『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.191
2010/01/17 (Sun) 13:39:46
雪に立つ竹 北原白秋
聖(きよ)らかな白い一面の雪、その雪にも
平らな幅のかげりがある。
幽(かす)かな緑とも、また、紫ともつかぬ、
なんたるつめたい明りか。
竹はその雪の面(めん)に立ち、
ひとつひとつ立つ。
まつすぐなそれらの幹、
露(あら)はな間隔の透かし画。
実にこまかな枯葉であるが、
それにも明日の芽立がある。
影する雲の藍ねずみにも
ああ、豆ほどの白金(プラチナ)の太陽。
かうした午後にこそ閑(しづ)けさはあれ、
光と影とのいい調和が、
湿つて、さうして安らかな慰めが、
おのづからな早春の息づかひが。
聖らかな白い一面の雪、その雪にも
平らな幅のかげりがある。
雪に立つひとつひとつの竹、
それにも緑の反射がある。
大阪では雪は積もっていないが、先週の火曜か水曜に粉雪が舞い、ずいぶんと寒い日が続いている。しかし今日はよく晴れた青空が広がっていて、山際に少し雲はかかっているけれど、ほぼ日本晴れといったところ。
学校行事の関係で三連休。僕は職員会議にもほとんど出ないから、急に休みを知らされることがしばしばで、うっかりすると休みに気付かず学校まで行くことになる。
昨日は塾で高三生を教えた。センター試験一日目を終えて来ているから、生徒は疲れており、あまり授業に身が入らないようだった。
このごろの生徒は、将来をはっきり見すえて受験に臨んでいることが多いから、逆にそれがプレッシャーにはならないだろうか。学校の成績が悪いと、「自分の将来はきっとこんな程度」と投げやりになる生徒もいそうだ。
学校の送迎バスの中で咳をしている先生がいたから「風邪ですか?」と聞くと、「花粉症」との答え。この冬空に何の花粉が舞うのだろうと不思議に思った。どなたかお分かりになりますか。
「石の上にも三年」という諺があまり好きではない。それで三年いやな仕事を頑張って、やっぱり辞めたいと人に言ったら、今度は「桃栗三年柿八年」と言われかねない。それではというのでずっと頑張り続けたら「万年係長」などと言われもするだろう。要は「ほどほどに」ということではないだろうか。
相撲では「吊り出し」という技が好きなのだが、最近はあまり見られなくて残念だ。
ところで「がぶり寄り」が見られなくなったのは、あの動きが性交に似ているからではないかと邪推している。
双葉山が六十九連勝し、敗れて七十連勝がならなかったとき「未だ木鶏(もっけい)たりえず」と語ったと言われている。荘子達生篇に出てくる言葉で、闘鶏が外物に全く心をとらわれなくなって最強の状態になったのを木鶏というらしい。昔は相撲取りでも漢籍の素養のある人が多かったのだろうか。調べてみると双葉山は安岡正篤を師と仰ぎ、その師に打った電報の言葉がそれだったとのこと。
ついでに雷電爲右エ門のこともwikipediaで調べてみた。古今最強とも言われる江戸時代の巨人力士である。現役時代は身長197cm、体重172kgだったとのこと。「2006年5月場所における把瑠都の身長、体重がともに雷電とまったく同じ数字であった」との記述がある(誰がそんなことに気付くのだろう)。有名な伝説で、雷電はあまりの強さに「鉄砲(突っ張り)」「張り手」「閂(かんぬき)」「鯖折り」を禁じ手とされたというのがある。「閂で八角政右エ門の腕をへし折った」そうだ。実際には技の規制がなされたのかどうか分からないそうだが、本人が自ら禁じ手にする事はありえるのではなかろうか。たとえば亡くなったプロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントはバックドロップ、ドロップキック、ツームストン・ドライバーを自ら禁じ手にしていたという話がある。そういう技を使えば相手を殺しかねないという配慮だろう。じっさい彼のツームストン・ドライバーでターザン・タイラーが首の骨を折り、生死の境をさまよったそうだ。
ジャイアント馬場もドロップキックでミスター陳を殺しかけ、それが長くトラウマになっていたらしい。
ハゲチャビンという言葉があるが、逆に茶瓶に毛が生えているさまを考えると気味が悪い。
ふだん石橋を叩いて渡る人が石橋の下をくぐるとき、どんな気分がするのだろう。
「わだかまりは水に流して」という言葉は、水質汚染など公害問題が発生する以前に作られた言い回しだと思う。放射性廃棄物までも視野に入れるなら、ひどいわだかまりは鉛の容器に密封しなければならない。
(c) 2010 ntr ,all rights reserved.
