『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.115
2009/10/30 (Fri) 01:10:03
整数論をあまり勉強したことがないが、次のような問題をときおりいじくりまわして遊んでいる。
自然数nに対して、n自身を除くその約数の全ての和をS(n)と書くことにする。
ただしS(1)は定義しない。
例えば8のそれ自身を除く約数は1,2,4だから、S(8)=1+2+4=7。
また6のそれ自身を除く約数は1,2,3だから、S(6)=1+2+3=6。
また12のそれ自身を除く約数は1,2,3,4,6だから、S(12)=1+2+3+4+6=16。
8の場合のように、S(n)<nとなるnを輸数とよび、
6の場合のように、S(n)=nとなるnを完全数とよび、
12の場合のように、S(n)>nとなるnを豊数とよぶ。
1でない自然数nに対して、S(n)= mとなる自然数mがただ一つ存在する。このとき「n → m」(または「m ← n」)と書くことにする。
(注1)
n に対してS(n)= mとなる m はただ一つだから、相異なる m,m' に対し「n → m かつ n → m'」となることはない。
一方、S(64)=1+2+4+8+16+32=63,S(177)=1+3+59=63だから、
64→63,177→63。
つまり、相異なるn,n' に対し「n → mかつn' → m」となることはある。□
このようにして、全ての自然数を「点」とし、→を「辺」とする「無限有向グラフ」が作られる。
つまり、平面に全ての自然数が散らばっていて、自然数相互が→でつながっているイメージ。
自然数m,nに対し、m = m_0,m_1,m_2,...,m_k = n (k≧0)なる自然数の列があって、各i= 1,...,k に対し、m_{i-1}とm_iが→または←でつながっている状態のとき、「m~n」と書くことにする。
m~nであるというのは、mから矢印の列をたどっていくとnに到達する、というイメージ。
m~nの「~」という関係は同値関係である。すなわち
1)任意の自然数mに対してm~m,
2)m~nならばn~m,
3)k~mかつm~nならば、k~n。
従って関係「~」で自然数全体を同値類別できる。1つの同値類に属する自然数が形作っているグラフを「連結成分」とよぶことにする。点nの属する連結成分は、nから「→,←」という辺をたどって到達できる点(自然数)全体のなす塊り、というイメージ。つまり異なる連結成分どうしは辺でつながっておらず、自然数全体が連結成分によってきれいに区分けされている。
■問題1
連結成分は無数に存在するか。□
m=m_0→ m_1 → m_2 →...→ m_k = m (k≧1)
(ただし「i>0またはk>j」でi≠jのとき、m_i ≠ m_j)
となっているとき、m_0, m_1,...,m_kは、長さkのループをなすという(つまりmから始まって→でk回進むと、またmに戻るということ)。
mが長さ1のループをなすということは、m = m_0 → m_1 = m だからm → m,すなわちS(m)=mで、mが完全数であることを意味している。
m,nが長さ2のループをなしているとき(つまりm → n → m)、m,nは友愛数とよばれる。
つまりm,nが友愛数であるとは、m ≠ nであって「S(m)=nかつS(n)=m」がなりたつことである。
例えば、S(220)=1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284, S(284)=1+2+4+71+142=220,よって「220と284」は友愛数である。
(長さ3以上のループをなす自然数たちを「社交数」とよぶこともあるらしいが、あまり一般的なネーミングではないようだ。)
■命題1
1つの連結成分の中に、ループがあるとすればただ1つ。
(∵) 1つの連結成分の中にループが2つあったとし、m,nをその各々のループに属する自然数とする。m~nだから、
m = m_0, m_1, m_2, ..., m_k = n (k≧0)
なる自然数の列があって、各i=1,...,kに対し、m_{i-1}とm_iが→または←でつながっていなければならない。今k>1とすると、m_1,...,m_{k-1}はループに属さない点としてよい。mはループに属する点m' に対してm → m'だから、上の(注1)によりm ← m_1でなければならない。同様に、n←m_{k-1}でなければならない。これより1≦i≦k-1なるあるiに対して、m_{i-1}← m_i → m_{i+1}となっていなければならないが、これは(注1)からありえない。同様にk=0,1の場合も矛盾する。□
