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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/05/19 (Sun) 01:43:16

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No.529
2011/12/30 (Fri) 00:32:10

 円盤の出口からのびるタラップを降りてきたのは、マスオだった。正確には「マスオのようなもの」と呼ぶべきかも知れない。なにしろ顔はマスオなのだが、白い手足が八本あり、その手足で這って歩く動物だったから。
「あ、あなた、いったい誰?」サザエが恐怖におののきながら尋ねた。
「マスオのようなもの」は青白い顔で、無表情に首をかしげている。
「パパぁ~」タラちゃんは無邪気に「そのもの」に近づこうとしたが、サザエが制止した。
「タラちゃん戻ってらっしゃい! これはパパじゃないのよ!」
 その八本足の生き物は、長細い前肢を使って胸に装着されている機器をいじりだした。
「バ、ブブブ、ケケラケラケラ。スパスパスパ、トトトーン。ワレ、ワレワレハ、十光年ノ彼方カラヤッて来タ、ハラハラ星人デあル。君たちハ、この星ノ、原住民なのカ?」
「そ、そうよ。そのハラハラ星人が、地球にいったい何のご用?」サザエが持ち前の負けん気の強さを取り戻して言った。
「新タナ居住地を探シに来タのダ。そレニシてもコノ星ノ空気はウマイ」そう言うとマスオの顔をしたハラハラ星人は、胸いっぱいに空気を吸い込み、満足そうに深呼吸した。
「嘘おっしゃい…地球の大気は放射能で汚れてるのよ」
「その放射能ガ、ワレワレにとってはマタトない好物ナノダ」
「ドウシタンダ、ジェームズ」円盤の奥から、もう一匹のハラハラ星人が出てきた。これもマスオの顔をした八本足だ。
「パパが二人いるです」タラちゃんが言った。
「オウ、かわイイ子供ダ。われわれハラハラ星人の幼生にヨク似ている。タラちゃんトカいったネ、こっちへオイデ」
 ジェームズと呼ばれたハラハラ星人は、四本の前肢を使ってタラちゃんを抱き上げた。
「きゃーっ、タラちゃんに触らないでちょうだい!」サザエが叫んだが、ジェームズはそれを無視して、
「タラちゃんの体はドウモ不完全のようダ。透視してミよう……ヤハリ肺がこの星に適応シテイナイ。手術してアゲヨウ」
 すると宇宙船内から金属製の箱がふわふわと浮いてひとりでにジェームズのもとにやって来た。その箱を開けると、きらきら輝く金色のナイフや錐(きり)のようなものがたくさん入っている。ジェームズは無造作にタラちゃんの胸にナイフを突きたて、切り始めた。
「なんてことするの!」サザエが止めに入ったが、ジェームズは別な腕で持った銃のようなものでサザエの動きを止めた。麻痺光線らしい。サザエは微動だに出来なくなった。
 タラちゃんの胸から肺が取り出され、ハラハラ星人の用意した緑色の新しい肺が埋め込まれた。そしてタラちゃんのわき腹に次々と穴が開けられ、新たに四本の手足が取り付けられた。ジェームズがスプレーのようなもので何か手術創に吹きかけると、すぐに血は止まって、なんの困難もなく手術は終わってしまった。
「ホウラ、コレデちょっトは人間らしくナッタ」ジェームズが満足げに言うと、八本足になったタラちゃんは
「ママ、僕どうなったですか?」と戸惑って尋ねた。
