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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/03/19 (Tue) 17:19:21

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No.18
2009/10/15 (Thu) 22:18:40

 深海に眠る難破船から引き上げられたその大きな箱は、いかにも宝箱らしく見えた。頑丈な造り、鉄の縁取り、いかにも宝箱だ。錠が打ち壊され、重いふたを開けると……そこには何もなかった。空の箱だったのである。財宝探しに来ていた五人は、がっかりした。しかし箱そのものは立派なものだったので、国に持って帰ることにした。その後も彼らは深海調査を続けたが、何も得るところはなかった。
「絶対だと思ったんだがなあ」
「まあ、こういうこともあるさ」
 空の箱のほかは手ぶらで帰ることになったのだから、内輪もめが起きても不思議はなかったが、そのときの彼らは妙にさっぱりとした気持ちで諦めをつけた。そして、五人は国に帰った。

 財宝探しに行っていたひとりであるヒロシは、妻の待つ我が家に帰ってきた。
「あなた、結果はどうだった?」
「何もなしだ……空の箱がひとつだけ。まあそういうこともあるさ」
「そういうこともあるって、何呑気なこと言ってんの? この計画には、半年もかけたんじゃないの。どうしてそう平気でいられるの?」
「いや、残念といえば確かに残念なんだが、なにかこう、怒る気持ちがわいてこないんだ」
「これからどうするつもり?」
 妻は喧嘩腰だったが、夫はあいかわらずのんびりとしていた。
「ん……また計画を立てて、財宝は探しに行くよ」
「そういうと思った。ねえ、何年こんなことを続ける気なの」
 妻は鋭い目つきで夫を問い詰める勢いだったが、おかしなことに急に柔和な顔つきに変わった。
「しかたないわね。あなたが続けたいなら、わたしも応援するわ」
 夫のヒロシは、妻の態度の急変に驚きもせずに言った。
「ありがとう。助かるよ」
 夫婦の間には、新婚当初のような、柔らかな優しい雰囲気が戻ってきていた。
 財宝探しに行ったほかの四人の家でも、それぞれ同じようなことが起きていた。すなわち、はじめは手ぶらで帰ってきたことを家族からなじられ、ふとした瞬間から家族の態度は手のひらを返したように柔らかになり、ゆるしてもらえるのだった。

 ヒロシの隣り近所では、ちょっと不思議なことが起きていた。争いの絶えない夫婦、不良少女を抱えた家庭など、少なくとも二つの家から、ひっきりなしにののしり声や、物を投げて壊す音などが聞こえてきたものだったが、ヒロシが帰ってきてから二、三日のうちに、そうした騒々しい音がぱったりとやんだのである。そういえば彼の隣り近所の人たちは、いつのまにか、のんきな、のどかな春を楽しむような雰囲気にひとり残らずひたるようになっていたのである。

 また、ヒロシの住む町は、もともと、荒れた町だった。少年による暴力事件や、暴力団の抗争などが耐えなかった。しかし、彼が帰ってから一週間もすると、どの少年も大人しくなって学校は静かになり、暴力団もすっかりなりをひそめるようになった。

 ヒロシのほかの四人が住む町でも、多かれ少なかれ同じようなことが起きていた。みんな、争いごとをやめてしまったのである。
 例の、空の箱を持ち帰ったリーダーのタツミの町では、とりわけその現象が顕著だった。なんと、犬や猫までも喧嘩をやめてしまったのである。
 しかも、この現象は五人の町から周囲にしだいに広がりを見せ始めていた。町から市へ、市から県へと、争いのない地域は広がっていった。

 最近まで全国のニュースでは「荒れた十代」と称して、毎日のように少年犯罪を報じていたが、それもぱったりとやんでしまった。
 みんな、夢うつつのような表情をして、争いのない幸せをかみ締めていた。和をもって尊しとなす、というが、人々はつとめて人間関係に角が立つことのないようにしていた。争いや険悪な雰囲気をもたらしやすい、いわゆる「気の荒い」人がいるものだが、そういう人物も、すっかり大人しくなった。
 犯罪がめっきり減ったから警察はすっかり暇になった。みんな、この減少を少し変だと思っていたが、おおむね喜ばしいことと受け止めていた。

 外国でも、今まで紛争の絶えなかった地域が、ぱったりと戦争をやめてしまった。ここにいたって人々は、何か異常なことが起こっている、あまりに争いがなさすぎる、と不思議がるようになった。科学者たちが、調査に乗り出した。
 まもなく、微生物の研究者たちが、今までにない細菌を発見した。実験動物を使って、この細菌が動物から好戦的気分を奪うことが明らかにされた。この細菌は、俗に「幸福菌」と呼ばれるようになった。

 タツミは、はっと思いついて、財宝探しから持ち帰った空の箱を、それを見つけたいきさつをしたためた手紙を添えて、微生物研究所に送った。その箱の中からは、異常に多くの「幸福菌」が検出された。その箱が、世界から争いごとをなくした原因ではないか、と推測された。人々はそれを「宝の箱」と呼ぶようになった。
 人々は毎日を、幸福感に目を輝かせて過ごした。

 そんなある日の夜のことである。
「あなた。わたし、幸せな気分でいっぱい」
 ヒロシの妻が言った。
「俺もだよ、ヨウコ」
 彼は妻の肩を抱き寄せた。
 秋の夜長である。外では涼しげな虫の声がしていた。
「おい、潮の香りがしないか」
「ほんと。いい匂い」
 二人は、その町が海から遠く、滅多なことでは潮の香りなどしてこないことなど、気にしなかった。
「俺、海に行きたくなってきた」
「わたしも今、それを言おうと思ってたの」
 二人は、ベランダに出た。大勢の人が、外に出ていた。みな、一定の方向に歩いている。
「みんな、海に行くんじゃないかしら」
「俺たちも行こう」
 ヒロシとヨウコは、急いで支度して出て行った。そして、人々の行進に加わった。
 人々の列は延々と続き、海まで達していた。先頭の人々は、波の打ち寄せる海岸に来ても立ち止まることなく、海に入っていった。どんどん歩いていき、やがてその人々は海に飲み込まれていった。
 後から来る人々も、次々と海に入っていった。幸せに目を輝かせながら……。それはまるで、黄泉の世界に、より大きな幸福が待っているとでも思っているかのようだった。
 月を見ると頭がおかしくなる、と古人の言ったように、あたかもその夜は満月だった。
 世界中で、人々の海への行進が行われていた。レミングの行進のように、何の疑いもなく、次々と海に飛び込んでいった。
 それが「幸福菌」のもたらす最後の症状だったのだ。

 その数日間で、世界のすべての人々が、海に飲み込まれていった。地球は人間がいなくなって、しんと静かになった。あとに残されたのは、永遠の沈黙に包まれた、この上もない平和な世界。喧騒のなくなった無人の街、人間に汚されることのなくなった静かな大地の上を、ただ風が吹きわたっていった。

(終)

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 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

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