この命題1から、ループが無限個存在すれば、連結成分も無限個存在することになり、問題1は解決する。
そこで次のような問題も考えられる。
■問題2
任意の自然数kに対して、長さkのループは存在するか。
存在するとすれば、いくつあるか(無限個存在するか)。□
長さ1のループ(すなわち完全数)が無数に存在するかどうかはまだ知られていない(と思う。たとえばメルセンヌ数が無数に存在することがわかれば解決する)。
長さ2のループ(すなわち友愛数)が無数に存在するかどうかもまだ知られていない(と思う)。
長さ3以上のループに関しても、同様に未知ではないだろうか。
■問題3
m_0 → m_1 → m_2 → m_3 →... (ただしi≠jならm_i≠m_j)
なる無限列は存在するか。□
与えられたnに対し、S(m)=nとなるようなmは、複数存在することもあり、また存在しないこともある。
例えば、S(m)=2となるようなmや、 S(m)=5となるようなmは存在しない。
■問題4
与えられたnに対し、S(m)=nとなるようなmをすべて求める一般的な方法は? □
(注2)
n=p_1^r_1×p_2^r_2×...×p_k^r_k
のように素因数分解されているとき(ただしp_1,...,p_kは相異なる素数)、
S(n)=(1+p_1+p_1^2+...+p_1^r_1)(1+p_2+p_2^2+...+p_2^r_2)...(1+p_k+p_k^2+...+p_k^r_k)-n
と書ける。□
(注3)
pが素数ならば、S(p)=1。従って全ての素数pに対し、p → 1。つまり1に向かって、無限個の辺が伸びている。
そして無限個の辺が集まっている点は1のみ。実際、与えられたn(≠1)に対して、n → mなるmはただ1つで、n ← kなるkがいくつありえるかを考えてみると、kのそれ自身をのぞく約数の和がnだから、逆に見れば、nを相異なる自然数の和に分割するある仕方に(ただ1つの)kが対応している。ところがnを相異なる自然数の和に分割する仕方は有限個しかない。従ってn ← kなるkは有限個しかない。□
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
自然数nに対して、n自身を除くその約数の全ての和をS(n)と書くことにする。
ただしS(1)は定義しない。
例えば8のそれ自身を除く約数は1,2,4だから、S(8)=1+2+4=7。
また6のそれ自身を除く約数は1,2,3だから、S(6)=1+2+3=6。
また12のそれ自身を除く約数は1,2,3,4,6だから、S(12)=1+2+3+4+6=16。
8の場合のように、S(n)<nとなるnを輸数とよび、
6の場合のように、S(n)=nとなるnを完全数とよび、
12の場合のように、S(n)>nとなるnを豊数とよぶ。
1でない自然数nに対して、S(n)= mとなる自然数mがただ一つ存在する。このとき「n → m」(または「m ← n」)と書くことにする。
(注1)
n に対してS(n)= mとなる m はただ一つだから、相異なる m,m' に対し「n → m かつ n → m'」となることはない。
一方、S(64)=1+2+4+8+16+32=63,S(177)=1+3+59=63だから、
64→63,177→63。
つまり、相異なるn,n' に対し「n → mかつn' → m」となることはある。□
このようにして、全ての自然数を「点」とし、→を「辺」とする「無限有向グラフ」が作られる。
つまり、平面に全ての自然数が散らばっていて、自然数相互が→でつながっているイメージ。
自然数m,nに対し、m = m_0,m_1,m_2,...,m_k = n (k≧0)なる自然数の列があって、各i= 1,...,k に対し、m_{i-1}とm_iが→または←でつながっている状態のとき、「m~n」と書くことにする。
m~nであるというのは、mから矢印の列をたどっていくとnに到達する、というイメージ。
m~nの「~」という関係は同値関係である。すなわち
1)任意の自然数mに対してm~m,
2)m~nならばn~m,
3)k~mかつm~nならば、k~n。
従って関係「~」で自然数全体を同値類別できる。1つの同値類に属する自然数が形作っているグラフを「連結成分」とよぶことにする。点nの属する連結成分は、nから「→,←」という辺をたどって到達できる点(自然数)全体のなす塊り、というイメージ。つまり異なる連結成分どうしは辺でつながっておらず、自然数全体が連結成分によってきれいに区分けされている。
■問題1
連結成分は無数に存在するか。□
m=m_0→ m_1 → m_2 →...→ m_k = m (k≧1)