 サザエは麻痺から開放されたが、うううと泣き崩れた。
「姉さーん、タラちゃーん!」後ろから声が聞こえてきた。カツオの声だ。
「カツオ!?」サザエが振り向くと、そこにはカツオがいた。それは八本足のカツオだった。うきえもいるが、こちらは人間の姿をしている。
「ふふふ、カツオ君も手術させていただいたわ。サザエさん」
「ど、どうしてうきえさんがそんな真似を?」仰天したサザエが言った。
「私たちの地下施設は、表向きは核シェルターだけど、本当はハラハラ星人の基地なの。ハラハラ星人は地球人を手術して、この汚染された地表に適応させようという善意を施しているの。素晴らしいことだわ」
「何が素晴らしいもんですか……」
 すると泣き崩れたサザエのもとに、カツオが八本足でシャカシャカと近づいてきた。
「素晴らしいじゃないか、姉さん。姉さんもこの姿になってごらんよ、放射能が美味く感じられんだよ」
「あっち行って! あたしには八本足の兄弟なんていません!」
「姉さん、なに怒ってんのかしら」と、こちらも八本足のワカメ。
「サーザエー。サーザエー」遠くから、しわがれた男の声が聞こえてきた。
「その声は、お父さん!?」
 そう、落とし戸から顔をのぞかせたのは波平だった。しかしだんだん姿を現すにつれ、首から下は灰色のパイプのようなものが長く伸びていて、五体満足ではないことが分かった。波平の首を持っていたのは、花沢だった。黒縁の眼鏡をかけた白衣の花沢は、冷たい目をして言った。
「こんにちは、磯野さん。波平さんをお連れしました」
「で、でも、お父さん首だけじゃないの」
「私は医者なんですよ、磯野さん。私たちは放射能を摂取しても体内で無害化できる人工臓器の研究をしてまいりました。その栄えある実験台の第一号が波平さんです」
 そう言うと、頬のやせこけた青白い波平の首をぐいと突き出した。
「この人工臓器は今のところ五百平米の場所をとる大きなもので、地下に設置されています。でもご覧のように首だけは自由に移動できるんですよ。波平さん、波平さん。ご家族に会えて良かったですね」
 しかし波平は感情の回路が切れてでもいるかのように、うつろな目をして無表情に
「サーザエー、サーザエー」
と言うのみだった。
 そこへフネが現れた。
「サザエ。気をしっかり持ちなさい。とはいっても、私もこの世界で生きていくのはもう無理そうだけど」
 サザエが涙ににじんだ目をフネに向けると、フネは銀色に輝く拳銃を差し出した。
「私はまだ思い切りがつかないのだけど、サザエ、こんな世の中とはお別れしましょ。これで頭を撃ちぬくのよ」
 サザエは力なく拳銃を受け取ると、涙を拭きながら安全装置を外した。そしてのろのろと銃口をこめかみに持っていく……かに思えたが、銃口は花沢に向けられた。
「な、何するんですか、サザエさ」銃声が鳴り響き、花沢は眉間を撃ちぬかれてこときれた。
 サザエは涙をぬぐって、ハラハラ星人たちの頭も次々と撃ち抜いていった。
「姉さん、馬鹿な真似はよすんだ」
 しかし止めに入ったカツオも頭を撃たれてばったと倒れた。
「みんなみんな、死んじまえ……」
 弾をすべて撃ち尽くしたときには、地球人、ハラハラ星人のしかばねが辺りに散乱して風に吹かれ、もうサザエの邪魔をするものはいなかった。
「これからどうするの、サザエ」フネが力なく言った。
「決まってるわ、ハラハラ星に復讐に行くのよ」
 放射能の風が吹き荒れる大地を、サザエは雄雄しく踏みしめ、真っ赤な夕陽に照らされてその影を長くのばしていた。

