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 『読んで面白い』『検索で来てもガッカリさせない』『おまけに見やすい』以上、三カ条を掲げた〜快文書〜創作プロフェッショナル共が、心底読み手を意識した娯楽文芸エンターテイメントを提供。映画評論から小説、漢詩、アートまでなんでもアリ。嘗てのカルチャー雑誌を彷彿とさせるカオスなひと時を、是非、御笑覧下さいませ。
No.
2024/03/28 (Thu) 20:05:59

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No.30
2009/10/15 (Thu) 23:46:52

 額に深い皺を刻んだ、白髪のその男は、薄い唇を固く結んだ威厳のある顔をうつむき加減にして、一心に何かを祈っている。部屋のいたるところに並べられたロウソクの灯が、この男の顔を黄色く照らし、薄く開かれた男の眼をきらきら光らせている。

 真っ白な手術室。少年の白い体ののった手術台を取り囲む、医師たち。執刀医がメスを少年の鳩尾(みぞおち)に下ろすと、光沢のあるその刃の側面が鏡となって、鮮やかに少年の肌を映し出した。メスは少年の腹をまっすぐ下に切ってゆく――しかし血は出ない、まったく。マスクをした医者は眉を上げてかすかな驚きの表情を見せた。そして、少年の腹を開いたとき、医師たちはさらに驚愕した――ない、何もない! 少年の腹の中は、そこにあるべき内臓がひとつもなく、がらんどうだった。そのかわり、腹腔の内壁は、なにか玉ねぎの薄皮のようなものに覆われ、かさかさしたその皮は、ところどころはがれかかっていた。執刀医は悪夢でも見ているかのように慌てふためき、その何もない腹腔の内壁を、両手でぺたぺたと、何度も触ったのだった。
 腹を裂かれているその少年は、首をググ……と震えさせながら徐々に持ち上げて、猫のように冷たいその眼をあらん限りに見開いて、自分の腹の中を見回した。固く結んだ少年の薄い唇は、さきほどロウソクの並んだ部屋の中で祈っていた男のものと、まったく同じだった。

 額に深い皺の刻まれた、荘厳な顔つきの男が、一心に祈っている……その部屋の扉が、突然バタンと開いた。
 手術着の医師たちが、そこに立っていた。ぼそぼそと小さな声で話し始める。
「お気の毒ですが……私どもには治すことは……」

 白衣の医師たちが、病院の玄関前に居並び無表情に見送る中、白髪の、陰鬱なその男と、少年が帰ってゆく。男は少年を背負って、早朝の濃い霧の中へ、どこか遠くの世界へ――だんだんと、消えていった。重苦しい足音を残して……。

 若い医師はハッと目を覚ました。奇妙な夢を見た。腹の中ががらんどうの少年……一心に祈る老人……奇妙だが生々しい夢……。
 時計を見た。午前三時。喉が渇いたので、水をすこし飲んだ。その瞬間、彼は燃えるような腹痛を覚えた。腹の中で炎が燃えさかっているような、激痛!
 彼は救急車を呼んだ。まもなく、サイレンの音。
 若い医師が運び込まれたのは、彼が勤務する病院だった。彼の先輩医師が、治療に当たった。
 レントゲンが撮られた。それを見た先輩医師は、ただちに手術を行うことに決めた。

「わたしの病名は何なのですか」
 答えをためらう先輩医師。
「重いのでしょうか。癌でしょうか……わたしは本当のことを知りたいのです……お願いです」
「よろしい、正直に言おう」先輩医師は不安そうで、またイライラしていた。額から汗が流れていた。「君の腹を開いてみたよ……そこには……何もなかった! 腸も、胃も、肝臓も腎臓も、肺もなかった。心臓さえ、なかったんだ! 頭蓋は開いていないが、レントゲンで見る限り、君には脳すらないのだ! 君がなぜ腹痛を起こしたのかは、分からない。それどころか、君がなぜ生きていられるのかすら、さっぱり分からないのだ!」

 若い医師への治療は、鎮痛剤で痛みをとることしかできなかった。
 若い医師は、都会を離れた静かな土地で、静養することになった。鎮痛剤を服むより他に処置のしようがなかったので、入院の必要はないと判断されたのだった。


 ある日の午後、静養先の海岸に、その若い医師はいた。
 静かな木陰で彼が横になっていると、はるか水平線上に、小さな小さな、白い帆かけ船を見つけた。非常にゆっくりと、その船はこちらに近づいてくるようだった。若い医師は、それを眺めているうち、いつしか眠ってしまった。

 どのくらい眠ったか、目を覚ますと、すぐ目の前の岸辺に、その白い帆かけ船がすでに着いていた。白いシャツを着た男が、船を降り、こちらにやってくる。彼は言った。
「われわれの島に、重病人が出ました。島には、医者がおりません。先生、急な申し出で恐縮ですが、島に来てその病人を診ていただけないでしょうか」
 若い医師は承諾した。そして、その白い小船に乗って、離れ小島に向かっていった。
「重病人というのは、十一歳の少年です。非常な高熱を出して、苦しんでいます。その少年は、生まれてから一度も口をきいたことがありません。だから、どこがどう苦しいのか、他人にはわかりません」
 白いシャツの男が言った。
 若い医師はうなずいた。船にゆられ、潮風に吹かれながら、彼は憂鬱な顔をしていた。
   