聖(きよ)らかな白い一面の雪、その雪にも
平らな幅のかげりがある。
幽(かす)かな緑とも、また、紫ともつかぬ、
なんたるつめたい明りか。
竹はその雪の面(めん)に立ち、
ひとつひとつ立つ。
まつすぐなそれらの幹、
露(あら)はな間隔の透かし画。
実にこまかな枯葉であるが、
それにも明日の芽立がある。
影する雲の藍ねずみにも
ああ、豆ほどの白金(プラチナ)の太陽。
かうした午後にこそ閑(しづ)けさはあれ、
光と影とのいい調和が、
湿つて、さうして安らかな慰めが、
おのづからな早春の息づかひが。
聖らかな白い一面の雪、その雪にも
平らな幅のかげりがある。
雪に立つひとつひとつの竹、
それにも緑の反射がある。
大阪では雪は積もっていないが、先週の火曜か水曜に粉雪が舞い、ずいぶんと寒い日が続いている。しかし今日はよく晴れた青空が広がっていて、山際に少し雲はかかっているけれど、ほぼ日本晴れといったところ。
学校行事の関係で三連休。僕は職員会議にもほとんど出ないから、急に休みを知らされることがしばしばで、うっかりすると休みに気付かず学校まで行くことになる。
昨日は塾で高三生を教えた。センター試験一日目を終えて来ているから、生徒は疲れており、あまり授業に身が入らないようだった。
このごろの生徒は、将来をはっきり見すえて受験に臨んでいることが多いから、逆にそれがプレッシャーにはならないだろうか。学校の成績が悪いと、「自分の将来はきっとこんな程度」と投げやりになる生徒もいそうだ。
学校の送迎バスの中で咳をしている先生がいたから「風邪ですか?」と聞くと、「花粉症」との答え。この冬空に何の花粉が舞うのだろうと不思議に思った。どなたかお分かりになりますか。
「石の上にも三年」という諺があまり好きではない。それで三年いやな仕事を頑張って、やっぱり辞めたいと人に言ったら、今度は「桃栗三年柿八年」と言われかねない。それではというのでずっと頑張り続けたら「万年係長」などと言われもするだろう。要は「ほどほどに」ということではないだろうか。
相撲では「吊り出し」という技が好きなのだが、最近はあまり見られなくて残念だ。
ところで「がぶり寄り」が見られなくなったのは、あの動きが性交に似ているからではないかと邪推している。
双葉山が六十九連勝し、敗れて七十連勝がならなかったとき「未だ木鶏(もっけい)たりえず」と語ったと言われている。荘子達生篇に出てくる言葉で、闘鶏が外物に全く心をとらわれなくなって最強の状態になったのを木鶏というらしい。昔は相撲取りでも漢籍の素養のある人が多かったのだろうか。調べてみると双葉山は安岡正篤を師と仰ぎ、その師に打った電報の言葉がそれだったとのこと。
ついでに雷電爲右エ門のこともwikipediaで調べてみた。古今最強とも言われる江戸時代の巨人力士である。現役時代は身長197cm、体重172kgだったとのこと。「2006年5月場所における把瑠都の身長、体重がともに雷電とまったく同じ数字であった」との記述がある(誰がそんなことに気付くのだろう)。有名な伝説で、雷電はあまりの強さに「鉄砲(突っ張り)」「張り手」「閂(かんぬき)」「鯖折り」を禁じ手とされたというのがある。「閂で八角政右エ門の腕をへし折った」そうだ。実際には技の規制がなされたのかどうか分からないそうだが、本人が自ら禁じ手にする事はありえるのではなかろうか。たとえば亡くなったプロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントはバックドロップ、ドロップキック、ツームストン・ドライバーを自ら禁じ手にしていたという話がある。そういう技を使えば相手を殺しかねないという配慮だろう。じっさい彼のツームストン・ドライバーでターザン・タイラーが首の骨を折り、生死の境をさまよったそうだ。
ジャイアント馬場もドロップキックでミスター陳を殺しかけ、それが長くトラウマになっていたらしい。
ハゲチャビンという言葉があるが、逆に茶瓶に毛が生えているさまを考えると気味が悪い。
ふだん石橋を叩いて渡る人が石橋の下をくぐるとき、どんな気分がするのだろう。
「わだかまりは水に流して」という言葉は、水質汚染など公害問題が発生する以前に作られた言い回しだと思う。放射性廃棄物までも視野に入れるなら、ひどいわだかまりは鉛の容器に密封しなければならない。
(c) 2010 ntr ,all rights reserved.
