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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/05/04 (Sat) 01:22:35

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No.610
2012/11/25 (Sun) 06:45:40

「ひな祭り」というのは「祭り」という言葉の誤用である、と幸田露伴はつねづね語っていた。祭りというからには祭るべき神がなければならない、だから「ひな祭り」ではなく「ひいな遊び」というべきだ、というのだ。しかしこの祭りという言葉の濫用は今日ますます広まっている。古来八百万の神々の幸うわが国において、神にかかわる言葉の誤用は陰に日本の国運を傾けないとはいえないのであるから、今後はヤマザキ秋のパン遊び、ミクの日大感謝遊び、ももいろクローバーz@男遊び、などと各種イベントの呼称を改めるべきだろう。

 鳩が平和の象徴、などというのは嘘である。鳩は飛びながら、あるいは電線に止まりながら排便し、下にいる人間に糞をひっかけることがあるが、このように人の迷惑を考えることが出来ない動物がどうして平和の象徴たりえるだろうか。それは汚泥を海に流し周囲に迷惑をかける国が真に平和的とはいえないのと同断である。その点、豚は何でも食べ、汚物のようなものでも餌にしてしまうから周囲をきれいに保つことが出来る。だから今後は豚を平和の象徴としてはどうだろうか。オリンピックの聖火台に火が灯されるとき、そこから何百頭という豚がいっせいに駆け出すのである。あまり見栄えはよくないだろうが、真の平和と見栄えのどちらが大切かよく考えてみるべきだろう。

 昔インドのシラム王は、首相のベン・ダールとチェスをしていて、もし自分に勝ったら褒美をやろうと思うが何が良いか、と尋ねた。首相の答えはこうだった。小麦をもらいたいが、まずチェス盤の第一のマスに一粒、第二のマスには二粒、第三のマスには四粒、第四のマスには八粒、という具合に倍々に小麦の粒を置いていって、六十四マス埋まるまでの量を欲しい、と。王は首相の申し出が余りに控えめに思えたからすぐに承諾した。しかし実際に小麦の粒をチェス盤に置いていくと、十七マス目にはテーブルが小麦でいっぱいになり、二十六マス目には部屋がいっぱいになり、四十二マス目には宮殿中が小麦で埋め尽くされてしまった。王が数学者に計算させたところ、六十四マス埋まるときには約10の20乗粒の小麦になり、それはインド全体を厚さ十五メートルの小麦で覆うほどの量である、とのことだった。倍々計算というのは、これほどに急速に大きな数を生み出すのである。
 ではその逆に、半分にすることを繰り返す計算はどうだろう。地域によって違うかも知れないが、葬儀において遺族は、参列者から受け取った香典に対し「半返し」といって香典の半額分の物品を返す習慣がある。ふつう参列者は香典の半額を受け取って終わりになるが、ここに遺族の苦労を少しでも減少せしめんという好意に満ちた参列者がいたとして、返してもらった「半返し」に対してさらにその半分を遺族に渡すとする。遺族もそれに対して半返しする。これを繰り返す。もし最初の香典が1キログラムの金塊だったとして、このやりとりは何回できるだろうかと考えると、およそ90回のやりとりで金原子1個に到達してこれ以上半返しは出来なくなる。もっともこの金原子を素粒子の加速器にかけて原子核をバラバラにすれば、心ばかりの半返しがさらに出来ることになるが。


 阿呆、燃えているなら消せ、
 燃えてしまったのなら、また建てろ。

という言葉がゲーテの「報告」という詩にあるそうで、いかにも活動家のゲーテらしい。むかし江戸はしばしば大火に見舞われ、そのたびに上のゲーテのような意気で復興したわけだが、そのさい最も活躍したのは大工たちだろう。大工は花形の職業とされていたが、そのように火事の多かった江戸だからこそ、実入りのいい商売だったといえそうだ。ところで現在でも腕のいい大工になると高収入だと聞くが、耐火建築の増えた今、昔ほど羽振りのいい商売ではなくなっているはずである。それならばこの際、大工たちが少しずつお金を出し合って、放火魔を育成する学校を作るというのはどうだろう。もし放火魔が逮捕され服役した場合は、出所後、大工たちが基金の中から相応の額を彼に支払い「お勤めご苦労さんです」と頭を下げる。なかなか良いシステムだと思うが。


(c) 2012 ntr ,all rights reserved.
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No.609
2012/11/25 (Sun) 06:40:53

「情報屋の話によると」片桐部長は煙草の火を灰皿でもみ消した。「今日の深夜に第七埠頭でコカインの受け渡しがあるそうだ。トミーにマツ、行って現場を押さえて来い……もちろん、やむをえない場合には犯人を殺すことになるだろうが」