 島に着き、若い医師は重病だという少年の家に案内された。
「わざわざおいでいただいて、ありがとうございます」少年の母親が、伏し目がちに言った。「こちらです」
 母親に案内されて、部屋に通された医師は、白いベッドで静かに眠っている少年を見た。色が白く、ほっそりした顔。薄い唇。茶色っぽい髪。
 その少年は、彼が燃えるような腹痛をおこした晩の夢で見た、手術を受けていたあの少年にどことなく似ていた。
 眠っていた少年が突然、目を開けた。あの目だ! 医師が夢で見た少年とまったく同じの、猫のような冷たい目。
 少年は若い医師を凝視していた。
 若い医師はすこし狼狽しながらも、自らの仕事にかかろうとした。
「では、診察いたしますので」
 医師は聴診器を少年の胸に当てた。
 聞こえない……心臓の音が聞こえない。
 医師は少年の顔を見た。少年も医師の目を見ていた。
 若い医師は軽いめまいを覚えた。やはりこの少年も、「あの病気」なのか……。
 「おじさん……おじさん」誰かが、若い医師の心の中に呼びかけた。「おじさん……僕だよ」
 医師は少年を見た。少年の薄い唇は閉じられたままだ。だが、この少年が呼びかけてきているに違いないと、医師は思った。
「おじさん……おじさんも、僕と同じなんだろう? お腹の中に、何も無いんだろう? 心臓も、肝臓も、胃も、腸も、無いんだろう?」
 医師は戦慄して立ちすくんでいた。少年の声が、引き続き彼の心の中に響いてくる。
「僕はこの病気のことは、よくわかっている……いや、これは病気なんかじゃないんだ。僕らの内臓は、海の神様に捧げられたんだ。海の神様は、人間の内臓が大好きなんだ。おじさんも僕も、こうして体の中ががらんどうになって、どうなるかというと、しまいには骨も皮も溶けて無くなっちゃうんだよ。そうしたら、何にも無くなっちゃう。体が、消え失せちゃうんだ」
 若い医師は、思わず自分の胸や腹を手でさすった。
「でも、心配しなくていいんだよ」再び少年の声。「僕らは、この窮屈な肉体から解放されるんだよ。それに、肉や内臓を海の神様にささげるっていうのは、とても名誉なことなんだ。何も怖がらなくていいんだよ」
 白い顔のその少年は、依然として固く唇を閉じたまま、冷たい猫のような目を若い医師にぐっと据えつけていた。そして彼の心への呼びかけは続く……。
「さあ、霧が晴れる前に出かけよう。どこか遠くで、二人で、この肉体を脱ぎ捨てよう」
 若い医師は、顔面蒼白になりながらも、少年の言葉に対し短くうなずいた。
 窓の外を見ると、少年の言うように、来るときは晴れていたのに、深い霧が立ち込めていた。
 若い医師は、少年を背負って、その家をあとにした。白い霧の中、二人の姿はゆっくりと消えていった。
 
 数日後、波打ち際で少年と医師の衣服が発見された。白衣や靴、少年のシャツが、寄せては返す波に洗われ、朝日にきらめいていた。島の大人たちは、さして驚きもせず、黙ってその遺留品を見下ろしていた。

 島にある海の神のひんやりした祠の前では、こどもたちがきゃっきゃと騒いで遊んでいる。大昔から、この祠の神が、生贄として人々の臓物や肉体を無言で奪い去っていることは、島ではこどもたちでも知っていた。日々の恵みを与えてくれるきらめく海、その神は、ごく当然の権利とでもいうように、そののちも人間の生贄を静かに静かに、海中へと呑み込んでいった。

(終)

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執筆陣
HN:
快文書作成ユニット(仮)
自己紹介:
 各々が皆、此の侭座して野に埋もるるには余りに口惜しい、正に不世出の文芸家を自称しております次第。以下、【快文書館】(仮)が誇る精鋭を御紹介します。


 ❁ ntr 〜 またの名を中村震。小説、エッセイ、漢詩などを書きます。mixiでも活動。ふだん高校で数学を教えているため、数学や科学について書くこともあります。試験的にハヤカワ・ポケット・ブックSFのレビューを始めてみました。

 ❖ 呂仁為 Ⅱ 〜 昭和の想い出話や親しみやすい時代物、歴史小説などについて書きます。

 ✿ 流火-rjuka- ~ 主に漢詩の創作、訳詩などを行っています。架空言語による詩も今後作りたいと思っています。

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主に小説を書きます。気が向けば弟のカヲスな物語や、独り言呟きなことを書くかもしれません。

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