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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/04/27 (Sat) 05:07:57

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No.653
2013/08/02 (Fri) 13:20:52

讀史雜感十首 其五  呉偉業

聞築新宮就 君王擁麗華
尚言虚内主 廣欲選良家
使者螭頭舫 才人豹尾車
可憐靑塚月 已照白門花

噂に聞いた、新しい御殿ができ上がった、と。
天子は麗華のような美女を側に侍らせながら。
それでも夫人たちが少いといって。
方方からかたぎの娘たちを選んで、後宮に入れようとする。
使者は螭頭(ちとう)の舟に乗り。
女官は、豹尾の車に載せられる。
ああ、王昭君の墓を照らす月が。
はやくも南京の花―宮女たちに、その光を投げかける、昭君の悲運が、やがて彼女たちを訪れようとするのだ。
(福本雅一訳)

 読史雑感という題だが、実際には作者呉偉業が同時代の明代のことを語っているのである。詩の中で語られているように、色欲にとりつかれた天子は、江南の各地に宦官を派遣し、美しい娘とみれば強制的に拉致して回った。自分がこの天子のように、そんなことが可能な立場に立ったとしたら、いったいどうなってしまうのだろうか。それはどうも想像の及ばない境遇のような気もする。たとえば、NHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」を見ていて主演の能年玲奈が気に入ったら、即連れてきて妾にできてしまうのであり、「じぇじぇじぇ」などと言わせながら裸にして押し倒すのも思いのままで、それに飽きたらYoutubeの動画に影響されて、東京メトロを借り切ってその中で宮崎あおいと新垣結衣に浴衣を着せ鬼ごっこし、捕まえたら誰にとがめられることもなくその女体をむさぼることが出来るのである。そこまで自由に色欲を満足させられたら、頭が麻痺してしまって、女以外のことはまるで目に入らなくなってしまうかも知れない。いや、きっとそうに違いない。

 そもそもこの詩で揶揄されている福王という天子は、通常の立場の皇帝ではない。北は清国の外圧に負け、国内は飢饉をきっかけに起こった騒擾が大乱に発展し、内乱軍を指揮した李自成が首都北京を占領して大順皇帝を名乗り、明代最後の正統の皇帝たる荘烈帝はすでに自殺しているのである。そのご李自成は清軍に破れ中国は清の時代になったが、そういうなか明朝皇帝の血筋の者が南京に逃れ、実体のない明の新帝として即位したのが福王なのだ。しかし明代末期の政治の腐敗がそのまま南京に持ち込まれ、いつ清につぶされてもおかしくない外患の中にありながら、官僚たちは党派争いに明け暮れたという。そして新帝福王は、上述のように色欲に狂っているのである。
 
 わが国では江戸時代の将軍徳川家斉が、淫欲にとりつかれ奢侈に溺れたことで知られているが、それでもまだ安泰だった徳川政権の時代のことであり、それを思うと中国の皇帝は道の踏みはずし方もスケールが違う。
 
 欲望が無制限にかなう立場に生まれなかったことは喜ぶべきことということか。しかし中国には色欲とは違うが、おのれの巨大な欲求をとことんまで追求してしかもとがめだてされることもなかった清の乾隆帝のような例もあり、欲がかなうということの意味を改めて考えさせられる。

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No.652
2013/07/30 (Tue) 14:33:57

ジャズのCDはたいてい録音時間が四十分ほどで、三十分すこしのものも珍しくないから、クラシックのCDに馴染んでいると物足りないような気もし、値段はそう変わらないのだからジャズのアルバムを買うのは不経済のように感じることもある。
 だから、元来は三十数分のジャズのアルバム二枚分を一つのCDに収めた「徳用盤」が出ることもある。しかしそうした「徳用盤」を聴くと正直「長すぎるのではないか」と思うことがあるのに気が付いた。
 デューク・ピアソンというピアニストの「Profile」および「Tender Feelings」という二つのピアノ・トリオ作品はいずれも名盤と言われているが、両者を合わせた徳用盤を聴いていると、さすがにピアノ・トリオで七十分以上というのは集中力ももたないし第一飽きてくる。あるいはジャズのアルバムというのはその録音時間も考慮されて一個の作品として出来上がっていて、安易に二つつなげたからといって感動が倍になるというわけのものでもないのかも知れない。

