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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/04/26 (Fri) 20:16:06

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No.196
2010/01/21 (Thu) 23:03:47

子供のころは、計算機を使って他愛もない計算をしてよく楽しんだ。サンタクロースが、クリスマスの晩に世界中の子供たちにプレゼントを渡して回るには、いったいどれぐらいの速度で飛ばなければならないのか? その計算結果は忘れてしまったが、たしか恐るべき高速で、それだけでサンタクロースなどこの世に存在しないことが確認できたような気がした。

俳句というのは、十七字からなるが、果たしてどれだけの俳句がありうるのだろう? ということもよく考えた。あいうえおかきくけこ……と数えて、「うぅ」「てぇ」のような少し不自然な音まで数えると、きっと数え方は一通りではないと思うが、ひとまず日本語の音は全部で150個、と数え上げた。漢字の使い方などは無視して、この150個の音の配列でどれだけの俳句ができるかというと、

150の17乗=9852612533569335937500000000000000000

つまり約「9.85×10の36乗」個できることになる。これはどういう数字かというと、1年を365日として、世界の総人口60億人が、1秒に1つずつ俳句を作り続けるとしたとき、全ての俳句を作り尽くすのに「約5207京年」かかる計算になる。「1京」は1兆の1万倍である。5207京年がどういう年数かというと、地球の年齢が約45億年といわれているが、その100億倍以上である。つまり、俳句の総数というのは、60億人がそれぞれ1秒に1つずつ俳句を作り続けるとしても、全てを作り尽くすには、地球のこれまでの歴史の100億倍以上の年数かかってしまう、それほどの数である。だから、俳句はわれわれの感覚からすれば、無数にあるといってよい。だから俳人たちも安心して俳句を作り続けていられるのだろう……。

昔、何とかいうドイツ人が書いた古いSF小説で「万能図書館」というのを読んだ。登場人物が架空の「万能図書館」について語り合うのだが、どんな図書館かというと、そこにはありとあらゆる本がある。「ありとあらゆる本」というのはこれまで出版された全ての本というのではなくて、「過去現在未来において書かれうる全ての書物」という意味である。どうしてそんな図書館が可能かというと、まずその図書館に収められる本は、「1冊500ページで、1ページには何文字」というように規格が統一されている。さて、文字は有限個である。これはドイツの話だからまず大文字小文字のアルファベットがあって、他にもピリオド、コンマ、コロン、セミコロン、ダッシュ、空白などがある。先ほどの俳句と同じように、その有限個の文字の全ての組み合わせを数え上げると、この図書館で定められた規格での書物が幾種類ありうるかが計算できる。きっとそれは莫大な数字になるだろうが、とにかく有限個であることは間違いない。そして、その「考えられる全ての本」を収蔵しているのが「万能図書館」である。

そこには、最初から最後まで「AAAA....」とAだけが並んだような無意味な本もあるが、古今の名著もすべて収められていることになる。『カンタベリイ物語』、シェイクスピアの『ハムレット』、カントの『純粋理性批判』……と、何でもあるはずである(この図書館の規格の本に収まりきらない長さの内容なら、上下に分冊などすればよい)。そればかりか、ここには未来に書かれるであろう名著もすべて揃っているはずだ。なんと素晴らしい図書館ではないか……というところで登場人物の一人が気づくのだが、ではその図書館で「名著」を見つけ出すにはどうすればよいのか。そこにはもちろん『ハムレット』も収められているはずだが、『ハムレット』の1つの文章だけ違っていたり、1つのピリオドがコンマに変わっているだけというような本も収められているはずではないか。だから万能図書館で『ハムレット』を見つけ出せるのは、その全てを暗記している者に限られる。それに未来に書かれるであろう名著も収められているというが、ハムレットのときと同じように、その名著の一部が微妙に違っている書物も膨大にあるはずであり、その名著をそこで探し出せるということは、すなわち自分自身がその名著を書きうるということである。こんな無意味な図書館があろうか……と一人が嘆息するところでこの話は終わっている。

僕はこの話を読んで考えたのだが、立派な書物を書く人というのはもちろん偉い。しかし、埋もれて誰も見向きもしなくなった古い書物や、今は評価を受けていない書き手が書いたものについて、真価を見出す者も同じぐらいに偉いのではないだろうか。世界中には古今の書物があふれかえっており、それはますます増大しつつある。それは、ある意味「万能図書館」に近い。だからこの世界で、良い本を「良い」と気づくことができるというのも、大きな才能と言っていいのではないか。小さいころ小説家にあこがれ、大人になってそれが職業としてはほとんど全く金にならないものだと気づき、意欲がくじけてしまった僕だが、こんなふうに、埋もれた書物の価値に気づいて人に伝えるのも立派な事業である……そう思えば、すこし気も楽になってくるのである。



この文章をmixiで発表したとき何名かの方に指摘されたのですが、万能図書館は、実際には「万能」ではありません。
というのも、この図書館での本の規格が「一冊に収められる文字数はn個」となっていたとき、n個を超える文字数の内容の書物は、何巻にか分けて収められます。ところが、文字の種類が全部でm個だったとき、この図書館に収められている本は全部でm^n冊なので、図書館内の本に含まれる文字をすべてあわせると、n×m^n個。だから、n×m^n個を超える文字数の内容の書物の場合「何冊かに分けて収める」としても、この図書館ではどうしてもどれかの本を重複して読まなくてはならない。そしてどの本をどの順序で読めば「その書物」の内容になるのかという情報がなければ、「その書物」がこの図書館に存在するとは言いがたい。しかし「将来に書かれうる本」というと、(そこで使われる文字数に制限がない以上)無限にありえるから、「この図書館のどの本をどの順序で読めばその本の内容になるか」という情報も無限個あって、この無限の情報を図書館に収める術がない。だから「全ての書物を収めるのは不可能」ということになります。


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快文書作成ユニット(仮)
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 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

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