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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/04/19 (Fri) 16:37:39

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No.681
2015/08/10 (Mon) 04:58:44

学生時代、生物学専攻の友人が

 PV=一定

という式について話し出した。ここでVは気体の体積であり、Pはその気体にかかる圧力である。つまりこの式によれば、強い圧力をかければ気体は小さくなり、圧力が弱くなれば気体は大きく膨らむ。しごく当たり前の話のようだが、ちょっと待ってくれ。P=0 となることはないのか、と僕は聞いた。友人は一瞬何を聞かれているのか分からないようだったが、つまりこの式で P = 0 としてしまうと V = 無限大になってしまう。いくら宇宙が広いといっても無限大の体積の気体を受け入れるわけにはいくまい。地球上では気体に大気圧というものがのしかかっているから P > 0 である。しかし宇宙空間ではどうなるのか。そこにいた他の理学部の誰かが言うには、宇宙空間にも星間物質というごく微細な粒子が漂っていて、万有引力や何かで気体の粒子を引き留める、つまりごく小さな圧力がかかるから、気体の粒子は無限のかなたまで飛び去る心配はないのだと。

 そういう話を聴いていると、ああわれわれは地球上で大気圧に守られていて良かったという思いを新たにする。もし宇宙服も着ずにいきなり宇宙空間に放り出されたら、体の内部から外へ向かう圧力のため、体も頭もあっという間に破裂してしまうだろう。
 「2001年宇宙の旅」では、超高性能コンピュータ「ハル」によって制御された宇宙船が、外惑星系に探検に行くのだった。このコンピュータは感情を持っており、同種のコンピュータが世界でまだ一度も誤作動を起こしたことのないのを誇りに思っていた。しかしハルは小さなミスを犯してしまう。船内のある機器が何時間後かに故障すると予言したのだが、船員が調べてみるとその機器には何ら異常は見られなかった。小さなミスだが、微妙な航路の狂いも許されない宇宙飛行を、この完全とは言えないハルに任せておけるだろうか。一度ハルのスイッチを切って原因を究明したほうが良くはないか。船長と船員は、ハルに聞こえないよう注意しながら相談した。そのあと、船外の作業があり、二人はそれぞれ球形のロボットに乗って、宇宙空間に出た。しかしハルは二人の密談を盗み聞きしていた。自分の電源を切られるぐらいなら、この二人の船員を殺してしまおう。宇宙船はハルを頭脳とする体のようなもので、ハルは船のロボットアームをあやつり、一台のロボットについてはその命綱を切って宇宙のかなたに突き飛ばしてしまった。もう一台の船長の乗るロボットに対しては、宇宙船から締め出しをくらわせた。ハッチを閉じてロボットを入れなければ、船長はいずれ窒息して死ぬ。手動で開けられる小さな出入口があったが、そこにはロボットが入り込むことはできず、おまけに船長は宇宙服のヘルメットを持ってきていなかった。助かる道としては、まず宇宙船の出入り口を開け、ロボットのドアを開ければ、ロボット内の空気が勢いよく噴出するから、自分は船内に弾丸のように突っ込むだろう。そしてすぐに船の出入り口を閉じ、バルブをひねってそこに空気を充満させる。これは大きな賭けだ。一瞬ではあるが頭を真空の宇宙にさらすのだから。「ヘルメットがなければまず助からんよ」というハルの冷たい警告を無視して、船長はその作戦を試み、みごと成功する。そしてハルの電源を止めたのだった。
 ながながと映画の話をしてしまったが、要は頭が破裂するのは怖いということである。

 どこの大学でもそのようだが、工学部の建築学科というのはえらい人気らしい。母校の建築科の教授に聞いたが、みんな頭が破裂するほど勉強して入学してくるから、まず頭の中のゴミを取り除くことから始めなければならないのだという。
 頭脳の許容量の限界に挑戦するようなこういう受験勉強の話を聞くと、筒井康隆の短編「こぶ天才」を思い出す。巨大なカブトムシのような昆虫がいて、それを背中に張り付けるとそのカブトムシが第二の脳となって本人の知力を倍増させるのだ。しかし一度取り付けると昆虫の神経と脊髄が一体化するため、二度と取り外すことはできない。母親が嫌がる子供を連れて、その昆虫の斡旋業者のもとを訪れる。子供はせむしみたいになるから嫌だと泣き叫ぶが、母親は受験戦争に勝ち抜くため、何が何でも我が子に昆虫を装着させたい。斡旋業者も、そんなに嫌がってるなら無理につけることは無いでしょうととりなすが、母親は強硬で、一流大学に入って一流企業に入るのが良いに決まっているのだから、自分の判断に間違いはないと突っぱねる。
 ああ。誰もがそう思うだろうが、僕など特にこういった母親の硬直した考えには戦慄を覚える。人の幸せは、知力が高い人も低い人も、結局は等量ではなかろうか。