 マイルス・デイヴィスは最も有名なジャズ・トランペッターだろう。最も有名なジャズ・ミュージシャンとさえ言えるかも知れない。それは彼の残した厖大なアルバムが、多くのジャズ・ファンを魅了し続けているからである。
 しかし僕は彼の作品を聴いても、ほとんどの場合ちっとも好きになれないのである。コルトレーンらと共演した「Cookin’」、「Workin’」、「Relaxin’」、「Steamin’」の四部作はいいと思う。あそこには、くつろぎがあり、ユーモアがある。しかし他のマイルスの代表作、たとえば「Kind of Blue」、「クールの誕生」、「Round About Midnight」、「Milestones」、「Four & More」、「Bitches Brew」などを聴いても、確かに鬼気迫る迫力を感じるし凄いとは思うが、では好きかと聞かれると全然好きになれない。マイルス・デイヴィスという人のかもし出す雰囲気が真面目すぎるのだ。音楽に対し真剣でありすぎるのである。彼には笑っている写真があまり残っていないというのも、さもありなんと思わせる話だ。僕には、音楽というものはもっと気楽なものであってほしい。
 ただ初めにあげた四部作の他では、「Miles Davis and the Modern Jazz Giants」は僕にもとても面白く聴ける。マイルスがここで共演することになった先輩格のピアニスト、セロニアス・モンクに対して「自分が演奏しているときはピアノを弾かないでくれ」という注文を出したことで両者の関係が悪化したが、しかしそのせいで両者の出す音の絡み合いはすさまじい緊張に満ちたものになり、ときにはモンクがマイルスの注文を無視している場面もあって、大変スリルのある録音となっている。

 最も偉大なアルト・サックス奏者は、と聞かれたら「チャーリー・パーカー」と答えるのが常識的なのかも知れない。彼のスピード感あふれる即興はジャズの歴史を変えたと言われる。しかし僕はこのチャーリー・パーカーもどうしても好きになれない。彼の鳴らす音は、僕が聴きたいアルト・サックスの音とまったく違っている。単純な話、パーカーを聴いていると「もっと音を長く伸ばしてくれ」とよく思う。僕は素早いアドリブよりも、サックスの音の色艶をより楽しみたい。
 そういう意味で、最も好きなアルト奏者はと聞かれたら、僕はアート・ペッパーと答えるだろう。彼の艶があって軽快にうねる音はまったく独特のもので、知らずに聞いていてもこれはペッパーだと必ず判る。どの楽器においても、聞き間違えようのない個性を持っているというのは凄いことである。彼の心地よい音のうねりを存分に堪能できるのは例えば「Art Pepper Quartet」、「The Art of Pepper」などだろうが、トランペットとの掛け合いが滅法面白い「Return of Art Pepper」も良い(トランペットはジャック・シェルドン)。
 しかし、とつとつと呟くような音で、なんともいえぬ寂寥感のただよう彼の「Modern Art」というアルバム、あれはいったい何だろうか。静かな、静かな音楽。個人的にはこれがペッパーの最高傑作だ。彼はその後も長く生きて作品を発表し続けたが、本当は「Modern Art」を最後に死ぬべき運命だったのではないか。これはそういう「白鳥の歌」のような雰囲気があるアルバムだ。

 では最も好きなジャズ・ミュージシャンは、と聞かれたとしたら、それはにわかには答え難いが、ジミー・ジュフリーは間違いなく候補に入るだろう。テナーサックス、バリトンサックス、クラリネットの奏者で、ギターのジム・ホールなどとよく共演している。代表作は「Jimmy Giuffre 3」、「ウェスタン組曲」、「M.J.Q with Jimmy Giuffre」といったところか。彼のリーダー・アルバムはとても地味でひっそりとした音楽に満ちている。しかしだからこそ、何度聴いても飽きがこないとも言える。ジュフリーは「非商業主義」とよく言われる。大衆受けしなくとも、自分の音楽を追求し続けているということか。
 彼のアルバムの楽器編成はいっぷう変わったものが多い。「ジミー・ジュフリー・スリー」ではサックス、ギター、ベース。「ウェスタン組曲」や「Swamp People」ではサックス、ギター、トロンボーン。ドラムが鳴っていないことで一聴「なにかが足りない」という感じを受ける。しかしその「足りなさ」が、他の楽器のための静寂を拡大し、そのぶんサックスなりギターなりの音に集中して耳を傾けることになる。楽器の鳴っていない「間(ま)」がジュフリーの魅力とも言えるかも知れない。
 ドラム奏者シェリー・マンも、同じように少ない楽器編成による音楽をしばしば試みているが、マンとジュフリーの共演になる「“The Three” & “The Two”」も傑作である。ここではドラムのシェリー・マン、トランペットのショーティ・ロジャース、そしてジュフリーの三者による共演を聴くことが出来る。ジュフリーは例によってテナー、バリトン、クラリネットを曲によって持ち替えている。通常のジャズならここにベースが入るところが、それが抜けているために広がりのある静寂が生まれている。
 彼は白人ジャズ奏者に独特のクールさ、その権化のような人物である。だから僕がこう熱心に語っても「そう熱くなるなよ」とジュフリー自身から軽く諭されそうな気もする。