(完)

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No.528
2011/12/26 (Mon) 12:28:12

 前の日記でLET IT BEが登場したので、ジョンと言えば確かにジョン・レノンかもしれないが今回は違う。

 古き名匠、ジョン・スタージェスとジョン・フランケンハイマーの名作を2遍。


 昨日はある都心の学校の現場に仕事で赴いた。
 打ち合わせ後の検査で各階を回るうちに、校内スピーカーからテストなのか鳴り響いたのは「荒野の7人」のテーマ。
 思わず、聴き入ってしまったのだが・・・。

 帰り道のJR線の車内で得た、ある結論。

 そうか・・・今の世には西部劇なんかないんだなと。

 ジョン・スタージェス監督のこの作品はマックイーンやブロンソンをスターダムに
押し上げただけでなく、週に何度かある民放各局の定番とも言うべき金字塔だ。
 黒澤の「七人の侍」をベースにした脚本は当時25ドルとか。
 だが、ユル・ブリンナーもコバーンもロバート・ヴォーンも誰もが個性的で逞しいし、哲学を持っている。

 劇中のセリフで、マックイーン扮するヴィンが「後悔なんかしないさ、そんときはそれでいいと思ってるのさ・・」という内海賢二氏の吹き替えは未だに耳から離れない。

             

 野盗の群れから平和な村を奪回した後には何人かの仲間は息絶えていた。
 だが「勝ったのは農民だ、土地を持って耕すあいつらのほうが偉いのさ」とばかりに、自らの渡世をはにかんで悟ったようにブリンナー扮するクリスと去っていく。

 そういえば「荒野の・・・」というのはこの時代に流行った言葉だ。
 映画にまつわるだけでも用心棒、1ドル金貨などたくさんある。
 少年ジャンプには「巨人の星」を書いた川崎のぼるが「荒野の少年イサム」なんて連載していた。

 粋な校内放送、マイクのテストかスピーカーのチェックか知らないけれど。
 洋画番組で断片を観始めた頃、すなわち小学校5、6年か中1あたりの給食の時間を思い出した。ホテルの厨房と言ったら言い過ぎだろうが、今のそんな給食室とは比較にならないくらい昔の給食なんて劣悪な環境で造られていた。

 焼きそばの中にキャベツの芯が入っていたり、食パンの角はいつも濡れていたり、口の中に入れても自我中毒で戻しそうになったことも何度かある。
 嫌嫌で飲みこんでから聞こえるのは、時に勇ましい西部劇のサントラ・・・それが
昼休みに流す学校放送だった。その代表格が「荒野の七人」であることは間違いない。都心のモデル校にもなるようなホテル並の厨房施設を備えた学校では、よもやキャベツの芯を・・・なんていうことはまずないだろうが。

             
             

 タイトルを知ってはいたが、きちんと見たのは確か21,2の頃の深夜の正月映画の特番だった。

 「グランプリ」当時は年代を問わず、走るフォーミュラ・1の映像なんて目にする機会はほとんどなかった。NHKの海外ダイジェスト報道とか、オイルやパーツメーカーのコマーシャルでしか見れなかった。

 60年代のホンダの世界進出を三船敏郎やジェームズ・ガーナー、イヴ・モンタンらを使い、当時のレースと世情やロマンを分割画面などを駆使して、今でも見応えたっぷりに仕上げているのは、とても40年以上も前の映画とは思えない。監督のジョン・スタージェスと言う人は、どのアングルでどのように撮れば迫力や怖さやスピードが観衆に伝わるかを知っているからだ。

 冒頭の、マフラーがアップになって排気と陽炎が立ち上る中、スターターが各ドライバーにアピールする5,4,3,2,1・・・の手と指の躍動、心臓がせり出しそうになる緊張と興奮は、ドライバーたちがグラブをはめるという単純な仕草からもう始まっている・・・なんという男らしい世界。レンチやプラグが生き物のような錯覚さえ覚える。。

 モナコの市街地コースで、前車のオイルや粉塵を浴びゴーグル以外は顔をすすで真っ黒にして走り抜ける男たち。劇中にはリアルな描写の男女の色恋も当然あるのだが、過剰過ぎて映画の本質を壊すなんて言うことはしていない。
 あくまでもリアリティに訴えかける。
 驚かされるのは、フィル・ヒル、ブルース・マクラーレン、グラハム・ヒルなどの本人たちが参加していることだ。だから劇中のサーティースやスチュワートに一層のリアリティが生じている。まさに、才人たちだ。

             

             