(ただし「i>0またはk>j」でi≠jのとき、m_i ≠ m_j)
となっているとき、m_0, m_1,...,m_kは、長さkのループをなすという(つまりmから始まって→でk回進むと、またmに戻るということ)。
mが長さ1のループをなすということは、m = m_0 → m_1 = m だからm → m,すなわちS(m)=mで、mが完全数であることを意味している。
m,nが長さ2のループをなしているとき(つまりm → n → m)、m,nは友愛数とよばれる。
つまりm,nが友愛数であるとは、m ≠ nであって「S(m)=nかつS(n)=m」がなりたつことである。
例えば、S(220)=1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284, S(284)=1+2+4+71+142=220,よって「220と284」は友愛数である。
(長さ3以上のループをなす自然数たちを「社交数」とよぶこともあるらしいが、あまり一般的なネーミングではないようだ。)
■命題1
1つの連結成分の中に、ループがあるとすればただ1つ。
(∵) 1つの連結成分の中にループが2つあったとし、m,nをその各々のループに属する自然数とする。m~nだから、
m = m_0, m_1, m_2, ..., m_k = n (k≧0)
なる自然数の列があって、各i=1,...,kに対し、m_{i-1}とm_iが→または←でつながっていなければならない。今k>1とすると、m_1,...,m_{k-1}はループに属さない点としてよい。mはループに属する点m' に対してm → m'だから、上の(注1)によりm ← m_1でなければならない。同様に、n←m_{k-1}でなければならない。これより1≦i≦k-1なるあるiに対して、m_{i-1}← m_i → m_{i+1}となっていなければならないが、これは(注1)からありえない。同様にk=0,1の場合も矛盾する。□
この命題1から、ループが無限個存在すれば、連結成分も無限個存在することになり、問題1は解決する。
そこで次のような問題も考えられる。
■問題2
任意の自然数kに対して、長さkのループは存在するか。
存在するとすれば、いくつあるか(無限個存在するか)。□
長さ1のループ(すなわち完全数)が無数に存在するかどうかはまだ知られていない(と思う。たとえばメルセンヌ数が無数に存在することがわかれば解決する)。
長さ2のループ(すなわち友愛数)が無数に存在するかどうかもまだ知られていない(と思う)。
長さ3以上のループに関しても、同様に未知ではないだろうか。
■問題3
m_0 → m_1 → m_2 → m_3 →... (ただしi≠jならm_i≠m_j)
なる無限列は存在するか。□
与えられたnに対し、S(m)=nとなるようなmは、複数存在することもあり、また存在しないこともある。
例えば、S(m)=2となるようなmや、 S(m)=5となるようなmは存在しない。
■問題4
与えられたnに対し、S(m)=nとなるようなmをすべて求める一般的な方法は? □
(注2)
n=p_1^r_1×p_2^r_2×...×p_k^r_k
のように素因数分解されているとき(ただしp_1,...,p_kは相異なる素数)、
S(n)=(1+p_1+p_1^2+...+p_1^r_1)(1+p_2+p_2^2+...+p_2^r_2)...(1+p_k+p_k^2+...+p_k^r_k)-n
と書ける。□
(注3)
pが素数ならば、S(p)=1。従って全ての素数pに対し、p → 1。つまり1に向かって、無限個の辺が伸びている。
そして無限個の辺が集まっている点は1のみ。実際、与えられたn(≠1)に対して、n → mなるmはただ1つで、n ← kなるkがいくつありえるかを考えてみると、kのそれ自身をのぞく約数の和がnだから、逆に見れば、nを相異なる自然数の和に分割するある仕方に(ただ1つの)kが対応している。ところがnを相異なる自然数の和に分割する仕方は有限個しかない。従ってn ← kなるkは有限個しかない。□
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No.114
2009/10/29 (Thu) 20:03:17
「孫の手」があるなら「祖父の背中」も売られていていいはずだと思うのだが、しかしそれがどんな用途のものなのかよく分からない。たとえば「猫の爪とぎ」のようなものか。
猿、猫、象などは人のあだ名として使えるようである。しかし犬、豚などは罵倒の言葉として使われる。「犬」が下劣な人間を指すのはどこから来ているのだろう。「豚」が罵倒語なのは、その太った姿、何でも食うところからだろうし、こちらは分かりやすい気がする。