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No.651
2013/07/30 (Tue) 14:22:36

磯田進吉宅の大家であった小林氏は、生前ほとんど知ることのなかった磯田の人となりにがぜん興味を持ち、橋本氏と別れると、喫煙所にいた口髭の男に話しかけてみることにした。遠くから見るとせいぜい四十代ぐらいかと思ったが、近づいてみると、もっと年かさにも見える。
「失礼ですが、磯田さんとはどういうご関係の方でしょうか」
「私ですか? 私は平田正というもので、画家をしております。かれこれ三十五年ほど前、パリで修業を積んでいたころ、磯田さんの知遇を得ましてね。彼には本当にお世話になりました。今日の私があるのも、まったく磯田氏のおかげといっていいほどです。

 当時の私は、芸術家の卵の例にもれず、パリで極貧の生活を送っていました。昼間はカフェで、そこにいる客たちの似顔絵を描いたりして小銭を稼いでいました。
 ある日、カフェの隅っこに座って考え事をしている日本人が目に付きました。それが磯田さんだったんです。私は近い将来個展を開いて、自分の実力がどう評価されるか試してみたいという欲求を持っていました。ただ個展の目玉になるような傑作がまだ描けていなかったんです。しかしそのとき私は、磯田氏の顔を見て、これだと思いました。霊感に打たれたんですね。彼の顔、そして眼差しには、底知れない闇と、それを統御しうる理性が表れていると同時に、また狂気のようなものがちかりちかりと明滅しているように感じました。
 私は磯田氏に、時間があるなら絵のモデルになってくれないかと頼みました。
『謝礼はもらえるのかね』と聞かれたので
『大したお礼はできませんが、今晩の夕食をご馳走します』
『そうか』と言って磯田さんは私のアパルトマンにやってきました。磯田氏は私がコーヒーを差し出すと『実はフランスに来て早々金を盗まれてしまってね。一か月ほどたてば日本からまとまった額の金が送られてくる目算があるんだが、今は一文無しなんだ。だから君が夕食に招待してくれたのはとてもあがたい』
『日本大使館に行って事情を話したらどうです?』と私がいうと
『駄目だ、日本に送り返される。今は事情があって日本には帰れない。君も私をモデルに絵を描くのならしばらく時間がかかるだろう? 君の迷惑にはならないから、私をしばらくここに置いてもらえないだろうか』
 素性の知れない男で、普通ならそんな申し出には躊躇するところでしょうが、磯田さんという人からは立派な人柄がすでに十分に伝わっていましたし、仮に磯田さんが泥棒だったとしても盗るものなんてほとんどありませんしね。結局磯田さんは我が家にしばらく逗留することになりました。

