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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/04/20 (Sat) 19:21:58

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No.679
2014/09/19 (Fri) 03:11:37

働きすぎがたたって抑鬱状態になり、会社を休んで静養しだしてから一週間ほどたったころ、文雄の実家に姉とその二人の子供が遊びに来た。年に一回、夏休みを利用して遠方から来るこの三人を、文雄は歓迎し、彼らが楽しくこの地で過ごせるよう骨を折らなければならない立場にあった。このことは、文雄の両親はさほどうるさく言わなかったが、彼のもう一人の姉が彼の言動を厳しく監視した。そもそも個人主義的傾向の強い文雄は、夏に押しかけてくる次姉と甥たちを昔からうるさがった。彼らが遊びに行くところには付き合わねばならなかったし、幼い子供たちは子供らしくわがままにふるまい、文雄は大人としてそのわがままを通してやらなければならなかったから。だから以前の彼は次姉たちを露骨に迷惑そうな顔で出迎えたこともあった。それを長姉は厳しく叱った。お前には家族に対する愛情がないのかと。文雄は長姉を怒らせないために、次姉たちを快く歓待する術(すべ)を、いや実はそのふりをすることを身につけなければならなかった。
 大学を卒業して就職するころになると、彼は次姉たちに迷惑なそぶりを見せることはあまりなくなった。しかし気まぐれな甥たちが急にどこそこに遊びに行きたいなどと言いだしたりしたおりに、虚を突かれて彼らに付き合って出てくれと頼まれると、文雄の仮面が一瞬はがれ、不快なそぶりを隠せないことがあった。長姉は決してそれを見逃さず、やはり彼を厳しく叱責した。長姉に言わせれば、いくらふだん親切な顔をしていても、彼の本性は醜い個人主義の塊(かたまり)であり、けっきょく文雄は人間のくずということになるのである。
 
 だから雨が降ってきて、傘を持って次姉たちを駅まで迎えに行くよう長姉に言われたとき、彼は慎重に快く引き受けるふりをし、また自分がそれを面倒がっている気持ちが表情に出てはいなかったかと後から気をもんだ。
 車は持っていないから、歩いて十五分の駅まで、強い雨のなか歩いて行った。
 しかし駅につくと次姉から携帯電話で連絡があり、予定より三十分ほど遅れると言ってきた。しかたなく文雄は、ステンレスの大きな柱にもたれて、ぼんやりと改札を出入りする人々を眺めた。家族を遊びに連れて行って帰ってきたところらしい中年の男を見ると「家族サービス」という言葉がひとりでに頭に浮かんできた。独身の文雄は、この種の男を見るといつも何か納得のできないものを感じた。それは違和感と言っても良かった。ふだんは朝から晩まで働き、休日は家族サービスに励むこうした男の生活には、自分の楽しみというものがあるのだろうか? きっと趣味に没頭したり自らの好奇心を満足させるような時間も、金もないに違いない。文雄は就職して学生時代と比べると自分の時間はずいぶんと減ったが、それでも暇さえあれば読書したり音楽を聴いて気持ちの充実をはかるのに余念がなかった。学生時代はもっと熱心に本を読み、専攻分野であった数学の研究に励んだ。しかしそれが文雄の心を豊かにする一方で、他人のために時間を割いて親切を施すことを我知らず避けてしまうという、個人主義的な心の傾向を生むことになった。

 研究者になりたかったが経済的な理由でしぶしぶ就職した文雄は、まだ仕事の楽しみを知らなかったし、また我が子に対して自ずから湧き出る愛情などというものにも無縁だったから、駅を行き来する家族連れの男の心情をとらえきることは不可能だった。自らの好まない境遇に自分の一生をささげきってしまう哀れな男としか映らなかった。しかしこの夏の期間、次姉らのために好まざる事柄に時間を割かねばならない今の我が身を、そうした男に重ね合わせてもみた。すると、他人のために時間を割き苦労を厭わない人間であれとつねづね語る長姉の言葉が文雄の心にずしんと響いた。長姉によれば、それができる人間が幸せに過ごしていけるのであり、それができていない文雄は「まるでみんながパラシュートを背負って飛行機から飛び降りているのに、一人だけ何もつけないで落ちていく人間のよう」なのだという。
 そんなことをつらつらと思い出したり考えていた文雄がふと時計を見ると、次姉から電話があってからすでに二十五分が経過していた。そろそろだなと思い改札の向こうに目を凝らしていると、また携帯電話が鳴った。次姉からだった。
「ごめん、電車が人身事故で止まっていて、あとどれぐらいでそっちにつけるか分からないの」
「人身事故ったって三十分もあれば片付くだろう。やっぱりここで待ってるよ」
 そういう事情なら、次姉たちを連れずにいったん帰宅しても長姉は何も言わないだろうが、文雄はここで次姉に対して余計に親切に接して、長姉に対して得点を稼いでおきたいという思いがあった。