たとえば「プロゴルファー猿」はありえても「プロゴルファー豚」はありえないだろう。
英語の名詞の「単複同型」は面白い。羊 sheep が単複同型なのは、羊は群れているのが当たり前だからだろうか。羊の群れは雲にも似ていて、不可算のもののようにも見える。しかし鹿 deer も単複同型だが、鹿は群れていない姿もよく見かける。鯉 carp はどうだろうか。ただ鯉が百歩譲って数えられない存在だとしても、広島カープの選手は明らかに数えることができる。
外国人になじみのない人は、外国人がみな同じに見えたりする。猫になじみのない人にとっては、どの猫も同じ顔をしているように見える。しかし猫を飼うようになったり、注意して見るようになると、どの猫の顔も違って見えるようになってくる。では単細胞生物を研究している人は、どのゾウリムシも違って見えたりするのだろうか。ゾウリムシに個性はあるのだろうか。
プログラマをしていたころ、先輩たちはよくコンピュータを擬人化し、「この人」「この子」などと呼んだ。僕の職場ではとくに女性のプログラマにその傾向が強く、コンピュータのメモリ、CPUなどの部品をも擬人化し、あたかも劇のようにコンピュータの原理を説明するのだった。これは一種の「女性らしさ」なのか、ずっと疑問に思っていたが、他の職場ではどうなのだろう。
コアラはカンガルーと同じく「有袋類」で、お腹にポケットがついている。ただカンガルーとはポケットの向きが逆で、コアラの赤ちゃんが顔を出すとそこは親の股間である。コアラの赤ちゃんはそれでいいと思っているのだろうか。
美男美女であったり高学歴であったりということは、他人がうらやみもするが、本人たちには負担に感じることもある。たとえば高学歴なのに無能であると、必要以上に罵倒されるものである。それと同じように、グレートデンやボルゾイのような立派な外見の犬が野良犬だと、明らかに変な印象を受ける。彼らも内心は大変なはずである。
このあいだ学校の近くで、忙しくのたうつ蛇を見たのだが、つくづく思ったのは、こんな手も足もない姿では決して人間のようには文明を築けないだろう、ということだった。蛇は、この世に生れたときからそう決まっていたようなものである。文明を発展させようという欲求も、もとからないのだろう。しかしほとんどの動物はそうではなかろうか。してみると人間が今日の文明を築いてきたのは、別に優れていたとかそういうことではなく、ただちょっと変わっていたから、と捉えるべきではなかろうか。
(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
猿、猫、象などは人のあだ名として使えるようである。しかし犬、豚などは罵倒の言葉として使われる。「犬」が下劣な人間を指すのはどこから来ているのだろう。「豚」が罵倒語なのは、その太った姿、何でも食うところからだろうし、こちらは分かりやすい気がする。
たとえば「プロゴルファー猿」はありえても「プロゴルファー豚」はありえないだろう。
英語の名詞の「単複同型」は面白い。羊 sheep が単複同型なのは、羊は群れているのが当たり前だからだろうか。羊の群れは雲にも似ていて、不可算のもののようにも見える。しかし鹿 deer も単複同型だが、鹿は群れていない姿もよく見かける。鯉 carp はどうだろうか。ただ鯉が百歩譲って数えられない存在だとしても、広島カープの選手は明らかに数えることができる。
外国人になじみのない人は、外国人がみな同じに見えたりする。猫になじみのない人にとっては、どの猫も同じ顔をしているように見える。しかし猫を飼うようになったり、注意して見るようになると、どの猫の顔も違って見えるようになってくる。では単細胞生物を研究している人は、どのゾウリムシも違って見えたりするのだろうか。ゾウリムシに個性はあるのだろうか。
プログラマをしていたころ、先輩たちはよくコンピュータを擬人化し、「この人」「この子」などと呼んだ。僕の職場ではとくに女性のプログラマにその傾向が強く、コンピュータのメモリ、CPUなどの部品をも擬人化し、あたかも劇のようにコンピュータの原理を説明するのだった。これは一種の「女性らしさ」なのか、ずっと疑問に思っていたが、他の職場ではどうなのだろう。
コアラはカンガルーと同じく「有袋類」で、お腹にポケットがついている。ただカンガルーとはポケットの向きが逆で、コアラの赤ちゃんが顔を出すとそこは親の股間である。コアラの赤ちゃんはそれでいいと思っているのだろうか。
美男美女であったり高学歴であったりということは、他人がうらやみもするが、本人たちには負担に感じることもある。たとえば高学歴なのに無能であると、必要以上に罵倒されるものである。それと同じように、グレートデンやボルゾイのような立派な外見の犬が野良犬だと、明らかに変な印象を受ける。彼らも内心は大変なはずである。