 グレーのスーツを着た端正な面立ちのトミーに、薄茶の背広を身にまとった色黒のマツ。二人の刑事は名コンビだった。そのわけはこれから起こる事件の成り行きを見れば分かるであろう。
「せ、先輩。密輸団が船から出てきましたよ。マシンガンを持った奴もいるぞ……怖いなぁ」
「何を情けないことを言ってるんだ、トミー。ちゃんと飯を食ってきたのか? 顔色が青白いぞ。まあお前はいつだってそうだがな」
「だだだって相手はマシンガンですよ。こっちは旧式のニューナンブが二丁。どうするんですか」
「まぁ今の警察は貧乏だからな。俺たちもそのうち密輸団に鞍替えするか……っと冗談言ってる場合じゃねえ、そろそろブツの受け渡しだ。さ、突入するぞ」
「こ、殺されるに決まってるじゃないですかぁ! ありていに言うと、僕おしっこちびってます」
「それでも刑事かよ!」マツはトミーの背中をドンと叩いた。「お前なんか男じゃない、トミオが聞いて呆れるぜ。お前はトミ子だ。このトミ子トミ子、トミコー!!」
 それを聞いたトミーは耳をぴくぴくさせ、目に生気がみなぎってきた。そればかりか肩から胸の筋肉がむきむきっと盛り上がり、胸板はもとの三倍以上、一メートルぐらいに分厚くなった。そしてトミーの口からは犬歯が伸びてサーベルタイガーのごとき牙となって、目には瞳がなくなり、まるで悪魔が取り付いたようによだれを垂らしながら不気味な吠え声を発した。
「よし、それでこそトミーだ。行ってひと暴れしてこい!」
 マツが言うと、トミーは密輸団の群れに飛び込み、マシンガンで撃たれても平気な顔をしてかえってその相手の頭をつかんで百八十度回転させた。トミーは敵たちの頭を掴んでは粉々に砕き、また喉笛に喰らいついて相手の消化器官を引きずり出し、それをむさぼり食った。生き残って腰を抜かした敵の一人のところに、マツがつかつかとやってきて、頭から生えた三本目の手で警察手帳を振りかざした。
「湾岸署のものだ。麻薬取締法違反で貴様らを逮捕する」
 パトカーが数台やってきて、密輸団のメンバーを連れ去って行った。もっとも、密輸団の十一名中九名まではトミーに惨殺されたのだったが。
 敵のほとんどを倒すと、トミーはいつのまにかもとの姿に戻っていた。「わぁ、何が起こったんですか? あっちにもこっちにも人体のかけらがごろごろと……いったい誰がやったんですか?」
「お前だよ、トミー! いつも暴れたときのことはコロッと忘れちまうんだからなぁ。さ、帰ろうぜ。今日の仕事は終わりだ」
「あ、雨が降ってきましたね」
「お前、傘もってるか」
「ええ、折りたたみのやつが一本。でも、これじゃ二人は入れませんね」
「貸せ! こういうのは先輩に譲るもんだ」
「わ、ずるいですよ先輩」
「おいトミー、この傘、穴が開いてるじゃないか。というか、穴だらけだ」
「へーっくしょい! もうどうだっていいや。雨に当たったって」
「それもそうだな!」
 マツは壊れた傘を振り回し、トミーは両腕を振り回して、二人はジャンプした。
「もう放射能の雨なんて、恐くない!」
「どうせ俺たち奇形人間! ひゃっほー!」


(c) 2012 ntr ,all rights reserved.
No.594
2012/09/06 (Thu) 16:52:07

           

 小学校に上がる前、生まれ育った足立区の北千住にほど近い狭小な家から埼玉の
郊外に引っ越した。

 都会から移り住んだ為、当時何もなくて田圃だらけの景色はのどかだが、夜になるとうすら寂しかった。引っ越した年に同居してた母親の妹、俺には叔母にあたるけど、交通事故で亡くなった。渋谷の近くで身障者の運転するコロナにはねられたんだと聞いた。よく、鮨屋に連れて行ってはウニやイクラを鱈腹食べさせてくれる優しい叔母だった。翌年、4歳下だった妹が堀炬燵の中で遊んでいて一酸化炭素中毒で亡くなった。2年も立て続けに肉親を失くした母親は厭世感も増してノイローゼになり、ついには睡眠薬を大量に飲んでしまった。普段と違う寝息を立てて寝入った母親の姿を見て、父親は即座に救急車を呼び胃洗浄したのち精神病棟へ2カ月ほど送られた。
 床がコールタールを塗った木造の東武電車に乗って確か幸手の方の病院に見舞いに行った。なんで窓に柵や格子が填められているのか当時は分からなかったけど、なんとなく重たい気分だった。
 帰りに通っていた小学校のそばの模型店でウルトラセブンのプラモデルを父親が買ってくれた。母親が入院している間は隣のKさんのお宅でご飯を食べさせて貰っていた。

 父親は通運会社に勤めていたサラリーマンだったが庭木の手入、自転車のパンク修理、屋根のペンキ塗装など器用になんでもこなす人だったが、この当時まだ料理だけは満足にできなかったのだろう。固形のバーモントカレーなんて作り方を知らなかったらしく、S&Bの赤い缶に入ったカレー粉に片栗粉を混ぜてルーを作っていたようだ。
 普段、他所で食わして貰っている自分に腕前を披露してやると意気込んだのかもしれない・・・。
 ウルトラセブンのプラモの箱を開けて遊んでいると
 「徹、ご飯が出来たから来い」
 と台所の食卓に座った。テーブルには皿に盛ったライスの上に、馬鈴薯だけがごろっと載った黄色い水みたいなカレーがかけてあった。今にも皿から垂れてきそうなそのルーを舐めると何の味もしなかった。無理やり芋とライスを頬張りながら半分ほど食べたがそれ以上食べられなかった。
 「どうした?もっときれいに食べろよ。全部・・」
 「・・・だってうまくないもん・・」
 「そう言わずに食べてくれよ・・・」
 と俺を見つめた父親の顔はいかにも泣きたいのを我慢してる風だった。数年経ち、弟や妹が生まれ毎朝の御飯を作るのを面倒がる母親に代わって父親が朝飯を作ることが多くなった。
 ジャガイモを薄く短冊のように切り赤い缶に入ったS&Bのカレー粉で炒めて出す。弟たちが幼稚園の年中組位になるとそれなりに食べられるようになっていたとは思う。
 
 ウルトラセブンのプラモデルは自分では途中までしか組み立てられず、やがて捨てられてしまった。いや、自分で捨てたのかもしれない。年に数度、乾物屋やスーパーの調味料売り場の棚で赤いS&Bの缶を見つけると胸に熱いものが込み上げるのはその時からだ。



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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









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