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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2017/10/17 (Tue) 16:38:23

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No.68
2009/10/16 (Fri) 03:28:01

以前大学の教職の授業で、「道徳教育論」というのに出席していたのだけど、これは教員が小中学校で「道徳」の授業の組み立てたり、また「生活指導」をするためにも必要な知識を得る、そういう名目の講義だったと思う。
講義では「倫理学の歴史を概観する」という時間が多かったけれど、毎回配られるプリントに沿って「皆でディスカッションしよう」という時間も取られていた。

こんなディスカッションはナンセンスではないか、と感じることもあった。
「功利主義」というテーマの回では、ベンサムとミルの言葉が紹介されて、「功利主義において正しい行為とされるのは、行為者個人の幸福ではなくて、関係者全部の幸福を目的とした行為である」といった簡単な認識のもと、次のような問題を考えてディスカッションしよう、ということになった。


問題
ある町で、ある男が殺人犯として捕らえられた。町の人々は、この男の処刑を要求。保安官は取り調べの結果、男が無罪だと確信した。しかし町の人々はこれを信じない。男を処刑しなければ暴動が起き、確実に多数の死者が出る。保安官は、男を処刑して暴動を回避すべき?


功利主義的に、町全体の幸福を考えれば男は処刑されなければならないが、それはちょっと変ではないか……という議論をさせたいのだろうと思ったが、なんとも人工的なシチュエーションで、考えるのもアホらしい気がした。
功利主義について自分で調べた訳でもなく、ベンサムやミルがこの「問題」を見て頭を抱えるものかどうか分からないけど、「道徳についてみんなで考えよう」という際の素材として、これは失敗作のように感じた。

小中学校の時の「道徳の授業」を思い出してみると、いかにも「教育的」な匂いのする読み物やビデオにふれる時間で、自分はちょっとひねくれた子供だったのかどれも嘘くさく感じ、恐ろしく退屈な時間だったように思う。上の「問題」のように人工的で、ある思想を持つようしむけているのが見え見えの物語もよく読まされた気がする。
小学校の道徳の時間では、よくNHK教育の子供向けの教育的なドラマを見せられ、あれもあまり好きじゃなかった。
番組名は忘れたが、確かテーマソングに「みんなみんな、みんな友だちなーんーだー♪」というフレーズが入っていて、小学生の登場人物たちが、ときには嘘をついて友情関係にひびが入ったり、転校生がいじめられるのを看過して自己嫌悪に陥ったりして、「友情とは何か」考えるよう執拗に迫ってくるイヤなドラマだった。


今の「道徳の授業」でもあんな映像を見せたりしているのかな? 
僕はあんなものを見せるぐらいなら、「妖怪人間ベム」をみんなで鑑賞したほうがずっといいと思う。

あのアニメでは、妖怪人間でありながら正義の味方であるベム、ベラ、ベロの三人が、邪悪な考えを持った人間や妖怪を毎回こらしめている。テーマソングで彼らは「人間になりたい!」と叫び、ストーリーの中でも「良い事をしていればいつかきっと人間になれる」を合言葉に悪と対決する。
僕は「いくら良い事をしても肉体が人間に変わるはずはないのに」と子供心に思ったものだけど、そう思った人、けっこう多かったのではないだろうか。「いつか人間になれる」というのは、三人のうち誰が言い出したのかハッキリしないけれど、どうもベムが最初に言いだした事のような気がする。ベムは三人のうちで最も思慮深いし、僕が感じたように「いくら善行を重ねても身体は人間にはならない」ぐらいの事は気付いていたんじゃないかな。
ベロが町を走ったり転げまわったりして遊んでいる間、よくベムは地下道などで帽子を目深にかぶり、じっとうずくまっているが、彼はああいうとき「妖怪人間の生き方」について深く考えていたんだと思う。

なるほど我々は、身体こそ妖怪だが、善悪を判断することが出来る。そして悪を憎む心を持っている。しかし人間の世界を見てみると、平気で悪行を重ねる奴がいくらでもいる。俺は肉体は人間ではないが、真の人間らしい人間とは、善を好み悪を憎む心の持ち主のことではないだろうか。してみると、生物学的に人間と妖怪を分けへだてするのは、実は下らない事ではなかろうか。俺は「人間とは、善を好み悪を憎むものをいう」と定義したい。すると俺たちはすでに人間と言ってもよいのではなかろうか。いやしかし、この定義によると、我々が人間であると主張するためには、常に善行を行わなければならない。悪行を行った瞬間に人間ではなくなる。身体が妖怪なだけに、なおさら善行を継続しなければ、人間の側も俺たちを仲間だとは認めまい。善行を続けることのみが、俺たちが人間性を主張するための唯一の道なのだ。

と、ベムはこんな事を考えていたのではなかろうか。そしてベムは続けて次のように思う。

しかしベラやベロは馬鹿だから、こんなことを話したって理解できまい。彼らに善行を継続させるには、「良い事をしていればいつか人間になれる」と言い聞かせるのがよかろう。まあベラは「あたしは悪い奴ってのが大っ嫌いでねえ」というのが口癖なぐらい、本能的に悪を憎む心を持っているから、道を外れることはなさそうだが、問題はベロだ。あいつは考えが幼いし、善を行って見返りがないと悩んでしまう。奴には特に「いつか人間になれる」というスローガンが必要だ。


という訳で、僕はあのアニメは、妖怪人間があえて人間らしく生きようとする困難を描いた、非常に深読みの出来るドラマだと思う(上に書いたベムの心の中は全部僕の想像だけど)。他にも、なぜ彼らは常に「人知れず」善行を行おうとするのか、といった突っ込みどころもある。

まあベムを素材に小学生にディスカッションしてもらうのも良さそうだけど、それが「道徳の授業」で行われると、とたんにつまらなくなる可能性もあるんだろうな……。

(c) 2009 ntr ,all rights reserved.
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