そんなこと言ってても僕は政治にはまるで詳しくないです)。
いやしかし、その日は「日本国憲法施行の日」という言葉にちょっと引っかかるものをちょうど感じていたのだった。その二日ほど前に日本国憲法の本を見ていると、第100条に
この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。
とあった。そして1946年11月3日にこの憲法は公布され、翌1947年5月3日に施行された、のだそうだ。しかしこの第100条って無意味じゃないかい? この条文は日本国憲法に含まれているのだから、第100条が有効で1947年5月3日に日本国憲法が施行されるためには、それ以前にすでにこの憲法が施行されていなければならない。だから今日においても、厳密には日本国憲法は施行されていないと考えるべきではなかろうか(いっぽうで施行されていないと仮定しても矛盾は生じなさそうだから、これはラッセルのパラドックスとは少し違うのかも)。
新任の学校に挨拶に行ったとき、同じく新任の国語の先生にこの話をしたら、たいそう熱心に聴いてくれた。数学の先生って、そんなへんなことに悩むものなんです。
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No.208
2010/01/29 (Fri) 00:45:54
何度か映画化されている。ちょっと調べてみると、1956年に「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」、1978年に「SF/ボディ・スナッチャー」、2007年に「インベーション」という題名の映画になっている。78年のドナルド・サザーランド主演の作品が人気が高いようだ。「インベーション」はニコール・キッドマンの主演。
以下ネタバレあり。
外見は以前とまったく変わらないのに、家族や恋人には別人になったように見える、そんな人間がある街で徐々に増えていく。その偽者は、豆のような宇宙生物のさやから生れてくる。偽者は「生まれ変わったようで気分爽快だ」と語り、主人公に「生まれ変わり」をすすめる……読んでいて、さやから生れた偽者はもとの人物とは別個の生き物なのだから「生まれ変わったよう」というのは何か欺かれているような気分になった。しかし豆のさやから新品の人間が出てくるというイメージは、映画で知っていてもやっぱり新鮮で面白かった。
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目次
上段の『☆ 索引』、及び、下段の『☯ 作家別索引』からどうぞ。本や雑誌をパラパラめくる感覚で、読みたい記事へと素早くアクセスする事が出来ます。
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
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主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
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我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
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