このあいだ学校の近くで、忙しくのたうつ蛇を見たのだが、つくづく思ったのは、こんな手も足もない姿では決して人間のようには文明を築けないだろう、ということだった。蛇は、この世に生れたときからそう決まっていたようなものである。文明を発展させようという欲求も、もとからないのだろう。しかしほとんどの動物はそうではなかろうか。してみると人間が今日の文明を築いてきたのは、別に優れていたとかそういうことではなく、ただちょっと変わっていたから、と捉えるべきではなかろうか。
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No.113
2009/10/29 (Thu) 20:01:35
駅のホームの、目の不自由な人のための黄色いタイルは、なぜあんなにホームの端っこにあるのだろうか。目の不自由な人には、もっと安全なところを歩かせるべきではなかろうか。
自動車が道の端に停車するために進路変更する際、方向指示器を点けるよう教習所では習うが、公共のバスなどを除いてはそんなことをする人は少ない。道を歩いていて、それで危ない思いをすることがあって、たまに腹が立つ。
いまは電車の優先座席でも平気で携帯電話を使っている人が多いが、心臓ペースメーカーの利用者はどうしているのだろう。携帯電話の電波がペースメーカーの誤作動を引き起こす可能性があるというのは、間違いだったのだろうか。
勤め先が淀川沿いにあるから、モーターボートでの通勤も検討してみようか。免許持ってないけど。やはり車のほうが安くつくものだろうか。
タクシーの運転手が強盗や暴行の被害に遭うという話をよく聞く。テレビでも以前、酔っ払いの乗客が走行中の運転手に殴る蹴るの暴行を加えている映像を見た。いざという時は座席ごと空中に脱出できるようにして、パラシュートが開くようにしてはどうか。
飛行機の操縦席が、危険時に空中に飛び出すようになっているのを映画等でよく見るけれど、ヘリコプターであれは難しいのではなかろうか。
むかし夜の街が暗かったころ、路面電車の安全地帯につまづく人が多かったようで、古今亭志ん生さんが噺のマクラで「そこは安全地帯だ、危ねえよ!!」と言っていた。
路面電車にはあまり乗ったことがない。高校の修学旅行で博多で行ったとき、あと就職活動で京都のある会社に訪問するときに乗ったぐらいだ。博多の路面電車には、乗り口の注意書きに「鳥獣の持ち込み不可」とあったのが妙に可笑しかった。獣は分かるとして鳥を持ち込もうとする人は少ないのではなかろうか。
年かさの従兄は昔オーディオマニアだったと聞いた。もちろん音楽を聴くためにオーディオの機械を揃えていたのだが、その知り合いのオーディオマニアに「機関車の音を聴く専門」という人がいたそうだ。たった数枚の機関車の音のレコードを聴くために、高価な機械を買い揃えていたのである。鉄道マニアの世界に「音専門」の人がいるとは知らなかった。
いろんな分野に評論家がいて、たとえば読んだ事はないけど「間違いだらけのクルマ選び」の徳大寺有恒のような「自動車評論家」など、一人で買える車にも限界があるだろうし、どうやって「評論家」になれるのだろう。そんなことを考えてウィキペディアで調べてみたら、彼は元レーサーだそうだ。あと「コロコロ主張を変える人」として有名とのことで、そういえば昔「こち亀」で車同士が相撲を取るその取り組みの解説者として彼そっくりの人物が出てきて、ころころ主張を変えていて面白かったのだが、そういう背景があったのだといま知った。
そういえばテレビに出てくる「航空評論家」は元パイロットばかりだ。
「モノレール評論家」など案外スキマ産業ではなかろうか。いや、世の中そんなに甘くないか。
僕は新幹線に乗るととても疲れる。加速に弱いのだ。そういえばデビッド・ボウイ主演の映画「地球に落ちてきた男」に出てきた、ボウイ演じる宇宙人も加速に弱く、エレベーターに乗ると鼻血を出して気を失うのだった。そして水ばかり飲んでいる。僕も最近は真水を好む。僕は実は異星人なのではないかと、こんど母に聞いてみよう。
ロープウェイは一回だけ乗ったけど、面白かった。
戸川純の「夢の山獄地帯」という歌に、「最新型のケーブルカー、登ってくるよ、降りてくる、青年たちの集う場所、ワンダーフォーゲル、ヨーレイホー」という部分があって、「登ってくるよ 降りてくる」というのがどうもトマソン的で可笑しくてたまらなかった。
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自動車が道の端に停車するために進路変更する際、方向指示器を点けるよう教習所では習うが、公共のバスなどを除いてはそんなことをする人は少ない。道を歩いていて、それで危ない思いをすることがあって、たまに腹が立つ。