 もちろん文雄もいい年をした大人であり、何でもかでも長姉に従ったりおもねったり、その説教を全部が全部、真に受けて悩んでいたわけではなかった。ただ彼は駅の改札前で、二度も次姉から帰る時間を延期され、そこを行きかう人々を見て自分の親切心の足らなさに思いをはせたりしているうち、長姉の言うように本心から次姉に対し親切にする気持ち、自己を犠牲にしても人に対して良くしたいという思いが自分に備わらないうちは、次姉は決して帰ってこないのではないかという妙な妄想が湧き起ってきたのである。

 半年がたった。まだ次姉は帰ってこない。文雄は相変わらず駅の改札前で待っている。
 彼は自分が根っからの親切な人間でないことが、次姉の帰ってこない原因だと固く信じるようになっていた。そしてそのころには、文雄はなれるものならそういう人間に是非なりたいと思うようになっていた。そこで待っていた長い時間が、宿命的に彼にそうした願いを抱かせたのである。
 半年の間に、大きな市立病院が駅前に移転してきた。文雄は思い切ってその病院の脳外科をたずねた。
「私は親切な人間の仮面をかぶっていますが、本心から親切な人間ではありません。どうか私の脳を切り開いて、根っからの親切な人間に改造してください。心の底から人に優しくしたいと思える人間にしてください。そして人に良くするためには自分を犠牲にしても一向に構わない、そんな人間にしてください」
 すると中年の脳外科の医師は、真剣な目を文雄に向けて言った。
「それはできないことはない。しかしあちこちの脳神経をつなぎかえる関係上、治療のあと脳がびっくりして相当な苦痛が伴う。それに金もかかるぞ」

 文雄は貯金をはたいてその手術を受けた。医師の忠告通り、術後かれの頭の中枢から放射状に激痛が広がる、という現象が一時間おきに起きた。それが一週間ほど続いてようやく止むと、今度は彼は人間を見たり声を聴くたびに目から大量の涙があとからあとから流れ出す、という症状に見舞われた。いったんそれが始まると二時間は止まらなかった。だから彼の病室にはほとんど誰も入れない状態になり、それは約一か月続いた。その後もあらゆる光が黒く見えたり、ありもしないシャボン玉が大量に押し寄せてくるといった幻覚に襲われたが、術後約三か月で正常に戻り、無事退院することが出来た。

 また駅の改札前で次姉を待つことにした文雄は、退院したその日に、バスにはねられそうになっている少年を目撃した。彼はその瞬間バスの前に飛んでいき、自分が轢かれてしまうのも恐れずその少年を助けた。それは本心からの親切に他ならなかった。その救助劇を目にした人々はいちように文雄を讃えた。彼はその後も熱中症で倒れたお年寄りを助けたり、ひったくりを捕まえたり、また駅にたむろする浮浪者を排除する条例が出ると、その浮浪者たちにおしみなく金を与えてまともな生活に戻る足がかりとしてやった。
 文雄の善行の噂が広まり、彼の周りにはいつしか人が集まるようになった。文雄はその人たちに、自己を犠牲にして人に親切をほどこすこと、我欲のためにその親切心がくじかれてはならないことを説いた。彼の語ることは口先だけでなく、つねに行動が伴っていたから、話を聞いた人々はみな感化された。文雄はさながら小さな宗教の教祖のようになった。そして彼に感化された人々の中にさるレストランチェーンの社長がおり、文雄の理想を実現する足しになればと巨額の寄付をした。
 文雄は信者たちを根っからの善人にするため、その金を使って彼らに例の脳外科の手術を受けさせた。信者たちは生まれ変わったように真の善人になった。

