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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/03/29 (Fri) 22:12:00

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No.564
2012/04/08 (Sun) 18:10:00

 やっと、桜も見ごろのシーズンになった。
 昼間は暖かくても夜は一変して冷えるのがこの季節の特徴だ。

 聞く処によれば、今年の花見で救急搬送された数は昨年の8倍にも達するとか。震災後の自粛があったとはいえ、のど元過ぎればなんとかの典型だとも思う。

 恒例の日曜日のアメ横に出勤し「寒いからジャンパーを出してよ」などと、開店のシャッターを開けると同時に70歳くらいの婆チャンが杖をハンガーラックに引っ掛けて入ってくる。
 試着をするなり「重いだのきついだの高いだの」とのたまうので「あ、それならユニクロでも行けば?すぐ其処だから・・・・」というと、「田舎から出てきてる方向音痴だから分からない・・・」「そんじゃ、こんな処来なけりゃいいのに・・」「一度、上野の桜を観たいと思ってきたのに・・」こんなやり取りが続き、買い物の後に今度は杖を置いて行ってしまった。気持ちは分からなくはないのだけれど。

 前の職場に、花見の時期が近付くと始末しなければならない書類仕事が残っていても「野暮用、夜桜帰ります・・!」などとスッ恍けたことを勝手に挨拶して職場の顰蹙を買いながら帰宅する妙なオッサンが居た。寒い晩に灯に照らされる桜を見ても風流と言うか粋だ、綺麗だとは周囲の環境によるので、あながち桜の名所などは桜だか人の頭なのか観ていて分からなくなるので出かけはしない。

 以前小売業についていた頃、各売り場の同僚たちと店が終わってからブルーシートや発泡酒の箱や肴などを各人で分担して用意した酒宴が楽しい時もあったが・・・個人的には、独りで歩きながら普段の道で忘れたのを思い出させるようにひっそりと咲く桜が好きだ。
 昨日、ニュースを観ていたら隅田川の畔や水上バスの上からスカイツリーを入れて写真を撮る観光客が多数映し出されたが、確かに絵になるのだろうが絵葉書を取ってる訳でもないだろうにとも思う。

 職場への行き帰りに徒歩や自転車で通る大横川親水公園と言うのがある。昭和の時代に川だった処を埋め立てて釣り堀やらビオトープやらのゾーンを造り、親水公園として行政が整備したものだ。
 最近ではスカイツリーの開業に合わせて、さらに整備し近所の寺社や仏閣旧跡などを写真入りで細かく由来や在り処を地図で説明している。こういうのは、金のかからぬ散歩を趣味にする小生にとってはとてもありがたい。
 何気なくいつも通ってきた春慶寺は鬼平犯科帳にも登場するし、山岡鉄舟の屋敷跡が今は小学校になっていたりする。

 テニスコートの横を歩いていて野蒜を見つけ引き抜いたら綺麗に抜けたので撮ってみた。

             

 都心で採れることができるのは白い球根で、子供の指の先ほどもあればいい方だ。
 郊外へ行って、根元の太いのを掘り当てれば少し小ぶりなラッキョウくらいのを
採取できるけれど。

 いつも春先になるといくつか山菜にまつわる日記を書いてしまうのだが、今年も他聞のもれず、そうしてしまった。
 綺麗に引きぬくと子供の指先くらいの白い光沢のある球根がついていて、おもにこの球根の部分と白い茎のところを洗って髭のような根を切り味噌をつけて味わう。
 スーパーで売っているエシャレットも歯ごたえはいいが、天然の野蒜ほどの土の香りやコクは味わえない。まさに天からの享受だと思う。青い葉や茎は味噌汁や納豆に入れてもよし、鷹の爪とパスタに和えてもなかなか旨かった。

 最近、復興イベントと相まって、有楽町など都心の大きな駅の近辺で産直の野菜や山菜などを即売しているイベントがあって、蕗の薹やセリ、アサツキなども見かける。

             

 天ぷらやお浸しにしてと、常温の日本酒を江戸切子のショットに注いで春の宵を堪能してみたいとも思うが、ずぼらな家人の御蔭で些細で風流な贅沢も楽しめずにいる。
 昨年の今頃は、よく巣鴨へ出かけた折に八百屋の店先でよく旬の山菜を見かけたので求めた。その足で馴染みの小料理屋へ持って行き、「後で職場の仲間を連れてくるから出してやって欲しい、食べ方は任せるから」と頼んでおき、仲間を連れて行って春の味覚を楽しんだ。
 ある時など行者大蒜まで食わせて貰う機会を得たものだが、仕事も職場も変わってしまい、連れて行った同僚も今じゃ散り散りになってしまった。
 思い出せば、一昨年の春は富山に行く機会が多かったので、家に持ち帰る食材はホタルイカが多かった。沖漬や干物やらいろんな味わい方を楽しんだ。今年は異常低温のせいか獲れ高も少なく不漁が続いていると聞く。

 最近、特に思うことだが、コンビニやファストフードの御蔭で何処でも食えるものは何時でも食べられる、が、「地のもの」、「旬のもの」と言う食材はやはり身近な人が運んでくれたり自分で求めたり採ったりする行為、儀式、慣習が感じられた方がより旨い。
 採取、購買、運搬のストーリーや経路がくれた人、持ち帰った人の口から語られれば尚更だ。そこに名物とか特産という云われが存在するのだろう。昨今、耳にするこだわりというやつだ。