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No.189
2010/01/16 (Sat) 04:00:54
ポプラ社の怪盗ルパン・シリーズ(南洋一郎訳)が、文庫サイズながら昔のままの表紙、挿絵で復刊れているようだ。今の段階で出ているのは『奇巌城』『怪盗紳士』『8・1・3の謎』『古塔の地下牢』の四冊らしい。本屋で目について、懐かしさのあまり『古塔の地下牢』を購入してしまった。これは原題を「水晶の栓(Le Bouchou de Cristal)」というらしい(南洋一郎によるルパンはどれも抄訳とのこと)。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズも、同じく「少年探偵」というシリーズ名で復刊されている。ポプラ社の両シリーズは、子供のころ学校の図書室でむさぼり読んだものだった。少年探偵団はその当時でも古さを感じさせるところがあったが、それでも読みやすくたまらなく面白かった。しかしルパンも少年探偵も読んだ内容はほとんど覚えていない。少年探偵団の『透明人間』のトリックは子供心にも「ありえないだろ」と思った記憶があるが。
安野光雅の『旅の絵本』シリーズも、小学校の図書室で見つけてずいぶん気に入った。言葉は一切なく、旅人が馬に乗ってヨーロッパのどこかと思しき町や田舎を行くさまが描かれている。絵も美しいが隠し絵的な楽しみがあって、街並みや草むらの中にさりげなく小さく、アダムとイブや不思議の国のアリス、三匹の子豚などの一場面が描き込まれていたりする。
最初に読んだ文庫本は、クリスティの『大空の死』(創元推理文庫)で、小学校五年のときだった。推理小説を読みなれた大人にとってはそう意外でもないラストらしいが、子供心には確かに意外な犯人だった。阪急古書のまちで、クイーンの『Yの悲劇』といっしょに買った。一冊百円。『Yの悲劇』は「暗いなあ」と感じ、なかなか読み通せなかった。
小学校五年か六年のころにSFを読みはじめた。最初に読んだのはアシモフの『暗黒星雲のかなたに』のジュブナイル版。内容はよく覚えていないが、見事などんでん返しがあって、宇宙のロマンがいっぱいつまった小説だった。アシモフの書くSFにはミステリの要素のあるものも多いけれど、これもそうで、推理小説をよく読んでいた自分には入りやすい作品だった。あかね書房から「少年少女世界SF文学全集」というシリーズが出ていて、それでアシモフのSFミステリの傑作『鋼鉄都市』や、ウィンダムの『トリフィドの日』、シェクリイの『不死販売株式会社』などを読んだ。この『不死販売株式会社』こそは僕が小学校時代に読んで最高に面白かった本である。子供というと「鬼ごっこ」などさまざまな「ごっこ遊び」をするけれど、そういう子供心を刺激するゲーム的楽しみに満ちみちた小説なのだ。シェクリイはむかし日本で人気を博したSF作家だが、いまこの作家のファンというとかなりのマニアと目されるだろう。しかしおそらくミック・ジャガーはシェクリイのファンで、上述の作品を「フリージャック」というタイトルで映画化している。またマルチェロ・マストロヤンニもシェクリイ・ファンかも知れず、『標的ナンバー10』の映画化「華麗なる殺人」で主演している(共演はウルスラ・アンドレス)。
話がシェクリイに及ぶとどこまでも脱線してしまうが、とにかく上述のような本を子供のころむさぼり読んでいた。
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No.187
2010/01/15 (Fri) 16:59:32
土曜日、学校に出勤してしばらくたつと停電があった。コンピュータの電源は落ち暖房は止まり、内線電話はかからなくなった。トイレの洗面台の、自動で水が出る蛇口からは水が出なくなった。
高二の授業をしに教室に行くと照明がなく薄暗いから、黒板の字が見えるか一番後ろの生徒たちに聞いてみた。「××さん、見える?」「見えません」「○○くん、見える?」「見えません」。いや実は彼らには見えているのだが、授業を受けたくないものだからそう言っているのである。僕がそれを確かめに教室の後ろに行こうとすると、ある女子生徒に足を引っ掛けられ転びそうになったからその生徒をひっぱたき、とにかく後ろに行くと黒板の字は見える。そこで授業を始めた。微積分の話で、この分野はいやというほど大学でやったから、教員の経験は浅いがほとんど何も見ずに授業ができる。しかしこういう数学の基本は、どうやったら教科書と違うように出来るかわからず、やはり教科書とそっくりな話の仕方になってしまう。いつもノートを取らずにかったるそうに授業を聴いている生徒がいて、そういうのを見るとなんとかオリジナリティのある話にしたいと思うのだが。
その授業中に電気が復旧し明りがついた。
そのあとの高一のクラスでは平面幾何をやっているから、上のような問題をプリントで配り、最初にできた生徒には平常点を3点やると言ったら大いに盛り上がった。他の先生もそういうことをやるようで、ある生徒は「この学校は平常点のバトルロワイヤルか?」などと言っていた。平常点は各学期ごとにつけられ20点満点だから、それが3点というのはけっこう大きい。つまり上の問題はそれぐらい難しいのである。50分の授業中にそれを解くのはまず無理である。何の気なしに他の数学の先生たちにもそのプリントをあげたら、みな頭を抱えてしまった。愉快愉快。
日曜はたくさん眠った。「大怪獣出現」という映画をDVDで観たが面白かった。カタツムリと同類の三メートルほどの化け物で、見た目が気味が悪く迫力がある。武器は鋭い歯だけだが、夜中に人間の不意をついて襲ってくるのである。
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目次
上段の『☆ 索引』、及び、下段の『☯ 作家別索引』からどうぞ。本や雑誌をパラパラめくる感覚で、読みたい記事へと素早くアクセスする事が出来ます。
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
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セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
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