 中でも、「そろそろ落ち目」と言われてる下馬評を弾き返そうと、必死にジェームズ・ガーナーのホンダを追いかけるイヴ・モンタンのフェラーリの姿は泣けてしまう。
 伝説となったモンツァのバンクで疾走中に、前車の落したマフラーを避けようと
ステアリングを切りそこなった彼のフェラーリは真っ逆さまに転落、炎上してしまう。
 当時のF1は死亡率5割ともいう危険なモータースポーツだった。

             

             

 マックイーンの「栄光のルマン」などもそうだが、この時代に嘘っぽくない、安っぽくないレース映画を本気で撮ろうとしたからこそ、今見ても素晴らしい画像が残っている。
 たまたま、近所のヨドバシに出かけたら、そんな「グランプリ」のブルーレイが廉価で棚に置いてあった。すかさず・・とも思ったが、後でもう一度出かけて他にも探し物をして求めようと思った。

 いまどきのスリーディなんぞには興味も関心もない。
 映画は自分にとって奇をてらった見世物でも、小手先のインチキ芸でもなく、生身の人間が演じる様々な人間模様・・・いわば、人の人生を垣間見る疑似体験でもあるのだ。

 それにしても、昔の年末年始の深夜は改めて思いだすと、初詣前にいろんな楽しみがあったことをまざまざと照らし出す。
 
 ピートもヴィンもクリスもいない。

 下らぬ御笑い一辺倒やバラエティの総集編などもう少し絞って、あの時代の名画を・・・と思うのは自分ばかりかと。

 マシンも時代も違うからそこはそれなのか?
 歌は世につれ、世は歌につれてとは言うけれど。


 偶然ネットで見つけた伝説のモンツァのバンクの最近の画像だ。

             

             

 忘れ去られ哀愁を帯びて朽ちるモノに、最近、言葉にたとえられぬ愛着を感じる。



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 ☆ 索引 〜 昭和の憧憬  へ戻る
No.520
2011/12/19 (Mon) 18:59:29

 先週、年の瀬の週末に、離れ離れに暮らす弟、妹たちと20年以上も前に亡くなった父親の墓参りに行った。
 埼玉の郊外だが、空はやはり抜けるような蒼い空だった。
 
 手分けをして、水を汲み墓石を垢をこすり線香に火を灯す。
 一連の作業を兄弟で行うのはもう、何年振りか?と思いつつ、伸びた植木の剪定を行いながら弟、妹たちが幼かった時代を脳裏に描く。

 公園墓地のため、各所に噴水や彫刻があり、行きは噴水、帰りには彫刻の前で妹が持ってきたデジカメ記念撮影。彫刻のタイトルは「不惑」とあった。帰りのバスで死んだ親父の思い出話をしながら互いの近況と暮らす土地の習慣の違い、風土の様子を語りながらJRの駅まで乗った。
 親父の墓参をする時は墓前に焼酎かあるいは日本酒を備え、参った後に皆が飲み回し、大概妹が最後に飲み干す。

 勢いを駆って、駅の裏側にある昭和の頃からあるような暖簾の居酒屋に入る。
 弟が最近、再発見したというその店は、かつて幼き頃親父に連れてこられて来た記憶があったそうな。
 ハムカツ、厚揚げそしてきんぴら・・・瓶ビール2本頼んで席に着く。
 出てきたきんぴらを観て、その太さが前述(影丸ときんぴらと浅草の項)のあの牛蒡の太さに良く似ていることに驚く。鉛筆大のその太さで切られたそのきんぴらは、親父の造ってくれたそれよりも辛くはなかったが旨かった。

 幼かった弟たちを幼稚園まで送り迎えをしたこと、天気の良い日は50ccのバイクの後ろに乗せて連れていったこと・・・、深夜まで働いていた母親は当時からいつも機嫌が悪く、何かにつけて悪態をついていたとか。
 齢、80になろうかという母親は「この夏は越せそうもない・・」と人騒がせなことを云いながら数十年も生きている。
 人生とは皮肉の連続で、兄弟皆から好かれた父親が亡くなって20年以上の時が経つ。 憎まれっ子、世になんとかとはまさにそのことだ。

