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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/11/24 (Sun) 15:09:21

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No.112
2009/10/28 (Wed) 20:10:59

どっかへ 走っていく 汽車の
七十五セント ぶんの 切符をくだせえ
ね どっかへ 走っていく 汽車の
七十五セント ぶんの 
切符を くだせえ ってんだ
どこへいくか なんて 知っちゃあ
いねえ
ただもう こっから はなれてくんだ


これは、ラングストン・ヒューズという黒人によって書かれた「七十五セントのブルース」という詩だそうだ。
無学で朴訥とした、おそらくは五十を越えた人物のセリフのように感じる。
これを読むと何故か亡父を思い出す。ただし父が「無学で朴訥とした人物」というわけではない。

父は個人で建築設計事務所を営んでいた。夜は自宅で図面を引き、昼はヘルメットを被って現場監督に出て行った。
若い頃、気の荒い大工や鳶職人ににらみをきかすため外見に気を配り、煙草を吸い始めたのだと言っていた。だから父の作業着には、煙草のにおいが染み付いていた。
鉄骨の組みあがったふもとで、夏はじりじりと照りつける太陽の下、冬はドラム缶の焚き火のまわりで、父は職人たちの輪の中にいた。そうした工事現場からの帰り道、おそらくは小さな駅の近くだろうか。夕闇の中、上の詩のような人物に父がばったりと出会い、そして唐突に切符代をせがまれたとしたら……と、そんな情景が目に浮かぶ。そんなとき父はどうしたろう? 無視して立ち去ったろうか。いや憮然としながらも、使い古して縁の剥げた革の財布から、黙って五百円札を取り出して渡したのではなかろうか。辺りにひとけのないことを確かめてから……。

「七十五セントのブルース」は僕には、そんな空想を喚起させられる。父を知らない他人様には面白くもおかしくもない空想かも知れないが。

皆さんはこの詩から、どんな情景が思い浮かびますか。

(この詩の日本語訳は、詩人でもある木島始という人によるそうです。)


(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
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No.111
2009/10/28 (Wed) 18:23:03

僕は犬より猫を好む。犬はあたりかまわず排泄や交尾をする破廉恥なところが気に食わない。その点猫は節度がある。きれい好きで身勝手なところも自分と似ていて好感が持てる。猫は小動物を追い回してなぶり殺す残酷なところがある。自分も心の奥底は残酷な人間のような気もするが、動物を手ずから殺すような真似はよほどの必要がない限りしない。どんな小さな虫でも。小さな虫などは目の前で死んでもそんなにかわいそうとか思うわけではないが、その虫が死んでも気にならないからといって殺してよい理由にはならない。気にならないなら殺してよいというのだったら、僕という人間が死んでも気にならない大きな動物が目の前に出てきたら、そいつに殺されても文句は言えないことになる。だからなるべく不殺生を心がけている。

そういうわけでジャイナ教の教徒が、蟻や微生物をも踏み殺さないように箒で足元を掃きながら歩くのは、かなり共感できる。百科事典で「ジャイナ教」を調べてみると、「高下の差を問わず生命の不殺生が主な原則である。『何ものをも傷つけないこと』は、あらゆる生命に対して愛情と同情を要求する積極的な禁令である。年老いた病気の動物に避難所や休息所を建てるのはジャイナ教徒のみであり、そこでは動物が自然死を果たすまで飼育される」とある。だんだんジャイナ教徒になりたくなってきた。でもそんな暇ないか。

しかし不殺生とはいうものの、自分は肉を食べる。自分の手では殺さないが、人が殺してきた動物を食べるというのはよく考えると不徹底だ。鶏肉など大好きだが、信念が勝ってこれを遠ざけ、来年の今頃は菜食主義者になっているかもしれない。別になりたくもないが、普段からいろんな強迫観念に追い回されている自分を省みると、そうなってしまうような予感がある。ジャイナ教徒にはなりそうもないけど。

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No.108
2009/10/22 (Thu) 18:48:10

寒山詩より

今日巌前坐
坐久烟雲收
一道淸谿冷
千尋碧嶂頭
白雲朝影靜
明月夜光浮
身上無塵垢
心中那更憂

今日巌前に坐すれば、
坐久しうして烟雲收る。
一道淸谿冷く、
千尋碧嶂の頭。
白雲朝影靜に、
明月夜光浮ぶ。
身上に塵垢無ければ、
心中那(なん)ぞ更に憂へん。


ある暑い夏の日。私はずっとスーツの上着は脱いで授業していた。午後の高三の教室は、いまだクーラーが入らず、窓を大きく開けていたら生徒のノートやプリント類が風で飛ばされてしまった。大いに騒がしく、自分には静めることができなかった。好き勝手に騒ぐ生徒たち。私は痛棒を食らった心地がして心機一転、人跡未踏の山々に分け入り、高峰の岩の上で坐禅を組んでおのれを見つめなおした。びゅうびゅうと風が吹きすさぶ中、沈思黙考すること数時間。

しばらくして目を開けると、私は魑魅魍魎の大群に取り囲まれていた。私は自分の周りに輪を描いて、その中に怪物が入ってこないよう念仏を唱えた。他の怪物には私が見えないようだったが、まぶたの垂れ下がった象のような化け物が近づいてきて「見える、見えるぞう」と叫んで私を指さした。すなわち象の化け物は私の周囲の円 x^2 + y^2 = 1 に虚の変換 y→iy をほどこし双曲線 x^2 - y^2 = 1 にしてしまったのだ。閉曲線から放り出された私は化け物たちの餌食になるのを観念した。そのとき、冷たい水滴が私のつむじに落ちて、なにか雨漏りがしたような錯覚に陥った。そのとたん、頭上で交わる大きな赤い8の字がうっすらと見えた。その中心におそるおそる触ると、私はいきなり無限遠点に吹き飛ばされた。読んで字の如く無限に遠い点である。そこには「ローソン無限遠店」があったからアイスクリームを買って食べた。ついでに携帯電話の料金を支払い、そろそろ日も暮れたから、白雲の間を鶴を駆って飛行し帰途についた。

(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









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