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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
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2024/04/19 (Fri) 17:28:01

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No.198
2010/01/22 (Fri) 03:50:00

タイトルのとおり馬鹿な話なので、半分冗談だと思って読んでください。

だいぶ前に大学の研究室で、先輩であるDさん、Kさんと無駄話に興じていたときの話。Kさんは六十をこえておられ、某有名テレビ局を定年退職して聴講生として大学に来られていた。Dさんは僕と年齢が近かった。そのとき、なぜテレビで「キチガイ」という言葉を使ってはならないのかという話題になった。

Dさん「そうですよね。テレビでは馬鹿とかアホという言葉は平気で使っているのに、キチガイはなぜ駄目なんでしょう」
Kさん「精神病が治りかけている人がキチガイという言葉を聞くと、治りかけた病がぶりかえしてしまうから駄目なのだと聞きました。事実はどうか知りませんけど、私はそのような説明を受けましたね」
ntr「では、馬鹿が治りかけている人はどうなるんですか」
Kさん「……ウーム」
Dさん「馬鹿は治らない、ということでいいんじゃないですか」

そのときはそれで話が終わったが、おそらく三人とも「自分は馬鹿ではない」と思っていて無邪気にそんなことを言っていたのだろう。でも今は「自分はかなりの馬鹿なのではないか」と時々真剣に悩むので、この「馬鹿は治らない」という言葉は僕の耳には不吉に響く(ここでいう馬鹿とは、数学などの勉強ができないという意味の馬鹿ではなく、日常生活に支障をきたすという意味での馬鹿である)。最近でこそ周りの人も僕のことを「馬鹿だけどそれなりにまともな人」と思ってくれているのか、さほど困ることもなくなってきてはいるが。

自虐的な話をしてもしょうがないから詳しい話は避けるが、「自分は馬鹿という名の病気ではないか」と思い、いろいろ調べてみたが「馬鹿を治します」という医師を見つけることはできなかった。現代医学では馬鹿は病気とは認められていないようだ。

別役実の『当世病気道楽』という本に、馬鹿の問題を詳しく考えている部分がある。この本はいろいろな病気について項目をもうけ、その病気をいかに楽しむかが書かれている。基本的には冗談で、どこまで本当かわからない書き方をしているが、鋭く世相を分析しているように思える箇所も多い。この本の中に「馬鹿」という項目がある。

「もちろん、馬鹿の中には、本来そうであるものと、症状としてそうであるものの二種類がある。そして、本来そうであるものは、言葉通り本来そうであるのだから、これはもうどうしようもない。問題なのは、本来はそうではないにもかかわらず、症状としてそうである馬鹿のことである。」
「人々は本来そうである馬鹿に対してよりも、症状としてそうである馬鹿の方に、つらく当たる。結果としては表に出された『馬鹿さ加減』は同じなのであるから、公平の観点からすればいささか問題はあるにせよ、人情としてはそうせざるを得ないところであろう。」
「ここで言っている馬鹿というのは、知能程度の低い人間のことではない。『本当に馬鹿だね、お前は』と言われる馬鹿のことであり、この『本当に』に、さほど力をこめずに言う場合の馬鹿が本来の馬鹿であり、『本当に』に、あらんかぎりの力をこめて言う場合の馬鹿が、症状としての馬鹿である。つまり、本来の馬鹿に対しては、既にあらためて馬鹿であることを発見したという感動がないのであり、症状としての馬鹿に対しては、何度もそう言ってきたにもかかわらず、やはりあらためて感動せざるを得ないところがあって、『本当に』に新たな思いをこめたくなるのである。」

この本の中では、本来そうである馬鹿と、症状としてそうである馬鹿のなんたるかを、明らかな仕方で記述してはいないが、なんとなくその区別はイメージできるのではなかろうか。僕はこの「症状としての馬鹿」にかなり共感できてしまうのである。ただ救いは、自分が最近なんとなく「本来そうである馬鹿」に推移してきたように感じられることである。

このように自分の馬鹿さ加減について深く考えてきたつもりなので、僕は他人の「馬鹿な行い」をとがめることはあっても、「お前は馬鹿だ」と言って責めることをしない人間になった。ひとの馬鹿さ加減をとやかく言える立場ではないし、他人の「馬鹿な行い」が気になるのであれば、その行いだけに注目して直してもらえば済む話なのだ。
(こういう態度は、人の上に立つ者にとっても大事なんじゃないかな……目下の人間に無際限に罵詈雑言を浴びせてよいと考えている人がいるが、それは僕には不合理な態度に思える。)

ちなみに、僕の心の奥底には「自分はひょっとしたら賢いのではないか」という思いもあるが、そう思うことこそ馬鹿なのかもしれない。人間は複雑だ……。


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 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

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