 私は昼間になると、なじみのカフェや路上で似顔絵かきをして小銭を稼いでいましたが、磯田さんもどこかへふらりと出かけ、どうやってかは知りませんが、いくばくかのお金を手に入れてきました。だから絵のモデルとしてだけでなく、磯田さんと同居することはこちらにとっても助かりました。それと、我が家にはひっきりなしに借金取りがおしかけてきましたが、それも磯田さんが対応し、一か月かそこらで必ず返すからと言って追っ払ってくれたんです。磯田さんが請け合うとたいていの借金取りは納得して帰っていきますから、私は絵に専念することが出来そうだと思いました。
 しかし、容易に追い返せない借金取りもいたのです。デュモンという金貸しの手下のもので、磯田さんはとうとう頭にきて『これだけ言っても分からないのか!』と言って相手の顎に鉄拳を食らわせ、昏倒させると私が住んでいる三階の窓からそいつを放り出しました。そいつはもう来なくなりましたが、翌日にはデュモンの別な手下がやってきました。昨日の奴よりずっと大きく腕っぷしが強そうで、こいつを三階から放り投げるわけにはいくまいと思われました。そいつは磯田さんに
『お前には用はねえ。平田に用があるんだよ』と言いました。
『平田には金はないし、そのあてもない! 一か月かそこらで耳をそろえて金を返すと何度も言ったろう?』
『信じられないね』
 すると磯田さんは白い紙にフランス語でいついつまでに金を返すという証文を書き、包丁で親指の先を切って血で拇印を押しました。
『これは必ず約束を守るという印で、日本の血判というものだ。日本人は血判を押せば命に代えても約束を守る、これを持って親分のところに帰れ』磯田さんがそう言っても相手は
『日本の風習なんか知るかよ。さっさと平田を出すんだ』と言ってききません。すると磯田さんは『この石頭め』と言ってやおらその大男の左の耳をつかんでびりっと引きちぎり、ちぎった耳を相手の顔に投げつけました。そして包丁を大男の頸動脈につきつけ『帰って親分に言いな。こんどは耳の一つや二つじゃすまねえぞってな』と言って追い返しました。

 磯田さんは私を振り返って言いました。
『いったい何なんだあの連中は。金を必ず返すといっても耳を貸さない。まるで金には用がないようだ』
『実は、いぜん私はここで妻と暮らしていたんです。フランス人でシモーヌといいます。私のデュモンへの借金がかさんでくると、かねてからシモーヌに懸想していたデュモンは、借金のかただと言ってシモーヌを連れ去ってしまったんです。デュモンにとってはもう金なんかどうだっていい。シモーヌを自分になびかせるために、僕をパリから追い出すか、ひそかに殺してしまうかしたいんでしょう。いや、我ながら情けない話です』
『そんなことが許されるのか? 人身売買と同じじゃないか』
『デュモンはここでは大物ですからね。彼を訴えても警察は動いちゃくれません。幹部がみな買収されてるんでしょうよ』

 それ以来磯田さんは目に見えていらいらし始めました。デュモンの手下が来ると、有無を言わさず相手の口に手を突っ込んで顎の関節をはずしたり、眼窩に指を突っ込んで目玉をくりぬいたり、一度などは関係のない酒屋がやってきたのに、磯田さんはいつもの調子で剃刀を閃かし相手の鼻をそぎとってしまいました。『それはデュモンの手下じゃない、ただの酒屋ですよ!』と私が叫ぶと磯田さんは正気に戻ったのか、『それはえらいことだ』とつぶやいて彼の黒い鞄を開くと、そこにはメスだの注射器だの、手術道具がたくさん入っていて、さっそく酒屋の鼻をつなぎ合わせる手術を始めました。このとき初めて、私は磯田さんが医者であることを知ったんです。

 ある日のことです。磯田さんをモデルにした絵は八割がた出来上がったように思えましたが、それは自分にとっても最高傑作になるという予感がしました。磯田さん自身はふらりとどこかに出かけていました。私が絵の前に立って仕上げについてあれこれ考えていると、呼び鈴が鳴りました。そのときは早朝で、デュモンの手下が押し掛けてくるには早すぎます。安心して玄関のドアを開けると、大きな眼鏡をかけ顔の下半分は布でぐるぐる巻きにした男が立っていて、掃除機のノズルのようなものを私の顔に向けたかと思うと、白く生暖かいガスを勢いよく吹き付けました。私はとたんに気分が悪くなり、その場に倒れてしまいました。
 気が付いた時にはベッドに横たわっており、磯田さんが手当てをしてくれていました。そして何があったのか、いま痛いところはないか、などと質問を受けました。私が起こったことを話すと、磯田さんは玄関へブラシやシャーレを持っていき、辺りから何かを採取しているようです。彼は鞄から取り出した顕微鏡で、採取したものを調べています。
『培養してみないとはっきりしたことは言えないが、おそらく結核菌だ。ひどいことをしやがる、お前さんは胸いっぱいに結核菌を吸い込まされたんだ』
『で、私はどうなるんです!?』
『今は比較的安価に特効薬が手に入るが、いまの我々の財政状態では手が届かない』
 そうして、磯田さんは応急処置しかできないという状態で、しばらく看病してくれました。