 仕事があるからと弟は先に出て、妹と更にコップを交わす。上機嫌もいいところだ。小腹が空いて二人で駅の立ち食いでかき揚げ蕎麦をすする。
 妹は数日の滞在で、クリスマスには家族が待つLAに帰らなければならない。

 酔った勢いもあり、握手と抱擁に力が入りやや涙線も緩む。
 「そんじゃ、達者で暮らせよ、あいつにもな」

 あいつとは、昨年の夏に初めて来日した甥っ子のことだ。
 こういうとき、人生は素敵だが残酷だ。

 あと、何度こういう場面を迎えるのだろう?分かれて逢えなくしまった人々の顔が心の何処かに去来する。別にこれで妹と生き別れになる訳じゃない。
 最近になって思うのだが、人生は変化の連続だ。いや、変化こそ人生最大の意味なのかもしれない・・・。希望と失望の連続、繰り返しだ。だが、変わって欲しくないモノや相手もあるし、自分の気持ちもある。
 数年後にまた再開が叶ったとき、幼き妹、弟たちの姿を脳裏に描きながら、またきんぴらをつまみに一杯飲れるだろうか?とも思う。

 東京の紅葉は12月が相応しい。
 世間に名所と言われている山々は数あれど、それはその楽しみだ。普段、何げなく通勤や仕事で通る歩道や庭先、公園の片隅に東京ではなかなか興味深い紅葉を観ることができる。
 この時期の銀杏など特にそうだ。

              

 午前の陽光を浴びて、黄色くというより白っぽくさえ見える銀杏の葉を歩道で観たかと思うと、午後の3時近くの都心の谷間で残照に映える銀杏は黄金色でさえ見えてしまう。
 画像は、たまたま通りかかった、麹町から赤坂へ抜ける途中の大久保公哀悼碑の傍らで撮った。付近には大きく太い木の中に、また大きな石の哀悼碑が建っている。見上げれば、ニューオータニだ。
 こんな場所が此処にあるなんて知らなかったし、大久保利通がこの場所で暗殺されたなんて知らなかった。黄金色の葉はハラハラと光の中を舞い泳ぎ、いくつもいくつも優雅に残照を浴びて地面に堕ち、優雅な黄色い絨緞を人々の目に焼き付け、やがて土に還っていく。

 今週は暮れの浅草や浅草橋、問屋街を何度か歩く機会に恵まれた。つくばエクスプレスが通り、スカイツリー需要で整備された国際通りには古くからのレコード屋もある。
 何気にウインドを覗くと色の褪せたBeatles のLet It beのポスターが貼ってあり、数年前に出たアンソロジーかBBCライヴの宣伝ポスターなのだろう「伝説の余白を埋める最新盤登場!」などと、ビートルズの若い頃の写真のポスターが貼ってある。

 浅草から江戸通りを日本橋方向に進んでいくと、蔵前から浅草橋界隈の玩具問屋の多いあたりに出る。そもそもこの辺りは、江戸城と浅草の区間に配した業種ごとの問屋が多く軒を連ねていた。簪や小間物、和装雑貨のような物を扱う問屋が、今の横山町、馬喰町あたりに多く玩具や革小物などが多かったのが蔵前から浅草寄りで浅草橋は季節飾りの店などが多かった。

 昔、アパレルの現金問屋で働いていた頃は、クリスマスが終わると仕事納めの支度をし、正月飾りを買いに行くのが年の瀬の行事だった。
 大掃除だの粗大ごみの詰め込みだの蛍光灯拭きなどが終わってから、壱萬円くらいの予算を預かってしめ縄や凧や門松を買いに行ってウインドに飾り、来る年も今年よりもより多くの客や売上、利益をもたらしてくれるようにと願い、納会をし、年を越す。帰りは薬研掘の縁日で自宅への土産を物色し、帰宅する。
 そんなのどか過ぎる年の瀬を20代前半の頃は毎年送っていた。