 最近、上野駅に復興の意味も兼ねて「地のもの」とかいう茨城、栃木あたりの名産を売るコーナーができて結構賑わっている。○×スイーツなどという洒落た紙と箱や包装の洋菓子ばかりが並ばずに、地酒や特産の食材が並ぶのはなんだかホッとする。甘いのは一瞬で、食べ終われば無駄な箱やごみが出るのはなんとなく切ない気がしてしまうのは自分だけだろうか?
 ECO= エコなる言葉の意味をもう一度考えてみたくなる。

 小学生の頃、桜の季節になる度、死んだ親父はよく庭や家屋の手入れを早めに済ませると一升瓶の清酒と湯呑を持って実家の傍の元荒川の土手へ出かけて行った。
 土手へ降りたあたりで野蒜を採り、公園の水道で泥を落として酒肴にしていた。
 その頃は野蒜など小学生の腹の足しには少し辛くて食えなかったが、大人になればこんな楽しい思いも出来るのだと子供心に思ったものだ。
 当時は缶ビールなんてそんなに旨いものではなかったと思う。アルコールと言えば日本酒か瓶ビールかたまにウイスキーぐらいだったろう。ペットボトルなんて存在すらしなかったし、カサカサ音のするコンビニの袋の恩恵にもあずかれなかった時代だ。多分、一升瓶と湯呑は割れないように新聞紙でくるんで、それこそ後生大事に風呂敷に巻いて持って行ったと思う、おぼろげな記憶だが。

 昨日、アメ横で相手をしたフランス人はキャノンのカメラに大きなレンズを付けていたので「何を撮ってきたんだい?」と訊いたら、プロのジャーナリストで浅草や上野の桜を朝から丹念に撮影して回ったと云っていた。店で流してるストーンズのベストを"GOOD MUSIC!Nice,The Rolling Stones!!"と褒めてくれた彼は、恐らく齢60近くだろう。
 連れのブロンドの彼女にパナマ帽のような帽子をプレゼントして貰って陽気に帰っていった。

 スカイツリーを構図に入れた写真を撮りに行く人が多いのだ、と今朝のニュースでやっていた。郵便局へ行けばスカイツリーの旅行記念切手、隅田川、浅草、上野・・・なんていうのを1シート=¥800で売りだすそうだ。

 北陸の金沢に住んだ頃、郊外へ車で通りがかった時に目にする山の中に、ポツンと1本だけ咲く桜を観るのが好きだった。
 犀川の川べりをはじめとして、兼六園や金沢城の側だけでなく、到る所に桜を目にすることができる。四季折々の風情や草木の香りもあの土地では随分感じていたような気がする。親父が生きていれば連れてきて昔のように・・・と何度思ったことかしれない。野蒜を教えてくれた父親に、採りたてのアサツキや蕗の薹を食わせることができなかったのは返す返すも残念だが仕方ない。

 桜は何処で観てもいつ見てもいくつで観ても、感概や追憶を抱きながら見れば熱いものもこみ上げるし切ないし儚い。数年前の大河ドラマの「葵 徳川三代」のオープニングで出てくる桜は、切ないながらも威風堂々として歳月の輪廻を語り継ぐドラマの内容にピッタリだった。なのに今年の「平清盛」は視聴率もワーストで無理やり、夫婦競演させて視聴率を稼ぐ・・・そんな馬鹿バカしい話もあるそうだ。今更、日本人の精神性など議論する気もないけど、図に乗り過ぎているいい例だろう。

 桜の咲いてもすぐに散ってしまうという処が日本人の精神性に大きく影響しているのはきっとそうだ。右翼でも国粋主義でもないが「同期の桜」などの歌詞を聴けば、潔く、散る、ことこそ本分とわきまえた諦めの良さにたどり着くのかもしれない。
 既に半世紀を生きてしまった今、これからどんな素晴らしい桜に出会える事か分からない。

 だが、風呂敷に包んだ一升瓶を提げて歩く父親の後ろ姿の向こうに見えた桜咲く土手の景色には出会うこともない。

             

 台東区の自宅の近所の寺には「台東区の百景」に選ばれた立派な枝垂れ桜がある。

 毎年、その桜が咲き散ってしまうといつの間にか夏になっている。
 枝ぶりは見事で花も綺麗だ。遅くまで呑んで、月明かりに照らされるその妖艶さと 云ったら喩えが見つからないほど悩ましい。
 だが、意外とここで写真を撮る人を見かけるのは珍しい。

 職場の近所の、どちらかと言えば街路樹に近い位の枝垂れ桜を、ムキになって写メを撮っている人を見かけるが、あの桜を見ればそんな気など起こらなくなるだろう。
 携帯やデジカメで「ここぞ」という時の1枚と言うのは、撮ったり、持ち歩いたり、手軽に送ったり、できるようになった。全く、便利な世の中である。

 だが取って置きの壱葉とか忘れ得ぬ景色と云うのは本来、心の中の残像として大事にしまわれるものだ。



 (c)2012 Ronnie Ⅱ , all rights reserved.




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快文書作成ユニット(仮)
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 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

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