 前にも書いたことがあると思うが、この「こぶ天才」で背中に昆虫をしょった人間のように、脳が二つあるいは三つある動物は珍しくない。いや脳というと語弊があるが、神経が特に密に集まっている箇所が、あたかも第二第三の脳のような役割を果たすことがあるのだ。人間の脊髄も、緊急時には脳と同じように体に指令を与える。つまり熱いものに手が触れたとき慌てて手をひっこめるが、これは一刻も早く手を危険から遠ざけるため、脊髄が手を引っ込めるよう命令しているのだ。ニワトリは首をはねてもしばらく羽ばたき続けるが、これは頭部以外に脳の代わりとなる大きな神経叢があるためだと思われる。ミミズを切ったときそれぞれ独立に生き続けるのも同じ理屈だろう。だいたいこういう首を切っても生きているような動物はおおむね本来の脳が小さいため、それを補うため別の個所に第二第三の脳を持っているように思われる。

 そこで思い出されるのが映画「八つ墓村」で落ち武者を演じた田中邦衛である。八つ墓村ではその昔、八人の落ち武者が命からがら逃げてきたとき、村人たちは最初親切にもかくまってやると申し出、落ち武者たちを歓待したが、それは村人たちの奸計だった。つまり落ち武者たちの身につけている立派な武具が欲しくて、親切なふりをして近づきになり、油断したところをなぶり殺しにしたのだった。武士たちの無念はすさまじく、田中邦衛は助からないとみるや刀を後ろから自分の首に当てて、そのまま斬りおとしてしまうのである。こんなことは人間には無理ではないかと疑問に思うシーンだ。首を後ろから切るのだから、頸椎の重要な神経をまず切ることになるが、そのあとも田中邦衛は刀を押し出し、のど元まで切るから頭が落ちるのである。これは思うに、田中邦衛には頭部の脳髄以外に大きな神経叢が首の下にあるということだろう。そう考えてくると、なるほど田中邦衛の脳は標準よりだいぶ小さそうである。そして第二の脳が体の動きを活発ならしめるがために「食べる前に、飲む!」と叫んでの、あの驚くほどはじけたダンスが可能になるのだろう。これも古いCMではあるが。

 光は波であるのか粒子であるのかという問題は、二十世紀の量子力学によって解決を見るまで長いあいだ議論の的だった。ある物理学者が二つの光線が重なり合ったとき「干渉縞(かんしょうじま)」が出来ることを見出し、これは波に独特の現象であるので「光は波である」という説が有力となった。しかしアインシュタインが光が粒子としてふるまうことを証拠づける実験を行い、結論としては、光は時には波としてふるまい、時には粒子としてふるまう、ということになった。
 長いあいだ光が波であるという説が有力だったせいもあり、宇宙はエーテルという微細な粒子によって満たされていると考えられてきた。波というのは、何か波を伝える物質がなければ発生しえないと考えられていたからである。重力もエーテルの存在を支持していた。宇宙の星どうしは万有引力によって引き合うが、しかし昔にあっては力も完全な真空中を伝わるはずはないと考えられたからである。
 しかし今日ではエーテルなどというものは存在しないと信じられている。これは相対性理論の「光速度不変の原理」に関係している。地球上のA地点からB地点に向かう光線があったとき、地球自体が宇宙に充満するエーテルに対して動いており、エーテルが光を伝える媒質なのだから、そのとき地球がエーテルに対しどう動いているかによって、つまり時期によってAからBへ光が伝わる時間は異なるはずである。しかし光線の速さはいつも同じだった。これはエーテルが存在しない有力な証拠である。
 
 さて最近の若い人は統一教会を知らない人が増えてきているようで、教祖文鮮明が死んでますますこの傾向は強まっていくだろう。さて僕は学生時代、統一教会をひやかしに覗いていた時期があり、何人かの信者と仲良くなった。彼らによると、相対性理論は間違いということになるらしい。なぜなら、人間の霊魂はエーテルの世界にいると彼らは考えており、死後も霊魂となって永遠に生き続けるというのが彼らにとって極めて重要な信仰である以上、エーテルは存在しなければならないのである。おそらく統一教会と関係の深い工学者の深野一幸は、この相対性理論は間違いであるという説をTVの討論番組でぼそぼそと語った。それを聞いた物理学者の大槻義彦は驚いて「あなたそれが本当ならノーベル賞百個分に値しますよ」と言った。
 別にノーベル賞百個分の意外な考えのほうが真実でも構わないが、統一教会の人たちは恐ろしく世間に逆行した考えをしばしば開陳したものである。「今から十年後か二十年後には韓国語が世界共通語になるでしょう」とある女性信者が言ったのは、かれこれ二十年前のことである。

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執筆陣
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快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

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 我ら一同、只管に【快文書】を綴るのみ。お気に入りの本の頁をめくる感覚で、ゆるりとお楽しみ頂ければ僥倖に御座居ます。









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