 数年ぶりに、かつて働いていた現金問屋街を通ってみる。
 大型店舗規制法の見直しによって、地方に大きなSCが莫大な駐車スペースを伴って随所に建てられるようになって以来、この街の在り様も変貌した。
 かつて戦前からあったような、長屋のような問屋の一角・・・クリスマスや正月飾りは此処でしたものだったが・・・そんな面影はなくマンションになっている。

 地方から仕入れに出てきた商店街のショップの経営者は、現金取引を前提に売れ筋、流行りのアイテムを仕入れていく。段ボール数ケースになる場合もあれば、茶色い紙の包装紙でバッグ一つ分のような場合もあるが、お届けと言って荷物の集積所、お気に入りの問屋を皆作っていて「●×に持っていって」とか「なんとか商事に届けておいて」などと言われ、大福帳みたいな帳面と包みを持って「●△ですが新潟の◎△堂さんのお荷物お届けにあがりました」などと言って荷物を差し出して、大福帳にサインをしてもらう。これを「お届け」云った。

 帰りは立ち食いそばでおやつにするか、立ち読みでサボった思い出がある。
 そんな届け物をした問屋たちは皆、ファミレスやファストフードかコンビニになっている。20年も前はこんなに食べ物やもなかったのに・・・と思いながら自分が居た問屋の店先を訪ねた。
 数年ぶりに見る顔、中には数十年ぶりに顔を観る奴もいる。「お、暫くだな。聞いた声がすると思ったら・・・」などと声をかけられ「そっちこそ、すっかり爺いだな。元気そうだな」と返すと「いや、そうでもない。先月脳腫瘍で手術したばかりだ、大変だったんだぜ・・」「ふうん、悪い脳みそと一緒に悪い根性も摘出して貰えりゃもっと良かったのにな!」「相変わらず、口が悪いな」などと持ち前の毒舌の応酬を披露し、かつて数軒あった営業拠点も今はそこ1か所だけになり人員も減り大幅に縮小されてしまった。

 「あの頃と今じゃ、この仕事に就いてる歓びも感動も違う、データや在庫の事ばかり気にして『頑張ろう!日本!!』などと紙に書いて貼ったところで景気が良くなる訳じゃない。画面やデータや管理されることにしか存在意義を持たないからやっていても面白くはないだろう?」などと無情な問いかけをしたら、かつての後輩は「為になります・・」と言いながら口をつぐんでしまった。ひとしきり、昔話をして「また来るから・・」と外に出た。

 伝説の余白はビートルズならCDで埋まるのかも知らないが、残照の記憶の隙間は誰も埋めてくれない。

 実家にはコロンビアの真空管式の大きな家具調ステレオがあった。
 幼き頃は「コーヒー・ルンバ」だの「ワシントン広場の夜はふけて」などを聞かされたが、中学に入りビートルズ観賞の必需品ともなった。
 やがて、妹のピアノを置くスペースがないとの理由から捨てられてしまった。

 今では、ガムくらいのMP3で好きな音楽もビートルズも聴けるが、昔はLPのジャケットからスリーブ袋ごと出して、親指と中指を巧みに使ってターンテーブルに載せる・・・音楽一つ聴くにしても儀式めいたプロセスが必要だった。
 
 黒地に4つの顔写真が配されたLET IT BEでも聴いてみよう。

             

 記憶を埋めきることはできずとも、回顧の糧とはなるだろうから・・・・。



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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

 ♘ ED-209ブログ引っ越しました。

 ☠ 杏仁ブルマ
セカイノハテから覗くモノ 



 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









 ※ 基本的に当ページはリンクフリーです。然し乍ら見易さ追求の為、相互には承っておりません。悪しからず御了承下さい。※







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