 数日後、磯田さんはにこにこ顔でアパルトマンに帰ってきました。日本の知人からお金が届いたから、特効薬を買ってきたというんです。それで私は間一髪のところで命を取り留めました。
『君にはずいぶん世話になったね。私の宿泊代と思って受け取ってほしい』磯田さんは私が負っている借金の分と、当座の生活費として十分な額のお金をベッドの脇に置きました。
 そして磯田さんは、テーブルの上に並べていたシャーレと試験管、注射器でしばらく何かやっていたと思うと、『じゃ、デュモンのところに行ってくるか』というんです。昼過ぎに出かけていったのですが、夕方には驚いたことにシモーヌが帰ってきたんです! それは嬉しかったですが、同時に磯田さんのことも気がかりでした。

 シモーヌが言うには、血みどろのハンマーやのこぎりを両手に持った磯田氏がいきなりデュモン邸に押し入ってきて、デュモンの護衛の者たちをもぐら叩きのように金づちで次々打ちのめし、血が噴水のように彼らの頭頂から吹き出てきて、あれで十分致命傷だったと思うけれども、さらに彼らの頸動脈に次々と何かを注射していったそうです。『三十億匹の結核菌を食らえ』などと言っていたそうなので、私のアパルトマンでせっせと結核菌を培養していたんでしょう。
 それで彼らの親玉をぎろりと見つめ『おのれがデュモンか。お前は簡単には殺さん』というとメスを投げつけ、それは相手の鼻にぐさりと突き立って、オレンジ色の血液が飛び散りました。デュモンはあまりの痛みに歯をがちがちいわせて苦悶の声を漏らし、絨毯に手をつきました。それを抱き起し、手足と胴体を縛ってベッドに固定し、さらにさるぐつわをかませ、磯田氏はあちこちに電話をかけ始めました。
『もしもし、モン・サン・ミシェル病院ですか? お宅に腎臓移植が必要な患者がいましたね。こちらに腎臓があります。住所は……。ああもしもし、バティニョール病院ですか? そちらに生体肝移植を必要とする患者がいましたね? こちらに肝臓があります。住所は……。もしもし、オーヴェルニュ総合病院? そちらに骨髄移植を必要とする患者がたくさんいらっしゃいますね。こちらに骨髄がごっそりあります。住所は……』
 そうして十軒ばかりの病院に電話し終えた磯田は『さあ、いま私が言った臓器をこれから一つずつ、貴様の体から取り出していくつもりだ。もちろん麻酔などという結構なものはしないよ。まずみぞおちから正中切開』
 腹の真ん中を、縦にまっすぐメスが切り裂く。もちろんデュモンは悲鳴を上げます。
『では痛みに敏感な肝臓を切ろう。覚悟しろ』容赦なく磯田は臓器を切り裂いていく。またもや絶叫。 

 シモーヌはその凄惨な場面に耐え切れなくなり、デュモン邸から逃げ出し、私のアパルトマンへと帰ってきました。
 それ以来、私は磯田さんに会っていません。
 しかし、デュモンから取り出した臓器で一命をとりとめた者の中にはフランスの大統領も含まれており、磯田氏はその後日本の比類なき名医としてフランスから勲章が与えられたようです。磯田さんの行動がどうやって勲章に結びつくのかよく分かりませんが、とにかく偉い人だったんでしょう。
 幸いにして、磯田進吉氏の肖像を目玉とした私の個展は大成功を収めました。磯田さんは私の命の恩人、そして妻と再会させてくれた恩人というだけでなく、私の画業においても大変な恩人なんですよ」

 大家の小林氏は、平田氏の話を聞き終えてまたも呆然となった。磯田進吉はいったい善人なのか悪魔なのか。こんな人物がつい目と鼻の先に住んでいたと思うと、誇らしいようでもあり、殺されずにすんで良かったと胸をなでおろしもした。そしていっそう好奇心をかきたてられた小林氏は、今度は長身で白髪を短く刈った紳士のもとへと近づいていった。


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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









 ※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※







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