 文雄はかつて改札前で見た、夏の家族サービスに励む男たちのことをよく思い出した。善人にはなったがいまだ家族を持ったことのない文雄は、親になるということについて不完全なイメージしか持つことが出来なかったが、彼なりに次のようなことを考えた。今の世の中に不足しているのは、あのように休日は家族サービスに励み、ふだんは家族のために働き、家族のために自分の一生を捧げる人々ではなかろうか。そして多くの若者がそれを嫌がるがゆえに結婚する人間が減り、それが少子化につながっているのではなかろうか。では今の自分の信者で若い者たちは、いずれ結婚して一生を家族に捧げようと考えているだろうか? 信者に問うてみると、答えは今どきの若者たちと同じくノーであった。それはいま目の前で困っている人なら一身をなげうって助けはするが、じっさい自分の長い一生を考えたとき、自分のしたいことの多くを放棄する覚悟までは持てない、というのだった。
 文雄はどうすればよいのか考えた。いまの便利な世の中、人間は多種多様な趣味を持つことができ、いくらでも知識欲を満たすことができる。それが若者が自分の時間を大切にする大きな要因だ。しかし世の中を昔の不便な状態に戻すことはとうてい出来ない。では人間の、趣味や知識を持ちたいという欲のほうを削ればよいのではないか。かつて外科的手術で善人になった文雄は、この問題に対しても外科的手術で応じようと思った。彼はかつての主治医にこの趣旨を説明した上で言った。
「趣味にもいろいろあるだろうが、すべては要するに五感の喜びに還元されるだろう。例えば音楽は聴覚の喜びで、いろいろな音楽に触れることで聴覚が発達していき、それにともなって趣味も深まっていくが、困るのは聴覚を発達させる材料が無際限に存在することだ。だからある程度以上は聴覚が発達しないですむような歯止めを脳内に設けられないだろうか。そして知識欲もある程度以上は持つことができないように、知能の発達に歯止めが設けられればいいと思う。先生、できますか?」
 脳外科医は天を仰いでしばし考えた。
「脳神経の発達の阻害……たしかシナプスの生成を抑制する酵素についての論文をどこかで見たぞ……それは理論的には確かにできる。試してみないと分からないが。しかし金はかかるぞ」

 かくして文雄の信者たちは片っ端からこの医師の手術を受けた。その信者がどんな趣味を持っているかは、脳髄を開いてどの神経がよく発達しているかを見れば分かる。その神経の過剰に発達している部分を切除することで、その人物はその趣味に関心を持たなくなり、多数枝分かれしているその脳神経の幹に当たる部分に、自己増殖性を持ったシナプス抑制酵素発生細胞を移植する。人間の五感、知識欲をつかさどる脳神経のすべてに同じことを行えば、その人間のあらゆる関心は、趣味といえる段階に発達する前にきれいに消えてしまうのだ。そうなるとその人物は、大昔の人間のように、食欲・性欲・眠欲が他の欲求よりはるかにまさるようになり、食べることと眠ることをのぞけば、結婚して子孫を残すこと以外にはほとんど関心が無くなる。これぞ最も有効な少子化対策だ! そしてこれから増えて行く子供は、すべて脳手術によって根っからの善人になる。善人だけの世の中! そこには偽善もない!

 三年後。文雄の次姉と甥たちがひょっくり駅に現れた。
 彼は次姉の姿を久しぶりに見ると、長姉とも長いこと会っていないのを思い出した。長姉はいまの自分を見てどう思うだろうか。褒めてくれるだろうか。きっと褒めてくれるに違いない、真の善人なのだから。
 二人の甥はずいぶん大きくなっていた。上の子は来年大学受験だという。
「文雄兄ちゃん、久しぶり!」
「ああ、元気そうだね。俊介はもう大学受験か」
「うん。物理学科を受けるつもり。いまの理論物理学は凄いよ。宇宙は実は九次元空間だということが分かってるんだからね。僕は身の回りに見える三次元空間の他にある六次元の空間について調べてみたい。それから将来はアメリカに留学するんだ」
 文雄は危険なものを見るような厳しい目で甥を見つめた。
「俊介、その前に病院に行ったほうがいいな。お前にとって決して悪いようにはならない。何しろ有名な脳外科の先生だからね」
 文雄は二人の甥の頭に手を置いた。
「まあ固い話はあとにして、とりあえず家に行こうか。俺はこの駅にいてもう四年も帰ってないもんなぁ」

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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

 ☃ ちゅうごくさるなし
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 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









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