いまは電車の優先座席でも平気で携帯電話を使っている人が多いが、心臓ペースメーカーの利用者はどうしているのだろう。携帯電話の電波がペースメーカーの誤作動を引き起こす可能性があるというのは、間違いだったのだろうか。
勤め先が淀川沿いにあるから、モーターボートでの通勤も検討してみようか。免許持ってないけど。やはり車のほうが安くつくものだろうか。
タクシーの運転手が強盗や暴行の被害に遭うという話をよく聞く。テレビでも以前、酔っ払いの乗客が走行中の運転手に殴る蹴るの暴行を加えている映像を見た。いざという時は座席ごと空中に脱出できるようにして、パラシュートが開くようにしてはどうか。
飛行機の操縦席が、危険時に空中に飛び出すようになっているのを映画等でよく見るけれど、ヘリコプターであれは難しいのではなかろうか。
むかし夜の街が暗かったころ、路面電車の安全地帯につまづく人が多かったようで、古今亭志ん生さんが噺のマクラで「そこは安全地帯だ、危ねえよ!!」と言っていた。
路面電車にはあまり乗ったことがない。高校の修学旅行で博多で行ったとき、あと就職活動で京都のある会社に訪問するときに乗ったぐらいだ。博多の路面電車には、乗り口の注意書きに「鳥獣の持ち込み不可」とあったのが妙に可笑しかった。獣は分かるとして鳥を持ち込もうとする人は少ないのではなかろうか。
年かさの従兄は昔オーディオマニアだったと聞いた。もちろん音楽を聴くためにオーディオの機械を揃えていたのだが、その知り合いのオーディオマニアに「機関車の音を聴く専門」という人がいたそうだ。たった数枚の機関車の音のレコードを聴くために、高価な機械を買い揃えていたのである。鉄道マニアの世界に「音専門」の人がいるとは知らなかった。
いろんな分野に評論家がいて、たとえば読んだ事はないけど「間違いだらけのクルマ選び」の徳大寺有恒のような「自動車評論家」など、一人で買える車にも限界があるだろうし、どうやって「評論家」になれるのだろう。そんなことを考えてウィキペディアで調べてみたら、彼は元レーサーだそうだ。あと「コロコロ主張を変える人」として有名とのことで、そういえば昔「こち亀」で車同士が相撲を取るその取り組みの解説者として彼そっくりの人物が出てきて、ころころ主張を変えていて面白かったのだが、そういう背景があったのだといま知った。
そういえばテレビに出てくる「航空評論家」は元パイロットばかりだ。
「モノレール評論家」など案外スキマ産業ではなかろうか。いや、世の中そんなに甘くないか。
僕は新幹線に乗るととても疲れる。加速に弱いのだ。そういえばデビッド・ボウイ主演の映画「地球に落ちてきた男」に出てきた、ボウイ演じる宇宙人も加速に弱く、エレベーターに乗ると鼻血を出して気を失うのだった。そして水ばかり飲んでいる。僕も最近は真水を好む。僕は実は異星人なのではないかと、こんど母に聞いてみよう。
ロープウェイは一回だけ乗ったけど、面白かった。
戸川純の「夢の山獄地帯」という歌に、「最新型のケーブルカー、登ってくるよ、降りてくる、青年たちの集う場所、ワンダーフォーゲル、ヨーレイホー」という部分があって、「登ってくるよ 降りてくる」というのがどうもトマソン的で可笑しくてたまらなかった。
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目次
上段の『☆ 索引』、及び、下段の『☯ 作家別索引』からどうぞ。本や雑誌をパラパラめくる感覚で、読みたい記事へと素早くアクセスする事が出来ます。
執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。
✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。
♘ ED-209 〜 ブログ引っ越しました。
☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ
我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。
※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※
❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。
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✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。
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